Shun Daichi
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Shun Daichi
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神々の失楽園
ノーム・チョムスキー
ヤンガードリアス彗星激突
カッパドキア地下都市
トルコ ギョベックリ・テペ遺跡の謎
グヌング・パダン巨石遺構
魔術師の神々
タイ王国のゆくへ 4 Feb. 2014
What I have learned in the last 40 years
Civil Warism and Harmonism
デウイとの五〇〇日 The 500 days with Dewi
The Seishin Chousoku Method of Breathing 塩谷式正心調息法
ピーターパンの世界(1) The World of Peter Pan: Part One
ピーターパンの世界(2) The World of Peter Pan: Part Two
高松塚古墳石室解体にみる文化庁の体質 Takamatsu-zuka Ruins
ジョー・マクモナゴが福島原発を遠隔透視 Fukushima & Joe McMoneagle
Translation
NPq
Hiroki Koide
Kitombo Weekly
奇跡を起す心の力
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著者からの個人的メッセージ
第一部
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1.あなたはなにか?
2.あなたが持つ不思議な力
3.神の国はあなたの中にある
4.信念の魔力
5.選択肢は無限にある
6.決断の不思議な力
7.誰でも最も気持ちの良い人や場所に惹きつけられる
8.「創造的な想像」の不思議な力
9.想像力は愛と信念に影響される
10.祈りと許しの不思議な力
11 あなた自身を、許すこと
12 他人を許すこと
13 過去を許すこと
14.運命を許すこと
15 自己分析と再教育
16 あなたのなかの創造する力
17 心の治療の準備
18 いやす力
19 積極的信念への段階
20 心の治療の技術
第二部
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21 体を健康にする心
22 経済を安定にする心
23 修養のためになる心
24打ち寛ぐ心
25対人関係に成功する心
26力強い人格をどう築くか
27新しい習慣をどう作るか
28若さを保つ心
大地舜 今週の疑問
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2001年
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日本人 1〜43
こどもはどう育てたらよいのか
テロと欧米の二重基準
心はどこにあるのか
「気」に対する認識はどう変わるか
日本の伝統の源泉
自民党はいつ潰れるか
ナルシストとのつきあい方
2002年
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ミャンマー旅行記
歴史の闇に「埋もれる世界」
ミクロネシア・ポナペ島探検記
南インド
台湾の海底遺跡と巨石遺跡
マルタ諸島の巨石神殿を造った謎の文明 1〜2
カンベイ湾に9500年前の都市が水没 1〜5
与那国の海底構造物 1〜3
ラスベガス
2003年
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国際派ビジネスマンの旅行術
南半球からの視点 1〜22
謎の地底神殿ハイポジウム
イラク戦争と第4次世界大戦の始まり
ベルツの日記
2006年
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サッカーはフェアなスポーツか
アメリカの底力・日本のチャンス
2007年
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『神の手』に罪はなかった 1〜5
世界の奇景・チョコレートヒル(フィリピン)
2010〜2011年
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タイ王国
手相術の科学 The Benham Book of Palmistry
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第一部 手相学
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はじめに
第1章 基本
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手相学から見た手の地図
第2章 人間の駆動力
第3章 手の姿
第4章 手の肌理(きめ)
第5章 手の密度
第6章 手のしなやかさ
第7章 手の色
第8章 爪
第9章 手の毛
第10章 手の全体
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手の三つの世界
第11章 指の全体
第12章 指の先端
第13章 コブだらけの指
第14章 滑らかな指
第15章 長い指
第16章 短い指
第17章 親指
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3つの指節
第18章 宮と指
第19章 木星宮
第20章 土星宮
第21章 太陽宮
第22章 水星宮
第23章 火星宮
第24章 月宮
第25章 金星宮
第二部 手相術
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第1章 線の基本
第2章 線は何を示すか
第3章 独立した印
第4章 年齢
第5章 感情線
第6章 頭脳線
第7章 生命線
第8章 影響線
第9章 愛情線
第10章 土星線(運命線)
第11章 太陽線
第12章 水星線
第13章 金星帯
第14章 その他の線
あとがき
「手相の科学」検証と実際 今井英人
三神たけるのお伽秦氏
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2001 雅楽etc
2002 凧揚げetc
2003~ 鏡餅etc
カルタゴ皇帝ゴンの世界
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ジュラシック ミステリー
アボリジニ 進化の鍵を握る人々
ネアンデルタール
水の惑星 新ガイア理論
楽園を求めた縄文人
海の人類史
最後の審判
邪馬台国と製鉄
怖い話
不思議な夢の世界
五大文明
茂在プロジェクト
縄文字の謎 ETC
21世紀文書館
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遠そうで近い国・近そうで遠い国 木本博美
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2001
2002
機織の娘たち 木本博美
網中裕之
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りんちゃん
げんさんの住処
萬亀眼鏡の東京散歩 飯森好絵
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2001 March to July
2001 Aug. to Dec.
2002 Jan. to July
2012 Aug. ~
In English
海賊の話 裏小路 悠閑
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海賊とは
お金の仕組みの摩訶不思議
エレン・ブラウン
Untitled
Untitled
Untitled
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Sing Out Asia
Blog
29心配や恐怖をどう取り除くか
30劣等感をどう取り除くか
31取り越し苦労を止める法
32あらゆる事態に配当を産ませる法
33朝の黙想
34夕の黙想
35私は在る、できる行う
36健康と幸福と繁栄の鍵
第一部
5. 選択肢は無限にある
何を思うか、言うか、行うかについて、あなたに選ぶ力があるということは素晴らしくはないでしょうか?
意識的に採択ができる人間は、ほかの動物とは違います。採択の力を使うことによって、人はみずから生きるという仕事に成功したり、失敗したりするのです。
善と悪
人が悪と呼ぶものは、大生命力のエネルギーを非生産的または破壊的に使うか、あるいはそのように指向した結果の産物です。いわゆる悪人は、大生命力という神の賜物である心とからだの力を破壊的に使うのです。それに対し、善人あるいは正しき人は、その力を建設的、生産的および有効に使います。生命自体が持つ力、エネルギー、威力などは、善でも悪でもありません。善や悪はその使い方にあるので、それは人間の採択によって決まります。人間自身は、もともと悪ではありません。が、無知や恐れや、欲求不満のゆえに、多くの人はその威力を間違った方向に使います。無知こそ唯一の罪です。私は電気を、家を明るくするためにも、私を感電死させるためにも使えます。人間は信じる力を、みずからを害するようにも、みずからのためになるようにも使えます。そのいずれをも人は選ぶことができるのです。
心配したり恐れたりするとき、私たちは信じる力を間違った方向に使います。心配や恐れは心の否定的な在り方で、人間にとって最大の敵です。信念あるいは心の肯定的な在り方は人間の最大の味方です。それは人を敵から救います。
ひとりの婦人が、ある日曜の午後、私に電話をかけてきて、その日の夕方の講演の前にほんの二分か三分でいいから時間をさいて会ってはもらえないだろうかと言ってきました。一〇年前のことで、私が話をする講堂の袖の小部屋で彼女に会うと、
「私はガンだと医者が言います」
と語りはじめました。なぜ、そんなことを告げにきたのかと尋ねると、
「私のために祈っていただきたいのです」と言いました。
「もし私が祈ると、あなたはよくなると思うのですか?」
「きっと良くなると確信しています。私の心に疑念はありません。もし私のために祈ってくだされば、治ることを絶対に信じています」
彼女の確信は明らかでした。ではそうしましょうと答えて、祈りました。この問題についてその婦人と話し合ったのは、それだけでした。しばらくの間、彼女の健康のために祈りというか、または精神治療といえることを毎日行うと、彼女のガン腫はなくなりました。一年ほど前に彼女に再び会いましたが、この何年もの間、ずっと元気だと言っていました。これは彼女の信念によって治ったのです。彼女は私の祈りで治るという絶対の信念を持っていたのですから、私がどんな祈り方をしたとしても同じことだったと思います。どんな方法で肯定的な信念に入るかは問題ではなく、その信念にさえ到達すれば良いのです。
私たちの人生が成功か失敗か、病気か健康か、平和か混乱かについての、おそらく最も深い意味を持つのは、キリストの言った「あなたの信念(faith)に応じて、そのとおりになる」という言葉でしょう。
あなたは自分の体験の世界を作りあげる
信念は、あなたの「心」のたんなる在り方で、「心」は大生命力の創造の法則です。もしも成功するという信念をもてば、あなたは成功します。失敗するという信念を持てば、失敗します。あなたは絶えず創造しています。というのは、いつも何らかの形の信念を持っているからです。あなたは常に思考しています。その思いと同類のものが作り出されるのです。
だれしも「心」を使って体験の世界を作り上げます。あなたが「心」と呼ぶものは、実際は普遍的で創造的な一つの知的な心を、たんにあなたが使っているというだけなのです。その唯一の知的な心は、今日まで万物を造り、今も造りつづけ、造り直しています。
「あなたは、こうであると思う人ではないかもしれない。が、あなたの思うことが、そのままあなたなのだ」という至言があります。
普通の人の思考の多くは統御されていません。実際、しばしば誤った方向に向けられています。普通の人は、だいたいにおいて自分の思考の威力を知りません。方向を誤った思考は、体験の世界へ悪いことをもたらします。もしあなたが、自分が何であるかを少しでも知っているならば・・・もし、あなた自身についての真理に、おぼろげな考えでも持っているならば、あなたの思考を統御することができると、わかるでしょう。あなたが思うもの、信じるもの、真理だと確信するものがあなたの体験となるのですから、思考・信じること・感じることを通してあなたの体験を統御できるわけです。思うことは「心」を使うことです。
あらゆる物の形、行動や体験などは、なんらかのレベル、なんらかの方法で「心」が働いた結果です。私について、またこの本についてのあなたの体験は、せんじ詰めると、あなたが私について思うこと、この本について思うことです。それは、あなたの「心」の中にあり、知覚の中にあります。あなたの体験は、私がいるここにもなく、本の中にもありません。あなたの体験は、あなたの中の思考する一点にあるのです。
私のことを違ったふうに思うならば、私についての別の体験を持つでしょう。あなた自身のことを、違ったふうに思うならば、今までとは違った体験を持つでしょう。他の人々について、また広く大生命力の世界について、今とは違ったように考えるならば、あなたの体験はすべて一変するでしょう。
講演を聴くとき、その講演について思うことがまさしくあなたにとって意味を持ちます。同じ講演が他の人にとっては、何か別の意義のものでしょう。なぜならばその方は、その講演について独自の考え方をしたがるからです。あなたが夫について、妻について、仕事について、これまでとは異なった考えを持つと、そのすべてに関するあなたの体験は異なったものとなるでしょう。体験することのすべては、あなたの思いの結果なのです。
いかに考えるかを学ぶことは、いかに生きるかを学ぶことです。これは途方もなく大きな深い思想です。その意味は、だんだんわかってきます。拒絶しないでください! あなたの体験は、あなたから広がり出るのです。あなたの体験は、あなたの思いの結果です。あなたの採択や決意は、あなたの中にあるのです。あなたの推理も、あなたの中にあります。あなたの満足も、あなたの中にあります。そうです、あなたの平和、幸福・・・すべては無限であるあなた(あなたは無限なのです)の中にあります。
森の静かなところを散歩するか、美しい庭を見て楽しむとき、「これは平和な、いい処だ」とあなたが口に出したとします。しかしそれでもなお、あなたが体験される平和は、あなたの「心」の中、あなた自身の感覚の中にあります。ある人は夕日を見て「これは美しい!」と言い、心を奪われ、ほとんど狂喜して霊感に打たれさえもします。ところが、同じ夕日を見る別の人は「光が目に入ってまぶしい」とこぼします。人はそれぞれ、自分を支配する思考の型によって、また自分の興味と採択によって、体験が異なるのです。
あなたが知りうる愛の全ては、あなたの「心」の中にあります。他人に、より多くの愛を表せば表すほど、あなたみずからいっそう多くの愛を体験します。あなたの中にあり、またあなたをかこむ大生命力は、あなたの思うことに応答します。あなたはなんと複雑な、面白い存在なのでしょう! あなたは大生命力の一点で、大生命力そのものを体験し、また表現するのです。だからあなたは大生命力にとり、すなわち神にとり、もっとも大切な存在です。
心の在り方は肉体や身辺の諸事にあらわれる
大きな怒りを爆発させるとか、またはひどく心配したあと、病気になった経験があなたにもあるかもしれません。その怒りや不安は、「心」の一つの在り方です。それはあなたが選んだ信念の在り方で、病気はその信念に応じて起こったのです。恐怖や心配によるショックのあと、力の抜けた感じがしたことがあるかもしれません。心が混乱したときは、何もかもが悪くいくように見えたりするでしょう。感情的な動揺によって、不眠に苦しんだこともあるでしょう。みな、あなたの信じたことに応じて起こったのです。
ある日、私はラジオ講演のために放送局へ行こうとして研究所を出ました。その朝、私はちょっと心配なことが頭にあって、考えに乱れがありました。歩道の縁石から車を出すと、ほかの車が前側のフェンダーをかすらんばかりにして通り過ぎました。通りを進むと、何回もほかの車と衝突しそうになり、ついには誰かの車が私の車のフェンダーの角を少し曲げてしまいました。そこで私はつぶやきました・・・
「道の片隅に車を止めて、考えを整理すべき時ではないのか?」
そうして数分間、自分と押し問答したのち、やっと自分の考え方や行動を統制する力が出てきて、落ちつきを取り戻しました。心の在り方を変えることを、みずから選んだのでした。そうすると心の内の葛藤は解消し、仕事にかかれるようになりました。あとは一日中何もかも円滑に運びました。
心が逆上すると、物事は順調にいきません。仕事に遅刻し、約束に遅れます。誰かに足を踏まれたり、注文した料理がなかなか出てこなかったりします。もし私たちが不機嫌でいると、家でも仕事場でも人々とうまく協調できません。不機嫌は、人々を私たちから遠ざけます。しかし、不機嫌も心の在り方、すなわち信念の一つの状態です。もし私たちが人々から好かれ、信頼され、協調してもらいたければ、こちらの気分をやわらげて、心の在り方をよくしなければなりません。ほほえむことを忘れてはなりません。「笑顔をまとわないうちは、完全に礼装したのではない」と誰かが言いました。この笑顔は、私たちが採択をした結果です。
成功や失敗も私たちの心の在り方で・・・人々や私たち自身についての思考の結果・・・つまり人々や私たち自身への態度の反応です。親切で思いやりがあり、お客や得意先に関心を持ち、その人たちを愛する人は、彼らに共鳴し、信をおき、良いビジネスをします。
私たち一家が親しくする、ある若い女性のことを思い起こします。その名を仮にメアリーと呼んでおきましょう。彼女は若いときに結婚し、家庭以外のところで働いたことはありませんでした。しかし夫の死によって、なんとか生計を立てる必要から一一月に彼女の住むロサンゼルス市の大きな百貨店に勤めることになりました。セールスの仕事をしたことはないのですが、生まれつき人なつっこい性格で、人々に関心を持ち、人を喜ばすことが好きでした。クリスマスの季節をひかえて、その大きな百貨店のスカーフ売り場へまわされました。彼女はその百貨店で唯一の未経験のセールスパーソンだったにも関わらず、すぐにほかの誰よりも多く売るようになりました。私はなぜそうなのか不思議に思い、どこにその秘訣があるのかを知ろうと、遠くから彼女のすることを観察しました。その売り場のもう一人別の女性店員が、どちらかといえば不機嫌で退屈した表情をして客に接していましたが、客の方も何かしっくりせず、まとまりのつかぬ様子でスカーフをいくつも手にしてどれを選ぶべきか迷っていました。三〇分もすると、ついにその女性店員はメアリーを呼んで、
「私のお客を引き受けてくださる? ちょっとコーヒーを飲んで休んでくるわ」
と言いました。メアリーはこのお客を引き受け、その思いまどった婦人の目を、にっこりと優しく見つめました。そして、
「若い方に買われるのですか、それとも年上の方ですか?」と尋ねました。
「気に入ったのがあれば何本も欲しいわ」と婦人は言いました。
「では、その方々のお好きな色と、どんな型の服をお召しになるかを伺えば、ご相談に乗れると思います。どんな好みにもぴったりのスカーフがありますよ」
二人はすぐ打ちとけて、お客は安心した様子でした。メアリーは、
「こんなのから始めてはいかがでしょう?」
と美しいスカーフを手にとって婦人の首にかけ、にっこり見守りました。婦人はほほえみ返し、そのスカーフを買いました。数分のうちに1ダースものスカーフを購入した婦人は、喜んで帰っていきました。成績によると、メアリーの一二月の売り上げはトップでした。そして二月の初めに彼女はその部の長になりました。こんなことは、このデパート始まって以来のことです。
実際に私たちの態度は、からだを通して身辺の諸事にまで及んでいくのです。私たちが誠実に良いことをそとに出せば、人々も好意的に反応してくれます。私たちの欲求・動機・態度・選択は、心の在り方です。病めるからだは、私たちをいらだたせると信じてきました。また、いらだっている人たちが、私たちを不安にすると信じてきました。しかし、これは多くの場合、あべこべなのです。私たちが、いらついているとき、恐れているとき、怒っているとき、あるいは心に葛藤を抱えているときに、からだは病を発症するのです。私たちの肉体は心の在り方に反応するのであって、相手の人々も同じくそれに反応します。険悪なムードでいると、人々は私たちに不快な反応をしてきます。ムードというのは、心の在り方にほかなりません。私たちが自分にも相手にも信頼(faith)を置くことを採択するならば・・・また自分自身を正直に愛し、かつ善く評価し、交流する人々に愛と善意を表現するならば、この人生を生きるという仕事で、みずからについても、他の人々についても、もっと成功できるのです。