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南インド

(1)チェンナイ

 チェンナイ(マドラス)の空港に到着したのは、朝の一〇時。八月の南インドは、朝から日差しが強い。空港でタクシーの券を購入して、駐車場に行くと、肌の 黒いタクシー運転手二人が言い争いをしている。いきなり、大柄な運転手がやせた男の方を殴った。やせた男は一瞬ひるんだが、大男に殴りかかる。たちまち人 が集まって来て、仲裁に入る。
 <タミル人って、結構、気が荒いのかな・・・>というのが、私の南インドの第一印象。私のスーツケースは、別のタクシー運転手が車に積んでいる。喧嘩に 気を取られて、スーツケースのゆくへを一瞬見失ったが、無事だった。<結構、南インドは安全じゃない・・・>というのが第二印象。
 インドを旅行するのは、今回が初めて。この国を旅行すると、好きになる人、嫌いになる人がハッキリ別れると言われている。また、インドには両極端が、何でもあると良く言われる。最善と最悪、巨富と極貧、極美と極醜など。
 だが、結論から言ってしまうと、私が見た南インドは、ごく普通の国だった。二年間住んだことがある、インドネシアと良く似ていたので、違和感がなかった。南ンドは地味の豊かな国であり、人々も、豊かではないかもしれないが生活はできており、極貧ではなかった。
 「レジデンシー・ホテルへいってくれ」というと、若い運ちゃんは、無言で車を走らせる。たちまち、チェンナイの雑踏の真ん中に入っていく。それから三〇 分、車はのろのろと渋滞する車の群れの中を走った。前からは大型バスが向かってくるが「ロダンの考える人」を連想した。車体が傾いているのだ。車線などは 引いていないようで、タクシーの真ん前に大型バスが向かってくる。すべては力関係で支配されているようだ。小さな車は大きな車が来たら、逃げるしかない。 ここは「適者生存」「強者生存」の世界だ・・・というのが第三印象。
 タクシーはようやく雑踏を離れて猛スピードで、路地裏を走り抜ける。<危ないな・・・>と思っていたら、ガシャン! と対向車と接触。車の後部が接触し たようだ。タクシーの若い運チャンは、一瞬、後ろを見たが、そのまま走り続ける。<もともとボロ車だから、少々の損傷は気にならないのかな・・・>と、 思っていたら、ホテルに着いてから、傷を点検していた。やはり、事故はマイナスのようだ。だが、たぶん、保険請求をしてもどうにもならない世界なのだろ う。 * * *

 南インドにやって来たのは、作家グラハム・ハンコックの新作『アンダーワールド』の翻訳の下調べのためだった。今年の九月二五日に発売される『アンダー ワールド』は、七〇〇ページの大作だが、その半分が古代インド文明の分析にあてられている。残りはマルタ島、日本、ビミニ、シュメールなどだ。インドの内 容の半分以上が南インドの紀行であり、伝説・伝承、海底遺跡の話。
 翻訳家の立場からいうと、やはり現地を知っているのが理想的だ。だいたい、知らないことを訳すと間違いも多くなるし、苦労が絶えない。翻訳にかかる時間 も二倍から三倍になる。得意とする分野、好きな内容、知っていると事を訳すのが一番楽なのだ。そこで、南インドに三週間の旅にやってきた。
 今回の旅行は、友人が経営する沖縄・石垣島のシーマンズクラブ・リゾートホテルが後援してくださった。
 人生で持つべきものは「忠実なイヌと親からの遺産、それに信頼できる友人」という人もいる。我が家にはイヌがいないが猫はいる。だが、猫は己に忠実なだけで、飼い主は二の次。親からの遺産は、ないほうが良い、とも言われる。だが、間違いなく持つべくは信頼できる友人だ。
 人生では「幸運」が大切だと思うけれど、「幸運はそれまでの人生の努力の結果」だと見るのが正しいだろう。だが、これまでを振り返ってみると、幸運は信頼できる友人から間接的にもたらされることが多い。だから持つべきものはやはり良き友だ。
 世の中には不思議な人がいる。その人のそばにいると運が良くなり、夢が実現してしまう。そういう友を持てるかどうかは、それこそ「運」しだい。
 さて、チェンナイのレジデンシー・ホテルは、グラハム・ハンコックのお勧め。このホテルで勤務する運転手を雇って南インドを旅行するのが最高だという。そこで、早速、ホテルに聞いてみると、彼はホテル専属の旅行代理店の運転手だという。   

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(2)岩テラス

岩を削った寺院

 小さな旅行代理店はホテルの二階にある。お店番をしていた看板娘は、運転手のパラニは、空港まで「ダイチ」さんを出迎えにでているという。明日からは南インドを一周する旅に出る予定で、その旨、ホテルに連絡しておいためだろう。
 目のくっきりした看板娘と、旅程の相談をしていたら、パラニが部屋に入ってきた。口ひげを生やしたやせた小柄な人物だ。グラハム・ハンコックからは「運 転手を頼むならパラニが最高」と圧倒的な推薦を受けていた。二〇〇〇年にグラハムとサンサが南ンド三週間の旅をしたときも、パラニが三〇〇〇キロも運転し たという。
 パラニの英語は早口でわかりにくい。訛りも相当ある。
 はじめてのインドで驚いたのは、インドの大衆が英語を苦手としている事実だ。
 成田からニューデリーまでTGのビジネスクラスで飛んだが、隣に座ったのが、ぴちぴちとして利口そうな可愛いインド美人。彼女とは八時間近くも一緒だったので、すっかり仲よくなった。でも年齢を聞いてびっくり。一五歳。彼女が話したのは、きれいなアメリカ英語。
 ニューデリーに二泊して、市内観光を行ったが、雇ったガイドの英語はインド独特の訛りのあるイギリス英語。旅行代理店の看板娘も流ちょうな英語を話す。 この辺りまでは、私の先入観通りだった。長いこと英国の植民地だったインドの人々は、英語を母国語のように話す・・・という先入観だ。


岩テラス

 だが、パラニの英語は、分かりにくい。このとき、はじめて、私の先入観が揺らぎはじめた。その後、南インドの田舎を旅して分かったことは、英語を流暢に 操れるインド人はごく一部だということだ。一般大衆は英語を話さないのだ。英語が流暢なのは上流階級の人々だけなのだ。国全体を見たら、英語が上手な人の 割合は、日本とあまり変わらないのではないだろうか? 
 翌朝、八時にホテルを出発。自動車は真っ白な「アンバサダー」という名前のインド国産車。ずんぐりしたカブトムシみたいな車体は、いかにも頑丈そうで、少々の交通事故なら耐えられそうだ。小柄なパラニは前方を見れるかが心配なほど、大きな車だ。
 それからの数週間、この素敵な「アンバサダー」の世話になったが、乗り心地は申し分ないが、冷房が効きすぎて困った。寒さを自動的に調整できないので、酷暑の南インドで、極地にいるような寒い思いをした。
 さて最初の訪問地はマハーバリプラム。チェンナイ(マドラス)から南に六〇キロ。一時間半の旅だ。ここには世界遺産になっている海岸寺院がある(写真参 照)。花崗岩を積み上げて作ったこのような寺院は七つあったという伝承が地元にある。それが海に呑まれて現在は一つしか残っていないという。


岩テラス2

 今年の四月に英国の世界探検協会、インド国立海洋学研究所、グラハム・ハンコックが共同で、海岸寺院の沖合でダイビング調査したところ、海底にさまざま な都市遺跡が発見されている。つまり地元の伝承は正確だったのだ。だが、その海底遺跡が、いつの時代のものか、どのくらいの規模で、沖合のどこまで広がっ ているかはまだ確定されていない。
 マハーバリプラムの海岸寺院は石を積んで作られているが、岩を彫って削った寺院も残っている(写真)。それよりもさらに興味深いのは、写真の様にこの辺りの岩山が、階段状に削られていることだ。なにやら与那国の海底遺跡の階段を思い起こさせる。
 岩山があると造形をしたくなるのは人間の本性なのではないだろうか? 本能ではないだろうか? そうだとしたら、与那国の海底一帯に見られる異様な造形 もまた、人間の手によるものではないだろうか? 私が気にしているのは、与那国の海底遺跡に人間の手が加わっているとしても、それだけでは高度な文明が存 在した証明にはならないことだ。


海岸寺院

 一方、インドのカンベイ湾の海底都市遺跡はインダス文明の源流のようで、ダムが有り下水道が有り、装飾品が有り、建物がある。しかも人骨や土器や木製品 も見つかっており、炭素年代測定法で検査までされている。その結果、九五〇〇年前のものだと判明している。これは明らかにインダス文明やシュメール文明並 の高度な文明が一万年前に存在したことを証明している。与那国で発見すべきは、このような文明の証拠なのだ。
 さて、日本の一万年前に高度な文明が存在したかどうかはともかく、与那国の海底遺跡に人の手が加わっていそうなことは、マハーバリプラムの一連の岩山加 工を見ても言えるのではないだろうか? 岩を削る芸術は、エジプトのスフィンクスや南米のケンコー遺跡などだけでなく、ここ、マハーバリプラムにも大規模 に存在するのだ。
 そう言えば来週の土曜日七月一三日には、マハーバリプラムを再訪する予定だ。       

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(3)アルナーチャラ山

海岸寺院のあるマハーバリプラムからは、一路、車を内陸に向けて走らせた。途中で環状列石が二〇〇基も残るサーヌールに行くつもりだったが、行きそこなった。そこは今週の日曜日七月一四日に見学に行く。
 次の訪問地はティルヴァンナーマライ。マドラス(チェンナイ)から南西に一七〇キロにあるシヴァ信仰の聖地だ。

ガイド達

 ここにはアルナーチャラ山がある。標高八〇〇メートルの山だというので、頂上まで登ってみることにした。時間は午後も四時。ドライバーのパラニが山麓の村の若者たちに話しかけて、ガイドを見つけてくれた。写真の三人だ。頂上まで歩いて一時間はかかるという。
 たかが八〇〇メートルと思って気楽に考えていたのが、大間違い。第一に登山道が無い。所々で大きな岩に白いペイントで矢印が塗ってあり、それに沿って 登っていく。ロッククライミングなのだ。こういうときのために週2回テニスをして、足腰を鍛えている積もりだったが、どうやら使う筋肉が違うようだ。
 最初の意気込みもどこへやら、15分も岩山を登ったら、息切れして5分の休憩。いくら登っても頂上は見えてこない。登りはますます急勾配になる。最後の 方は5分歩いては10分休憩するあり様だ。カメラとビデオ、それに全財産が入ったリックサックも、ガイドの若者に預けた。生き残るためには選択の余地が無 い。
 それでも2時間かけて登りきった。頂上近くには木陰があり、聖者が瞑想をしている。瞑想の邪魔はできないので、むしろの壁を通して、後ろ姿を見ただけ だ。この聖者はもう20年もまともに飲まず食わずでここに座ったままだという。毎日弟子達が、水と蜂蜜を下界から運んでくるらしい。


赤い山

 頂上からは三六〇度のパノラマを楽しめた。足下にあるアルナーチャレーシュワレ寺院の広大な境内が小さく見 える。シヴァ神の足型を彫り込んだ岩がある。12歳ぐらいのガイドが、ここに登れという。ここは聖地なので、靴も靴下もすでに脱いでいた。早速、足形に合 わせて石の上に立ったら、別の二人の若いガイドが飛んできて、「マスター、降りてください」という。それから、彼らが、この岩の礼拝の仕方を教えてくれ た。足型を足げにするのではなく、その前にひざまずき、額を足型につけて礼拝するのだ。
 12歳のガイドは二人に怒られていたが、実は3名の中で英語がかろうじて通じるのは、洋服造りを職業としている若者だけなのだ。
 このアルナーチャラ山は「赤い山」という意味だ。シヴァ神が自ら作った山だと伝えられている。頂上にはリンガがあり、4人でその前に座りしばしの瞑想。 周りはだいぶ薄暗くなってきた。7時過ぎに下山を開始したが、これまた難儀した。足はがくがくして体が安定しない。そのうえ、真っ暗になってきた。月のな い夜で、足元を照らすのは、下界の街明かりと、星明かりだけ。これには精神的にまいった。何度も転げそうになりながらの下山なのだ。
 「マスター、家に来てください」と洋服屋の若者。姉がいて英語がしゃべれるという。洋服屋の家に行くと、仕事場にはミシンが一台あるだけだった。4人に 通訳のお姉さんを交えて、コカコーラで登山の疲れを取る。彼ら3人は毎週日曜日に登山しており、頂上まで30分でいけるという。


山頂より

 ドライバーのパラニは辛抱強く、白いアンバサダーと共に待っていた。若者たちと握手して別れ、まだできたばかりのホテルに入った。
 ビールを取り寄せ(この街は聖地で禁酒らしい)、シャワーを浴びて、ベッドに倒れ込んで、熟睡する予定だったが、夜中に何度も目が覚めた。何か、体がか ゆいのだ。耳元でブーンと羽音がした。蚊がいたのだ。それからは毛布をかぶって、ようやく熟睡できた。翌朝数えてみたら、蚊に四〇カ所も刺されていた。ま あ、マラリアを媒介する蚊がいなくて不幸中の幸いだった。
 翌朝は、20世紀の聖者の一人ラマナマハルシの道場マハルシ・アシュラムを訪問した。ラマナマハルシは50年以上も「赤い山」に立てこもり、悟りを開い たそうだ。アシュラムには不思議な「気」が流れていた。花々が美しく咲き、人々は静かに行動し、まるで心が休まるメロディーがきこえてくる様な気がした。 いつまでも、ここに居たい気分がしたが、この日は再び海岸に行く予定を立てていた。     

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(4)環状列石

 昨年は環状列石のあるサーヌールにはいけなかった。最初にマドラスから南に車を走らせ、海岸沿いのマハーバリプラムに行ったところ、そこからサーヌール に行くには「マドラスまで50キロも戻らなければならない」と運転手のパラニが言うのだ。「マスター、次に来たときにしてください」といわれて、昨年は、 断腸の思いで、サーヌール訪問を諦めた。
 サーヌールはマドゥライという南インド第二の都市に向かう内陸を走る国道沿いにある。だが、運転手の持つ道路地図には載っていない。今回こそは、サー ヌールに何が何でも行く! と、決意していた。「南インド・世界歴史の旅」という本によると、紀元前1000年から紀元後2世紀にかけて、南ンドで栄えた 巨石文化の墳墓遺構の一つだという。
柵とパラニ

 前回訪れたマハーバリプラムの海岸寺院や、岩を彫って作られた岩石寺院は7世紀から8世紀のものだから、それに先行する文化の遺構だということになる。
 朝の九時にホテルを出て、一路南に国道を走る。1時間も経ったころだろうか、パラニが「マスター、このあたりがサーヌールだと思います」という。
 『南インド』の本には「道路沿いの山麓に環状列石が広がっている」とあるが、山などどこにもみえない。このあたりは平原だ。少し不安になった。
 「マスター。本を見せてください。写真をみせて誰かに聞いてみます」
 「いやー、本は持ってこなかった。すぐに見つかると思って・・・」
 「えー?」とパラニは不審そうな目をして、がっかりし、それでも諦めて車の外にでていった。


地元の女性たち

 私は悩んだ。<馬鹿だな・・・考えが甘いよな・・・すぐ見つかると思ったって、用心のために本1冊ぐらい、持ってくるのが当たり前だろう!>
 周りに山は見えない。まず山から探さなくてはならない。人のいない山中を探して歩く、哀れな己の姿が目に浮かんだ。<アーア、馬鹿だな・・・俺は、本もなしに、写真もなしに、どう説明して、環状列石探せばいいんだ・・・>
 パラニが帰ってきた。
 「マスター、すぐ後ろに柵が見えるでしょう。あすこだそうです」
 「エー、ホント?」
 急に自信が戻ってきた。<そうだろう! やっぱり俺は正しかった。俺の感覚に間違いはないんだ。本は無くても探せたんだ>


環状列石

 でも、本心、ほっとした。山はなくても環状列石群はあったのだ。
 車を木陰に止め、パラニと二人で柵の中に入っていった。中には写真のような環状列石が二〇〇基ある。広大な古代の墓場というわけだ。
 パラニが心配そうに後ろを振り返る。木陰の車のそばには5~6人の若者が集まっており、しげしげと中を覗いている。
 「マスター、車が心配なので、戻ります。一人で遺跡を見てください。あいつら不良みたいですよ。さっき道を聞いた若者たちですが、車が危ないです」
 車はトヨタのランドクルーザーで、新車だ。昨年の白いインド国産車アンバサダーなら、だれも注目しないが、トヨタの車は珍しいのかもしれない。


若者たち

 「あーいいよ、一人で問題ない」
 パラニは去った。
 一人で、広大な敷地を歩きはじめた。
 そばを土地の女性達が通る。彼らの写真を撮ると喜んでいる様子だ。
 環状列石の中央には石や土器で作られたお棺が埋められているそうだ。
 南インドの巨石文化は南インド全域だけでなくスリランカまで到達しており、環状列石、ドルメン(支石)、巨大な石棺を作っていた。これは奈良にある蘇我 馬子の墓と言われる『石舞台』と共通する巨石墳墓の文化だ。縄文の環状列石とも良く似ているが、インドの方が並べている石が大きい。
 歩いていたら、車のところにたむろしていた若者が、私の後を追ってきた。人数も増えている。<やれやれ、不良達に取り囲まれるのか・・・> 
 高価なカメラ2台、財布、靴、時計など、彼らが欲しいものはたくさん身に付けている。
 思った通り、7人の若者に取り囲まれた。<これじゃー、戦えないな・・・。多勢に無勢もひどすぎる> と思いながら、深呼吸し、丹田に『気』を置いて、体の筋肉を緩めた。いざ、というときは、どうなるかは分からないが、戦う決意だった。


環状列石2

 若者たちは、無遠慮に時計をのぞき込み、カメラを調べ、靴に目をやる。その視線が露骨だ。
 リーダー格の若者がやってきた。英語も少し話す。若者たちの身元を聞いたら、近所に住んでいるという。昼間からぶらぶらして、学校はいかないの? と聞いたら、この日は日曜日だった。
 なるべく陽気に振るまい、笑顔を振りまき、「みんな、一緒に写真撮ろう」と提案した。みんな喜んで写真に収まった。私はフィルムを入れ替えて、新しい フィルムをカメラに入れた。撮影済みフィルムはズボンのポケットに忍ばせた。<こうしておけば、何をされても命のあるかぎり、証拠写真があるからカメラは 取り戻せる・・・>という魂胆だ。
 リーダー格が、「あちらには天然のプールがあるよ、あっちに行こう」という。そちらは深い木立がある。
 「いや、水には興味が無いんだ。石だけにしかね・・・」といって、深い木立に入るのは遠慮した。
 1時間経って、そろそろ戻らなければ・・・。若者の数は15人に増えている。そのうち数名はオートバイに乗っている。
 総勢を引き連れて車のところに戻ると、パラニが渋い顔をして「マスター、早く車に飛び乗って」という。だが、私は、財布をとりだし仲よくなった(?)リーダー格の若者に100ルピア渡した。「案内ありがとう。みんなでコーラでも呑んでよ」
 「いや、そんな、何もしてないのに・・・」とリーダーが遠慮する。「それよりも撮った写真を送って欲しい」
 「ああ、もちろん送るさ。住所書いて」
 彼らは純真な素晴らしいインドの若者たちであったのだ・・・。    

(5)インド商人

 マドラスの繁華街にはスペンサー・プラザという、モールがある。アメリカで始まった、商店街が集まった大ショッピングセンターだ。中に入ると冷房が効いており、インドの庶民で満杯だ。
 ここでお土産を買おうとしたのが、間違いの元だった。
 インドにはカシミールがある。だからカシミール産のカシミヤのマフラーでも、安かったら買おうと思った。それにTシャツも素敵なのがあれば・・・、と考えていた。
 土産物のお店に入ったら正札がついていない。<まいったなー、カシミヤの善し悪しは分からないし、まあ、二~三軒回って、値段を調べるか・・・>と考えて、マフラーの値段を聞いた。
 「旦那、これは厚みもあって重たいでしょう。上物ですよ。お安くしておきます。一五〇〇ルピー(四五〇〇円)です」
 私も、アジアでの買い物は素人ではない。いや、アジアだけでなく、世界中の土産物店の価格は、正常な価格の三倍ほどふっかけることも、知っている。だから一五〇〇ルピアといわれたら、まあ、払うお金は五〇〇ルピアが正しいと考えればよいのだ。
 「これが一番いい品物なの?」と私。
 「いえ、もっといいのがありますよ。でも同じ大きさで2万ルピー(6万円)もします」
 「それはちょっと手が出ないな・・・」
 「ではこれはどうですか・・・」と店員、と言っても店の主人だろうが、別のマフラーを棚から取りだした。
 「どうです、軽いでしょう。上等だからです」
 確かに、ふわふわと軽い。「いくら?」
 「三〇〇〇ルピーです」
 それから押し問答して、結局、価格は二〇〇〇ルピーまで落ちた。だが、目標の三分の一までは、落ちない。そこで、別の店で買うことにした。
 次の店には二人の若者がいた。二人ともチベットから来ているという。一人はトルコのサッカー選手、イルハンのように目元が爽やかで清々しい男前だ。
 「マフラーが見たいんだけど・・・」
 イルハンのような目つきの青年が出してくれたのは、前の店で見たのとまったく同じ、軽いマフラーだった。この店の品物にも正札は貼られていない。
 「軽いでしょう。最高級品です」
 「いくら?」
 「二〇〇〇ルピーです」
 <おや、最初から、あまりふっかけないな・・・>と好感を持った。
 「一〇〇〇ルピアなら買おうかな・・・」
 押し問答の末、一五〇〇ルピアで買うことにした。それも二枚。
 ご機嫌になった若者は、「日本人のあなたは特別な客だ。まだ帰らないで、コーヒーでも飲んでください」と、言う。
 コーヒーを飲んでいたら、相棒の若者が、チベット製だというマントラの描かれた布の説明をはじめた。
 「チベットから持ってきたものです。寺院の秘蔵品を貰ってきたんです。一枚一〇〇ドルでどうですか?」
 目元のさわやかなイルハン選手のような若者は、お店の扉にカーテンを掛けている。<おかしいな・・・もう店じまい? まだ午後の三時なのに・・・>
 そのうち二人がかりで、マントラの描かれている布の売り込みが始まった。
 確かに魅力的な絵が描かれている。お釈迦様の生涯を描いたもの、宇宙の仕組みを描いたものなどだ。このような布を前にして、瞑想にふけるのがチベットの 密教なのだろう。だが、私にマントラの知識はない。雑誌「ムー」の三上さんでも居たら、いろいろ教えてくれるだろうな・・・、と考えた。
 でも、結局何も買わずに店をでた。
 念のため、帰りがけにもう一軒、土産物屋を覗いてみた。前の二つの店に比べてかなり大きなお店で、店員の数も多い。
 マフラー売り場に行くと、買ったばかりのマフラーとそっくりな品がある。
 「これいくら?」
 「七〇〇ルピーです」
 買ったばかりの品物をとりだして「これとよく似ているね・・・」と私。
 店員は、二つの品物を比べて、「全く同じものですね。軽いし、端がきれいに整っていないでしょう? これは一番安物ですよ。もっと高級品はいかがですか? 三〇〇〇ルピアのこの品がお買い得です」
 <もういい!>というのが、私の素直な気持ちだった。
 でも、好意を感じた若者に「嘘がばれたこと」を伝えたくて、買ったお店に戻った。イルハンのように感じの良い青年は、屈託なく笑った。 

教訓1:店のカーテンが閉められたら、「カモネギ」だと思われている。
教訓2:格好つけて「高級品はない?」などと聞かないこと。たちまち安物を取りだして、高級品だと売りつけられる。
教訓3:男前の若者に惚れてはいけない(冗談)。

 マドラスからはバンコックまで、直行便に乗った。隣には若いインド人夫婦が座って、話に花が咲いた。彼らは家族で二〇店ほど、インド工芸品のお店を持っており、ヨーロッパに輸出をしているという。
 「お店の品に、正札はつけている?」
 「もちろんですよ。私たちはお土産屋とは違って、芸術的な品物を海外に売っているのです。スペンサー・プラザの土産屋たちは、観光客は二度と戻ってこないと思って、法外な値段を言うのです。彼らは、次の日には店を畳んで、どこかに行ってしまうかもしれません」
 やれやれ、海外は東南アジアだけでも一〇〇回は旅しているのに、また騙されてしまった。