第4章 手の肌理(きめ)
第3章で述べたように、入ってくる姿を注意深く観察したら、次に実際に手を検討することになります。手相を見るときに最高の結果を得るには、顧客が気持ち良く座れる環境が大切です。その中でも一番重要なのは、正しい照明です。 手相を見る人の視力はそれぞれ異なるので、一概に断定はできません。しかし、明るい白色光は欠かせません。もっとも優れた照明は、北側から照らす昼間の自然光です。「宮」の膨らみを見つけるには鋭い眼と、明るい光を必要とします。特に繊細な手の時は欠かせない条件です。 自然光よりも暗いようでは不十分です。照明が十分でも、時には拡大鏡を必要とします。私がお勧めするのは、手の平をカバーするほどの大きさがある直径一五センチほどの強力な拡大鏡を使うことです。これがあれば繊細な線も見逃すことがありません。 あなたの目が鋭ければ、大きくて明りょうな特徴に対して拡大鏡を使う必要はないでしょう。しかし、複雑で線が多い手を見る場合には、拡大鏡を使うことをお勧めします。拡大鏡を使うと、まだできはじめたばかりの線を見つけることができます。つまり、現在、生まれつつある感情が読み取れるのです。 あなたが顧客の人生に深く踏込んで分析する気ならば、このような詳細な観察が必要となります。 昼間の自然光は、手の色を判断するためにも欠かせません。多くの手相鑑定家は、ガス灯の下での鑑定を拒絶します。これは安全な方針です。昼間の自然光は手相の詳細を見るにはどうしても必要なのです。 くつろげる椅子があり、照明も良く、拡大鏡の準備もできたら、温度の調節が必要です。そうですね顧客の手相を見るには華氏70度くらいが良いでしょう。 全ての手相鑑定は両手を見る必要があります。詳しい知識に基づき、まず片手ずつ検討し、それから両手の情報を総合してから意見を言うべきです。手相の鑑定で間違えるのは、片手だけを参考にしたときです。なぜなら人間は歳とともに変化をしますが、その変化が通常は右手に記録されているからです。 左手だけを見ると、それはその方の天性の素質だけを見ることになり、その後の発展がわかりません。その方の現在の姿を知るためには、両手を観察し、天性で与えられた素質が、その後、向上したのか退歩したのかを見る必要があります。 私はこのことに関して、注意深く研究してきました。これまで多くの手相を鑑定していますが、天性では弱かった素質が成長とともに強くなったり、強かった優れた素質が崩壊しているケースに多くぶつかっています。 通常は左手が、生まれたときに与えられた天性の素質を示しています。右手は与えられた天性の才能を伸ばしてきたのか、浪費してきたのかを示しています。 昔から心臓に近く、多くの線がある左手を鑑定するべきだと言われてきました。残念ながらこれは間違った考えです。心臓は右手に対しても左手に対しても同じような影響しか与えていません。だから両手を見る必要があるのです。 左手は受動的な手です。右手は能動的です。しかし世の中には左利きの人がたくさんいます。左利きの方を鑑定するときは、右手が受動的で、左手が能動的だと見るべきです。つまり、仕事をする手が現在の姿を記録している手となります。一方、受動的な手は生まれたときに与えられた素質を示しています。したがって、受動的な手を見て、ある状態を観察し、能動的な手を見てその状態が向上していれば、その方の人生が向上していることが分かります。その反対の傾向も、手相を比べれば分かることになります。 手を見るときに第一に注目すべきは皮膚の肌理(きめ)です。私たちは、人間の手が表皮だけでできていると思いがちです。日焼けすると皮が剥けますが、それが表皮です。ところが人間の皮膚は厚く、子牛の革ほどもあるのです。子牛の革の靴のようなものが作れるほどの厚さがあります。 人々はそれぞれ肌理の粗い手、細かい手を持っており、毛穴の大きさも粗大なものから、細密なものまでいろいろです。細密な毛穴は眼で見ることができないほどです。この手の粗さ、細密さを肌理(きめ)と呼んでいます。 肌理を見る時は、普通、手の裏を見ます。第5章で手の「密度」に付いて解説しますが、その場合は手のひらを検討します。このように手のひらとウラは別々のことを調べるのに使われます。 手の肌理は、顧客の天性の洗練度を示しています。赤ん坊の手のように肌理が細かく、柔らかく繊細な手を持つ人は、繊細な神経の持ち主です(図16)。この繊細な傾向が、このかたの行いの全てに出てきます。 このような方は、粗雑で通俗的なことを好みません。繊細な肌理を持つ人に粗野で通俗的で、残酷なことをやらせようと思っても無理です。肌理の観察は、性格を推定するときの役に立ちます。『宮』で示される性格にソフトな影響を与えているのです。 『土星宮』の人は気難しく、憂うつで、むら気で、社会を遮断する傾向がありますが、肌理が細かい手を持っている人は、その度合いが弱まります。そしてその方の冷笑的なところも弱まります。 『木星宮』の人は、食べ過ぎて、威張り散らし、専制的になる傾向がありますが、繊細な肌理を持つ人は、その傾向がやわらぎます。 『太陽宮』の人の場合は、繊細な肌理を持つほど、その方の持つ美や調和への静かな愛情が高まり、感性が向上します。 『水星宮』の方が繊細な肌理を持っていれば、その方の不正直な性格がほとんど除かれます。 『火星宮』の方は、ぶっきらぼうで、戦闘を好み、闘争心が旺盛ですが、肌理の細かい手を持っているなら、そのような傾向が弱まり、喧嘩好きな面も薄くなります。 『月宮』の方の場合は、想像力が高まり、『金星宮』の方なら洗練され、低級な欲望に支配される度合いが弱まります。 全てのことに同じように言えますが、物ごとには発展のレベルというものがあります。この発展のレベルを見極めるのが、手相を学ぶ生徒にとっては、習得が難しい事柄です。 手相鑑定においてよく批判されるのは、「全てが他の全てに修整を加える」ことです。しかし、手の肌理に関しては、混乱するような難しい点は全くありません。 肌理が極端に美しいのは赤ん坊の繊細な手です。これを頭に浮かべてください。ここでその正反対の手を思い浮かべてみましょう。手の裏をなでると、粗野で荒れた感覚がします。毛穴は大きく、硬い手で荒々しく、触っても反応がありません。 このような粗野な手は、まるでソフトな革のようで、子どもの柔軟な手とは大きく異なります。肌の粗さは、その手の持ち主が、洗練されておらず、優雅さを持ちあわせていないことを示しています(図17)。 このような手を見かけるのは、ガス工事の穴掘りで土砂を運ぶ人々の間です。このような仕事をしている方は気がついてはいないかもしれませんが、このような仕事は、必ずしも高尚な性格の人々に向いているとはいえません。 荒々しいこのような手を、繊細な肌理をもつ手の人々の間にいれると、違和感がありますが、それは繊細な手を持つ人をガス工事の溝で働かせても同じです。 このような粗い手に出くわす機会は、極めて少ないでしょう。しかし、このような手を見ることも大切です。なぜなら赤ん坊の手の正反対がどのような手かが分かるからです。 粗野な手は優雅さ、繊細な感覚、天性の繊細さ、などが不足していることを示しています。そしてその影響が『宮』の持つ、天性の性格にも影響します。 『木星宮』の方はさらに専制的になります。『土星宮』の方はさらにけちで汚く、迷信深く、悲観的になります。『太陽宮』の人は俗物となり、自慢屋になります。『水星宮』の方は下手な陰謀家になり下がります。『火星宮』の人は呆れるほど好戦的になります。『月宮』の方は想像力が乏しくなります。『金星宮』だと、愛や優雅や同情の世界に入るのではなく、低俗な事に情熱をそそぎます。 繊細な肌理(きめ)は全てを柔和にし、粗雑な肌理は全てを野獣的にします。この両者の間の手を持つ人々が大多数です。これらの人々は伸縮性のある皮膚で、赤ん坊の手ほど繊細ではありませんが、溝掘り人夫の手ほど粗くもありません。肌に触ると皮膚は伸縮性が柔らかくも固くもなくしっかりしていると感じます(図18)。 これは活動的なビジネスマンや医師、弁護士、牧師などの手に見られる典型的な肌理です。このような肌理は、洗練されてはいるが優柔不断ではない男たちに多く見られます。女性だと繊細だが理想主義者ではありません。このような肌理は、両極端の間にあり、『宮』の性格は、そのまま現れます。両極端を知れば、その中間の肌理も楽に判断できます。 手の肌理について結論を出す前に、それぞれの指の第1指節を観察しましょう(図19)。多くの手はここが肉付きよく膨らんでいます(図19)。時にはその膨らみがよく目立ちます。この膨らみは神経繊維の塊で、その方が、極めて鋭敏な神経の持ち主であること示しています。 この方は周囲の状況に敏感で、軽視されるとすぐに傷つきます。このように傷つきやすい方は、他の人々の感じることにたいしても注意深いところがあります。人々を傷つけることはなく、自らが深く苦しむことが多いタイプです。 このように繊細な膨らみは、別の言葉で言うと、この方が極端に繊細な生物体であることを示唆しています。この膨らみの程度で、人々の繊細度が判断できます。(第4章終わり) |