ピーターパンの世界(1)
The World of Peter Pan: Part One
「エクスカージョン・ワークショップ」 第一日
東京の三鷹駅の近くにある心泉茶苑に着いたのは、九時一〇分過ぎだった。早過ぎたかと思ったら、すでに五~六名の方が部屋にいた。部屋は地下室の講堂で、畳が二〇枚ほど独立して置かれている。したがって部屋の大きさは五〇畳もあるだろう。天井も高く、一方の壁一面に鏡が張られている。これならモダンバレーの練習もできる。
二〇〇六年二月一八日の天気は上々でテニス日和だ。風もない。毎週かかさず週末にはテニスに励んでいるのだが、今日は、奇妙な講習会に来てしまった。平日は『神の手の共犯者たち』と言うノンフィクションの書き下ろしに熱中しており、忙しい筈なのだが、なぜか講習会に来ている。
自分でもよく分からないのだが、「グループ・ニライカナイ」というグループから「大地さん、下調べもかねて研修会に行きませんか」と誘われたときに、一も二もなく「行きます」と返答をしてしまったのだ。それは今年の一月中旬だった。
モンロー研究所には興味があった。
最初にモンロー研究所の名前を聞いたのは、昨年一二月に「グループ・ニライカナイ」と「黄トンボ」のメンバーが、グラハム・ハンコック夫妻と会食したときだ。その時、仲間の雑誌『ムー』の編集長がグラハム・ハンコックに「モンロー研究所に興味はありませんか?」と聞いたのだ。グラハムは「すごく興味がある。今年にでもモンロー研究所の講習会に出席したいと思っている」とのことだった。
「グループ・ニライカナイ」と「黄トンボ」は、共に「意識の世界の探求」をテーマの一つにしている。
もちろん、昔から死後の世界とか、輪廻転生には興味があった。だが、この会食の後、本格的に探求に乗り出そうと、精神世界の本を一〇冊ばかり購入した。
一月にモンロー研究所公認の「エクスカージョン・ワークショップ」への参加を決めてから、これらの本の中の三冊を慌てて読んだ。『人は、はるか銀河を越えて』(坂本政道著 )と『魂の帰郷』(藤崎ちえこ著)、それに輪廻体験などに批判的な本『輪廻体験―神話の検証』(ポール・エドワーズ著)だ。『魂の体外旅行』(ロバート・A・モンロー著 日本教文社刊)はボリュームがあるので後回しにした。
そんな事情でモンロー研究所の海外プログラムである「エクスカージョン・ワークショップ」に参加した。
九時半になっても参加者の全員は集まらなかった。遅刻者が数名いたのだ。それでも九時四〇分には自己紹介が始まった。名前と、どこから来たか、なぜ来たかを述べる簡単なも。
驚いたことにかなり遠くから来ている。覚えている限りでは、少なくとも福岡、大阪、新潟、群馬などから参加していた。
年齢層も中心は 三〇歳~四〇歳。私の年代層(五〇歳以上にしておこう)は二〇名の参加者のうち四名だけ。独身者も少なく、多くは結婚しているようだ。
私の右隣は日本人と結婚しているアメリカ人のバーバラさん。左隣はまだ独身男の整体師。そしてそのさらに左には神田さんという妙齢の女性。頭隣と言うのは変だが、そこにはアメリカンスクールで音楽を教えているシズコさんがいた。足隣はカーテンで、その先には鏡が張られている。
自己紹介を聞いてみると、かなりの方がすでにモンロー研究所で発売しているヘミシンクという音の入っているCDを聞いていた。私はヘミシンクの音は初体験だったが、仲間が四~五名いた。
ワークショップのリーダーはケヴィン・ターナーさんだ。ケヴィンは、二〇年近くネパール、インド、カンボジアなどで密教、ヒンズー教などの修業を積んできており、最近になってモンロー研究所に出会ったのだという。
ケヴィンは穏やかな雰囲気を醸し出す、気持ちの良い人だ。背も高く、ハンサムだといってよいだろう。
ケヴィンによると、密教などで一〇年も二〇年もかけて修業して体得することが、モンロー研究所のCDを聞くことで、一〇分で体得できてしまうという。そこでケヴィンはモンロー研究所に通い始め、今では米国本部でも時々トレーナーの仕事をしているという。だが、いまのところ本拠地は日本だそうだ。
ケヴィンさんには通訳がついていたが、彼女もまたモンロー研究所については詳しい様子だ。
自己紹介が終わると、ヘッドフォンが一人一人に手渡され、ケーブルでつながれた。一つの音源をみんなで聞くのだ。
ようやく体制が整ったが、CDを聞くのはまだだ。最初にモンロー研究所の生い立ちの紹介があり、次にヘミシンクがいかに作用するかの説明があった。
図を見ていただけば分かるが、周波数の異なる音を左右の耳から流すと、左脳と右脳が周波数を同調させようと働き始め、やがて同調させてしまうという。その結果、左脳と右脳の働きが一体化し、活発になり、人の意識が五感で感じられる範囲から大きく拡大されるのだという。
この音の周波数をいろいろに変えることで、拡大された意識のいろいろな領域に行けるらしい。今回の「エクスカージョン・ワークショップ」ではフォーカス一〇とフォーカス一二の領域に行くことになっている。
東京の三鷹駅の近くにある心泉茶苑に着いたのは、九時一〇分過ぎだった。早過ぎたかと思ったら、すでに五~六名の方が部屋にいた。部屋は地下室の講堂で、畳が二〇枚ほど独立して置かれている。したがって部屋の大きさは五〇畳もあるだろう。天井も高く、一方の壁一面に鏡が張られている。これならモダンバレーの練習もできる。
二〇〇六年二月一八日の天気は上々でテニス日和だ。風もない。毎週かかさず週末にはテニスに励んでいるのだが、今日は、奇妙な講習会に来てしまった。平日は『神の手の共犯者たち』と言うノンフィクションの書き下ろしに熱中しており、忙しい筈なのだが、なぜか講習会に来ている。
自分でもよく分からないのだが、「グループ・ニライカナイ」というグループから「大地さん、下調べもかねて研修会に行きませんか」と誘われたときに、一も二もなく「行きます」と返答をしてしまったのだ。それは今年の一月中旬だった。
モンロー研究所には興味があった。
最初にモンロー研究所の名前を聞いたのは、昨年一二月に「グループ・ニライカナイ」と「黄トンボ」のメンバーが、グラハム・ハンコック夫妻と会食したときだ。その時、仲間の雑誌『ムー』の編集長がグラハム・ハンコックに「モンロー研究所に興味はありませんか?」と聞いたのだ。グラハムは「すごく興味がある。今年にでもモンロー研究所の講習会に出席したいと思っている」とのことだった。
「グループ・ニライカナイ」と「黄トンボ」は、共に「意識の世界の探求」をテーマの一つにしている。
もちろん、昔から死後の世界とか、輪廻転生には興味があった。だが、この会食の後、本格的に探求に乗り出そうと、精神世界の本を一〇冊ばかり購入した。
一月にモンロー研究所公認の「エクスカージョン・ワークショップ」への参加を決めてから、これらの本の中の三冊を慌てて読んだ。『人は、はるか銀河を越えて』(坂本政道著 )と『魂の帰郷』(藤崎ちえこ著)、それに輪廻体験などに批判的な本『輪廻体験―神話の検証』(ポール・エドワーズ著)だ。『魂の体外旅行』(ロバート・A・モンロー著 日本教文社刊)はボリュームがあるので後回しにした。
そんな事情でモンロー研究所の海外プログラムである「エクスカージョン・ワークショップ」に参加した。
九時半になっても参加者の全員は集まらなかった。遅刻者が数名いたのだ。それでも九時四〇分には自己紹介が始まった。名前と、どこから来たか、なぜ来たかを述べる簡単なも。
驚いたことにかなり遠くから来ている。覚えている限りでは、少なくとも福岡、大阪、新潟、群馬などから参加していた。
年齢層も中心は 三〇歳~四〇歳。私の年代層(五〇歳以上にしておこう)は二〇名の参加者のうち四名だけ。独身者も少なく、多くは結婚しているようだ。
私の右隣は日本人と結婚しているアメリカ人のバーバラさん。左隣はまだ独身男の整体師。そしてそのさらに左には神田さんという妙齢の女性。頭隣と言うのは変だが、そこにはアメリカンスクールで音楽を教えているシズコさんがいた。足隣はカーテンで、その先には鏡が張られている。
自己紹介を聞いてみると、かなりの方がすでにモンロー研究所で発売しているヘミシンクという音の入っているCDを聞いていた。私はヘミシンクの音は初体験だったが、仲間が四~五名いた。
ワークショップのリーダーはケヴィン・ターナーさんだ。ケヴィンは、二〇年近くネパール、インド、カンボジアなどで密教、ヒンズー教などの修業を積んできており、最近になってモンロー研究所に出会ったのだという。
ケヴィンは穏やかな雰囲気を醸し出す、気持ちの良い人だ。背も高く、ハンサムだといってよいだろう。
ケヴィンによると、密教などで一〇年も二〇年もかけて修業して体得することが、モンロー研究所のCDを聞くことで、一〇分で体得できてしまうという。そこでケヴィンはモンロー研究所に通い始め、今では米国本部でも時々トレーナーの仕事をしているという。だが、いまのところ本拠地は日本だそうだ。
ケヴィンさんには通訳がついていたが、彼女もまたモンロー研究所については詳しい様子だ。
自己紹介が終わると、ヘッドフォンが一人一人に手渡され、ケーブルでつながれた。一つの音源をみんなで聞くのだ。
ようやく体制が整ったが、CDを聞くのはまだだ。最初にモンロー研究所の生い立ちの紹介があり、次にヘミシンクがいかに作用するかの説明があった。
図を見ていただけば分かるが、周波数の異なる音を左右の耳から流すと、左脳と右脳が周波数を同調させようと働き始め、やがて同調させてしまうという。その結果、左脳と右脳の働きが一体化し、活発になり、人の意識が五感で感じられる範囲から大きく拡大されるのだという。
この音の周波数をいろいろに変えることで、拡大された意識のいろいろな領域に行けるらしい。今回の「エクスカージョン・ワークショップ」ではフォーカス一〇とフォーカス一二の領域に行くことになっている。
まずはフォーカス一〇について、口頭での説明があった。
フォーカス一〇とは身体が眠り、意識が目覚めている状態だという。
なんと「金縛り」の状態が、体外離脱には絶好の条件なのだという。
これには驚いた。
私は子供の頃から何度も金縛りの経験がある。金縛りになると、無理に身体を動かして、金縛りを解いてきた。
最近では、ソファに横たわり昼寝をしているときに起こった。目は覚めているのだが、身体が動かない。そして見える風景が、あまりにも鮮明過ぎる上に、視点がずれている気がした。いつものことなので慌てはしないが、身体が動かないのも奇妙な感覚なので、寝ていたソファから身体を床に落として、ようやく金縛りから自由になった。
ケヴィン・ターナーの解説によると、「金縛り」の状態は肉体と意識がわずかにずれた状態であり、恐れる必要はないという。体外離脱の一歩手前の段階なのだという。金縛りから戻れなかった人はいないそうだが、そう言われてみればそうかもしれない。
日本では霊がつくとか言われているので、私も偏見を持っていたが、次回金縛りにかかったら体外離脱を楽しみたいと思う。
そしてようやく第一回目のCDを聞くことになった。
畳の上に寝袋を敷き、枕の上に頭を載せ、タオルケットを身体にかぶせる。部屋は暗くされる。目には黒い布をかぶせる。これで準備ができた。
まずは音量調整だ。二〇人が長いコードでつながれて一つの音源からコメント付きの音楽CDを聞くのだが、接続が悪かったりして、なかなか完璧にならない。音量は絞って聞くのがよいそうだ。
音楽を聴くときは、寝てしまう人も多いが、寝てしまっても気にしなくて良いという。だが、ただ寝てしまったのでは意味がなくなるので、あまり眠たいときは枕を高くするようにとの助言があった。理想的なのは、寝てしまった状態で意識だけが鮮明に戻ってくることだという。
身体を楽にしてベルトを緩め、眼鏡も外した。男の声がして、ヘッドフォンの左右が正しくセットされているかを確認してきた。左右のヘッドフォンから入ってくる周波数が違うので、これは重要だ。
音楽が始まった。打ち寄せる波の音がして、鳥がさえずっている。男の声でガイダンスが始まる。何しろリラックスすることが大切らしい。まず顎を緩めて、唇をリラックスさせて、まぶたを緩めて、それから頭皮をリラックスさせろという。
身体を緩めることは、さまざまな呼吸法を行ってきているので、感覚的にすぐに分かる。特に西野皓三師が主催する西野流呼吸法では「内臓を緩めろ」とよく言われ、常に実行している。
身体が緩んだところで、また男の声が入る。「心の中に箱を思い描き、それに心配事や気になることをすべて入れなさい。それから、その箱を遠ざけなさい」という。
今日はテニスも諦めて、仕事も諦めて、まな板のコイなので、心配事は無かった。でも、<いびきをかいて寝てしまうのではないだろうか>という不安などを箱に入れて、はるか遠くまで押しやった。この箱を「エネルギー変換箱」とモンロー研究所では呼んでいる。
また男の声がして「レゾナント・チューニングをします」という。アーとかオーとかウー厶と声を出して、胸から体全体に振動を起こすのだ。「エクスカージョン・ワークショップ」のマニュアルを読むと、「キラキラ輝く、生き生きとした、生命エネルギーを息とともに吸い込み、身体の隅々まで行き渡らせます。ロウソクの火をやさしく吹き消すように両唇の間から息を吐きます。その際、疲れて古くなったエネルギーを体内から、足の裏から、すべて解き放ちます」と書いてある。
「レゾナント・チューニング(共鳴同調)」はCDを聞くときに必ず行うが、今思うと、二度目からはマニュアルに書いてあることなどすっかり忘れて、ただ身体を振動させようとしていただけだった。
「レゾナント・チューニング」も私にとって、目新しいものではない。もっとも、これまでに「レゾナント・チューニング」を行ったのは、エジプトの大ピラミッドの王の間、メンカウラーのピラミッドの地下室、そしてルクソール神殿の至聖所でしかない。
古代エジプトの神殿の至聖所も大ピラミッド群の部屋も、すべて共鳴する空間になっている。そこでエジプト学者のジョン・アンソニー・ウエストの指導のもと、二〇名ぐらいで「レゾナント・チューニング」を行った。確かに気分が良くなる気もしたが、それよりも意識が集中される、あるいは無心になれると感じた。
古代から伝わる「レゾナント・チューニング」をモンロー研究所の研修でやるとは意外だった。
やがて「あなたはフォーカス一〇に入りました」という男の声が聞こえてくる。
でも、何も起こらない。
心配していた通りだ。
でも、まあ、何か起こることを信じて待とう。
でも、何も起こらない。
金縛りの状態を思い出してみた。
あの、感覚に入れば良いのだ・・・。
なにやら身体が重くなってきた。
目の前は真っ暗だ。
光が見えてきた。
暗闇の一点から白い光がこぼれてくる。
白い光がオーロラのようにカーテンを作る。
これは目の錯覚だろう、と思った。
部屋の天井の一部から光がもれてきているのを知っていた。
その光が目に入ったのだと思った。
そこで、硬く目をつぶってみた。
そしたら、ますますオーロラが大きくなった。
四〇分ほどのセッションが終わって、参加者がそれぞれ印象を語った。私は気分が良くなり、身体が重たくなった気がした・・・とだけ発表した。オーロラのことは不可解だったし、天井からの光が反映しただけかもしれないので、話す気になれなかった。心の底で、他の参加者に最初からオカルト的だとは思われたくなかったこともあるのだろう。
他の参加者の印象も、似たようなもので、「何も変化がありませんでした」という方もいた。
これで午前のセッションが終わり昼食となった。
心泉茶苑のビルの一階はレストランだ。
そこに一五名ほど集まっての会食となった。
そこでも参加者たちの感想を聞いたが、明確な映像を見ている人もいた。
隣にはバーバラさんが座った。ランチには酵素玄米がでてきた。
バーバラさんによると、この酵素玄米は素晴らしい食事だから試すように言われた。酵素玄米とは玄米に小豆を入れ、塩を加えて発酵させるのだが、おいしいのだ。インターネットで調べたら長岡式酵素玄米でヒットする。埼玉県上福岡にある「太陽の家」がどうも本部らしい。
「エクスカージョン・ワークショップ」が終わって一週間後に、心泉茶苑にわざわざランチを食べに行った。この店もやっぱり長岡式なのか気になったのだ。
やはり長岡式だった。そして、月に一回、長岡式酵素玄米の調理法講習会をこの場所で開催しているという。そういえば「太陽の家」でも毎週日曜日に講習会を開いている。
「エクスカージョン・ワークショップ」のような催しに参加するメリットの一つは、いろいろ健康に良いことの最新情報が入ってくることだろう。バーバラさんからは、FFS(パイロゲン)というジュースのような水の存在も教わった。だが、一リットル六本で一万円もすると聞いて、インターネットで調べる気も消えうせた。
長岡式酵素玄米も、初期投資に七万ほどかかるそうだが、こちらのほうは味も良く、健康にもよさそうなので、初期投資が高くてもあまり気にならない。
あっという間にランチが終わり、午後のセッションに入った。
二回目のCDだ。
今回は、先ほどの「エネルギー変換箱」と「レゾナント・チューニング」に加えて、あらたな技術を教えられた。「リボール」というものだ。
「リボール」とは「レゾナント・エナジー・バルーン」を短縮したものだが、ようするに身体の周りに生命エネルギーの結界をはることだ。エネルギーの風船の中に身体を入れてしまうのだ。
このように言っても、分かる人と分からない人がいるかもしれない。
『気』の世界に慣れた人ならすぐに納得できる。だが、『気』の存在を否定している人には、まったく理解できない世界だろう。
実は、私も一〇年前に西野流呼吸法に出会うまでは『気』の存在を完全に否定していた。
ところが、西野皓三師の気を当てられて吹っ飛ぶ人を見て、とても自己催眠だけではできない芸当だ、と感じた。これまで認めてこなかった不思議なエネルギーが存在しないとは、いえないと悟ったのだ。それ以来、いろいろな経験を通して『気』のエネルギーが実在する事は知っている。
インドネシアでは、奇妙な民間治療法に出会ったことがある。願いを紙に書いて燃やし、その灰から啓示を受けて、患者の治療をするのだが、まったく患者の身体には触らない。ただ背後から手をかざすだけで、身体がマヒしている若い女性がくねくねと身体を動かし、「気持ちがよい」という。この女性は、足腰がマヒして、医者にも見放されていたそうだが、私が見たときは、ほぼ完治していた。
この民間治療師は平日の昼間は政府のお役人であり、治療代はいっさい取らない。インドネシア人といっても中国系のようだった。今から思うと、これも『気』の力だったのだろう。
「リボール」を身体の周りに作るには、「息を吸い、息を止め、息を止めている間に、中に一〇と書いてある、輝いて動く円を思います。息を吐き、円を下に下ろし、身体の周りと上に動かします。エクササイズ終了時には、リボールを自動的に再吸収します。あるいは、深く息を吸い込み円が体内に戻ることを思います」とマニュアルにある。
ケヴィンによると、気のエネルギーが足の裏から身体に取り込み、頭のてっぺんから吹き出し、それが全身を包み、また足の裏から体内に入るイメージを浮かべても「リボール」ができるという。
同じことは、呼吸法でもよく行う。私は、ケヴィンの方法を採用することにした。
この方法を覚えてから、二回目のCDを聞くことになった。
二回目のCDでも、また波の音がして、鳥がさえずる。男の声に従って、「エネルギー交換箱(不安収納箱のほうが分かりやすい?)」「レゾナント・チューニング」「リボール」と行い、最後に「ゲートウエイ・アファメーション」をする。
「アファメーション」とは「断言」のことだ。断言に効果があることは「塩谷式正心調息法」の創始者・塩谷信男氏も強調されている。
正心調息法に出会ったのは、西野流呼吸法よりも一カ月ほど前だった。正心調息法を行ったら、一発で腰痛が消えたので、それ以来、信奉者だ。あまりにも気に入ったので、正心調息法を英訳し、塩谷信男氏に献上し、海外の多くの友人にも贈呈した。
モンロー研究所の「断言」は次のようなもので、これをCDで聞く数回の間に覚えなくてはならない。だが、二日間、とうとう覚えられなかった。長ったらしいのだ。
まず、「私は肉体を超える存在です」というがこれは分かりやすいし、個人的にも異存はない。
二番目は「私は物質(肉体)を超える存在なので、物質世界よりも優れたものを知覚できます」というが、これも問題ない。
三番目がまったく覚えられなかった。
「したがって、そのようなより優れたエネルギーとエネルギー・システムを拡大し、経験し、知り、理解し、管理し、使用することを、私と私についてくる人々に有益で建設的であるかぎり、心から望みます。」
四番目もピンとこなかった。そこで二日間、いい加減な断言で終わってしまった。
「また、私と同等、あるいはより優れた知恵や、発展段階、経験を持つ人々の援助・協力・支援・理解を心から望みます」
そして最後に、「感謝します」と付け加えるとさらによいと、ケヴィンは言う。
モンロー研究所の「断言」は、坂本政道さんが翻訳しているのだが、上の文章は、「黄トンボ版」だ。
「断言」も終わって、やがて男の声がして「あなたは今、フォーカス一〇にいます」というが、何も感じない。
まあいいや、と思い、再び、金縛り状態の身体の感覚を思い出してみた。
また男の声がして「それではフォーカス一に戻ります」という。
やがて再び男の声が「それではフォーカス一〇に戻ります」という。
こんなことを数回やったのではないだろうか。狙いは、フォーカス一(通常の意識の世界)とフォーカス一〇(身体が眠り、意識が目覚めている世界)の違いを感じることだった。
正直に言って、違いは分からなかった。フォーカス一〇に居るときの方が、身体が重たい感じがあるかもしれない・・・といった程度だ。だが、こういう微妙な感覚を認識できるようになることが大事なのだ、ということは分かった。
このセッションでは、瞬時にフォーカス一〇に行く方法とか、瞬時にフォーカス一に戻る方法とかも教わった。
次のCDセッションとの間には休憩があり、他の参加者と世間話ができた。
隣のシズコさんは、アメリカンスクールで音楽を教えているが、作曲家でもあるという。今回、「エクスカージョン・ワークショップ」に参加したのは、創造性を高めるためだという。彼女は拡大された意識の中に創造の芽もあると感じている。
そんな話をして帰宅したら、夕刊に鈴木光司という小説家のインタビューがでていた。鈴木光司さんは「小説は意識と無意識の共同作業で生まれます」という。つまり創造的な作業は、狭い五感の意識の世界だけでは難しいらしい。シズコさんの狙いは正しいようだ。
さて、休憩時間も終わり、三回目のCDセッションとなった。
いつもの通り、波の音を聞きながら「不安収納箱」「同調共鳴」「リボール」「断言」へと進む。CDには「インナー・ジャーニー」というタイトルが付いている。
フォーカス一〇に到達し、何かが起こるのを待つ。
私の場合は、一生懸命に金縛りの肉体感覚を思い出そうとする。
オ-ロラが見えたが、すぐに消えた。
真っ暗闇だ。
大きな箱が見えてきた。あっというまに消えた。
また暗闇。
やがて高くそびえる橋が見えてきた。
これは何だろう・・・。
一瞬、眠たくなったのか意識が薄れた。
はっとして目覚め、暗闇を見つめた。
これだけで第三回目のセッションも終わってしまった。
第四回目のCDセッションが始まる前には、ケヴィンの指導で、生命エネルギーの応用と実験を行った。
まず身体の前にエネルギーのボールを作る。お腹の前だ。手と手の間に生命エネルギーのボールを作るのだ。次に参加者の誰かとボールを重ね合わせてみる。私はバーバラ嬢と行ったが、何か手のひらがスースーと涼しくなる。
参加者全員が輪になって手をつなぎ、右回り、左回りにと生命エネルギーを回してみる。私は何も感じなかった。もともとこういうことには鈍い方なのだ。
西野流呼吸法の道場には一〇年も通っているが、その創始者・西野皓三師に「おかげさまで渡米しても時差ボケにかからなくなりました」と報告したら、「大地さん、それは偉いね。たいした気も出ていないのに時差ボケにならないとは・・・」と褒められた。
種を明かすと、飛行機の中では座ってできる正心調息法を何度も行い、時差ボケにかからないように奮闘しているのだ。呼吸法を行うと、時差ボケが軽くて済むのは、間違いない(気のせい?)。だが、気が充満している人なら、呼吸法をしなくても自然に時差ボケにかからないのようだ。
最後にパートナーを探し、身体の周りに張り巡らした生命エネルギーの結界を感じるエクササイズを行った。
ケヴィンによると、ここでも微妙な感触を感じとることが大切だという。
たとえば、結界を巡らしている人に近づくと、結界の境界線を感じることができるという。
私がシズコさんとやってみると、確かに何かが違う感じがする。だが、それが本当に境界なのかどうかは分からない。ただ勝手にそう感じるだけだ。
ケヴィンによると、そこに何かがあると感じるのはイマジネーションであり、イマジネーションは認識の一部だという。微妙なイマジネーションを感じることがあるが、それが、正しいことが多いのだという。
ケヴィンは体験談をしてくれた。
あるときケヴィンと友人は、初めて訪問したアメリカの町で理髪店を探していたという。最初に見つけた店は坊主頭にされそうな雰囲気だったので、退散して、他を捜すにも「どうしよう」と二人は途方に暮れた。
友人が「こういうときこそフォーカス一二で質問したら」という。それもそうだ、いつも生徒にそうしろと教えているもんナ」とケヴィンも了解し、一瞬、目をとじ、理髪店を思い浮かべ、口から出任せに「三街路先の左にあるよ」と言った。
二人は半信半疑だったが、ともかく三街路先で左に曲がってみた。そしたらそこには立派な理髪店があったという。
ケヴィンは、「人にフォーカス一二を教えているトレーナーの私ですら、口から出てきた出任せの言葉が、当たるとは思ってもいなかった」という。またこの町ははじめていった場所だったのだ、と再度、強調した。
だから拡大された意識の中での直感は、当たることが多いし、イマジネーションは大事だという。つまりそこに存在すると微妙であっても感じたら、本当にある可能性が高いという。
そして四回目のCDセッションを行った。
いつもの通り、波の音を聞きながら「不安収納箱」「同調共鳴」「リボール」「断言」へと進む。断言は、記憶に頼って述べるが、さっぱり言えなかった。
やがてフォーカス一〇に入ったが、特別なことは起こらない。このセッションのテーマは「恐れを解き放つ」ことだった。
だが、私は何を恐れているのだろう・・・。それを探すのが一仕事だ。恐れは心に傷があるから、起こることが多い。心に傷が無ければ、恐れることは少ない。たとえば劣等感があると、人に会うこと自体が恐ろしい。私は、二〇歳くらいから、劣等感などの心の傷を癒す方法を学んで実行しているので、恐れが減ってしまっているようだ。
子供の頃に犬に顔を噛まれて、犬恐怖症だったが、克服した。小学生の時に学校のプールでおぼれ、水恐怖症になったが、今では泳げるし、スキューバダイビングも一五〇回以上している。今でも深くて黒い海は恐いが、陸にいるときは恐くない。
さて、弱った・・・と思ったが、まあ、小さな恐れならいくらでもあるのは事実だ。
「エクスカージョン・ワークショップ」では、恐れを表面化させて、水泡が浮き上がって消えていくように、解き放ちなさい、という。
このセッションでは、なんでもいいから水泡が浮かんでいくのを見ることにした。結果は身体が軽くなった感じが得られた。CDセッションから目覚めた後も気分が良かった。昼ねしているようなものだから当たり前?
このセッションが終わったら、もう一日目の午後七時を過ぎていた。私は七時三〇分までに帰宅しなくてはならない。ホームパーティーがあり、来客がある。他の参加者が、まだいろいろ質問をしているのを後にして、急いで部屋を退出して、薄闇の中に飛び出した。
第二日目
二日目の朝、九時一〇分には部屋に入った。すでに半分ぐらいの参加者が畳に座っている。妙齢の女性・神田さんが「昨夜は夢を見ましたか?」と声をかけてくれた。
実は昨日、宿題が出されていたのだ。「夢を覚えていて記録してください」というものだ。そしてケヴィンに何度も「お酒は飲まないように」と言われていた。
「いやー、昨夜はパーティーがあって、呑みすぎで夢は何も覚えていないや」と答えたら、神田姫に「あら、あんなに強くお酒を呑まないように言われたのに・・・ウーロン茶をコップに入れて、ウイスキーですって言わなくっちゃ」と叱られた。神田姫は最初の日の自己紹介の時に「期待で胸がいっぱいで、ドキドキしています」と言ったので印象に残っている。神田姫は「エクスカージョン・ワークショップ」に私よりも真剣に取り組んでいるのが明らかなので、まあ、怒られてもしょうがないか。
今日はフォーカス一二の領域に入る。フォーカス一二では視聴覚などの五感が使えないという。拡大された意識の領域では、「音が色をもち」、「色が匂う」という。たとえばオレンジの音などが分かるらしい。
『気』の世界では、『気』には薫り(香り)があると言う人がよくいる。このような方は、無意識のうちに意識が拡大されているに違いない。
ケヴィンはフォーカス一二で体外離脱することが多いそうだ。また、体外離脱には二種類あると言う。体外離脱と遠隔透視だ。フォーカス一〇では体外離脱もできるが、遠隔透視をすることが多いという。
よく日本のテレビにでてくる元米軍の透視部隊に所属していたジョー・マクモニーグル氏は、フォーカス一〇で遠隔透視をするという。遠隔透視も体外離脱と似た現象で、遠隔透視の場合は意識が体内にとどまったまま、拡大意識の領域を探るらしい。
遠隔透視では、いろいろなイメージが浮かぶだけで、それが何を示しているか、あるいは正しい透視であったかどうかは、後に検証されないと分からないそうだ。
一方、普通の体外離脱は、意識が体内から飛び出て、寝ている自分の姿が見えたりするので、その場で見たことを確認できるという。ジョー・マクモニーグル氏は中国のミサイルの誘導装置の細部を、米国にいながら体外離脱して観察し、克明に見たものを図にして提出したそうだ。
二日目の最初のCDで、昨日と同じように、フォーカス一〇まで進み、そこからフォーカス一二に進む。ケヴィンは、ヘミシンクが自動的にフォーカス一二に連れていってくれるから、何も心配をするなという。
いつもの通り、波の音を聞きながら「不安収納箱」「同調共鳴」「リボール」「断言」へと進む。男の声が入り「ではこれからフォーカス一二に行きます・・・一一・・・一二・・・あなたはフォーカス一二に居ます」という。
このセッションではフォーカス一〇とフォーカス一二の違いを感じて欲しいという。「肉体は寝ていて意識が目覚めている状態」と「拡大された意識の状態」の違いを感じろと言うのだ。
だが、さっぱり違いが分からない。
私にとって違いといえば、フォーカス一〇ではオーロラが見えることがあるが、フォーカス一二の世界は、漆黒の闇だ。
このセッションの後、ケヴィンは、漆黒の闇だったら、カーテンを開けたら何が見えるかを想像してみるとよいという。イマジネーションを働かすと、それが呼び水になるというのだ。あるいは星が瞬く宇宙が見えると想像しても良いそうだ。
ケヴィンによると、人は常に拡大意識を伴って生きているという。
つまりいつでもフォーカス一〇や一二の領域にいるのだが、それを自覚していないだけだという。ラジオの周波数を合せて番組を聞くように、それらの領域にチューニングをするだけで、いつでもその意識の領域に入れるそうだ。つまりヘミシンクの音は、初心者には必要だが、意識拡大のベテランになると、ヘミシンクなしでも、どの領域にでも入っていけるという。
これは良いニュースだと思う。なぜならヘミシンクに頼らなければ無いもできないのでは、まるで麻薬か宗教になってしまうからだ。
二日目の二回目のCDでは「フォーカス一二に入り、問題を解決しましょう」という。
フォーカス一二で意識が拡大されると、問題を解決したり、問題点を探求したり、質問を投げ掛けて答えを得ることができるという。
マニュアルによると「フォーカス一二での言葉は、非言語的、シンボル的、エネルギー的、直感的」だそう。
さらに、答えは「受け入れるのに、最上の時に、最上の方法で与えられる。たいていの答えにはユーモアがはいっている」とのことだ。
まずは、何を質問するかを考えなくてはいけない。
そこで二つの質問をすることにした。
一つは、今書いている本が売れるかどうか。
もう一つは、この半年、時々見る奇妙な夢の意味だ。
CDが始まった。メタリックな音楽が流れ、いつもの通り、波の音を聞きながら「不安収納箱」「同調共鳴」「リボール」「断言」へと進む。
フォーカス一二に入ったと男の声がアナウンスされたので、さっそく二つの質問をぶつけてみた。
映像が出て来た。高速道路だ。すぐに消えた。それから小学校三年生時代の女の先生の顔が浮かんだ。それにつづいて九〇歳でなくなったおふくろの顔も見えた気がした。
なるほど、これが奇妙な夢の原因か・・・と思い当たる節があった。
だが、最初の質問に対する返答はなかったようだ。
ランチの時間となった。
今日はほとんどの参加者が心泉茶苑のレストランで食事をした。またおいしい酵素玄米が食べられるので私もハッピーだ。
このとき、初めてケヴィン・ターナーさんと個人的な会話をした。
バーバラが「ダイチさんも英語はなしますよ」とケヴィンに言ったのだ。ケヴィンは「ああ知ってる」との返事。初日に彼と英語で短い会話をしていたからだ。
「翻訳してるんだって?」とケヴィン。
「ウン、三〇冊以上はね・・・」
「僕の知っている本、あるかな・・・」
「Fingerprints of the Godsは知らない?」
「あーよく知っているよ。グラハム・ハンコックの本はみんな読んでる。原書だけどね。日本でよく売れたんだってね」
「ペーパバックを合せると三〇〇万部を超えているかな」
「三〇〇万部! ダイチサン、僕も今、本を書いているんだけど、翻訳してくれる。死後体験の話なんだけど」
「もちろん、喜んで引き受けるよ」
ランチの後は、この日、三回目のCDセッションだった。
「エクスカージョン・ワークショップ」には若い年齢層の方が多いようだが、どうも皆さん「体外離脱」に興味があるらしい。私は、特別に興味は感じない。でもこんど金縛りにあったら、「体外離脱」を試みるだろう。
ケヴィンに言わせると、「体外離脱」とは「指外離脱」のようなものだという。
あなたが左手の親指だとする。親指から「指外離脱」して、右手の親指に行き、左手の親指を見ているのが、「指外離脱」の状態だという。
つまりあなたという存在は左手の親指だけではない。体全体があなただ。つまり私たちは左の親指を自分のすべてだと思っているが、実態はもっと大きな存在の一部だという。
さて、三回目のCDセッションは、二回目と同じように、フォーカス一二に入り問題を解決する。だが、今回は、質問をシンボル化して簡潔にしなさいという。また瞬時にフォーカス一二の領域に入り込む訓練も行うという。
いつもの通り、波の音を聞きながら「不安収納箱」「同調共鳴」「リボール」「断言」へと進む。まずフォーカス一〇に入り、次にフォーカス一二に入ったと男の声でアナウンスされたが、なんだか周りが騒がしい。これまでも寝息やいびきはよく聞こえてきたが、それとは違う。
この地下講堂の上にはレストランがあり、台所がある。おばさんたちの話し声と、ガチャガチャと食器を洗う音は、明らかにこの台所から来ている。「うるさいな」と思った。静かにさせるようケヴィンに頼もうか、と、思った。でも「みんなも同じように騒音を我慢しているのだし、上の階へ静かにしてくれとお願いに行くのもたいへんだ」と思い直して、シンボル化した質問を問い掛けることに神経を集中した。
『本』のシンボルを思い浮かべたら、往来を歩く人々の姿が見えた・・・どうやら少なくとも本として出版ぐらいはされるらしい・・・。
奇妙な夢のシンボルを提出しても、何も変化がない。
その後は、いろいろな問題を提示したが、クリスマスのキラキラ輝く木がでてきたが、意味不明。だが、まあ、何も心配することは無いという直感だけが残った。
いつの間にか、台所の騒音も消えていた。
このセッションの後、四人で何を見たのかを語り合った。ある独身の男は「いつベストパートナーに巡り合えるでしょうか」と聞いたら、「亀」が出て来たという。気長に待てということか? 別の五〇歳代の経営者は「今日は予定よりも一つ早い新幹線に乗りたいのだけど、可能かどうか聞いたら、新幹線が走り去っていく映像が見えた」という。ところでこの方は、やはり予定よりも一つ前の新幹線には乗り損ねた。「エクスカージョン・ワークショップ」の終わりが予定よりも遅くなったからだ。
四回目のCDセッションは、これまでと趣が違っていた。ナレーションに従って深い意識の中に入っていくという。
そこでは何を見たか?
白い機械がだんだんと姿を現していく。ハイビジョンよりも鮮明な画像だ。だが四割ぐらい姿を見せたところで消えてしまった。それ以外は、何も覚えていない。
五回目のCDセッションはケヴィンからの特別プレゼントだという。公式プログラムに予定されていないCDを聞かせてくれたのだ。
そしてフォーカス一二で、以下のような質問をして、答えを聞いて欲しいという。
一. 私は誰か?
二. 現在の物質的存在になる前の私は、何だったのか?
三. 何をするために居るのか?
四. その目的のために何をしたら良いのか?
五. 現時点で私が受け取り、理解することができる、もっとも重要なメッセージは何か?
このCDでも、いつもの通り、波の音を聞きながら「不安収納箱」「同調共鳴」「リボール」「断言」へと進む。そしてフォーカス一二で五つの質問をした。
答えは直感的に得られたと、言いたいところだが、答えの幾つかは既に頭にあったと思う。
<私は誰か>
一. 私は宇宙的意識だ。
<物質的存在になる前の私は、何だったのか>
二. 宇宙的意識だ
<何をするために居るのか>
三.宇宙に戻るため
<その目的のために何をしたら良いのか>
四.仲間を作ること
<もっとも重要なメッセージの内容は何か>
五.これだけは、分からなかった。敢えて言えば、この講習会の体験は単なる出発点であり、始まりに過ぎないということかもしれない。
最後のCDセッションでは、色のついた呼吸をすることを学んだ。
このCDでも、いつもの通り、波の音を聞きながら「不安収納箱」「同調共鳴」「リボール」「断言」へと進む。
それからフォーカス一〇に入り、たぶんフォーカス一二に行ったと思う。次に、深く呼吸をして、息を吐きながら緑色の疲れや不廃物を、足の裏から吐き出す。
ふたたび深呼吸して、息を吐きながら活動しているイメージを浮かべそこに赤い色のエネルギーを流し込む。
もう一度深呼吸をして、息を吐きながら紫色のエネルギーを身体の具合の悪いところに送り込み治癒する。
このようにして、健康的でバランスのとれた状態を作り出し、維持していくことができるという。
これは塩谷信男氏の正心調息法の教えとまったく同じだ。ただし塩谷式には色が無い。
CDが終わり、目にかぶせてあった黒布を取り払い、時間を見たらもう午後の七時。
最後に、この二日間の感想を聞きたいと、ケヴィンが参加者に言う。地方に帰る人は新幹線などの都合があり、一言述べて去っていった。
参加者には「終了証明書」と「インナージャーニー」のCDが渡される。
私は「いろいろ学ぶことがありました。これが始まりだと思っています」と感想を述べた。
ケヴィンは皆さんで一緒に食事に行かれたらどうですか、と昨日も言ったが、今日も言う。私もみんなと夕食を一緒にとりたかったのだが、やぼ用があった。そこで、残った参加者が部屋の片づけをしているのを横目で見て、心残りだったが、一足先に部屋を出てしまった。
***
さて、すでに、気がつかれた人もいるかもしれないが、私に聞こえてきた、台所の騒音は何だろうか?
二日目の午後のCDセッションで、私は、台所でおばさんたちが話し合う声を、鮮明に聴いている。さらに台所の食器をがちゃがちゃ洗う音も、鮮明に聞いている。
CDセッションのあった部屋は、コンクリート作りの地下室で、天井は高い。普通の家庭の天井の二倍以上高い。その上にある台所の会話がどうして鮮明に聞こえたのだろう? 当時は、みんなも同じように騒音が聞こえていると思っていたので、誰にも確認していないが、あの音が聞こえたのは私だけではなかったのか?
台所からは水を貰っており、コップが手元にあった。「帰る前に、このコップを忘れずに返却しなくては・・・」と、気にはなっていた。
そこでフォーカス一二で意識を拡大したときに、突然、私の意識が台所にフォーカスを合せてしまったのではないだろうか? 家に帰って、家族に「エクスカージョン・ワークショップ」の体験談をしていて、突然このことに気がついた。
そうだとすれば、やはり人間の意識は拡大することができることになる。
考えてみると、犬や猫の意識の領域も、人間よりも広いようだ? 昔から、猫や犬は聴覚が鋭いとか、振動を聞き分けるというが、そうではなく、単に意識の範囲が広いのではないだろうか?
今回の「エクスカージョン・ワークショップ」に参加しても、こういうことに鈍感な私は、何も変わっていないだろう。だが、このように鈍感な私でも、いろいろ感じることができることが分かったのは収穫だ。
考えてみると、フォーカス一二にアクセスして問題を解決するという方法は、これまで無意識だが、私も利用していたようだ。
現に、『神の手の共犯者たち』というノンフィクションを書き上げたが、すこし話の流れが悪くなると、私はすぐにソファに横になり、構想を考えながら寝てしまう。そうするとすっきりと目覚めたときには、次のストーリー展開が頭に浮かんでおり、すぐにコンピュータの前に座って、先に進める。私はこんなことを一日に一〜二回行っている。つまり「アー疲れた」といって、ソファに倒れ込み、横になってしまう。時には目が覚めたまま、先のストーリーを考えているが、時には眠ってしまう。
その他にも、いろいろとこれまで行ってきたこととの相似点がある。
意識拡大の世界は、『気』の世界とも良く似ている。『気』に敏感な人は、意識が拡大されているのか、あるいは左脳と右脳を橋渡しするブリッジが幅広いのかもしれない。
『気』の世界は女性のほうが、感受性に満ちているが、「意識拡大」の世界も同じようだ。『気』の道場でも、「エクスカージョン・ワークショップ」でも感じることだが、こういう世界は人々を穏やかにする。したがって平和愛好家が増えてよいことだと思う。
一方、右脳と左脳がシンクロすることは、人類にとって進歩なのか、退歩なのかも気になるところだ。
右脳は直感的で、左脳は論理的だとされるが、この二つが分離されているのには、進化の上で何か理由があるに違いない。ヘミシンクを聞くとこの二つが同調される。いいことではあるが、失うものもあるのではないだろうか? たとえば動物的な闘争本能はどこにあるのだろう? 右脳と左脳が同調すると、闘争本能が和らぐのではないか? それは人類の生存にとって有利なのだろうか?
だが、左脳人間になってしまって、身体も硬くがちがちになると、感性が悪くなり、頭も悪くなるし、病気にもなりやすいという実感がある。
やはり左脳と右脳を同調させることは、退歩とはいえないようだ。
モンロー研究所の方法で、左脳と右脳を同調させて、深い認識の世界にはいることは、修業僧やヒンズー教のヨギたちの夢だ。その世界に五分とか一〇分で入っていけるヘミシンクの方法論はやはり魅力的だ。
こういう世界に鈍感な私が、どこまで理解を深めることができるかどうか、極めて怪しいが、これからもこの世界の探求を続けていきたいと思っている。
初めての体外離脱
初めての体外離脱はタイ王国の首都バンコックのホテルの一室で経験した。南アフリカに出発する二〇〇六年三月初旬の日の朝六時三〇分のことだ。
私のバンコックにおける定宿マンハッタン・ホテルは古い中流ホテルだが、ともかく便利な場所にある。繁華街のスクンヴィット通り一五にあり、スカイトレインという高架鉄道の駅にも近い。
この日は、朝から友人とゴルフをして、身体が疲れきっていた。三月のバンコックは酷暑の季節だ。この日も太陽は頭上で白く光り輝き、一八ホールを歩くのは、かなりの試練だった。
夜には、会食があった。それが終わったのは夜の九時半頃だ。
それからレストランの近くの繁華街パッポン通りに行った。この通りには有名なクラフトショップ『ナラヤ』がある。『ナラヤ』では南アフリカでホームステイする家族のために、おみやげを買いそろえた。
日本からおみやげを買っていくべきなのだろうが、タイで買ったほうがオシャレな品を安く買えるのだ。
タイ王国には三五年前から、毎年数回は訪問しているから、訪問回数は軽く一五〇回を越えるだろう。パッッポン通りも昔からおなじみだ。
三五年前のパッッポン通りは、ベトナム戦争に従軍していた米兵やオーストラリア兵のための歓楽街だった。ゴーゴーバーがあり、安くお酒が飲めた。現在のこの通りは観光客向けの夜店で満杯だが、当時は、夜店など出ていなかった。だがゴーゴーバーは今も健在だ。
一九七〇~八〇年代に日本企業が大量にタイに進出してからは、日本人向けの繁華街がタニヤ通りに生まれた。タニヤはパッッポンから歩いて五分ほどの場所にある。
『ナラヤ』で買い物を済ませた私は、タニヤ通りに向かって歩いていた。
「社長、女の子はどうですか。可愛い子がいますよ」と中年の男がカタコトの日本語で声をかけてくる。手には写真をもっている。マッサージパーラーの写真だ。日本で言うトルコ風呂のようなところだ。この辺りを歩くと五~六回はこういう連中に声をかけられる。
「いらない」といって、首を振ると男は、「社長! じゃー男の子はどうですか?」と聞いてくる。私は苦笑いをして、手を振っていらないことを知らせる。
タイ王国は男女平等の国なのだろうか、売春婦もいれば売春夫もいる。実は男女平等というよりも貧富の差が激しいことが原因だ。ゴーゴーバーの中のカウンターテーブルの上で踊っているのは、ビキニ姿の娘が普通だが、中には男の子が白いビキニパンツ一つで踊っている。これは昔も今も変わらない。だが最近、パッッポンでは「シスターボーイ」が増えている。全身整形した男が、女に変身しているのだ。「シスターボーイ」にはセクシーな美人が多い。男の欲望をよく知っているためか、男の心を捉えるのも巧いという。
そういえば息子の友人がバンコックに遊びに来て、「シスターボーイ」に恋をしたことがある。全身整形しているので、普通の人には男であることが分からない。のど仏も整形しているので、男の声ではない。肌も滑らかで美しい。
美人の多い人気のあるゴーゴーバーで働く女性の多くは「シスターボーイ」だ。
「シスターボーイ」と本物の女性の見分け方にはコツがが、ま、それは、一緒にバンコックに行くときにお教えしよう。
タニヤ方向にスカイトレインあるいはBTSと呼ばれる高架鉄道がある。その方向に向かってスリウオン通りを歩いていたら、ビアガーデンがあったので、そこで休憩することにした。もっとも道路の脇にウナギの寝床のように設けられた小さな場所だ。
道路の側の小さなテーブルに座った。ここで歩道を歩く人々を観察した。世界中からの観光客がほとんどだ。隣にはロシア人の四人組のカップルが座った。前方にはイタリア娘と思われる四人組が座っている。
親しげなウエイターがやってきて「何、のみますか」と日本語で聞いてくる。日本語を勉強しているのだそうだ。私はシンハー・ビールを注文した。ひとしきり会話をしてからウエイターはイタリア娘の所に去った。
少したつとウエイターはイタリア娘三名をつれて、タニヤ方向に歩いていく。実はビヤホールのすぐ先には、ホモやゲイが集まる通りがあるのだ。ここの通りの店に入ると、中にはボクシングのリングがあって、そこで男たちが素っ裸でいろいろなショーをする。性行為も実演する。昔のことだが、もちろん私も中に入ったことがある。だが、一五分も居たら気分が悪くなって、外へ出た。だが、多くの女性客たちは楽しんでいるようで、真剣に見ていて席を立たない。イタリア娘たちも、そんなバーに行ったのだろうと思う。三〇分もしたら顔を上気させて帰ってきた。
そうそう言いわすれたが、パッッポン通りの二階にあるゴーゴーバーには行かないほうが良い。二階は無法地帯で、ビール一杯三〇〇〇円もぶったくられる。私は大喧嘩して一〇〇バーツ(三〇〇円)を床に放り投げて、店を出てしまい、ウエイターから「あんた、もしかして日本のヤクザ?」と聞かれたことがある。
熱心な考古学者なら洞窟の発掘調査をして、そばにも多くの洞窟があったらそのすべてに入って調べてみるだろう。ジャーナリストの私も同じように、どこにでも入って、一応、何があるか調べる習性がある。
さて、ホテルに帰還したのは夜中の一二時頃になってしまった。パッキングを済ませて、大きなベットに横たわったのは一時過ぎだ。予定どおり、寝酒のおかげでよく寝たが、朝六時三〇分には目が覚めた。まだ身体がだるい。昨日のゴルフの疲れと、夜更かしが効いている。
そこで二週間前にモンロー研究所の初心者コースでならった方法で、身体を休めることにした。まず身体を緩め、「エネルギー交換箱(煩悩収納箱)」と「リボール」を行い、フォーカス一〇に行ったのだ。そしてフォーカス一二を思い出そうとした。
身体がまだ疲れているせいか、すぐに身体が重く感じるようになった。すると身体が金縛りにあったように動かなくなった。これはしめた・・・と内心喜んだ。この状態になると体外離脱ができるとセミナーで聞いていたからだ。「よし楽しんでやろう」と思った。閉じているまぶたには明るい光が見えてきた。そしたら、突然、身体から亡霊のようなものが抜けでる感覚があった。よくはわからないが、私の意識なのだろう。
あっという間に宙に浮いていた。フワッとそれがホテルの壁を越えて外に出て行くので、一瞬緊張した。だが、無事に外に出た。また壁を通り抜けて部屋に戻った。ひじを壁にぶつけて痛かった。あとで思ったことだが、主(ぬし)のいない私の身体が寝返りでもして、どこかにひじをぶつけたのだろうか?
わたしは初めての体外離脱をなるべく長く楽しむ決心をしていた。こんどは床を通り抜けて、知らない部屋にはいった。テーブルの上にはカラフルな雑誌がたくさん置いてある。鮮明な映像だ。雑誌は英文だったのでタイトルを見たが、すぐ忘れてしまった。ともかく見覚えの無い部屋だ。「ここは誰の部屋だろう・・・ホテルの中ではあるようだが・・・」と思った。
どうせ体外離脱したのだから・・・日本まで飛びたい・・・と思ったが、そうは行かなかった。だいたい自分でコントロールしているというより、意識なのか私の亡霊なのか、何だか知らないが、勝手にホテルの外に飛び出したり、中に入ったりするのだ。映像は鮮明で楽しかったが、だいぶ長い事、体外離脱をしている感じがしたので目を開いて身体に戻ることにした。
目を開けるとホテルの部屋の中だった。急いでベッドから飛び出て、テーブルに向かい大学ノートを拡げて、この経験を書き留めた。でも、まだ身体がだるいのでベッドに戻って横たわった。
その瞬間、身体が動かなくなり、また意識が体の外に出てしまった。そこは見慣れない部屋だった。何か動物がいる。よく見たら子犬だ。それが懐に飛び込んでくる。顔をよく見たら長細く、灰色で耳が大きかった。おとなしく人懐こい顔をしている。・・・これは夢だろう・・・と、何となく思った。その瞬間、犬が猫に変わり、猫を見ていたら、きつねみたいな動物に変わった。私は気味が悪くなり、その動物を窓から外に放り投げた。そのときまた目覚めた。・・・この体験も記録しておかなくては・・・と思った途端、身体が思うように動かなくなり、夢の世界だか何だか知らないが、再びホテルの外に出てしまった。外にはプラカードを積んだ車が、渋滞していた。なにやら政治的な反対運動の行列のようだ。それを空から眺めていた私は、やがて壁を通り抜け部屋に入り、目覚めた。目覚めたとき、身体の疲れはすっかりとれており爽快な気分だった。これはいったい何なのだ? こんな夢は今まで見たことが無い。現実なのだろうか? 後で読んだその日の朝刊には、タクシン首相の反対デモが、朝からあると書かれていた。
第一回目の体外離脱はこれで終わりではなかった。
ホテルの外でデモ行進する自動車の列を見た後、すぐに大学ノートに記録して、気持ちよく、ホテルのベッドに横たわったら、突然、風に煽られた。
周りでヒューヒューと風の音がする。枕を胸に抱いていたのだが、強風にあおられて、手を放したら枕はどこかに飛んでいった。私は必死になって頭の下にある枕をつかんでいた。
声が聞こえてきた。渋い大人の声だ。「もう少しで身体から抜けられるから、がんばりなさい」と言った。その声に励まされて体外離脱しようとする。半分抜けかけた状態で周りを見た。見たことのある部屋であることが分かる。身体を横向きに変えてからうつぶせになったが、結局、半分ほど身体から抜けただけで終わった。
何か不完全燃焼だったので、もう一度、身体を緩め、フォーカス一〇からフォーカス一二に進むことにした。あっという間に身体から抜け出る自分を感じた。
若い頃のワイフが寝ており、私になにか話しかけてくる。「そんなところにいたらだめじゃない、嫌ね」と上を向いて言う。ワイフのそばには小さな赤ん坊が寝ている。直感的に息子だと分かる。左上から下を見ていた私は・・・この部屋はどこだろう? 畳の部屋だが、見覚えないなー・・・と思った。また、私は体外離脱をしていているのに、その姿がワイフには見えるのだろうか・・・と疑問に思ったら、目覚めてしまった。
これはいったいなんだろう。ゴルフで疲れて、そのうえ寝不足だった。身体が疲れていると、体外離脱がしやすいようだ。
この経験に何か意味があるのだろうか?
はっきり言えることは、体外離脱は「ピーターパンの世界」であることだ。
ピーターパンの世界の子どもたちは、両親が深く寝込むと、夜中に別次元の世界に遊びに行く。つまり両親とは肉体なのだ。子どもたちは体外離脱してピーターパンの世界に行くのだ。
ピーターパンは大人にならない、それはつまり私たちの魂を示している。「三つ子の魂百までも」というように、私たちの魂は、一〇〇歳になっても子供のままなのだ。あるいはピーターパンは大人にならない世界で生きている。つまり魂の世界だ。『ピーターパン』の作者は、体外離脱をした経験を元にこの本を書いたのに違いない。
そんなことを考えていたら、バンコックの朝は、八時になっていた。
二回目の体外離脱
体外離脱の二回目は南アフリカ連邦の町ケープタウンで経験した。
バンコックを夕方に発ち、シンガポール経由でケープタウンに朝の一〇時に到着した。シンガポールからは一四時間の旅だったが、ビジネスクラスで熟睡したためか、疲れはまったく感じない。
ケープタウン空港では、ホテルからの出迎えが来ている筈だったが、ホテルのプラカードを持つ人はいないし、私の名前を書いたプラカードを持つ人もいない。三回も空港出口に赴いて確認したが、やはり誰も来ていない。そこで諦めてボーダフォンのカウンターに行き、携帯電話をレンタルして、タクシーでホテルに向かうことにした。
観光案内所でホテル『シティーロッジ』の場所を確認していたらインド人の女性が「タクシーが必要なのね。私のミニバスに乗らない。シティーロッジまでなら一〇〇ランド(二〇〇〇円)にしといてあげるわ」という。
人相を見たら人がよさそうだ。「でも乗り合いバスで、最後に連れていかれるのは嫌だな。最初に降ろしてもらえるの?」と聞いた。これまでの他国における旅行経験で、下手に乗り合いタクシーを利用すると、一五分でいけるホテルに一時間もかかったりすることをは知っていた。
「えー、シティーロッジということはカントリーカンファート・ホテルのことでしょ。ホテルの住所を確認させて・・・間違いないは、最初に降ろしてあげるわよ。町に行く途中にあるホテルなのよ・・・」
というわけで、このインド人女性の乗り合いタクシーに同乗した。乗客は他に白人四名がいた。
彼女は約束通り、最初に降ろしてくれたが・・・このホテルで間違いないのだろうか・・・と思った。シティーロッジという表示がどこにもないのだ。「ここで間違いないわよ。シティーロッジというホテルはチェーンでたくさんあるの、あなたのホテルは住所から見てここに間違いないは」と、インド人女性。
・・・そんなものかな、まあ大丈夫だろう・・・と思い、大きな旅行鞄を下ろした。
そこにミニバスがもう一台到着した。ミニバスから飛び出てきたアラブ人のようなベルボーイは「やっぱりあなただったのか! 空港で一時間も待ったのに!」という。
私もこの男には気がついており、空港出口のところで三度もまじまじと顔を眺め、声をかけようかどうか迷った。だが辞めた。なぜならプラカードのホテル名が違っていたし、名前も違っていたからだ。
インド女性にお金を払い、アラブ系のベルボーイとホテルのフロントに行った。ベルボーイは「名前が違っていたよ!」とフロントの白人女性に怒鳴る。白人女性は顔を赤らめ「ソーリー」という。彼女は電話で空港に「○○○」を迎えに行ってくれと私の友人に電話で依頼されたが、来客名簿で名前を確認することを怠り、デタラメなスペリングをベルボーイに教えたのだ。
三週間の旅の始まりだというのに、出ばなをくじかれた。・・・これは俺がカラードのせいで軽く扱われたのだろうか・・・と疑心悪鬼。だが、そんなはずはない。日本人は人種差別が華やかな頃も名誉白人扱いだったし、異常な人種偏見を持っている人は、四つ星ホテルのレセプショニストなどには、なれないだろう。
考えてみると私も被害者だが、ベルボーイはもっと嫌な思いをしたことだろう。そこで、ベルボーイには「空港で声をかけなくて申し訳ない。ずいぶん迷ったけど、名前もホテル名も違っていたから・・・」と謝った。
ベルボーイも「いや分かっている。お互い運が悪かっただけさ。気にしないでくれ」という。
南アフリカ連邦の電気のコンセントは特殊な形をしていて、日本では変換用コンセントが手に入らない。そこでケープタウンで購入する事にしていたのだが、ホテルにあるものを貸して貰えないか、フロントで聞いてみた。
フロントの黒人レセプショニストは、申し訳なさそうな顔をして「ホテルにはこんなものしかないのですよ」とテーブルの下からいろいろな形のコンセントがたくさん入っている箱を見せてくれた。どれも使い物にならないようだが、一つ借りた。
そこに例のアラブ系の顔をしたベルボーイがやってきて、「コンセント? 最高のやつを見つけてあげるよ」といって奥の部屋に消え、すぐにコンセントを持って戻ってきた。これなら必ず使えることが、私にも分かった。「できたらもっとたくさん差し込み口があるといいんだけど・・・」と私が口ごもると、ベルボーイ氏は、「分かった。もっといいのがある」といってまたフロントの奥の部屋に消えた。今度持ってきてくれたのは二股だった。
部屋に行って、さっそく使ってみたが最高だ。iPodも携帯電話も充電できる。でも、これはホテルに返さなくてはならない。そこで、この日の午後はケープタウンの繁華街に出かけて、変換用コンセントを買うことにした。
第二回目の体外離脱を経験したのは、この日の夜だ。白人客しかいないホテルのレストランで食事を済ませたが、ワインも魚料理もおいしい。料金は四〇〇〇円で東京並だ。カラードの客は私一人なので、みんなにじろじろ盗み見されている。
この日は二三時ごろに寝た。時差で現地の二四時が、バンコックでは朝の七時だ。すぐに眠りに入ったが、朝方に目覚めた。身体はまだだるい。これは体外離脱のチャンスだと思い、すぐに身体を緩め、「エネルギー交換箱(煩悩収納箱)」と「リボール」を行い、フォーカス一〇とフォーカス一二のイメージを思い浮かべた。
目を閉じていると目の前はもちろん真っ暗だ。ところがその一部に光が差してくる。明るくなってくるのだ。目の前が明るくなると、異次元の世界に入れる希望が出てくる。
身体の外に出る感覚はなかったが、いきなり古い日本部屋に入ったと思った。親戚の人の話し声がする・・・「やすこがそんなことをするはずがないわ」と、誰かが言った。直感的に「やすこ」とは、既に故人となっているおふくろのことだと思った。・・・私は戦前の世界に入り込んだようだ・・・と思ったら目覚めてしまった。異様なことにマストに帆がかけられて、立っている。まるで若者に返ったような気分だ。これは朝から椿事だ。
身体は疲れるが、意識は疲れを知らないことを、これまでの経験から感じていた。だが、それ以外にも変化があるのは面白い。
何やら脳が変化してきているのではないかと思う。
三回目の体外離脱
体外離脱は四月一八日までにすでに五夜七回経験している。
三回目も南アフリカ連邦のケープタウンのホテルにおいてだった。
三月一二日の昼間は一八日間にわたる南アフリカ・サファリツアーの第一日目だ。今日は、米国のロサンゼルスにあった『ペース』という雑誌の関係者一六名がバスに乗って南東の海岸に向かう。
ケープタウンの郊外には、巨大な貧民居住区ケープ・フラッツが存在する。ここに住むのは「カラード」と呼ばれる人々だが、黒人だけではない。マレーシア、インドネシア、インドから奴隷として連れて来られた人々や、白人との混血児など四〇〇万人の住み処となっている。
オランダ東インド会社のヨーロッパ人が喜望峰に上陸したのは一六五二年だが、この辺りに人は住んでいなかった。居たのはバブーンと呼ばれる大猿と、イランドとよばれる大型のカモシカだけだった。
そこでオランダ東インド会社はインドやインドネシアなどから大量の奴隷を連れ込んで、ケープタウンに船の補給基地を建設した。ケープタウンは「香料の道」の要所だったのだ。
巨大な貧民居住区ケープ・フラッツは今でも白人たちにとっては危険な場所だ。昨年の一二月に大型観光バス二台が、この居住区を訪問したが、若者たちに襲われて、全員、身ぐるみはがれたという。
というわけで私たちは、巨大な貧民居住区ケープ・フラッツを横目で見ながらそばを通り抜けるだけだった。
一緒に旅する一六名の仲間といっても、親しく知っているのは八名だけだ。あとは初めて会うに等しい人々だった。国籍もスエーデン、フィンランド、英国、カナダ、アメリカ、アルゼンチン、日本とさまざまだ。
今朝の朝食はピーターとスージーと一緒だった。二人はカナダ人。スージーは『ペース』マガジンではモデル兼デザイナーだったが、今はペーパークラフトのデザイナーで、日本の和紙が大好きだという。ご主人のピーターは元テレビ局のディレクターで、すでに引退している。
この二人に体外離脱とモンロー研究所の話をしてみた。
「右脳と左脳を同調させるヘミシンクって不眠によさそうね。私、毎朝、三時に目が覚めて、本を読んでいるの。こんどヘミシンク聞かせてくれる?」とスージー。
「体外離脱ね・・・ちゃんと身体に戻ってこれるのかい・・・体調が変にならないの?」とピーター。
この二人は、私の体外離脱を、変な冗談ぐらいにしか受け取らなかった。その後も会うたびに、「昨夜はどっかへ体外旅行した?」と聞いてくる。私は「本物の旅が忙し過ぎて、それどころじゃないよ」と返答することが多かった。
だが、昨夜の顔合わせパーティーで初めてあったフィンランド人のミーアは、もっと興味を持ち、納得してくれた。彼女は臨死体験の持ち主だったのだ。
最初の息子の出産のとき、ミーアは死線をさまよって、美しい野原に出会ったという。・・・花が咲く緑の野原で幸せいっぱいの気持ちになり、これで安らげる・・・と、前に進もうとしたら「あなたはここに来るのはまだ早い。戻りなさい」という声がした。ミーアは・・・心から残念だったが、その言葉に従った。そして目覚めたら、病室に居たという。この経験から、ミーアは死を少しも恐くないという。素晴らしい世界に行けるのだから・・・だそうだ。
さて一二日、巨大な貧民居住区ケープ・フラッツのそばを通り抜けてから、峠を越えて植物園を訪れた。南アフリカの花の数は少ないが、独特なものが多く、世界中に輸出されている。
特に興味深いのはサバンナに咲く花々「フィンボス」だ。これらの花は自然引火しやすく、燃えることで種を残し、栄えるのだという。だから半分砂漠のようなケープタウンの海岸地帯では火事が多いのだという。
植物園の後はペンギンを見に行った。小さなペンギンは海底一〇〇メートルの深さまで潜り、一日に二〇キロ~三〇キロも泳いで、魚を捕る。巣は陸上にあり、そこで卵を産む。
朝の九時から夕方五時までの観光を終えると、ホテルのレストランで大テーブルを囲んでの宴会だ。結局、この一六名による大宴会は一六日間、毎日継続された。私にとっても一六日間連続のパーティーは、初めての経験だ。
この宴会の時、右足がつりそうになった。変だ。この程度の一日の旅で足が疲れるだろうか? 毎週二回もテニスをやっているのに・・・と違和感を持った。そこで早目にベッドに入ることにした。夜の一一時だ。
ワインをたくさん飲んでいたので、すぐに眠りに入ったが、朝の四時に目覚めた。酔いは醒め、気分がいい。そこで身体を緩め、フォーカス一〇から一二に入ってみた。閉じた目のまぶたの裏に、白い光が現れる。
次に見知らぬ子供の声がする。「そら、外に出よう・・・」
その瞬間、身体から立ち上がり抜けでる私を意識した。
部屋が小さく感じられた。ケープタウンのホテルの部屋は巨大なのだ。すぐに壁を突き抜けて外にでる。南アフリカのホテルにいるのだから、当然、場所はケープタウンだと思っていたら、風景がまったく違う。
なにやら中世のヨーロッパの雰囲気だ。壁を通り抜けてから後ろを振り返ったところ、出て来た建物もゴチック風で、巨大だ。一〇階ぐらいの高さから外に出たようだ。でもケープタウンのホテルは二階建てだったから、まったく別の場所だ。私は空を飛んでおり気分は最高だ。まさにピーターパンになった気がする。
薄暗い街路に降りて周りを見ると自動車がある。中世かと思ったら現代のようだ。これは最高の経験だ・・・と思い、朝もやの街路を散策した。というよりも超スピードで動き回った。歩道を歩く人とぶつかっても、相手は気づかない。薄闇の中だったが歩く人々は西欧人だった。東洋ではない。私のような幽体仲間がいないかと思って、周りを見渡すが居なかった。
走り回っているうちに公園に来て、足が止まって動けなくなったので目を開けた。そこはもちろんケープタウンのホテルの一室だった。
四回目の体外離脱
四夜目の体外離脱は三月三〇日だった。南アフリカのヨハネスブルグからバンコックに戻ってからのことだ。
南アフリカのツアーは、ハードスケジュールだった。毎朝八時に朝食、九時に出発、午後二時にランチ。夕食は夜の八時頃だ。食事が終わるのは一一時ごろで、後は寝るしかない。そこで体外離脱の時間はとれなかった。
旅行のほとんどは四台の乗用車をレンタカーして分乗した。毎日五~六時間も一緒に車内にいると、いろいろなことを話すことになる。そして車内で話したことは、数日のうちに全員が知ることになる。
私はいつの間にか「ヒーラー」(心身を癒す人)だということになってしまった。もちろんそれには理由がある。私がつまらぬことをぺらぺらと喋ったせいだ。
塩谷信男氏の正心調息法を初めてから、また西野流呼吸法を初めてから、いろいろと奇妙な体験をしてきている。たいした「気」も出ていない筈なのに、息子の肺炎を一五分で治したり、エジプト旅行したときは同行したフォトグラファーの胃けいれんを三分で治してしまった。同じエジプト旅行ではアメリカの有名な女性ニュースキャスターのこじれた風邪も、一五分ぐらいで治癒させた。彼女の場合は、もともと体質的に「気」が効きやすいのだと思う。「気」を当てていたら「体中にエネルギーが行き渡り、治癒されているのが分かる」というのだ。
こういう話はあまりしたくない。なぜなら自分でも治癒する理由が分からないからだ。私からは、たいした「気」が出ているわけがない。一〇年間、呼吸法を実行しているが、健康になった以外、たいして変化を感じていない。もちろん内臓を緩めると、手のひらと足の先がじんじん、チリチリしてくる。これは自律神経が働いている証拠だろう。つまり生存能力、治癒力が高まっているのだとは思う。だが、このようなレベルは西野皓三師や塩谷信男氏などとは月とスッポンの差なのだ。
というわけで、あまり人に話したこともないのだが、この旅行には病人がいた。英国人のロビンの奥方スーザンだ。この二人には若い頃、アメリカでたいへんに世話になっている。スーザンは原因不明の病気にかかっており、突然、声が出なくなったり、歩けなくなったりする。車の中での会話で「だったら日本に来て、呼吸法でも学んだら・・・」と、余計なことを言ってしまい。そこで息子やエジプト旅行の話もすることになったのだ。
車の中で余計なことを喋ってしまった翌日の、昼頃だった。道路が工事中で車が停止した。一〇分や一五分は停止させられる雰囲気だった。みんな車の外に出て身体を動かしている。そのときスーザンが後ろの車から来て「シュン、お願いがあるんだけど・・・」という。私はポケットから携帯電話を取り出した。この旅行中、携帯電話を持っている人が少なく、私はみんなに無料で貸していた。
「携帯電話じゃないの。ミーアが頭痛で耐えられないというの。シュン、何とかして」
私は後ろに停車している車の後部座席に座るミーアの所に行った。「首が動かなくて、耳が痛く、頭痛がするの・・・」とミーア。ミーアのご主人ヘンキーも隣に座っている。
これは肩凝りにちがいない・・・と思った。肩を触ってみたら、まな板みたいにカチカチだった。そこでまず私の内臓を緩めて、手がチリチリするのを確認してから、彼女の肩をもみ始めた。・・硬い!・・・そこでひじを使って肩をもみほぐした。五分もしたら、赤信号が緑に変わった。「ジャーまた後でやりましょう」と、私は車に戻った。
その日の夕方、ご主人のヘンキーが来て「シュン、ありがとう即席の効果が出て、頭痛は消えたとミーアが喜んでいるよ」
だが、彼女の肩の硬さは異常だったので、夕食の宴会に出かける前に一五分ほど、再び、彼女の肩をもみほぐした。その結果、ずいぶん柔らかくなった。
その三日後、クルーガー国立公園のサファリキャンプ地でも、今度は三〇分、徹底的に肩をもみほぐした。このとき既に彼女の肩は、通常の人並みにほぐれていた。翌朝、ミーアは言った。「肩凝りは三〇年前からの問題なの。でも昨日は久しぶりにぐっすり眠れたわ・・・」。
サファリキャンプでは朝と夕方の六時から九時に象やライオンを探しに、ランドクルーザーに乗って国立公園の中を走り回る。昼間は昼寝の時間だ。
昼食をとっていたら、スーザンがやってきた。「シュン、助けてくれない?」。顔面蒼白だ。
すぐにソファのある場所に移動して、スーザンを助ける羽目に陥った。ロビンも一緒だ。心配そうな顔をしている。
スーザンの肩には異常がなかった。これでは「気」を当てる他ないな・・・と考えた。内臓を緩め、手がチリチリするのを確認してから、頭の上と顔面から「気」を入れてみた。ロビンにはスーザンの背中の腎臓がある場所に手を当てて貰った。
この日は、朝の探検サファリが終わってから、モンロー研究所のヘミシンクを聞いて、昼寝をして、体調は万全だった。それにヘミシンクを聞いて、左脳と右脳が同調すると、「気」のパワーが増大することも感じていた。つまり私としては最適な時間帯だったわけだ。
一〇分ほど「気」を入れたところ、スーザンの顔が赤味を帯びてきた。「頭の上から、癒しの紫色のエネルギーが、徐々に浸透していき、肩に達し、胸に達し、お腹から腰に浸透し、足の裏まで達するイメージを浮かべて・・・」などと、西野流呼吸法とモンロー研究所の方法を混ぜた方法を採用した。
三〇分もしたら、スーザンは「気分がよくなった」という。はっきりと分かるのは、顔面蒼白だった顔に赤味が増えたことだけだ。だが、それから旅行が終わるまで〔五日間〕、声も出たし、歩くことも問題無く、スーザンはすべてのプログラムに参加できた。それまでは半分ぐらいしかプログラムに参加していなかったのだ。「気」にはやはりそれなりの効果があるようだ。
ヘミシンクを聞いて右脳と左脳が同調すると、確実に「気」のパワーが増大すると思う。「気」のパワーが超人的な西野皓三師の場合は、右脳と左脳を橋渡しする帯がよほど太いのではないだろうか? 「気」には女性のほうが敏感だが、それは女性のほうが、右脳と左脳を結ぶ帯が太いせいではないだろうか?
南アフリカからの帰りはヨハネスブルクからだった。シンガポールまでの飛行時間は一〇時間と短い。バンコックには朝の一〇時に着いた。
体外離脱を経験したのは、その翌日だった。この日は朝から銀行に出かけ、午後からはショッピングをして、タイの伝統マッサージを受けた。夕方からはタイ人の友人と食事をしてから高級ナイトクラブに足を運んだ。日本人向け繁華街タニヤにあるこのクラブは、レベルの高い女性が多いことで有名だ。もちろん売春とは無縁だ。
このクラブには顔見知りが数名いる。だが、最近はA嬢を指名することが多い。中学しか出ていないA嬢はここに勤めて六年になり、今年二七歳になるというから、かなりのベテランホステスだ。生存競争も激しいのに、中学卒でよくここまで生き延びてきたものだと思う。このクラブには大学卒もいるし、フランスに留学していたような女性も働いている。まあこういうエリートの場合は、ちょっと小遣い稼ぎをしているだけだろうが・・・。
ホステスと客というのは常に平行線で、歩み寄ることのない存在だ。
ホステスは基本的に下心のあるわれわれ客のことを信用していない。マナーの悪い客も多いらしい。とくに酔っ払いは最悪だという話はよく聞く。
客は客で、ホステスの言うことをほとんど信用しない。なぜなら彼女らはプロのホステスであり、客を「気に入っている」と思わせて、喜ばせる、あるいは楽しんでもらうのが仕事だからだ。だから気に入らない客でも、ニコニコと接待する。もっともエッチな客に腹をたてて、ぶん殴って骨折したというホステスもいたから、タイの女性は感情に正直なほうかもしれない。
ホステスと客というのは常に平行線で、歩み寄ることのない存在だということが分かっていてなぜクラブに行くのか? まあ、酒の勢いだろう。あるいは幻想の世界であっても、「もてる」という気分を味わいたいためだろうか? もちろん接待したり、されたりが、クラブに行く理由のほとんどだ。
この日は二二時にはホテルに帰った。本を読んで早く寝ようとしたが、寝つかれない。このところ身体がお酒を好まなくなっていることを感じていて、寝酒も避けた。ヘミシンクを聞きながら寝たのは、結局、午前一時半を過ぎていた。目覚めたのは朝の七時だ。
寝床に横たわりながら、身体をリラックスさせたら、フォーカス一〇に入ってしまった。それではフォーカス一二まで行こうとして、身体の周りを「気」で包んだら。眠ってしまった。
どのくらい時間が経っただろう・・・。閉じていた目の前が真っ白になった。昼間のように明るい。目の前が白い光で包まれている。カーテンを閉めていたし、外は明るくても、部屋の中は薄暗い筈だ。なんでこんなに明るいのだろうと思って、目を開けてみた。やはり薄闇だった。そこで再び目を閉じたら、また目の前が真昼の明るさになった。これは体外離脱する前兆なのだろう。
身体から影のようなものが出て行く感じがして、私は壁を越えて外に出た。一瞬、ヒヤリとする。そのまま地上まで落ちないかと不安になったのだ。このときもいろいろな経験した。実は目覚めてすぐに経験を書き留めようとしたのだが、身体がだるくて、そのまま寝てしまった。後で思い出せるだろう・・・と思ったのが間違いだった。内容を覚えていないのだ。
だが収穫は、体外離脱をかなり簡単に誘発できるようになったことだろう。このときの体験はすっかり忘れてしまったが、いつまでも気になることがあった。それは、なぜ目を閉じているのに鮮明な映像が見えるかだ。
この体験の最中に、なんで目を閉じているのに鮮明な映像が見えるのかが不思議になり、一度、目を開けてしまった。だが、薄闇の部屋の現実に戻りそうになったので、あわてて目を閉じて元の状態に戻った。
ただの夢でも目を閉じているのに映像を見ることができる。だが夢の映像は、映画のように見せられている感じがする。頭の中に蓄積されていた映像が想像力で姿を変えて、目に浮かぶのではないだろうか。一方、体外離脱では、自分の意思によって、眼でなにかを見ている感じがする。だが、実際には目をつぶっているので、奇妙だと感じるのだ。
次に体外離脱を経験したのは、日本に帰って一週間ほど経ってからだった。
五回目の体外離脱
五回目の体外離脱が起こったのは四月一一日の朝二時のことだった。
日本に帰国してからすでに九日経っていた。
一カ月も日本を留守にしていると、やはり現役復帰まで数日かかる。たまっている新聞や雑誌に目を通すだけでも大仕事だ。
旅に出る前の二月と比べて大きな変化といえば、食生活が大きく変わったことだろう。帰国してからの一二日間、酵素玄米と漬物とおみそ汁しか食べなかった。酵素玄米は極めて美味で、肉や魚は食べたいとも思わなくなる。食事は一日二回だ。お腹が空いたら、間食も酵素玄米だ。
私が利用している酵素玄米は、「長岡式酵素玄米」だが、インターネットを検索すればすぐにその全容が分かる。ゲートウエイ・アウトリーチの研修体験記でも書いたように、酵素玄米のことを教えてくれたのはバーバラさんだ。
「長岡式酵素玄米」は美味なので、誰にでも推奨したくなるが、炊飯するのに二時間かかり、またその方法も独特なので、講習会に少なくとも二回は行く必要がでてくる。(二〇一二年現在は、酵素玄米用の特別な圧力釜自動炊飯器を購入しているので楽だ。)
連れ合いは三月中に二度、講習会に参加して、酵素玄米を導入する決心をした。初期投資には圧力釜などを含めて七万円ほどかかる。大金がかかるのにしては珍しく決断が速いな・・・と感心したが、それには理由があった。
理由の一つは、毎日同じものを食べるから、夕食のメニューの心配から解放されることだ。これは主婦業の解放になる。彼女に楽をさせているとも知らずに私は、交代で炊飯を担当すると志願した。まあ、酵素玄米の導入は私の提案だし、なにしろおいしいから食べたいし、自分で炊飯できることも大切だと思うから、まあいいけれど・・・。
第二に毎月の食費が激減する。肉も卵も魚も買わなければ、ずいぶん家計に影響があるようだ。
酵素玄米は四日目頃が食べごろで、長く置いていても腐ることもない。なぜなら酵素が生きているからだ。漬物もこうじ漬けで作っている。おみそ汁も玄米こうじを使っている。
私は厳格な菜食主義者ではないけれど、知性の高いほ乳類を食べるのは好まない。つまりビーフや豚肉やクジラなどは、動物の悲しげな顔が浮かんできて、かわいそうで食べたくない。魚と鶏は食べてもいいと思うが、スキューバダイビングを始めてから、一時、魚も食べることができなくなった。海の中では魚も友達だから。
野菜だって生き物だし、酵素玄米こそ生きた酵素を食べている。人間、しょせん、生存のためには、殺生をしなくてはならないのだ。だったら、なるべく可愛いつぶらな瞳を持つ知的な牛や豚や魚ではなく、玄米と酵素と植物にしたいと思う。そういう観点からも、酵素玄米は最高だ。私の場合、罪悪感が少なくてすむ。
というわけで、酵素玄米を食べ始めたら、お腹の脂肪はへこむし、いつも満腹しているのに体重が二キロ減り、いいことばかりだ。身体が軽くなり、テニスでの動きも敏捷になった。
さらに、酵素玄米と漬物の食事をしているとスピリチャリティー(精神性)が高まるという人もいる。それは定かではないが、帰国してからの変化の一つは、お酒が飲めなくなったことだ。ビールなどのお酒を飲むと頭が痛くなるという予感がする。寝酒を飲めないと眠れないという不安があり、なかなか寝つかれない。だが、四月一一日はお酒を飲まなかった。今夜、何かが起こるという予感がしたからだ。そして予想通り体外離脱を経験した。
午前二時のことだった。なかなか眠れないので、寝ながら呼吸法を行って身体を緩めたら、汽笛の音、電車が走る音、車の走る音が耳元でうるさく聞こえてきた。寝室で寝ており、わが家は閑静な住宅街にあり、通常は静かなものだ。これは変だな・・・と思い、例の「不安収納箱」と「リボール」を数回繰り返した。だが簡単には離脱できなかった。数回、身体の向きを変えた。すると閉じている目の前が明るくなる。白光が射してきたのだ。
あっという間に私は宙に浮いて、下にある身体を眺めていた。だが、薄暗くて下に寝ているのが私であるという確信は持てない。部屋はわが家の寝室のようだ。だが、建て直す前の昔の部屋だったかもしれない。
薄暗くてよく分からないのだ。今度は真っ昼間に体外離脱したいな・・・と宙に浮きながら思った。次に床を突き抜けて下の部屋に行った。やはり薄暗いが間違いなくわが家だ。
ガラス戸を抜けて外に出て、浮上してみた。やはりわが家の庭だ。薄暗いが、木々のシルエットに見覚えがある。何かが違うが、間違いなくわが家の庭だ。
前回、記録をとれなかったので、記録を取ろうと思った。そこで、時間は短いと思ったが、目を開けることにした。ベッドから飛び降りて、大学ノートに記録を取った。またベッドに戻って再び体外離脱を試みたが何も起こらない。
この日は朝一〇時ごろに起きてから、インターネットでモンロー研究所のホームページを調べ、本気でアメリカの本部に行くことの検討を始めた。これはやはり本部で研修を受けたほうが良いと思ったのだ。
なぜなら、現在、『インナージャーニー』『リメンバランス』『ハイヤー』というヘミシンク(ヘミソフィア・シンクロナイゼーション=半球同調)の曲を購入して聞いているが、これらの曲がどのような効果をもたらすかも分からないからだ。
『インナージャーニー』はゲートウエイ・アウトリーチの研修で貰ったので、フォーカス一〇と一二に導入する曲なのだと思う。だが『リメンバランス』『ハイヤー』は何だろう? どうも過去にアクセスする曲のような気がする。だから体外離脱をすると、ときどき過去に戻ってしまうのだろうか?
これはやはりモンロー研究所の本部の研修で、正式に学んだほうが良い・・・と思うのだ。アメリカの本部での研修が気に入ったら、今年中に二~三回渡米したいものだ。
さて、四月一五日からの一週間で、私の生活は完全に昔に戻った。一五日(土曜日)にはタイの留学生たちがわが家に来て本格的な「タイ料理」を作ってくれた。二五名も集まるタイ・パーティーを行った。
可愛い留学生たちが五時間もかけて作ってくれた料理はおいしかった。酵素玄米もよいけれど、精魂を込めて作られた料理にも価値があることを改めて実感した。この日から、四月二一日までは、テレビ関係者の壮行会、オーストラリからの来客、石原江里子さんのジャズコンサート、テラウエアの栗村社長とアジア・クロスカントリー・ラリー主催者との夜食、黄トンボ&グループ・ニライカナイの情報交換会などで、毎晩、飲んだくれ、飽食していた。
そのせいか、お酒を飲んでも頭が痛くなくなった。二二日からは酵素玄米の質素な食生活に復帰しているが、二六日現在、体外離脱の予感はない。
あるいはアメリカのモンロー研究所本部に行くことを決め、参加申込書をファックスしたので、本部に行くまでは何も起こらないのかもしれない。
さて、五月一一日現在になっても体外離脱は休憩中だ。
モンロー研究所にゲートウエイ・ヴォエージというプログラムに参加を申し込んだら、さっそくCDを送ってきたので、二回ほど聞いたが、何も起こらない。したがって『ピーターパンの世界』の続きは六月終わりのモンロー研究所本部での研修が終わってからになるかもしれない。
久しぶりの体外離脱
ひさしく体外離脱からおさらばしていたが、久しぶりに経験した。五月三一日のことだ。
モンロー研究所のプログラム(Gateway Voyage)に参加を申し込んだのだが、この申込書を見ると、お酒と麻薬・マリワナが同列の扱いになっている。どうもモンロー研究所はお酒に偏見があるようだ。そこで、実は毎日のようにお酒を飲んでいるのだが、申込書には「週末だけお酒を飲む」と書いておいた。
モンロー研究所に行ったら、たぶん断酒をすることになるだろう。なぜならインストラクターのケヴィン・ターナーさんによると「お酒は体外離脱の敵」だと創始者のモンローさんが言ったそうだからだ。
体外離脱というのは、日々の雑事に追いまくられていると、経験できない気がする。そんなわけで、最後の体外離脱から一カ月半も経過してしまったのだろう。
この期間に旧石器偽造で有名な「神の手」藤村新一さんと会うために、いろいろ工作をした、だが結局、電話で話すだけで終わってしまった。さらに月刊『文芸春秋』向けに『神の手に罪は無かった』という原稿を書いたが、これが掲載されるかどうかは不明だ。
日本では国粋主義的傾向が強まっている。『サピオ』を見ても『文芸春秋』を読んでも、取り上げられている記事は、「愛国心」だの「日本の美」など、国粋的なものが多い。私自身も気づかないうちに、国粋的な色に染められているのだろうと思う。しょせん、人間は環境の動物なので・・・。
平和な日本では、コスモポリタンはつねにマイノリティーのようだ。このように国粋的な環境では『神の手に罪は無かった』が雑誌に掲載される可能性は少ないかもしれない。なぜなら日本の考古学界をぼろくそに批判しているからだ。現代の日本の大衆は、日本の国に対する美辞麗句をこのみ、醜い面を暴露することを好まないようだ。
高松塚古墳の壁画に関しても、上智大学の学長が率いる調査団の検証は、きわめて皮相的だ。二〇年以上前に重大な隠蔽が行われていることを、取り上げようとしていない。つまり問題の核心に迫ろうとはしていないのだ。
『昭和二〇年』という本の第六巻を読んでいるが、日本という国の危うさは、臭いものには蓋をして、すべてを人任せにして、真相を見つめない体質にあると思う。
なんて・・・、なかなか記事が掲載されない不満をぶつけてしまったが、『文芸春秋』に記事を送ってからは、すこし時間的に余裕ができた。書き下ろしの『神の手と共犯者たち』を本にするため、書き直しや、売り込みをしなければならないのだが、まあ、それはモンロー研究所から帰った後の七月になりそうだ。
五月三〇日の数日前から、モンロー研究所から送られてきたCDを聞き始めた。フォーカス一〇(身体が眠り、意識は鮮明)に導くというCDだ。これを数回聞いたが、すぐにいい気分で眠りに落ちてしまう。
そこで五月三〇日の昼間、ソファに横になり、眠気が覚めるまで二回聞いた。やはり一回目は寝てしまい。二回目にようやく、CDの全貌が分かった。
なかなか興味深いCDだ。西野流呼吸法と、良く似ている方法で身体を緩めるのだ。
モンロー研究所の方法では、まず、顎・まぶた・唇・頬・額・頭皮・脳みそと緩めていき、その緩みを身体の全身・細部に浸透させてゆく。
西野流呼吸法では『気』を天頂から送り込み、それを全身に拡げていく。あるいは丹田を緩めて、その緩みを全身に拡げていく。どちらにしろ、身体が緩んでいることが、呼吸法と瞑想・体外離脱の鍵のようだ。
このときは、フォーカス一〇に入って、フォーカス一二を意識して、意識の領域を拡大してみたが何も起こらなかった。
五月三〇日は、そろそろまじめに体外離脱に取り組もうと思っていた。そこで酒を呑むのをやめようとしたが、誘惑に勝てず、また呑んでしまった。
三一日は明け方に目が覚めた。これはチャンスだと、枕元においてあるiPodにスイッチを入れて、ヘッドフォンを使い、『インナージャーニー』というモンロー研究所製作のヘミシンクの曲を聞き始めた。
これで体外離脱も起こりやすくなる筈だと思い、ヘッドフォンをはずして横たわったら、すぐにうとうとしはじめた。
皆さんも、トイレに行く夢を見たことがあると思う。トイレで気持ちよく用を足していたと思ったら、目が覚め、寝床で下半身がびしょぬれになった・・・などという経験も充分にお持ちだろう。
さて三一日の朝に、やはりトイレに立っている鮮明な夢を見た。といっても子供時代とは違い、さすがにおねしょはしない。そのためか同じ鮮明な夢を三回も見た。三回目の時、<あれ、これはおかしいぞ>と、意識した。<同じ夢を三回も観ている・・・>。その途端、私の意識がトイレから寝ている部屋に戻っていく感触を得た。トイレの壁を通り抜け、寝室に向かい、ベッドの上で横向きになっている私自身の頭に、意識が入っていく。部屋の映像は鮮明だ。朝方なのに昼間のように部屋の細部が鮮明に見える。部屋の風景は斜めに見えた。私がベッドで横たわっていたせいだろう。私は、その映像がわが家の寝室であることを確認して、目を開けた。部屋の中は暗かった。だが見える風景はまったく一緒だ。時計を見たら、朝の五時四〇分だった。
寝ているときは近眼の眼鏡を外していたが、部屋の映像が異常に鮮明に見えたのは面白い。
夢と体外離脱の関係は、いったいどうなっているのだ?
坂本政道さん
この答えの一部を 六月八日にお会いした『死後体験』シリーズで有名な、作家の坂本政道さんから頂いた。坂本さんの見解では「体外離脱をすると、多くの場合、夢の世界に浮游していってしまうのではないか」ということだった。
坂本さんの体外離脱の経験も、私の経験と良く似ているという印象を受けた。体外離脱して見る映像がいまいち、正体不明であり、また、自らの行動をコントロールできないのだ。
坂本さんによると「モンロー研究所のヘミシンクを聞くと、同じ意識状態を長時間にわたって保つことができるのです。でも個人的な体外離脱ですと、夢の世界に入り込みやすいのではないでしょうか」という。
そうなのかもしれない。夢にもいろいろあり、体外離脱して見ている夢もあるに違いない。トイレに行く夢などはその典型だろう。フロイトが言うように、単なる願望が夢となって現れる場合もあるだろう。また、体外離脱と夢が混同することもあるのだと思う。
さて坂本さんからは、いろいろと興味深いお話を聞いた。
坂本さんもモンローさんも、もともとはアンドロメダ星雲の近くから地球にやってきた意識だという。
古代エジプト人は「ドゥアト」と呼ばれる天界の領域から、地球に来たと信じていた。「ドゥアト」はオリオン座と獅子座とシリウスに支配されている地域だから、アンドロメダ星雲からはかけ離れている。
宇宙の意識という意味では、古代エジプト人も坂本さんたちもつながっているのだろうが、別の宇宙人の子孫ということか?
宇宙の意識が地球に舞い降りて肉体に宿るのは、冒険がしたいからだという。肉体を持たない意識にとって、肉体の中に住める地球は魅力なところらしい。
坂本さんの見解では、人間が輪廻転生を繰り返すのは、「地上で欲望を満たしたいから」だという。この見方には驚かされたが、卓見かもしれない。
これまでは、地上は苦しみの場であり、魂が輪廻転生を繰り返すのは、地上で修業をするためだと考えられてきた。地上で禁欲的・道徳的な生活を送れれば、意識の世界、魂の世界に永久的に戻れ、二度と再び、肉体の中に生まれ、貧困と苦痛、戦争と飢餓の地上の苦しみを経験しなくてすむというわけだ。
それが釈迦などの悟りだった。だが坂本さんの見解では、魂というか意識は、肉体的な欲望を満たしたくて、自ら喜び勇んで地上に舞い戻ってくるのだという。
たいへんに面白い解釈だが、真相はどこにあるのだろう。肉体という枠に戻って、地上で享楽できるかといえば、確率はそれほど高くはないだろう。確かに生きているだけでも楽しいが、人生は苦労のほうが多いのではないだろうか? 特に貧困・飢餓・病気・戦争など、肉体が支配する世界は、嫌なことも多い。
まあ、この辺りは六月二四日からのモンロー研究所のプログラムに参加するので、何か答えが得られるかもしれない。
坂本さんは、エジプトの大ピラミッドの研究をする必要を感じているという。モンロー研究所のプログラムで過去や未来に旅をすると、「ピラミッドには多くのなぞが解き明かされているから研究しなさい」と、宇宙の叡知に言われるのだという。
エジプトの大ピラミッドは、人類のランドマークであり、確かに多くの秘密が隠されているようだ。体外離脱が自由にできたら、わが家の床下の土台が地震で崩れないかどうかを調べるのではなく(連れ合いの仲間の魔女が、体外離脱して床下の調査をするべきだ、と推薦してくれている)、大ピラミッドの未知の内部に入って、謎を探りたいと思う。
さて、フォーカス一二の領域に入ると、直感力が増すという。そこで成田空港で試してみた。出国審査で、どの列に並べば、一番早く中に入れるかだ。フォーカス一二に入った私の直感はB列だったが、同行していた先輩によるとC列が早そうだという。そこでC列に並んだら、B列よりも一〇分は後れを取った。
いまのところ、直感が当たる確率は一〇〇%だ。もっともまだ二回しか、直感力を試してはいないけれど・・・。
初めてのモンロー研究所
ゲートウエイ・ヴォエッジ「Gateway Voyage」
アメリカ合衆国のヴァージニア州にあるモンロー研究所のプロジェクトに参加するために家を出たのは、六月中旬だった。
わが家にはピピという猫がいるが、出かける直前に部屋まで挨拶に行ったら、そっぽを向いている。どこか遠くに出かけて当分帰ってこないことを知っている顔つきだ。
猫の気持ちが手のひらを読むようにわかるのは、体外離脱を経験して、意識の世界が拡大され、猫とも意識がつながっているためか? それとも単なる私の思い込みか? 最近はピピの目つきやそぶりで気持ちがわかる気がするのだが・・・。
モンロー研究所に飛び込んでいくのは、無鉄砲な私でも、少々、落ち着かない。今ではモンロー研究所の日本における顔となっている坂本政道さんも、初めていくときは、変な場所ではないかと躊躇したそうだが、私も同じ。
韓国経由でワシントンDCにはいり、ホリデーイン・ホテルで二日間を過ごした。この時感じたことは大地舜・今週の疑問『アメリカの底力と日本のチャンス』に書いたので、時間があれば読んで欲しい。その後もアメリカという国と人々に関していろいろ感じたが、それはこれから書く『ピーターパンの世界』の中に入れてしまおうと思う。
ワシントン・ダラス空港を午後の一時半に出発する便だったが、三時間前には空港に入ったのが正解だった。空港は人でいっぱいだった。アメリカ人というのは移動が好きな人々だ。セキュリティーチェックが厳しくて、靴からベルトまで、身ぐるみはがされるのに、よくこれだけの数の人々が旅をするものだと感心する。国内線では一五分おきに一つの搭乗口から、次々に飛行機が飛んでいく。それも中型機が多い。
アメリカ人は太っていて、効率が悪いが、空港の効率は優れている。つまり頭の良い人々がいるということだ。
シャーロッツビルへは三〇分の空の旅だ。飛行機はスエーデン製の三〇人乗りのサーブ(SAAB)。
飛行機の上から見るヴァージニア州は緑がいっぱいで、あまり住居が見えない。畑は見えなく、牧場が多い。人がほとんど住んでいないように見える地域がつづくが、首都ワシントンからはそれほど遠くない。やはりアメリカは広大だ。ここの産業は何だろう・・・やがて建て売り風の住宅街がいくつか見えてきた。プール付きの一戸建て住宅が並んでいる。
前の座席にはブロンド髪の三〇歳ぐらいの見目麗しい女性が座る。<モンロー研究所のプログラム参加者だろうか?> 隣には五〇歳ぐらいの太った、気のよさそうな男性が座る。<この人もモンロー研へ行くのだろうか・・・?> 後ろの席のインド人の男はどうだろう。
ブロンド髪の女性は、知的で端麗な顔をしており、こういう人と一緒に一週間を過ごすのも悪くないな・・・、と思ったが、当てが外れた。
シャーロッツビル空港に着いたら、彼女はさっさと空港から出ていってしまった。太った男のほうも、会議参加の受付に向かい、モンロー研究所とは関係がなかった。
さて、どうしよう・・・どこにもモンロー研究所を示すものはない。受付もない。仕方ないので、椅子に座って、何かが起こるのを待った。迎えが来ている筈なのだ。ヒヨロ長い背の高い男が、隣に座った。モンロー研究所のマークがあるポロシャツを着ている。これが迎えの運転手なのだろう。しばらく様子を見たが、私のことを気にもしないので、ちょっぴり気になり声をかけた。やはり迎えの運転手だった。「もう一人、待ているんですよ。あそこの二人も一緒に車に乗ります」
見たらでっぷりと太ったおばさんと、スリムな女性がいた。もう一人というのは黒人の六〇歳すぎのおばさんだった。<人生とはこんなものだよな・・・>と悟り、大型ジープに乗った。
太ったおばさんは、ケーティといい、高校の先生をしており作家でもあり、本を三冊出しているそうだ。本はいずれも「天使」が関係しているらしい。スリムなカーレンは、軍関連で遠隔透視の訓練を受けており、そこの推薦でモンロー研のプログラムに参加することになったという。黒人女性はシカゴで人材派遣の会社を経営していたが、今は隠退して、人生これから何をしよう・・・と悩み、このプログラムに参加したという。臨死体験の経験があるそうだ。
車に乗ってから雑談をしながら四〇分が過ぎ、車は写真で見たことのあるモンロー研究所に到着した。
中に入ると部屋割りを告げられ、五時から館内のツアーをするからそれまで自由時間だという。「ところでシュン、日本の若い女の子が参加しているわよ」と参加者の女性のひとりが教えてくれた。
周りをきょろきょろ見渡すが、それらしき人はいない。五時の館内ツワーが終わっても姿が見えない。いったいどんな子だろうと興味津々だったが、ようやく現れた。
スタイルも日本人離れしており、雰囲気もしっかりしており、さすがに一人で異国の社会に乗り込んでくるだけのことはあると感心した。若い日本女性は、私には興味を示してこないので、おそるおそる声をかけた。明るい声が返ってきて安心した。フレンドリーで、おまけに可愛い子なのでもうかった気分だ。
ファシリエーター(インストラクター)はジョンとポニーだ。全員がこの二人のインタビューを受けるということだったが、私をインタビューしたのはジョンだった。
ジョンの質問は「何を期待して、このプログラムに参加したのか?」だった。髪の毛の薄い宇宙人の雰囲気を持つ、ジョンのインタビューは薄気味悪かった。「最近八回も体外離脱したのですが、まったくコントロールできないので、このプログラムで、少しは体外離脱をコントロールできるようになりたいのですが・・・」と答えたが、これは見当違いも甚だしい期待であることが、あとで判明した。でもジョンは「ウン、ウン」と聴くだけで、何も言わない。なにやら心ここにあらずのようでもあるし、あるいは直感で、私の本心を探ろうとしているのか、何しろ薄気味悪い。
この日の夜は、講堂のようなところに集まった。最初に行われたのは、腕時計、目覚まし時計の回収だ。このプログラムに参加している間は、外界との接触をなるべく断ち、自然時間で生活し、断酒をせよということらしい。
その後は他己紹介をした。私の相手はラリー・バークというアメリカ人の医者だった。彼のことをいろいろ聴き出して、みんなに紹介するのだ。
明日は、音楽とともに起きて、一日が始まるという。寝るときは睡眠用のヘミシンクを聞きながら眠るのだが、寝酒なしの一週間が始まると思うと不安だった。なにしろ三六五日、飲んだくれて、意識不明で寝ることがほとんどだからだ。
二日日・何も起こらない
朝はピンポンパンパンという陽気な音楽で目覚めた。たぶん六時ごろではないだろうか。酒が入っていないにしては、よく眠れた。陽気な曲はボブ・モンローさんの作曲だという。
ベッドがそのまま個室になっており、そこから外に出ると、もう一つの個室ベッドから、ルームメイトのローニーが顔を出した。「この曲を聴いたら、寝てるのは不可能だね」とローニー。スエーデンのストックホルムで心理医療士をしているローニーは、上品な六六歳になるお医者様だ。三〇年前からモンロー研究所のことを知っていたが、ヘミシンク(ヘミソフィア・シンクロナイゼーション:半球同調)の曲を聞き始めてから、最近一〇年、体外離脱を経験し始めたので、ここのプログラムに参加することにしたという。
この陽気な音楽は一時間も流されていた。朝食までの時間、地下のジムでヨガの教室があった。鐘の音がする筈なのだが、聞こえなかったが、地下室に行ってみたら、すでに一〇数名が集まっており、ヨガのインストラクターがおしゃべりをしている。
さっそく私もマットと、座布団とベルトを抱えて、部屋の隅に座った。ヨガを習うのは、初めての経験だ。だが、ヨガの行法はいろいろなスポーツに応用されているし、私もヨガの基本的な呼吸法は、時々、家で行っている。
一日三食は素敵なダイニングルームで摂る。
食事の後、午前中に二回のセッションがあった。一回目も二回目も日本のプログラムで経験したものと同じだった。
つまり身体は眠っているが意識は目覚めているフォーカス一〇の状態に入る練習だった。
ランチの後は、夕方まで自由時間。天気が良かったのでローニーとアイコ(日本の女の子)と散歩に出た。近くの池に行こうとしたのだが、道に迷って牧場近辺の散歩に終わった。ヴァージニアの六月は蒸し暑く、日差しが強く、スエーデンからきたローニーには厳しい散歩だったようだ。
アイコも体外離脱を二回経験しているという。一回目は身体の一部しか離脱できなくて、疲れ果てたという。二回目は地球の内部に吸い込まれ、そこでは三〇人ぐらいの人々に取り囲まれ、恐かったという。体外離脱の経験にもいろいろ個人差があるようだ。
セッションを再開したのは、午後の四時頃に違いない。この日三回目のセッションは、東京では経験しなかったタイプのものだ。
フォーカス一〇の状態で、「エネルギーバー」を作り、それを自由に操ることを学ぶ。「エネルギーバー」というのは映画「スターウオーズ」にでてくる光を放つ刀のような武器のことだ。
これは間接的な伝聞だが、ボブ・モンローは、霊の世界で悪霊に出会ったことがあると言う。その時に、この「エネルギーバー」で身を守ったのだそうだ。
さらに自分の身体を地図化(Living Body Map)して、そこに癒しの紫のエネルギーを行き渡せることを学んだ。
私は、鮮やかな「エネルギーバー」が自然に目の前に現れることを期待したが、なにも出てこない。このセッションでは、「エネルギーバー」も地図も目の前に現れなかったので、なにやら取り残された感じがした。
各セッションの始まりにはセッションの説明があり、終わると経験を話し合う場がある。そのほとんどは、居間に座って行われる。マイクロソフト社のエンジニアのトムは、「エネルギーバー」を使っていろいろ実験をしたと報告した。そこで「エネルギーバー」がどのくらい鮮明に浮かんできたのかを聞いて見た。トムは「そんなに鮮明じゃないよ。自分でイメージを膨らませて作ったんだから」という。
私は勘違いをしていたのだ。「エネルギーバー」は自然に鮮明に目の前に浮かんでくるのではなく、自分でイメージを浮かべなければいけなかったのだ。
トムはモンロー研のプログラムに参加するのは『聖杯』を得たみたいなものだという。過去二年間、毎日、ヘミシンクを聞いており、体外離脱をするのが夢だという。体外離脱をしかかったことはあるが、額のところでひっかかってしまい、完全に離脱できなかったのだそうだ。トムは、「シュンは八回も離脱したのか、うらやましいな。いくらでも小切手を切るから、シュンと代わりたいよ」と言う。
午後の二度目のセッションは「フリーフロー」だった。これはフォーカス一〇の状態で、自由に質問をするプログラムだ。これは東京で経験済み。
夜のセッションも二回だが、一回目はやはり「フリーフロー」。二回目は「エネルギーバー」を作り、イルカをイメージして、ドルフィン・エナジーを利用するというプログラムだったが、途中で寝てしまい、何がなにやら分からないうちに終わってしまった。
最後のセッションが終わって、居間に集まり体験を話す時間になった。一通り報告が終わった頃、突然、アンという女性が泣き出した。最近、夫のジムを亡くして、胸が痛くてたまらない、という。
ノースカロライナで医者をしているラリーが、「それではイモーショナル・フリーダム・テクニックを使って治癒しよう」とみんなに呼びかけた。このテクニックはインターネット(www.emofree.com)でも公開されており、心の痛みを取り除くのに非常に効果があるのだという。インターネットで「EFT」で調べると、すでに日本でも普及しているようだ。
さっそく、ラリーの音頭で、二六名全員が「EFT」を行ってアンを慰めた。アンは息子や娘にも行き先を告げずにこのプログラムに参加している。私たちにも住所は教えてくれない。心の悩みを打ち明ける場所がなかったのだという。またモンロー研究所に行くというと、息子や娘に反対されるので、内緒できているという。体外離脱だの、霊の世界というと、息子や娘は「迷信の世界」だ、と思うのだそうだ。
三日目・洗脳?
三日目の朝はボブ・モンローの声で目が覚めた。お酒は飲んでいないがよく眠れる。目覚めた瞬間、ボブの声でフォーカス一〇の領域に入った。何やら洗脳されている気分だ。「今日は素晴らしい一日になります。さらに成長し、あなたは強くなります。あなたと同等あるいはそれ以上の知識のある方に助けを求めなさい」とボブはいう。
ボブ・モンローはすでに亡くなっているが、この屋敷は、いまだにボブの霊に満ちている。入り口を入るとまず右側にボブの写真、左側に奥様の肖像画がかけられている。
テープに入れられている声は、ほとんどがボブのものだ。インストラクターのポニーは、ボブの二度目の奥様のつれ子だし、モンロー研究所のオーナーは、ボブの実娘だ。
ピンポンパンパンの音楽を後にして、私はすぐにヨガ教室に向かった。参加人数が減っているが、場所が広く使えて幸いだ。ヨガで身体の筋肉や筋を伸ばし、大汗をかき、朝食を食べてすぐにシャワーを浴びるのが日課になった。まだ二日目だがすっかりアットホームな気分になっている。今朝から、参加者全員の名前を覚える決心をして、取り組み始めた。二四人の顔と名前を一致させるには、かなりの努力が必要だ。
今日はフォーカス一二にまで行く予定だが、ここまでは日本でも経験している。朝の二回のセッションは、日本で経験したものと同じだった。当然、日本と同じように、波の音を聞きながら「不安収納箱」「同調共鳴・リゾナント」「リボール」「断言」へと進む。
朝の第一回目のセッションでは、フォーカス一二に入ると、プログラム参加者の顔が走馬灯のように浮かんでは消えたが、それ以外には何も起こらない。
二度目のセッションでは、フォーカス一二に入ってからいろいろと質問をせよという。心から知りたいことを感謝の心を込めてはっきりと質問すれば、答えは必ず返ってくるとインストラクターは言う。だが、その返事の時期は不明で、しかもユーモアとともに返事が戻ってくる事が多いという。
同じことは東京でも聞いたが、ここでも私には特別な答えはなかった。時差ボケで半分眠っていたのだろうか? 質問は『「神の手の共犯者たち」を本にするについて何をすべきか?』というものだった。が、答えは来なかった・・・あるいは来たのかもしれないが、分からなかった。それでもイメージは浮かんだ。壁があり蛇口があり、水を注ぐ場面が出て来たが、意味不明。
このセッションの後の報告会では、高校の先生であり作家であるマーティが、人生を振り返って涙を出して語った。彼女は「エンジェル」に関する本を書いているが、すべて、霊が語るのを速記しているだけだという。本を自分で書いているわけではないのだそうだ。これを自動書記現象というらしい。
アメリカに来る飛行機の中で立花隆の『臨死体験』を読んで、自動書記現象があることを知ったのだが、この本は途中で読むのをやめている。立花隆は評論家に終始して、みずから体験をしていないので、いまいち物足りない。彼のように批判力ある頭脳明晰な人が、自ら体験して本を書いたら、信頼性のある本が生まれると思うのだが・・・。立花隆の方法では、ゴルフをしたことのない人が、ゴルフの世界を描いているようなものだ。相手が宇宙飛行士なら、それも仕方がないだろう。だが、体外離脱やチャネリングなどはいくらでも経験できる時代なのだ。
ボブ・モンローの『魂の体外旅行』もジョー・マクモニーグルの『マインド・トレック』という著作も読むのをやめている。先入観を持ちたくない。うっかり読んで「そんなものか・・・」と理解すると、自己洗脳をする可能性があるのではないだろうか? なるべく白紙で経験するほうが、真実に近づける気がするのだ。
このセッションの報告会ではストームというパリ育ちの若い女性が、いろいろなイメージが浮かんだと報告をした。アンブレラ(傘)で火山の上を飛んで、それから丘を下ったという。この意味を探るのは禅問答のように難しい。
午後の二つのセッションはフォーカス一二の状態で、自由に動き回るフリー・ムーブメントとフリーフローだった。だが、何も起こらないし、何も感じない。身体は緩んでいるし、目の前も明るくはなるが、オーロラも色も出てこない。日本におけるセッションの時は、いろいろな現象を経験したのだが・・・。これは、もしかしたらインストラクターのレベルの違いではないだろうか?
東京で指導をうけたケヴィン・ターナーは熱心だったし、説明も上手で、何か必ず起こる、と情熱を傾けて語るので、私も何かあるはずだと集中していた。だが、今回のインストラクターのジョンとペニーは師ではなく、ただのガイドのように思う。
この日は何やら期待外れで終わったが、夕食の後が素晴らしかった。
隣の建物の講堂に集まって、遠隔透視の実験をしたのだ。いきなり北緯三八度三七分二八秒、西経九〇度一一分一四秒という数字を見せられて、フォーカス一二に入り、そこに何があるかを透視しろと言う。
そんなむちゃな・・・と思ったが、習った方法で瞬時、フォーカス一二の世界に入り、何か映像が浮かばないかと思ったら、浮かんだ。山と川だ。山は一つで、その前に道路か川がある。最初は高速道路かと思ったが、水があると感じた。つまり川だ。
司会をしていたジョンはいきなり「シュン、何が見えた?」と聞いてきた。即座に私は「山と川」と答えた。他の二三人もそれぞれ見たものを語った。「インディアンのテントと湖」「大きな柱がたっている」などさまざまな答えが返ってきた。
正解の写真がスクリーンに映し出されたが、それはレールでできた巨大な構造物だったが山の形をしている。その前には運河が流れている。
その後、遠隔透視で日本でも有名なジョー・マクモニーグルのTV番組が放映された。三〇年前の番組だが、ジョー・マクモニーグルが奇跡的とも言える精度で透視した現場が、捕らえられていた。
映画が終わると英国のロンドンから参加していたジョンが「なんでこんな映画を見せるんだ? 目的は?」と質問した。
インストラクターのジョンは「ウーン」といって目を部屋の後方に向けた。そこには黒い服を着て、松葉杖をつくジョー・マクモニーグルが立っていた。四日ほど前に脊髄の大手術をしたばかりなのに・・・。
ジョー・マクモニーグル
ジョー・マクモニーグルはいまや米国よりも日本で有名のようだ。日本のTV番組で「人捜し」の遠隔透視を行い、高い確率で成功しているからだ。日本ではマクモニーグル人形も売り出されているらしい。
ジョーとの時間は二四対一のQ&Aのスタイルだった。
Q;あなたはいつから超能力を持っているのか?
ジョー:私は生まれながらのサイキック(超能力者)だが、人間は皆、サイキック能力を持って生まれてくる。その力を失っただけだ。私たちは誰でも奇跡の子なのだ。
Q:モンロー研究所であなたの才能が花咲いたのか?
ジョー:透視能力という面では変化がなかった。ただ、ボブ・モンローにあう前は、透視できる精神状態にまで行くのに、最低でも一時間三〇分はかかった。だがヘミシンクを聞くようになって、それが五分になり、今では瞬間的に透視に入れるようになった。
Q:未来も過去も透視できるのか?
ジョー:そうだ。拡大されている意識の世界には時間も空間もない。すべて一緒だ。だから日本のTV局が、どんな問題を持ってくるのかも事前に分かる。
Q:現在、どのようにして生活しているのか?
ジョー:ビジネスからいろいろな依頼がある。たとえばピンク色の大理石が掘りたいが、深さどのくらいのところにあるかを教えてくれと鉱山会社に頼まれる。
Q:家庭生活に透視を使えるのか?
ジョー:いやだめだ。身近なヒトのことは何も分からない。とくにワイフの考えていることなど、何も分からない。
Q:あなたの将来予測のことを書いた本の中に九・一一のテロが触れられていないが、分からなかったのか?
ジョー:九・一一は事件の起こる六年前に私の同僚がCIAに報告した。ニューヨークのツインビルに飛行機が激突すると予言したのだが、CIAもFBIも「あーそう」といって、ファイルしただけだった。
Q:あなたが一番誇りにしている透視は何か?
ジョー:ソ連の原子力潜水艦の難破についての予測かな。イランにおける米国大使館の捕虜事件でも一一〇%正確に、だれが捕虜になっているかを指摘した。その中には隠密行動をしていて、国務省も滞在していることを知らなかった三人のCIAのスパイも含まれていた。
Q:火星に体外離脱で行くことはできるのか? あるいは透視できるのか?
ジョー:もちろんできる。火星には遺跡がある。人類が火星に住んでいたこともあるだろう。私たちの故郷は地球ではない。火星でもない。火星の前には他の天体に住んでいただろう。もし私たち人類の故郷が地球だったら、この星をもっと大切にしているはずだ。
Q:どうしたらサイキックのパワーを取り戻せるか?
ジョー:自分を信じなさい。あなたが奇跡の子であることを理解し、信じることだ。
Q:どうしてサイキックパワーは失われてしまったのだろうか?
ジョー:欧米でサイキックが迫害されたのは中世の暗黒時代だ。その前は、サイキックは社会に受け入れられていた。火あぶりの刑で、人々はサイキックであることを望まなくなり、力を失った。今では科学権力と宗教権力に抑圧されている。
Q:マン・イン・ブラックについてはどう思うか?
ジョー:ソ連のミサイル基地を透視していたら、その上空を長さ三〇〇メートルの物体が、高速で横切った。それを絵にすると空飛ぶ円盤になるが、そのまま絵を描いて高速飛行艇がミサイル基地の上を横切ったと報告した。たまたま、米軍の偵察機U二がミサイル基地の上から写真撮影をしており、それにも三コマだが飛行物体が撮影されていた。そのフィルムと私の透視で得た図はそっくりだった。この二つを見比べていたら、メン・イン・ブラックの二人連れがやってきて、これは気球だから、変なことは言わないようにと口止めされた。私はこれがUFOに違いないと思ったので、フィルムを保管している国防総省(ペンタゴン)に手紙を書き、この三コマのフィルムが欲しいと申請した。そしたらペンタゴンから呼び出された。「なぜこの三コマが欲しいのだと」と聞かれたので、「これは私が撮影したものだ」と答えた。ペンタゴンの係官によると、「なぜ紛失している三コマを欲しがるのか興味を持った・・・」とのことだった。
ジョーとのQ&Aは刺激的だった。
この会話の後、二四名のプログラム参加者は、本館の居間に戻り、朝の二時まで喧々諤々の討論を行った。居間の外側のソファやテーブルがある部屋には果物が置かれ、コーヒーや紅茶や緑茶がいつでも飲めるようになっている。ここで夜の一時、二時まで討論や、会話を交わすのが、私たちプログラム参加者の多くの習慣となってしまった。
さて、ジョーの話は、どこまで信用できるのだろう?
とくに火星に遺跡がある話や、UFOの話は、簡単には受け入れがたい。だが、かれの透視の実績は悪くても五〇%、平均したら八五%の正解だ。だとすると、ジョーの発言を無視することもできない。
火星に遺跡があることは論理的には矛盾がない。太陽が若かった頃、地球は太陽に近過ぎて、生命が生まれるには不向きだったろう。そのころは火星が地球のような環境だったこともありうる話だ。これらは火星の探査が進めば真偽が分かるのだから、慌てて結論を出すことはないだろう。
UFOの場合、私としてはジョーの透視を信じざるを得ないという結論だ。ジョーはまじめな人であり、ウソなどはつかない人柄だ。そうなると、これまでの私の考え方を捨てて、UFOの存在が現実である可能性が高いとして、すべてを見直さなくてはならなくなる。
やれやれ、私の常識は覆されることが多くなる一方だ。
四日目・何の変化もない
四日目の朝もピンポンパンパンで始まった。
ヨガの教室に参加する人数は毎日減っていく。
午前中のセッションはフォーカス一五に行くという。
フォーカス一五というのは「時間のない世界」だというが、どういう場所か、いまいち分からない。マイクロソフト社のトムは「美しい世界を見た」と報告したが、それ以外の二三名は、何も見なかった。私にとっても単なる「黒い世界」だった。
午前中の第二のセッションはフォーカス一五で自由に動き回れ、という「フリーフロー」だった。そこで既に亡くなっているおやじとおふくろに会おうと思ったが、電話のボードみたいなものが見えただけだ。何も経験できなかったのは、他の参加者も一緒だ。
午後からはモンロー研究所の研究所長の講話があり、その後に研究設備(ラボ)を訪問するという。
スキップというあだ名を持つ研究所長は、もと軍関係者で、ジョー・マクモニーグルの上司であったという。スキップの考えで米軍が「遠隔透視プログラム」を開始したのだそうだ。
スキップによると、ヘミシンクを聞くときに一番大事なのは、身体をリラックスさせることだという。そのために「同調共鳴・レゾナント」を行うが、これは呼吸法なのだという。したがってこの部分は、別の呼吸法に置き換えてもよいそうだ。
次に大事なのは「ねらい」を持つことと「期待」をすることだという。その意味で重要なのがボブ・モンローの作った『宣言』なのだそうだ。この宣言は四つの部品でできている。
一)私は物質以上の存在である。
二)宇宙には別のエネルギー体系があることを知っている。そのエネルギー体系を深く理解し、善い行いのために使えるようになりたい。
三)理解し使えるようになるには助けが必要なので、ぜひ助けて欲しい。
四)助けに対して深く感謝する。
このように唱えるようになってから、ボブは、多くの守護霊とかマスターの助けが得られるようになったという。
研究所には異次元を探求するモニタールームがあり、被験者は塩水ベッドの上に寝て、意識のいろいろなレベルに行く。ここでボブ・モンローは拡大された意識の世界の全容を知ることになるのだが、その知識を与えてくれたのはミラノンという霊の世界の人物だった。
ミラノンによると、フォーカス二一までが人間界が含まれる領域で、それ以降は霊だけの世界だという。つまりフォーカス二一は霊界と人間界の「橋」になっているそうだ。だが、霊はフォーカス一二のレベル(意識が宇宙まで拡大される)まで、降りていくことができるのだそうだ。図参照。
また意識の世界は数字の「七」が鍵になっており、最高のレベルがフォーカス四九だとのこと。それ以上高い次元はミラノンさんにも分からないそうだ。ミラノンさんはボブと交信したときには四六のレベルにいたが、もう、人間界に戻ることはないそうだ。
この日の夜、ミラノンとボブの会話のテープを聞いたが、ミラノンさんの声は男だった。だが、このとき被験者として塩水ベッドに横たわっていたのはロザリンという女性なのだ。
世の中には不思議なことがあるものだ。
このテープを聞いていて、正心調息呼吸法の医師・塩谷信男氏のことを思い出した。私は塩谷さんの呼吸法に惚れこんで一〇年になる。塩谷さんの本とDVDもすべて買い込んだ。だが、塩谷さんの講演会には行っていない。実は招待状も頂いたのだが、行かなかった。理由は、塩谷さんが降霊術や心霊術のことを語り、当時の私には受け入れがたかったからだ。
だが、今年で一〇〇歳を超えた塩谷氏が述べる霊の世界と、モンロー研究所の主張する拡大された意識の世界は非常に良く似ている。また私の座右の書とする『Seven Spiritual laws of Success』の語る宇宙の法則も、塩谷氏やボブ・モンローの語る世界とそっくりだ。
これまで降霊術など、まったく信用していたなかったが、これは探求の必要がある、と思った・・・「そうだ、塩谷さんにあって、いろいろ教えてもらおう・・・」
この日は、ヘミシンクを聞かないでフォーカス一〇,一二,一五に行く練習をしたが、これは易しく感じた。そして『訪問』というテープを聞いて、海岸沿いに山道を登り、洞窟に入っていくイメージを創り上げたが、楽しかった。もっとも洞窟の中で愛する人に会うという設定だったようだが、途中から眠ってしまい、気がついたら下山する途中だった。
マイクロソフトのトムというエンジニアは、洞窟の中で水晶に光が降りて、亡くなった伯母と面会したそうだ。
五日目・『ザ・シークレット(秘密)』
五日目(水曜日)の朝もピンポンパンパンで始まった。ヨガの教室に来る人はまた減っている。
午前中はだれとも言葉を交わさない「サイレント・デイ」で内省をする時間だ。みんな無言で映画を観たが、それは芝生に寝ている恋人二人から始まり、画面がみるみる二人から離れ、地球全体が見えるようになり、レンズは宇宙の果てまで遠ざかる。それから再びズー厶アップして二人に戻り、今度は二人の体内に入り込み、細胞から原子レベルまでを見せる。
面白い映画だったが、それは午前中の一回目のテープでボブが、私たちを宇宙に案内するためだった。時間が存在しないというフォーカス一五まで行ったが、私には何も起こらず、ただの暗闇にすぎなかった。
二本目のテープは、フォーカス一五まで行って、ガイドから五つの重要なメッセージを貰う、という趣旨だったが、「服装など気にするな」という言葉を聞いた気がしただけだ。
午後の休憩時間に考えた。
子どもたちを集め、超能力者養成所を作るのはどうだろう? それとも遠隔透視の養成所のほうがいいか? 日本で会ったケヴィン・ターナーは優れたトレーナーのようなので、彼が日本から去らないようにしたほうがよいのではないだろうか?
この四日間、体外離脱で見るような鮮明な映像は見ていない。ただ目の前で、紫色のオーロラが浮かんだり、白い雲が忙しく動いたりするだけだ。はるばる日本からヴァージニア州まで来て、たいしたことも起こらない・・・。来る価値があったのだろうか・・・と疑問を感じ始めた。
面白かったのは、ジョー・マクモニーグルの話だけだった。だがすでに八月の「ガイドラインズ」の研修のお金も振り込んである。私は早とちりをしたのだろうか?
四日目の午後はいよいよフォーカス二一に行くことになった。フォーカス二一というのは、人間と霊との橋渡しとなる場所だ。ここまでくると、守護霊とかガイドとかに会いやすいという。
先週述べた高位の守護霊ミラノンによると、フォーカス二一はすべての色が集まっているので「白」がシンボルだという。フォーカス二〇は紫で一九はグリーン、フォーカス一八はばら色(ローズ)で愛をあらわす。それからイエロー、レッド、ブルーとつづくそうだ。つまり色の周波数と意識の次元には関連性があると言う。
さっそくチェックユニットとよばれる個室ベッドに潜り込み、ヘッドフォンを装着して横たわる。部屋は冷房が効き過ぎて寒いので、いつも毛布をかぶるかフリースジャケットを着ている。
ボブの声がして、エネルギー交換箱(不安収拾箱)、レゾナンス、エナジーボール、宣言と進む。それからフォーカス一〇に行って、ボブの声を待つ。ボブの指示でフォーカス一二に行き、フォーカス一五にわたると、そこからはボブの指示に従って彩色されたエレベーターでどんどん上昇していく。レッドから、ブルー、イエロー、ローズ、グリーン、紫と移行していくのだ。
ようやくフォーカス二一に到着した。だがそこは漆黒の闇だ。何も見えてこない。紫のオーロラも出てこない。死の世界のよう。
私は暗闇で目をきょろきょろさせて、<何か見えないか・・・何かが出てこないか>と神経を張りつめた。だが、漆黒の闇で何も変わらない。だが、漆黒のカーテンの先に、何かが動く気配がする。まるで生まれたばかりの、まだ目の見えない赤子になった気がした。きょろきょろ見渡しても何も見えないが、何かがあることを感じる。これは奇妙な体験だった。何も見えないが、そこには動くものの気配があり、エネルギーがあるのを感じる。
フォーカス二一は探求する価値がある・・・という印象だ。
夜は『ザ・シークレット(秘密)』という映画を観た。この映画はまだ米国でも公開されておらず(六月現在)、トレーナーを務めるペニーが友人から手に入れたものだ。
「秘密」とは何かというと、それは『誘引の法則』という宇宙の法則の一つだ。だれでも「何かを思う」と、それに宇宙の無限力が惹きつけられる。つまり「思いは現実となる」。したがって悲観的な見方をすると、宇宙の無限力でそれが実現し、前向きに物事を捉えると、それもまた実現するという。
これは塩谷信男氏が多くの書物で説いている宇宙の仕組みの一つと同じであり、「すべてを前向きに捉え、愚痴を言わず、感謝して生きる」のが、人生の秘訣だと塩谷氏は言う。
この二時間の映画は物議を醸した。
イギリス人のジョンは映画が始まって一五分もしたら決然として席を立った。あとで理由を聞いたら、「こんなに薄っぺらなハリウッド映画など見れるか・・・」ということだった。ルームメイトのスエーデンの心理療法士・医師は「物質主義の権化のメッセージであり、見ていて腹が立った」という。
この映画のメッセージは、「宇宙の資源は無限だから、地球の六〇億人が億万長者になりたければ、それも可能だ。その方法を教えましょう」というものだ。『誘引の法則』を上手に利用すれば、誰でも健康を保て、大金持ちになり、人間関係もうまくいくという。
『誘引の法則』が存在するのは真実だと私も思う。だが、この映画のメッセージは間違っている。地球上の六〇億人が米国の億万長者のような生活をしたら、地球はとても耐えられないだろう。人間とは愚かな存在であり、戦争すら根絶できないのに、なんで六〇億人が億万長者になり、健康を保ち、人間関係を満足させることができるだろう?
これに対する映画『秘密』の答えは、「そのように悲観的な見方をするから、それが実現してしまうのです。すべてを前向きに捉えれば、戦争も貧困もなくなる世界が実現するのです」ということになる。
つまりわれわれ全員が「能天気」になり、すべてを前向きに捉えればよいわけだ。だから私もそれを信じて「前向きに捉えよう」。だが、それで平和と貧困の撲滅が実現するなら、人生、苦労はいらないし、悩みもないわけだ。
木曜日の朝もこの映画の評価で、朝食の席は意見が分かれた。参加者の多くは肯定的に捉えていた。「息子に見せたい」「元気が出る」などという評価だった。
木曜日は研修プログラムの最後の日だ。
朝の一回目のテープは「フリーフロー二一」だった。フォーカス二一に行って、好きなことをしてこいというのだが、相変わらず、私には何も見えてこない。他の参加者も一緒だ。映像が何も出てこないのだ。
二回目は「スーパーフロー」だ。
これはヴァージニアの豊かな自然の中を散歩して、フォーカス一〇、一二.一五,二一に入り、自然と対話をするものだ。モンロー研究所の周辺は、木々は緑で、可憐な白い花が咲き乱れている。さらに晴天で空は紺碧だ。フォーカス一二で可憐な花を見ていたら、いつもとは花の見え方が違った。気のせいか、なにやらクローズアップして見えてくる。
夕方にも二回のテープセッションがあった。やはり「フリーフロー二一」で「パターンニング」を行えと言う。「パターンニング」というのは、自分が「こうなりたい」という姿を思い浮かべ、そのなりたい姿になりきることだ。感情も感触も、すべてなりたい姿になりきると、それが実現するという。これも映画『秘密』が教えている内容だ。
私は「左手に神の力が宿り、治癒力を持つ」というイメージを浮かべて、超能力者になり切ってみたが、その効果のほどはまったく不明。何事にも「能天気」なほうが人生は有利に違いない。
夜には『ゲートウエイ・ヴォエージ』の研修終了証をボブの娘、ローリー・モンローさんから渡された。みんな抱擁して別れを惜しんだ。二五歳の日本人画家のアイコともお別れだ。アイコは日本人離れした、コスモポリタン。日本でもまた会う事になるだろう。
さて、この五日間はなんだったのだろう?
遠隔透視は刺激的だった。ジョー・モクモニーグルさんの話も面白かった。フォーカス二一は神秘的で面白そうだ。だが、日本ではモンロー研究所の先駆者とされる森田健さんや坂本政道さんが経験したような、劇的な出来事はなかった。私だけでなく、参加者二四名のだれもがそんな経験をしていない。
私たち二四名が鈍いのか、それとも坂本さんや森田さんが情緒過多なのか、どちらだろう? 守護霊に会えたり、死んだ両親と会えたり、過去生を思い出すというのはウソなのだろうか? まあ、そう簡単に結論するのは早計だろう。私の東京での二日間の研修経験から言うと、その時には何も感じなくても、後で大きな変化が起こる。私は次の研修「ガイドラインズ」にすでに申し込んでいる。これも、私のガイドが仕組んだワナなのだろうか。まあ、 八月もモンロー研究所に来るべきなのだろう・・・という結論だった。
現実世界への復帰
金曜日の朝にワシントンDCに向かったが、米国の化粧品会社に勤めるトニーと一緒だった。トニーは海外営業担当で、工場がある韓国に毎月のように旅している。
「シュン、トレーナーについてどう思った?」と聞かれた。
「マアマアなんじゃないの?」と私。
ペニーとジョンよりも、東京で研修を担当したケヴィン・ターナーのほうが熱心だったし、説得力があると感じていた。したがってケヴィンと比べるとこの二人は「まあまあ」という評価しか出できないのだ。
「ジョンは最低なトレーナーだし、ペニーも凡庸だと思ったよ」とトニー。
私にとってもジョンは宇宙人みたいで近寄りがたかった。ボブ・モンローの継娘ペニーも粗削りな荒野の女丈夫といった雰囲気で、親しく感じたのは研修の終わり頃になってからだ。
「トニーは、このプログラムに満足したの?」と私。
「ああ、したよ。でもモンロー研究所は家族経営で、小さな仲間内で運営しているようだな。ジョンもペニーのお気に入りだからトレーナーになっているんだよ」
ワシントンDCではエアポート近くのホリデーイン・ホテルを定宿にしている。ホリデーインはインターネット・アクセスに力を入れており、PCをつなげば家にいるときと同じように使えるので便利なのだ。
モンロー研究所のプログラムを終えると、現実世界に復帰するのに時間が必要だという。頭が瞑想状態にチューニングされており、現実社会に合わされていないからだ。
ホテルでテレビを見ていたら「ペイント・ボール」の実況放送を行っていた。これは塗料の入った小さな弾丸を撃てる銃を抱え、相手の陣地に攻め入り、旗を奪ってくるという戦争ゲームだ。これを大人が夢中で楽しんでいる。確かにスリルはあるし、危険もなく、楽しいゲームではある。アメリカは今でも新しいゲームを生み出す国なのだ。
チャネルを回したら、今年、米国の国籍を取得した人々のお祭りが映し出された。今年だけでも移民の数は五〇万人になるという。若者の移民はアメリカの活力の源泉であり、この国はまだまだ興隆期にあるようだ。
ホリデーインのスポーツバーで、生ビールを注文して一息つき、モンロー研究所での経験を振り返ったが、頭が痛くなってきた。ジョッキ一杯のビールで頭が痛くなるなんて、信じられなかった。もっとも、体外離脱を頻繁に繰り返していた三月から四月にかけても、お酒が飲めなくなった。今も同じ状態なのだろうか。
ペニーが言っていたが、ボブ・モンローの生きている頃、一日のプログラムが終わると、みんなでワインやビールを飲んだそうだ。ところが、お酒を飲むとプログラム参加者の「気」がしぼんでいくのにペニーは気がついた。そこでボブに進言して、研修プログラムではいっさい禁酒にすることにしたという。
お酒を飲むと「気」が発散される。だからパーティーなどが楽しくなる効果がある。だが、発散された「気」は、よほどの「気の達人」でない限り、すぐには体内に補充できない。だからお酒を飲んだ後には疲れを感じるのだろう。
頭が瞑想状態にチューニングされていると、お酒を毒のように感じてくる。だからお坊さんも、牧師もお酒を飲まないのだろうか。だが私は酒のみだ。毎晩、寝酒を呑む悪い習慣がある。そこで帰りの大韓航空の機内でもワインを試してみた。やはり頭が痛くなり、本を読む気力も失せた。ああ、また酒の無い日々を続けなくてはいけないのか・・・。
ビジネスクラスの隣の席には、若くて大柄だが清楚なアメリカ娘が座った。「能天気」な私は、常に運がよいと信じているが、今回も運がよい。
おしとやかで温かい雰囲気を醸し出す二五歳の金髪令嬢は、なんと敬虔なクリスチャンだという。日曜日に教会に行くだけでなく、水曜日にも聖書研究会に出席しているそうだ。共和党上院議員クリス・○○○の調査員をしているというメリーは、プロテスタントであり、キリスト原理主義者ではないので、すこし安心した。だが、近ごろ、敬虔で保守的なキリスト教信者に会うのは珍しい。ほぼ絶滅していると思っていたのだが・・・。
私の欧米の友人の九九%はリベラルで、週に二日も教会に行く人はいない。メリーにモンロー研究所の詳しい話しはしなかった。うっかり話すと、火あぶりの刑に処せられる危険がある、と感じたのだ。
日本に帰国して五日後にはフィリピンとタイへの旅に出発した。この間、とうとうお酒を飲めなかった。なぜだろう?
仕事をせよ、ということか?
空を飛び、時空を駆け巡るピーターパンならぬ孫悟空になったので頭が痛いのか? それなら孫悟空並の超能力を授けてくれなくては「不公平」だ。体外離脱程度では不満だ。
このところすべてに哀れみの心を持つようになった気がする。ホテルでゴキブリを見つけても殺す気になれない。頭に何が起こったのだろう?
モンロー研究所のゲートウエイ・プログラムでは、たいした経験をしなかったように感じた。だが、何やら生き方が変わった気がする。いまでもすべてを論理的に考えているが、行動は直感的になっているように思う。あまり計画をせずに自然発生的に生きるようになっているように思う。
二度目のモンロー研究所
ガイドラインズ「Guidelines」
ワシントンDCに住むパット・ペキストンとは、一五年のつき合いがある。米国の有名な政治雑誌『ナショナル・ジャーナル』の副編集長だ。一〇年前に『Fingerprints of the Gods(神々の指紋)』 という本を読むように勧めてくれたのもパットだ。
パットはBMWのスポーツカーでホテルまで迎えに来てくれた。スポーツカー・レースがパットの新しい趣味なのだ。米国にはカーレースのドライビング方法を教えてくれるクラブがある。そこでは水たまりの中での走り方、走行中における一八〇度、三六〇度の方向転換、急カーブの走行法などを教えてくれるという。
夕食はBBQだったが、奥様のマルシアが別にいろいろ料理してくれた。昨年パットが結婚したマルシアとは初めて会うのだが、米国東部の教育の高いエリート白人であることが一目で分かる。ピアニストで菜食主義者だったことがあり、「パット、マッシュルームの粉を早く手に入れてよ。みんなで別次元の世界に行きましょうよ」などとヒッピーのようなことを言う。ちょっとまずいが、パットよりも私と気が合うようだ。
マルシアは音楽を使って算数を教える方法を編み出して、現在、ワシントンDCを中心に布教に忙しい。米国では子どもたちの学力低下が心配されており、特に算数ができない子供が多い。そこでマルシアは教育委員会に頼まれて、音楽を使って算数の授業を始めたら、これが子どもたちに受けて、算数が好きな子どもたちが倍増したのだという。
この音楽を使って算数を教えるという画期的な方法は、そのうち、日本にも紹介されるだろう。マルシアはニューヨークの大学でも、ピアニストたちにこの方法を教授しているが、東洋人の弟子が多いのだそうだ。
モンロー研究所には土曜日の午後に到着した。宿舎は前回とは別で、ボブ・モンローさんの元自宅だ。ボブ・モンローさんは大金持ちだったに違いない。素敵な大邸宅だ。
邸宅の居間に入るとすでに参加者が集まっている。その中に異様な雰囲気を漂わす長髪ポニーテールのおじさんがいた。この方がガイドライン・プログラムの案内役だろうと思った。なぜなら、身体からオーラが出ているように思えたからだ。
そこで「あなたがインストラクターですね?」と声をかけた。ところが「いや俺はまだだ。そのうちなるかもね」という返事だ。
後で分かったが、カーメットという五二歳のおじさんは、個人としては世界一の飛行機所有者だった。個人で一六〇機も飛行機を所有しているのだ。日本のゼロ式戦闘機も持っている。カーメットはフロリダの『ディズニーワールド』の隣に飛行場つきの大きな敷地を持っており、『ファンタジーエア・ショー』という飛行機の曲乗りや展示などの娯楽を提供している。
カーメットは二一歳で飛行機を自ら製作して飛び、二〇歳代後半は曲芸パイロットの世界チャンピオンだったという。「なぜ二一歳で飛行機が作れたの?」と聞いたら、「俺は前世でもパイロットだったのさ。第一次次世界大戦、第二次世界大戦でもパイロットとして戦死している。だから幼い頃から飛行機については詳しいんだ」とのこと。
カーメットの次のプロジェクトは、隣接した土地に、霊の世界のディズニーランドを造ることだ。このテーマパークは、「入って出てくるだけで、人生が変わるものにする」とカーメットは言う。
今回のプログラムは『ガイドラインズ』という。つまりガイド、あるいは守護霊に会いましょうというプログラムだ。だが、守護霊と会話したことは無いし、そんな存在を意識したことも無い。だからそんな存在と会話できるのだろうか・・・と不安だった。
だが、初日のガイドライン・プログラムの説明で、私たちはフォーカス一二や一五、二一に行って、「ガイダンスを得るのだ」という言葉を聞いた。この言葉には勇気づけられた。なぜなら天からの「ガイダンスを得る」ことは、若いときから、習慣となっているからだ。
ところで今回のファシリエーター(インストラクター)はジョンとボブだった。ジョンは六月のプログラムのときの宇宙人のようなインストラクターだ。だが、今回のプログラムのジョンは、前回よりもリラックスしており、張りきっている感じを受けた。ボブのほうは社会人類学者で、今はアメリカに住むが、もともとは南アフリカ連邦の出身だ。
皆さんは「ガイダンスを得る」ことを行っているだろうか?
私が「ガイダンス」を聞くようになったのは、たぶん高校生の時だろう。このころ姉に連れられて渋谷にある「高校生のための伝道集会」に参加していた。当時高校生だった俳優の竹脇無我さんも常連だった。
この頃は「神の声を聴く」ことだったが、私はキリスト教には心酔できなかった。なぜなら「神がすべてを見ている」という。つまりすべてを見通していて、私の悪しき心のうちをすべて知っている。そんな世界に私は生きていけないと感じたのだ。とても息苦しいと感じた。そのころから聖人君子になることは不可能だと自認していたわけだ。
つぎに出会ったのが「モラル&スピリチャル・リアーマメント(道徳・霊的再武装=MRA)」という活動組織だった。MRAは四〇年前にはかなり有名な活動組織だったが、今では知っている人も少ないようだ。
MRAは基本的にキリスト教を基盤にしており、道徳・霊的改革を通して、共産主義者の唱える理想社会を創り上げようという。このグループに参加した当時の私は、大学に籍は置いていても、心は漂流しており、人生で何をしたいかも分からなかった。そこでひとまず大学を中退して、MRAが主唱する革命運動に参加してみたわけだ。
MRA運動に参加するとまず学ぶのは、毎朝、起きたらすぐに「ガイダンスを求める」ことだ。つまり天の声に耳を傾けて、「今日一日何をすべきか、また何か反省すべき点はないか」を探れというのだ。
毎朝これをやっているとマンネリ化して、聞こえてくる声、浮かぶ発想が、天の声なのか、自分の欲求なのかが分からなくなってくる。だが、一九歳の時から、天の声を聴いて「ガイダンスを得る」という努力はしてきている。
この「ガイダンスを得る」という行為は、今になって思うとプラスになっている。少なくとも思考だけではなく、直感に頼って生きてきたわけであり、それが人生では結構大切なのだと思う。
二一歳の時、当時のMRAの指導者から「君は人生で何をやりたいんだ?」と聞かれた。とっさに浮かんだ答えは「本を書きたいと思います」だった。この言葉がどこから来たかは知らないが、「ガイダンス」だった可能性が強い。その後は『実業の日本』という経済雑誌の編集部に入れてもらって、ジャーナリストの道を歩むことになったのだ。
というわけで、若いときから天からの「ガイダンスを得る」習慣は身に付いていた。そこでモンロー研究所で守護霊に会って「ガイダンスを得る」ということも、基本的には同じことだ、と気づいてから、気が楽になった。
日曜日(初日)の一回目は、フォーカス一〇にいき、二回目はフォーカス一二、三回目はフォーカス一五まで進んだ。つまり前回の『ゲートウエイ・ヴォエージ』プログラムの復習だ。だが、今回は、それぞれのフォーカスレベルに独特のシンボルを持つようにと指導された。
私の場合、身体が眠り、意識だけ起きているフォーカス一〇はテニスラケットをシンボルにした。
意識が宇宙にまで拡大されるフォーカス一二はわが家の猫ピピがシンボルだ。なぜならこの意識状態では猫とも意識が通じる筈だからだ。それ以降、フォーカス一二に行くたびに、ピピを思い浮かべているわけだが、日本にいるピピは、私がそばにいると思って、毎日、私を探していたらしい。
時間が存在しないフォーカス一五のシンボルは、巨大な柱時計にした。
霊界と人間界の境目となるフォーカス二一は「白い吊り橋」だ。
ボブ・モンローさんは、このようなシンボルをイメージして、一瞬のうちにそれぞれのレベルに行くほうが便利だという。
午後四時からのテープセッションも、復習であり、ドルフィンを使って身体を癒し、エネルギー棒をイメージする練習をした。今日は合計五回の復習をしたが、特別なことは何も起こらなかった。目を閉じていると紫色のオーロラが見え、緑の雲が流れるだけだ。だが、何となく映画『ET』の言葉を思い出した。「Going Home(故郷に帰る)」だ。
夜は映画『Made In Haven』を見た。天国で恋人になった二人が、地上に降りて、お互いを探すという物語だ。
二日目・ペア直感インタビュー
二日目が始まった。ピンポンパンパンの音楽の後は、目覚ましにヨガのレッスンを受ける。ルームメイトのマークも一緒だ。
マークはサンフランシスコから来た医者だが毎晩、催眠薬を半分に割って呑む。理由は息子が海兵隊員でイラクに駐在しており、安眠できないからだ。「うちの息子は海兵隊員から想像するような、荒くれ男ではないよ。すごく優しいんだ」という。
静かな紳士マークからは、確かに荒くれ男の息子は想像できない。だが、高校を終えた息子は、すぐに海兵隊に志願したという。マークの母方の叔父が海兵隊員だったそうで、その叔父が息子の守護霊の一人になっているのだとマークは言う。
息子のクリスは二〇〇六年の八月末に任期を終えるが、三六名の部隊で、無事なのは五名だけだという。元フセイン大統領の地元に送られているそうだが、死傷率がこれまで高いとは知らなかった(数年後に確認したが、息子は無事に帰国していた)。
この日(二日目・月曜日)の午前中は三回テープを聞いたが何も起こらない。新たに習ったことは、テープレコーダに経験を記録することだ。フォーカス一五で何が見えたかをテープに吹き込むのだが、最初は言葉がもつれる。やはり練習が必要なようだ。
午後はフォーカス二一まで行ってから、フェーズAとフェーズBへ進んだ。フェーズAでは、身体をローリングさせて、体外離脱を起こさせようと、ボブ・モンローさんは努力していたが、私は眠くなりよく覚えていない。だが、ルームメイトのマークは、頭の方向に体外離脱をして個室ベッドから庭にでて、おおきな木に頭をぶつけたという。そこで二人で部屋の裏側に行ってみたら、そこには確かに大木があった。
フェーズBがどんな場所かは、さっぱり分からなかった。フォーカス二一の一部だそうだが、何も浮かんでこない。均質の世界で紫色のオーロラなどのエネルギーすら見えなかった。
夜は「ペア・直感インタビュー」を行った。
二人が一組になり、お互いに個人的に重要な疑問を心に浮かべ、その疑問への回答を、ペアになった人がガイダンスの領域に入り答えるというものだ。もちろん、心に浮かべた疑問は、ペアには伝えない。
ペアになった人はフォーカス一二とか二一に行って、そこでガイドにペアに何と答えたらよいかを聞くのだ。
こんな実験はやるだけ無駄だ・・・というのが私の本音だった。ペアが何を考えているかを知らなくて、その答えなど出せるわけがないではないか・・・と思った。
だが、インストラクターは、ガイダンスがあると信じて、素直になってやってみなさいという。
正直言って<これはありえない話だ・・・不可能だ>と思った。
だが、周りはパートナーを探して、始めている。
彼らは自信でもあるのだろうか?
仕方がなく、私もパートナーを見つけてペアを組んだ。今回の参加者には英語が得意ではない日本人が一人いた。私はその方とペアを組むしかなかった。
それで二人で居間のソファに座り、それぞれの質問をノートに書いた。
まずは、私が彼の疑問に答えを与えることになった。
相手の方は、質問をしたと言う。
そこで私は、フォーカス二一まで進み、イメージを浮かぶのを待った。
何もイメージが浮かばない。
不安が心を横切る。
だが気がついた・・・「あー、ガイドに答えを教えてくださいと、聞くのを忘れました」とペアに言って、もう一度、やり直しをして、フォーカス二一に行った。
フォーカス一二でも充分だと思ったのだが、フォーカス二一のほうが、ガイドに出会いやすいかな・・・と思ったのだ。
フォーカス二一に進んで<ガイドに答えを教えてください>とお願いした。
まったく破れかぶれの心境だ。
なにも聞こえてこないが、何やら古い家のイメージが浮かんできた。そばに小川が流れている。日本の田舎の風景だ。柿の木もあり、人々の温かい感情が流れている。のどかな風景でトンボが飛び、清流で魚が泳いでいる。
目に浮かんだ光景をペアに伝えながら「あなたは将来、こんな田舎に住みたいと考えているのではないですか?」と、なんとなく、私は言った。
私のペアは仰天した。
「そうです。その通りですよ。私の疑問は七五歳になった頃、親戚がたくさん住む田舎に住めないか、というものでした。そこにはトンボや小川や魚や柿の木も、みんなその場所にあります!」
次は、私の疑問にパートナーが答える番だ。
Nさんは自信があるように見受けられた。私のようにびくびくしていないのだ。そしてすぐに「すごいスピードで龍が回っています。青い龍、濃紺の龍が動いていますが、何も言ってくれません。どっちに行こうかなと葛藤している様子です」
またイメージが出て来ました、とNさん。
「海岸が見えます。白い石柱が立っています。綺麗な海です。古い建物の石柱です。海には昔風の橋も見えます。」
また別のイメージです、とNさん。
「湖があり、魚が泳いでいます。鷲が魚を狙っています。昼間ではありません。白と茶色の鷲はそうとう大きいです。足が出て魚をつかもうとしています。豊かな自然の中で、穏やかな光ですから、朝でしょう。大きな魚がゆったりと泳いでいます。あ、鷲が魚をつかんで大空へ舞い上がりました。濃紺の大きな魚がぴくぴく動いています。魚が可哀そうですね。でも美しい光景です。秋でしょうか木が枯れています。」
さて私は三つの疑問を紙に書いていたのだが、それと比べてみよう。
私の三つの質問・疑問は次のようなものだった。
一.『神の手の共犯者たち』という本を出版したいのですが、いつごろ出版されるでしょうか? それとも日の目を見ないのでしょうか?
二.今週、守護霊と会話をすることになるのでしょうか?
三.今年の一〇月にまたモンロー研究所に戻るべきなのでしょうか?
Nさんの回答は、このどれかに答えているのだろうか? Nさんとも話し合ったが、よく分からなかった。ただ「魚の話が出版の話と結びついたらいいね」という程度だった。
また私がNさんの質問に、ガイダンスを受けて答える番になった。Nさんが準備できたという。
私は目をつぶり、フォーカス一二から二一に飛び、ガイドに「何と答えたら良いのでしょうか、教えてください」とお願いをした。
いきなり白い光の点が二つ見えたが、三つ目に現れた光が特に明るかった。
やがてイメージが浮かんできた。高い山があり小川があり、赤い建物が見える。レンガ造りなのだろうか、赤い建物は燃えるように熱気があるが、人は住んでいない。そばには湖もある。これは日本ではないと直感した。すべてが雄大なのだ。ヨーロッパだろうか? 静かな住宅で、古めかしいクラシックな建物だ。近い将来、内部が改造される気もした。
そこでNさんにこの情景を伝えながら、「Nさんはヨーロッパかカナダに行きたいと考えているのではないですか?」と私は聞いた。
Nさんは仰天した。
「そうなんだ、実は来年、モンロー研究所に何回来れるのだろう、と質問したんだ」という。
「一回は確実なようですね」と私。
モンロー研究所の研修センターの建物は確かに赤みを帯びている。だが私は、見えた建物がモンロー研究所の建物とは気づかなかった。まあ、最初ほど図星とは言えないが、二回目もかなり成功した部類だろう。
これはまったく信じられない体験だった。
ありえないことだ。
千里眼ではあるまいし、人が何を考えているかが分かるなんて「ウソ」だ。だが、実際にガイドの見せてくれたイメージは、Nさんへの回答になっている。こんなことが起こりうるのだろうか?
この夜、私はあまりにも非常識な体験をしたので呆然としていた。だが、モンロー研究所では、この「ペア直感インタビュー」を当たり前のこととして、プログラムに取り入れている。しかも、多くの人が私と似たような経験をしているという。ということは、ガイダンスを得れば、人の心も読めるということなのか? これはテレパシーの一種だろうか? それとも私とペアを組んだNさんが話をあわせただけなのか?
三日目・三つの前世経験
三日目の朝は、ピンポンパンパンでは始まらなかった。珍しく、別の音楽だった。ガイドライン・プログラムはいわば大学院コースなので、なんでもかなり自由にやっていいのだそうだ。
インストラクターのジョンによると、ガイダンスを受ける私たちは、プールで溺れかかっている蜂のようなものだという。今朝、ジョンは庭のプールで溺れかかっている蜂を、網ですくって助けたが、蜂は、何がおこったのか分からなかったに違いないという。
今朝の第一回目のテープは、フォーカス二一に行って、全体としての自分(トータルセルフ)を知る訓練だった。まずは肉体である自分、感情である自分、エネルギーである自分を観察するというものだ。これは私にとって最高・完璧なテープだった。
肩と首にしこりがあるが、あとは完璧な肉体があり、感情も愛によって包まれている。愛すべき人々が周りにたくさんいるのだ。エネルギーレベルも完璧だとわかった。明らかに正しい軌道に乗っている。
二回目のテープはインナーセルフヘルパー(ISH)と会い「私は誰か?」を追求するテープだった。インナーセルフヘルパー(ISH)はガイドや守護霊のようなものだが、私自身の分身らしい。ボブ・モンローの指示に従って、インナーセルフヘルパー(ISH)に:
「私は誰か?」
「私は何回生まれ変わりをしているか?」
「私にとって大事な三つの前世経験は何か?」
と質問をするのだ。
これまでの三日間のテープでは、何のイメージも浮かばず、メッセージも聞こえたことが無いのだが、不思議なことに、このテープを聞いたときには、すべてに答えがあり、映像も浮かんできた。
「私は誰か?」
<私には人々を導く使命がある。人々を覚醒させなければいけない。地球を助けなければならない>
これにはわれながら呆れた。
ホンマかいな・・・
だが、私は昔から、『使命』を感じないと、なにも巧くできない性向を持っている。『使命』を感じたときだけ、人並みの仕事ができるのだ。
「私は何回生まれ変わりをしているか?」
<二〇〇〇回>
ちょっと多すぎない?・・・せいぜい一〇〇〇回だろう・・・と尋ねたが、返事はなかった。
「私にとって大事な三つの前世経験は何か?」
これまたイメージなど浮かぶわけが無いと思っていたのだが、だんだんと映像が見えてきた。
<一:エジプトでの人生。王子様、ピラミッド時代、王様にもなった。川とスフィンクス、ピラミッドが見える>
<二:どこかの暗い戦場にいる。侍のようだ。たくさん人がいる。モンゴル帝国と関係があるらしい。ここで戦死しているようだ>
<三:目の大きな子供。男の子で大きな青い目をしている。サイキック(超能力者)だ>
このイメージは本物なのだろうか? それとも自分で想像して創り上げたものだろうか? それとも幻覚か?
古代エジプトの王子様になるのは夢のようだ。
戦場で死ぬなんて、坂本政道さんの物語の真似か?
超能力者になるのも夢のような話だ。
これは自分の創作ではないのだろうか?
三回目のテープはフォーカス二一で自由に活動をしてよいという。そこでフォーカス二一に入ってすぐに、三つの過去生についてインナーセルフヘルパー(ISH)に質問をした。
「なんでこの三つの人生が重要なのですか?」
一:古代エジプトの知識を現代に伝える使命がある。
二:私が非暴力主義者、平和主義者なのは、このときの戦場での経験が基礎になっている。
三:私は超能力者であることを忘れようと努力している。それは最愛の妹を殺したからだ。
という答えが返ってきた。
少しずつだが、映画のような鮮明な映像も見えてきた。
小さな娘が火あぶりされて、それを木陰から見ている子供の私が見えた。どうも私だけでなく、妹も超能力者なのだが、わたしのミスで捕まり、殺されたようだ。私も助けに行ったのだが、捉えられて殺された。両親は二人の子供の超能力を迷惑に思っていたらしい。
ちょっと話ができ過ぎている・・・と私は思う。
もう一つお願いをした。
「この過去生が実在した、という証拠を見せてください」
<ハンガリー。一五四〇年>
というイメージが浮かんだ。えー、モンゴルが東欧を侵略したのは、もっと前じゃなかった? 一一四〇年の間違えではないの・・・と聞いた。答えは無かった。でも、私は日本に帰ったら一五四〇年を調べようと思う。
これらすべては、でき過ぎた作り話に思える。
つまり私自身の願望による創作だ。
だが、昨夜の「ペア直感インタビュー」で、ガイドあるいはインナーセルフヘルパー(ISH)は真実を知っているという印象を受けていたので、頭から否定はできない、とも思う。
私としては、ただ信じるのではなく、証拠が欲しい。
その途端<信じる必要はない。そのうちわかるよ>というささやきが聞こえた。つまりそのうち証拠を示してくれるらしい。
フォーカス二一から現実に戻るのに、ボブ・モンローは時間をかける。まるでスキューバダイビングのようだ。 ダイビングでも深く潜れば潜るほど、浮上には時間をかける。
爬虫類人の戦士たち
午後はいつものように三時間の休憩時間があった。
どうにも気になるのが、「過去生」に関して私が得たガイダンスが、本物かどうかだ。
私自身の創作である可能性も大だと思う。
そこでプログラム参加者にいろいろ聞いて見た。
女性のドナは「そういう心配はもっともだと思うわ、私も確信は無いの。私も一〇〇〇回も生まれ変わったと、言われたわ」と言う。
世界一の飛行機保持者のカーメットは「なんだ、シュンはまだ懐疑派か。おれも一〇年前までは懐疑派だったけど、今はなんの疑問もないね。すべて真実だよ」という。
だがそれからカーメットが教えてくれた経験は、にわかには信じがたいものだ。カーメットは爬虫類人の戦士たちに、彼らの星まで連れていってもらったことがあるという。
カーメットがフォーカス二一に行ったら、三人の爬虫類人の戦士たちが出迎えてくれた。<うちの星に来ないか?><行ってもいいが七分ぐらいしかないよ。ボブ・モンローが、フォーカス二一から現実に戻ろうというから・・・><それで充分だ、私たちの星に行こう>
三人の戦士に身体を支えられて、カーメットは爬虫類人の星に行った。カーメットも前世では、爬虫類の戦士たちを指揮する将軍であった時代があるのだ。彼らの星に着くと大勢の爬虫類人たちが大歓迎して、地球のことをいろいろ聞かれたという。
乾杯をしてカーメットが涙を流したら、うろこの肌を持つ爬虫類人たちは、「それはなんだ!」とびっくり仰天した。爬虫類は涙を流さないのだ。
爬虫類人たちも地球人と同じように、もう一歩、意識が進化しなければならない段階に来ており、地球の動静に深い興味を持っているという。
この話には、驚いた。
日本に帰って、何か本がないかとアマゾンを探したら、あった。『大いなる秘密・爬虫類人』だ。デーヴィッド・アイクという方の本だが、拾い読みしてみると荒唐無稽で、とてもまじめに読む気にはなれない。
カーメットはまじめに爬虫類人の存在を信じているようだ。やれやれ、とんでもないことを信じているものだ。
韓国系アメリカ人の大学教授女性キョンさんにも意見を聴いて見た。彼女は「何度も同じ前世のことを見るから真実だと思うわ」という。
彼女の過去の三回の大事な人生の二回は日本人であったという。日本の漁村で津浪に教われ、子供とともにおぼれ死んだのだ。今、結婚しているご主人は、前世で恋い焦がれた人だという。ようやく現世で恋が実ったわけだが「それがね、シュン、思っていたほど楽しい人生ではないの。あんなに前世で恋い焦がれていた人なのに、変ね」という。
モンロー研究所に来る多くの人々が、輪廻転生や、過去生があったことを信じている。そのような人々には人種偏見が少ないのが、一つの特徴だ。「前世でわたしは日本人だったのよ」というフランス人やアメリカ人や韓国人たちと話していると、なにか私も親しみを感じてしまう。
四時になって居間のほうに向かったら、通り道の芝生で、大きな亀がかま首を上げて挨拶をしてくれた。ピンク色の亀だ。モンロー研究所の周辺はジェラシッック・パークなのだろうか? この亀に気づいたのは、私が最初だった。何か意味があるのだろうか?
四時からのセッションも、フォーカス二一に出かけて、フェーズAとBを探検するテープだった。フェーズAのシンボルは帆船にして、フェーズBに行くときは、手漕ぎのボートにしたが、どちらに行っても、エネルギーは充満しているがすべてが静止している場所に思えた。身体が重くなる感じがする。最後はヘミシンクと波動を組み合わせた実験的なテープだったが、効果のほどは不明だ。
夜は遠隔透視で有名なジョー・マクモニーグルさんが、講話にやってきた。ジョーさんの奥様は、ロバート・モンロー氏の娘だ。そのせいか、ジョーは今やモンロー研究所の後見人だ。
ジョーさんの守護霊の一人は、インドの羽がシンボルの女神クロニアだそうだ。ヒンズー教のこの女神が、ときどきジョーの元にやってきて、人生の道案内をしてくれるという。
ジョー・マクモニーグルさんは質疑応答を 好む。この夜も質疑応答になった。
Q:ヘズボラとイスラエルの戦争が始まっているが、ヘズボラについては詳しいのではないか?
ジョー:昔の話だが、へギンズ大佐がヘズボラに捕まって拷問を受けたときには、拘束場所を透視して救出作戦を提案したが、許可が下りなかった。八〇日後に殺されてしまったが、非常に悔しい思いをした。
Q:イラクの大規模殺略兵器については透視をしたのか?
ジョー:もちろんした。政府にはそんなものイラクのどこにも無いと報告した。だが、バスラという町のそばの地下に、巨大な武器倉庫があることを突き止めた。さらにフセイン大統領の息子二人がいる家も突き止めた。米国政府は、私たちの進言を無視して戦争に踏み切った。息子二人がいる家も攻撃されて、二人は殺された。何を言っても現ブッシュ政権は戦争をしたかったのだ。私は嫌気が差して、イラクから離れた。すでに第三次世界大戦が始まっているのだ。
Q:石油の高騰は止まるのか?
ジョー:石油はすでに枯渇状態に近づいている。中東ではもう新たな油田はみつからない。私たちは大型車ではなく、オートバイに乗っているべきなのだ。
Q:世界情勢をもっと楽観的に見れないのか?
ジョー:私には見れない。私たちにできることは、もっと米国政府を監視すること。投票をすること。恐れにむやみに反応しないことだ。米国はプライバシーの権利も奪われようとしている。現政権は人々を無視している。
Q:宇宙人は地球に住んでいるのだろうか?
ジョー:私の飼っている猫は宇宙人だ。だが宇宙人について心配することは無い。たくさん地球上に住み着いているが、平和共存する考えだ。だが、地球が滅びる前に、かれらはみんな地球から去っていく。
Q:九・一一では建物に爆薬が仕掛けられていたという説があるが、どう思うか?
ジョー:それは間違いだ。鉄はマグネシウムで強化されており、ある一定の温度を越えるとよく燃える。カスケイド・ファイリングという現象が起こって、建物が爆発崩壊したのだ。
Q:これまでに透視で学んだことは何か?
ジョー:予測で行動しないこと。事実をもとに行動することだ。事件が起こってから行動しても遅くはない。行動を起こすか、起こさないかという選択肢があるが、さらに待つという選択肢もあるのだ。
Q:ジョーの本『タイムマシン』のなかで、ドルが暴落すると書いているが、それは起こるのか?
ジョー:すでに下落しているが、さらに落ちるだろう。
Q:地球人は火星から来たのだろうか?
ジョー:私たちは「スター・トラベラー(星の旅人)だ。火星人であったこともあるが、これからも星を替えて住むだろう。
ジョー・マクモニーグルの話は、いつも刺激的で面白い。隣に座っていたジョアンに「飼い猫が宇宙人だというのは、冗談だよね?」と聞いたら、「そうじゃないわよ。ジョーは本気で言っているのよ」とのことだった。
『メン・イン・ブラック』という傑作なSF映画があったが、どうもあの世界は現実らしい。
講話の後、ジョーに日本に来るときは私の仲間たちと一緒に食事をして欲しいとお願いした。「もちろんオーケーだが、TV出演だと、東京には三日間しかいないよ」とのことだった。
四日目・暗やみのラボ
水曜日の朝にはエナジー・マッサージを受けた。七〇歳ぐらいのおばさんが肩と背中と腕をもんでくれた。ソフトなタッチで筋肉を引っ張るが、それなりに効果がある。あっという間の一時間だったが、七〇ドルは高い気がした。マッサージには個人的な興味がある。いつか正式に学んで資格を取りたいと考えているので、このマッサージも大いに参考になった。
朝のテープは三種類あったが、午前中は沈黙の時間で、会話をいっさいしないことになった。時間があったらノートを振り返り、いま、どんな状態にあるかを確認しろと言う。
最初のテープはドルフィンを使ってフォーカス一五で遊んだが、特別なことは起こらない。
一一時から一三時まではいよいよラボ(研究室)に入っての個人レッスンだ。ラボは木造の小屋にある。
小屋に入って左側奥の部屋に入ると、そこは事務室で一方の壁には数台のコンピュータが据えられている。そこから地下に降りて行くと塩水ベッドの据えられた密室がある。不安定なウオーターベッドに身を横たえると、モニター役の女性が、私の足と手の指にセンサーを取り付ける。体温や皮膚の抵抗の増減を計測するのだ。
部屋の扉が閉じられる。
目の前には高感度マイクロフォンがぶら下がっている。
<電灯を消していいかしら。これからはあなたが自由に行きたいところにいけるのよ、まずどこに行きますか?>と女性が聞いてくる。
「電灯を消して、フォーカス一〇に行ってください」と私。
周りが真っ暗闇になった。まったく何も見えない。
フォーカス一〇(身体が眠り意識が起きている状態)でしばらくすごした。
<何を経験していますか?>と女性の声がする。
「いつもと同じで何も起こりません。でも身体が重く感じます」
<ただそのままでいることも重要な経験です>と女性。
何も変化がないので、「フォーカス一二に行ってください」とお願いした。
「目を開けていてもいいのですね?」
<もちろん、いいですよ>
目を開けたが、まったくの暗闇だ。
<ではフォーカス一二に送ります>
フォーカス一二では意識が拡大されて、宇宙とつながってしまう。
だが、特別な映像も何も浮かばない。
<何を経験していますか?>
しばらくたったら、モニターの女性の声がした。
「何も見えてこないし、何も感じません」
<ガイダンスを受けたらどうでしょう。今、何が大事なのかガイドに聞いて見たらどうでしょう。>
「分かりました」
私は、ガイダンスを受けた。どうも今、大事なのは「愛」らしい。そこで、家族、友達の顔を思い浮かべて、一人一人に愛のメッセージを贈った。一〇〇人以上の顔を思い浮かべたと思う。
<フォーカス一二での経験はどうですか>
「家族や友人、一人一人に、愛のメッセージを贈っています」
<それは素晴らしいわ・・・日本語で経験していることを録音してもいいのよ。でも私に話しかけるときは英語にしてね・・・>
「はい」
・ ・・
「フォーカス一五に行っていただけますか?」
フォーカス一五は時間のない世界だ。
ここに入ったら、突然、エジプトの大ピラミッドの「王の間」での体験を思い出した。七年前に異端のエジプト学者ジョン・アンソニー・ウエストの主催するエジプト旅行に参加したが、そのとき、観光客のいない夜に「王の間」を訪問した。そこで全員で発声して、「王の間」のバイブレーションの洗礼を受けた。次に、電灯を一時間ほど消すことになった。「王の間」の床に寝ころんで過ごすのだ。二〇名ほどのグループだったが、みんなが「シュンだ! シュンだ! シュンだ!」という。
「王の間」には石棺がある。だが、ここに入れるのは一人しかいない。誰が入るべきか・・・とジョン・アンソニー・ウエストがみんなに聞いたら、この呼びかけが起こったのだ。
私は、みんなの声に押されて石棺の中に横たわった。
電灯が消されて真っ暗闇になって、石棺に横たわる私は、時間と空間の感覚を失った。宇宙に放り出されて光の無い空間を漂っている気がしたのだ。あわてて周りの壁を手探りしたら、私はまだ石棺の中にいて、ほっとした。
フォーカス一五で受けた感覚もまったく同じだ。このラボは、大ピラミッドの「王の間」の石棺を意識して作られているのに違いない。
「フォーカス二一に行ってください」
<心を開いてフォーカス二一に移動してくださいね>と女性。
フォーカス二一は人間世界と霊の世界の中間に位置する。ここが橋になっているのだそうだ。ここまでくると守護霊というか、ガイド役にも会いやすいという。そこでここではガイドに聞いて、もう一度、私の前世で何が起こったのかを確認することにした。
だが、何もイメージが出てこない。
<どうしたらガイドと連絡が取れるか聞いて見たら、いかがでしょう?>
「それはいい考えですね・・・」
・ ・・
だが、なにも変化がない。
「何も起こらないのでフォーカス二七に行きたいと思います」
<インナーセルフヘルパーに会いやすくなる周波数を入れましょうか?>
「え、そんなのあるのですか?」
インナーセルフヘルパーというのは、ガイドあるいは守護霊だが、自分の分身のガイドだ。そういえば私が前世の話を聞いたのも、このインナーセルフヘルパー(ISH)からだった。
結局、フォーカス二七に送ってもらった。
<感覚を開放して、好奇心をもってくださいね>と女性。
途中、フォーカス二三や二五で一時停止をして、かなりな時間をかけてフォーカス二七に入ったのだが、この途中では何も見えず、感じず、だった。だが人によっては、いろいろな光景を見るらしい。
フォーカス二七で、私はふかふかの大きな椅子に座っていた。前にも似たような椅子があるが、誰も座っていない。視界の端には白い光がいっぱいの場所があり、そこには人がいる気配がした。電源盤みたいなものも見えたがすぐに消えた。
数年前に亡くなった親戚の方の名前を呼んだが、だれもでてこない。
だがそれ以上、なんの変化もないので、フォーカス二一に戻ってもらうことにした。
<フォーカス二一に来たわよ。ISHの周波数を入れましょうか?>
「そうしてください」
<音とか色とか、香りとか、身体の変化とか、いろいろな形でコミュニケーションがあると思っていてね>
「はい」
<何かISHに聞いたらよいと思います>
「子供の頃から左手に黒いマークが付いているので、これが何か、聞いて見ます」
だが、何も起こらない。
「フォーカス一二に行ってもらえます? 体外離脱を試みます」
<いい考えね>
だが何も起こらない。
「フォーカス二一に行ってもらえます? 前世のことについてもっと詳しく知りたいので・・・」
イメージが浮かんできた。火あぶりになる小さな娘がいる。中世のヨーロッパだ。青い目の私が木陰から見ている。両親はサイキック(超能力者)ではない。子どもたちを恐れている。私は若くして死んでいる。
どうも私はモンゴリア人ではないようだ。ハンガリーの人間のようだ。ヨーロッパ風の兜をかぶった兵士の私の姿が見えてきた。
<シュン、そろそろ時間がつきたのだけど・・・>
「はい、終わりにしてください」
<それでは感謝を込めてガイドにお礼を言ってくださいね>
これで、二時間と一五分のセッションが終わった。
暗黒の世界から二階のモニタールームに戻って、モニター役の女性と話をした。
「身体に変化は感じませんでしたか?」
「そう言えば、足の内側がぴくぴくして、何かが起こっている感じがしました」
「チャクラが開いたのかもしれませんね」と女性。
荒唐無稽な話
午後四時からはフォーカス二一のフェーズAとBを再び探検した。だが、すべてが停止した状態に感じて、何も起こらない。
平常のフォーカス二一では、七色の虹が浮かんでは消えて楽しい雰囲気だ。
だが、・・・古代エジプトの秘密を探るには、遠隔透視が有効だろうな・・・という考えが浮かぶ。
その後、目の前が、白い光におおわれた。
これは体外離脱をするときによく起きる現象なのだが、何も起こらない。
その後の二回のテープも、フォーカス二一のフリーフローだったが、意識不明になって、何も覚えていない。寝てしまったのだろうか?
夜は『魂の旅』『宇宙の旅』を書いたロージー・マックナイト女史の講話だった。
ロージー・マックナイト女史は、ボブ・モンローさんに頼まれて、ヘミシンクよる霊世界を探検した先駆者の一人だ。ロージーによると、初期の頃のボブ・モンローさんは、チャネリングなど、まったく信じていなかったそうだ。だが、現実に起こることは認めざるを得ず、徐々に変わっていったという。
女史による『魂の旅』は日本で翻訳が進んでいると、楽しみにしていた。
この日は、ラボ・セッションがあり、昨日は前世・過去生について知ることになり、頭の中は疑問と興味でパンクしそうだった。そのため疲れを感じて早く寝ることにした。身体は疲れていないが、頭が疲れている。
一〇時にチェックユニットと呼ばれる個室ベッドに横たわって、「NPq」という英文季刊誌を読み始めた。米国の社会哲学の雑誌だが、まあ、確実に眠くなる。一〇時四五分になったので雑誌を置いて、眼鏡を棚に置き、電気を消して横になった。
<あー疲れたな・・・>と身体の力を抜いた途端、意識が体内から抜け出るのを感じた。<あ、体外離脱だ・・・>と気がついた。すでに意識は身体の外だ。
<あ、眼鏡を忘れた・・・>と思い、慌てて身体に戻った。眼鏡をとってまた体外離脱を試みた。<難しいかな・・・>と思ったが、あっというまに再び体外離脱をした。
当然、バージニア州のモンロー研究所周辺を浮游するのだろうと思っていたら、いきなり日本の家屋の中にいた。板の間だが、どこかで見たような家具が置いてある。襖があったので、開いてみたら、広い畳の部屋だったが、誰もいない。
人のいない家に一人でいるのは不法侵入だと感じて、家の外にでることにした。透かし彫の引き戸がついている玄関は立派だが、そこから外にでた。部屋の中は明るかったのに、外は闇だ。
遠くにたくさんの青い灯が見える。高校生たちが自転車にのっている。かなり遠いのに、会話が聞こえる。「おい、新しい建物を見に行こうぜ」と言っている。
興味を感じた私は、彼らの後を追った。もちろん青いランプを下に見ながら、その上を飛んだ。
やがて大きな建物にであった。私は屋根に上り、辺りを見渡したが見覚えがない。星も月も出ていなく、不気味だ。
屋根から塀の上に降りて、歩き出した。
<そろそろベッドに戻ろうかな・・・>と思った瞬間、明るい部屋のベッドの上にいた。目の前には湾曲した鏡がある。中をのぞいたら、ピンクのシャツを着た私が映っている。
<やれやれ、まだ体外離脱の最中だ>と気がついた。なぜなら私は黒のTシャツを着て横たわっていた筈だからだ。
周りに動物がいて、彼らの会話が理解できた。鳥や猫だ。私は大きな犬と会話をした。
ベットの脇の扉が開いて、食料が差し込まれた。私の食べ物かと思ったら、そばにいた灰色の大きな耳を持つ、大柄の痩せた犬が、「あー、安もんの食い物だ。近くの店から買ってきたやつで一〇〇〇円だ」と言う。
そばに白と黒のぶちの犬がいて可愛いので、抱きかかえたら、一瞬のうちにチェックユニット戻っていた。
電灯をつけて時計を見たら一一時三〇分だった。
四五分間も体外離脱をしていたのだろうか? その後は、ぐっすりと眠れた。
翌朝、ルームメイトの医者マークに体外離脱の話を簡単に伝えたところ、「シュン、この話はみんなとシェアすべきだと思う」という。
つまりみんなが集まったところで、この経験を報告すべきだというのだ。
「でも、こんな荒唐無稽な話をしても、意味があるかな・・・」と私は、半信半疑だった。
モンロー研究所のプログラム参加者の多くは、体外離脱を経験しているようだ。一方、まだ経験していない人は、体外離脱したいと願っている。私は今年の二月まで体外離脱にはまったく興味がなかったが、三月以来、これで一〇数回目の体外離脱になる。
体外離脱は悪くない。
楽しいし、私の想像力・創造力にプラスになる気がする。経済雑誌のジャーナリストだった私は、あまりにも実用的・実質的でイマジネーションに欠けていたのではないかと、つくづく思うのだ。
体外離脱で経験する世界は、確実に私の頭を柔らかくしている。発想が柔軟になってきているように思う。今では創造力=想像力であることも理解し始めている。
今日は木曜日で、最後の日だ。金曜日の朝にはモンロー研究所を去る。
朝の最初のテープはフォーカス二七への旅だった。
ガイドライン・プログラムではフォーカス二七には行かないのが普通だそうだが、インストラクターのジョンとボブが、なんとなく、必要を感じたという。そう、「ガイドライン」は大学院コースだから、自由が利くのだ。
フォーカス二七へ行く途中、フォーカス二二と二三を通過するが、ここは、死んだ人々の霊が最初に到着するところだという。
フォーカス二四、二五,二六も通過するが、ここは「信念の場所」とよばれており、これまでに人間が創り上げてきた死後の世界に関するイメージの場所だという。つまり天使がおり、三途の川が流れているのだろう。
フォーカス二七はガイドや守護霊と会い、次の人生の計画を練る場所だという。
テープ・セッションではかなりの時間をかけてフォーカス二七まで行ったが、ラボ・セッションで経験したような椅子も出てこなかったし、白い光も見えなかった。
プログラム参加者の多くも、何も見なかったようで、ワシントンDCで企業コンサルタントをしているジェフは、フォーカス二七には「ゴルフ場があったよ・・・」などと冗談を言っていた。
最も、カーメットはフォーカス二五でドラゴンを見たそうだ。
朝の二番目のプログラムは「スーパーフリーフロー」だった。テープ無しで、いろいろなフォーカスレベルに行って、自由に探索をするのだ。私はフォーカス二一のフェーズAに行った時に、インド人女性の顔を見たように思ったが、あとは特別なことは何も起こらなかった。
その後は、誰とも会話を交わさずに、庭にでて、「自分への手紙を書く」というプログラムだ。自分へ書く手紙の内容は、詩でも、散文でも、なんでもいい。それを二週間後にそれぞれの自宅に送ってくるのだそうだ。
午後四時からは、研究所の「スキップ」所長の講話がある。
モニター記録
スキップ所長の本名はホルムス・アトウオーターだが、だれもが「スキップ」と呼ぶ。『Captain of My Ship, Master of My Soul』という本を書いているが、まだ日本では翻訳出版されていない。
スキップは研究室におけるラボ・セッションで、何をモニターしていたのかを解説してくれた。
まずは私のモニター記録を見ていただきたい。
最初の青いライン(図一)は手の二本の指のボルト数の差(電位差)を示している。この線は頭脳の活動状況の変化を示す。つまり意識の変化が示されるのだが、特に上昇するラインは視野の変化を示す。意識が大きく変化すると、線にも大きく現れる。
この線が、上に昇りっぱなしだと、被験者が俳優のように意識して演技をしていることを示すという。つまり瞑想中ではなくて、頭脳が活発に働いているのだ。幸いなことに私の線は下降している。
ルームメイトの医者マークは、私の青ラインを見て「青ラインは瞑想状態に入っていることを示すんだ。シュンはすぐに瞑想状態に入っている、だから体外離脱もできるのだと思う」と言う。
マークの青ラインを見ると、ゼロの線より下に行くのに、三〇分ぐらいかかっており、その後も上下動が激しい。私は三分でゼロのラインの下に落ちて、そのまま降下している。
若い白人女性のパティーや薬剤師の若いエリオットとモニター紙を比べてみたが、二人とも線がゼロより下がるのにかなりの時間がかかっている。あるいは上下動を繰り返してなかなか降下していない。エリオットは「真っ暗闇のラボに横たわっていたら、興奮してしまって、なかなか落ち着けなかった」という。パティーは「暗闇が恐くて、落ち着かなかった」という。
私みたいにすぐに瞑想状態に入りそのまま深く入っていくのは、異例らしい。そういえば、モニター役を務めてくれた女性も、ラボ・セッションが終わったときに、「青ラインがすぐにゼロの下に行くのは珍しいのよ」と言っていた。
スキップによると、瞑想状態に入れないのは、身体と心がリラックスしていないからだという。身体と心をリラックスさせるには呼吸法が大事だとも言う。
どうやら、私がすぐに瞑想状態に入れるのは、一〇年以上続けている、呼吸法のせいらしい。塩谷信男氏が考案した正心調息法と西野皓三師の西野流呼吸法を実践し始めて一〇年以上が経つ。
海や水泳が苦手な私がスキューバダイビングを習得できたのも、呼吸法で心を静める方法を知っていたからだと思う。今も、常に呼吸を意識しながら生活をしている。テニスをしていても呼吸法を実践している。最近は、どんな状態でも身体を緩めると、手足がじんじんしてくる。これは生存本能を支配する自律神経が、活発に働いている証拠のようだ。
ルームメイトの医者マークは、私の青ラインを見て「青ラインは瞑想状態に入っていることを示すんだ。シュンはすぐに瞑想状態に入っている、だから体外離脱もできるのだと思う」と言う。
マークの青ラインを見ると、ゼロの線より下に行くのに、三〇分ぐらいかかっており、その後も上下動が激しい。私は三分でゼロのラインの下に落ちて、そのまま降下している。
若い白人女性のパティーや薬剤師の若いエリオットとモニター紙を比べてみたが、二人とも線がゼロより下がるのにかなりの時間がかかっている。あるいは上下動を繰り返してなかなか降下していない。エリオットは「真っ暗闇のラボに横たわっていたら、興奮してしまって、なかなか落ち着けなかった」という。パティーは「暗闇が恐くて、落ち着かなかった」という。
私みたいにすぐに瞑想状態に入りそのまま深く入っていくのは、異例らしい。そういえば、モニター役を務めてくれた女性も、ラボ・セッションが終わったときに、「青ラインがすぐにゼロの下に行くのは珍しいのよ」と言っていた。
スキップによると、瞑想状態に入れないのは、身体と心がリラックスしていないからだという。身体と心をリラックスさせるには呼吸法が大事だとも言う。
どうやら、私がすぐに瞑想状態に入れるのは、一〇年以上続けている、呼吸法のせいらしい。塩谷信男氏が考案した正心調息法と西野皓三師の西野流呼吸法を実践し始めて一〇年以上が経つ。
海や水泳が苦手な私がスキューバダイビングを習得できたのも、呼吸法で心を静める方法を知っていたからだと思う。今も、常に呼吸を意識しながら生活をしている。テニスをしていても呼吸法を実践している。最近は、どんな状態でも身体を緩めると、手足がじんじんしてくる。これは生存本能を支配する自律神経が、活発に働いている証拠のようだ。
赤のライン(図二)は足と手の温かさを示しているが、温かいことは、身体がリラックスしていることを示している。スキップによると、身体がリラックスしていると、血液の循環が良くなり、手足が暖かくなるのだそうだ。この状態では頭脳にシータ波が流れる。体温は 華氏九一.三度だが、赤のラインが一〇〇度を超えたら、異常な体験をしているという。私は、順調にリラックスしていたようだ。
緑のライン(図三)は皮膚の抵抗を計測している。汗をかくと電導性が高まる。下がるのはメンタル的にも身体的にもリラックスしている証拠。このラインが上下動するのは、何かを経験しているときだという。身体を動かしたり、モニターの方と話をしたり、興奮するとラインが上昇するそうだ。私のラインを見ると、かなり上下動しているので、塩水ベッドに横たわっている時に、かなりイモーショナル(感情的)な経験をしたことになる。
木曜日の夜はプログラムの最後になる。
それぞれこの一週間の感想を述べた。
ルームメイトのマークが「シュンに体外離脱の話をみんなとシェアして欲しい」と発言したので、例の、動物たちと会話した奇妙な話を、みんなにしてしまった。
音楽家のリッキーは、このミーティングの後、駆け寄ってきて「シュンの体外離脱の話には信ぴょう性を感じた。大変に興味深かった」と言ってくれた。私としては、こんな荒唐無稽な話をみんなに語っても意味があるのかどうか疑問だったが、救われた気分だ。
今回のグループは、前回のゲートウエイ・プログラムのグループとは、雰囲気が違っていた。外国人が少なかった。つまりアメリカ人が中心のせいだろうか?
今回は、黒人もいなかった。米国の白人たちは抱擁だのキスを気楽にする。初対面でもするのだ。もちろん日本人の中でも、私はそういう作法に慣れているほうだろう。でも、今回は何か抵抗を感じてしまい、そういう場面を避けてしまった。若くて魅力的なパティーやイレーンが、気楽にハンサム男のジェフや音楽家のリッキーと、キスや抱擁をしているのを見て、日本人、東洋人として孤高を保ちたい、という気分になったのだと思う。だが、最後の夜はそうも言ってはおられない。
若くて柔らかい雰囲気で、目が可愛くて、綺麗な肌が魅力的なパティーに「シュン、あなたから優しいエネルギーを感じるわ」などと言われて、抱きつかれると、<しまった! もっと早くパティーと友達になっておけば良かった・・・>と思ったが、後の祭りだ。
最後は参加者全員で、マークの息子クリスの無事を祈った。海兵隊員のクリスはイラクで、命がけで紛争に対峙しているのだ。
翌朝七時には、モンロー研究所を出発して帰国の途についた。
ここでも米国人というのは、個人主義で、人のことは気にもしない・・・ということを感じさせられた。
日本人は不要にベタベタくっついて、気持ち悪いところがあるが、米国の白人たちは、お別れしたら、「ハイさよなら」で、その後は、自分のことしか考えない。気配りなどは無用の世界のよう。
さて日本に帰ったが、今回も一週間ほど、お酒が飲めなかった。日本に帰った次の日には、親戚の子どもたち四人が泊まりにきた。九歳から一三歳までの女の子四人なのだが、お昼に寿司屋につれて行った。夏休みの宿題に作文があるので、その役に立つだろうというわけだ。
カウンターで私の隣に一〇歳の子が座った。
「おじさんは猫の考えていることがわかるの?」
「ああ、分かるよ」
「じゃ、私が今、何考えているかも分かる?」
「ああ、わかるよ」
「ジャー、当ててみて・・・」
私は目を閉じてフォーカス一二に入った。目の前に魚のイメージが浮かんだ。
「わかったよ。魚のこと考えていたでしょう」
「え、当たった! 私、海の中にいる魚のこと考えていたの」
これからはなるべくフォーカス一二にいる時間を増やそう。そうするとインストラクターのジョンのように、私にも宇宙人的な雰囲気が出てくるのではないだろうか?
この原稿を書いている最中にモンロー研究所から手紙が来た(九月三〇日)。来年、赤い建物のペン・センターを改修する計画があるのだという。その募金だった。
これには驚いた。この原稿で赤い建物は改修されると感じると書いていたと思うけど。まあ、これも単なる偶然なのだろう。
***
今回の「ガイドライン」プログラムでは、私の三つの大事な過去生(前世)について知ることになった。これが自己催眠や自己の願望を表わす幻想なのか、それとも実際の前世の経験なのかは、もちろんはっきりしない。だが、私は基本的に懐疑派だ。証拠がない限り、簡単には信じられない。
最も大切だというエジプトにおける人生は、私が若いときから大ピラミッドを見にエジプトを訪れていることと符合する。だが、それが前世の影響なのか、あるいは現世で数回エジプトを訪れたことの影響なのかはよくわからない。東欧との関係はあまりない。ブルガリアやセルビアからの留学生をわが家で預かったことがある程度だ。
私の前世で若くして殺されたという青い目の少年は超能力者だという。だが、だれだって超能力には憧れを持っている。私もそうだ。だからそういう願望が、夢となって、イメージとなって現れたのかもしれない。
一つのヒントは<証拠が欲しい>と思ったときに、<一五四〇年の東欧を調べろ>というお告げがあったことだ。このときはモンゴル帝国との関係も感じたので、おもわず一一四〇年の間違いではないの? とガイドに聞き直したが、返事はなかった。モンゴル帝国が東欧を侵略したのは一六世紀ではなく一二~一三世紀であったことは、私程度の歴史知識でも即断できる。
日本に帰ってきて、さっそくインターネットの百科事典ウィキペディアを調べた。
ハンガリーが蒙古の来襲を受けたのは一三世紀だった。一六世紀の一五二六年にハンガリーはオスマン帝国に侵略されて領土のほとんどを失っている。
一方、ブルガリが蒙古の来襲を受けたのは一二四二年で、一三九三年以降はオスマントルコの領土だ。
これで「一五四〇年の東欧を調べろ」との声は、ただの空耳だった・・・ということにしてよいだろう。あーがっかり。 * **
二〇一二年五月に「ピーターパンの世界」の見直しをした。大地舜の新HPに掲載するためだ。その時に気づいたけれど、一五四一年にハンガリーの首都ブダ(ブダペスト)がオスマン帝国の支配下に入っている。ハンガリーを長く支配していたのはモンゴル系のフン族だという。私は蒙古の来襲に気を取られて、オスマン帝国の来襲を忘れていた。瞑想したときのイメージとして、当時の私はモンゴル系である気がしていた。だから蒙古人だと思い込んでいた。私は当時の首都ブダ(ブダペスト)にいたのだろうか? フン族の戦士で、トルコ人に殺されたのか? 六月・・・残念ながらハンガリー人はモンゴロイドではないそうだ。「図説ハンガリーの歴史」によるとハンガリー人の先祖はマジャル人で、匈奴でもなく、モンゴロイドでもないという。そういえば現代のハンガリー人は、どうみてもモンゴリア系ではない。
三回目のモンロー研究所
ライフライン「Lifeline」
モンロー研究所の「ライフライン」プログラムに参加する為、ふたたび成田を飛び立ったのは、一〇月七日(土)だった。
飛び立つ前の一週間、『古代の洞窟』(T・ロブサン・ランパ著)と『チベット永遠の書』(T・イリオン著)を読んでいたが、それらを読み終え、飛行機の中では『臨死体験』(立花隆著)を読み始めた。
『古代の洞窟』はチベット少年僧の不思議な物語だが、一番興味深かったのはチベットの高僧が「世界で最大の力は性ではなく、想像力だ」と述べていることだ。想像力とはイマジネーションとうことだろう。これには「ウーン」と唸ってしまった。
世界で最大の力は「愛」だというなら分かりやすい。「性」だと言われたら、ちょっと躊躇する。「性」が大事なことは分かる。人類が存続できる唯一の方法だからだ。宇宙は魂の交流としての性の営みには寛大だと、私も思っている。だが、なんで「想像力=イマジネーション」が世界最大の力なのだろう。
これは気になる。なぜなら、モンロー研究所ではいろいろなイメージが浮かぶが、それをどう捉えてよいかが分からないときがあるからだ。たとえば体外離脱もイマジネーションの世界だ。前世(過去生)のことを知ったのもイメージからだ。
これまでイマジネーションというと、想像の産物であり現実ではないから劣る・・・という認識があった。だが、想像することは現実よりも大事らしい。これまでは創造力を高く評価して、想像力を低く見ていた。だが、イマジネーションがなければ「愛」も「性」も芸術作品も生まれない。想像力がなければ性的衝動も起こらない。芸術家が美しいシャンデリアのイメージを持たないと、シャンデリアも生まれない。
そうなるとイマジネーションから生まれるイメージを馬鹿にしてはいけないことになる。日本語で、想像と創造が同じ発音であるのは、偶然ではないのかもしれない。創造するには想像力(イマジネーション)が必須なのだ。
想像には空想も白昼夢もある。だがこれらにも大切な価値があるのだろう。
また「想いは実現する」ことも常に現実生活で感じている。「想い」というのも現実ではなくイマジネーションだ。だが、想いのイメージは現実化する。そこでこの一〇年間、善い想いで頭をいっぱいにしておくように心がけている。そうすると善いことばかり起こるのだ。
モンロー研究所に行く前に「イマジネーション」について再考できたのはプラスになった。なぜならヘミシンクの世界は、まさにイマジネーションの世界だからだ。
『チベット永遠の書』も興味深かった。著者のT・イリオンはドイツの探検家だが、並の人でないことは、読み始めてすぐに分かる。なかなか優れた人物だと感じさせるところがある。この本からも優れた洞察をたくさん得たが、気になったのは、後半に出てくる谷間の地下都市の話だ。
この都市の支配者は悪の神だ。霊の世界には「悪」と「善」があり闘っているというわけだ。このような思想は五〇〇〇年以上前からあるが、モンロー研究所の経験はどうなのだろう?
ヘミシンクの世界でも霊の世界に入っていく。そこでは悪霊と出会うことは無いのだろうか? 私の体外離脱は楽しい経験ばかりだが、ゲートウエイ・プログラムで一緒だったアイコは、体外離脱をして、いろいろと恐い経験もしている。この違いはどこから生まれるのだろう。
こんなことを考えていたら、ワシントンDCのダラス空港に到着した。
飛行機の中で通路を隔てた隣に座っていたアメリカ人の男は傍若無人だった。着陸のアナウンスがあっても安全ベルトはしない。椅子の背も足元のペダルも元の位置に戻さない。ビジネスクラスだったが、スチュワーデスが注意するかとおもったが、何も言わない。隣には中年の女性が座って本を読んでいたが、見て見ぬふりしている。私も観察するだけで何も言わなかった。
あとで分かったが隣に座っていた女性は奥さんだった。欧米では基本的にすべてが自己責任。だから安全ベルトをしてくださいとアナウンスをして、その要請に応えなければ、あとは本人の責任だ。だから私も捨てておいたが、<まあ、よくやるわ>と感心した。日本人にも似たようなタイプの人はいるが、ここまで規則を無視する人は珍しい・・・いや、意外に多いのだろうか? そういえば、東南アジア方面から帰国したときにはイエローの紙に病気になったかどうかを報告する義務がある。だがそれを無視して通り抜け、係員に追いかけられている太った日本人のおじさんがいた。ヤクザには見えなかったが、傍若無人に振る舞う日本人も結構いるのだ。
シャーロッツビル空港ではモンロー研究所の迎えの車が来ていたが、今回も前回同様、日本人の参加者は私を含め三名だった。一人は東京から来たHさん(男性)。もう一人はフロリダでレストランを経営していたという滞米三三年になるMさん(女性)だ。Mさんは昨年のハリケーンの影響で日本の駐在員が帰国してしまい、お店を閉めて今では悠々自適の生活をしているらしい。
今回は「ライフライン」というプログラムに参加したのだが、私は、このプログラムの狙いをはっきりと分かっていたわけではない。今年の四月に参加を決めていたので、自動的に来てしまったのだ。
八月の「ガイドライン」のプログラムも、あまり趣旨を理解しないで参加したのだが、結果は良かった。今回はどうだろう? わざわざアメリカまで来て失望のうちに帰るのでは・・・という一抹の不安もある。
このプログラムについて知っていたのは、世の中には浮かばれない霊があるので、その救済活動をすることだった。私の親戚にも納得できない死に方をした人がいる。自殺だ。そのような霊は、まだ成仏できずに地上をさ迷っているかもしれない。そうならば、その方の霊を助けたい・・とぼんやりと考えていた。つまり、それが今回のプログラムに参加する私の理由だった。
迷っている霊の救済以外に、何をするのかは、知らなかったのだが、来てみたら、まさにそれだけのプログラムのようだ。
モンロー研究所でフォーカス二七と呼ぶ場所には、死んだ霊のレセプションセンターがあり、そこで霊は休息し、次の人生の計画を練るという。一方、成仏できずに迷っている霊はフォーカス二三で徘徊しているという。フォーカス二三は亡くなった方が最初に行く場所だが、そこにいつまでも留まっているのが、成仏できなかった霊なのだ。
成仏できない理由にはいろいろあるようだ。まず、突然の事故などで心の準備ができないうちに死んでしまうことがある。あるいは現世に執着が残っていると成仏できないらしい。そうなると、自殺した人々は覚悟の上の死だろうから、成仏しているのだろうか? まあ、その辺は、この一週間のプログラムで明らかになるのだろう。それにしても映画『ニューヨークのゴースト』のような世界に入り込むわけだ。
最初の二日間は、これまでの復習だった。参加者によって異なるが、毎日、ヘミシンクを欠かさずに聞いて瞑想をしている人もいれば、雑事に追われて、瞑想の時間を持てない人もいる。そこで、最初の二日間は復習をするのだ。
フォーカス一〇は身体が眠り、意識が覚醒している状態だ。フォーカス一二に入ると意識が宇宙にまで拡大され、猫や犬とも意識がつながってしまう。私はフォーカス一二が好きだ。ここで、多くの人々と意識を通じさせることができる気がするからだ。
フォーカス一五は時間のない世界だが、私にとっては深い暗闇でしかない。フォーカス二一に行くと、ここは人間の意識の最後の領域で、霊の意識の世界に入っていく橋の場所だという。ここも私にとっては深い暗闇でしかないが、なにやらエネルギーが動いている感じは受ける。まあ、自己暗示かもしれないが・・・。
今回の「ライフライン」プログラムで探求するのはフォーカス二三,二四,二五,二六,二七だ。
フォーカスの二四~二六をモンロー研究所では「信念の領域」と呼んでいる。つまり現世の人々が天国だとか地獄だとか、信じ込んでいる世界がここにあるのだという。そういう信念を持つ人々は、まずこのフォーカスレベルに入るらしい。だが行くべきところはフォーカス二七なのだ。
この二日間、特別なことは何も起こらなかった。ルームメイトは歯医者のエリックだが、彼も同じ状態で、どのフォーカスレベルも真っ暗闇でイメージは何も浮かばないという。
シンガポールから来ている銀行家のローへットは、ボンベイ出身のインド人だが、二〇一一年八月ごろ、日本列島が沈没するから気をつけろ・・・と警告してくれた。彼の知る多くの霊能者が口をそろえて、二〇一二年前後の地球に大異変が起こると感じているのだそうだ。そういえばマヤの予言も同じ時期を示しているが、この時期に太陽系は天の川のもっともチリが密集している中心部を通り抜けるのだそうだ。
三日目・参加者には二つのタイプ
三日目に入ったが、私にもエリックにもやはり何も起こらない。フォーカス一〇からフォーカス二七まで真っ暗闇だ。時々、人の姿や石の構造物や、病院みたいなものがフォーカス二三や二五で見えたようだが、一瞬にすぎない。
だがクリスという女性はいろいろ見ている。フォーカス二三には人がいっぱい居るという。フォーカス二七ではピックアップトラックに乗る三人の家族連れと出会っている。ブラッドと名乗る男に奥さん、それに一〇歳ほどの息子だ。
ブラッドが「どっかに電話かけるところは無いか。ここはどこだろう? おれたち交通事故にあったのかな」と聞く。クリスは首をすくめた。<あなたは死んだのよ・・・>と言いたかったがやめたという。奥さんは青いドレスを着て、ブラッドの時計は黒だった。クリスは近くに見えるオリエント風の建物を指さした。「あー、あすこに電話があるかもしれないな、ありがとう」と言って、三人は建物の中に入っていった。クリスは黙って見送ったという。その建物こそ霊のレセプションセンターなのだろうとクリスは言う。
***
モンロー研究所の参加者には二つのタイプがあるようだ。一方の人々は、モンロー研究所のことをよく知っており、ボブ・モンローの著作などをすべて読み、関連書物にも詳しい。彼らを見ていると、少し知識が豊富過ぎるのでは・・・と疑問に感じるときがある。自分で真新しい体験するのではなく、書物に書かれていることを、再体験しようとしているのではないか・・と疑問を感じさせられてしまう。
別の多くの人々は、ボブ・モンローの本も関係図書もほとんど読んでいない。私やルームメイトのエリックも、このタイプだ。
エリックは「一〇〇%何も見えなくても、イメージが浮かばなくても、悲しいけれども、構わない。自分の体験に正直でありたいんだ・・・ボブ・モンローの本も読まないようにしている。前回受けたガイドライン・プログラムでもたいしてイメージが浮かばなかった。それでもなにかいいことがある気がするんだ」という。
ルームメイトのエリックは歯医者だが、左手も右手もまったく同じように使えるという異能者だ。子供の時から両手を同じように使えたのだという。彼の右脳と左脳はヘミシンクの音を聞かなくとも同調しているのではないだろうか? でもそうならば、体外離脱などをとっくにしていそうなものだが、経験がないと言う。
この異能者のエリックは、私以上にどこのフォーカスレベルに行っても、何の映像も見えなくて悩んでいた。
黒人男性のレジーは、消防士だが、ボブ・モンローの本はすべて読んでいる。いろいろ情報通で、フォーカス二七などでもよく映像を見ている。だが、レジーは体外離脱をしたことがないという。私の場合、ほとんどのフォーカスレベルで映像が見えてこない。
レジーは「シュンはフォーカス二七でイメージが見えるようになるよう頑張れや。おれは体外離脱するよう頑張るよ・・・」と言う。
だがもちろん私は、頑張るつもりなどまったくない。私もエリックと同じで、
「何かを体験できれば素晴らしい、でも、何が起こらなくてもいいじゃないか・・・。起こる必要性があれば、それは起こる」という立場なのだ。
* **
さて、ここまで書いたのは二〇〇六年一〇月下旬だった。それからチベット密教の「ポア」の修業にヨーロッパのマルタ島に行き、フィリピンのセブ島で同窓会を開催して一一月がつぶれ、一二月に入ってからは外国からのお客さん、遠隔透視者のジョー・マクモニーグル夫妻を案内しての京都行き、その後、タイに急用で飛んでいき、あっというまに二〇〇六年が終わってしまった。
再度、この原稿に取り掛かったのは二〇〇七年一月一〇日。まあ、テープもメモもあるので、原稿は書けるのだが、あー忙しかった・・・。この期間に『臨死体験』上下、『マインドトレック』『FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグル』『未来を透視する』(いずれもジョー・マクモニーグル著)を読み終え、今、『Journeys Out of The Body』(ロバート・A・モンロー著)の原書を読んでいる。
四日目・軽くて小さな女の子
四日目に入った。この日は朝からフォーカス二七に入った。いつまでも何も見えないでいる私はやけになり、勝手にレセプションルームを創ることにした。レセプションルームとは、死んだあとの意識が癒しを得て、次の人生を計画する場所だ。
心に浮かんだのは中国風の庭園と建物だった。庭には池があり鯉が泳ぎ、そよ風が吹き、建物の屋根は蓮のような形で緑色、柱は赤。石畳の道が池までつづいている。花は黄色と赤の匂いがする。
庭園を想像し、勝手に遊んで、憂さ晴らしをしていたわけだが、朝の二回目のテープは、なんと「フォーカス二七に自分がリラックスできる場所を創りなさい」という内容だった。私は一足先に作っていただけだったのだ。
朝の三回目のテープは、この自分で作った場所に会いたい人々を呼びなさいというものだった。親戚のおじさんやらおやじやおふくろをこの素敵な中国風庭園に招待したのだが、誰もやってこない。誰にも会えず、何も起こらない。何も起こらずただ待つのもつらいものだ。ライフライン・プログラムに来たのは、間違いだったのか・・・という疑問も頭をもたげてくる。
昼食の後から午後四時までは自由時間だ。このときに午前中に手渡された資料に目を通した。モンロー研究所の創始者ボブ・モンローの書いた本の一部だ。
この資料によると、ボブ・モンローは奇妙な経験をいろいろしているようだ。たとえば、体外離脱して過去世における自分に出会っているらしい。あるいは過去世で死んでいく自分と話をしている。
この資料を読んだせいだろうか、午後のセッションから、私も奇妙な体験をするようになった。
この日四回目のテープはフォーカス二七(F二七)に行き、フォーカス二三(F二三)まで戻り、迷える魂を救出するというプログラムだった。これは私やエリックにとっては難問だ。二人ともF二三は真っ暗闇だからだ。
インストラクターのリー・ストーンは、「心を込めて助けたい人の名前を言いなさい」という。あるいは「誰かを助けられると信じなさい」という。
そんな無理な・・・。
F二七からF二三に戻ったのはいいが、やはり真っ暗闇だ。魂が迷っているかもしれない人の名を呼んでも、何も起こらない。F二三の真っ暗闇でどんどん時間が過ぎていく。ボブ・モンローの声がヘッドフォンから聞こえてくる「さあ、助けた人の手を取って、フォーカス二七に行きましょう! 今すぐです」
私はパニックに陥った。何しろF二三では人など見えないし、真っ暗闇なのだから、無理な注文だ。ぶつぶつ文句を言いながら、私はF二三の暗闇に手を伸ばし、「エイ!」と誰かの手を握って、F二七に向かった。
なんと、私の手の中には一〇歳ぐらいの軽くて小さな女の子の手があった。F二七に向かうが、白い服を着た髪の長い可愛い子が一緒にいる。無口でなにも話さないが、こんなに小さいときに死ぬのは白血病にでもかかったのかな・・・と思った。
F二七に到着すると、この子は白い光の中に入っていった。
五回目のテープも救助作業だった。
同じようにしてF二三の暗闇で「エイ!」と誰かの手を握ってF二七に連れていくのだが、今回は若い男の子だった。次は青年だった。彼らについては何も感じなかった。
これはただ私が勝手にイメージを作り上げているに違いない、と想い、途中で二人の手を離してしまった。二人とも暗闇に消えていった。彼らは死人なのだろうか? なにか現実離れしている。そもそも、魂の救出などという考えが現実離れしているのだから、当然だが・・・。
このセッションの後、インストラクターのリー・ストーンからコメントを受けた。
「シュンの場合、手首をつかんで引っぱり上げるのが巧く行っているから、それを続けるべきだ。相手から反応がなくても、フォーカス二七まで連れていって、反応を見るといい」
他の人々の成果を聞いたが、みなさん大きな成果を挙げていた。リギヤという女性は、井戸の中に落ちていた人を助けたという。
夜は『ザ・シークレット』という映画を観た。これはゲートウエイ・プログラムですでに見た映画だ。そう、「思いはすべて現実化する」という映画だ。
五日目・過去世にでてきた男の子
五日目に入った。水曜日であり、プログラムにとって最も重要な日だ。この日までに何も起こらなければ、たいした成果がなかったことになる。
朝の最初のテープは、フォーカス二七(F二七)に行き、そこで若返りと癒しの場所を訪れるという。私の目に浮かんだ癒しの場所は、木造の広い茶色の建物で、ベッドが置かれており人々が横たわっている。どちらかというと東南アジア風の雰囲気だ。他の人々が見た癒しの場所は、西洋風の白い病院のような建物だった。こういう所にも文化の違いが出てくるのに違いない。いつかもっと詳しく述べることがあると思うが、意識の世界は「森羅万象なんでもあり」なのだ。
二度目のテープはF二七に行ってから、死んだら最初に行く場所であるフォーカス二三(F二三)に戻り、そこでいまだに迷っている魂を救出する例のプログラムだった。
インストラクターのリーの言葉に従い、今回は迷いがあっても、ともかく誰かの手首を捕まえたら、F二七まで連れていこうと決めていた。
相変わらずF二三は真っ暗闇で、何も見えないが、手を差し伸べると誰かが必ず引っかかってくる。最初は一五歳ぐらいの愛嬌のある太めの娘さんだった。途中まで手をつないでいたのだが、途中から、彼女一人で上に行ってしまった。<いったい、どうなっているんだ、これは・・・>
仕方ないのでもう一度F二三に戻り、手を差し伸べたら、青い目の男の子が現れた。見覚えのある子だ。ガイドライン・プログラムで私の過去世にでてきた男の子だ。<なんだこれは? 変だ・・・>と思ったが、リーの言葉を思い出し、なんでもいいからF二七まで連れて行った。このときは何となく以心伝心ができた。
この子は一緒に死んだ筈の「妹を探している」というか「待っている」という。男の子が牢獄に閉じこめられている映像も目に浮かんできた。たぶん「妹は天国に行っているんだよ」と私が伝えると、男の子は素直についてきた。F二七では白い光の中に人が待っており、その人が男の子を連れ去った。
そのとき<もしかすると、この為に私はライフライン・プログラムにくる必要があったのかな・・・>と思った。
三回目のテープはF二七でのフリーフローだった。つまり好きなことをやって良いのだ。
そこでF二七の癒しのセンターに行って、ベッドの横たわり、光のヒーリングを受けた。ついでに三五歳まで若返らしてもらった。次に中国風の建物に行き、「パーティーだ、みんな集まろう」と呼びかけたら、続々とやってきた。おやじにおふくろ、青い目の男の子、三宅のおじさん、ハーカー先生、火事で亡くなった幼稚園の先生、高校生の時に自殺した中村、大学生の時に自殺した市川など、みんな勢ぞろいだ。このプログラムに参加する最初からの目的だった親戚の方もいた。
みんなにこにこ笑顔だ。なにやらほっとした。単なる幻覚に過ぎないのは分かっているが、それでも嬉しい。
以心伝心だが、今の私は順調で、ガイドたちの助けはそれほどいらないらしい。
このテープセッションの後、私はすごく満足していた。もちろん幻覚であり、自分の見たいものを見ているのに過ぎないことは分かっているが、それでも心が浄化された気分だ。
午後四時からは再び、魂の救出作業を続けた。
今回はたくさんの魂を救出した。前回、手を放してしまった若者も現れた。この若者は一〇〇年前の魂らしい。平安時代の「しずか」という女性も助けた。長い黒髪が美しかった。一二歳のアメリカ人の女の子は五〇年前に火事で亡くなっていた。場所はリトルロックだという。
このプログラムを行いながら、霊の救出も良いけれど、現実の世界で助けを必要としている人がたくさんいるじゃないか・・・と疑問を感じた。死んで迷っている霊も、助けが必要だ。だが、現世にも助けを必要としている人々がたくさんいる。彼らを助けなくていいのか?
このセッションの後、小さなグループに分かれて、報告会を行った。ルームメイトのエリックは泣き出しそうだった。F二七に自分の気に入った場所すら創れないのだという。そこで私は助言した。「フォーカス二七に自分の家を造ったらいいじゃん」。エリックは「うん。それなら可能かな・・・」という。もう一人のインストラクターのシャーリーンは「それはいい考えよ。ナンシー・モンローも同じことをしていたわよ」という。
夜は『剃刀の刃』という有名な小説の映画化を見た。サマセット・モームのこの小説は、高校時代に読んで感激したものだ。
木曜日は最後のプログラムがある日だ。金曜日には解散する。
この日はリラックスしていた。昨日の体験で、だいぶ満足していたせいだろう。
だがそれにしても、青い目の男の子の救出は何だったのだろう? 過去に死んでいて、まだ成仏していないなら、私が今、生きているはずがない。この疑問にはプログラム参加者の一人、エドウインが答えてくれた。
エドウインはF二三に自分自身がいるのを見たという。彼の解釈によると、異次元の意識の世界、あるいは霊の世界における時間は、私たちが知っている直線的な時間とは違うのだという。すべては、今起こっているのだという。
つまり、異次元の意識の世界には時間も空間もなく、霊の世界には過去も現在も未来も同居しているという。だから前世であるはずの青い目の少年の霊を、現在の私が助けるなどという奇妙な現象も起こるのだという。
エドウインによると、助けが必要なのはわれわれであって、他人ではないという。そうなると、今回このプログラムで助けた人々は、すべて自分の過去生なのか? あるいは未来の自分なのだろうか?
ますます訳が分からなくなったが、当然だろう。宇宙の仕組み、異次元の世界は、私たちの理解を超えているからだ。
だが、もしも救助していたのは自分の分身たちだったとすると、このプログラムに参加した意義は大いにあるのではないだろうか。なぜなら、だれも他の人は助けてくれない可能性があるからだ。
五日目の午前中のプログラムの最初は、「バイブフロー」というテープで、振動によるヒーリングを狙ったテープだが、気持ちよく眠ってしまった。
二本目はF二七で癒しの場所に行くプログラムで、光による癒しを受けた。これも気持ちよかったが、私の身体は万全な状態だと自覚できた。
三本目はF二七のフリーフローで救出作業を行えと言う。今回はチベットの小坊主を救出した。五〇〇年前に崖から落ちて死んだらしい。
その後は青い目の男の子を呼び出して、一緒に救出作業をすることにした。青い目の子と一緒にF二三に行ったのだが、この子は毛がフサフサした大きな犬を助け出してきた。生きているときに可愛がっていた犬だそうだ。
次は、わが家の猫の先代のピピを探した。先代のピピは生まれて二ヶ月も経たないうちに病気で死んだのだ。小さなピピを見つけ出し、両手で抱えてF二七まで行った。これまた気休めに過ぎないただの幻想だとは思う。だが、気分は良かった。動物は、人間が連れていかない限りF二七には行けないのではないだろうか。
救出作業も充分に行ったと感じたので、ガイドに質問をした。
「私の今生における使命は何か?」というものだ。
答えはすぐに出て来た。
これまた、自己願望・自己催眠のたぐいだろう。
最後に、もう一度、おやじやおふくろなど、みんなと会った。
幻想の世界だろうが、またみんな集まってくれた。今回はオーストラリアの友人キースも来ていた。
このプログラムの参加者たちは、いろいろな経験をしていた。白人女性のクリスは、レセプションセンターで黒人のレジーに会って、いろいろ話したという。クリスはF二七で会ったことを証明する為に、レジーに秘密の合言葉を教えたが、レジーは「覚えている自信がない」と答えたそうだ。
レジーもF二七でクリスと会って会話したと証言した。二人は一緒にスイミング・プールのある部屋まで歩いて行ったと言うが、見た場所の説明は良く似ている。二人ともガラスの円天井の下にあるスイミング・プールに行ったのだ。
ルームメイトのリックは、F二七に自分の家を建てることに成功したと、喜んでいた。
夜は、このプログラムの感想をそれぞれ述べて終わった。
私はモンロー研究所に来るといつも感じることを述べた。ここに集まってくる人たちは、世界でももっとも興味深くまた、人種偏見もない特別な人たちなのだ。輪廻転生があることを知っており、過去生において日本人であったり、インド人であったと信じている白人や黒人たちは、私たち黄色人種にとって一番、親しみやすい人々だ。彼らには人種偏見がない。だからすごくアットホームな気分でいられる。こういう世界は、かなり珍しい。普通の人々の人種偏見は、日本人を含め、根深いものがあるからだ。
***
「ライフライン」プログラムでは何を学んだのだろうか。
すべては幻覚なのだろうか。あるいは過去世あるいは来世でさ迷っている自分の魂を救出したのだろうか。これは面白い発想だ。たとえば前世の青い目の男の子は超能力者だった。現在の私は超能力者とはほど遠い。だが青い目の男の子を救出したので、これから私にも超能力が芽生えてくるのだろうか。
死後の世界もかいま見たが、死ぬことは恐ろしい経験ではないようだ。死ぬのは一つの段階に過ぎず、また次の人生という挑戦が待っていると思う。このことは、そう思うだけであり、何も証明されているわけではない。だいたい私たち人間が、霊の世界や宇宙について、完全に理解できると思うのは、それこそうぬぼれであり、錯覚に過ぎないだろう。
自殺すると天国や浄土に行けないという説も、間違いのような気がする。これまた魂の成長の一段階に過ぎないのではないだろうか。
このプラグラムを受けて変わったことは、死が恐ろしくなくなり、生きることがさらに楽しくなったことだ。これからも残りの人生、いろいろなことに大いにチャレンジしようという意欲がさらに高まってしまった。
帰国の飛行機の中で、立花隆の『臨死体験』上・下を読み終えた。
立花隆は、臨死体験と体外離脱を「脳内説」と「現実説」のどちらで説明するのが正しいかと悩んでいる。だが、そもそもこの前提がおかしいことに気づいていないようだ。
「脳内説」というのは、これらの現象が脳の中の化学反応で起こった錯覚だとする意見だ。一方「現実説」は、臨死体験や体外離脱で経験したことを、実際に起こった現実だとする立場だ。
だが、「脳内説」や「現実説」で宇宙の仕組みや精神世界を説明できると思うのは、私たち人間の驕り、思い上がりにすぎない。このように単純化して理解が可能と思うこと事態、宇宙の仕組みや精神世界を卑小化しているのだ。
宇宙も精神世界も人知を超えた「何でもあり」の世界なのだ。したがって「脳内説」も「現実説」もある面で正しいし、また間違ってもいる。まあ、部分的に正しいといったらいいのだろうか。
ボブ・モンローの体外離脱と私の体外離脱を比べても、まったく種類が違う。私がこれまでの体外離脱で見た世界は大体において荒唐無稽であり、過去に行ったり、ヨーロッパに飛んだり、動物と話をしたりする。だが、私の希望する「創造力の開発」には大いに役立っている。私の頭はどんどん柔らかくなっている。
私が「体外離脱でもするか・・」と思ったきっかけは、自分の石頭を柔らかくしたいからだった。そう、もっと想像力が逞しくなり、創造性を発揮できたらいいな、と思ったのだ。
一方、ボブ・モンローの体外離脱は、今読んでいる『Journey Out of The Body』の内容から推察するところでは、現実的で現世的のようだ(まだ半分しか読んでいないが)。
つまり体外離脱も千差万別で、森羅万象のごとく多彩なのだ。
もう一つ、立花隆は量子力学による異次元の世界の可能性を取り上げていないのも片手落ちだと感じた。最新の量子力学の世界は、異次元の世界、パラレルワールドの存在について肯定的なのだ。
もう一つ、そもそも宇宙の仕組みや精神世界を語るのに、『言葉』を使うところから、私たちの理解にも表現にも限界があるのではないだろうか。
「バベルの塔」を建設する前、人類は一つの言葉を話していたというが、それはテレパシーの事だと思う。テレパシーが使えなくなり、言葉や文字を使うようになって、人間の理解力はある面で制限されるようになったのに違いない。
人間の五感は狭い世界しか捉えられない。同じように言語はさらに狭い世界しか表現できない。
誰であろうと、言語に頼ろうとする人々は、学識はあるが賢人ではないようだ。賢人は昔から文字を残さない。何も語らずに生き方で示すのが賢人だ。釈迦もキリストも孔子も、文書を残してはいない。弟子たちが創った文書があるだけだ。なまじ言葉として残すと真実は伝わらないし、悪用されるのがオチであることを賢人たちは知っていたのだろう。
宇宙の仕組みとか精神世界の構造に関する「真の知識」は、言語という不完全な仕組みでは表現できないのではないか。以心伝心、テレパシー、直感などの超常能力が必要なのではないだろうか。だから古代の人々は。ギザの大ピラミッドやルクソール神殿などの建造物によって「真の知識」を伝えているのではないだろうか。
さらにもう一つ感じたのは、著者・立花隆には限界があることだ。臨死体験や体外離脱などの超常現象は、自ら体験しないと納得できないのだ。神戸牛がいくら「美味い」と言われても、食べて実感しないと「納得できない」のと同じなのだ。つまり立花隆は残念ながら、『臨死体験』や体外離脱を書ける立場にはいなかった。自ら経験していないからだ。だから評論家に徹してしまい、いまいち理解も食い込みも足りなくなってしまっている。
ところが同じ超常現象でも、自ら経験しなくとも、理屈だけで「納得できる」世界がある。それはジョー・マクモニーグルによる遠隔透視の世界だ。これは極めて特別な例だと思う。ジョー・マクモニーグルは、すでに宇宙の仕組みとか精神世界の構造に関する「真の知識」をずいぶん明らかにしている。少なくとも彼は、異次元の意識の世界が存在することを充分に証明している。
ジョー・マクモニーグル夫妻とは二〇〇六年一二月に数時間話し込んだことがある。またモンロー研究所のプログラムで二回ほど、講演を聞いたことはすでに『ピーターパンの世界』で紹介した。
ここで、ジョー・マクモニーグルの遠隔透視の話に入りたいところだが、後回しにしなければならない。
というのも、マルタ島の魔女たちから招待状が来たからだ。ヨーロッパは地中海のマルタ島で、チベット密教の高僧・生き仏による『ポア』(転移)の修業に参加しないかというのだ。九日間にわたる『ポア』の修業をすると、死をむかえたときに無事に浄土に行けるのだそうだ。
気に入っているマルタの魔女たちの招待だし、ちょうどスケジュールも空いている。チベット密教にも興味がある。そこで一一月に入ってすぐにマルタ島に飛んで行った。
魔女たちとチベット密教
独立国であるマルタ共和国は、イタリア半島の先端にあるシシリー島の、さらに南の地中海に浮かぶ島だ。詳しくはインターネットで、中央地中海通信というサイトを見ていただきたい。
この島は人種のるつぼで、ヨーロッパの中に入れられているが、アフリカの影響が強い。マルタ語もアラビヤ語に良く似ている。人種はヨーロッパ系とアラブ系が入り交じっている。
この島には古代エジプト文明よりも古い巨石神殿があるので、古代アトランティス文明の一部ではなかったかといわれている。写真はハジャーイム神殿だが、これは四〇〇〇年以上前に作られている。一番古い巨石神殿ジャガンティアは六〇〇〇年前に建造されており、古代エジプトの大ピラミッドよりも古い。
淡路島ほどの小さな島に、このような巨石神殿の跡が二〇以上も存在するのも奇妙な話だ。
この島の地下にもハイポジウムと呼ばれる神殿が存在する。
さて、マルタ島に来るのは四度目だが、この島には魔女たちがいる。と、言っても、土地の口の悪い男たちが、男勝りに活躍する女性たちのことを陰で魔女と呼んでいるだけ・・・。だが、事はもっと深刻かもしれない。なぜならマルタ島は保守的なカソリック教徒の牙城だからだ。
時代が中世ならば、私の友人の魔女たちは、確実に火あぶりにされている。たとえば魔女グループのリーダーのジャネットは、占星術師であり、フォークを片手に水脈を当て、霊と言葉をかわせる霊媒だ。二番手のジャーディンは人々の難病を治癒させる能力を持っている。三番手のルイーズは、アロマセラピーやマッサージの専門家だ。なぜか、私は彼らのグループに入っている。何か、気が合うのだ。前世に関係があるのだろうか。
ローマ法王が住むバチカン王国はカソリック教の中心だが、暴動が起こりバチカンから逃げる事態にでもなったら、法王が行くところは、マルタ島しかないと言われている。それほど、マルタ島はカソリック教の強いところなのだ。
ジャネットは毎週のように「スピリチャル」な集まりを主宰している。だが、毎週日曜日のカソリック教会の礼拝では、「この集まりに参加するとあなたは地獄に落ちます」と牧師が信者に警告を発している。
カソリック教会の攻撃を受けているジャネットやジャーディンたちは、反撃に出た。チベット密教の教えをマルタ島にもたらそうというのだ。それが今回の、チベットの生き仏・アヤン・リンポチェによるポア(転移)の修業プログラムなのだ。
マルタ島に到着したのは修業が始まる前日の朝だった。午前一一時ごろホテルにチェックインする手続きをしていたら、お金持ちそうな英国夫人がカウンターにやってきた。白のロングドレスに白髪で、妖精のようなスピリチャルな雰囲気がある。<この人はポアのプログラムの参加者だろうな・・・>と思ったら、英国夫人の方から声をかけてきた。
「あなたはポアのプログラムの参加者でしょう? 一目でわかったわ。私、これから娘を迎えに空港に行くのよ。また後でね・・・」
やれやれ、私にも妖精の匂いがするのだろうか・・・。いや、男だからピーターパンの匂いか・・・。
部屋は一三時まで用意できないというので、荷物を預け、プールサイドのレストランにおもむいた。一一月七日で肌寒いのにヨーロッパ人の観光客たちが、裸になってプールサイドで日向ぼっこをしている。お年寄りが多い。私は生ビールとスパゲティーを注文して、東京に電話をかけた。日本は夜の七時だ。
だが、マルタ島にイタリア風のスパゲティーは無かった。あるのは短く切られたパスタ料理だけだ。イタリアのスパゲティーの元祖は中華麺だといわれているから、マルタ島まではマルコ・ポーロの影響が及ばなかったということうか。
私の部屋は四階で、港を見渡せる。一眠りしてから夜の七時に二階のメイン・ダイニングルームに行って食事をすることにした。
メイン・ダイニングルームに入ると、ウエイトレスが、「どうぞこちらに・・・」と案内してくれる。案内されたのは大テーブルで、二〇名ぐらいの人々が座っている。
「ハイ、シュン、ウエルカム! どうぞ空いている席に座って・・・」と、魔女ジャーディン。魔女ジャネットやルイーズも顔をそろえている。
テーブルの端にはチベット僧の赤い僧衣を着た人が三人いる。その隣を無理して空けようとするので、「ここで十分です」と慌てて、真ん中あたりにある空席に座った。どうやら、わざわざ日本からマルタ島までチベット密教を学びに来る奇人がいることは、プログラム参加者に知れ渡っているようだ。
隣に座ったキャットとよばれるマルタ女性は、英国に在住しており、ハリウッド映画のプロデユーサーのアシスタントをしているという。
「最近、南アフリカから帰ってきたの。『紀元前一万年』という映画の撮影を終わらせたのよ。大変だったわ」
ということは、キャットは私の友人の作家グラハム・ハンコックとも会っている。グラハムは『紀元前一万年』の撮影現場に行っているからだ。でもキャットに、グラハム・ハンコックの話はしなかった。
夕食の後、部屋に戻るときに「しずかちゃん」が話しかけてきた。漫画『ドラえもん』にでてくる「しずかちゃん」にそっくりな女性に出会ったのだ。彼女はまだ二四歳、英国の大学を卒業している。名前はヘルガ。大学で日本画を専攻したまだ可愛らしい画家だ。
この九日間、すべてにできの悪い「のび太」のような私は、この優秀なヘルガちゃんにすっかり面倒を見てもらってしまった。(つづく)
「ピーターパンの世界・第一部おわり」
木曜日の夜はプログラムの最後になる。
それぞれこの一週間の感想を述べた。
ルームメイトのマークが「シュンに体外離脱の話をみんなとシェアして欲しい」と発言したので、例の、動物たちと会話した奇妙な話を、みんなにしてしまった。
音楽家のリッキーは、このミーティングの後、駆け寄ってきて「シュンの体外離脱の話には信ぴょう性を感じた。大変に興味深かった」と言ってくれた。私としては、こんな荒唐無稽な話をみんなに語っても意味があるのかどうか疑問だったが、救われた気分だ。
今回のグループは、前回のゲートウエイ・プログラムのグループとは、雰囲気が違っていた。外国人が少なかった。つまりアメリカ人が中心のせいだろうか?
今回は、黒人もいなかった。米国の白人たちは抱擁だのキスを気楽にする。初対面でもするのだ。もちろん日本人の中でも、私はそういう作法に慣れているほうだろう。でも、今回は何か抵抗を感じてしまい、そういう場面を避けてしまった。若くて魅力的なパティーやイレーンが、気楽にハンサム男のジェフや音楽家のリッキーと、キスや抱擁をしているのを見て、日本人、東洋人として孤高を保ちたい、という気分になったのだと思う。だが、最後の夜はそうも言ってはおられない。
若くて柔らかい雰囲気で、目が可愛くて、綺麗な肌が魅力的なパティーに「シュン、あなたから優しいエネルギーを感じるわ」などと言われて、抱きつかれると、<しまった! もっと早くパティーと友達になっておけば良かった・・・>と思ったが、後の祭りだ。
最後は参加者全員で、マークの息子クリスの無事を祈った。海兵隊員のクリスはイラクで、命がけで紛争に対峙しているのだ。
翌朝七時には、モンロー研究所を出発して帰国の途についた。
ここでも米国人というのは、個人主義で、人のことは気にもしない・・・ということを感じさせられた。
日本人は不要にベタベタくっついて、気持ち悪いところがあるが、米国の白人たちは、お別れしたら、「ハイさよなら」で、その後は、自分のことしか考えない。気配りなどは無用の世界のよう。
さて日本に帰ったが、今回も一週間ほど、お酒が飲めなかった。日本に帰った次の日には、親戚の子どもたち四人が泊まりにきた。九歳から一三歳までの女の子四人なのだが、お昼に寿司屋につれて行った。夏休みの宿題に作文があるので、その役に立つだろうというわけだ。
カウンターで私の隣に一〇歳の子が座った。
「おじさんは猫の考えていることがわかるの?」
「ああ、分かるよ」
「じゃ、私が今、何考えているかも分かる?」
「ああ、わかるよ」
「ジャー、当ててみて・・・」
私は目を閉じてフォーカス一二に入った。目の前に魚のイメージが浮かんだ。
「わかったよ。魚のこと考えていたでしょう」
「え、当たった! 私、海の中にいる魚のこと考えていたの」
これからはなるべくフォーカス一二にいる時間を増やそう。そうするとインストラクターのジョンのように、私にも宇宙人的な雰囲気が出てくるのではないだろうか?
この原稿を書いている最中にモンロー研究所から手紙が来た(九月三〇日)。来年、赤い建物のペン・センターを改修する計画があるのだという。その募金だった。
これには驚いた。この原稿で赤い建物は改修されると感じると書いていたと思うけど。まあ、これも単なる偶然なのだろう。
***
今回の「ガイドライン」プログラムでは、私の三つの大事な過去生(前世)について知ることになった。これが自己催眠や自己の願望を表わす幻想なのか、それとも実際の前世の経験なのかは、もちろんはっきりしない。だが、私は基本的に懐疑派だ。証拠がない限り、簡単には信じられない。
最も大切だというエジプトにおける人生は、私が若いときから大ピラミッドを見にエジプトを訪れていることと符合する。だが、それが前世の影響なのか、あるいは現世で数回エジプトを訪れたことの影響なのかはよくわからない。東欧との関係はあまりない。ブルガリアやセルビアからの留学生をわが家で預かったことがある程度だ。
私の前世で若くして殺されたという青い目の少年は超能力者だという。だが、だれだって超能力には憧れを持っている。私もそうだ。だからそういう願望が、夢となって、イメージとなって現れたのかもしれない。
一つのヒントは<証拠が欲しい>と思ったときに、<一五四〇年の東欧を調べろ>というお告げがあったことだ。このときはモンゴル帝国との関係も感じたので、おもわず一一四〇年の間違いではないの? とガイドに聞き直したが、返事はなかった。モンゴル帝国が東欧を侵略したのは一六世紀ではなく一二~一三世紀であったことは、私程度の歴史知識でも即断できる。
日本に帰ってきて、さっそくインターネットの百科事典ウィキペディアを調べた。
ハンガリーが蒙古の来襲を受けたのは一三世紀だった。一六世紀の一五二六年にハンガリーはオスマン帝国に侵略されて領土のほとんどを失っている。
一方、ブルガリが蒙古の来襲を受けたのは一二四二年で、一三九三年以降はオスマントルコの領土だ。
これで「一五四〇年の東欧を調べろ」との声は、ただの空耳だった・・・ということにしてよいだろう。あーがっかり。 * **
二〇一二年五月に「ピーターパンの世界」の見直しをした。大地舜の新HPに掲載するためだ。その時に気づいたけれど、一五四一年にハンガリーの首都ブダ(ブダペスト)がオスマン帝国の支配下に入っている。ハンガリーを長く支配していたのはモンゴル系のフン族だという。私は蒙古の来襲に気を取られて、オスマン帝国の来襲を忘れていた。瞑想したときのイメージとして、当時の私はモンゴル系である気がしていた。だから蒙古人だと思い込んでいた。私は当時の首都ブダ(ブダペスト)にいたのだろうか? フン族の戦士で、トルコ人に殺されたのか? 六月・・・残念ながらハンガリー人はモンゴロイドではないそうだ。「図説ハンガリーの歴史」によるとハンガリー人の先祖はマジャル人で、匈奴でもなく、モンゴロイドでもないという。そういえば現代のハンガリー人は、どうみてもモンゴリア系ではない。
三回目のモンロー研究所
ライフライン「Lifeline」
モンロー研究所の「ライフライン」プログラムに参加する為、ふたたび成田を飛び立ったのは、一〇月七日(土)だった。
飛び立つ前の一週間、『古代の洞窟』(T・ロブサン・ランパ著)と『チベット永遠の書』(T・イリオン著)を読んでいたが、それらを読み終え、飛行機の中では『臨死体験』(立花隆著)を読み始めた。
『古代の洞窟』はチベット少年僧の不思議な物語だが、一番興味深かったのはチベットの高僧が「世界で最大の力は性ではなく、想像力だ」と述べていることだ。想像力とはイマジネーションとうことだろう。これには「ウーン」と唸ってしまった。
世界で最大の力は「愛」だというなら分かりやすい。「性」だと言われたら、ちょっと躊躇する。「性」が大事なことは分かる。人類が存続できる唯一の方法だからだ。宇宙は魂の交流としての性の営みには寛大だと、私も思っている。だが、なんで「想像力=イマジネーション」が世界最大の力なのだろう。
これは気になる。なぜなら、モンロー研究所ではいろいろなイメージが浮かぶが、それをどう捉えてよいかが分からないときがあるからだ。たとえば体外離脱もイマジネーションの世界だ。前世(過去生)のことを知ったのもイメージからだ。
これまでイマジネーションというと、想像の産物であり現実ではないから劣る・・・という認識があった。だが、想像することは現実よりも大事らしい。これまでは創造力を高く評価して、想像力を低く見ていた。だが、イマジネーションがなければ「愛」も「性」も芸術作品も生まれない。想像力がなければ性的衝動も起こらない。芸術家が美しいシャンデリアのイメージを持たないと、シャンデリアも生まれない。
そうなるとイマジネーションから生まれるイメージを馬鹿にしてはいけないことになる。日本語で、想像と創造が同じ発音であるのは、偶然ではないのかもしれない。創造するには想像力(イマジネーション)が必須なのだ。
想像には空想も白昼夢もある。だがこれらにも大切な価値があるのだろう。
また「想いは実現する」ことも常に現実生活で感じている。「想い」というのも現実ではなくイマジネーションだ。だが、想いのイメージは現実化する。そこでこの一〇年間、善い想いで頭をいっぱいにしておくように心がけている。そうすると善いことばかり起こるのだ。
モンロー研究所に行く前に「イマジネーション」について再考できたのはプラスになった。なぜならヘミシンクの世界は、まさにイマジネーションの世界だからだ。
『チベット永遠の書』も興味深かった。著者のT・イリオンはドイツの探検家だが、並の人でないことは、読み始めてすぐに分かる。なかなか優れた人物だと感じさせるところがある。この本からも優れた洞察をたくさん得たが、気になったのは、後半に出てくる谷間の地下都市の話だ。
この都市の支配者は悪の神だ。霊の世界には「悪」と「善」があり闘っているというわけだ。このような思想は五〇〇〇年以上前からあるが、モンロー研究所の経験はどうなのだろう?
ヘミシンクの世界でも霊の世界に入っていく。そこでは悪霊と出会うことは無いのだろうか? 私の体外離脱は楽しい経験ばかりだが、ゲートウエイ・プログラムで一緒だったアイコは、体外離脱をして、いろいろと恐い経験もしている。この違いはどこから生まれるのだろう。
こんなことを考えていたら、ワシントンDCのダラス空港に到着した。
飛行機の中で通路を隔てた隣に座っていたアメリカ人の男は傍若無人だった。着陸のアナウンスがあっても安全ベルトはしない。椅子の背も足元のペダルも元の位置に戻さない。ビジネスクラスだったが、スチュワーデスが注意するかとおもったが、何も言わない。隣には中年の女性が座って本を読んでいたが、見て見ぬふりしている。私も観察するだけで何も言わなかった。
あとで分かったが隣に座っていた女性は奥さんだった。欧米では基本的にすべてが自己責任。だから安全ベルトをしてくださいとアナウンスをして、その要請に応えなければ、あとは本人の責任だ。だから私も捨てておいたが、<まあ、よくやるわ>と感心した。日本人にも似たようなタイプの人はいるが、ここまで規則を無視する人は珍しい・・・いや、意外に多いのだろうか? そういえば、東南アジア方面から帰国したときにはイエローの紙に病気になったかどうかを報告する義務がある。だがそれを無視して通り抜け、係員に追いかけられている太った日本人のおじさんがいた。ヤクザには見えなかったが、傍若無人に振る舞う日本人も結構いるのだ。
シャーロッツビル空港ではモンロー研究所の迎えの車が来ていたが、今回も前回同様、日本人の参加者は私を含め三名だった。一人は東京から来たHさん(男性)。もう一人はフロリダでレストランを経営していたという滞米三三年になるMさん(女性)だ。Mさんは昨年のハリケーンの影響で日本の駐在員が帰国してしまい、お店を閉めて今では悠々自適の生活をしているらしい。
今回は「ライフライン」というプログラムに参加したのだが、私は、このプログラムの狙いをはっきりと分かっていたわけではない。今年の四月に参加を決めていたので、自動的に来てしまったのだ。
八月の「ガイドライン」のプログラムも、あまり趣旨を理解しないで参加したのだが、結果は良かった。今回はどうだろう? わざわざアメリカまで来て失望のうちに帰るのでは・・・という一抹の不安もある。
このプログラムについて知っていたのは、世の中には浮かばれない霊があるので、その救済活動をすることだった。私の親戚にも納得できない死に方をした人がいる。自殺だ。そのような霊は、まだ成仏できずに地上をさ迷っているかもしれない。そうならば、その方の霊を助けたい・・とぼんやりと考えていた。つまり、それが今回のプログラムに参加する私の理由だった。
迷っている霊の救済以外に、何をするのかは、知らなかったのだが、来てみたら、まさにそれだけのプログラムのようだ。
モンロー研究所でフォーカス二七と呼ぶ場所には、死んだ霊のレセプションセンターがあり、そこで霊は休息し、次の人生の計画を練るという。一方、成仏できずに迷っている霊はフォーカス二三で徘徊しているという。フォーカス二三は亡くなった方が最初に行く場所だが、そこにいつまでも留まっているのが、成仏できなかった霊なのだ。
成仏できない理由にはいろいろあるようだ。まず、突然の事故などで心の準備ができないうちに死んでしまうことがある。あるいは現世に執着が残っていると成仏できないらしい。そうなると、自殺した人々は覚悟の上の死だろうから、成仏しているのだろうか? まあ、その辺は、この一週間のプログラムで明らかになるのだろう。それにしても映画『ニューヨークのゴースト』のような世界に入り込むわけだ。
最初の二日間は、これまでの復習だった。参加者によって異なるが、毎日、ヘミシンクを欠かさずに聞いて瞑想をしている人もいれば、雑事に追われて、瞑想の時間を持てない人もいる。そこで、最初の二日間は復習をするのだ。
フォーカス一〇は身体が眠り、意識が覚醒している状態だ。フォーカス一二に入ると意識が宇宙にまで拡大され、猫や犬とも意識がつながってしまう。私はフォーカス一二が好きだ。ここで、多くの人々と意識を通じさせることができる気がするからだ。
フォーカス一五は時間のない世界だが、私にとっては深い暗闇でしかない。フォーカス二一に行くと、ここは人間の意識の最後の領域で、霊の意識の世界に入っていく橋の場所だという。ここも私にとっては深い暗闇でしかないが、なにやらエネルギーが動いている感じは受ける。まあ、自己暗示かもしれないが・・・。
今回の「ライフライン」プログラムで探求するのはフォーカス二三,二四,二五,二六,二七だ。
フォーカスの二四~二六をモンロー研究所では「信念の領域」と呼んでいる。つまり現世の人々が天国だとか地獄だとか、信じ込んでいる世界がここにあるのだという。そういう信念を持つ人々は、まずこのフォーカスレベルに入るらしい。だが行くべきところはフォーカス二七なのだ。
この二日間、特別なことは何も起こらなかった。ルームメイトは歯医者のエリックだが、彼も同じ状態で、どのフォーカスレベルも真っ暗闇でイメージは何も浮かばないという。
シンガポールから来ている銀行家のローへットは、ボンベイ出身のインド人だが、二〇一一年八月ごろ、日本列島が沈没するから気をつけろ・・・と警告してくれた。彼の知る多くの霊能者が口をそろえて、二〇一二年前後の地球に大異変が起こると感じているのだそうだ。そういえばマヤの予言も同じ時期を示しているが、この時期に太陽系は天の川のもっともチリが密集している中心部を通り抜けるのだそうだ。
三日目・参加者には二つのタイプ
三日目に入ったが、私にもエリックにもやはり何も起こらない。フォーカス一〇からフォーカス二七まで真っ暗闇だ。時々、人の姿や石の構造物や、病院みたいなものがフォーカス二三や二五で見えたようだが、一瞬にすぎない。
だがクリスという女性はいろいろ見ている。フォーカス二三には人がいっぱい居るという。フォーカス二七ではピックアップトラックに乗る三人の家族連れと出会っている。ブラッドと名乗る男に奥さん、それに一〇歳ほどの息子だ。
ブラッドが「どっかに電話かけるところは無いか。ここはどこだろう? おれたち交通事故にあったのかな」と聞く。クリスは首をすくめた。<あなたは死んだのよ・・・>と言いたかったがやめたという。奥さんは青いドレスを着て、ブラッドの時計は黒だった。クリスは近くに見えるオリエント風の建物を指さした。「あー、あすこに電話があるかもしれないな、ありがとう」と言って、三人は建物の中に入っていった。クリスは黙って見送ったという。その建物こそ霊のレセプションセンターなのだろうとクリスは言う。
***
モンロー研究所の参加者には二つのタイプがあるようだ。一方の人々は、モンロー研究所のことをよく知っており、ボブ・モンローの著作などをすべて読み、関連書物にも詳しい。彼らを見ていると、少し知識が豊富過ぎるのでは・・・と疑問に感じるときがある。自分で真新しい体験するのではなく、書物に書かれていることを、再体験しようとしているのではないか・・と疑問を感じさせられてしまう。
別の多くの人々は、ボブ・モンローの本も関係図書もほとんど読んでいない。私やルームメイトのエリックも、このタイプだ。
エリックは「一〇〇%何も見えなくても、イメージが浮かばなくても、悲しいけれども、構わない。自分の体験に正直でありたいんだ・・・ボブ・モンローの本も読まないようにしている。前回受けたガイドライン・プログラムでもたいしてイメージが浮かばなかった。それでもなにかいいことがある気がするんだ」という。
ルームメイトのエリックは歯医者だが、左手も右手もまったく同じように使えるという異能者だ。子供の時から両手を同じように使えたのだという。彼の右脳と左脳はヘミシンクの音を聞かなくとも同調しているのではないだろうか? でもそうならば、体外離脱などをとっくにしていそうなものだが、経験がないと言う。
この異能者のエリックは、私以上にどこのフォーカスレベルに行っても、何の映像も見えなくて悩んでいた。
黒人男性のレジーは、消防士だが、ボブ・モンローの本はすべて読んでいる。いろいろ情報通で、フォーカス二七などでもよく映像を見ている。だが、レジーは体外離脱をしたことがないという。私の場合、ほとんどのフォーカスレベルで映像が見えてこない。
レジーは「シュンはフォーカス二七でイメージが見えるようになるよう頑張れや。おれは体外離脱するよう頑張るよ・・・」と言う。
だがもちろん私は、頑張るつもりなどまったくない。私もエリックと同じで、
「何かを体験できれば素晴らしい、でも、何が起こらなくてもいいじゃないか・・・。起こる必要性があれば、それは起こる」という立場なのだ。
* **
さて、ここまで書いたのは二〇〇六年一〇月下旬だった。それからチベット密教の「ポア」の修業にヨーロッパのマルタ島に行き、フィリピンのセブ島で同窓会を開催して一一月がつぶれ、一二月に入ってからは外国からのお客さん、遠隔透視者のジョー・マクモニーグル夫妻を案内しての京都行き、その後、タイに急用で飛んでいき、あっというまに二〇〇六年が終わってしまった。
再度、この原稿に取り掛かったのは二〇〇七年一月一〇日。まあ、テープもメモもあるので、原稿は書けるのだが、あー忙しかった・・・。この期間に『臨死体験』上下、『マインドトレック』『FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグル』『未来を透視する』(いずれもジョー・マクモニーグル著)を読み終え、今、『Journeys Out of The Body』(ロバート・A・モンロー著)の原書を読んでいる。
四日目・軽くて小さな女の子
四日目に入った。この日は朝からフォーカス二七に入った。いつまでも何も見えないでいる私はやけになり、勝手にレセプションルームを創ることにした。レセプションルームとは、死んだあとの意識が癒しを得て、次の人生を計画する場所だ。
心に浮かんだのは中国風の庭園と建物だった。庭には池があり鯉が泳ぎ、そよ風が吹き、建物の屋根は蓮のような形で緑色、柱は赤。石畳の道が池までつづいている。花は黄色と赤の匂いがする。
庭園を想像し、勝手に遊んで、憂さ晴らしをしていたわけだが、朝の二回目のテープは、なんと「フォーカス二七に自分がリラックスできる場所を創りなさい」という内容だった。私は一足先に作っていただけだったのだ。
朝の三回目のテープは、この自分で作った場所に会いたい人々を呼びなさいというものだった。親戚のおじさんやらおやじやおふくろをこの素敵な中国風庭園に招待したのだが、誰もやってこない。誰にも会えず、何も起こらない。何も起こらずただ待つのもつらいものだ。ライフライン・プログラムに来たのは、間違いだったのか・・・という疑問も頭をもたげてくる。
昼食の後から午後四時までは自由時間だ。このときに午前中に手渡された資料に目を通した。モンロー研究所の創始者ボブ・モンローの書いた本の一部だ。
この資料によると、ボブ・モンローは奇妙な経験をいろいろしているようだ。たとえば、体外離脱して過去世における自分に出会っているらしい。あるいは過去世で死んでいく自分と話をしている。
この資料を読んだせいだろうか、午後のセッションから、私も奇妙な体験をするようになった。
この日四回目のテープはフォーカス二七(F二七)に行き、フォーカス二三(F二三)まで戻り、迷える魂を救出するというプログラムだった。これは私やエリックにとっては難問だ。二人ともF二三は真っ暗闇だからだ。
インストラクターのリー・ストーンは、「心を込めて助けたい人の名前を言いなさい」という。あるいは「誰かを助けられると信じなさい」という。
そんな無理な・・・。
F二七からF二三に戻ったのはいいが、やはり真っ暗闇だ。魂が迷っているかもしれない人の名を呼んでも、何も起こらない。F二三の真っ暗闇でどんどん時間が過ぎていく。ボブ・モンローの声がヘッドフォンから聞こえてくる「さあ、助けた人の手を取って、フォーカス二七に行きましょう! 今すぐです」
私はパニックに陥った。何しろF二三では人など見えないし、真っ暗闇なのだから、無理な注文だ。ぶつぶつ文句を言いながら、私はF二三の暗闇に手を伸ばし、「エイ!」と誰かの手を握って、F二七に向かった。
なんと、私の手の中には一〇歳ぐらいの軽くて小さな女の子の手があった。F二七に向かうが、白い服を着た髪の長い可愛い子が一緒にいる。無口でなにも話さないが、こんなに小さいときに死ぬのは白血病にでもかかったのかな・・・と思った。
F二七に到着すると、この子は白い光の中に入っていった。
五回目のテープも救助作業だった。
同じようにしてF二三の暗闇で「エイ!」と誰かの手を握ってF二七に連れていくのだが、今回は若い男の子だった。次は青年だった。彼らについては何も感じなかった。
これはただ私が勝手にイメージを作り上げているに違いない、と想い、途中で二人の手を離してしまった。二人とも暗闇に消えていった。彼らは死人なのだろうか? なにか現実離れしている。そもそも、魂の救出などという考えが現実離れしているのだから、当然だが・・・。
このセッションの後、インストラクターのリー・ストーンからコメントを受けた。
「シュンの場合、手首をつかんで引っぱり上げるのが巧く行っているから、それを続けるべきだ。相手から反応がなくても、フォーカス二七まで連れていって、反応を見るといい」
他の人々の成果を聞いたが、みなさん大きな成果を挙げていた。リギヤという女性は、井戸の中に落ちていた人を助けたという。
夜は『ザ・シークレット』という映画を観た。これはゲートウエイ・プログラムですでに見た映画だ。そう、「思いはすべて現実化する」という映画だ。
五日目・過去世にでてきた男の子
五日目に入った。水曜日であり、プログラムにとって最も重要な日だ。この日までに何も起こらなければ、たいした成果がなかったことになる。
朝の最初のテープは、フォーカス二七(F二七)に行き、そこで若返りと癒しの場所を訪れるという。私の目に浮かんだ癒しの場所は、木造の広い茶色の建物で、ベッドが置かれており人々が横たわっている。どちらかというと東南アジア風の雰囲気だ。他の人々が見た癒しの場所は、西洋風の白い病院のような建物だった。こういう所にも文化の違いが出てくるのに違いない。いつかもっと詳しく述べることがあると思うが、意識の世界は「森羅万象なんでもあり」なのだ。
二度目のテープはF二七に行ってから、死んだら最初に行く場所であるフォーカス二三(F二三)に戻り、そこでいまだに迷っている魂を救出する例のプログラムだった。
インストラクターのリーの言葉に従い、今回は迷いがあっても、ともかく誰かの手首を捕まえたら、F二七まで連れていこうと決めていた。
相変わらずF二三は真っ暗闇で、何も見えないが、手を差し伸べると誰かが必ず引っかかってくる。最初は一五歳ぐらいの愛嬌のある太めの娘さんだった。途中まで手をつないでいたのだが、途中から、彼女一人で上に行ってしまった。<いったい、どうなっているんだ、これは・・・>
仕方ないのでもう一度F二三に戻り、手を差し伸べたら、青い目の男の子が現れた。見覚えのある子だ。ガイドライン・プログラムで私の過去世にでてきた男の子だ。<なんだこれは? 変だ・・・>と思ったが、リーの言葉を思い出し、なんでもいいからF二七まで連れて行った。このときは何となく以心伝心ができた。
この子は一緒に死んだ筈の「妹を探している」というか「待っている」という。男の子が牢獄に閉じこめられている映像も目に浮かんできた。たぶん「妹は天国に行っているんだよ」と私が伝えると、男の子は素直についてきた。F二七では白い光の中に人が待っており、その人が男の子を連れ去った。
そのとき<もしかすると、この為に私はライフライン・プログラムにくる必要があったのかな・・・>と思った。
三回目のテープはF二七でのフリーフローだった。つまり好きなことをやって良いのだ。
そこでF二七の癒しのセンターに行って、ベッドの横たわり、光のヒーリングを受けた。ついでに三五歳まで若返らしてもらった。次に中国風の建物に行き、「パーティーだ、みんな集まろう」と呼びかけたら、続々とやってきた。おやじにおふくろ、青い目の男の子、三宅のおじさん、ハーカー先生、火事で亡くなった幼稚園の先生、高校生の時に自殺した中村、大学生の時に自殺した市川など、みんな勢ぞろいだ。このプログラムに参加する最初からの目的だった親戚の方もいた。
みんなにこにこ笑顔だ。なにやらほっとした。単なる幻覚に過ぎないのは分かっているが、それでも嬉しい。
以心伝心だが、今の私は順調で、ガイドたちの助けはそれほどいらないらしい。
このテープセッションの後、私はすごく満足していた。もちろん幻覚であり、自分の見たいものを見ているのに過ぎないことは分かっているが、それでも心が浄化された気分だ。
午後四時からは再び、魂の救出作業を続けた。
今回はたくさんの魂を救出した。前回、手を放してしまった若者も現れた。この若者は一〇〇年前の魂らしい。平安時代の「しずか」という女性も助けた。長い黒髪が美しかった。一二歳のアメリカ人の女の子は五〇年前に火事で亡くなっていた。場所はリトルロックだという。
このプログラムを行いながら、霊の救出も良いけれど、現実の世界で助けを必要としている人がたくさんいるじゃないか・・・と疑問を感じた。死んで迷っている霊も、助けが必要だ。だが、現世にも助けを必要としている人々がたくさんいる。彼らを助けなくていいのか?
このセッションの後、小さなグループに分かれて、報告会を行った。ルームメイトのエリックは泣き出しそうだった。F二七に自分の気に入った場所すら創れないのだという。そこで私は助言した。「フォーカス二七に自分の家を造ったらいいじゃん」。エリックは「うん。それなら可能かな・・・」という。もう一人のインストラクターのシャーリーンは「それはいい考えよ。ナンシー・モンローも同じことをしていたわよ」という。
夜は『剃刀の刃』という有名な小説の映画化を見た。サマセット・モームのこの小説は、高校時代に読んで感激したものだ。
木曜日は最後のプログラムがある日だ。金曜日には解散する。
この日はリラックスしていた。昨日の体験で、だいぶ満足していたせいだろう。
だがそれにしても、青い目の男の子の救出は何だったのだろう? 過去に死んでいて、まだ成仏していないなら、私が今、生きているはずがない。この疑問にはプログラム参加者の一人、エドウインが答えてくれた。
エドウインはF二三に自分自身がいるのを見たという。彼の解釈によると、異次元の意識の世界、あるいは霊の世界における時間は、私たちが知っている直線的な時間とは違うのだという。すべては、今起こっているのだという。
つまり、異次元の意識の世界には時間も空間もなく、霊の世界には過去も現在も未来も同居しているという。だから前世であるはずの青い目の少年の霊を、現在の私が助けるなどという奇妙な現象も起こるのだという。
エドウインによると、助けが必要なのはわれわれであって、他人ではないという。そうなると、今回このプログラムで助けた人々は、すべて自分の過去生なのか? あるいは未来の自分なのだろうか?
ますます訳が分からなくなったが、当然だろう。宇宙の仕組み、異次元の世界は、私たちの理解を超えているからだ。
だが、もしも救助していたのは自分の分身たちだったとすると、このプログラムに参加した意義は大いにあるのではないだろうか。なぜなら、だれも他の人は助けてくれない可能性があるからだ。
五日目の午前中のプログラムの最初は、「バイブフロー」というテープで、振動によるヒーリングを狙ったテープだが、気持ちよく眠ってしまった。
二本目はF二七で癒しの場所に行くプログラムで、光による癒しを受けた。これも気持ちよかったが、私の身体は万全な状態だと自覚できた。
三本目はF二七のフリーフローで救出作業を行えと言う。今回はチベットの小坊主を救出した。五〇〇年前に崖から落ちて死んだらしい。
その後は青い目の男の子を呼び出して、一緒に救出作業をすることにした。青い目の子と一緒にF二三に行ったのだが、この子は毛がフサフサした大きな犬を助け出してきた。生きているときに可愛がっていた犬だそうだ。
次は、わが家の猫の先代のピピを探した。先代のピピは生まれて二ヶ月も経たないうちに病気で死んだのだ。小さなピピを見つけ出し、両手で抱えてF二七まで行った。これまた気休めに過ぎないただの幻想だとは思う。だが、気分は良かった。動物は、人間が連れていかない限りF二七には行けないのではないだろうか。
救出作業も充分に行ったと感じたので、ガイドに質問をした。
「私の今生における使命は何か?」というものだ。
答えはすぐに出て来た。
- 愛について学ぶ。
- 地球で浄化が始まる、それに備える。
- 一万人の上に立つ指導者になる。(本が一万冊ぐらいは売れる、という意味か?)
- これから一〇年以上走りつづけ、大事な本を書く。
これまた、自己願望・自己催眠のたぐいだろう。
最後に、もう一度、おやじやおふくろなど、みんなと会った。
幻想の世界だろうが、またみんな集まってくれた。今回はオーストラリアの友人キースも来ていた。
このプログラムの参加者たちは、いろいろな経験をしていた。白人女性のクリスは、レセプションセンターで黒人のレジーに会って、いろいろ話したという。クリスはF二七で会ったことを証明する為に、レジーに秘密の合言葉を教えたが、レジーは「覚えている自信がない」と答えたそうだ。
レジーもF二七でクリスと会って会話したと証言した。二人は一緒にスイミング・プールのある部屋まで歩いて行ったと言うが、見た場所の説明は良く似ている。二人ともガラスの円天井の下にあるスイミング・プールに行ったのだ。
ルームメイトのリックは、F二七に自分の家を建てることに成功したと、喜んでいた。
夜は、このプログラムの感想をそれぞれ述べて終わった。
私はモンロー研究所に来るといつも感じることを述べた。ここに集まってくる人たちは、世界でももっとも興味深くまた、人種偏見もない特別な人たちなのだ。輪廻転生があることを知っており、過去生において日本人であったり、インド人であったと信じている白人や黒人たちは、私たち黄色人種にとって一番、親しみやすい人々だ。彼らには人種偏見がない。だからすごくアットホームな気分でいられる。こういう世界は、かなり珍しい。普通の人々の人種偏見は、日本人を含め、根深いものがあるからだ。
***
「ライフライン」プログラムでは何を学んだのだろうか。
すべては幻覚なのだろうか。あるいは過去世あるいは来世でさ迷っている自分の魂を救出したのだろうか。これは面白い発想だ。たとえば前世の青い目の男の子は超能力者だった。現在の私は超能力者とはほど遠い。だが青い目の男の子を救出したので、これから私にも超能力が芽生えてくるのだろうか。
死後の世界もかいま見たが、死ぬことは恐ろしい経験ではないようだ。死ぬのは一つの段階に過ぎず、また次の人生という挑戦が待っていると思う。このことは、そう思うだけであり、何も証明されているわけではない。だいたい私たち人間が、霊の世界や宇宙について、完全に理解できると思うのは、それこそうぬぼれであり、錯覚に過ぎないだろう。
自殺すると天国や浄土に行けないという説も、間違いのような気がする。これまた魂の成長の一段階に過ぎないのではないだろうか。
このプラグラムを受けて変わったことは、死が恐ろしくなくなり、生きることがさらに楽しくなったことだ。これからも残りの人生、いろいろなことに大いにチャレンジしようという意欲がさらに高まってしまった。
帰国の飛行機の中で、立花隆の『臨死体験』上・下を読み終えた。
立花隆は、臨死体験と体外離脱を「脳内説」と「現実説」のどちらで説明するのが正しいかと悩んでいる。だが、そもそもこの前提がおかしいことに気づいていないようだ。
「脳内説」というのは、これらの現象が脳の中の化学反応で起こった錯覚だとする意見だ。一方「現実説」は、臨死体験や体外離脱で経験したことを、実際に起こった現実だとする立場だ。
だが、「脳内説」や「現実説」で宇宙の仕組みや精神世界を説明できると思うのは、私たち人間の驕り、思い上がりにすぎない。このように単純化して理解が可能と思うこと事態、宇宙の仕組みや精神世界を卑小化しているのだ。
宇宙も精神世界も人知を超えた「何でもあり」の世界なのだ。したがって「脳内説」も「現実説」もある面で正しいし、また間違ってもいる。まあ、部分的に正しいといったらいいのだろうか。
ボブ・モンローの体外離脱と私の体外離脱を比べても、まったく種類が違う。私がこれまでの体外離脱で見た世界は大体において荒唐無稽であり、過去に行ったり、ヨーロッパに飛んだり、動物と話をしたりする。だが、私の希望する「創造力の開発」には大いに役立っている。私の頭はどんどん柔らかくなっている。
私が「体外離脱でもするか・・」と思ったきっかけは、自分の石頭を柔らかくしたいからだった。そう、もっと想像力が逞しくなり、創造性を発揮できたらいいな、と思ったのだ。
一方、ボブ・モンローの体外離脱は、今読んでいる『Journey Out of The Body』の内容から推察するところでは、現実的で現世的のようだ(まだ半分しか読んでいないが)。
つまり体外離脱も千差万別で、森羅万象のごとく多彩なのだ。
もう一つ、立花隆は量子力学による異次元の世界の可能性を取り上げていないのも片手落ちだと感じた。最新の量子力学の世界は、異次元の世界、パラレルワールドの存在について肯定的なのだ。
もう一つ、そもそも宇宙の仕組みや精神世界を語るのに、『言葉』を使うところから、私たちの理解にも表現にも限界があるのではないだろうか。
「バベルの塔」を建設する前、人類は一つの言葉を話していたというが、それはテレパシーの事だと思う。テレパシーが使えなくなり、言葉や文字を使うようになって、人間の理解力はある面で制限されるようになったのに違いない。
人間の五感は狭い世界しか捉えられない。同じように言語はさらに狭い世界しか表現できない。
誰であろうと、言語に頼ろうとする人々は、学識はあるが賢人ではないようだ。賢人は昔から文字を残さない。何も語らずに生き方で示すのが賢人だ。釈迦もキリストも孔子も、文書を残してはいない。弟子たちが創った文書があるだけだ。なまじ言葉として残すと真実は伝わらないし、悪用されるのがオチであることを賢人たちは知っていたのだろう。
宇宙の仕組みとか精神世界の構造に関する「真の知識」は、言語という不完全な仕組みでは表現できないのではないか。以心伝心、テレパシー、直感などの超常能力が必要なのではないだろうか。だから古代の人々は。ギザの大ピラミッドやルクソール神殿などの建造物によって「真の知識」を伝えているのではないだろうか。
さらにもう一つ感じたのは、著者・立花隆には限界があることだ。臨死体験や体外離脱などの超常現象は、自ら体験しないと納得できないのだ。神戸牛がいくら「美味い」と言われても、食べて実感しないと「納得できない」のと同じなのだ。つまり立花隆は残念ながら、『臨死体験』や体外離脱を書ける立場にはいなかった。自ら経験していないからだ。だから評論家に徹してしまい、いまいち理解も食い込みも足りなくなってしまっている。
ところが同じ超常現象でも、自ら経験しなくとも、理屈だけで「納得できる」世界がある。それはジョー・マクモニーグルによる遠隔透視の世界だ。これは極めて特別な例だと思う。ジョー・マクモニーグルは、すでに宇宙の仕組みとか精神世界の構造に関する「真の知識」をずいぶん明らかにしている。少なくとも彼は、異次元の意識の世界が存在することを充分に証明している。
ジョー・マクモニーグル夫妻とは二〇〇六年一二月に数時間話し込んだことがある。またモンロー研究所のプログラムで二回ほど、講演を聞いたことはすでに『ピーターパンの世界』で紹介した。
ここで、ジョー・マクモニーグルの遠隔透視の話に入りたいところだが、後回しにしなければならない。
というのも、マルタ島の魔女たちから招待状が来たからだ。ヨーロッパは地中海のマルタ島で、チベット密教の高僧・生き仏による『ポア』(転移)の修業に参加しないかというのだ。九日間にわたる『ポア』の修業をすると、死をむかえたときに無事に浄土に行けるのだそうだ。
気に入っているマルタの魔女たちの招待だし、ちょうどスケジュールも空いている。チベット密教にも興味がある。そこで一一月に入ってすぐにマルタ島に飛んで行った。
魔女たちとチベット密教
独立国であるマルタ共和国は、イタリア半島の先端にあるシシリー島の、さらに南の地中海に浮かぶ島だ。詳しくはインターネットで、中央地中海通信というサイトを見ていただきたい。
この島は人種のるつぼで、ヨーロッパの中に入れられているが、アフリカの影響が強い。マルタ語もアラビヤ語に良く似ている。人種はヨーロッパ系とアラブ系が入り交じっている。
この島には古代エジプト文明よりも古い巨石神殿があるので、古代アトランティス文明の一部ではなかったかといわれている。写真はハジャーイム神殿だが、これは四〇〇〇年以上前に作られている。一番古い巨石神殿ジャガンティアは六〇〇〇年前に建造されており、古代エジプトの大ピラミッドよりも古い。
淡路島ほどの小さな島に、このような巨石神殿の跡が二〇以上も存在するのも奇妙な話だ。
この島の地下にもハイポジウムと呼ばれる神殿が存在する。
さて、マルタ島に来るのは四度目だが、この島には魔女たちがいる。と、言っても、土地の口の悪い男たちが、男勝りに活躍する女性たちのことを陰で魔女と呼んでいるだけ・・・。だが、事はもっと深刻かもしれない。なぜならマルタ島は保守的なカソリック教徒の牙城だからだ。
時代が中世ならば、私の友人の魔女たちは、確実に火あぶりにされている。たとえば魔女グループのリーダーのジャネットは、占星術師であり、フォークを片手に水脈を当て、霊と言葉をかわせる霊媒だ。二番手のジャーディンは人々の難病を治癒させる能力を持っている。三番手のルイーズは、アロマセラピーやマッサージの専門家だ。なぜか、私は彼らのグループに入っている。何か、気が合うのだ。前世に関係があるのだろうか。
ローマ法王が住むバチカン王国はカソリック教の中心だが、暴動が起こりバチカンから逃げる事態にでもなったら、法王が行くところは、マルタ島しかないと言われている。それほど、マルタ島はカソリック教の強いところなのだ。
ジャネットは毎週のように「スピリチャル」な集まりを主宰している。だが、毎週日曜日のカソリック教会の礼拝では、「この集まりに参加するとあなたは地獄に落ちます」と牧師が信者に警告を発している。
カソリック教会の攻撃を受けているジャネットやジャーディンたちは、反撃に出た。チベット密教の教えをマルタ島にもたらそうというのだ。それが今回の、チベットの生き仏・アヤン・リンポチェによるポア(転移)の修業プログラムなのだ。
マルタ島に到着したのは修業が始まる前日の朝だった。午前一一時ごろホテルにチェックインする手続きをしていたら、お金持ちそうな英国夫人がカウンターにやってきた。白のロングドレスに白髪で、妖精のようなスピリチャルな雰囲気がある。<この人はポアのプログラムの参加者だろうな・・・>と思ったら、英国夫人の方から声をかけてきた。
「あなたはポアのプログラムの参加者でしょう? 一目でわかったわ。私、これから娘を迎えに空港に行くのよ。また後でね・・・」
やれやれ、私にも妖精の匂いがするのだろうか・・・。いや、男だからピーターパンの匂いか・・・。
部屋は一三時まで用意できないというので、荷物を預け、プールサイドのレストランにおもむいた。一一月七日で肌寒いのにヨーロッパ人の観光客たちが、裸になってプールサイドで日向ぼっこをしている。お年寄りが多い。私は生ビールとスパゲティーを注文して、東京に電話をかけた。日本は夜の七時だ。
だが、マルタ島にイタリア風のスパゲティーは無かった。あるのは短く切られたパスタ料理だけだ。イタリアのスパゲティーの元祖は中華麺だといわれているから、マルタ島まではマルコ・ポーロの影響が及ばなかったということうか。
私の部屋は四階で、港を見渡せる。一眠りしてから夜の七時に二階のメイン・ダイニングルームに行って食事をすることにした。
メイン・ダイニングルームに入ると、ウエイトレスが、「どうぞこちらに・・・」と案内してくれる。案内されたのは大テーブルで、二〇名ぐらいの人々が座っている。
「ハイ、シュン、ウエルカム! どうぞ空いている席に座って・・・」と、魔女ジャーディン。魔女ジャネットやルイーズも顔をそろえている。
テーブルの端にはチベット僧の赤い僧衣を着た人が三人いる。その隣を無理して空けようとするので、「ここで十分です」と慌てて、真ん中あたりにある空席に座った。どうやら、わざわざ日本からマルタ島までチベット密教を学びに来る奇人がいることは、プログラム参加者に知れ渡っているようだ。
隣に座ったキャットとよばれるマルタ女性は、英国に在住しており、ハリウッド映画のプロデユーサーのアシスタントをしているという。
「最近、南アフリカから帰ってきたの。『紀元前一万年』という映画の撮影を終わらせたのよ。大変だったわ」
ということは、キャットは私の友人の作家グラハム・ハンコックとも会っている。グラハムは『紀元前一万年』の撮影現場に行っているからだ。でもキャットに、グラハム・ハンコックの話はしなかった。
夕食の後、部屋に戻るときに「しずかちゃん」が話しかけてきた。漫画『ドラえもん』にでてくる「しずかちゃん」にそっくりな女性に出会ったのだ。彼女はまだ二四歳、英国の大学を卒業している。名前はヘルガ。大学で日本画を専攻したまだ可愛らしい画家だ。
この九日間、すべてにできの悪い「のび太」のような私は、この優秀なヘルガちゃんにすっかり面倒を見てもらってしまった。(つづく)
「ピーターパンの世界・第一部おわり」