歴史の闇に「埋もれる世界」
古代インド文明と西安のアンダーワールド
2月7日「アンダーワールド」が英国で出版された。グラハム・ハンコックからのメールによると、ホットな売れ行きだそうだ。それも無理もないだろう。一月にインドで九〇〇〇年前の海底遺跡が見つかってから、ハンコックは、マスコミで話題の中心になっているからだ。
つまり、これまでハンコックが言っていたことは、結局、正しかった・・・と認められたからだ。
さて、「アンダーワールド」のテーマは、失われた文明が過去にあったのではないかという、探求にあるが、その舞台は、主として古代インド文明と縄文文明であり、さらには海底に眠る世界遺産だ。
古代インド文明と縄文文明は、新たな事実がどんどん発見されており、5年前の本はすべて書き替える必要があるといわれ、今や世界でもっとも注目されている古代文明だといってよいだろう。
だが、この二つの古代文明に絞る前に、グラハム・ハンコックは膨大な資料をあさり、世界中の海底遺跡を探索して回っている。
行ったところは、中東の死海、アレキサンドリアの沖合、フロリダ沖のビミニ、地中海のマルタ島、インド洋、イースター島、タヒチ島、トンガなどの南太平洋地域、そしてもちろん沖縄だ。
私が彼の調査に参加したのは、主にアジアであり南太平洋だった。
まずは、ポナペ島のナン・マドール遺跡だ。
イースター島にも海底構造物があるといううわさがあり、タヒチのファヒネ島やライアテア島では、1966年に海の底に横たわる巨大な神殿が発見されてい るのだが、今では場所がわからなくなっている。グラハムは何度もタヒチに行ってダイブしているが、いまだに再発見できていない。
だが、ナン・マドール遺跡なら、確実に調査ができるというので、私も参加した。ここへは日本からグアム島経由で行く。グアムで一泊することになることが多いが、南太平洋の楽園を満喫できるし、ナン・マドール遺跡も異様な建造物で一見の価値がある。
西安の「アンダーワールド」
次に訪れたのが北京と西安だった。
北京では著名な天文学者伊世同氏の案内で、河南省濮陽市で発見された世界最古の天文図を示すという古墳や、これまた現存する世界最古の天文台である古観象台を見て歩いた。
北京ではしらみつぶしに皇帝の墓を見て歩き、北京原人の記念館を訪れ、万里の長城も経験したが、1420年に建造されたという天壇が興味深かった。明と 清の2代の皇帝が五穀の豊作を祈ったというこの場所は、歳差運動の数字を使ってつくられていた。つまり、54や108などの天界の動きを示す数字を至る所 に使っているのだ。 だが、大きな感銘を受けたのは西安の「アンダーワールド」だった。
西安の郊外には、写真のようなピラミッド型の巨大な陸墓が至る所に見られる。これらは2000年前の皇帝達の墓で中国では「陵(りん)」と呼ばれている。
秦の始皇帝の陵は特に有名で、その周りから見つかった地下世界の兵馬俑坑には兵士や馬などの彫像が数万体も発見されている。
ところが陵の「アンダーワールド」は始皇帝陵だけではなく、一つ一つの陵の周りにあるのだ。そういう陵を発掘している現場に中国の考古学者・張建林氏に案内していただいた。
深さは50メートルも掘っているだろうか、そこから人形や犬や魚の像がたくさん掘り出されていた。それぞれ芸術的にも見事な出来栄えだ。この場所はまだ発掘途上で写真撮影も許されず、一般の人は立ち入り禁止だった。
その現場からの帰りに訪れた「永泰公主墓」にも衝撃を受けた。
墓の内部に入ると、エジプトの王家の谷にいるのではないか、と一瞬錯覚に陥ったのだ。それはグラハム・ハンコックも、サンサ・ハンコックも同じだった。
永泰公主は唐の皇帝・高宗と、女帝として悪名高い則天武后の孫娘だが、西暦701年に17歳で暗殺されている。
このお墓は坂を下る坑道になっており、両側のくぼみなども王家の谷をほうふつとさせる。ただの偶然なのだろうか?
つまり、これまでハンコックが言っていたことは、結局、正しかった・・・と認められたからだ。
さて、「アンダーワールド」のテーマは、失われた文明が過去にあったのではないかという、探求にあるが、その舞台は、主として古代インド文明と縄文文明であり、さらには海底に眠る世界遺産だ。
古代インド文明と縄文文明は、新たな事実がどんどん発見されており、5年前の本はすべて書き替える必要があるといわれ、今や世界でもっとも注目されている古代文明だといってよいだろう。
だが、この二つの古代文明に絞る前に、グラハム・ハンコックは膨大な資料をあさり、世界中の海底遺跡を探索して回っている。
行ったところは、中東の死海、アレキサンドリアの沖合、フロリダ沖のビミニ、地中海のマルタ島、インド洋、イースター島、タヒチ島、トンガなどの南太平洋地域、そしてもちろん沖縄だ。
私が彼の調査に参加したのは、主にアジアであり南太平洋だった。
まずは、ポナペ島のナン・マドール遺跡だ。
イースター島にも海底構造物があるといううわさがあり、タヒチのファヒネ島やライアテア島では、1966年に海の底に横たわる巨大な神殿が発見されてい るのだが、今では場所がわからなくなっている。グラハムは何度もタヒチに行ってダイブしているが、いまだに再発見できていない。
だが、ナン・マドール遺跡なら、確実に調査ができるというので、私も参加した。ここへは日本からグアム島経由で行く。グアムで一泊することになることが多いが、南太平洋の楽園を満喫できるし、ナン・マドール遺跡も異様な建造物で一見の価値がある。
西安の「アンダーワールド」
次に訪れたのが北京と西安だった。
北京では著名な天文学者伊世同氏の案内で、河南省濮陽市で発見された世界最古の天文図を示すという古墳や、これまた現存する世界最古の天文台である古観象台を見て歩いた。
北京ではしらみつぶしに皇帝の墓を見て歩き、北京原人の記念館を訪れ、万里の長城も経験したが、1420年に建造されたという天壇が興味深かった。明と 清の2代の皇帝が五穀の豊作を祈ったというこの場所は、歳差運動の数字を使ってつくられていた。つまり、54や108などの天界の動きを示す数字を至る所 に使っているのだ。 だが、大きな感銘を受けたのは西安の「アンダーワールド」だった。
西安の郊外には、写真のようなピラミッド型の巨大な陸墓が至る所に見られる。これらは2000年前の皇帝達の墓で中国では「陵(りん)」と呼ばれている。
秦の始皇帝の陵は特に有名で、その周りから見つかった地下世界の兵馬俑坑には兵士や馬などの彫像が数万体も発見されている。
ところが陵の「アンダーワールド」は始皇帝陵だけではなく、一つ一つの陵の周りにあるのだ。そういう陵を発掘している現場に中国の考古学者・張建林氏に案内していただいた。
深さは50メートルも掘っているだろうか、そこから人形や犬や魚の像がたくさん掘り出されていた。それぞれ芸術的にも見事な出来栄えだ。この場所はまだ発掘途上で写真撮影も許されず、一般の人は立ち入り禁止だった。
その現場からの帰りに訪れた「永泰公主墓」にも衝撃を受けた。
墓の内部に入ると、エジプトの王家の谷にいるのではないか、と一瞬錯覚に陥ったのだ。それはグラハム・ハンコックも、サンサ・ハンコックも同じだった。
永泰公主は唐の皇帝・高宗と、女帝として悪名高い則天武后の孫娘だが、西暦701年に17歳で暗殺されている。
このお墓は坂を下る坑道になっており、両側のくぼみなども王家の谷をほうふつとさせる。ただの偶然なのだろうか?
海底の世界遺産を探すのは命がけ
中国から風邪を引いて帰った私たちは、そのまま沖縄に飛んだ。
石垣島のシーマンズクラブ・リゾートホテルで1日ほど休養をとったが、翌日には、与那国島に入った。
グラハムやサンサや私が与那国島の海底遺跡でダイブした回数は、少なくとも100回以上にはなっている。
何しろ1日に4回はダイブしている。遊びでダイブする人ならせいぜい1日2回だ。グラハムは夢中になると1日5回もダイブしてしまう。もちろん私も付き合う。サンサもぶつぶつ文句は言うが潜る。
常識では考えられないダイビングの方法なのだが、これはグラハム・ハンコックの根っからの性格なのだからどうしようもない。
グラハムは、もと英国の経済雑誌エコノミストの東アフリカ特派員だった。当時は、ソマリア内戦の取材で毎日、防弾チョッキを着て、実弾が飛ぶ中、取材をしていたという。その気性がダイビングにも現れているのだ。
危険を恐れず、どこにでも飛び込んでいく。おかげで臆病な私まで、ちょっぴり冒険家になってしまった。
グラハムの猪突猛進と思い込みの激しさは、調査の仕方によく現れているが、お金の計算をしないのも並の人ではない。
「神々の指紋」が全世界でベストセラーになる前も、彼は欧米のベストセラー作家だった。だが「神々の指紋」の取材で、一文無しになり、最後は家・土地を 抵当に入れて銀行から2000万円借金し、ようやく「神々の指紋」を書き上げることができた。今回の「アンダーワールド」でも似たような状況になりそうな のも不思議ではない。
この彼のひたむきな情熱があるから、私も意気に感じて、行動を共にしてしまうのだ。
彼も私も、怪我も絶えず、両耳中耳炎も経験している。グラハムはロンドンまで、私は東京まで両耳から膿を垂れ流して帰った。中耳炎が治るまでには3ヶ月かかったが、今でも後遺症がある。
ダイブしたあと海面に顔を出したら船が見当たらず、海で漂流したことも私は1回、サンサとグラハムは2回ある。古代文明の探索は、それも海底の世界遺産を探すとなると、まさに命がけとなる。
さて、与那国の海底遺跡だが、これはまだ証明されていないとはいえ、人の手が加わっていると見て間違いないだろう。
粟国島の沖には大きな穴が海底に開いているが、これはどう見ても、人間が作ったものだ。それと同じ大きな穴が与那国島の北側にも発見されている。
与那国島の海底遺跡から東にかけては、人工的な場所がたくさんある。舞台があったり通路があったり、東西にトンネルが走っていたりする。遺跡の西側も、遺跡っぽい。奈良にある石舞台とそっくりな作りの洞窟もある。
西表島のそばにある御神島にも、似たような形状の場所がある。ここにある海底洞窟トンネルは、写真のごとく途中に祭壇があるみたいで、神秘的だ。
与那国島や粟国島、慶良間諸島や本島の北谷にみられる海底の構造物に、人の手がかかっているとすると、加工したのは縄文人だということになる。
そうなると、どうしても縄文人がどんな人々だったか、知る必要が出てくる。
そこで、縄文文化、弥生文化、古墳文化などを調査することになった。
グラハム・ハンコック、サンサ夫人と私は、2000年の4月と5月に6週間、日本を縦断し、遺跡の調査をした。
石垣島のシーマンズクラブ・リゾートホテルで1日ほど休養をとったが、翌日には、与那国島に入った。
グラハムやサンサや私が与那国島の海底遺跡でダイブした回数は、少なくとも100回以上にはなっている。
何しろ1日に4回はダイブしている。遊びでダイブする人ならせいぜい1日2回だ。グラハムは夢中になると1日5回もダイブしてしまう。もちろん私も付き合う。サンサもぶつぶつ文句は言うが潜る。
常識では考えられないダイビングの方法なのだが、これはグラハム・ハンコックの根っからの性格なのだからどうしようもない。
グラハムは、もと英国の経済雑誌エコノミストの東アフリカ特派員だった。当時は、ソマリア内戦の取材で毎日、防弾チョッキを着て、実弾が飛ぶ中、取材をしていたという。その気性がダイビングにも現れているのだ。
危険を恐れず、どこにでも飛び込んでいく。おかげで臆病な私まで、ちょっぴり冒険家になってしまった。
グラハムの猪突猛進と思い込みの激しさは、調査の仕方によく現れているが、お金の計算をしないのも並の人ではない。
「神々の指紋」が全世界でベストセラーになる前も、彼は欧米のベストセラー作家だった。だが「神々の指紋」の取材で、一文無しになり、最後は家・土地を 抵当に入れて銀行から2000万円借金し、ようやく「神々の指紋」を書き上げることができた。今回の「アンダーワールド」でも似たような状況になりそうな のも不思議ではない。
この彼のひたむきな情熱があるから、私も意気に感じて、行動を共にしてしまうのだ。
彼も私も、怪我も絶えず、両耳中耳炎も経験している。グラハムはロンドンまで、私は東京まで両耳から膿を垂れ流して帰った。中耳炎が治るまでには3ヶ月かかったが、今でも後遺症がある。
ダイブしたあと海面に顔を出したら船が見当たらず、海で漂流したことも私は1回、サンサとグラハムは2回ある。古代文明の探索は、それも海底の世界遺産を探すとなると、まさに命がけとなる。
さて、与那国の海底遺跡だが、これはまだ証明されていないとはいえ、人の手が加わっていると見て間違いないだろう。
粟国島の沖には大きな穴が海底に開いているが、これはどう見ても、人間が作ったものだ。それと同じ大きな穴が与那国島の北側にも発見されている。
与那国島の海底遺跡から東にかけては、人工的な場所がたくさんある。舞台があったり通路があったり、東西にトンネルが走っていたりする。遺跡の西側も、遺跡っぽい。奈良にある石舞台とそっくりな作りの洞窟もある。
西表島のそばにある御神島にも、似たような形状の場所がある。ここにある海底洞窟トンネルは、写真のごとく途中に祭壇があるみたいで、神秘的だ。
与那国島や粟国島、慶良間諸島や本島の北谷にみられる海底の構造物に、人の手がかかっているとすると、加工したのは縄文人だということになる。
そうなると、どうしても縄文人がどんな人々だったか、知る必要が出てくる。
そこで、縄文文化、弥生文化、古墳文化などを調査することになった。
グラハム・ハンコック、サンサ夫人と私は、2000年の4月と5月に6週間、日本を縦断し、遺跡の調査をした。
神道の神髄
この旅行で得た収穫は多かった。
まず、縄文文化と与那国島などの海底構造物との関連性がいくつか見つかったのだ。その詳細は、書くのをやめておく。たぶんグラハムも「アンダーワールド」に書くと思うからだ。
私にとっての第二の収穫は、日本の神道について新たな見方ができるようになったことだ。
正直言って、神道には偏見を持っていた。なにしろ明治以来の国家神道のイメージが強すぎるのだ。そこで、天皇=神とした神道には、違和感しか感じなかった。だが、この調査旅行で伊勢神宮を訪れ、神道の神髄の一部に触れることができたのだ。
「神道とは何ですか?」と伊勢神宮の責任者の一人に聞いた。
「命がけでも守りたいものです」
「でも、教典があるわけでもないし、何を守るのですか?」
「自然の美しさです」
そう言われてみれば、伊勢神宮の自然は美しい。
伊勢神宮の方は「日本には森が多いですよね。はげ山が無いでしょう? それは各地に神社があるからです」という。
なるほど・・・と考えさせられた。
伊勢神宮は天皇家のための神社で、毎日、天皇家の元気が出るように、『天』に祈りを捧げているとのことだ。
そういえば私の家にも神棚がある。おやじもおふくろも毎日、その前で手を合わせていた。家族と先祖の無事と繁栄を祈ったのだろう。
これからは私も天皇家に負けずに、我が家で祈りを捧げよう、捧げなければいけない・・・と、思ったが、実行できるかどうかは、別の話。
神道では「死んだ人の魂は、草葉の陰から私たちを見守っているそうだ」
なにか、もう一度、神道の本質を知る必要を感じさせられた。
第3番目の収穫は、日本とインドのつながりがわかったことだった。
学習院大学の名誉教授・大野晋氏によれば、日本語には南インドのタミル語の影響が強いという。特にお米と神の関係する言葉に、タミル語が入っているらしい。さらに言葉だけでなく、お墓の作り方など巨石文化も日本とタミルは似ているそうだ。
大野晋氏は、縄文時代の晩期にはタミル人の家族たちが日本に渡来して大きな影響を与えたのではないかと推測している。
実は、サンサ夫人はタミル人でタミル語を話す。
インドの海底遺跡 縄文文化と南インドのタミル文化には深い関連があったのだ。
そうなると、すべての謎が解けてくる気もしないでもない。だが、なぞ解きはグラハムの「アンダーワールド」に任せよう。
「アンダーワールド」の舞台の中心は、古代インド文明であり、縄文文明だが、縄文は海底遺跡を残している。では、インドにも海底遺跡があるのだろうか? 実はあるのだ。
国立ゴア大学の海洋研究所が1980年代に、海底に巨大な人工構造物を見つけて調査を続けている。場所は、最近、大地震があったインドのグラジャート州の沖合数キロ、20メートルの海の底だ。この海底遺跡は人工物であることは確実だが、建造年代が特定できていない。
また。2000年の3月には、南インドの沖合でグラハム・ハンコックが、巨大な人工構造物を20メートルの深さのところに見つけている。
さらに2001年4月には、インドのグラジャート州沖合の海底37メートルの砂の下に大都市遺跡が見つかった。2000もの遺物を引き上げたが、人間の 骨や木片や装飾品が含まれている。それらを最新の炭素年代法で調べたら9000年前のものだと判明した。だが、調査が進めばさらに古いことがわかるかもし れない。21世紀の考古学は海底考古学が中心になっていくにちがいない。
まず、縄文文化と与那国島などの海底構造物との関連性がいくつか見つかったのだ。その詳細は、書くのをやめておく。たぶんグラハムも「アンダーワールド」に書くと思うからだ。
私にとっての第二の収穫は、日本の神道について新たな見方ができるようになったことだ。
正直言って、神道には偏見を持っていた。なにしろ明治以来の国家神道のイメージが強すぎるのだ。そこで、天皇=神とした神道には、違和感しか感じなかった。だが、この調査旅行で伊勢神宮を訪れ、神道の神髄の一部に触れることができたのだ。
「神道とは何ですか?」と伊勢神宮の責任者の一人に聞いた。
「命がけでも守りたいものです」
「でも、教典があるわけでもないし、何を守るのですか?」
「自然の美しさです」
そう言われてみれば、伊勢神宮の自然は美しい。
伊勢神宮の方は「日本には森が多いですよね。はげ山が無いでしょう? それは各地に神社があるからです」という。
なるほど・・・と考えさせられた。
伊勢神宮は天皇家のための神社で、毎日、天皇家の元気が出るように、『天』に祈りを捧げているとのことだ。
そういえば私の家にも神棚がある。おやじもおふくろも毎日、その前で手を合わせていた。家族と先祖の無事と繁栄を祈ったのだろう。
これからは私も天皇家に負けずに、我が家で祈りを捧げよう、捧げなければいけない・・・と、思ったが、実行できるかどうかは、別の話。
神道では「死んだ人の魂は、草葉の陰から私たちを見守っているそうだ」
なにか、もう一度、神道の本質を知る必要を感じさせられた。
第3番目の収穫は、日本とインドのつながりがわかったことだった。
学習院大学の名誉教授・大野晋氏によれば、日本語には南インドのタミル語の影響が強いという。特にお米と神の関係する言葉に、タミル語が入っているらしい。さらに言葉だけでなく、お墓の作り方など巨石文化も日本とタミルは似ているそうだ。
大野晋氏は、縄文時代の晩期にはタミル人の家族たちが日本に渡来して大きな影響を与えたのではないかと推測している。
実は、サンサ夫人はタミル人でタミル語を話す。
インドの海底遺跡 縄文文化と南インドのタミル文化には深い関連があったのだ。
そうなると、すべての謎が解けてくる気もしないでもない。だが、なぞ解きはグラハムの「アンダーワールド」に任せよう。
「アンダーワールド」の舞台の中心は、古代インド文明であり、縄文文明だが、縄文は海底遺跡を残している。では、インドにも海底遺跡があるのだろうか? 実はあるのだ。
国立ゴア大学の海洋研究所が1980年代に、海底に巨大な人工構造物を見つけて調査を続けている。場所は、最近、大地震があったインドのグラジャート州の沖合数キロ、20メートルの海の底だ。この海底遺跡は人工物であることは確実だが、建造年代が特定できていない。
また。2000年の3月には、南インドの沖合でグラハム・ハンコックが、巨大な人工構造物を20メートルの深さのところに見つけている。
さらに2001年4月には、インドのグラジャート州沖合の海底37メートルの砂の下に大都市遺跡が見つかった。2000もの遺物を引き上げたが、人間の 骨や木片や装飾品が含まれている。それらを最新の炭素年代法で調べたら9000年前のものだと判明した。だが、調査が進めばさらに古いことがわかるかもし れない。21世紀の考古学は海底考古学が中心になっていくにちがいない。