2011年4月2日
子供はどう育てたら良いのか?
世の中には子供を殴って育てる人もいる。
愛のムチだというけれど、本当だろうか? 親の欲求不満のはけ口に、されているに過ぎないことがおおいのではないか。あるいは、自分が正しいという思い上がりが激しすぎる人が、人を殴るのではないだろうか?
先日も、高校生になる男の子を殴って育てている親がいて、「そんなことをしていたら、そのうち子供にぶん殴られますよ」と忠告した。
半年後にその友人から連絡があり、「大地さんの予言通りになりましたよ、子供に殴られました」と報告された。
子供はコンピュータと一緒で、インプットしたことがアウトプットされる、という。つまり愛情をインプットすれば、愛情がアウトプットされ、憎しみをインプットすれば、憎しみがアウトプットされるという。
もちろん人間はもっと複雑だから、このように単純にはいかない。愛憎入り混じるのが人間だ。愛情があっても、あまり言うことを聞かないと、ついお尻でも叩きたくなるだろう。
だが、それは基本的な間違いをおかしていると思う。
子育ての基本はなにか?
それは、子供を尊敬することにあるのだ。
子供であれ、他人であれ、大人であれ、一人の人間として尊敬していたら、相手を殴ることはできなくなる。
子供は生まれた瞬間から、人格的には一人前なのだ。
だから尊敬して接する必要がある。
この話をしたらある大学生から「大袈裟だな」と思われた。だがその大学生も今や二児の父親。最近感想を聞いたら、「大地さんの言う意味が良く分かりました」といわれた。
そう、赤ん坊は生まれた時から人格を持っており、一人の人間として尊敬して接することが大切なのだ。だから子供を叩くとか殴る親というのは、親としてだけでなく、人間失格だと思う。
一昔前になるが、「スパルタ教育」という本が話題になった。現東京都知事の石原さんの本だったかもしれない。読んでいないから、偉そうなことは言えない が、もし、体罰を含めたスパルタ教育で、子供が立派に育ったとすれば、それは親が正しかったのではなく、子供が偉かったのだ。
子供を殴る人は、人間には生まれた時から、基本的な人権と尊厳があることを理解していない人だと思う。
2001年4月9日
「赤ん坊は生まれたときから人格を持っており、ひとりの人間として尊敬して接することが大切なのだ」」と書いたが、納得頂けただろうか?
大げさだ、と、疑問を持つ人もいるかもしれない。
なぜなら、赤ん坊も子供も、社会的には一人前でなく、親の保護下にあるからだ。
生まれたては歩けもしないし、目も見えない。三歳になっても社会的に一人前とは言えないし、体も小さい。社会的に一人前になるのは、戦国時代なら一五歳ごろ、現代なら、一八歳ぐらいだろうか。
しかし、人格的には、生まれた瞬間から、一人前であることを忘れてはいけない。
うちの息子はインドネシアのスラバヤ市の病院で生まれた。
初めてご対面したときにはショックを受けた。
生まれたばかりの赤子は、部屋から看護婦さんに抱えられて出てきた。その子は、見えない目で周りをきょろきょろ見渡し、いったい何が起こっているのか、知ろうとしている。
赤ん坊には知的な意志もあり、主張もあり、人格があるのだ、と、このとき悟った。
猿でもなければ、ぬいぐるみの人形でもないのだ。
それからは、人格的に一人前の人間としてこの子に接してきた。
生まれたときから、現在まで、その接し方は変わっていない。
具体的にいうと、それはどういう接し方か?
- 決して何事も押し付けない
- 必ず意見を聞く
- 聞いた意見を尊重する
うちの息子の結果から見ると、子供は極めて自立心の強い子になる。
この子は三歳から八歳までオーストラリアで育った。
四歳の時に日本に休暇で帰った時にも、息子に聞いている。
「こんど、日本に遊びに行くんだけど、一緒に行く?」
答えはもちろん「いくいく」だった。
八歳の時に帰国することが決まった。
「日本に帰ることになったんだけど、一緒に帰るだろう?」
「いや、ボクはオーストラリアが好きだから、ここに残る」
「でも、どうやって?」
「友達に聞いてみる」
息子は、遊び友達の家を訪ねて歩いて、一緒に住まわせてくれとお願いした。
「ベンとマイケルの家でも、ジョシュアの家でも、いつまででも住んでいいってさ。それで、パパやママとは、毎週、会えるんでしょう?」
「いやー、日本は遠いからね。一年に一回なら会いに来れると思うよ」
「えー! そんなのずるい!」
結局息子は、一緒に日本に帰ってきたが、強制はしていない。 このような接し方を続けてわかったことは、親子関係の基本が友情にあることだった。
親子というのは、特殊な友人関係なのだ。だから、敬愛する友人に意見を押し付けたりはできないし、殴るなどというのは、とんでもない行為だということになる。
2001年4月16日
親子関係の基本が友情だというと、奇異に思う人も多いようだ。
先日も、朝日新聞の論説委員によるコラムだったと思うが、「最近の若い親は、子供を友達扱いして甘やかし、しっかりとしたしつけをしていないが困ったものだ」という趣旨のことが書かれていた。
この方がどんな子育てしたかは知らないが、子供を人格的に同等として扱ってこなかったことだけは間違いない。
第一に、子供を尊敬して育てると、しつけなどはいらないことを知ることになる。犬ではあるまいし、子供をしつけようと考える親は、とんでもない考え違いをしている。
確かにしつけが必要に思える子供は世の中にたくさんいる。なぜそんな子供になったかというと、親が、しつけの必要な子供にしてしまったからだ。つまり、子育てに失敗している証拠のようなものだ。
しつけが必要に見える子供は、親にばかにされ、無視され、半人前に扱われてきたに違いない。殴られているかもしれない。
子供を、産まれたときから人格的には一人前だと実感し、尊敬して育てれば、しつけなど無用なのだ。むしろ親の方が、子供から多くを学ぶことになる。
いくら考えても我が家の息子をしつけた記憶がまったくない。
だがいろいろ経験してきた大人として、個人的な意見はつねに述べてきた。
そう、対等な人間としての子供には助言はできるが、決断はつねに子供にしてもらうほかないのだ。
たとえば中学生だった時に、「友達を家に泊めていいか?」と聞かれたことがある。私は、「自分で考えてよいとおもったら、良いし、自分で決めろ」と答え た。その時に、意見は言うかもしれないし、事情があって、泊めるのが無理ならその事情を話す。だが最終決断は、常に息子してもらい、その決断を尊重してき た。
いつも「自分で決めろ」と言い続けたので、二〇歳になった息子は、今ではすべてを自分で判断し好きにやっている。それでいいのだ、と思う。子供の人生はその子のものであり、親は関係ないのだ。
このように、尊敬する友人として子供を扱うことが、甘やかしていることになるのだろうか?
そんなことは全くない、と私は思う。
むしろ、すべての判断を自分でしろ、といわれた子供の方がしんどいと思う。なぜなら、すべての行動、すべての決断の結果は、自分の責任となるからだ。
だれでも人の意見にしたがって、失敗すると悔しくて後悔する。だが、自分で決断して失敗したら、失敗から学べるし、後悔はしない。だから。このやり方の方が精神衛生上も優れていると思う。
息子には、常に尊敬できる友人として接してきたが、やはりそこには特殊な関係がある。生んだ以上、社会的に一人前になるまで、金銭的な面倒は見なければならない。未成年の子供がなにか問題を起こせば、親の責任を問われるだろう。
だが、二〇歳になった息子は、今でも尊敬できる友人であり、問題は何も起こしていないし、親の方が、多くの面で教えられている。
2011年4月23日
二歳の女の子は私の顔を見て大声で泣いた。
四人姉妹の末っ子のその子は、私がそばを通るだけで、大声で泣きだす。
なんと失礼な子だろう・・・というのが第一印象だった。
ワイフの弟の奥方が三七歳の若さで亡くなり、急きょ、夏休みの一ヶ月間、残された四人姉妹を預かることになったのだ。二歳、三歳、六歳、七歳の四人姉妹だ。ところが二歳の子が問題児だったのだ。
二歳の子は何かというと、ワイフに抱っこ、とせがむ。抱っこを断られると、いつまでも泣いている。それどころか、強情で抜け目が無かった。
おむつはいやだと、自分ではがして、すぐにじゅうたんの上におしっこをする。わざとやっているとしか思えない。自分の要求が通らないと、ヒステリックに思いきり泣く。
まったくかわいくない子だと思った。悪魔の申し子ではないかと思った。
他の三人は素直なのに、生まれながらにして、根性が曲がった子がいるのだろうか?と、いぶかった。
すぐ上の三歳の女の子は、我慢することを知っていた。
同じように二週間前に母親をなくしているわけだが、寂しさを我慢している。
私は、大人でも子供でも、自分の子でも他人の子でも、同じ人間として対等に扱う。
友人として扱うのだ。
だからこの子は嫌いな友人として敬遠した。
それでもおむつは交換してあげた。黄色いうんちが堅いことを祈って・・・。
三週間が過ぎても、この子の印象は悪かった。
とても好きにはなれなかった。
二歳ですでにこれほど性格がひにくれていることは、何を意味するのだろうと、考えた。
母親を失って精神的に不安定になりすぎているのだろうか? それもわからないではないが、今まで、こんなにわがままで、かわいくない子に出会ったことが無かった。 半年たった冬に、二歳の子と三歳の子だけをまた預かることになった。
ずる賢くて強情でわがままなその二歳の子は喘息発作で、たびたび入院して、父親一人では、四人姉妹の面倒が見れなくなったからだ。
私は、この二歳の子ともう一度付き合うことになったのだ。そこで今度は尊敬して扱ってみようと決心した。
半年前は、怒りで頭に来てしまって、敬遠しかできなかったからだ。
相手を尊敬すると、まず相手のことを理解したくなる。そこで、二歳の子の行動の動機を理解しようと努めた。「おなかが痛い」というと、「それは変だな・・・本当は抱っこしてもらいたいんじゃない?」というと、その子はニタと笑ってうなずく。
いつも、大事な友人と接するときのように、この子に接したら、この子も友情を示してくれるようになった。やはりインプットしたものはアウトプットされるのだ。
帰宅する前の日には、理由もなく甘え、抱っこしてくれと泣く。
「Jちゃんはおばちゃんのことが好きになって、明日帰りたくないんじゃない?」
と言ってみたら、その子はうなずき、「おばちゃんが好きだから、ここにいる」と言った。そしてなぜかすぐに泣きやんだ。
三週間経って、私は、この小さな友人のことを見直すようになっていた。
一本気の良い子なのだ。ただ、気が小さく、強情で、抜け目はないが、純情で、結構我慢もできることもわかった。喘息の発作が起こったら、自分から病院に 行って点滴を受けると言う。まだ二歳なのにそこまで自分で判断する。朝夕の一〇分間の吸入も、嫌がらずにやる。なかなか根性もある。
六ヶ月前の私の「鬼子だ、悪魔の申し子だ」というのは、一方的なとんでもない偏見であることも明らかになった。そして生まれながらにひにくれた子などはいないのだと、確認できてうれしかった。
そう、私が言いたいのは、子供を尊敬して育てることは正しいだけでなく、あらゆる子供にたいして普遍性があるということだ。
親子のきずなをどう断ち切るか?
2001年5月14日
友人の素敵な女性が結婚した。それから三年、彼女にも子供ができた。恋愛結婚というか、男に追いかけられ、追い回され、断れ切れなくて、美人で麗しい彼女 は結婚した。でも、結婚生活を聞いて驚いた。彼女を追いかけ回した旦那は、お袋さんが訪ねてくると、別の部屋でお袋さんと一緒の寝床に入るという。
今の時代は、この程度で驚いてはいけないのかもしれない。なぜか、マザコンの男が多いらしいからだ。
子供のマザコンは、子供にその素質があり、女親に自制心が無く、男親が無神経だという三拍子がそろわないと起こらないと思う。
我が家の場合は、幸運なことに息子に素質がなく、女親も子供を支配することを自制し、男親も、息子と母親の間を断ち切る努力をしたので、息子は糸の切れた凧みたいに、親離れしている。少なくともマザコンの心配はない。
子供を支配してしまう母親が多いのは、無理もないと思う。何しろ一〇カ月もかけておなかの中で育て、生むのだ。実質的に子供は母親の体の一部だったのだ。そこから出てきて分離したわけだから、一体感が強くても不思議はない。
この一〇ヶ月間、女性は生命をはぐくみ育て、出産する。自然出産だと、痛みも限界に近いものがあるようだ。男から見ると、勲章でもあげたくなる。だがこ の一〇ヶ月間、女性は無防備で働くこともできない。だから、男は稼いで、女性の安全にも気を配るが、これは自然の摂理だろう。
さて、マザコンは上記の三拍子がそろわないと実現しないと思う。子供の独立心が強いと、親がいくら甘やかしても、親元から去る。母親が賢ければ、孟子の 母親のように子供に試練を与えて、突き放す。劉備元徳の母親も、子供にたいしては厳しかった。父親に見識があれば、母親と息子、娘の間に割って入り、きず なを断ち切る。
理想を言うと、子供は若いときに両親を捨てるのが正解だ。親も子供を突き放さなければいけない。両親が年老いたら、子供は戻って、親の面倒を見ればよいのだと思う。
では、子供の独立心を養うにはどうすべきか?
オーストラリアに住んでいたとき、息子は三歳だった。当時、我が家ではキングサイズベッドで親子三人が川の字になって寝ていた。それを知った親しい友人 のキャシーは、身震いして言った。「親子三人一緒に寝るなんて気持ち悪い。部屋はたくさんあるじゃない。今夜から別の部屋に寝てちょうだい」
その日から、三歳の息子は隣の寝室で一人で寝ることになった。息子も独り寝に文句は言わなかった。オーストラリアではそれが当たり前なのだ。「日本では小学校高学年でも、おやじと一緒に風呂に入る女の子がいるよ」と、話したら、キャシーは失神しそうだった。
それでは女親の子供に対する支配力を、どうやって削るか?
第一の戦略は、子供を「理屈」第一で育てることだ。つまり、論理的な正しさ、理屈にかなったことが正しい、とすることだ。つまり、感情論を排するのだ。
日本では「理屈じゃなか」(九州弁)などと言って、感情を大切にする。そのことも価値ある重要なことだ。だが、理屈を大切にして子育てするほうが、世界的に通用する人間が育つと思う。それに、母親の強すぎる支配力は「理屈」ではなく、理屈抜きの感情に基づく。だから、論理を第一にすると、母親の支配力は 弱まるのだ。
第二の戦略は、子供を尊敬して友人として育てることだ。対等の友人として扱うというのは突き放した育て方だ。これは一〇カ月もおなかで育てた母親にはな かなかできないことだと思う。だからここでは男親の指導力が必要となる。男親は、おなかを痛めているわけでもなく、父性愛とは、もともと友情関係に近いか らだ。
子供を尊敬する友人として扱うことは、子供の全人格を尊敬し、論理的に子供が正しかったら、親が子供に頭を下げることを意味する。私の記憶するところで は、三歳の息子の言うことの方が論理的に正しく、頭を下げて持論を撤回したことがある。こうなると、心配すべきは息子のマザコンどころではなく、私自身の 人間的な未熟さ、幼稚さになる。
子育て番外編(尊敬)
2001年5月21日
「シュン、今年もキャプテンやってくれるよな」とビンス・モーガン。
「え! 俺、キャプテン失格じゃないの?」
テニスの話だ。場所はオーストラリア。
オーストラリアに住んでいるとき、地元のテニスクラブの一三歳から一七歳の男女八名のテニスチームのプレーイング・キャプテンを任された。男の子四人に 女の子四人だったが、かっこいい男と素晴らしく可愛い女の子ばかり集まった。それはともかく、このチームを引き連れて、毎週、一年間にわたって、シドニー 郊外の町を転戦した。
一年目は第六部リーグで優勝した。二年目は第五部に上ったが決勝戦で敗退した。敗因は、私の采配ミスだった。調子が最高潮だった女の子二人を使わずに、情に駆られて、年上の子を起用した。それが原因で、惜しいところで負けたてしまったのだ。
オーストラリアの人々には、私の選手起用法が理解できなかったようだ。テニスの試合では「勝利こそすべて」と考える人が多かった。
私は「子供たちが仲良く団結することが第一」だった。だから下手な子でもドンドン起用し、際どい試合が多く、逆転、逆転で決勝戦まで残ったのだ。
このやり方は、若い子の成長が著しく成功だった。
だが、決勝戦では明らかに、絶好調の女の子を使うべきだった。その子サンディーのほうが急成長して波に乗っており、勝負強かったからだ。
でも私は周りの助言を押し切って、準決勝に出さなかった別の子を使って負けた。
サッカー日本代表のトルシエ監督ではないが、選手をいかに起用するかは難しい。時々、トルシエ監督の采配ミスを見るが、私は、すぐに納得する。監督業は楽ではないことを、ちょっぴり知っているからだ。
「いやー、子供たちからね、今年もシュンにしてくれと頼まれたんだよ」
「え! でも、みんなすごくがっかりしてたし、俺の采配ミスははっきりしてるし・・・」
「シュン、子供たちが何と言ったか知ってるか? おまえを尊敬してるんだってさ! 信じられるか? 今どき・・・」
私は絶句した。
信じられなかったのだ。
八人の子供たちはすべてギリシャ系の男の子一人以外は、すべて英国系の子供たちだった。子供の親たちとも親しくなったが、アジア人蔑視の考えを強く持つ、白豪主義的な親もいた。
それに今どき、子供たちに尊敬される大人など、オーストラリアにも、日本にもそれほどいるわけがないのだ。
当時の私は会社勤めをしていて、テニスの腕も中級、キャプテンは失格だった。
取り柄と行ったら、子供たち全員にチャンスを与えて、成長を見守ったことだけだ。それも決勝戦で勝ってこそ、誇れるけど、負けたら、アホだとしか言われない。
だから、信じられなかった。だんまりスケベの中年男が、尊敬されるなんて!
と、びっくりした。ワイフには内緒だが、チームの可愛い子ちゃんたちに、いろいろと誘われ、愛されていることも感じていた。だけど、手をださなかったのが、よかったのか?
なぜなんだろう? という思いは、オーストラリアから帰国して一〇年経ってもあった。
だが、黄トンボの原稿を書いていて、謎が解けた。
子供は生まれたときから、一人の独立した人格として、尊敬して扱うべきだと、何度か述べてきている。赤ん坊は自我が強く、主張の強い、一人前の人間なのだ。
赤ん坊を注意深く観察して、尊敬できると思ったら、尊敬の念をもって接するべきなのだ。また、子供はコンピュータと一緒でインプットしたものがアウトプットされるとも述べた。そう書いていて謎が解けた。簡単なことだった。
オーストラリアの子供たちが、私のことを尊敬してくれたのは、私が子供たちを尊敬していたからなのだ。尊敬をインプットしたから、尊敬がアウトプットとされたのだ。
昨年の一二月にオーストラリアを訪ねたが、彼らや彼女たちには会えなかった。だが、大学生になった子、結婚した子、などいろいろ楽しい話を、テニスクラブのメンバーから聞いた。彼らと会えたら、飛びついて抱きついてくると思う。
尊敬して子供たちと接することの正しさ、楽しさ、素晴らしに、人種や国境の壁はないようだ。
「子育て番外編(おやじ)」
2001年5月28日
親子関係は、特殊な友人関係だと、何度も言ってきた。そのことを強く感じたのは、実は、私とおやじの関係からだった。
おやじは典型的な明治の男だった。家のことはすべておふくろに任せっぱなし。毎晩宴会で遅く帰り、芸者遊びに熱を上げ、子供を六人もつくった。六人以外に子供がいないのが不思議なくらいだ。私は末っ子で、おやじが四五歳の時の子だ。
家では帝王で、家事はいっさいせず、風呂場からはフルチンででてきて、居間で体を拭く。まるで江戸時代の日本人のように裸に対する恥の概念がない。何もかにも、私とは感性が合わなかった。
明治生まれのおやじにとっては長男坊が宝で、三男坊の私は放任された。子供のレールをすべてひいて、学業の奮わない、できの悪い私のためにも大企業の席を確保してくれた。画家になりたい長男坊、音楽家になりたかった次男坊も、東京芸術大学に受かっても、好きな道を進ませなかった暴君だ。もっとも子煩悩 で、非暴力主義の親だった。
こんなおやじと親しくなったのは、私が二十七歳から二十八歳の頃だ。おやじは七十歳代で、引退していた。私はアメリカでの雑誌社勤めを終えて帰国し、日本で外資系の会社に勤めていた。
明治の時代に大学を出ているおやじは天下国家を論じるのが好きだった。日曜日の朝に顔を合わせると、政治や経済の現状に悲嘆する。だが私から見ると、おやじの意見は、テレビ番組「時事放談」の蒸し返しに過ぎないことが見え見えだった。
そこで、おやじにはオリジナリティーが不足していると、いつもさんざんこき下ろした。そうしたらあるとき、テレビの評論家が言うのとは一味違う意見を述 べた。それで、私もおやじのことを少しは見直した。それから始まったのが、私から言わせると、「おやじの再教育」だった。
明治時代のインテリは「権威に弱い」、と思ったので、そこから追求した。そう、朝日新聞や読売新聞に書かれていることを頭から信じているのは「脳天気」もいいところだと、さんざんこきおろした。
そのように議論しているうちに、おやじも私の挑戦にまともに答えてくるし、私も少しはおやじの知性を尊敬するようになった。つまり二人はちょと時期が遅く、年齢も離れていたが、初めてお互いを尊敬する友人となったのだ。
「ビートルズのどこがいいんだ?」とおやじ。
「歌詞を読んだ?」
おやじは英語の歌詞を読んで「なんだ、驚いたな、彼らはすごく純情なんだ。もっとひわいな歌詞かと思ってたよ・・・」
それから、おやじはビートルズを熱心に聞くようになった。それだけではなく、「オイ、たまにはビートルズを聴かせてくれよ」と催促するようになった。
若者(当時)の文化に興味を持ったおやじは、エルビス・プレスリーにも挑戦した。そのハワイのでのライブ中継を見て、涙を流して感激した。
そのとき「おやじの再教育」も成功したな、と思った。おやじはたぶん、八〇歳だったと思う。
それからは、おやじが八九歳で死ぬまで、一緒にいて楽しかった。天下国家を論じるのは、最後まで辞めなかった。しかも個性的な意見を持つようになって いた。私とおやじの関係は、完全に友人関係だった。これがすごく楽しかったので、私は、息子を生まれたときから、対等な友人と扱ったのだと思う。
さて問題は私も息子に「おやじの再教育」をされるかだ。冗談じゃない・・・と思う。常に時代の先端を走って、晩年のおやじのように、若々しい感性を持ったまま死にたいと思う。
「子育て番外編(しつけ)」
2003年2月う24日
近所のすし屋に出かけたら、子どものしつけが話題になった。すし屋の大将は、「最近の若い夫婦のしつけはみていられませんねぇ」と嘆く。「しちゃいけません、こうしなさい、ではなく、あのおじさんに怒られるからやめなさい、ですからねぇ」
「でもそもそも、大人に子どもをしつける資格があるのかなぁ」と私。
「えぇ、大地サンは性善説ですか? あっしは性悪説で、子どもはしつけないないかぎり悪いことをすると思ってますねぇ。そうでしょうが、子どもに善悪がわかりますか? やっていいこと、悪いことを教えなければならないんですょ」
「フーン、私の考え方はまったく違うな。子どもにしつけが必要になるのは大人が悪い手本を見せているからだと思う。悪いのは大人で、子どもは正直なだけだと思うね」
「えぇ、そんな考え方があるんですかね。だって、子どもをしつけるのは大人の仕事でしょうが?」
「そうじゃないんだよ。こどもにしつけなんかいらないんだ・・・もし大人が正しく振る舞っていればね・・・でも、ほとんどの大人はダメ人間だから、子どもにしつけが必要になるんだと思う」
と、こんな会話をしたところで、店をでることになった。
土曜日の7時だというのに客は我が家の3人だけ。不況なのか、このすし屋の人気が衰えたのか・・・40分間座っていたのに誰も入ってこなかった・・・そう言えばシャリの味がいまひとつだった・・・。
家に帰ったら友人の翻訳家から本が届いていた。
『「させる」「やめさせる」しつけの切り札』というタイトル。
「二歳から一二歳までの1・2・3方式」が副題。
これは読んでみなければ・・・少なくとも著者の基本的な考え方を知ろう、と思った。そこで読みはじめたが、私の見解とは全くかけ離れていた。
この本によると「子どもは小さな大人であるとの見方は、子どもは純真な心を持ち、分別があり、利己的ではない・・・つまり私たち大人を単に小さくしただけ、と思っているところからでてくるようです」(23p)とある。
これだけ読んで、笑ってしまった。この論理に従えば、「大人とは純真な心を持ち、分別があり、利己的ではない」ということになる。
この定義は、通常の「大人」の定義の正反対ではないだろうか?
「純真な心」をもった大人など、数少ない。居たとしたら、「ただのアホ」と」して馬鹿にされているだろう。
「分別がある」大人など例外中の例外。ほとんどの大人は分別なく、浮気したり、泥酔したり、借金したり、博打に走ったり、ガキと変わらない。
「利己的でない」大人などなどいるのだろうか? ほとんどの人が自分の利益を第一にしている。しない人は『アホ』あつかいされるのが現代の資本主義社会。
さらに、この本では「子どもは子どもであり、小さな大人ではありません。子どもは分別に乏しく、利己的になりがちです。そうした彼らを正すことが、私たち親の、そして教師の役目なのです」(25p)とある。
「ふざけるな!」と思った。私に言わせれば、「分別に乏しく、利己的になりがち」なのは、大人の方だ。少なくとも小さな子どもはもっと純粋だ。それが「分 別に乏しく、利己的な」大人の世界に毒されて、大人の真似をする。そこで「しつけ」なる奇妙なものが必要とされるようになるのだ。
「しつけ」とは、本来、矛盾した存在。大人が悪い手本を見せておいて、それを矯正しようとするわけだ。
理想を言うと、「しつけ」など世の中に必要ない。必要が出てくるのは、親や周りの大人が悪い見本を見せているせいなのだ。
私は6人兄弟の末っ子で、競争の激しい戦後の世界に育った。だが、子どものころを考えてみても、『勉強しろ』と言われたことはあるが、怒られたり、怒鳴 られたり、殴られた経験は無い。親は非暴力主義だった。徹底して暴力を否定する親だった。したがって私も、子どもに暴力を振るったことはない。言葉の暴力 もしないように気をつけてきた。
個人的な経験を言うと、私の場合、子どもを怒ったとか、あるいはしつけたという記憶はない。だが、子どもに怒られたりしつけられた経験は何度かある。
一匹狼のフリーライターの私は、本来、人の好き嫌いが激しい。ある家電屋さんに小学生の息子と買い物に行った。私はそこの店員の態度が気にくわなく、極めてぞんざいに扱った。何を聞かれてもろくに返事もしなかったのだ。
そしたら10歳ぐらいの息子に言われた。「お父さん。誰に対してもそんな態度を取ってはいけないよ」
前にも書いたが、私の子育ての基本は「子どもを尊敬すること」。子どもを一人の人間として尊敬していれば、しつけをするなどという発想すら生まれない。
結論はひとつ。「大人、大人といばるんじゃない! 大人なんて諸悪の根源。反省すべきは大人。大人が身を正せば、しつけは不要になる。大人が子どもをし つけるなどという考えは、おこがましい。大人がそのように生意気だから、子どもも真似をする。子どものしつけが必要になるのは、大人が至らないために過ぎ ない」