第14章 滑らかな指
あなたは、極めて滑らかな指を持つ人々にたくさん出会うことになります(写真57)。滑らかな指の関節には膨らみがありません。滑らかな指の先端部分の形状はいろいろです。滑らかな指を判別するには、関節部分を見ることになります。 こぶの多い指の特質は分析と理屈でしたが、滑らかな指の特質は、衝動、インスピレーション、直感であり、細かく分析する癖がないことです。 手相術において滑らかな指は、芸術家の指とされています。芸術家の感性が鋭いためには、滑らかな指の先端が円すい状になっていることが理想だと考えられます。生命力の閃光が指先から入るのに、円すい状の先端は抵抗が少なく、持ち主は理想主義的傾向を持ちます。真の芸術には理想主義的な要素が必要だと、多くの人が考えます。 これまで成功している芸術家の手相をたくさん見てきましたが、驚いたことに、また失望したことに、円すい状の先端を持つ滑らかな指という芸術家として理想的な手を持つ方が少ないのです。そのかわりに、多くの方がこぶのある指と、四角状またはヘラ状の先端を持っているのです。 最初、これは異常だと思いました。職人の手が芸術家の手になっているからです。また芸術家の親指は小ぶりで円すい状の先端を持つと考えられていたのですが、実際に成功している芸術家の親指の多くは大きくて四角いものでした。 成功している芸術家という意味は、道楽で芸術をかじった人ではなく、それなりに有名な方を意味しています。この現実には失望しました。 滑らかな指を持つ方は芸術家肌で、理屈や計算や計画ではなく、衝動的にインスピレーションと直感にしたがって行動します。どうやら、天才で優秀でインスピレーションや才能に満ちあふれていることと、それらの才能を実際に使うこととは別なことのようです。 素晴らしい夢が持て、芸術的なビジョンがあり、そのビジョンが画布に描かれるのが最も価値が高いでしょう。そのようなビジョンから感動的な絵画が生まれ、何百年と愛され続けるのです。しかし、そのような名作は全部でどのくらいあるでしょう? これまで数えきれないほどの人類が生きて死にましたが、不滅の名作と呼ばれるものはそれほど多くはありません。 私が考えるところでは、これまでに素晴らしいビジョンが何百万もの人々の頭の中を横切ったにもかかわらず、そのごく一部しか記録されていないのではないかと思います。なぜなら芸術的な夢を見ることができ、滑らかな指を持つ人の多くが、柔らかでたるんだ手(怠ける傾向)をもち、小さな親指(決断力不足)を持つからです。その結果、彼らは夢見るだけで「いつかやろう・・・」と先延ばしをしてきたのでしょう。 大きな手の、こぶだらけの指と四角状の指の先端を持つ方は、滑らかな指の方のような天才性やインスピレーションは持っていません。しかし常識(四角状の先端)と確固たる意志(大きな親指)を持っています。彼らは「今」を大切にしてきたのでしょう。彼らは才能には恵まれていませんが、森や林の自然を模写し、男や女の人物像を見たまま描写してきました。かれらは創造的な夢を持たないのですが、周りの風物を描きました。現代の芸術と呼ばれているものには、このような作品が多いようです。 つまり労働と決意と常識が、イマジネーションに勝ったということでしょう。これが成功している芸術家の手に、芸術家向きの指が少ない理由だと思われます。 滑らかな指は、妨害を受けずに生命力という電流が流れることを示しています。彼らは芸術的な感性を持ち、考えることが早く、理屈ではなくインスピレーションに従って行動します。すべての物事の根本を追究することも無く、印象に頼ります。「なぜ」とか「どんな理由で」などと停止することがありません。 本性から見て、彼らは理屈屋ではありませんが、分析の習慣を身に付けることもあります。この傾向が増すと、彼らの指にもこぶが見えるようになります。滑らかな指を持つ人は、最初の印象に従うのが、もっとも安全です。なぜならその直感による結論は、ほとんどの場合正しいからです。 彼らの知性は分析的ではありませんから、深い分析を必要とするような事項においては、こぶだらけの指を持つ方に対抗できません。したがって、滑らかな指を持つ方がこぶだらけの指を持つ方と交渉するときには、インスピレーションに頼るほうが安全です。分析の世界は、こぶだらけの指を持つ方の堅固な要塞なのです。 滑らかな指を診断するときには、「芸術的」という言葉の使い方に注意してください。よくある間違いは、「美しいものを愛する人」と「美しいものを作る人」とを混同することです。 彼らは衝動的で、素早く、直観に優れているので、人生でも多くのものに「美」を見ます。すべてを芸術的観点から見ます。優雅さや色や形の魅力に惹かれますので、その意味でもかれらは芸術的です。 彼らは素早く考えますし、すべての問題を早急に処理します。その結果、こぶだらけの指を持つ方々よりも、1日に多くの事柄を処理できます。しかし、その処理が綿密かどうかは別です。 宗教に関しては懐疑派ではありませんが、献身的な人から、単に敬意を払うだけの人まで、さまざまです。彼らは異説に対して寛容ではないでしょう。彼らはすべてを当然と受け入れてしまうところがあり、疑い深くは無いのです。つまり宗教的信仰に理屈を述べ立てないで、他の方々が言うことをそのまま受け入れることが多いのです。 こぶのある人に比べて、滑らかな指を持つ方々は、人々の欠点を探しませんから、同意することが多く、一緒にいて気持ちが良いでしょう。 通常の生活では、美への愛が、彼らの目立つ特色の一つです。 こぶのある指を持つ人々に比べて、知的な推理をしないので、彼らは服装や環境、家の装飾、市街の装飾、事務所の場所、宗教などのことをより多く考えます。 ラテン系諸国の滑らかな指を持つ人々は、教会においても儀式や装飾を華美にすることを好むようです。一方、こぶがあり、先端が四角状の指を持つピューリタン(清教徒)たちは、シンプルな美しさを好むようです。 滑らかな指を持つ人々は視覚に訴える美しさを好みます。したがって趣味の良い服装を愛します。指の肌理が粗い方の場合は、この趣味が堕落して、単なる派手好きになります。 滑らかな指を持つ方々を鑑定する場合は、必ず、どんな手にその指があるかを観察しなければなりません。敏速でインスピレーションに満ち、直感的で衝動的性格が、必ずしもグレードの高い性格であるとは限りません。また芸術的であるのは生まれの良い貴婦人の独占物でもありません。 あなたは滑らかな指を、上流特権階級から遠く離れた、あるいは未開な人々の手に発見するでしょう。しかし、性格が洗練されていてもいなくても、生活レベルが高くても低くても、滑らかな指を持つ方々は、常に、理屈や分析ではなく、インスピレーション、衝動、直感に頼ります。この方々は、それぞれの標準に合わせて「美」を愛しますし、その場の勢いで行動を起こす方が多いのです。 滑らかな指を持つ人々は、こぶのある指を持つ方々に比べて、感情に流されやすい面があります。彼らは簡単に「流されやすい」く、人生やビジネスで成功していても、常に危険と不安定な要素を含んでいます。つまり彼らのインスピレーションが間違える場合があるということです。 彼らが安全であるためには、優れた頭脳線を持っていることが必要です。あまりにも急ぎ過ぎる傾向があるのです。彼らはこぶだらけの指を持つ人々の思索や思考は、あまりにも大変だと感じます。 その日に多くのことを成し遂げる為に、多くのことを当然として受け入れます。その為、滑らかな指を持つ人々は、あらゆる面にわたって、こぶのある指を持つ人々よりも迅速です。 絵画や音楽の分野では、滑らかな指を持たない人々の成功が見られますが、演技の分野でお金をかせぎ、喝采を浴びているほとんどすべての人々が、滑らかな指を持っています。ある種の規則や寸法に従えば、ペンや絵筆で模写することはできます。しかしある役割を演ずることや、ある人になりすますことには、滑らかな指を持つ人のインスピレーションが必要なのです。 こぶのある指を持つ人が俳優になった場合、この方はその役柄を考察して演技できるでしょう。ところがこの方が舞台に登場するときに、思わぬ出来事が起こったら、緊急事態を分析して理屈で処理する時間がありません。このような危機を乗りきるには、閃きというインスピレーションが必要です。ところがこのようなインスピレーションが湧くのは、滑らかな指を持つ人々だけなのです。 私がこれまでに観察してきたところでは、滑らかな指を持たない俳優は極めて稀です。滑らかな指を持つ方ならば、役柄を確立し、生き生きと演技をし、ごく自然で、硬さもない見事な演技ができるのです。彼らの演技は人々の心を揺るがせ、優雅さがあり趣味がよく自然なのです。彼らの演技こそ芸術で、創造力のたまものです。 滑らかな指を持つ人々は、日々に起こるあらゆる機会を上手に利用できます。何をしていても、独創的に対処できるのです。観客席の赤ん坊が泣いたら、面食らうのではなく、その事態を活用できるのが、滑らかな指を持つ人々なのです。彼らが油断を突かれることはありません。彼らの知性は伸縮性があり、素早く、備えができています。その為、失敗や危機にチャンスを見いだし、瞬間的に成功に変えてしまうことができるのです。 音楽においても滑らかな指は、絶対に必要です。例外は非常に重々しい音楽を作るときだけでしょう。音楽は魂を揺さぶりますが、そのようなことは規則に厳格に従っていては起こりません。自由さが必要です。規格や寸法ばかり考えていたら、メロディーが心から流れ出ることもないでしょう。ですから滑らかな指のインスピレーションが不可欠なのです。 国家の行進曲やオラトリオ(宗教的題材による大規模な叙事的楽曲)やレチタティーヴォ(オペラ・オラトリオなどで、歌うより語るほうに重きを置く作品)などは、芸術的な魂が不足していても作れるかもしれませんし、歌えるかもしれません。でも心を奪うメロディーは、心から生まれる必要があります。 こぶのある指は、分析(頭脳)に支配されています。滑らかな指は衝動(心)に支配されています。したがって音楽が最高に表現されるには後者が必要なのです。作曲家は、四角状の手の平と四角状の指を持てば、リズムを得ることができます。でもインスピレーションを得るには滑らかな指であることが必要です。 四角状の指の先端を持つならば行進曲が作れます。ヘラ状ならバンド音楽が可能です。円すい状なら不思議な夢のような曲が作れるでしょう。しかしいずれの場合も、指は滑らかである必要があるのです。 ビジネスにおいても、滑らかな指を持つ人々は成功します。現代おける成功は、昔と異なり、蓄積だけでは難しくなっています。現代のビジネスにおける成功の多くは、素早い思考や、莫大な資金の投入から得られています。またどのくらい貯蓄できるかではなく、どのくらいの利益を上げられるかに頼る傾向があります。 素早さが、遅い方法を押しのけてしまいました。昔ならば1週間とか1カ月かかった交渉が、今では5分ですんでしまいます。さらに滑らかな指を持つ方々が有利になった事情もあります。つまり人々は、人生や自然の法則について深く知るようになったのです。ある種の行動をとれば、ある種の結果が生まれることを発見したのです。この知識があれば、長く考えなくても、ある提案を聴けばその結果が予測できます。 こぶのある指を持つ人々がこれらの法則を割り出したのですが、滑らかな指を持つ人々は、その法則を活用しています。後者が大いに時間を節約できていることは明らかです。 滑らかな指を持つ人々は、こぶを持つ人々に比べて、社会の中で人気があります。彼らは複雑な問題を推理したり、計算したり、理屈で解決しようとはしません。彼らには考えがすぐに浮かび、その考えに頼ります。このような性格であるため、滑らかな指を持つ人々は、他の人々と交わる時間を多く持てるのです。こぶのある指を持つ人々に比べ、彼らはレジャーの時間をたくさん持てます。 滑らかな指を持つ人々は、表現力が豊ですし、話も、考えも流ちょうです。そこで、あでやかな社会環境の中で、こぶのある指を持つスローな人々よりも、輝きを示しやすいのです。 つまり、迅速な思考、インスピレーション、衝動、自然発生的行動が滑らかな指をもつ人々を動かす特徴です。したがってこのような指を見たら、そのような要素が、あらゆる面で、彼らをいかに素早く前進させているかを見てください。 また、手の密度と色を注意深く観察してください。エネルギーが有り余り(硬い手)、激情(赤)がみえると、性急な行動をとって、失敗をする原因となります。このような方は頭脳線がまっすぐで力強くないと、大失敗を続けることになるでしょう。 指の先端も、必ず観察してください。 先端がとがり状ならば、滑らかな指を持つ人々の中でも、極めて芸術的です。四角状ならば、その方の素早さとインスピレーションは、実用的なことに使われ、それほど理想主義者ではないでしょう。ヘラ状の先端ならば、その芸術性は独創性と行動力、独立性に富むものになるでしょう。しかしこの組み合わせには注意が必要です。この方は素晴らしい素質をもちながら、あまり成功していないと、奇人・変人になる可能性があります。 どのような組み合わせであっても、滑らかな指を持つ人々は、批判的でも注意深くもなく、分析的な考え方をしないことを覚えていてください。衝動とインスピレーションが、つねに彼らを導くのです。これらの特色を考慮すれば、どの程度、このような力がその方の人生を支配しているかを、正確に判断できます。 (第14章おわり) |