Shun Daichi
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 11 あなた自身を、ゆるすこと
 
 数年前、私はカ州P市のキリスト教青年会の講堂で、日曜の晩に連続講演をしました。そこにはスリッパをはいた男が、両足を引きずりながら、いつも出席していました。ある晩、集会のあとでその男が私のところへ来て言うには・・・
 「私の体をどうにかできないでしょうか? 九年間、関節炎に苦しんでいます。いろいろ治療をしてみたのですが、いっこうに効きません」
 彼に告げたのは、彼の考え方、あるいは信念を変えなければならないかしれないことです。すると彼は「神への考えを変えることが必要でしょうか? 私は敬虔なキリスト教信者なのですが」と尋ねるのです。
私は、彼にとり有害な考えだけを変えることが必要になるだろう、といって安心させました。なにごとも信念にしたがって起こるので、まちがった信念が体に故障を起こしているのなら、その信念を変えなければならないと言ったのです。
 多くの人は、気持ちを変えることを嫌います。キリストの時代の大金持ちの若い男のようなものです。キリストは彼に天国を体験したければ、彼自身を自由にしなければならないと告げましたが、彼は悲しい顔つきをしたまま立ち去ったことが、聖書に出てきます。彼は財産にへばりついていたのです。ちょうどそのように、多くの人は古い信念にへばりついて、それが健康や成功や幸福の体験をじゃまするのです。
彼らは自由のなかへ踏み入るよりも、古い信念を持ちつづけたいと思うのです。一種のスピリチャルな誇りなのかもしれません。多くの人は新しいことを学ぶことを恐れ、古いくからなじんできた世界が、ひっくり返るのを恐れます。私たちは、みずからを縛らないかぎり、縛られてはいません。私たちを自由にできるのは、私たち自身しかいません。
 
 罪があるという思いが病気を呼ぶ
 
 さきほどの男の関節炎は、数年前の経済不況のときに始まったそうです。医者は、その病気が恐れにもとづくもので、恐れがなくならない限り治らないと診断したそうです。それから彼は、こう語りました・・・
 「しかし、そのことは、もうすんでいます。たしかに財産はなくしましたが、いまでは何の心配もありません。気持のいい家と、小さい牧場と、いい妻を持って、よい暮らしをしています。それでも、からだには故障があるのです」
 そこで私は、彼がなぜ関節炎を持ちつづけねばならないと感じるのかを尋ねました。彼は、そんなことは思っていないと言いましたが、事情のすべてを打ち明けてはいないと強く感じました。そこで、病気をつづけるべきだと思い込む悩みがあるはずだ、それを打ち明けて、胸の中をきれいにするよう私は強く主張しました。
 しばらくためらってから彼はくつろぎ・・・
 「妻にさえ言わなかったことを、申しあげましょう」と話しが始まりました。
経済恐慌の最中に、彼は重大な過ちを犯したのです。自分のものでない金を取ったのです。その後すぐに返却しました。だれも被害を受けた人はいません。そのことを知っている人もいません。しかしその「罪」の意識を心から拭い去れないということでした。からだの故障は疑いもなくその報いで、罰を受けているのだと思うとのことです。許しを求めて必死に祈りましたが、神に許されたとは、どうしても感じられず、解放された感がないのだそうです。
 そこで私は、彼がなぜ自分自身を許さないのかと尋ねました。もし彼が自身を許せば、罪は許されるのだと説明しました。
 このことを彼はのみこめませんでした。彼は熱心な信者でしたから、私は聖書のマタイ伝九章の、キリストが、まひを病む男を治すところを読んで聞かせました。その男は罪が許されたと感じると、病気が治ったのです。キリストは、ただ「息子よ、喜びなさい。汝の罪は、許された」と言っただけです。キリストがこの男に、汝は許されたと告げるのを聞いて、キリストが罪を許すとは、神をけがす行ないだと怒る学者が何人かいました。明らかに、それら古い頭の学者たちは、罪を許すなどは、神の仕事だと思ったのでしょう。しかし私は、ふつうよく見のがされる第八節を、関節を病む男に見せました。そこには「群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた」という意味のことが書いてあります。
 そこで、この関節炎の青年は、許すことは彼の力でできることを悟りました。古い記憶を開放して、正しいことを思い、かつ、なすということだけが必要なのです。この男はこの第八節も、また第六節の「人の子は地上で罪をゆるす権威をもつ」というのも読んでいませんでした。この男の救われた喜びは、たしかに大きかったに違いありません。つぎの日曜日の夕方、講堂の戸口のところで私を待っていて、関節炎は消えてしまったと言いました。
 そのつぎの日曜日の夕方、彼は勢いこんで「九年間、終日働いた日はありませんでしたが、先週のなんの痛みもなく、一日中働きました」と報告してきました。
彼の場合、健康になる権利があると信じることだけが、必要なすべてだったのです。大生命力は、彼の期待・・・彼の信じること・・・に応じたのです。罰せられるべきだと信じていた間じゅう、彼は故障にしがみついていたわけです。健康への権利や資格を持つと信じたとき、大生命力は応答して、彼は健康になったのです。
 罪の意識が、もっとも多い、心または神経の障害だといわれます。それは体内のさまざまの機能障害となって現れます。罪の意識は「良心の苦悩」とも呼ばれます。たしかに一つの悩める良心に違いありません。そして、悪いことをしたという感じのもとに苦しむ間じゅう、または悪いことをされたという記憶をはぐくんでいる間じゅう、心に緊張や無理があり、それが体の故障や苦悩の原因となります。だから許すことが必要になるのです。
 多くの人々が私に、過去の罪の記憶が目の前にぶら下がっているため、暮らしていけないと訴えてきました。三年前、私たち夫妻の知り合いである、素敵な婦人から相談を受けましたが、その人の最初のことばは「私はもう堪えられません。気が狂いそうです」というものでした。
この婦人は美しい家も、お金もあります。素晴らしい男と結婚し、素敵な二人の息子もいます。話を聞くと、圧倒されるほどの罪の意識でした。結婚前、彼女は善良な娘ではなかったのです。彼女の母が幼いときに死に、彼女はしばらく、したいほうだいでした。軽率にも甘い誘惑にのったのです。
 何年も過ぎて、彼女を愛する男と結婚し、彼女もその人を愛し、いまや後悔の念が圧倒的にわき、こんな良い人の妻として、また、あんな良い息子の母になる権利はないと感じはじめたのです。与えられる楽しさや、ぜいたくな生活に、みずからが値しないと感じたのです。多くの医者や治療家にかかってみたが、なんの効果もなかったそうです。精神的にも肉体的にも、彼女は悲惨でした。
 「あなたは、いまは良いご婦人なんでしょう?」
と私はききました。
 「もちろん、そうです! 結婚して以来、私はずっと良い妻と母でした」
 そこで私は爆弾を投げつけました!
 「もし、あなたが今、よいご婦人ならば、あなたは、かつて悪いことは何もしなかったと同じくらいに善良です。ちがいますか?」
 これは彼女をびっくりさせました。
 「どうぞ、もう一度おっしゃってください」
 「もし今、あなたが善良ならば、あなたは善良なのです。そして、それだけのことです! ほかになにもありません」と、くりかえしました。
 「もし、あなたがよい妻でよい母ならば、あなたはいま善良です! それが、あなたに関する真理です。だから、あなたがいまあなたに来る善いものを持つ権利があるのです! 過去はなんのかかわりもありません。あなたが、ご自分の考えに固くこびりついて、自分は苦しむべきだと信じること以外に、過去は、あなたになんの力も及ぼさないのです」
 この婦人は深いため息をつき、やがて全身でくつろぎました。
 「肩からなにか重荷がおりた感じです。何年ものあいだ過去の過ちのために苦しまなければならないと思って、生きるのが堪えられなくなりました。いま、もしわたしが善良なら、わたくは善良なので、過去はなんの力もないのですね」と彼女。
 この考え方が、彼女を自由にする全部でした。今日では魅力ある幸福な輝かしい婦人・・・自由であるがゆえに気高い婦人・・で、よい妻と母であるに加えて、若い娘たちを助けることに長時間を費しています。だれでも、このような自由を持てるのです! 過去がなんであろうと、今に対してはなんの効果も及ぼしません。
 
 「今日が新しくできた世界だ」
 
 考慮しなければならない唯一の過去は、今日、作りつつある過去です。今日は明日になれば、過去となるからです。ダビデ王は、善いことをして法則にたよれと言いました。その方が善ならば、その人は善良です。神は私どもに遺恨をもちません。神にはしっともなく、だれにも罰を割り当てたりはしません。私たちが宇宙の法則・・・原因と結果の法則・・・を破って、みずからを罰するのです。大生命力は私たちに優しい存在です。私たちがおのれを許せば、大生命力は、つねに私たちを許します。過失を犯すことをやめ、善いことをすればよいのです。善いことのみが来ると知って、正しいことを行なえば、自然界の因果の法則は、善いことを運んできます。過去の過ちへの許しを得るには、その過ちに背を向け、正しく考え、よいことをするだけで足ります。私たちは心のなかにのみ、おのれに反する怒りを持つことができるのです。心の内のみが、許しと解放を見いだせる唯一の場所です。許しと解放は、罪を感じる過去の体験が、無知にもとづく過失にすぎなかったと認めるときに来ます。そして許されることをもって、私たちは、いっそう裕福で幸福で健康な生活へ進んでいけます。
 私たちが、できるかぎりの償いをしてから、過去の過ちに心の底から背をそむけ、正し原則に妥協しないと決意すれば、過去のあやまちを超越することを発見するでしょう。過去の過ちは、もうなんの力も及ぼしません。なぜなら、意識的にも潜在意識的にも、それらを記憶しないからです。私たちが自分を許せるのは、よき意図を持って生きるときであり、己を健全に愛するときです。
 真理は、私たちが神々であるということです。英国の詩人R・ブラウニングが言ったように、たとえ「胚芽の形において」でも、私たちは神々です。あなた自身を許しなさい。あなたの中の善を見なさい。善を表現し、善があなたに返ってくるのを期待しなさい。