テロと欧米の二重基準
テロと日本の選択・縛り首(1)
2001年12月3日
米国のラムスフェルド国防長官の言葉には、驚いた。国防長官はオスマ・ビン・ラディンを「生きて捕えるより殺害したい」と言ったのだ。
いったい、何が起こっているのか?
ブッシュ大統領は「デッド・オア・アライブ」と言った。「死体でも生きていてもいい」、とにかく捕まえろ!という、西部劇の世界の言葉だ。
まあ、米国はいまだに西部劇の精神世界で生きているのだと思えば、この言葉は理解できる。だが、ラムスフェルド国防長官の「生きて捕えるより殺害したい」という言葉は、行き過ぎではないだろうか?
つまりこの方には、殺人願望があるということだ。ことの是非よりも何しろ殺したいという。これは西部劇では縛り首に当たるのか? つまりリンチによる縛り首だ。リンチでは正当な裁判という手続きを踏まずに、犯人と思われる人を殺してしまう。
ブッシュ大統領は、今回のテロとの戦いが「野蛮」と「文明」の戦いだと言っていたと思う。そうすると正当な手続きを踏まずに感情に駆られるまま、リンチにかけることを文明というのか? 単なる一時的な狂気ではないのか?
米国でもこのラムスフェルド国防長官の言葉には、まゆをひそめた人、疑問を持った人が、少なからずいたと思う。だが今の米国の雰囲気ではそんなことは口には出せないだろう。
なにしろ戦争中であり、戦争に批判的な人は非国民として糾弾される恐れが強いからだ。戦前の日本と似ている。自由な国・米国はどこにいってしまったのか?
ブッシュ大統領の支持率は一一月二五日現在、九〇%だという。まあ、戦時体制下では、当然な数字だろう。
だが疑問がある。
この戦争で一番得をしたのは誰だろう?
もちろんブッシュ大統領だ。そして共和党だ。それにブッシュに選挙資金を提供した大企業だ。といってもどんな企業がブッシュに金を出したのかは知らない。現在の戦争で利益を受けている企業から推察すると、軍需産業だということになる。
さらに、これからはイラクに対する攻撃も予定されている。イラクは九月一一日の貿易センタービルへのテロ行為を非難しなかった、数少ない国の一つだ。これも、米国のラムスフェルド国防長官のような法の裁きよりもリンチを好む人にとっては腹が立つのだろうか?
あるいはテロを口実に使って、もう一度、原子爆弾の研究施設を叩く必要があるのだろうか?
イラクに対する攻撃は、新聞記事には時々しかでていないが、これまでも頻繁に行われている。今度イラクを攻撃するとなると、それで利益を得るのはイスラエルだ。そして石油資本だろう。これではまったく父親ブッシュの湾岸戦争の時と同じ構図になる。
米国で一一月に出版された本に「SOLD TO THE HIGHEST BIDDER もっとも高い金を出した人に売られる」がある。副題は「The Presidency from Dwight D. Eisenhower to George W. Bush」だ。
著者のダニエル・フレンダーバーグによると、米国の大統領は立法資本主義の操作者だという。一番たくさん金を払った利益団体や金持ち家族に奉仕し、それ らのグループの幹部を政府の重要なポストに据えてきたという。だから、似たような名前がでてくるのだという。そういわれてみれば、ブッシュ大統領の閣僚に は、前に聞いたことのある名が多い。つまり、資金を提供してくれた友人やパトロンのために便宜をはかり、借りを返すのが大統領の大きな仕事だという。
著者によると、このような悪弊を取り除くには大統領の任期を六年一回だけにするなどの工夫が必要だという。
ブッシュ大統領は、テロの容疑者を普通の裁判にはかけず、軍事法廷で裁く方針だという。なるほど戦争をしているのだから、戦犯は軍事法廷で裁くというわ けだ。これは理にかなっているのだろうか? 確かに、テロを起こす人間も、資金提供者も、テロリストをかばうものも、共犯者であり米国および世界に戦争を 仕掛けているとみなせば、テロリスト達も支援者もそれなりの覚悟をすることにはなる。だが、テロが減るかどうかは別問題だ。さらに激化するかもしれない。
これに対して、スペインは異を唱え、「それならテロの容疑者を米国には送還しない」と言っているそうだ(新聞によると)。これも一つの見識だろう。
米国はこれまで世界中の国々に「人権」「人権」「人権を第一にしろ」と声高に叫んできたと思ったが、それは民主党の声で、共和党は関係が無かったのか? 国連も世界人権宣言など「人権」を守るために、多くの決議をしてきた。だがブッシュはどうも「人権」よりも「制裁」を優先したいようだ。
友人・米国は国としての理想を変えてしまったのか? それとも常に二重基準のある国なのだろうか?
テロと日本の選択・縛り首(2)
2001年12月10日
「人権! 人権!」と叫んできた米国が、まず先頭に立って「人権よりも縛り首」と言い始めている。裁判よりもリンチがいいと言っている。ラムスフェルド国 防長官のように、法治よりもリンチを好む人が政権のトップのすぐそばでブッシュを支えているのを見ると、何とも不気味だ。もっともラムスフェルド国防長官 のほうはまだましなほうで、法治国家のかなめである司法長官のほうがもっとタカ派らしい。
これで、中国の人権問題を非難できるのだろうか? チベットでの人権抑圧問題にも口出しができなくなるのでは? 今後、インドネシア、ミャンマーの人権問題に口を挟むことができるのだろうか? もちろん口を挟むに違いない。
もともと欧米諸国は独特な二重基準を持つ国々だからだ。
欧米の独特な二重基準については、少し説明がいるだろう。欧米は独特な二重基準を持っている。あるいは二枚舌と言ってもいいのかもしれない。あるいは建前と本音が別だと言ってよいのかもしれない。これらは東洋の国にも西洋の国にもあるが、スタイルが違うのだ。
例を示そう。
たとえば、南北アメリカ大陸の侵攻だ。
古い話になるが、スペインは宣教師と軍隊を送り込んでアステカ帝国を征服した。宣教師は愛と神の教えを説いて、現地の文化を破壊した。だが、彼らの目的 は明らかに黄金であり、中米の富だった。それが証拠に、メキシコで金が産出しない地域には、キリスト教の布教が行われていない。
宣教師たちは、狂信的なカソリックだったようだ。彼らは愛を説き、現地の人々を慰撫し、一方で軍隊が人々を虐殺し帝国を滅ぼした。これを私は二重基準と いう。つまり愛を説いて人殺しを是認する。あるいは神を語り、金塊を没収する。人権を説いて、縛り首を望むのも、にていないだろうか?
イスラム教も神の教えを盾にして、武力で多くの国々を制圧してきた。これも神の名で人々を殺すのだから、矛盾していると感じるが、かれらアラブ人の狙いは少なくとも金塊ではなかったようだ。つまり物欲ではなく純粋に宗教の押し付けであったところが欧米人と違うところだ。
メキシコの国立民族博物館で考古学者のマルシア・カストロ・レアル女史にインタビューしたことがある。メキシコのオルメク文明研究の第一人者だ。
彼女と話していて、アステカ帝国は人間を生け贄にするなど、ずいぶん残虐だった、という話になった。そしたら彼女は「スペイン人の書いたものは、あんま り信用しないほうがいいかもよ。なぜなら、現地でやっていることを正当化するために、都合のいい報告書を書いていたから」と言った。
その時は、気にも留めなかった。なぜなら、宣教師たちの証言は多いし、征服者エルナン・コルテスなどの証言もあるからだ。だが、今は違う。確かにスペイ ン人の書いたアステカ人の残虐性には誇張があるのではないかと思う。現地人が野蛮人だということにしないと、布教する意味もないし、征服する正当性も失わ れるからだ。
スペイン人達は平気でアステカ人たちの信頼を裏切った。たとえば、チョラールの町で起こった惨劇は良く語られる。神殿で歓待されたスペイン人たちが、無防備な善意のチュラール人たち六〇〇〇人を虐殺して、そこにカソリックの教会を建てたのだ。
南米でも事情は似たようなものだ。
愛を説く宣教師に慰撫されて、現地に住んでいた人々は、征服され、現在でも徹底的に搾取されている。
カソリック教というのは現世主義者の宗教のようだ。だが原始キリスト教の方は、来世も信じていたといわれている。
現世しかないと考えるカソリック教信者は、現世で豊かに暮らせれば、それで満足だ。死んだ後などハッキリわからないことは考えない。もちろん人格者も多 いのだが、天国に行くか、地獄に落ちるにしても、またこの世に戻ってくることはないのだから、やりたい放題にやる人間が出てくるのも当然だろう。だが、輪 廻転生などを信じていたインカの人々などは、現世で徳を積むことを考えざるを得ない。
この二つの考え方は、大きな違いを生むことが多いようだ。
数年前にボリビアの町を訪問したとき、選挙が行われていた。だが、どのポスターを見ても白人系ばかりだった。インディオたちは貧しい生活をしているが、 インカの時代よりも貧しいに違いない。なぜなら、征服者たちであるカソリック教徒には現世至上主義者が多く、現世で徳を積もうと考える人が比較的に少ない からだ。彼らが唱えるキリストの愛とは、無意識のうちに自分たちに都合がよいときだけ適用されることがおおいのではないだろうか。この構図は、昔も今も変 わっていないと思う。
したがって、彼らは無意識のうちに搾取に搾取を重ねてしまっている。自分たちだけが物質的に豊かに暮らせればそれでよいと思う人も少なくないに違いない。こういう西洋的価値観に基づくグローバル化の世界は、正しい方向なのだろうか?(続く)
欧米の二重基準(1)2001年12月17日
テロに関連して、欧米の二重基準の話に入ってしまったので、少しこのことを掘り下げてみてみよう。
二重基準にもいろいろあるのだが、一番目立つのは:
1) 愛を説教して、殺傷をする。
2) 無私を説いて、金品を強奪する。
3) 人権を説教して、縛り首のリンチにかける。
4) 人間を動物扱いする奴隷制度
5) 二重基準に基づく植民地支配
要するに自分に都合の良いことはすべて正義であり、天から見たら悪であるとみなされることでも、罪の意識を感じない態度だ。そうみてくると、これはもちろん人類全体の性向であり、欧米はその中でも独特な性向を持つだけに過ぎないことがわかる。
「レオポルド王の亡霊 King Leopold’s Ghost」という本がある。この本は、一九世紀終わりのベルギー王レオポルドの残酷無比な悪逆行為を暴いている。ベルギー王レオポルド二世はアフリカに 私財を投じて公共のために尽くす慈悲深い名君として知られていた。ところがそれは表面だけで、実はアフリカのコンゴで非道な行為をしていた。アフリカ人を 奴隷として酷使してゴムや象牙をヨーロッパに運んで巨富を得たのだ。かれが統治していた間に一〇〇〇万人のアフリカ人を抹殺している。 レオポルド二世の表向きの顔は人道者だったが、素顔は冷酷無比な殺人者だった。こんなところにも欧米的な二重基準が現れている。
ところが、このレオポルド二世の素顔を暴き、アフリカ人の人権のために生涯を捧げた英国人がいた。彼は人権運動の草分けの人とみなされている。
さて、欧米の二重基準は昔の話だけではない。今でも色濃く残ってる。それどころか、欧米の本質的性格の一部と見ることもできる。そのことに気付いている欧米人もいれば、まったく自覚していない人もいる。欧米人は四つの種類に分類できるようだ。
第一は、物欲がすべてで、神も仏も物欲を満足させるために存在すると考えている人々。彼らは金塊を追い求め、そのためには何でもする人々だ。このタイプの人々はどんな社会でも、もちろん少数派だ。
第二は、信仰心も厚いが物欲も強く、その矛盾に気付いていない人たち。かれらは無意識のうちにカメレオンのように物欲人間から信仰人間、信仰人間から物欲人間へと変身する。いわば典型的な二重基準の持ち主であり、平均的な人々といえるだろう。
第三は、信仰心も強く、物欲も強いが、その矛盾に気付いている人々。インテリだ。
第四は、真の人道主義者で、本気で「人権」のような問題に立ち上がる欧米の勇気ある人たちだ。
この分類を日本人に適用するとどうなるか?
第一に、日本人の宗教心というのは絶対的でもなければ、強烈でもない。日本人が信仰しているのは「相対神・調和」だ。キリスト教徒も、仏教徒もいるが、 基本的に日本人が信じているのは、インディアンの「グレート・スピリット」のようなものだ。神はすべてに存在し、どこにでもある。草木にも石にも宿ってい る・・・というような信仰だ。
欧米人のように絶対神を信じているわけではない。そこで上のような四種類の分類がしにくく、すべては混沌としてしまう。
日本人の持っている強い二重基準は、日本人の文化を理解できる人々と、門外漢をはっきりと区別するところだろう。そこで、欧米の二重基準を、日本人の態度を比べてみよう:
1) 愛を説教して、殺傷をする。
日本人:このような傾向は見られない。そもそも愛を説かない。殺傷するときは問答無用。
2) 無私を説いて、金品を強奪する。
無私は説かない。問答無用で強奪する。
3) 人権を説教して、縛り首のリンチにかける。
人権を説かない。黙って首を刎ねる。
4) 人間を動物扱いする奴隷制度
他の人間を動物扱いはしない。奴隷制度も持ったことがない。こういう区別の仕方を知らない。むしろ、動物も人間も、一緒と考える。
5) 二重基準に基づく植民地支配
日本人独特の二重基準で、すべてを日本化しようとする。朝鮮でも台湾でも満州でも、日本の文化を押し付け、日本人にしようとした。日本人としての教育を 与え、名前も日本人化し、日本の国の一部として発展させようと努力した。これについてはいろいろな見方ができるが、韓国の人々から見ると、余計なお世話 だったことは間違いない。
さて、欧米はどうか? 彼らは現地の人々を大虐殺し、搾取することだけで満足し、文化までは押し付けていない。北米インディアンを欧米化しようとはしな かったし、欧米の教育を与えようともしなかった。生き残った北米のインディアン達は、今では欧米化されているが、絶滅を逃れるには選択の余地がなかっただ けだ。
南米の植民地化では、人種の混合はある程度進んだが、それは欲望に基づくもので、文化を押し付けようとしたものではない。南米のインディオはいまでも貧しく、搾取されている。
インドでも、インドネシアでも欧米の狙いは布教と富の搾取にあった。
このように欧米と日本では、大きく方法が違う。つまり文化が違うのだ。なぜこのように文化が違うかについては、先人が研究しているので、そのことについては来週、語ろう。(つづく)
欧米の二重基準(2)
2001年12月24日
オーストラリアのシドニーから車で二時間、ブルーマウンテンズを登り、そこからさらに南の谷間に降りていくと、リトルハートレーという丘陵が波打つ場所が ある。この辺り一帯は放牧地だ。ここに友人が牧場を持っている。牧場には川が流れ、池があり、白い牛がたくさん寝そべっている。家は丘陵の高いところにあ り、三六〇度見渡せる。
ジープに乗って川まで走った。
「夏は親戚の子供たちが来て、ここでキャンプをするんだ。最高だよ」とデニス。
途中では白い牛たちが小さな群れを作ってたむろしている。ジープが近寄ると、大きな牛が前に出てきて、子牛はその陰に隠れる。あまり友好的な雰囲気ではない。
家に戻ってお茶を飲んだ。
「子牛はかわいいけど、でかいやつはおっかなそうだね」
「あー、でもおとなしいもんさ」とデニス。
「これは肉牛?」
「あーそうさ」とデニスはいって、大きな肉の塊を持ってきた。「ここまで加工して市場にだすんだ」
「牛をかわいがって育てているわけでしょう? 殺すのがかわいそうにならない?」
「いや、平気さ、やつらはビースト(野獣)だからな」
それまで「牛」というのに、「cattle」「cow」「bull」「calf」などといっていたのに、とつぜん「beast」というので驚いてデニスの顔をまじまじと見たが、当たり前だ、という表情だ。
東洋と西洋の違いを考えるときに和辻哲郎が書いた「風土」は必読書だろう。ユネスコが英訳しているので、英語圏の人でも入手可能だ。
彼は船で東南アジアを通り、中東に行き、そこからヨーロッパに入り、風土の違いに驚く。モーンスーンの影響下にある人々は独特な性向を持つようになると いう。自然の恵みにあふれているが、一方で台風などのように人間にはコントロールが不能な自然の怖さも知っており、自然の恵みに感謝して生きる人々だ。
中東の砂漠の民は、これとは全く違う環境で生活している。太陽は怖い存在だし、真水が貴重で、一回の失敗が命取りになる厳しい世界だ。こういう風土だから一神教が生まれたという。
ヨーロッパに入ると自然は温和で、ジャングルもなく、林は馬で走り抜けられる。つまり自然は征服できる対象だった。だから今でも欧米人は自然と戦い征服しようとする傾向がある。
和辻哲郎に影響を受けた人は多く、その後も、この線に沿って多くの考察がされている。京都大学の樋口教授の「肉食の思想」などもその一つだ。樋口は、欧 米人は牧畜で、牛や羊などを愛して育て、その愛するものを殺して食べる。これは不自然だ。どうして愛するものを食べることができるのか? そこで、それを 論理的・心理的に正当化する必要がでてきたという。そこで愛する動物でも、相手が「野獣ならば殺してたべてもいい」ということになる。樋口はここに二重基 準の存在を見ている。
会田雄次の「アーロン収容所」も素晴らしい本で、若い人では読んでいない人もいるかもしれない。そうならぜひ読むべきだ。
会田雄次は英国人も日本人同様に、残酷で野蛮だという。
アジア人の野蛮さはモンゴル帝国の時代から有名だ。日本人も第二次世界大戦では野蛮な行為をしたという。たとえば、フィリピンでは日本の兵士が赤ん坊を 宙にほうり投げて、落ちてくるところを刀で突き刺した、という話すらある。中国人の首を刎ねている写真なども残っている。
だが、会田雄次によると、英国人も残酷だという。つまり人種が違っても、人間は皆同じ。いい人も悪い人も、貴人も変人も、狂人も野蛮人もいるということだろう。
さて会田によると、英国人が日本人の捕虜を殺すのに刀も、銃も使わないという。腹の減っている捕虜達をカニがたくさん棲む川の小島に連れていけばよいのだ。そのカニには寄生虫が巣くっており、食べると、数カ月で死ぬことになる。これなら合法的に殺人ができるわけだ。
「アーロン収容所」で捕虜だった会田雄次は掃除係だった。あるとき部屋に入ったら若い白人の女が素っ裸でいたという。一瞬、女は驚いた。だが、掃除夫だ とわかると、まったく何も隠さず、完全に彼を無視したという。つまり、この掃除夫は、犬猫と同じで、人間ではないから、その前で素っ裸でいても平気・・・ というわけだ。
アジア人もこのように割り切れるだろうか? 私だったらネコに裸を見られても恥ずかしいと、意識してしまうから、とても無理だ。まあ、いろいろ個人差があるに違いない。だから、一つの例で、民族全体を判断したりするのは無理だ。それはわかっている。
でもこれだけ割り切れた英国の若い女はすごいなと、感心してしまう。
アジアは混沌とした、問答無用の世界だが、ヨーロッパは白黒をはっきりさせる傾向があり、問答有用なのではないか? (つづく)
欧米の二重基準(3)
2001年12月31日
二〇〇一年の八月、二週間のインド旅行をした。
まずニューデリーに入り、それから東海岸のマドラスに飛び、車を借りて南インドを二〇〇〇キロドライブした。インドの聖地を訪れ、インド最南端のコモリ ン岬で夕日を眺め、朝日を拝んだ。それから西海岸を北上し、コチを経て、バスコ・ダ・ガマが上陸したカリカットまで走り、ニューデリーに飛んだ。
このとき各地でマハトマ・ガンジーの業績をたたえる記念館、博物館を訪れた。どこの町にもマハトマ・ガンジーを讚える記念館があるようだった。
私も子どもの頃からマハトマ・ガンジーのことを尊敬していたので、ひとりでにそれらの記念館に足が向いた。
いくつか訪問しているうちに、ふと考えた。なんで「非暴力抵抗主義」の独立運動が成功したのだろう? チャンドラ・ブースの様な武闘派は、日本などが支援してもすべて運動に失敗しているのだ。
<そうだ、マハトマ・ガンジーは英国人の二重基準に気がついたに違いない>と、私は思った。ガンジーの非暴力抵抗主義が成功したのは、問答有用のヨーロッパ人が相手だったからではないのか?
問答無用のモンゴル人や日本人が相手だったら、どうなっていただろうか? 可能性として一難高いのは、問答無用といわれて、ばっさりと首を切られること だ。もっともモンゴル人などは、独特の支配方式で、征服した土地にどんどん現地化していったから、そもそもマハトマ・ガンジーのような抵抗は必要なかった かもしれない。
インドの有名なタージマハル寺院を造ったのも、モンゴル系の王様だった。インドのムガル帝国というのは「モンゴル帝国」という言葉が訛ったものだ。彼ら は宗教も生活様式も現地化していったので、いまではすっかりインドに混沌と溶け込んでおり、インドそのものになっている。
そういうことは英国人相手には起こらないようだ。かれらはいつまでたっても現地化せず、二重基準を保つ傾向がある。いつまでも英国人とそれいがいの人々 の間には、壁を作る傾向がある。もちろんこれは一般論であって、個人個人を見ていくと話は別だ。現地化する英国人だってたくさんいるはずだからだ。
価値観が違う人間を差別するところは、日本人と似ているが、両者の間には違いがある。まあ、いつかその話にも、もっと詳しく触れることにしよう。
それはさておき、マハトマ・ガンジーが「無抵抗運動」を採用したのには理由があったことになる。
前にもいったが、ヨーロッパのキリスト教徒達は、愛を説いて、略奪、搾取する傾向があった。つまり二重基準だ。また彼らは戦闘的な人々だった。敵だと見 ると、人間ではないと切り捨て、野獣として扱えるのだ。北米インディアン達も野獣とみなされて、白人たちに恐れられた。だが、価値観が違うだけで、同じ人 間だったのはいうまでもない。
一方、ヨーロッパ人たちが愛を説くのも、本気なのだ。彼らは本気でキリストの愛を説いて、その教えに従わないものを野獣として扱うわけだ。
だからマハトマ・ガンジーが愛に基づく「非暴力抵抗主義」をとったとき、英国人たちはどうしてよいかがわからなかった。一方、武闘派を鎮圧するのは易し かった。野獣だとみなして、徹底的に弾圧すればよいのだ。だが「愛」を説かれて抵抗されると、ヨーロッパ人たちは、対応に困る。なぜなら、彼らも同じこと を説いているからだ。
マハトマ・ガンジーは若いころ弁護士になり英国に渡り、南アフリカ連邦でも人種差別に義憤を感じ、ヨーロッパ人のやり方を見て、彼らの二重基準に気がついたに違いない。
ヨーロッパ人のこの二重基準に目覚めたもう一人の偉人が、南アフリカ連邦を白人支配から脱却させたネルソン・マンデラだと思う。彼も若いころは武闘派だったが、牢獄に長く滞在するうちに、ヨーロッパ人に対抗するには「愛」を説くしかないと気がついたのだ。
一方、この真実に気がついていないのが、今でも武闘派として戦うテロリスト達だ。ビンラディンはもちろんのこと、パレスチナの武闘派もヨーロッパ人を味 方にすることができないでいる。二一世紀も、ヨーロッパ系人種が地球の経営をすることになるが、彼らの「愛」を説く気持ちはうそではない。また、ヨーロッ パ人の言い分がわからない連中を野獣とみなし、徹底的に粉砕し、富があればそれを収奪するのも伝統的に彼らの方法だ。
「目には目を」というイスラム教の教えを実行していたら「世界中、盲だらけになってしまう」といったのは、マハトマ・ガンジーだった。
「目には目を」を信じているイスラム原理主義の教徒には難しいことだろうが、ビンラディンもパレスチナの武闘派も、武器を捨てて、「愛」を説くことこそ が、イスラエルの国家テロ行為、暴挙を停止させ、パレスチナ人の権利を守るただ一つの方法だと思う。最近のPLOのアラファト議長を見ていると、彼も又、 その真実に気がつき始めていると思うのだが・・・。
欧米の二重基準(4)
2002年1月7日
前回、パレスチナとイスラエルの紛争を解決するには、アラファット議長がマハトマ・ガンジーのように非暴力抵抗主義を採用しなければならないと言った。こ れはイスラム原理主義者には難しい選択かもしれない。だが、欧米人が支援するイスラエル国家に対抗するには、この方法が一番なのだ。
イスラエルは米国や英国を中心とする欧米の支持がないと今のような強硬な態度はとれない。もともと、ヒトラーのユダヤ人虐殺に負い目を感じた欧米人、特 に英国が米国の支持の元に設立した国家がイスラエルだからだ。イスラエルが強いのは欧米諸国の支持・支援があるからだ。だからアラファットは欧米諸国の良 識派の支持を得なければならない。
それには非暴力抵抗主義ほど強い武器はない。なぜなら、欧米の大衆のほとんどは良識派だからだ。彼らはテロのような非良識的行動には怒りを表すが、愛を 説けば喜ぶ人々だ。欧米諸国の人々は神の愛とか、善行とかを本気で信じている。もっとも時折、権力者達にうまく利用され二重基準となってしまうのだ が・・・。
どう考えても、非暴力抵抗主義で「愛」を説き、欧米諸国の良識ある大衆をパレスチナの味方にすれば、無敵となる。だが、この方法が成功するにもいくつかの条件があるようだ。
第一に、ガンジーのインド独立の時のように、抵抗する側が大多数なことだ。ネルソン・マンデラの時にも南アフリカの黒人の数は大多数だった。アラブもパレスチナ人を支持するアラブ人が中東では圧倒的に多いのでこの第一条件は満たしている。
第二は宗教的信念だ。マハトマ・ガンジーにはヒンズー教があったし、ネルソン・マンデラはクリスチャンだった。この条件も敬虔なイスラム教徒であるアラファット議長は満たしている。
第三は命を懸けた指導者の存在だ。つまり、アラファットがガンジーやネルソン・マンデラになれるかどうかが問題となる。
イスラムも偉大な宗教であり、原理主義の自殺テロなどは、本質的なものではないはずだ。本来のイスラムの教えに戻ったら、「愛」を説くことができるはず だ。イスラム教徒の過激派はシャーリアと呼ばれるイスラム法の厳格実施を求める。一方、大多数のイスラム教徒は、聖典のコーランに従うだけであり、平和愛 好家だ。
三〇編一一四集からなる聖典コーランは戒律・祭儀の規定を集めたもので、イスラム教徒は:
1) 唯一神アラーを信じ
2)一日に五度メッカに向かって礼拝し
3)ラマダンの月に断食し
4)喜捨を行い
5)一生に一度メッカに巡礼する
を実行しなければならないという。
中東のクエートに六カ月、インドネシアに二年ほど暮らして、多くのイスラム教徒と仕事をし、生活を共にしてきた私の個人的経験から言えば、彼らは平和的 な人々だ。酒は飲まないし、一日五回も礼拝するし、ラマダンはあるし、奥さんも四人まで持てるということで、違和感はあったが、信頼できる人々が多かっ た。
イスラム教徒の過激派はシャーリアの厳格実施を求めるが、その中には厳しいイスラム刑法がある。「姦通したら死刑」とか「窃盗したら手足の切断」などが 有名だが、これも、イスラム教の創始者である七世紀の預言者モハメットが命じたものではない。シャーリアが成立したのは九世紀だ。
したがって、イスラム教徒は「愛」を説いて、非暴力抵抗運動ができるはずだ。具体的にはマハトマ・ガンジーのやったことを参考にできる。たとえば「塩の大行進」だ。
お正月に昨年評判になった「パールハーバー」という映画を見た。これを見ても、欧米人の報復好きは明らかだ。あまり史実に忠実な映画ではなかったが、真 珠湾を奇襲攻撃された米国が、報復に東京を攻撃したという筋書きだった。今度の世界貿易センタービルへのテロ攻撃もまた奇襲だった。その後の米軍の軍事行 動を「正当防衛の反撃」だという識者もいる。だが、ブッシュ大統領や国防長官の本音は「報復」だろう。彼らの思考様式は北米インディアンを攻撃した二〇〇 年前からそれほど変わっていない。ブッシュなどは「DEAD OR ALIVE」と完全に、西部劇の時代にタイムスリップしていた。
捕まえたテロリストたちを軍事法廷で裁くというのも、今回の軍事行動が報復行動であることを良く示している。第二次世界大戦で敗北した日本も、一方的な 軍事法廷で、アンフェアな判決を下され報復された。その有名な例は、フィリピンの司令官だった山下将軍の場合だ。こういうときのヨーロッパ系の人々の行動 は、・・・日本人がアンフェアに奇襲したから、アンフェアに報復してやれ・・・ということになる。つまり問答無用になる・・・二重基準があるからだ。
パレスチナの人々も、テロでイスラエルにテロで対抗していたら、報復されるだけだし、欧米人の良識派の理解も得られない。アラファットが目指すべきは、良識ある欧米の大衆の支持を得ることだ。それにはまず武力闘争を止め非暴力抵抗運動に変更しなければならないのだ。
欧米の二重基準(5)
2002年1月14日
マレーの虎と呼ばれた、山下奉文陸軍大将がフィリピンで縛り首にあったが、これは完全に報復だった。そこには欧米人が大切にしているフェアも正義もなかっ た。あったのは復讐心だけだった。山下奉文陸軍大将はまじめな軍人だったようで、フィリピンの首都マニラを戦場にすることを避けるために、山に入り、戦争 が終わったときには、素直に軍事行動を停止している。
戦争犯罪も犯してはいなかったが、そんなことに米国は興味がなかった。山下将軍は、彼の知らないところで行われた犯罪を理由に絞首刑にされている。つま り、彼は将軍だったから、なんでもかんでもすべての責任をとれ、といわれたのだ。ベトナム戦争では米軍の残虐行為が問題になったが、その時の米国の将軍は 罪に問われていない。
米国では数冊の本が出て、この裁判が不当だったことに疑問が呈されている。ところが不思議なことに日本では、問題視されていると聞いたことがない。いや 不思議ではない。日本人は台風一過すると、すべてを忘れてしまう傾向があるし、問答無用の精神が有り、理屈をいわずに水に流そうとする傾向が強いからだ。
だが欧米人は問答有用だし、今でも疑問を感じて追求している。その参考資料をあげておこう。
J. A. Reel : The Trial of General Yamashita (1949)
John Dower: Embracing Defeat (1999)
James Webb: The Emperor's General (1999)
1月12日の新聞によると、タリバンの兵士たちはやはり外地の軍事法廷で裁かれるという。しかも人道的処置をとることが求められる「捕虜」の扱いも受け ないそうだ。「不法戦闘員」だとラムズフェルド国防長官が言っている。つまりジュネーブ条約に準拠せずに、拷問をしようが殺そうが自由なわけだ。
これをどう解釈したらよいのだろう。米国人も日本人も裸になると同じで、フェアとか正義の観念は便宜的でしかないということなのだろう。
西洋の二重基準については、最近、アラブの人たちが文句を言っているようだ。たとえば、国連決議の不履行を理由に、欧米諸国はイラクへの攻撃を続けてい るが、追放されたパレスチナ人の帰還を求める国連決議(1992年12月採択)を、イスラエルが守らなくても、強制処置をとらないからだ。
世界の運営を欧米諸国に任せておくのは、やはり、問題があるようだ。といって、日本的調和の精神では、生ぬるくて、欧米人には我慢できないようだ。日本では人気のある明石康元国連事務次長も、海外での評判は散々だった。
さて、報復裁判の典型は、第2次世界大戦後の極東国際軍事裁判だ。あるホームページ(http://www.asahi-net.or.jp /~UN3K-MN/index.htm)から、復讐裁判に反対し、日本を弁護したインドの判事パール博士の言葉を引用しておこう。
以下はこのホームページから・・・。 <極東軍事裁判>
パール判事は、この裁判が最初から日本を侵略国と決め付けていることに不快感を示した。
そしてこの裁判の本質は連合国側の政治目的を達成するために設置されたに過ぎず、日本の敗戦を被告達の侵略行為によるものと裁く事によって、日本大衆を心理的に支配しようとしていると批判した。
さらに、検察側の掲げる日本の侵略行為の傍証を、歴史の偽造だとまで断言した。かつて欧米諸国がアジア諸国に対して行った行為こそ、まさに侵略そのものであると訴え、全被告を無罪だと主張した。
<1950年10月、パール博士の言葉>(一部省略)
『この度の極東国際軍事裁判の最大の犠牲は《法の真理》である。われわれはこの《法の真理》を奪い返さねばならぬ』
『・・・勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろう筈がない。われわれは何よりもまず、この失われた《法の真理》を奪い返さねばならぬ』
『今後も世界に戦争は絶えることはないであろう。しかして、そのたびに国際法は幣履のごとく破られるであろう・・・世界は国際的無法社会に突入する。そ の責任はニュルンベルクと東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れてはならない』
『日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない・・・いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない・・・』
『いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュルンベルクの軍事裁判が、果して正当か否かという激しい論争や反省が展開されている・・・し かるに直接の被害国であり、げんに同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本においてこの重大な国際問題のソッポに向いているのはどうしたことか。なぜ進ん でこの論争に加わらないのか。なぜ堂々と国際正義を樹立しようとしないのか・・・』
50年経っても、日本はさっぱり変わっていないことが良くわかる言葉ではないだろうか。