2001年3月10日
日本の伝統の源はどこにある?
これまで欧米などで、日本の歴史はどのくらい古いのか?と聞かれると、簡単に「二〇〇〇年」と答えてきた。欧米諸国でも東南アジアでも「二〇〇〇年」という数字は立派なものに聞こえた。
米国などは二〇〇年の伝統しかないし、英国やフランスだって二〇〇〇年前は野蛮な地域だったからだ。
日本の歴史が二〇〇〇年とすると、それは弥生時代に日本という国が生まれ、伝統が伝えられてきたことを意味する。もっとも「日本」という名称が使われる ようになったのは西暦七〇一年からだそうで、その前は「倭国」と言っていたという。さらにその前は縄文時代で国家の形態をなしておらず、縄文人たちは狩猟 採集の生活をする流浪の民だと考えられていた。
だが、国家も形態は明らかでないが、縄文時代が狩猟採集の生活をする流浪の民の群れであったという考えはすでに通用しなくなっている。縄文文化の研究者 の圧倒的な意見によると、縄文時代は定住生活をしており、海外との交易も盛んだった。さらに縄文文化は一万二〇〇〇年~一万四〇〇〇年前から二〇〇〇年前 までの一万年間以上も継続された息の長い文化だったという。
古代エジプト文明も三〇〇〇年も続いたが、縄文文化は一万年以上だ。このように長く続く文化というものは、非常に優れた哲学や組織を持っていたと見るのが順当だろう。
二〇〇〇年の四月から五月にかけて、日本を沖繩から北海道まで縦断し、各地の縄文遺跡、弥生遺跡を見てきた。また日本の神話の故郷である、高千穂、出雲などを訪ね、伊勢神宮も体験してきた。
その結果、言えることは縄文文化には多くの謎があることだ。
なぜ、日本には一万二〇〇〇年前から優れた土器が存在したのだろうか? 他の国よりも数千年は早い。中国でも最古の土器は一万年前だそうだし、粗末な出来上がりだという。日本の一万年前の土器は薄くて芸術的にも優れている。
アフリカ原産のヒョウタンが六〇〇〇年前、七〇〇〇年前から現在日本と呼ばれる島で栽培されていたが、このころすでにアフリカにつながるルートがあったのだろうか?
お米の栽培も一万年前から行われていた形跡がある。
三内丸山遺跡に住んでいた縄文人達は、盛んに中国本土と交易し、シベリヤに渡っていたらしい。
このように新たな事実がたくさん分かってくると、現在日本列島に住む人々の歴史・伝統文化の源についても一考の余地があるのではないかと思えてくる。
たとえば、大胆な言い方になるが、日本の歴史はどのくらい古いのかと問われたら「二〇〇〇年」ではなく「一万二〇〇〇年」と答えたほうが良いのではない だろうか? より厳密な言い方をすると、現在の日本の文化を理解するには「一万二〇〇〇年」からの伝統を知らなければならないのではないか? 現在の日本 という国を支える伝統の多くが縄文時代に生まれたのではないだろうか? 弥生人は縄文人を征服したとされるが、文化的に弥生人は逆に縄文に征服されたので はないか? これは古代エジプト文明と古代ギリシャ文明の間でも起こっているし、古代ローマ文明と古代ギリシャ文明の間でも起こっている。
では弥生人を征服した「縄文時代の哲学や精神」とは何だったのか? それは日本の伝統と言われるものの中にあるのではないか? 例えば「村意識」「村八 分」「和の精神」といったものも縄文時代から存在したのではないだろうか? アニミズム的な宗教観は、当然、縄文時代から存在するものだろう。
縄文人が「和」を尊ぶ人々であったことは、侵略してきた弥生人と戦った形跡がなかったことなどから推察できるが、それ以外の哲学はまだ不明だ。また、縄 文文化の文化圏は現在の日本の範囲を越えており、インドネシアからシベリアにまで広がっていたらしい。縄文文化を考えるときにはこのあたりのことも考慮に 入れなければならないわけだが、まだ分かっていることは少ない。これまで日本的といわれてきた行動様式、哲学、知恵には縄文の一万年の影響が多大にあるの ではないだろうか? これからはこのような視点も入れて日本の伝統を見直す必要があるのではないだろうか?