ラスベガス
三〇年ぶりのラスベガスだった。昔はロサンゼルスからレンタカーを飛ばして、ラスベガスに入った。今回は、空港に舞い降りた。飛行機からロビーに入ると、スロットマシンの大歓迎を受ける。さすが賭博の街。
泊まったのはパリス・ホテル。ホテルの正面入口には凱旋門が立ち、エッフル塔がそびえている。建物の中に入ると、そこはシャンゼリゼの大通り。天井は青 空におおわれているが、年中、夕方の薄明かり。もちろん、ルーレットやブラックジャックなどのテーブルがずらっと並び、スロットマシンが響きわめいてい る。
土曜日の夜だったせいか、ホテルもレストランもギャンブル場も、人であふれている。レストランの前には長い列ができているので、待つのが面倒になり、夕 食はギャンブル場の脇にあるスポーツバーでサンドイッチを食べて終わり。何か不思議に、ギャンブルをする気になれない。それでも運試しに一ドル札をスロッ トマシンに入れて、ボタンを押したが、じゃらじゃらコインが出てこない。「やっぱり今日はギャンブル日よりではない」と分かり、すぐに諦めて、寝てしまっ た。
ラスベガスに来たのはギャンブルをするためではない。マイクロソフトの『ワード』というワードプロセッサーを開発したリチャード・ブロディーさんに会い に来たのだ。ブロディーさんは人と会うのに、ラスベガスを良く使う。全米から飛行機が集まってくる場所で、エンターテイメントは多いし、誰でもここには来 たがるからだそうだ。
日曜日の朝は、ホテルの部屋でヨガの基本呼吸法を二五回ほど、行い、それから、インタビューでは何を質問するべきなのか、準備した。約束の時間は午後四時一五分。ブロディーさんはヴェネシアン・ホテルに泊まっているという。ベルボーイに聞いたら、そこまで歩いて一五分。
パリス・ホテルの外にでたら、灼熱の太陽が照りつける。四〇度ぐらいの気温だという。だが、湿気がないので汗はかかない。青空は抜けるように透き通り、 ここが砂漠であることを思い知る。エッフル塔に登ると、ラスベガスが一望にできるが、繁華街は大通り一本だけ。その大通りの両側にホテルが建ち並んであお り、一つ一つのホテルがテーマパークになっている。エジプトのルクソールから、ニューヨーク、アラジンの魔法のランプから、水の都ベニス、モンテカルロに ジュリアス・シーザーの宮殿など、一つ一つ見て歩くだけでも三日は必要だ。ゴルフ場も一〇カ所ある。
パリス・ホテルを二時にでて、ヴェネシアン・ホテルまで歩いたが、二時間かかかった。途中にあるホテルを見学して寄り道したからだ。ヴェネシアン・ホテ ルは水の都ベニスをテーマにしており、ホテルの内部に運河が有り、客を乗せた小舟が忙しく往き来している。人工の空はシャンゼリゼよりも少し明るい。この 日もギャンブルで運試し。でも二五セントを二枚だけ。
リチャード・ブロディーさんとの面会は、彼の泊まっていたスイートルームで行われた。ヴェネシアン・ホテルの客室に入るにはガードマンにキーカードを見せないと入れない。パリス・ホテルだとカードを使わないとスイートルームのある上の階にはいけないようになっている。
ブロディーさんとの面会時間は一時間半。この一時間半のためだけにわざわざ日本から来たので、ブロディーさんは感激したという。「このインタビューは断 れないよな・・・」というのがブロディーさんのせりふ。私はブロディーさんに興味があったし、そのうえ、久しぶりのラスベガスも楽しかった。このインタ ビューは雑誌「サピオ」に掲載される。
月曜日の朝九時、パリス・ホテルからタクシーで空港へ。タクシーに乗ると、景気だとか、街のニュースを聞くのは、ジャーナリストの初歩。そこで、いつものように「景気はどう?」「ラスベガスの生活には満足している?」などと運転手に聞いた。
「この街には税金がかからないから、生活費は安くて済む。だが、夢の持てない街だ。ラスベガスに来てタクシーの運転を始めて四年になるが、一度も休暇を取っていない。最悪の人生だ」
語る運転手は、体格が良く、イタリア語の訛りがある。「なんでラスべガスに来たの?」
「俺はプロスポーツの選手だった。だが足を骨折して失業した。そこで、アメリカに移民したんだ。ワイフと一緒だが、二人で働いて生活していくのがやっと だよ。ラスベガスは完全に管理された街で、よそ者にはチャンスがないんだ。ラスベガスではコネがないと良い仕事にはつけない。あるいは権力者に紹介しても らうため金を払う。だが、その金を払う力もないんだ」
「マフィアが支配しているというわけ?」
「いや、それどころではない。もっと組織立った管理だ。タクシー会社は大もうけしているが、俺達は奴隷。子どもも作れない」
料金は空港まで九ドルだった。二〇ドル札を手渡したが、「おつりはいらないよ」と言って、運転手とは別れた。
ラスベガスは資本主義社会の一面を端的に表しているのではないだろうか?
泊まったのはパリス・ホテル。ホテルの正面入口には凱旋門が立ち、エッフル塔がそびえている。建物の中に入ると、そこはシャンゼリゼの大通り。天井は青 空におおわれているが、年中、夕方の薄明かり。もちろん、ルーレットやブラックジャックなどのテーブルがずらっと並び、スロットマシンが響きわめいてい る。
土曜日の夜だったせいか、ホテルもレストランもギャンブル場も、人であふれている。レストランの前には長い列ができているので、待つのが面倒になり、夕 食はギャンブル場の脇にあるスポーツバーでサンドイッチを食べて終わり。何か不思議に、ギャンブルをする気になれない。それでも運試しに一ドル札をスロッ トマシンに入れて、ボタンを押したが、じゃらじゃらコインが出てこない。「やっぱり今日はギャンブル日よりではない」と分かり、すぐに諦めて、寝てしまっ た。
ラスベガスに来たのはギャンブルをするためではない。マイクロソフトの『ワード』というワードプロセッサーを開発したリチャード・ブロディーさんに会い に来たのだ。ブロディーさんは人と会うのに、ラスベガスを良く使う。全米から飛行機が集まってくる場所で、エンターテイメントは多いし、誰でもここには来 たがるからだそうだ。
日曜日の朝は、ホテルの部屋でヨガの基本呼吸法を二五回ほど、行い、それから、インタビューでは何を質問するべきなのか、準備した。約束の時間は午後四時一五分。ブロディーさんはヴェネシアン・ホテルに泊まっているという。ベルボーイに聞いたら、そこまで歩いて一五分。
パリス・ホテルの外にでたら、灼熱の太陽が照りつける。四〇度ぐらいの気温だという。だが、湿気がないので汗はかかない。青空は抜けるように透き通り、 ここが砂漠であることを思い知る。エッフル塔に登ると、ラスベガスが一望にできるが、繁華街は大通り一本だけ。その大通りの両側にホテルが建ち並んであお り、一つ一つのホテルがテーマパークになっている。エジプトのルクソールから、ニューヨーク、アラジンの魔法のランプから、水の都ベニス、モンテカルロに ジュリアス・シーザーの宮殿など、一つ一つ見て歩くだけでも三日は必要だ。ゴルフ場も一〇カ所ある。
パリス・ホテルを二時にでて、ヴェネシアン・ホテルまで歩いたが、二時間かかかった。途中にあるホテルを見学して寄り道したからだ。ヴェネシアン・ホテ ルは水の都ベニスをテーマにしており、ホテルの内部に運河が有り、客を乗せた小舟が忙しく往き来している。人工の空はシャンゼリゼよりも少し明るい。この 日もギャンブルで運試し。でも二五セントを二枚だけ。
リチャード・ブロディーさんとの面会は、彼の泊まっていたスイートルームで行われた。ヴェネシアン・ホテルの客室に入るにはガードマンにキーカードを見せないと入れない。パリス・ホテルだとカードを使わないとスイートルームのある上の階にはいけないようになっている。
ブロディーさんとの面会時間は一時間半。この一時間半のためだけにわざわざ日本から来たので、ブロディーさんは感激したという。「このインタビューは断 れないよな・・・」というのがブロディーさんのせりふ。私はブロディーさんに興味があったし、そのうえ、久しぶりのラスベガスも楽しかった。このインタ ビューは雑誌「サピオ」に掲載される。
月曜日の朝九時、パリス・ホテルからタクシーで空港へ。タクシーに乗ると、景気だとか、街のニュースを聞くのは、ジャーナリストの初歩。そこで、いつものように「景気はどう?」「ラスベガスの生活には満足している?」などと運転手に聞いた。
「この街には税金がかからないから、生活費は安くて済む。だが、夢の持てない街だ。ラスベガスに来てタクシーの運転を始めて四年になるが、一度も休暇を取っていない。最悪の人生だ」
語る運転手は、体格が良く、イタリア語の訛りがある。「なんでラスべガスに来たの?」
「俺はプロスポーツの選手だった。だが足を骨折して失業した。そこで、アメリカに移民したんだ。ワイフと一緒だが、二人で働いて生活していくのがやっと だよ。ラスベガスは完全に管理された街で、よそ者にはチャンスがないんだ。ラスベガスではコネがないと良い仕事にはつけない。あるいは権力者に紹介しても らうため金を払う。だが、その金を払う力もないんだ」
「マフィアが支配しているというわけ?」
「いや、それどころではない。もっと組織立った管理だ。タクシー会社は大もうけしているが、俺達は奴隷。子どもも作れない」
料金は空港まで九ドルだった。二〇ドル札を手渡したが、「おつりはいらないよ」と言って、運転手とは別れた。
ラスベガスは資本主義社会の一面を端的に表しているのではないだろうか?