水の惑星 新ガイア理論
第一回:無駄な整列
水の惑星地球と呼ばれるように、水は地球上に満ち溢れている。水はあまりにもありふれた物質の為、普段あまり気にかける事は無い。しかし良く良く考えてみると、実は水ほど不思議な物質も珍しい。
ご存知のように物質には固体、液体、気体等の状態が存在しそれぞれ異なる特性を示す。
それぞれの特性については説明するまでも無いだろうが、それぞれの状態は基本的には温度つまり分子の運動量の差で決まる。分子の運動量が少ない順から固体、液体、気体となるのだ。
水は1気圧のとき、摂氏0度以上で固体から液体になり、摂氏100度で液体から気体になる。
ここで水の不思議さが出てくる。ほとんどの物質は、固体、液体、気体の順に体積が増加していくのに対し、水は固体の状態、つまり氷の時に液体の状態よりも体積が増えてしまうのだ。 水の体積が一番小さくなるのは、摂氏4度である。
物質の温度・分子の運動量が大きくなると体積が増えていく理由は、小学校の校庭を想像すると簡単に理解できるだろう。液体の状態は児童が校庭を自由に飛 びまわっている休み時間に置き換えることが出来る。 つまり、分子はある一定の範囲内で自由に運動している状態で、この場合校庭の壁が水の表面にあたると 考えればよいだろう。 すると固体とは朝礼のとき、整列している児童に相当し、全校生徒を集めても校庭の片隅に収まってしまうように、分子がきれいに整列 し位置を保った状態で震動しているため小さな場所に集まる事が出来る。
反対に気体とは、学校が終わり校庭の外に威勢良く散っていった児童にあたり、分子同士の束縛を離れ自由気ままに運動している状態である。
つまり水が氷になると体積が増えるという事は、整列している児童が自由に運動しているときよりも、お互いの間隔をいっぱいに空け、校庭をはみ出している状態のようなものなのだ。空間を無意味に使った実に無駄な整列である。
こう考えると水が如何に不思議な物質か想像できるだろう。しかし、水のこの不思議な性質のおかげで、見慣れた風景や現象が成り立っているのだ。
ご存知のように物質には固体、液体、気体等の状態が存在しそれぞれ異なる特性を示す。
それぞれの特性については説明するまでも無いだろうが、それぞれの状態は基本的には温度つまり分子の運動量の差で決まる。分子の運動量が少ない順から固体、液体、気体となるのだ。
水は1気圧のとき、摂氏0度以上で固体から液体になり、摂氏100度で液体から気体になる。
ここで水の不思議さが出てくる。ほとんどの物質は、固体、液体、気体の順に体積が増加していくのに対し、水は固体の状態、つまり氷の時に液体の状態よりも体積が増えてしまうのだ。 水の体積が一番小さくなるのは、摂氏4度である。
物質の温度・分子の運動量が大きくなると体積が増えていく理由は、小学校の校庭を想像すると簡単に理解できるだろう。液体の状態は児童が校庭を自由に飛 びまわっている休み時間に置き換えることが出来る。 つまり、分子はある一定の範囲内で自由に運動している状態で、この場合校庭の壁が水の表面にあたると 考えればよいだろう。 すると固体とは朝礼のとき、整列している児童に相当し、全校生徒を集めても校庭の片隅に収まってしまうように、分子がきれいに整列 し位置を保った状態で震動しているため小さな場所に集まる事が出来る。
反対に気体とは、学校が終わり校庭の外に威勢良く散っていった児童にあたり、分子同士の束縛を離れ自由気ままに運動している状態である。
つまり水が氷になると体積が増えるという事は、整列している児童が自由に運動しているときよりも、お互いの間隔をいっぱいに空け、校庭をはみ出している状態のようなものなのだ。空間を無意味に使った実に無駄な整列である。
こう考えると水が如何に不思議な物質か想像できるだろう。しかし、水のこの不思議な性質のおかげで、見慣れた風景や現象が成り立っているのだ。
第二回:水に沈む氷
もし水が他の物質と同じように個体になると体積が少なくなると仮定してみよう。同じ物質で重さが変わらず体積が小さくなるという事は、すなわち比重が大きくなるということである。そうするとどうなるだろう? 何と氷が水に沈んでしまうのだ。
よって南極や北極の海に浮かぶ巨大な氷山もなくなってしまい、タイタニック号も沈没しなくて済むわけだ。冬の名物、オホーツクの流氷も見られなくなってしまう。
又、海だけでなく地表にも大きな影響がある。岩肌など地表の侵食の多くが、染み込んだ水が低温時に凍り、体積が増える事によってもたらされているのだ。 もし、氷の体積が増えなければ、浸食作用はずっと少なくなり、登山での落石事故なども起こらなくなるだろう。
更に氷の体積が水より少なくなると、アイスクリームメーカにはきついだろう。何しろ、現在と同じ大きさのアイスクリームを作る為には、はるかに多くの原 材料が必要になってしまうのだ。おまけに同量のアイスクリームを食べているつもりでも、重さではしっかり重くなっているわけだから、カロリーもその分多く なっている。 ダイエットに精を出している女性にとっては大変な事だ。
でもデメリットばかりでもない! あつーい夏! 冷えた缶ビールをきらしてしまい缶ビールを急速に冷やそうと思い冷凍庫に入れるような事はないだろう か?ついつい冷やしすぎて缶を破裂させた経験があるはずだ。 少なくとも私は、毎シーズン一回は、同じ失敗を繰り返している。 でも安心、このような場合でも体積さえ増えなくなれば、もう決して缶が破裂するような事は無いだろう(大気圧で多少缶はへこむかも知れないが)。
くだらない、たとえ話で脱線してしまったが、水が氷になると体積が増え浮かぶ事は、化学の目で見てみると実は不思議な現象なのだ。 ところで、水のほかに固体、液体、気体の3状態を簡単に想像出来る物があるか、考えてみてほしい。
きっと何も思い浮かばないはずだ。水は地球上で唯一、普通の温度(極限状態ではなく一定時間以上人間が生存できる温度)で、固体と液体と気体の3態を取る事が出来る物質でもあるのだ
よって南極や北極の海に浮かぶ巨大な氷山もなくなってしまい、タイタニック号も沈没しなくて済むわけだ。冬の名物、オホーツクの流氷も見られなくなってしまう。
又、海だけでなく地表にも大きな影響がある。岩肌など地表の侵食の多くが、染み込んだ水が低温時に凍り、体積が増える事によってもたらされているのだ。 もし、氷の体積が増えなければ、浸食作用はずっと少なくなり、登山での落石事故なども起こらなくなるだろう。
更に氷の体積が水より少なくなると、アイスクリームメーカにはきついだろう。何しろ、現在と同じ大きさのアイスクリームを作る為には、はるかに多くの原 材料が必要になってしまうのだ。おまけに同量のアイスクリームを食べているつもりでも、重さではしっかり重くなっているわけだから、カロリーもその分多く なっている。 ダイエットに精を出している女性にとっては大変な事だ。
でもデメリットばかりでもない! あつーい夏! 冷えた缶ビールをきらしてしまい缶ビールを急速に冷やそうと思い冷凍庫に入れるような事はないだろう か?ついつい冷やしすぎて缶を破裂させた経験があるはずだ。 少なくとも私は、毎シーズン一回は、同じ失敗を繰り返している。 でも安心、このような場合でも体積さえ増えなくなれば、もう決して缶が破裂するような事は無いだろう(大気圧で多少缶はへこむかも知れないが)。
くだらない、たとえ話で脱線してしまったが、水が氷になると体積が増え浮かぶ事は、化学の目で見てみると実は不思議な現象なのだ。 ところで、水のほかに固体、液体、気体の3状態を簡単に想像出来る物があるか、考えてみてほしい。
きっと何も思い浮かばないはずだ。水は地球上で唯一、普通の温度(極限状態ではなく一定時間以上人間が生存できる温度)で、固体と液体と気体の3態を取る事が出来る物質でもあるのだ
第三回:万能の溶剤
水と言えば化学記号は、H2Oで水素原子2個、酸素原子1個で出来た物質だ。でも本当の水を見たものは誰もいない。
水は何でも溶かし込む万能の溶剤なのだ。つまり水は、本当の意味での水・H2O単体という形では存在しないのだ。我々が水と呼んでいる存在は、さまざま な物質の水溶液の事である。もちろんそのおかげで、水に味がある訳で、もし水が単体で存在していたらエビアンもボルビックも同じ味になってしまい、何処何 処の名水なんていう物もなくなってしまう。
自然界に存在する水は、とても水と一言で呼ぶのもはばかれるほどに多種多様な物質の水溶液なのだ。しかし、人工的には純粋な水に近い物がある。 いわゆる純水や超純水と呼ばれるものだ。人工的に作って初めて出来る物で決して自然界には存在しない。
一般的に電気機器に水はかけられない。なぜならば、水は電気を通しやすいのでショートしてしまうからだ。しかしこれも、水が電気を通すのではなく、水が色々な物質を溶かし込み電解液になっているから電気を通すのだ。
超純水は、電気を通さない上、何でも溶かし込んでしまう。その性質を利用して半導体の洗浄などに使われているほどである。超純水の製造装置では、水の電気抵抗地を測定する事で純度のバロメータにしている。もちろん電気抵抗地が高いほど純水に近い。
しかし、どんなに濾過を重ねても完全な水は製造不可能だ。なぜなら、万能の溶剤であるがゆえに、程度の違いはあるが、出来た瞬間から即座に回りの物を片っ端に溶かし始めるからだ。
俗に超純水をコップ一杯飲むと人間は死んでしまうといわれている。あまりに純粋な水は、何でも溶かし込んでしまうため、胃の粘膜や胃壁を溶かしてしまう と考えられているのだろうが、おそらくそれほどの事は無いだろう。しかし、超純水はまずい! 一口だけ飲んだことがあるのだが、無味・無臭とはまさにこの 事だ。
水は何でも溶かし込む万能の溶剤なのだ。つまり水は、本当の意味での水・H2O単体という形では存在しないのだ。我々が水と呼んでいる存在は、さまざま な物質の水溶液の事である。もちろんそのおかげで、水に味がある訳で、もし水が単体で存在していたらエビアンもボルビックも同じ味になってしまい、何処何 処の名水なんていう物もなくなってしまう。
自然界に存在する水は、とても水と一言で呼ぶのもはばかれるほどに多種多様な物質の水溶液なのだ。しかし、人工的には純粋な水に近い物がある。 いわゆる純水や超純水と呼ばれるものだ。人工的に作って初めて出来る物で決して自然界には存在しない。
一般的に電気機器に水はかけられない。なぜならば、水は電気を通しやすいのでショートしてしまうからだ。しかしこれも、水が電気を通すのではなく、水が色々な物質を溶かし込み電解液になっているから電気を通すのだ。
超純水は、電気を通さない上、何でも溶かし込んでしまう。その性質を利用して半導体の洗浄などに使われているほどである。超純水の製造装置では、水の電気抵抗地を測定する事で純度のバロメータにしている。もちろん電気抵抗地が高いほど純水に近い。
しかし、どんなに濾過を重ねても完全な水は製造不可能だ。なぜなら、万能の溶剤であるがゆえに、程度の違いはあるが、出来た瞬間から即座に回りの物を片っ端に溶かし始めるからだ。
俗に超純水をコップ一杯飲むと人間は死んでしまうといわれている。あまりに純粋な水は、何でも溶かし込んでしまうため、胃の粘膜や胃壁を溶かしてしまう と考えられているのだろうが、おそらくそれほどの事は無いだろう。しかし、超純水はまずい! 一口だけ飲んだことがあるのだが、無味・無臭とはまさにこの 事だ。
第四回:命の源
万能の溶剤である水の存在は地球上の生物には欠かせないものである。水の何でも溶かし込んでしまう性質があるために、生物は体の隅々に栄養を送り、老廃物を回収する事が出来るのだ。
植物が根から養分を吸い上げる事が可能なのも、水の溶剤としての性質無しでは考えられない。
しかし、生命にとって絶対必需品で、地球上のあらゆるところに存在する水も、一歩地球を踏み出すと途端に希少な物質となる。
最近では火星にかつて大量の水が存在した事が確認され、木星の衛星のエウロパやガニメデにも水の存在が予測されているが、これは固体の水つまり氷である。液体の水は、宇宙空間では貴重な存在である事に変わりは無い。
何故、地球だけに液体の水が大量に存在するのだろうか? 科学者によると、太陽からの地球の距離がちょうど良い為、地球だけが水の存在できる温度環境に あったそうだ。もう少し温度が低ければ水は岩盤に閉じ込められたままとなり、もう少し温度が高ければ水は完全に蒸発し宇宙空間に逃げてしまうらしい。本当 だろうか?
むしろ大量の水の存在があるからこそ地球の温度がちょうど良い範囲に保たれているのではないだろうか。
なぜなら水には、温度を均一にする作用があるからだ。自由に動ける液体である水は、一部に温度変化が起こった場合、比重が変わり対流が起こる。この対流 により、全体が素早く均一な温度へと変化していく。一方、固体はその一部の温度が変化しても対流を起こす事が出来ない為、温度は熱伝道によってのみ分散し ていく。したがって表面のみが極端に温まり、熱が深部に伝わる為には時間を要する。
このことを地球に置き換えると、巨大な海洋の存在により、多少太陽からの入射熱が変化しても海洋全体の温度を数度上げ下げするだけで大きな変化は起こらないという事だ。
逆に海洋が存在しなく陸地ばかりであったら、太陽からの入射熱に合わせて陸地の表面は極端に温められたり、冷やされたりと、とても生物の生存できる環境ではないだろう。
太陽からの距離が地球と同じ月を考えれば、まさにその状態なのだ。ここまで極端ではないにしろ、現在の地球でもこのような現象は起こっている。たとえ ば、日本の昼と夜の温度差は、せいぜい十数度でしかない。これは日本が周囲を海洋に囲まれている為、海洋のレギュレート機能が働いている為だ。逆に大陸内 部のモンゴルなどでは海洋のレギュレート機能は働かず、昼は50度、夜は氷点下と極端な温度差が発生する。
この様に考えると、水がなければ地球の温度は一定ではいられない。しかし、水が存在する為には、温度が一定でなくていけない。一体どっちが先なのだろう?「鶏が先か卵が先か」の問題になってしまう。
植物が根から養分を吸い上げる事が可能なのも、水の溶剤としての性質無しでは考えられない。
しかし、生命にとって絶対必需品で、地球上のあらゆるところに存在する水も、一歩地球を踏み出すと途端に希少な物質となる。
最近では火星にかつて大量の水が存在した事が確認され、木星の衛星のエウロパやガニメデにも水の存在が予測されているが、これは固体の水つまり氷である。液体の水は、宇宙空間では貴重な存在である事に変わりは無い。
何故、地球だけに液体の水が大量に存在するのだろうか? 科学者によると、太陽からの地球の距離がちょうど良い為、地球だけが水の存在できる温度環境に あったそうだ。もう少し温度が低ければ水は岩盤に閉じ込められたままとなり、もう少し温度が高ければ水は完全に蒸発し宇宙空間に逃げてしまうらしい。本当 だろうか?
むしろ大量の水の存在があるからこそ地球の温度がちょうど良い範囲に保たれているのではないだろうか。
なぜなら水には、温度を均一にする作用があるからだ。自由に動ける液体である水は、一部に温度変化が起こった場合、比重が変わり対流が起こる。この対流 により、全体が素早く均一な温度へと変化していく。一方、固体はその一部の温度が変化しても対流を起こす事が出来ない為、温度は熱伝道によってのみ分散し ていく。したがって表面のみが極端に温まり、熱が深部に伝わる為には時間を要する。
このことを地球に置き換えると、巨大な海洋の存在により、多少太陽からの入射熱が変化しても海洋全体の温度を数度上げ下げするだけで大きな変化は起こらないという事だ。
逆に海洋が存在しなく陸地ばかりであったら、太陽からの入射熱に合わせて陸地の表面は極端に温められたり、冷やされたりと、とても生物の生存できる環境ではないだろう。
太陽からの距離が地球と同じ月を考えれば、まさにその状態なのだ。ここまで極端ではないにしろ、現在の地球でもこのような現象は起こっている。たとえ ば、日本の昼と夜の温度差は、せいぜい十数度でしかない。これは日本が周囲を海洋に囲まれている為、海洋のレギュレート機能が働いている為だ。逆に大陸内 部のモンゴルなどでは海洋のレギュレート機能は働かず、昼は50度、夜は氷点下と極端な温度差が発生する。
この様に考えると、水がなければ地球の温度は一定ではいられない。しかし、水が存在する為には、温度が一定でなくていけない。一体どっちが先なのだろう?「鶏が先か卵が先か」の問題になってしまう。
第五回:新ガイア理論
地球に存在する大量の水の謎を如何に解けばよいのだろうか? 答えは、「鶏か卵か」の問題に隠されている。
誰も、「鶏と卵」の問題を真剣には悩まない。なぜなら、「鶏と卵」は長い年月をかけ進化してきた生命体であり、どちらが先かなど問い掛ける事自体が無意味だからだ。
地球に関しても、まさに同じ事がいえる。快適な気温が海洋を作ったのでも、海洋が快適な気温を作ったのでもない。快適な気温と海洋の存在は、相互に絡み合って進化して初めて可能になるのだ。言い方を変えれば、海洋の存在と快適な気温こそ、地球が生命体である証拠なのだ。
つまり、地球は海洋を血液として循環させる事により、体温を維持し生命を保っているのだ。もちろん海洋は、血液と同じように栄養の運搬にも一役買ってい る。 雨として陸地に降った水は、その溶剤機能を利用して陸上のさまざまな物質を溶かし込み、さまざまな浮遊物・生物と供に地球の毛細血管=川を流れ、や がて海洋に注ぎ込む。海洋生物は、それを利用して生命の糧とする。
やがて、海洋生物の一部は陸上生物の餌となり陸上に運ばれる。鮭のように自分から川を遡り、陸上生物の餌となる物もいる。陸上生物が死ねば、土に戻り、再び雨に洗われる。
地球にとって海洋と川、そこを流れる水は、見事に生物の循環器系統の役割を担っているのである。
ところで、生物の一般的な定義は「生殖と代謝を行う物」である。今まで見てきたとおり、地球は代謝を間違いなく行っている。では、地球を生物として捉えた場合、もう一方の定義「生殖」はどうなるのだろうか?
誰も、「鶏と卵」の問題を真剣には悩まない。なぜなら、「鶏と卵」は長い年月をかけ進化してきた生命体であり、どちらが先かなど問い掛ける事自体が無意味だからだ。
地球に関しても、まさに同じ事がいえる。快適な気温が海洋を作ったのでも、海洋が快適な気温を作ったのでもない。快適な気温と海洋の存在は、相互に絡み合って進化して初めて可能になるのだ。言い方を変えれば、海洋の存在と快適な気温こそ、地球が生命体である証拠なのだ。
つまり、地球は海洋を血液として循環させる事により、体温を維持し生命を保っているのだ。もちろん海洋は、血液と同じように栄養の運搬にも一役買ってい る。 雨として陸地に降った水は、その溶剤機能を利用して陸上のさまざまな物質を溶かし込み、さまざまな浮遊物・生物と供に地球の毛細血管=川を流れ、や がて海洋に注ぎ込む。海洋生物は、それを利用して生命の糧とする。
やがて、海洋生物の一部は陸上生物の餌となり陸上に運ばれる。鮭のように自分から川を遡り、陸上生物の餌となる物もいる。陸上生物が死ねば、土に戻り、再び雨に洗われる。
地球にとって海洋と川、そこを流れる水は、見事に生物の循環器系統の役割を担っているのである。
ところで、生物の一般的な定義は「生殖と代謝を行う物」である。今まで見てきたとおり、地球は代謝を間違いなく行っている。では、地球を生物として捉えた場合、もう一方の定義「生殖」はどうなるのだろうか?
第六回:テラフォーミング
生殖とは即ち自己複製能力をさす。果たして、地球に自己複製能力は存在するのだろうか? 一見、そんな能力が、惑星である地球にあるとは信じがたい事だが、あるのだ!
テラフォーミングと言う言葉を聞いた事があるだろうか。火星や金星などの環境を、人工的に人間の住める環境に変えてしまおうという構想だ。実に壮大な構想だが、現実的な問題として研究が進められている。
特に火星に関しては具体的な構想がなされている。火星には大量の二酸化炭素が存在し、地中に大量の氷が閉じ込められていると考えられている。その二酸化 炭素を気化させて、温室効果を作り気温を上げ、氷を溶かし植物の同化作用により、快適な気温と人間が呼吸可能な大気を作り出そうというのである。
もちろん現段階では、机上の計画でしかないが、決して実現不可能な事ではない。又、近い将来、人類が火星のテラフォーミングを始めるのも間違いの無い事 だろう。こうして、人類が火星のテラフォーミングを完成させた時、地球からみれば、紛れも無く自己複製能力を持ったことになる。
つまり、地球にとって人間は自己複製能力を完成させる為の生殖細胞にあたるのだ。火星を卵子にたとえれば、人間は精子というわけだ。 このように考えると、地球は大人になる一歩手前まできている事になる。
生物が「生きたい」と言う願望とは裏腹に、ガン化した細胞の裏切りによって死ぬ事がある。地球だって大人になる前に病気にかかり死ぬ事があるかもしれな い。どのような生命体にしろ幼児期の死亡率は比較的高い物だ。せめて地球の生殖細胞・人間には、ガン化しないよう努力してもらいたいものである。
ところで、惑星生命体・地球は単独で誕生し進化したのだろうか? やはりそんな事は無いだろう。それがどの様な生物だったかは別にして、他の惑星生命体と共生する生命体によってテラフォーミングされたのは間違いない事だろう。
テラフォーミングと言う言葉を聞いた事があるだろうか。火星や金星などの環境を、人工的に人間の住める環境に変えてしまおうという構想だ。実に壮大な構想だが、現実的な問題として研究が進められている。
特に火星に関しては具体的な構想がなされている。火星には大量の二酸化炭素が存在し、地中に大量の氷が閉じ込められていると考えられている。その二酸化 炭素を気化させて、温室効果を作り気温を上げ、氷を溶かし植物の同化作用により、快適な気温と人間が呼吸可能な大気を作り出そうというのである。
もちろん現段階では、机上の計画でしかないが、決して実現不可能な事ではない。又、近い将来、人類が火星のテラフォーミングを始めるのも間違いの無い事 だろう。こうして、人類が火星のテラフォーミングを完成させた時、地球からみれば、紛れも無く自己複製能力を持ったことになる。
つまり、地球にとって人間は自己複製能力を完成させる為の生殖細胞にあたるのだ。火星を卵子にたとえれば、人間は精子というわけだ。 このように考えると、地球は大人になる一歩手前まできている事になる。
生物が「生きたい」と言う願望とは裏腹に、ガン化した細胞の裏切りによって死ぬ事がある。地球だって大人になる前に病気にかかり死ぬ事があるかもしれな い。どのような生命体にしろ幼児期の死亡率は比較的高い物だ。せめて地球の生殖細胞・人間には、ガン化しないよう努力してもらいたいものである。
ところで、惑星生命体・地球は単独で誕生し進化したのだろうか? やはりそんな事は無いだろう。それがどの様な生物だったかは別にして、他の惑星生命体と共生する生命体によってテラフォーミングされたのは間違いない事だろう。
第七回:知性
地球を生命体としてみた場合、避けて通れない問題が、知性が在るか無いかと言う事だろう。しかし、これは実に難しい問題でもある。
まず何をもって、知性というかの問題がある。ミミズに知性があるとは、ほとんどの人は考えないだろう。しかし、犬には知性が在ると考えるだろうし、地球 上で、もっと高い知性を有している動物は人間と考えるだろう。はたして、地球に知性があった場合、どの程度のレベルなのだろう。
答えは、「地球には最低でも人間と同レベルの知性が存在する」である。なぜならば、人間が地球上で最も知性的な生物だからだ。(異論も有るかもしれないが?)
高等生物は、多くの生物の集合体であって、単体では存在しない。もっとも単純な、単細胞の原生生物であるアメーバでさえ複数の生物の組み合わせであると考えられている。
真核生物の細胞には、エネルギーを作り出しているミトコンドリアと呼ばれる器官がある。このミトコンドリアは、もともと単独で生存していた単細胞生物が、細胞の中に取り込まれ、エネルギー生産を行うと言う形で共生するようになったものと考えられている。
つまり、単細胞生物を含む、ほとんどの生物は、複数の生物の集合体であり単独では存在しないと言えるのだ。
地球上の生物も、ただ単に存在するのではなく、地球と共生関係にあり全体として地球生命体を形作っていると考えられるのだ。逆に考えると、地球が生命体として生きていく為には、地球上に暮らす生物の存在は欠かせないと言う事でもある。
人間も地球に依存して共生関係にあるということは、地球の知性は人間以下ではありえないということになる。
まず何をもって、知性というかの問題がある。ミミズに知性があるとは、ほとんどの人は考えないだろう。しかし、犬には知性が在ると考えるだろうし、地球 上で、もっと高い知性を有している動物は人間と考えるだろう。はたして、地球に知性があった場合、どの程度のレベルなのだろう。
答えは、「地球には最低でも人間と同レベルの知性が存在する」である。なぜならば、人間が地球上で最も知性的な生物だからだ。(異論も有るかもしれないが?)
高等生物は、多くの生物の集合体であって、単体では存在しない。もっとも単純な、単細胞の原生生物であるアメーバでさえ複数の生物の組み合わせであると考えられている。
真核生物の細胞には、エネルギーを作り出しているミトコンドリアと呼ばれる器官がある。このミトコンドリアは、もともと単独で生存していた単細胞生物が、細胞の中に取り込まれ、エネルギー生産を行うと言う形で共生するようになったものと考えられている。
つまり、単細胞生物を含む、ほとんどの生物は、複数の生物の集合体であり単独では存在しないと言えるのだ。
地球上の生物も、ただ単に存在するのではなく、地球と共生関係にあり全体として地球生命体を形作っていると考えられるのだ。逆に考えると、地球が生命体として生きていく為には、地球上に暮らす生物の存在は欠かせないと言う事でもある。
人間も地球に依存して共生関係にあるということは、地球の知性は人間以下ではありえないということになる。
最終回:サムシング・グレート
しかし、地球の知性として有りえる最も高い可能性は、地球上に住む全生物の集合的知性である。心理学者ユングは、ユングの心理学理論の中で集合的無意識 という概念をあらわした。ユングによれば、人間は個人的無意識とは別に、地球上のすべての人間に共通する集合的無意識をもつという。この集合的無意識が、 投影された結果が世界各地で見られる共通した象徴や儀式、伝承、神話などであるとした。
いわゆる、シンクロニシティーと呼ばれる現象は、人間の集合的無意識からもたらされるわけだ。
この集合的無意識こそ、集合的知性=地球の知性とは考えられないだろうか。ただし、ユングの唱えた集合的無意識は、人間のみの集合的無意識である。ユン グの時代、動物の知性などが考えられる事は無かったが、現在では多くの動物が想像以上に高い知性をもっていることが明らかになっている。 集合的無意識 も、動物を含めて考えるべきだろう。
たとえば、日本やノルーウェーが捕鯨を望んでいるにもかかわらず、世界的流れが捕鯨禁止に向かっているのは、集合的無意識に鯨の無意識が反映していると 考えられるのではないか。その他、宇宙開発や巨大土木事業、慈善運動など、人間の行っている事業の多くが、実は集合的無意識の中から生まれてくるとも考え られる。
古くから、問われ続けている事に「人間は何の為に生きているのか」という疑問がある。
このことも、人間を地球生命体の一部と考えると簡単に答える事が出来る。人間は、ただ地球生命体を発展させる為に生かされているだけで、人間が自発的に行っていると考えている行為は、実は集合的無意識に沿うようにやらされているだけなのだ。 地球の知性について述べていたのに、何故、知性が無意識なのかと疑問を抱く人もいるだろう。
しかし、人間にとっては無意識でも、地球にとっては無意識ではないと考えられる。たとえば、人間の腸内細菌に、人間の意識がわかるはずも無いのに、無意 識的に人間の消化を助ける働きをしているように、意識レベルに差がありすぎて人間には集合的知性は知覚出来ないだけなのだろう。こう考えると、人間から見 て集合的無意識は、地球にとっての知性と言う事が出来る。
しかし、その人間にも漠然と次元の違う知性の存在を感じられる事がある。そのような時、人間は、集合的無意識=集合的知性を神やサムシング・グレートと呼ぶのかもしれない。
いわゆる、シンクロニシティーと呼ばれる現象は、人間の集合的無意識からもたらされるわけだ。
この集合的無意識こそ、集合的知性=地球の知性とは考えられないだろうか。ただし、ユングの唱えた集合的無意識は、人間のみの集合的無意識である。ユン グの時代、動物の知性などが考えられる事は無かったが、現在では多くの動物が想像以上に高い知性をもっていることが明らかになっている。 集合的無意識 も、動物を含めて考えるべきだろう。
たとえば、日本やノルーウェーが捕鯨を望んでいるにもかかわらず、世界的流れが捕鯨禁止に向かっているのは、集合的無意識に鯨の無意識が反映していると 考えられるのではないか。その他、宇宙開発や巨大土木事業、慈善運動など、人間の行っている事業の多くが、実は集合的無意識の中から生まれてくるとも考え られる。
古くから、問われ続けている事に「人間は何の為に生きているのか」という疑問がある。
このことも、人間を地球生命体の一部と考えると簡単に答える事が出来る。人間は、ただ地球生命体を発展させる為に生かされているだけで、人間が自発的に行っていると考えている行為は、実は集合的無意識に沿うようにやらされているだけなのだ。 地球の知性について述べていたのに、何故、知性が無意識なのかと疑問を抱く人もいるだろう。
しかし、人間にとっては無意識でも、地球にとっては無意識ではないと考えられる。たとえば、人間の腸内細菌に、人間の意識がわかるはずも無いのに、無意 識的に人間の消化を助ける働きをしているように、意識レベルに差がありすぎて人間には集合的知性は知覚出来ないだけなのだろう。こう考えると、人間から見 て集合的無意識は、地球にとっての知性と言う事が出来る。
しかし、その人間にも漠然と次元の違う知性の存在を感じられる事がある。そのような時、人間は、集合的無意識=集合的知性を神やサムシング・グレートと呼ぶのかもしれない。