不思議な夢の世界
1・明晰夢
明晰夢と言う言葉を聞いたことがあるだろうか? 明晰夢は、普通にわれわれが見る夢とは全く異なったものである。おそらく実際に見たことがある人は、非常に少ないだろう。見るためには、ある程度の訓練が必要だからである。
みなさんも、週に一度や二度は夢を見る事だろう。良い夢ならーー「なんだ夢だったのか!」、悪い夢だったらーー「夢でよかった!」……と、目が覚めて思 うだろう。しかし、夢を見ている間は、まさか自分が夢を見ているとは「夢にも思わない」事だろう。それが通常の夢である。 明晰夢とは、夢を見ている時に、自分が夢を見ていると意識できている状態のことをさす。「そんなことか?」と思うかもしれないが、実は明晰夢を見ること は、非常に難しい。しかし、自分が夢を見ていることに気付いた瞬間、夢の世界は一変する。夢の世界をある程度コントロールすることも可能になるのだ。
私は、子供のころに雑誌の記事を読んで明晰夢の存在を知った。そして、明晰夢を見る方法を手に入れた。しかし、明晰夢を見ることはそう簡単ではない。明 晰夢の見方の詳細は後述するとして、これから、私が研究した夢の世界をお伝えしよう。ただしここで述べることは、すべて私の経験と実験に基づく夢の世界な ので、アカデミックな意味での夢の研究ではないことはお断りしておく。
私が、明晰夢を見て最初に感じたことは、「これが本当に夢の世界だろうか?」と言う驚きである。その世界は、現実となんら変わらぬ複雑な世界だった。あまりにもリアルなのだ。自分が今まで夢に気付いていなかったことに納得した。
まず明晰夢は、すべてが総天然色だった。一般に、夢のほとんどは白黒だと昔から言われているが、明晰夢に限っては完全なカラーである。夢の中でも、色に 迷ったり、きれいな色を見て感動したりできる。そこで、私は明晰夢がどこまで現実の世界と同じなのか、夢の中でいろいろと実験をしてみることを思いつい た。
実験は、まず詳細な観察から始まった。周りのものを見て、現実と異なるおかしなものはないかを観察した。そして、特に現実と異なる物がないことを発見し た。もちろん現実の風景と異なるので、自分の行ったことがない場所や国などが出てくることもあるが、その風景の中に置かれているアイテムは、すべて想像の 範囲内に収まるものだった。つまり、夢は頭の中で作られるので、想像もできないようなものは見られないのだ。
そして、知らない風景とともに、知っている場所などもよく出てきた。ただし、ここが問題なのだ。夢の中では、ここはどこどこだ! 自分の知っている風景だと確信するのだが、目が覚めた後に考えると、絶対に現実の風景とどこかが違っていた。
例をあげてみると、夢の中で私は、ここは子供のころに育ったところだと思ったことがあった。しかし、夢の中でも子供のころの風景とはどこかが違うと気付 いた。その時、私は、この風景は自分が子供時代育った場所の現在の姿なのだと夢の中で結論付けた。しかし、起きてみると、全然違っていたことに気付いた。
夢の中に出てきた場所は、私が過去に過ごしたいろいろな場所がモザイク状に組み合わさってできていたのだ。起きて、すぐにこの事に気付いたが、夢の中で はそう気付かなかった。このことから、明晰夢と言えども、やはり夢の中での思考レベルは、現実と比べ低下しているようなのだ。
それから、夢の中のアイテムは、現実と比べオーバーサイズなものが多いことにも気付いた。しかし、そのオーバーサイズなものにも、ある程度の法則がある ようなのだ。人や動物、道具など、オーバーサイズがあり得ないものは、通常普通の大きさである。しかし、建物や山や渓谷など、実際に巨大になりえるもの は、現実よりはるかに大きくなっていることが多い。高さが何キロもありそうな建物や富士山の何倍もあるような山などが、出てくることも珍しくはなかった。
みなさんも、週に一度や二度は夢を見る事だろう。良い夢ならーー「なんだ夢だったのか!」、悪い夢だったらーー「夢でよかった!」……と、目が覚めて思 うだろう。しかし、夢を見ている間は、まさか自分が夢を見ているとは「夢にも思わない」事だろう。それが通常の夢である。 明晰夢とは、夢を見ている時に、自分が夢を見ていると意識できている状態のことをさす。「そんなことか?」と思うかもしれないが、実は明晰夢を見ること は、非常に難しい。しかし、自分が夢を見ていることに気付いた瞬間、夢の世界は一変する。夢の世界をある程度コントロールすることも可能になるのだ。
私は、子供のころに雑誌の記事を読んで明晰夢の存在を知った。そして、明晰夢を見る方法を手に入れた。しかし、明晰夢を見ることはそう簡単ではない。明 晰夢の見方の詳細は後述するとして、これから、私が研究した夢の世界をお伝えしよう。ただしここで述べることは、すべて私の経験と実験に基づく夢の世界な ので、アカデミックな意味での夢の研究ではないことはお断りしておく。
私が、明晰夢を見て最初に感じたことは、「これが本当に夢の世界だろうか?」と言う驚きである。その世界は、現実となんら変わらぬ複雑な世界だった。あまりにもリアルなのだ。自分が今まで夢に気付いていなかったことに納得した。
まず明晰夢は、すべてが総天然色だった。一般に、夢のほとんどは白黒だと昔から言われているが、明晰夢に限っては完全なカラーである。夢の中でも、色に 迷ったり、きれいな色を見て感動したりできる。そこで、私は明晰夢がどこまで現実の世界と同じなのか、夢の中でいろいろと実験をしてみることを思いつい た。
実験は、まず詳細な観察から始まった。周りのものを見て、現実と異なるおかしなものはないかを観察した。そして、特に現実と異なる物がないことを発見し た。もちろん現実の風景と異なるので、自分の行ったことがない場所や国などが出てくることもあるが、その風景の中に置かれているアイテムは、すべて想像の 範囲内に収まるものだった。つまり、夢は頭の中で作られるので、想像もできないようなものは見られないのだ。
そして、知らない風景とともに、知っている場所などもよく出てきた。ただし、ここが問題なのだ。夢の中では、ここはどこどこだ! 自分の知っている風景だと確信するのだが、目が覚めた後に考えると、絶対に現実の風景とどこかが違っていた。
例をあげてみると、夢の中で私は、ここは子供のころに育ったところだと思ったことがあった。しかし、夢の中でも子供のころの風景とはどこかが違うと気付 いた。その時、私は、この風景は自分が子供時代育った場所の現在の姿なのだと夢の中で結論付けた。しかし、起きてみると、全然違っていたことに気付いた。
夢の中に出てきた場所は、私が過去に過ごしたいろいろな場所がモザイク状に組み合わさってできていたのだ。起きて、すぐにこの事に気付いたが、夢の中で はそう気付かなかった。このことから、明晰夢と言えども、やはり夢の中での思考レベルは、現実と比べ低下しているようなのだ。
それから、夢の中のアイテムは、現実と比べオーバーサイズなものが多いことにも気付いた。しかし、そのオーバーサイズなものにも、ある程度の法則がある ようなのだ。人や動物、道具など、オーバーサイズがあり得ないものは、通常普通の大きさである。しかし、建物や山や渓谷など、実際に巨大になりえるもの は、現実よりはるかに大きくなっていることが多い。高さが何キロもありそうな建物や富士山の何倍もあるような山などが、出てくることも珍しくはなかった。
2--感覚
次に考えたことは、夢の中でどこまで細かく現実が再現されているだろうかと言うことだった。ためしに近くにあった木の表面を見てみた。すると、木肌の細かい所まで完全にリアルだった。さらに、細かなものはないかと考えたとき、自分の手の指紋を見てみようと思いついた。
手に思いきり顔を近づけ見てみると、何と正確に指紋が再現されていた。あまりの稚拙さに驚いたのだが、数秒とたたないうちに指紋は突然崩れ始めた。波打つように指紋が崩れ始めたかと思うと、手全体の輪郭がぼやけてしまったのだ。
さらに夢の中での実験は、明晰夢を見るたびに続いた。……とは言うものの肝心の明晰夢自体がなかなか見られない。たまに見ても実験の事は、すっかり忘れ てしまっていることも多い。明晰夢は、見出すと続けてみることがあるが、見ない時には全く見なくなる。時には、一年間全く見ないと言うこともあった。した がって、夢の世界の研究も遅々として進まなかった。
ちなみに私の夢では、おもな移動手段は、空中浮遊である。明晰夢と言わずすべての夢で、移動手段は空中浮遊がほとんどである。しかし、スーパーマンのように、空を自由自在に飛べることはほとんどない。危なっかしく、辛うじて空を浮遊すると言う状態が多い。
そう言う状態なので、空を飛ぶのは結構怖い。特に明晰夢の時は、意識がはっきりしていて、周りの風景がリアルなので、浮遊しても高い場所には怖くて行けな い。通常は1・2メートルぐらいのところを浮遊する。意識的に飛べるのは、通常はどんなに頑張っても10メートルぐらいの高さまでだ。自分が、10メート ルぐらいの高さのところを、不安定に浮いている状態を想像してほしい。結構、恐ろしいものである。
さて、夢の中での実験を進めよう。次に、夢の中で実験したことは、感覚器官の具合である。まず、木の表面を触ってみた。ガサガサとした感触がちゃんと伝わってきた。つまり触覚は、夢の中でも機能していたわけだ。
さらに、風や水の中での抵抗なども通常通りに感じられることがわかった。しかし、感覚器官の実験を繰り返しているうちに、非常に面白い事に気付いた。水 の中に入っても、冷たくないのだ。夢の中で入る水は、常に生温い状態だった。手に水をかけたとき、若干、温度が低く感じるが、やはり冷たくはない。
どんなに、寒そうな北極海の水の中に飛び込んだ時も、寒くはなかった。さらに炎に手を突っ込んでも暑くないし、激しく地面にぶつかっても痛くない。つま り夢の中で、感覚は機能していることは間違いないが、極端な不快感は味わえないのだ。おそらく、睡眠している状態が、布団の中で快適な状態なので、極端な 寒さや暑さ、痛みなどは感じることが出来ないと思われるのだ。
つまり、夢の中で極端な肉体的不快感は味わえないわけである。もし感じたとしたら、それは実際の痛みや不快感であり、すぐに目が覚める事だろう。
私は、夢の中で飛んで移動するので、何度も落ちたことがある。さらに、エレベーターで落ちる夢や、飛行機やヘリコプターで墜落する夢も何度もみたが、痛 かったことは一度もない。だが、くすぐったいという感覚は、非常に激しく感じられることがある。あまりのくすぐったさに目が覚めることもある。
それに、高い所から落っこちるときの、あのゾクゾクするスリル感、つまり精神的不快感は、夢の中でも非常にリアルに伝わってくる。時には、ジェットコー スターやバンジージャンプで、恐怖を体験するように、夢の中でもわざと高い場所から飛び降りたりして、あのスリル感を味わうこともよく行う。夢の中での、 最も楽しい遊びの一つである。
精神的不快感が味わえるなら、精神的満足感も味わえることはだれでも気付く事だろう。……すると、考えることは皆同じである。ネットを見ると、明晰夢の 話題は、もっぱらエロとの関係で盛り上がっている。ところが、ネット上での盛り上がりとは裏腹に、意外と上手くいかないのだ。まず、明晰夢の世界があまり にもリアルすぎると言うことが邪魔になる。
たとえ自分の夢の中といえども、羞恥心や良心の呵責があるのだ。手荒なまねは、とてもできない。いちゃつくためには、現実と同じように相手を同意させる 必要がある。多少現実より、楽なことは間違いないが、玉砕も多々ある。さらに、うまくいっても、興奮すると、すぐに目が覚めてしまうという問題もある。し かし、これらの問題をものともせず夢の中で遊びまくるつわものもいるようだ。
つい最近、夢の中で行った実験に、鏡に映った自分の姿はどう見えるだろうか、と言うことがあった。その夢を見ている時は、すでに夜が明けていて、非常に 天気の良い日の朝だった。そのせいか、夢の中でも非常に明るい屋外にいた。実験のために鏡を探したが、屋外なので鏡がない。
やがて、満々と水を蓄えた井戸を見つけた。その井戸の水面を覗き込んでみることにした。覗き込む時、一瞬だけ自分の腕が水面に映ったのが見えた。しかし、期待に反して水面に映っていたのは、青空だけで、覗き込む自分の姿は映っていなかった。
……どうしてだろうか? 不思議に思いもう一度、覗き込んでみた。今度は、水面に映った青空を背景に、井戸を覗き込む自分の姿が映っていた。しかし、驚 いた事に、自分の背後にもう一人の自分が、映り込んでいたのだ。しかも、自分はじっと水面をのぞいているだけなのに、水面に映る自分の姿は、大きく動いて いた。おまけに映り込んでいる二人の自分が、ばらばらに動いていたのである。
手に思いきり顔を近づけ見てみると、何と正確に指紋が再現されていた。あまりの稚拙さに驚いたのだが、数秒とたたないうちに指紋は突然崩れ始めた。波打つように指紋が崩れ始めたかと思うと、手全体の輪郭がぼやけてしまったのだ。
さらに夢の中での実験は、明晰夢を見るたびに続いた。……とは言うものの肝心の明晰夢自体がなかなか見られない。たまに見ても実験の事は、すっかり忘れ てしまっていることも多い。明晰夢は、見出すと続けてみることがあるが、見ない時には全く見なくなる。時には、一年間全く見ないと言うこともあった。した がって、夢の世界の研究も遅々として進まなかった。
ちなみに私の夢では、おもな移動手段は、空中浮遊である。明晰夢と言わずすべての夢で、移動手段は空中浮遊がほとんどである。しかし、スーパーマンのように、空を自由自在に飛べることはほとんどない。危なっかしく、辛うじて空を浮遊すると言う状態が多い。
そう言う状態なので、空を飛ぶのは結構怖い。特に明晰夢の時は、意識がはっきりしていて、周りの風景がリアルなので、浮遊しても高い場所には怖くて行けな い。通常は1・2メートルぐらいのところを浮遊する。意識的に飛べるのは、通常はどんなに頑張っても10メートルぐらいの高さまでだ。自分が、10メート ルぐらいの高さのところを、不安定に浮いている状態を想像してほしい。結構、恐ろしいものである。
さて、夢の中での実験を進めよう。次に、夢の中で実験したことは、感覚器官の具合である。まず、木の表面を触ってみた。ガサガサとした感触がちゃんと伝わってきた。つまり触覚は、夢の中でも機能していたわけだ。
さらに、風や水の中での抵抗なども通常通りに感じられることがわかった。しかし、感覚器官の実験を繰り返しているうちに、非常に面白い事に気付いた。水 の中に入っても、冷たくないのだ。夢の中で入る水は、常に生温い状態だった。手に水をかけたとき、若干、温度が低く感じるが、やはり冷たくはない。
どんなに、寒そうな北極海の水の中に飛び込んだ時も、寒くはなかった。さらに炎に手を突っ込んでも暑くないし、激しく地面にぶつかっても痛くない。つま り夢の中で、感覚は機能していることは間違いないが、極端な不快感は味わえないのだ。おそらく、睡眠している状態が、布団の中で快適な状態なので、極端な 寒さや暑さ、痛みなどは感じることが出来ないと思われるのだ。
つまり、夢の中で極端な肉体的不快感は味わえないわけである。もし感じたとしたら、それは実際の痛みや不快感であり、すぐに目が覚める事だろう。
私は、夢の中で飛んで移動するので、何度も落ちたことがある。さらに、エレベーターで落ちる夢や、飛行機やヘリコプターで墜落する夢も何度もみたが、痛 かったことは一度もない。だが、くすぐったいという感覚は、非常に激しく感じられることがある。あまりのくすぐったさに目が覚めることもある。
それに、高い所から落っこちるときの、あのゾクゾクするスリル感、つまり精神的不快感は、夢の中でも非常にリアルに伝わってくる。時には、ジェットコー スターやバンジージャンプで、恐怖を体験するように、夢の中でもわざと高い場所から飛び降りたりして、あのスリル感を味わうこともよく行う。夢の中での、 最も楽しい遊びの一つである。
精神的不快感が味わえるなら、精神的満足感も味わえることはだれでも気付く事だろう。……すると、考えることは皆同じである。ネットを見ると、明晰夢の 話題は、もっぱらエロとの関係で盛り上がっている。ところが、ネット上での盛り上がりとは裏腹に、意外と上手くいかないのだ。まず、明晰夢の世界があまり にもリアルすぎると言うことが邪魔になる。
たとえ自分の夢の中といえども、羞恥心や良心の呵責があるのだ。手荒なまねは、とてもできない。いちゃつくためには、現実と同じように相手を同意させる 必要がある。多少現実より、楽なことは間違いないが、玉砕も多々ある。さらに、うまくいっても、興奮すると、すぐに目が覚めてしまうという問題もある。し かし、これらの問題をものともせず夢の中で遊びまくるつわものもいるようだ。
つい最近、夢の中で行った実験に、鏡に映った自分の姿はどう見えるだろうか、と言うことがあった。その夢を見ている時は、すでに夜が明けていて、非常に 天気の良い日の朝だった。そのせいか、夢の中でも非常に明るい屋外にいた。実験のために鏡を探したが、屋外なので鏡がない。
やがて、満々と水を蓄えた井戸を見つけた。その井戸の水面を覗き込んでみることにした。覗き込む時、一瞬だけ自分の腕が水面に映ったのが見えた。しかし、期待に反して水面に映っていたのは、青空だけで、覗き込む自分の姿は映っていなかった。
……どうしてだろうか? 不思議に思いもう一度、覗き込んでみた。今度は、水面に映った青空を背景に、井戸を覗き込む自分の姿が映っていた。しかし、驚 いた事に、自分の背後にもう一人の自分が、映り込んでいたのだ。しかも、自分はじっと水面をのぞいているだけなのに、水面に映る自分の姿は、大きく動いて いた。おまけに映り込んでいる二人の自分が、ばらばらに動いていたのである。
3--ここは何処
夢の探求を何度も繰り返しているうちに、もう一つ面白い法則に気付いた。夢の中では、たとえ道を間違えたとしても、絶対に元の場所へは戻れないのだ。これは、屋外でも屋内でも共通している事実である。
今までいた場所をはっきり記憶しているのに、その場所に戻ろうとしても、絶対に戻れない。しっかり道を覚えていて、元の場所に戻ろうとしても、そこはもう元の景色とは異なっているのだ。つまり、夢の世界では、誰もが方向音痴になってしまうというわけだ!
ここまで、いろいろと夢の世界を調べてきて、ついに、これらすべてに共通する大原則を見つけるに至った。夢の中の世界と現実の世界の最も大きな違いにつ いて述べよう。この違いは、長年にわたる夢の中での実験や記録の積み重ねから最近はっきりした事実であり、夢の世界を考える上で最もおもしろいとも言える だろう。
この法則に思い至ったのは、ある時、夢の中で不思議な事に気付いたからだ。ドアを開け、そのドアをいったん閉じた後に、再度ドアを開けると、そのドアの 先の景色が変わっていたのだ。何度やっても、いったん閉めてドアを開くと、その先の景色は変わっていた。しかも、その変化具合は、時間に比例した。
ドアを閉じている時間が、一瞬だけなら、変化はほとんどない。しかし、若干どこかが変わっていた。ドアを閉じてしばらくして再びドアを開くと、その先の 景色は大きく変わっていた。最初、理由が分からなかった。しかし、いつも景色の変化などに気を付けていると、ある重要なことがわかってきた。
景色の変化は、何もドアの向こうだけの出来事ではなかった。視線を移動し、再び元に戻しただけで、その視線の先に見えるものは変化していたのだ。つまり、夢の中の世界はすべてが流動的だったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、当たり前の話である。夢の世界とは脳が作り出し見えているのだ。ある風景が見えるということは、脳の中の意識とは異なる 部分で映像を構成し、意識に見せているということなのだ。そして、視線を動かし元に戻すということは、いったん別の景色が構成され、再び前の景色に再構成 されるという作業に他ならない。完全に同じように再構成することは、おそらく不可能なのだ。
変化度合が、時間の長さに依存する事も納得できる。おそらく、映像を構成している脳のネットワーク情報の記憶と意識が映像として覚えている「意識上の記 憶」は、別のものに違いない。短い時間なら、前の風景を構成していた脳のネットワーク情報の記憶が鮮明なので、かなり「意識上の記憶」と近い画像に再構成 できる。しかし、時間がたてばたつほど、脳のネットワーク情報の記憶は失われていき、その結果、再構築される映像は「意識上の記憶」にあるものとは異なっ てきて、景色の変化の度合いが大きくなり、時には全く違う景色に変わっていたのだ。
この事実を知ってから、夢の世界の理解がさらに深まった。実は夢の中では、絶えず視線が動き、見える景色は常に少しずつ変化していたのだ。つまり、夢の景色は自分の視線の先にある世界だけで、視線を動かすたびに微妙に変化していた。
こうして夢の世界の探求を繰り返しているうちに、もっと面白い事実も発見した。それは、夢の中では、一点を見つめ続けることが出来ないという事だ。画像 を静止画状態で保っていることはできないのだ。自分の見つめているものが、単純な形のものは、比較的長い時間見つめていても変化しない。しかし、複雑にな ればなるほど、見つめ続けることは困難となる。
自分の指紋が、はっきり見えるのに、一瞬で崩れてしまったのにもここに理由があった。手の指紋のように、複雑なものは、一瞬しか見つめ続けることは不可能なのだ。水面に映った自分が、動いていたのも恐らくこのことと関係があると思われる。
脳の画像を構成しているネットワークは生きた組織である。おそらく生体組織で構成された画像のネットワークを、動かずに静止した状態で固定させることが困難なのだろう。したがって、夢の中での、美術鑑賞はお勧めできないというわけだ! 映画ならOKかもしれない。
一般に、夢を見ている時はレム睡眠の状態にあると言われている。レム睡眠のレムとは「Rapid Eye Movement」の頭文字をとったものである。つまりレム睡眠時の特徴は、早い眼球運動を伴っていることである。
おそらく、これも夢で画像を動画状態に保って常に更新する為に、視線を常に動かしていることに由来すると思われる。止まることのない視線の移動が、眼球 の急速な動きとして表面にあらわれているのだ。つまり、夢の世界と現実世界の最大の違いは、夢の世界では、すべての景色が流動的に常に動いているというこ とである。夢の世界では、静止画は存在しないのだ。
しかしそれを除けば、夢の世界は実にリアルである。何らかの拍子で、明晰夢を偶然見てしまったものは、あまりのリアルさに、自分がどこか別の場所に本当 にいると勘違いするかもしれない。幽体離脱をしたと思っている人の多くは、実は明晰夢を見ていた可能性もあると言えるだろう。しかし、上記のように注意深 く観察すれば、夢の世界は明らかに現実の世界と異なることが分かるのだ。
今までいた場所をはっきり記憶しているのに、その場所に戻ろうとしても、絶対に戻れない。しっかり道を覚えていて、元の場所に戻ろうとしても、そこはもう元の景色とは異なっているのだ。つまり、夢の世界では、誰もが方向音痴になってしまうというわけだ!
ここまで、いろいろと夢の世界を調べてきて、ついに、これらすべてに共通する大原則を見つけるに至った。夢の中の世界と現実の世界の最も大きな違いにつ いて述べよう。この違いは、長年にわたる夢の中での実験や記録の積み重ねから最近はっきりした事実であり、夢の世界を考える上で最もおもしろいとも言える だろう。
この法則に思い至ったのは、ある時、夢の中で不思議な事に気付いたからだ。ドアを開け、そのドアをいったん閉じた後に、再度ドアを開けると、そのドアの 先の景色が変わっていたのだ。何度やっても、いったん閉めてドアを開くと、その先の景色は変わっていた。しかも、その変化具合は、時間に比例した。
ドアを閉じている時間が、一瞬だけなら、変化はほとんどない。しかし、若干どこかが変わっていた。ドアを閉じてしばらくして再びドアを開くと、その先の 景色は大きく変わっていた。最初、理由が分からなかった。しかし、いつも景色の変化などに気を付けていると、ある重要なことがわかってきた。
景色の変化は、何もドアの向こうだけの出来事ではなかった。視線を移動し、再び元に戻しただけで、その視線の先に見えるものは変化していたのだ。つまり、夢の中の世界はすべてが流動的だったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、当たり前の話である。夢の世界とは脳が作り出し見えているのだ。ある風景が見えるということは、脳の中の意識とは異なる 部分で映像を構成し、意識に見せているということなのだ。そして、視線を動かし元に戻すということは、いったん別の景色が構成され、再び前の景色に再構成 されるという作業に他ならない。完全に同じように再構成することは、おそらく不可能なのだ。
変化度合が、時間の長さに依存する事も納得できる。おそらく、映像を構成している脳のネットワーク情報の記憶と意識が映像として覚えている「意識上の記 憶」は、別のものに違いない。短い時間なら、前の風景を構成していた脳のネットワーク情報の記憶が鮮明なので、かなり「意識上の記憶」と近い画像に再構成 できる。しかし、時間がたてばたつほど、脳のネットワーク情報の記憶は失われていき、その結果、再構築される映像は「意識上の記憶」にあるものとは異なっ てきて、景色の変化の度合いが大きくなり、時には全く違う景色に変わっていたのだ。
この事実を知ってから、夢の世界の理解がさらに深まった。実は夢の中では、絶えず視線が動き、見える景色は常に少しずつ変化していたのだ。つまり、夢の景色は自分の視線の先にある世界だけで、視線を動かすたびに微妙に変化していた。
こうして夢の世界の探求を繰り返しているうちに、もっと面白い事実も発見した。それは、夢の中では、一点を見つめ続けることが出来ないという事だ。画像 を静止画状態で保っていることはできないのだ。自分の見つめているものが、単純な形のものは、比較的長い時間見つめていても変化しない。しかし、複雑にな ればなるほど、見つめ続けることは困難となる。
自分の指紋が、はっきり見えるのに、一瞬で崩れてしまったのにもここに理由があった。手の指紋のように、複雑なものは、一瞬しか見つめ続けることは不可能なのだ。水面に映った自分が、動いていたのも恐らくこのことと関係があると思われる。
脳の画像を構成しているネットワークは生きた組織である。おそらく生体組織で構成された画像のネットワークを、動かずに静止した状態で固定させることが困難なのだろう。したがって、夢の中での、美術鑑賞はお勧めできないというわけだ! 映画ならOKかもしれない。
一般に、夢を見ている時はレム睡眠の状態にあると言われている。レム睡眠のレムとは「Rapid Eye Movement」の頭文字をとったものである。つまりレム睡眠時の特徴は、早い眼球運動を伴っていることである。
おそらく、これも夢で画像を動画状態に保って常に更新する為に、視線を常に動かしていることに由来すると思われる。止まることのない視線の移動が、眼球 の急速な動きとして表面にあらわれているのだ。つまり、夢の世界と現実世界の最大の違いは、夢の世界では、すべての景色が流動的に常に動いているというこ とである。夢の世界では、静止画は存在しないのだ。
しかしそれを除けば、夢の世界は実にリアルである。何らかの拍子で、明晰夢を偶然見てしまったものは、あまりのリアルさに、自分がどこか別の場所に本当 にいると勘違いするかもしれない。幽体離脱をしたと思っている人の多くは、実は明晰夢を見ていた可能性もあると言えるだろう。しかし、上記のように注意深 く観察すれば、夢の世界は明らかに現実の世界と異なることが分かるのだ。
4--明晰夢を見たい!
さて、ここまで読んだ人は、自分も明晰夢を見てみたいと思った事だろう。どうすれば、明晰夢を見ることが可能になるのか説明しよう。最初に書いたように、 明晰夢とは自分が夢を見ていることに気付くことである。実験室レベルでは、脳波を測定し、夢を見始めたら光の信号を送るという手法で、比較的簡単に明晰夢 を見ることは可能らしい。しかし、自分ひとりとなるとそうはいかない。
そこで明晰夢を見る第一歩は、明晰夢と言うものの存在を知り、自分も見てみたいと思うことである。では、夢の中で夢を見ている事に、どうすれば気付くの か? それは、常日頃から「これは現実だろうか、夢だろうか」と、何かにつけ問いかけることである。起きている時にそのような癖を付けておけば、夢の中で も、同じことを考えることが可能になる。
見えている世界が夢かどうか問いかけてみて、本当に夢の世界ならば、必ず「これは現実ではない。夢の世界だ!」と気付く事だろう。私の場合は、先にも述 べたように、夢の中での移動は空中浮遊が原則である。よって、自分が浮遊している事に気づき、これは夢だと分かる事もよくある。自分が空を飛んでいれば、 それは夢の世界に間違いない。
それから、時間帯も重要である。明晰夢を見やすいのは、やはり浅い眠りの時みたいなのだ。経験上、最も見やすい時間帯は起きる寸前である。休日などで、 普段より寝坊するときの朝は最も見やすい。いったん目が覚めて、再びウトウトとし始めた時は、チャンスである。いったん目が覚め、まだ眠るつもりの時は、 明晰夢の事を意識しよう!
さて、明晰夢を見たとして、こんどはその夢をどれだけ長く持続できるかと言うことである。面白い事に、夢から覚めそうなときは、すぐに分かる。私が子供の時に見た雑誌の明晰夢の記事には、夢からさめそうになった時は、スピンが有効だと書いてあった記憶がある。
ただし、これがどういう意味かよく分からなかった。おそらく自分自身が、フィギュアスケートのようスピンするのだろうと理解して試してみた。しかし、成功するときと成功しない時があり、効果のほどは、はっきりしない。なにもやらないよりは、ましな程度かもしれない。
自分がスピンするのではなく、スピンするものを見つめるのだという意見もあるが、まだ試してみたことはない。スピン以外の動作でも、夢が安定することがあるのかと思い、マサイ族のように夢の中でジャンプしてみたが、そのときは全く効果なく目が覚めてしまった。
今のところは、スピンが最も無難な夢の安定法だと考えられる。しかし、今まで見てきた法則どおり、スピン後の風景は、スピン前とは全く変わっているので、あしからず!
そこで明晰夢を見る第一歩は、明晰夢と言うものの存在を知り、自分も見てみたいと思うことである。では、夢の中で夢を見ている事に、どうすれば気付くの か? それは、常日頃から「これは現実だろうか、夢だろうか」と、何かにつけ問いかけることである。起きている時にそのような癖を付けておけば、夢の中で も、同じことを考えることが可能になる。
見えている世界が夢かどうか問いかけてみて、本当に夢の世界ならば、必ず「これは現実ではない。夢の世界だ!」と気付く事だろう。私の場合は、先にも述 べたように、夢の中での移動は空中浮遊が原則である。よって、自分が浮遊している事に気づき、これは夢だと分かる事もよくある。自分が空を飛んでいれば、 それは夢の世界に間違いない。
それから、時間帯も重要である。明晰夢を見やすいのは、やはり浅い眠りの時みたいなのだ。経験上、最も見やすい時間帯は起きる寸前である。休日などで、 普段より寝坊するときの朝は最も見やすい。いったん目が覚めて、再びウトウトとし始めた時は、チャンスである。いったん目が覚め、まだ眠るつもりの時は、 明晰夢の事を意識しよう!
さて、明晰夢を見たとして、こんどはその夢をどれだけ長く持続できるかと言うことである。面白い事に、夢から覚めそうなときは、すぐに分かる。私が子供の時に見た雑誌の明晰夢の記事には、夢からさめそうになった時は、スピンが有効だと書いてあった記憶がある。
ただし、これがどういう意味かよく分からなかった。おそらく自分自身が、フィギュアスケートのようスピンするのだろうと理解して試してみた。しかし、成功するときと成功しない時があり、効果のほどは、はっきりしない。なにもやらないよりは、ましな程度かもしれない。
自分がスピンするのではなく、スピンするものを見つめるのだという意見もあるが、まだ試してみたことはない。スピン以外の動作でも、夢が安定することがあるのかと思い、マサイ族のように夢の中でジャンプしてみたが、そのときは全く効果なく目が覚めてしまった。
今のところは、スピンが最も無難な夢の安定法だと考えられる。しかし、今まで見てきた法則どおり、スピン後の風景は、スピン前とは全く変わっているので、あしからず!