第7章 手の色
人間の身体において、もっとも重要なのは血液の循環です。血液の流れが力強く、自由ならば、健康は保証されています。一方、血液の流れが弱くなり停滞すると、病気が始まります。 *** これまでの章では、主に顧客の「質」について推測してきましたが、この章では「量」についても考えます。つまり、顧客の手の色を観察して、健康状態や精神状態を理解するのです。 これは非常に重要なので、この章に書かれているすべての言葉を吸収してください。それは丸暗記しろと言う意味ではなく、考え方を理解し、心にとどめておいて欲しいということです。したがってある種の色を手に見たときに、その色に属する「質」を思い起こすことができますし、生理的な状態も分かります。 病気になりますと生命力が過剰になり熱が出たり、活力不足となり寒気がしたりしますが、これらは私たちの人生の方向に大きな影響を与えます。このような生命力の強さを示す色は重要です。私たちはこの生命力についてよく知ってから手相の原則を科学的に適用すべきです。 生命力に対する知識の不足が、多くの方にとって手相を、不満足なものにしていることが多いのです。その傾向は手の色に関する知識をすべて吸収しない限り改善されないでしょう。 生理学的に見ると、血液は2つの重大な機能を果たしています。血液は体中の静脈と動脈を素早く走り抜け、身体が作った不純物を吸収し運搬し、同時に生命を維持し新しくします。 血液が吸収するのは炭化物です(別の言葉で言うと活力を奪う物質です)。新鮮な血液が身体の中を流れて、炭化物を吸収しないと、それらは毒素となってしまいます。自然はこのような仕事をさせるために、肺という素晴らしい機械を提供しています。 肺は新鮮な空気を体内に取り入れ、毒素である炭素のガスを体外に吐き出します。この肺による呼吸行動によって、息を吸い込むと新たな精気が吹き込まれ、息を吐くと使用済みの活力が外に出て行きます。 すべての血液は肺を通らなければなりません。肺で不要な毒素を置き去りにし、そのかわりに新しい精力を生む酸素を受け取ります。それを心臓に送り込み、心臓が体中に循環させるのです。 このようにして心臓から送り出された血液は身体の末端である皮膚に到達して、色を生みます。皮膚の色を変化させるのは、血液の量と質です。「血液は生命の維持者であり蘇生者だ」とはよくいったものです。そこで皮膚の色は手相鑑定家にとっても極めて重要な主題であることがお分かりでしょう。 この血液が肺を通り抜けるとき、毒素の一部しか破棄しなかったらどうなるでしょう。つまり生気を回復させる力も一部になるわけです。 したがってこの不純な血液は、動脈を通り部分的な活力を身体の隅々に届けます。このような状態が続き、不純な血液が身体を循環すれば、この方の健康はやがて損なわれます。健康状態が変わり、あるいは損なわれると、気分に影響が表れ、性格も力強さを失ってきます。なぜなら生命力が減少しているからです。血液の状態の変化に応じて、それらも変わるのです。 このような手相学の生理的な面に、一般の方はほとんど気がついていません。 皮膚の色が、いかに正確に個人の異なった状態を科学的に示しているかに気がついている人は少ないのです。ホワイト、ピンク、イエロー、ブルー、レッドなどの色は、人々のそれぞれの健康状態を如実に示しているのです。 もちろん、手相を見る部屋の温度も理想的である必要があります。華氏70度(摂氏21度)ぐらいが、正確に色を識別するのに適した室温でしょう。 血液の流れを早くし、遅くするすべてが、手の色に影響を与えます。あなたが知りたいのは平常なときにおける血液の流れの強さと「質」なのです。 手の色を見るときは、手のひらを見ます。手の裏ではありません。さらに手の線や、爪を見ます。これらを総合して、平常な状態の手の色を正確に推測できるのです。 季節も考慮に入れなければなりません。夏や冬などの季節によって、手の色も変化するのです。冬は手が白くなりがちです。夏は日焼けがありますし、一時的に手の色が変わって見えます。 これらのことを充分に考慮に入れる必要があります。その意味でも、手の裏ではなく手のひらをみることが大切です。手のひらは、日焼けによる影響も少ないからです。人によっては夏の日焼けで、手の色が赤くなります。ある人は日焼けで手の色が茶色になります。 強い日焼けで焼けた手は、元の色に戻る前に、黄色くなることがあります。したがって、これらのことを頭に入れていないと、単に元の状態に戻りかけている手の色を見て、黄色い手だと誤診する可能性があります。このように色が変わるのは主として手の裏です。手のひらは、受ける影響が少ないので、それだけ誤診する可能性が少ないのです。 これらのことを頭において、まずは、白い手(ホワイト・ハンド)の「質」から見ていきましょう。 白い手 まずは白い手ですが、この場合、私は「死人のように白い手」を意味しています。つまり血液が足りなくて起こる蒼白の状態です。単に繊細で色が白いのと、蒼白はまったく異なります。非常にきめの粗い、粗野な手でも蒼白の色を見せるときがあります。これは血液の中の赤血球が足りないのでしょう。このような手の白さは、女性の肌の細かい手の白さとも、自然の白さとも異なります。 そこでまず、病的に蒼白な死人ように白い手から見ていきます。死体のような手は熱の欠乏を意味します。熱の欠乏は蒼白の手の主要な性質を示唆しています。それは冷たさです。自然の世界でこの色は灼熱、熱、温かさ、生命力、魅力に欠けます。 世の中には社会から求められる人がいます。一緒にいるだけで優しい温かみを感じ、一緒にいるだけで仲間意識が発散され楽しくなるような人々です。 蒼白の手を持つ人々は、このような人々とは異なり、他人行儀で、態度も不愉快で、ものの見方は冷たく、人を喜ばそうと努力することもありません。 彼らは性格が冷たいだけでなく、肉体的にも冷たいのです。血液の流れが身体の表面にようやく到達している状態で、量的に不十分だからです。強心臓で強い行動力をもつ人々と異なり、蒼白の手を持つ人々は無気力な心臓から弱々しい力がでるだけで、筋力も劣ります。 つまり蒼白の色は、生命を再生させる流れである血流の力不足からきており、このような人々は、基本的に強靭さが足りません。 蒼白の手を持つ人々は夢見がちで、熱情に欠け、感情的にもならず、利己的で、空想的です。彼らは官能的ではありません。情熱を支える、たくましい健康がないからです。愛情関係にも冷たく、賢い人も多いのですが、交友関係をあまり好みません。 彼らの多くは詩人や散文家として成功しますが、五感を満足させることに最高の楽しみを見いだすことはありません。頭脳はよく働きますが、勇ましくはありませんし、愛情深くもありません。 蒼白の手の持ち主は、文学上、もっとも美しい詩や散文を生んでいますが、彼らの創作には、霜の肌合い、氷山のきらめきがあり、心に染みとおる温かさには欠けています。 宗教的な面で、彼らは神秘家です。ビジネスの世界では友達を作らないタイプです。可能な限り、彼らは社交的な集まりを避けるでしょう。 したがってあなたが蒼白の手の顧客に出会ったら、生命力、熱、エネルギー、気前良さ、同情、情熱に欠ける人を前にしていることになります。 覚えていて欲しいのは、生命を再生する流れが弱いことです。血液の流れが少なく、心臓の働きも弱く、おそらく肝臓の働きも不活発なのでしょう。このような冷たさは、この方のすべての性質に影響することを忘れないでください。 「木星宮」は野心、誇り、宗教心を示しますが、蒼白の手の人の場合、それに冷酷さ、冷笑主義、迷信が加わります。もしも「木星」が強いと、冷酷な専制君主を生みます。 「土星」が強ければ、知恵と沈思とまじめさを示しますが、冷たい手によって、それらが冷たくなります。黄色は強い「土星宮」の特徴ですから、ここが白くなることはあまり多くはないでしょう。「太陽」の芸術性、輝き、多様性は白い手によって地上に引き下ろされます。「水星」はさらに悪賢さを増し、陰謀的になり、人間的な良さが減少します。 蒼白な手は「火星人」に忍従しますが、冷酷な性格のため、「火星」が特に強いと攻撃による破壊性がさらにまします。「金星」は蒼白な手によって崩壊します。なぜなら愛は熱情なしには生きられないからです。白は「月宮」によく見られる色です。したがって白い手は「月」タイプのかたによく見られます。他の「宮」に白を見たら、それはかならず異常な状態です。 白い手の次にピンク色の手を考察してみましょう。 ピンク色の手 白い手は血液の供給の不足を示しますが、ピンク色は正常な量の血液が体内を巡っていることを示します。したがってピンク色は健康の色です。心臓が通常の強さをもち、充分な量の血液を送り出し、赤血球も豊富で、生命を再生させる充分な力を持っています。この滋味豊かな血液が皮膚の表面まで充分に送り込まれているのです。 皮膚に色を与えるのは血液です。ピンク色の場合は、量的にも質的にも正常な状態で、身体に推進力を与えます。その結果、手の色も健康そうにピンクに輝き、その方が健康で生命力に満ち、エネルギーと活力に溢れていることを示しています。 健康な方は、身体が痛みで緊張していませんから、すべての質の面で正常です。ところが身体的痛みと闘っている人は病気の重みを感じており、正常な状態ではありません。 したがってピンク色は、優れた健康的な血液が供給されていることを意味しており、気質の面でも、もっとも正常な状態に近いといえます。 ピンク色の手を持つ人は賢く、陽気で、活発です。頭脳に流れる血液も多すぎて混乱したりせず、また少な過ぎて衰えることもなく、頭脳は明晰です。このような方は魅力的で賢く、機知に富み、優しく、恵まれていない同胞に親切です。 この方は人生に喜びを見いだし、賢く魅力的で、仲間との交流に最大の喜びを見いだします。周りの人もこの方の魅力に引きつけられます。この方がいるところではどこでも社交の輪が広がります。 人生は多くの人々にとって悲劇的ですが、ピンク色の手を持つ方々にとっては愉快な人生です。彼らは人生には生きる意義があると感じ、楽しむことができると感じています。彼らは健康ですし、人生を楽しむために必要な努力を、喜んで払います。ピンク色の手を持つ人々は楽観的で悲観的ではありません。このような性格なので、蒼白の手を持つ人々の人生まで活気づけてしまいますが、これは喜ばしいことでしょう。 愛の温かさ、やる気の炎、同情の優しさなどは、ピンク色の手を持つ人々の特徴です。彼らは友人が苦しんでいると、共に苦しみ、問題を抱えている人たちを励まします。彼らは磁力を発散しています。あるいは熱を発散しているといったほうが正確かもしれません。人を引きつける魅力のある人には温かみがあります。そうでなければ誰も惹きつけられません。 このような熱という物理的な理由で、「金星人」と「太陽人」の周りには、多くの人々が集まり、多くの人々から追い掛けられるのです。彼らは温かさを発散します。温かさは生命です。冷たさは死です。 手がピンク色ならば、その方について、魅惑、温かさ、明るさ、才気、快活、生命力、エネルギー、親切、優しさなどを思い浮かべるべきでしょう。身体と心が正常で健康な状態ならば、このような性質が現れるものなのです。 ピンク色は『宮』にとってハッピーな媒体です。二つの例外を除いては、『宮』の資質を強めたり弱めたりしません。したがって、すべてのタイプに前向きな評価を加えることができます。 例外なのは「月人」と「土星人」の場合です。この二つの『宮』では、白と黄色が正常な色です。そこでピンク色になっていれば、それは彼らの冷たさや悲しみを和らげることになり、彼らの悲観的な人生の見方も和らげられます。したがって、ピンク色はあらゆる面から見て好ましい色であることが分かります。 赤色の手 次に「赤色」の手を取り上げますが、この場合はある程度、手のタイプを考慮に入れなくてはなりません。赤色は強靭さを示していますが、「火星人」タイプに見られる場合は欠点ではありません。ところが、「木星人」「太陽人」「金星人」に見られる場合は、短所となります。 多すぎることは、少な過ぎるのと同じように致命的なのです。手が赤いということは、巨大な力によって血液が推進されていることを示しています。これは血流が質量ともに過剰な状態の典型です。 赤色というとき、私は明瞭な満開の赤を意味しています。ピンクや深いピンクではありません。深い赤色です。このような赤色の場合、血液には赤血球が大量に含まれ、このような手の色を持つ方々は生命力に満ち溢れ、バイタリティーに富んでいます。 このような方は肉体的に極めて強靭で、性格も熱烈で強烈です。この方は物事を中途半端にできません。また、あまりにもバイタリティーに溢れているので、健康と強靭さが過剰だといえるかもしれません。 そこで、肉体的な痛みなどをものともせず、有り余った活力溢れるエネルギーを使い果たしたいと必死に働きます。彼らは愛、戦争、商売、芸術、宗教など、何をするにも強烈です。彼らはどのような分野においても、素晴らしいバイタリティーとエネルギーを発揮します。 彼らのスピーチは率直で短かく、強い言葉を使います。愛情においては、小さな炎ではなく、爆発的な炎、圧倒的な強さを示します。怒ると暴力的になります。赤色の手を持つ人たちがたいへんに困難だと感じるのは、自己制御です。 彼らの食欲は旺盛です。なぜなら彼らを燃え立たせる炎を維持するには、大量の食料が必要だからです。彼らの難しさは、普通の人々よりもあまりにも強靭なことです。そのために彼らは、他の人々の影を薄くしますし、その強烈さのため、普通の人々を疲れ果てさせてしまいます。つまり健康と強さという最高のものが与えられても、それが多すぎるとどうなるかが分かるというものです。 赤色の手を持つ人々は、ピンク色の手を持つ人々のように気楽に考えませんし、気楽な行動もしません。なぜなら彼らの頭脳ではあまりにも強烈に血液が流れており、脳が詰まりやすくなっているからです。 彼らは、ピンク色の手を持つ人々よりも心が重たく密度が濃く、人からの批判に影響を受けることがありません。それは滋養が豊かなせいであり、頭脳の細胞にあまりにも多くの血液が流れ込んでいるからです。 彼らは物事をやり過ぎます。つまり極端主義者です。ここまで見てくると、人生においては普通の状態であることがいかに良いことかが、分かったと思います。過剰なことは、ほとんど欠乏と同じくらいの欠点なのです。 蒼白な手は、すべての質を凍らせてしまいますが、赤い手はすべてを焼いてしまうのです。どちらの罪が軽いかは難しいところです。 したがって、赤い手に出会ったら、血液が多すぎること、強靭・強力であること、中味が濃いことなどを思い浮かべてください。極端に強靭で健康な身体に、炎が燃えていることをイメージしてください。その方が熱烈で、堅固で、強烈な性格を持つことを認識してください。 「木星人」の傾向が強いならば、この方は野心、自尊心、ルールを守ることについて灼熱の情熱を持ちます。「太陽人」ならば、その優秀さが炎のように強く輝きますが、すべてにおいてやり過ぎます。派手好きで「太陽人」の洗練された面は、赤色のため損なわれます。 「金星人」であるならば、愛と情熱が取り柄ですが、この場合は、意気込みと情熱で熱を消耗し、本人にとっても相手の人々にとっても危険になります。この方が「火星人」のタイプであるならば、本来の性格に熱意と荒々しさと粗暴さが加わります。彼は闘い、よく食べ、熱烈な恋に落ちます。食べ過ぎで胃けいれんを起こす傾向がありますし、目まいを起こし、脳卒中にもなりやすいタイプです。したがって赤い手の方に出会ったら、健康面について慎重に検討する必要があります。 爪や心臓(ハート)の線を見て、心臓に問題があり、さらに赤色の手を持っていたら、これは極めて重大です。のどや気管支や腸に問題があり、赤色の手を持つ場合も、極めて深刻な兆候です。つまり、燃えるように強烈な赤色の手は、すべてに熱と力を加えます。肉欲的で粗暴な手で、金星宮が大きく、指が短く太く、手のひらが硬く、棍棒のような親指をしており、しかもそこに赤色が加わっていたら、一〇人に一人は、殺人を犯しかねない人です。その人の愛情がねじれもつれたら、確実に殺人を犯すでしょう。 「赤い手の殺人者」という表現がありますが、これは血に染められた手を意味しているのではありません。上に述べたような手を持つ人のことを指しているのです。 赤い手が示すような、圧倒的な力に対処するには、赤色を認識できて、しかも性向を深く理解していない限り、かなり難しいことが分かるでしょう。 黄色い手 次に黄色い手を見ていきましょう。この色は「土星人」の色だといってもよいでしょうが、「水星人」にも時々見られます。これ以外のタイプの人々が黄色い手を持っていたら、それは異常を示しています。 黄色い色の手を持つ人々の多くは、胆汁質です。胆汁は食物の消化を助けるのが仕事であり、血液の中に流れ込むことは普通ありません。胆汁は腸の中を通り抜け、消化を助ける仕事をした後、消滅するのです。ところが肝臓が胆汁を過剰に分泌して、その一部が血液に入り込むことがあるのです。 そうなると胆汁が外来の毒物として働き、刺激物となり血液を汚染します。胆汁の色は黄色です。血液はこの刺激物を排除しようと常に努力します。そこでチャンスがあると、どこにでも胆汁の色素を沈殿させます。血液の中にあまりにも多くの胆汁が存在すると、皮膚の表面に胆汁の色素が沈殿することになります。その結果、だんだんと皮膚が黄色味を帯びてきます。その色の濃さは血液の中に流れ込んだ胆汁の量で変わってきます。 したがって、血流は生命を再生する物資のみを運ぶべきなのに、刺激性のある外来物を運ぶことになり、その結果、身体に本来の活気や強さや健康を与えることに失敗します。これは、まるで汚染された瘴気に満ちた血流であり、身体の活力がなくなり、精力とエネルギーが減少します。 血液の中の胆汁は、常に刺激物であり、血液にも身体の組織にとっても毒となります。その結果、神経や頭脳や気分に刺激的な影響を与えます。心臓の筋肉もだんだんと弱ってきて、血液を送り出す力も弱まり不規則になり、血液の流れも力を失います。 したがって、黄色い皮膚に慢性的な青白さが加わります。その結果は、冷血のいらいらした人物の誕生ですが、これは最悪のコンビネーションでしょう。胆汁に汚染された方は、ピンク色の手を持つ方のように喜びに満ち、明るく、幸福でいることはできません。 その方には重りがぶら下がっており、ほとんど押しつぶされそうなのです。黄色の手を持つ方は、不機嫌で、憂鬱で、人生に対しても悲観的ですし、元気がありません。この方は目的地に着く前に、何度も取り越し苦労をします。気難しく、沈黙しており、社交を避け、あらゆる楽しみを遠ざける習慣を持ちます。 この方の頭脳は、胆汁の毒で汚染されており、この方のものの見方も毒を持ちます。すべての面を否定的に捉え、薄闇とミステリーと迷信に非常な喜びを覚えます。つまりこの方は、病的な、ゆがんだものの見方をします。また、引きこもり状態になりやすく、陰気な意気消沈に身をゆだねます。 胆汁は神経を刺激します。そのため黄色の手を持つ方は怒りっぽく、不機嫌で、一緒にいても楽しくありません。この方は不幸でかわいそうな方なので、優しくしてあげ、ムードを改善するためにユーモアをもって接してあげる必要があります。この方は実のところ病人です。 優しくしてあげても、黄色の原因とそれがもたらす性質を忘れてはなりません。黄色が手のひらや、爪や手の線に見られるなら、そうとう病状が悪化しています。黄色が著しくなく、少し分かる程度なら、すでに進行が始まっています。手相を見るときにまだ黄色に身体が支配されていないときでも、すでに進行中であることを見逃さないでください。できたら進行を即時、停止させる必要があるのです。 したがって黄色の手は、すべての宮をゆがめることになります。「木星人」は陰気になり、意気消沈します。土星宮は黄色が自然なのですが、強い黄色だと、この宮が過剰な状態になります。「太陽」は輝きを失い、「水星」は神経質に胆汁的になり、「火星」は耐えがたい人となります。「月」は冷たく陰鬱になり、「金星」は力を破壊されます。 すでに言いましたが、日焼けした手のことを忘れないでください。夏休みから帰ったばかりで、日焼けしている手をみて黄色だと判断しないでください。また、外国の風土のために黄色の手が自然な人々が居ます。しかしピンク色であるべきところが黄色であったら、その方の人生の見方は異常である可能性が高いので注意してください。 次は、ブルーまたは紫色の手を検討しましょう。 紫色の手 ブルーまたは紫色の手ですが、色についての情報の基本に戻らなければなりません。ブルーや紫の色が生まれるのは、血液が充分に流れていないためです。しかし、血液の質には問題がないことが多いようです。そこでブルーの色を健康面から捉えるのが最も便利であると思います。血液の流れる量が少ないために肉体的には弱いですが、「宮」の性向などに与える影響は少ないからです。 したがってブルー色は健康の状態を示すものと考えましょう。血液を循環させる力が弱いのです。蒼白の手は冷たさを表わし、ピンク色は正常で、赤色は血液の量が多過ぎました。黄色は毒素を含んでおり、ブルー色は血液の循環の不完全さを示しています。心臓の鼓動が弱く、その結果、血液の流れを早くすることができず、充分な血液が身体を流れないため血流が停滞します。これを医学用語では、「うっ血」と呼びます。 これは肉体的な現象で、これが皮膚をブルー色にします。ここで注意しなければいけないことがあります。手の平がブルーになるほど血流が停滞することは、心臓の働きが危険なほど弱まっていることを、示していることです。 爪の研究するときに、心臓の問題についてさらに詳しく述べます。しかし手の色を見ただけで、ブルーだったらすぐに弱い心臓について気がつくべきです。 時には手のひらにブルーの点が見られることがあります。これは一時的な撹乱を示していますが、手のひら全体がブルーになる慢性的な状態には達していません。ブルーの点は、手をマッサージすることで消すことができます。ところが全体がブルーになってしまうと、それができなくなります。 このようなブルー色の手を持つ人に出会ったら、あなたは極めて賢く振る舞わなければなりません。「あなたは心臓病をおもちですね」などと出し抜けに言ってはいけません。このように出し抜けに言われてその場で、死にそうになったケースを知っています。このときは迅速に手当てをしたので、死ぬことは避けられました。 このような手を見た場合は、落ち着いて対処しましょう。あなたは繊細な方を相手にしていることを忘れてはなりません。もしも心臓について触れなくてはならないなら、「今朝、あなたの血液はあまり活発に流れていませんね」などと言いましょう。 そうしたら、あなたのお客は「実は、心臓が悪いんだ」と言うでしょう。これで不必要な衝撃が避けられます。優れた手相鑑定家になるには、このような機転と、洗練された感受性が必要です。 これで色の研究は終わりますが、このことを理解することの重要性は、最初に述べた通りです。人間の生活における血液の循環が果たす役割の重要性を、正しく理解することによってのみ、手相を正しく読み取ることができるのです。 次回は爪について研究します。 |