アボリジニ 進化の鍵を握る人々
第一回 テラ・アウストラリス
赤道を挟み、日本の反対側にある大陸オーストラリア、日本との時差はほとんど無いが意外に遠い国である。オーストラリアがヨーロッパ人に発見されるのは、17世紀に入ってだが、その何百年も前からテラ・アウストラリスとして存在が予言されていた。
テラ・アウストラリスの存在を確信していたスペイン人は、中南米の支配後、何度も遠征隊を派遣している。しかし1605年ついにテラ・アウストラリスの発見を断念した。皮肉なことだが、その直後オランダ人によってテラ・アウストラリスは発見される事になる。
1606年にはヤンスがヨーク岬に到達し、1642年にはタスマンがタスマニア島とニュージーランドを発見した後、オーストラリア西部・北部の海岸に上陸している。しかし、交易上の魅力を感じなかったオランダは、探検を継続しなった。
次にオーストラリアにやってきたのは、キャプテン・クックの愛称で知られるイギリス人で、1770年にはニューサウスウェールズ地域がイギリス領として宣言される。
こうしてヨーロッパ人に存在が知られるようになったオーストラリアだが、その存在が予言されていたというのは不思議な話だ。 誰も行った事が無いというのに初期ヨーロッパの地図には大きな手袋の形で、ほぼ現在の位置にテラ・アウストラリスがえがかれている。
しかし、ヨーロッパ人が到達した時にはすでに先住民アボリジニが、暮らしていたわけだから他の民族がオーストラリアにやって来ていたと考えてもおかしく 無いだろう。太古の昔、何らかの形でアボリジニに接触したインド人やアラブ人が交易を通してヨーロッパにオーストラリア大陸の存在を伝えた可能性は十分に 考えられる。というよりも記録に残っていないだけでオーストラリア大陸の存在は、インドやアラブの商人の間では常識で、知らなかったのはヨーロッパ人だけ かもしれない。
事実、すでに17世紀には北部アーネムランドにインドネシアのマカッサル人が海産物を求めて南下してきて、海岸沿いに多くの野営地を築いていた事が知られている。彼らは、ナマコなどの海産物の加工や取引を行って、アボリジニの文化や言語にも多少の影響を与えている。
参考文献及び参考資料 石器時代文明の驚異 リチャード・リジリー著 河出書房新社
モンゴロイドの道 科学朝日編 朝日新聞社
現代人はどこからきたか 馬場悠男編 日経サイエンス社
人類の祖先を求めて 馬場悠男訳 日経サイエンス社
最後のネアンデルタール 高山博訳 日経サイエンス社
歴史読本ワールド 大疑問人類誕生 新人物往来社
地球の歩き方 No.70 ダイヤモンド社
エンカルタ百科事典2000 マイクロソフト社
Web Sites
Peter Brown's Australian and Asian Palaeoanthropology
http://www-personal.une.edu.au/~pbrown3/palaeo.html
Yahoo! News Anthropology and Archaeology
http://fullcoverage.yahoo.com/fc/Science/Anthropology_and_Archaeology/
Nature News Service
http://www.natureasia.com/japan/sciencenews/bionews/
CNN Interactive News
http://www.cnn.com/
テラ・アウストラリスの存在を確信していたスペイン人は、中南米の支配後、何度も遠征隊を派遣している。しかし1605年ついにテラ・アウストラリスの発見を断念した。皮肉なことだが、その直後オランダ人によってテラ・アウストラリスは発見される事になる。
1606年にはヤンスがヨーク岬に到達し、1642年にはタスマンがタスマニア島とニュージーランドを発見した後、オーストラリア西部・北部の海岸に上陸している。しかし、交易上の魅力を感じなかったオランダは、探検を継続しなった。
次にオーストラリアにやってきたのは、キャプテン・クックの愛称で知られるイギリス人で、1770年にはニューサウスウェールズ地域がイギリス領として宣言される。
こうしてヨーロッパ人に存在が知られるようになったオーストラリアだが、その存在が予言されていたというのは不思議な話だ。 誰も行った事が無いというのに初期ヨーロッパの地図には大きな手袋の形で、ほぼ現在の位置にテラ・アウストラリスがえがかれている。
しかし、ヨーロッパ人が到達した時にはすでに先住民アボリジニが、暮らしていたわけだから他の民族がオーストラリアにやって来ていたと考えてもおかしく 無いだろう。太古の昔、何らかの形でアボリジニに接触したインド人やアラブ人が交易を通してヨーロッパにオーストラリア大陸の存在を伝えた可能性は十分に 考えられる。というよりも記録に残っていないだけでオーストラリア大陸の存在は、インドやアラブの商人の間では常識で、知らなかったのはヨーロッパ人だけ かもしれない。
事実、すでに17世紀には北部アーネムランドにインドネシアのマカッサル人が海産物を求めて南下してきて、海岸沿いに多くの野営地を築いていた事が知られている。彼らは、ナマコなどの海産物の加工や取引を行って、アボリジニの文化や言語にも多少の影響を与えている。
参考文献及び参考資料 石器時代文明の驚異 リチャード・リジリー著 河出書房新社
モンゴロイドの道 科学朝日編 朝日新聞社
現代人はどこからきたか 馬場悠男編 日経サイエンス社
人類の祖先を求めて 馬場悠男訳 日経サイエンス社
最後のネアンデルタール 高山博訳 日経サイエンス社
歴史読本ワールド 大疑問人類誕生 新人物往来社
地球の歩き方 No.70 ダイヤモンド社
エンカルタ百科事典2000 マイクロソフト社
Web Sites
Peter Brown's Australian and Asian Palaeoanthropology
http://www-personal.une.edu.au/~pbrown3/palaeo.html
Yahoo! News Anthropology and Archaeology
http://fullcoverage.yahoo.com/fc/Science/Anthropology_and_Archaeology/
Nature News Service
http://www.natureasia.com/japan/sciencenews/bionews/
CNN Interactive News
http://www.cnn.com/
第二回 オーストラリア先住民
オーストラリアの先住民は、タスマニア人、オーストラリア本土の先住諸民族、ティウィ人(北オーストラリアのバサースト島とメルヴィル島)、トレス海峡諸 島民から構成される。広義でのアボリジニは、これら先住民すべてを含むが、現在では単にアボリジニと表現される場合はオーストラリア本土の先住諸民族をさ すと考えてよいだろう。
アボリジニはテクノロジー万能の現代社会とは完全に異なる、おそらく人類最古の高度な固有文化を持っている。世界のすべての大陸中、オーストラリアだけ は、自力で狩猟採集文化から農耕・牧畜文化への移行がおこらなかった。この点でもアボリジニの文化は特異であるが、決して劣っているというわけではない。
アボリジニの文化は非常に精神性の高い文化で、深い自然認識のもと独特の精霊信仰や世界観を発達させてきた。
特にアボリジニの芸術的センスは、現在では高い評価を得ている。
中でもディジャリドゥーと呼ばれる独特の重低音を生み出す楽器や鮮やかに彩色された絵画などが知られている。アボリジナルアートとして売られている物に は多くの贋物が出回るほどの大人気で、きっとオーストラリア旅行で贋物をつかまされた人もたくさんいることだろう。ブーメランとして知られる独特な狩猟道 具もアボリジニの偉大な発明の一つだ。
又、アボリジニは非常に古くから聖地の岩山や洞窟に壁画を残してきた事が知られている。
とかく古い壁画というと、ヨーロッパのラスコーやアルタミラにクロマニヨン人が残した物が引き合いに出され、精神性の高さを評価される事が多い。しか し、クロマニオン人以上に古い時代から壁画を書き続けてきたアボリジニの精神性の高さはほとんど知られていない。一般的に世界最古の壁画としては、南フラ ンスのショーベ洞窟で発見された3万2000年前の物や2000年11月に発表されたばかりの北イタリアの洞窟で発見された3万2000年~3万6500 年前の物が知られている。
しかしオーストラリアのカカドゥ国立公園内の壁画の一部は、3万5000年以上も前の物と考えられていて、世界最古の壁画の部類に入る。つまり芸術と言 う抽象概念を理解する人間性の特徴は、少なくともオーストラリアでは独自に発達したのだ。それどころかオーストラリアこそ人間性発祥の地である可能性も十 分にある。
1960年代までオーストラリア国民としてさえ認められていなかったアボリジニだが、現在はオーストラリア政府の先住民保護と保証の政策が進んでいる。
しかしオーストラリアのこのような政策の中、堕落した生活を送っているアボリジニたちが多数いるのも事実である。もちろん先住民の権利を保障することは 重要な政策である事には間違いないのだが、過去に対する保証に対して現代に生きる人々が恩恵を預かった場合、怠惰になる事は多々あることでアメリカなどの 国々が同じジレンマを抱えている。
アボリジニというと肌の色が黒いオーストラリアの先住民というイメージ以外、明確な特徴を思い浮かべられる人は少ないと思う。 だがアボリジニは、肌が 黒いという以外は近隣のメラネシア人やアフリカの黒人とはまったく似ていない。それどころか他のどの人種とも似ていない。意外かも知れないが、アボリジニ の多く、特に子供は金髪なのである。
一般的に分類上もアボリジニは、オーストラロイドとして他の人種とは区別される事が多い。言語学的にも、アボリジニは周辺のオーストロネシア語族やオーストロアジア語族とは完全に異なる。
人類学上アボリジニの存在は、大きな謎に包まれていて、いつ頃どのような形で、どこからオーストラリアに渡ってきたのか、いまだにはっきりした事はわかっていない。
一部の学者の中には、スリランカのベッダ人との関連を指摘するものもいるが明確にはわかっていない。しかし、過去にアボリジニの一部が船でスリランカに到達していたとすると、テラ・アウストラリスの伝説は彼らにより伝えられたのかもしれない。
アボリジニはテクノロジー万能の現代社会とは完全に異なる、おそらく人類最古の高度な固有文化を持っている。世界のすべての大陸中、オーストラリアだけ は、自力で狩猟採集文化から農耕・牧畜文化への移行がおこらなかった。この点でもアボリジニの文化は特異であるが、決して劣っているというわけではない。
アボリジニの文化は非常に精神性の高い文化で、深い自然認識のもと独特の精霊信仰や世界観を発達させてきた。
特にアボリジニの芸術的センスは、現在では高い評価を得ている。
中でもディジャリドゥーと呼ばれる独特の重低音を生み出す楽器や鮮やかに彩色された絵画などが知られている。アボリジナルアートとして売られている物に は多くの贋物が出回るほどの大人気で、きっとオーストラリア旅行で贋物をつかまされた人もたくさんいることだろう。ブーメランとして知られる独特な狩猟道 具もアボリジニの偉大な発明の一つだ。
又、アボリジニは非常に古くから聖地の岩山や洞窟に壁画を残してきた事が知られている。
とかく古い壁画というと、ヨーロッパのラスコーやアルタミラにクロマニヨン人が残した物が引き合いに出され、精神性の高さを評価される事が多い。しか し、クロマニオン人以上に古い時代から壁画を書き続けてきたアボリジニの精神性の高さはほとんど知られていない。一般的に世界最古の壁画としては、南フラ ンスのショーベ洞窟で発見された3万2000年前の物や2000年11月に発表されたばかりの北イタリアの洞窟で発見された3万2000年~3万6500 年前の物が知られている。
しかしオーストラリアのカカドゥ国立公園内の壁画の一部は、3万5000年以上も前の物と考えられていて、世界最古の壁画の部類に入る。つまり芸術と言 う抽象概念を理解する人間性の特徴は、少なくともオーストラリアでは独自に発達したのだ。それどころかオーストラリアこそ人間性発祥の地である可能性も十 分にある。
1960年代までオーストラリア国民としてさえ認められていなかったアボリジニだが、現在はオーストラリア政府の先住民保護と保証の政策が進んでいる。
しかしオーストラリアのこのような政策の中、堕落した生活を送っているアボリジニたちが多数いるのも事実である。もちろん先住民の権利を保障することは 重要な政策である事には間違いないのだが、過去に対する保証に対して現代に生きる人々が恩恵を預かった場合、怠惰になる事は多々あることでアメリカなどの 国々が同じジレンマを抱えている。
アボリジニというと肌の色が黒いオーストラリアの先住民というイメージ以外、明確な特徴を思い浮かべられる人は少ないと思う。 だがアボリジニは、肌が 黒いという以外は近隣のメラネシア人やアフリカの黒人とはまったく似ていない。それどころか他のどの人種とも似ていない。意外かも知れないが、アボリジニ の多く、特に子供は金髪なのである。
一般的に分類上もアボリジニは、オーストラロイドとして他の人種とは区別される事が多い。言語学的にも、アボリジニは周辺のオーストロネシア語族やオーストロアジア語族とは完全に異なる。
人類学上アボリジニの存在は、大きな謎に包まれていて、いつ頃どのような形で、どこからオーストラリアに渡ってきたのか、いまだにはっきりした事はわかっていない。
一部の学者の中には、スリランカのベッダ人との関連を指摘するものもいるが明確にはわかっていない。しかし、過去にアボリジニの一部が船でスリランカに到達していたとすると、テラ・アウストラリスの伝説は彼らにより伝えられたのかもしれない。
第三回 迫害
このように独特なアボリジニの特徴や文化は偏見と差別を生む元になり、苦難の歴史をたどってきたのだ。
数年前、外国語学院NOVAで英会話の教師をしているオーストラリア人のP氏とアボリジニの話をする機会があった。私は、アボリジニに興味があるので話は大いに盛り上がったのだが、今でもP氏の言動を忘れる事が出来ない。
P氏によるとアボリジニは入植した白人のハンティングの対象でしかなく、人間の形をした野獣にすぎなかった。これがアボリジニに対する認識なのだ。ガリ バー旅行記に、人間の言葉を話す知的な馬と人間の形をした知性の欠けらも無いヤフーというのが出てくるが、まさにこのヤフーがヨーロッパ人の考えたアボリ ジニそのものなのだ。
更に、P氏は続けた、「タスマニアにはタスマニアン・アボリジニという今の人間とはまったく違う種類の人間が住んでいたのだが、ここでは白人のハンティ ングでタスマニアン・アボリジニは絶滅してしまった。もし皆殺ししていなければ、自分たちと違った人間を見られたのだが残念だ、自分とまったく違う種類の 人間を想像できるか?」と!
もちろんタスマニア人が現代人と違う人間などという事はまったくの間違いで、完全な現代人だ。確かにP氏の言うとおりタスマニア人の多くが白人のハンティングの犠牲になった事は間違いの無い事実らしい。
しかし残り少なくなったタスマニア人は、今度は人類学者の格好の餌食となった。
タスマニア人の最後の生き残りの一人ウィリアム・ラニーは1869年に死亡したが、本人の安息の望みもむなしく、遺体は死体保管所から3つの科学者グ ループにより盗み出される事になる。最初のグループが頭部を盗み出し、次のグループがばらばらに切断された四肢と胴体を盗み出した。最後のグループが、死 体保管所の扉を開けたときには、わずかな肉片しか残ってなかったと言う。
更に、タスマニアン王立協会のストックウェル博士にいたってはラニーの皮膚で煙草入れを作成し愛用していたと言うから驚きだ。
タスマニア人は、現在のオーストラリアのアボリジニとかなり違っていたと言われるが、絶滅してしまったために現在のアボリジニとの明確な関係は不明である。
以上のように見た目の違いから苦難の歴史をたどってきたアボリジニだが、彼等が他の人種には見られない解剖学上の特徴を備えている事も事実だ。
まさにアボリジニは、現代人の進化を考えるうえで鍵を握る存在であると同時に、人類学者の間ではアボリジニをめぐる解釈で長い間、論争が続いている。
アボリジニの謎を考える前に、少し人類進化の最新の研究成果について検討してみよう。
数年前、外国語学院NOVAで英会話の教師をしているオーストラリア人のP氏とアボリジニの話をする機会があった。私は、アボリジニに興味があるので話は大いに盛り上がったのだが、今でもP氏の言動を忘れる事が出来ない。
P氏によるとアボリジニは入植した白人のハンティングの対象でしかなく、人間の形をした野獣にすぎなかった。これがアボリジニに対する認識なのだ。ガリ バー旅行記に、人間の言葉を話す知的な馬と人間の形をした知性の欠けらも無いヤフーというのが出てくるが、まさにこのヤフーがヨーロッパ人の考えたアボリ ジニそのものなのだ。
更に、P氏は続けた、「タスマニアにはタスマニアン・アボリジニという今の人間とはまったく違う種類の人間が住んでいたのだが、ここでは白人のハンティ ングでタスマニアン・アボリジニは絶滅してしまった。もし皆殺ししていなければ、自分たちと違った人間を見られたのだが残念だ、自分とまったく違う種類の 人間を想像できるか?」と!
もちろんタスマニア人が現代人と違う人間などという事はまったくの間違いで、完全な現代人だ。確かにP氏の言うとおりタスマニア人の多くが白人のハンティングの犠牲になった事は間違いの無い事実らしい。
しかし残り少なくなったタスマニア人は、今度は人類学者の格好の餌食となった。
タスマニア人の最後の生き残りの一人ウィリアム・ラニーは1869年に死亡したが、本人の安息の望みもむなしく、遺体は死体保管所から3つの科学者グ ループにより盗み出される事になる。最初のグループが頭部を盗み出し、次のグループがばらばらに切断された四肢と胴体を盗み出した。最後のグループが、死 体保管所の扉を開けたときには、わずかな肉片しか残ってなかったと言う。
更に、タスマニアン王立協会のストックウェル博士にいたってはラニーの皮膚で煙草入れを作成し愛用していたと言うから驚きだ。
タスマニア人は、現在のオーストラリアのアボリジニとかなり違っていたと言われるが、絶滅してしまったために現在のアボリジニとの明確な関係は不明である。
以上のように見た目の違いから苦難の歴史をたどってきたアボリジニだが、彼等が他の人種には見られない解剖学上の特徴を備えている事も事実だ。
まさにアボリジニは、現代人の進化を考えるうえで鍵を握る存在であると同時に、人類学者の間ではアボリジニをめぐる解釈で長い間、論争が続いている。
アボリジニの謎を考える前に、少し人類進化の最新の研究成果について検討してみよう。
第四回 2種類のホモサピエンス
読者の多くは、人類の進化は猿人、原人、旧人、新人という段階をたどってきたと習ったのを記憶している事だろう。この進化段階は、今でも崩れてはいないが、この単純な分類だけでは、とても収まりきれなくなってきているのも事実だ。
現在では猿人は、アウストラロピテクス族やホモ族、バラントロプス族などに細分化されている。2001年に入ってからもケニアントロプス・プラティオプスと言うまったく新しい族ではないかと思われる猿人化石が発見されたばかりだ。
更に原人と旧人、新人の分類は、曖昧になってきている。原人はホモエレクトスと呼ばれ、この時代に始めて人類の祖先がアフリカを出て世界に広がって行ったとされている。
ジャワ原人や北京原人などもアジアに渡ってきたホモエレクトスに分類される。
旧人と新人に関しては、もともと旧人はネアンデルタール人、新人はクロマニオン人からきている。いずれもヨーロッパの古代人だが、クロマニオン人は解剖 学的に完全な現代人で、現在では現代型ホモサピエンスと呼ばれる事が多い。一方旧人もネアンデルタール人を含め世界各地で見つかっているが、これらの旧人 レベルの人類をまとめて古代型ホモサピエンスと呼ぶ。
ヨーロッパではネアンデルタール人が滅んだ後、クロマニオン人へ移行したため旧、新という分類が成り立つ。しかし、これが大きな間違いである事がわかってきた。
ヨーロッパでは、約2万8000年前に最後のネアンデルタール人が滅びクロマニオン人へ明確に入れ替わったが、中近東では状況が異なっている事がわかってきた。
レバントのカフゼー洞窟で発見された現代型ホモサピエンスの人骨は、最新の年代測定の結果、約9万年前のものである事が判明したのだ。
ここで従来考えらていた進化モデルは完全に崩壊した。人類学者の多くはレバント付近の中近東で古代型ホモサピエンスから現代型ホモサピエンスに進化した と考えていたのだが、現代型ホモサピエンスが9万年前の地層から発見されたという事は、少なくとも古代型ホモサピエンスのネアンデルタール人と現代型ホモ サピエンスは、6万年以上も共存していた事になる。
それどころか、ことレバントに関していえば、現代型ホモサピエンスの後にネアンデルタール人が移り住んできた事がわかってきたのだ。
このように、古代型ホモサピエンスと現代型ホモサピエンスの関係は単純に、旧、新という時間的な直線関係には無い事がわかる。 最近ではプロト・ネアン デルタール人と分類される、より古い時代の古代型ホモサピエンスが世界各地で発見されているが、これらプロト・ネアンデルタール人こそ本来の古代型ホモサ ピエンスで、ネアンデルタール人は特殊化した形質の異なる別系統のホモサピエンスと考えるほうが妥当である。事実ネアンデルタール人は古いとされる特徴を 備えているにもかかわらず、その脳容量は平均1400ccで、現代人の平均1350ccを上回っている。
現在では猿人は、アウストラロピテクス族やホモ族、バラントロプス族などに細分化されている。2001年に入ってからもケニアントロプス・プラティオプスと言うまったく新しい族ではないかと思われる猿人化石が発見されたばかりだ。
更に原人と旧人、新人の分類は、曖昧になってきている。原人はホモエレクトスと呼ばれ、この時代に始めて人類の祖先がアフリカを出て世界に広がって行ったとされている。
ジャワ原人や北京原人などもアジアに渡ってきたホモエレクトスに分類される。
旧人と新人に関しては、もともと旧人はネアンデルタール人、新人はクロマニオン人からきている。いずれもヨーロッパの古代人だが、クロマニオン人は解剖 学的に完全な現代人で、現在では現代型ホモサピエンスと呼ばれる事が多い。一方旧人もネアンデルタール人を含め世界各地で見つかっているが、これらの旧人 レベルの人類をまとめて古代型ホモサピエンスと呼ぶ。
ヨーロッパではネアンデルタール人が滅んだ後、クロマニオン人へ移行したため旧、新という分類が成り立つ。しかし、これが大きな間違いである事がわかってきた。
ヨーロッパでは、約2万8000年前に最後のネアンデルタール人が滅びクロマニオン人へ明確に入れ替わったが、中近東では状況が異なっている事がわかってきた。
レバントのカフゼー洞窟で発見された現代型ホモサピエンスの人骨は、最新の年代測定の結果、約9万年前のものである事が判明したのだ。
ここで従来考えらていた進化モデルは完全に崩壊した。人類学者の多くはレバント付近の中近東で古代型ホモサピエンスから現代型ホモサピエンスに進化した と考えていたのだが、現代型ホモサピエンスが9万年前の地層から発見されたという事は、少なくとも古代型ホモサピエンスのネアンデルタール人と現代型ホモ サピエンスは、6万年以上も共存していた事になる。
それどころか、ことレバントに関していえば、現代型ホモサピエンスの後にネアンデルタール人が移り住んできた事がわかってきたのだ。
このように、古代型ホモサピエンスと現代型ホモサピエンスの関係は単純に、旧、新という時間的な直線関係には無い事がわかる。 最近ではプロト・ネアン デルタール人と分類される、より古い時代の古代型ホモサピエンスが世界各地で発見されているが、これらプロト・ネアンデルタール人こそ本来の古代型ホモサ ピエンスで、ネアンデルタール人は特殊化した形質の異なる別系統のホモサピエンスと考えるほうが妥当である。事実ネアンデルタール人は古いとされる特徴を 備えているにもかかわらず、その脳容量は平均1400ccで、現代人の平均1350ccを上回っている。
第五回 現代人の二大進化仮説
古代型ホモサピエンスから解剖学的現代人である現代型ホモサピエンスへの進化は従来から大きく分けて2種類の説が考えられ互いに対立して来た。人類学者の多くは多地域進化説として知られる仮説を支持して来たのだが、レバントでの発見以来この進化説が揺らぎ始める事になる。
この進化説は、世界各地でホモエレクトスや古代型ホモサピエンスから現代型ホモサピエンスに同時多発的に進化したというもので、ヨーロッパではネアンデ ルタール人からアジアでは北京原人やジャワ原人の子孫の古代型ホモサピエンスから現代型ホモサピエンスに進化したとするものだ。
一方、この説に真っ向から対立しているのが単一起源説である。この説では、アフリカで進化した現代型ホモサピエンスが、世界中に散らばっていた古代型ホ モサピエンスやホモエレクトスを完全に駆逐し入れ替わったとする説である。この説では「最初に現代型ホモサピエンスとしての進化がおこったアフリカ大陸」 の北部に位置するレバント付近に現代型ホモサピエンスが古くから住み着いていた事を見事に説明可能である。
更に近年ミトコンドリアDNAの研究から現代人の共通の祖先はアフリカにたどり着くという、ミトコンドリアイブ理論が出てきて単一起源説の有力な証拠となった。
近年、古代人のDNA研究が盛んになってきているが、一般的に研究に使われるDNAは、人間の遺伝にかかわる核DNAではなくミトコンドリアDNAであ る。動物の細胞の中には、エネルギーを作り出す微小器官ミトコンドリアが存在する。このミトコンドリアは、もともと単独で存在した生物が動物の細胞内に取 り込まれ、共生と言う形でエネルギー生産を行うようになったと考えられている。したがってミトコンドリアは独自のDNAを持っている。
このミトコンドリアDNAと核DNA違いは、核DNAは人間の遺伝情報を両親から受け継ぎ生殖のたびにランダムに変化するが、ミトコンドリアDNAは、母親のみから受け継がれ変化しない事にある。 ミトコンドリアDNAが変化する時は、ただ一つ突然変異である。
したがって核DNAでは、両親が組み合わされた変化と突然変異があるの対し、ミトコンドリアDNAでは、突然変異のみになる。突然変異は発生する確率は一定と考えられ、長いスパンで見ると変化量を追っかける事により一種の分子時計としての働きがある。
更にミトコンドリアDNAは核DNAよりずっと高率に突然変異を起こす事から、各集団のミトコンドリアDNAの変異量を測定する事で集団が分かれた年代がわかるのだ。
この手法に基づき現代人の各集団を比較したところ、現代人は15~20万年ぐらい前のアフリカで一つの集団に収束すると言うのだ。
そして単一起源説を決定的に有力にしたのが、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA抽出の成功である。複数のDNA研究から現代人、特にヨーロッパ人がネアンデルタール人と遺伝学的なつながりが無いとされたからだ。
それでは、すべての現代人はやはりアフリカ起源なのだろうか。 ここで再びアボリジニに話を戻す事にしよう。
この進化説は、世界各地でホモエレクトスや古代型ホモサピエンスから現代型ホモサピエンスに同時多発的に進化したというもので、ヨーロッパではネアンデ ルタール人からアジアでは北京原人やジャワ原人の子孫の古代型ホモサピエンスから現代型ホモサピエンスに進化したとするものだ。
一方、この説に真っ向から対立しているのが単一起源説である。この説では、アフリカで進化した現代型ホモサピエンスが、世界中に散らばっていた古代型ホ モサピエンスやホモエレクトスを完全に駆逐し入れ替わったとする説である。この説では「最初に現代型ホモサピエンスとしての進化がおこったアフリカ大陸」 の北部に位置するレバント付近に現代型ホモサピエンスが古くから住み着いていた事を見事に説明可能である。
更に近年ミトコンドリアDNAの研究から現代人の共通の祖先はアフリカにたどり着くという、ミトコンドリアイブ理論が出てきて単一起源説の有力な証拠となった。
近年、古代人のDNA研究が盛んになってきているが、一般的に研究に使われるDNAは、人間の遺伝にかかわる核DNAではなくミトコンドリアDNAであ る。動物の細胞の中には、エネルギーを作り出す微小器官ミトコンドリアが存在する。このミトコンドリアは、もともと単独で存在した生物が動物の細胞内に取 り込まれ、共生と言う形でエネルギー生産を行うようになったと考えられている。したがってミトコンドリアは独自のDNAを持っている。
このミトコンドリアDNAと核DNA違いは、核DNAは人間の遺伝情報を両親から受け継ぎ生殖のたびにランダムに変化するが、ミトコンドリアDNAは、母親のみから受け継がれ変化しない事にある。 ミトコンドリアDNAが変化する時は、ただ一つ突然変異である。
したがって核DNAでは、両親が組み合わされた変化と突然変異があるの対し、ミトコンドリアDNAでは、突然変異のみになる。突然変異は発生する確率は一定と考えられ、長いスパンで見ると変化量を追っかける事により一種の分子時計としての働きがある。
更にミトコンドリアDNAは核DNAよりずっと高率に突然変異を起こす事から、各集団のミトコンドリアDNAの変異量を測定する事で集団が分かれた年代がわかるのだ。
この手法に基づき現代人の各集団を比較したところ、現代人は15~20万年ぐらい前のアフリカで一つの集団に収束すると言うのだ。
そして単一起源説を決定的に有力にしたのが、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA抽出の成功である。複数のDNA研究から現代人、特にヨーロッパ人がネアンデルタール人と遺伝学的なつながりが無いとされたからだ。
それでは、すべての現代人はやはりアフリカ起源なのだろうか。 ここで再びアボリジニに話を戻す事にしよう。
第六回 謎の種族アボリジニ
ミトコンドリアイブ理論とネアンデルタール人のDNA抽出以来、断然優位に立つ単一起源説だが、この説を唱える学者もオーストラリアの先住民アボリジニの解釈には苦慮している。
アボリジニは先にも述べたように他の人種とは大きく異なる特徴を持っている。この事は、文化や外見だけでなく解剖学的にもいえる。アボリジニは、比較的 厚い頭蓋骨、発達した眼窩上隆起、後退した額に突出した顎部と大きな歯など古い人類の物とされる特長を多く備えているのだ。
もちろんこれらの特徴は現代人の平均値と比較してという事で、現代人の変異の範囲に入る。又、現代のアボリジニにおいては、これらの特徴が顕著に目立つものは少ないが、ほんの数千年前まで古い特徴を顕著に備える人々が多数いたのは間違いの無い事実だ。
アフリカ単一起源説では、アフリカで進化した現代人が世界に散らばっていったわけだから、他の大陸とは隔絶されたオーストラリア大陸やアメリカ大陸には 最後に移住してきたはずなのである。一番、最後に到達したはずのオーストラリア大陸でなぜアボリジニは比較的古いとされる人類の特徴を多く備えているの か?現代人の起源を単一とする説では説明は非常に難しい。 もちろんこの事実は、多地域進化説を支持する学者の最大の反論理由で、現代人への進化の波はアフリカやアジア、ヨーロッパで、ほぼ時を同じくして同時多発的に起こった。
しかし他の大陸と隔絶されたオーストラリア大陸は進化の流れが最後に到達した、だからこそ最後に現代人への進化を遂げたアボリジニに古い特徴を備えた人々が存在するという物だ。
一方、アフリカ単一起源説を唱える学者は、アボリジニのこれらの特徴を認めつつも、オーストラリアの厳しい自然がアボリジニにあたえた影響だという苦しい言い訳をしている。
アボリジニは先にも述べたように他の人種とは大きく異なる特徴を持っている。この事は、文化や外見だけでなく解剖学的にもいえる。アボリジニは、比較的 厚い頭蓋骨、発達した眼窩上隆起、後退した額に突出した顎部と大きな歯など古い人類の物とされる特長を多く備えているのだ。
もちろんこれらの特徴は現代人の平均値と比較してという事で、現代人の変異の範囲に入る。又、現代のアボリジニにおいては、これらの特徴が顕著に目立つものは少ないが、ほんの数千年前まで古い特徴を顕著に備える人々が多数いたのは間違いの無い事実だ。
アフリカ単一起源説では、アフリカで進化した現代人が世界に散らばっていったわけだから、他の大陸とは隔絶されたオーストラリア大陸やアメリカ大陸には 最後に移住してきたはずなのである。一番、最後に到達したはずのオーストラリア大陸でなぜアボリジニは比較的古いとされる人類の特徴を多く備えているの か?現代人の起源を単一とする説では説明は非常に難しい。 もちろんこの事実は、多地域進化説を支持する学者の最大の反論理由で、現代人への進化の波はアフリカやアジア、ヨーロッパで、ほぼ時を同じくして同時多発的に起こった。
しかし他の大陸と隔絶されたオーストラリア大陸は進化の流れが最後に到達した、だからこそ最後に現代人への進化を遂げたアボリジニに古い特徴を備えた人々が存在するという物だ。
一方、アフリカ単一起源説を唱える学者は、アボリジニのこれらの特徴を認めつつも、オーストラリアの厳しい自然がアボリジニにあたえた影響だという苦しい言い訳をしている。
第七回 矛盾
人類学者の多くは、人種の特徴を単純に環境への適応として片付けてしまう傾向にあるが、これらの説は矛盾にあふれている。ネアンデルタール人の特徴の一部 として、巨大な鼻と前に出っ張った立体的な顔面、ずんぐりむっくりの筋肉質の体形等があげられている。なぜ巨大な鼻で立体的な顔か?
人類学者はネアンデルタール人が氷河期に存在した人々で寒冷気候に適応した結果、肺に送られる空気を少しでも体温で暖めるため大きな鼻と立体的な顔で肺 との距離を稼いだためだという。ずんぐりむっくりの体形は寒い環境に体温を奪われないため体表面積を最小にした結果らしい。
一方アジア人(モンゴロイド)の特徴としてよくあげられるのは、低い鼻とずんぐりむっくりの体形である。ずんぐりむっくりの体形は、ネアンデルタール人 と同じ寒冷適応のため体表面積を減らした結果とされる。しかし、低い鼻や彫りの浅い顔は、ネアンデルタール人とはまったく対称であるにもかかわらず、やは り同じく寒冷適応の結果で熱を奪われないように体表面積を最小にした結果だという。
最近では、ネアンデルタール人は少ない日照時間と寒冷適応の結果、今の北欧人と同じように白い肌、碧眼、金髪だったという説が有力である。では、アボリジ ニが金髪なのはなぜだろう?オーストラリアの日照時間は少ないとは言えないし、最南端を除いてとても寒冷気候とも思えない。
北方アジア人の目が、細いのはやはり寒冷気候に適応した結果で、雪上での日光の照り返しから、目を保護するためだという。では何故、ポリネシア人は目が細くないのだろう?日光の照り返しは、南太平洋の海面の方がよっぽど強いはずだ。
更に北欧人といえば、スタイルの良い長い手足に彫りの深い顔が誰でも思い浮かべられるが、彫りの浅い顔やずんぐりむっくりの体形が寒冷適応の結果なら彫 りの深い顔や長い手足は、熱帯適応の結果に他ならない。事実、人類学者は黒人がスマートなのは、熱帯適応の結果、体表面積を増やすため手足がすらりと伸び た結果だという。
このように、それぞれの人種の特徴は、それぞれを専門に研究する学者が主張するだけであって、相互にまったく関連性は見られず矛盾だらけなのだ。
アボリジニの特殊性を単に、厳しい環境への適応の結果として一言で片付けるには無理があるといわざるを得ない。
アボリジニの特殊性は、もっと深い過去の歴史に秘められているに違いない。
人類学者はネアンデルタール人が氷河期に存在した人々で寒冷気候に適応した結果、肺に送られる空気を少しでも体温で暖めるため大きな鼻と立体的な顔で肺 との距離を稼いだためだという。ずんぐりむっくりの体形は寒い環境に体温を奪われないため体表面積を最小にした結果らしい。
一方アジア人(モンゴロイド)の特徴としてよくあげられるのは、低い鼻とずんぐりむっくりの体形である。ずんぐりむっくりの体形は、ネアンデルタール人 と同じ寒冷適応のため体表面積を減らした結果とされる。しかし、低い鼻や彫りの浅い顔は、ネアンデルタール人とはまったく対称であるにもかかわらず、やは り同じく寒冷適応の結果で熱を奪われないように体表面積を最小にした結果だという。
最近では、ネアンデルタール人は少ない日照時間と寒冷適応の結果、今の北欧人と同じように白い肌、碧眼、金髪だったという説が有力である。では、アボリジ ニが金髪なのはなぜだろう?オーストラリアの日照時間は少ないとは言えないし、最南端を除いてとても寒冷気候とも思えない。
北方アジア人の目が、細いのはやはり寒冷気候に適応した結果で、雪上での日光の照り返しから、目を保護するためだという。では何故、ポリネシア人は目が細くないのだろう?日光の照り返しは、南太平洋の海面の方がよっぽど強いはずだ。
更に北欧人といえば、スタイルの良い長い手足に彫りの深い顔が誰でも思い浮かべられるが、彫りの浅い顔やずんぐりむっくりの体形が寒冷適応の結果なら彫 りの深い顔や長い手足は、熱帯適応の結果に他ならない。事実、人類学者は黒人がスマートなのは、熱帯適応の結果、体表面積を増やすため手足がすらりと伸び た結果だという。
このように、それぞれの人種の特徴は、それぞれを専門に研究する学者が主張するだけであって、相互にまったく関連性は見られず矛盾だらけなのだ。
アボリジニの特殊性を単に、厳しい環境への適応の結果として一言で片付けるには無理があるといわざるを得ない。
アボリジニの特殊性は、もっと深い過去の歴史に秘められているに違いない。
第八回 隔絶された大陸
コアラやカンガルー、カモノハシ等に代表されるユニークで独特な動物で満ち溢れた大陸オーストラリア。このオーストラリアに最初の人類が移住してきたの は、今から約7万年も前の更新世代のことである。このころは最後の氷期であるウルム氷期にあたり海水面は現在よりはるかに低かった。
そのため現在の東南アジア島嶼部分にはスンダランドと呼ばれる広大な陸隗が広がっていた。一方、オーストラリアはニューギニアと陸続きでサフルランドと呼ばれる大陸であった。
オーストラリアの歴史を解説した物の中には、「オーストラリアへの人類の移住は、氷期に陸続きとなったアジアから渡ってきた」と解説されているものを多々見かける。しかし、これは大きな間違いで正しくは、ほぼ陸続きに近い状態と表現すべきである。
これら2つの大陸は海水面が最も低下した今から約2万年前でも、最低80kmほどの海峡で隔てられていたと考えられている。
この事は、両大陸の間にウォーレス線と呼ばれる明確な動植物相の境界線がある事からも明らかである。オーストラリアに有袋類や単孔類など原始的な形態を 備えた動物が生きのびているのもこのためだ。したがってオーストラリアへの人類の移住も「船」抜きでは考えられないのである。
なんと7万年もの昔、ネアンデルタール人・古代型ホモサピエンス全盛の時代に船あるいは筏で海を越えた人々がいたのだ。
7万年もの昔、当時の最先端のテクノロジーを駆使してオーストラリアに移住してきた人々とはどのような人々だろうか。
そのため現在の東南アジア島嶼部分にはスンダランドと呼ばれる広大な陸隗が広がっていた。一方、オーストラリアはニューギニアと陸続きでサフルランドと呼ばれる大陸であった。
オーストラリアの歴史を解説した物の中には、「オーストラリアへの人類の移住は、氷期に陸続きとなったアジアから渡ってきた」と解説されているものを多々見かける。しかし、これは大きな間違いで正しくは、ほぼ陸続きに近い状態と表現すべきである。
これら2つの大陸は海水面が最も低下した今から約2万年前でも、最低80kmほどの海峡で隔てられていたと考えられている。
この事は、両大陸の間にウォーレス線と呼ばれる明確な動植物相の境界線がある事からも明らかである。オーストラリアに有袋類や単孔類など原始的な形態を 備えた動物が生きのびているのもこのためだ。したがってオーストラリアへの人類の移住も「船」抜きでは考えられないのである。
なんと7万年もの昔、ネアンデルタール人・古代型ホモサピエンス全盛の時代に船あるいは筏で海を越えた人々がいたのだ。
7万年もの昔、当時の最先端のテクノロジーを駆使してオーストラリアに移住してきた人々とはどのような人々だろうか。
第九回 華奢型と頑丈型
オーストラリアの古代人には2種類のタイプが存在した事が知られている。
レークマンゴーと呼ばれる地域で見つかった人骨は非常に華奢で現代的な特徴を備えている。特に頭蓋骨の厚みは現代のアボリジニと比べても非常に薄く華奢な上、発達した前頭骨と丸い頭蓋、小さな歯などの特徴は、アボリジニ以上に現代的であった。
一方、カウスワンプで発見された人骨は対照的に頑丈で、後退した額、大きな眼窩上隆起、厚い頭蓋骨に突出した顎部と大きな歯など典型的な古代型ホモサピエンスの特徴を多く備えていた。
ところがレークマンゴーの現代的な人々は6万年以上も前に遡れるのに対し、原始的な特徴を備えるカウスワンプの人々は、1万3000年~6500年前頃まで存在した人々なのだ。 つまりオーストラリアでは、一番古い人々が最も現代的だという逆転現象が見られるのだ。
これらの事実を考える限り、アフリカで進化した現代人が原始的な人々を駆逐して入れ替わったとする仮説は完全に成り立たない。
しかし、これらの事実は、ミトコンドリアイブ理論とネアンデルタール人のDNA鑑定以来ほとんど無視されつづけてきた。
2000年11月には、スタンフォード大学のピーター・アンダーヒル等によって現代人のY染色体のDNAを調べるという最新の研究結果が発表された。Y 染色体のDNAは、ミトコンドリアDNAとは反対に父親から息子にのみ受け継がれる物で、最近新しい研究手法として脚光を浴びている。アンダーヒルのグ ループは、22の地域から1000人以上の男性のY染色体をあつめ、最新の手法を用いてDNAを調べた。結果、現代人は5万9000年前のアフリカに起源 があると結論付けたのだ。
ところが同じ研究者グループによるミトコンドリアDNAの研究からは、14万3000年前のアフリカに起源があるという。 このミトコンドリアDNAに よる起源は、これまでの研究結果を再確認する形になるが、父系の共通先祖と母系の共通先祖の間に8万4000年もの違いがあるということは、どう考えても この研究手法の信頼性に疑いを持たざるを得ない。
レークマンゴーと呼ばれる地域で見つかった人骨は非常に華奢で現代的な特徴を備えている。特に頭蓋骨の厚みは現代のアボリジニと比べても非常に薄く華奢な上、発達した前頭骨と丸い頭蓋、小さな歯などの特徴は、アボリジニ以上に現代的であった。
一方、カウスワンプで発見された人骨は対照的に頑丈で、後退した額、大きな眼窩上隆起、厚い頭蓋骨に突出した顎部と大きな歯など典型的な古代型ホモサピエンスの特徴を多く備えていた。
ところがレークマンゴーの現代的な人々は6万年以上も前に遡れるのに対し、原始的な特徴を備えるカウスワンプの人々は、1万3000年~6500年前頃まで存在した人々なのだ。 つまりオーストラリアでは、一番古い人々が最も現代的だという逆転現象が見られるのだ。
これらの事実を考える限り、アフリカで進化した現代人が原始的な人々を駆逐して入れ替わったとする仮説は完全に成り立たない。
しかし、これらの事実は、ミトコンドリアイブ理論とネアンデルタール人のDNA鑑定以来ほとんど無視されつづけてきた。
2000年11月には、スタンフォード大学のピーター・アンダーヒル等によって現代人のY染色体のDNAを調べるという最新の研究結果が発表された。Y 染色体のDNAは、ミトコンドリアDNAとは反対に父親から息子にのみ受け継がれる物で、最近新しい研究手法として脚光を浴びている。アンダーヒルのグ ループは、22の地域から1000人以上の男性のY染色体をあつめ、最新の手法を用いてDNAを調べた。結果、現代人は5万9000年前のアフリカに起源 があると結論付けたのだ。
ところが同じ研究者グループによるミトコンドリアDNAの研究からは、14万3000年前のアフリカに起源があるという。 このミトコンドリアDNAに よる起源は、これまでの研究結果を再確認する形になるが、父系の共通先祖と母系の共通先祖の間に8万4000年もの違いがあるということは、どう考えても この研究手法の信頼性に疑いを持たざるを得ない。
第十回 分子時計
決してDNA研究を完全に否定するわけではない。それどころかミトコンドリアDNAを調べる事は、各集団の関係を探る上で重要な手段の一つだと考えてい る。しかし、ミトコンドリアDNAの変異量を調べる事が分子時計として働くほどの精度を確立出来るとは思えない。なぜなら、ミトコンドリアDNAが分子時 計として働くのは、母親からのみ受け継がれDNAの組換えが絶対に起こらない上、突然変異が常に一定の確率で起こる事が大前提となっているからだ。
ところがこの大前提が間違っているかも知れないのだ。ここ数年、父親のミトコンドリアDNAが、卵子の中でも数時間生き残る事から組換えが行われている 可能性が指摘されてきた。事実ラットなどの動物ではミトコンドリアDNAの組換えが確認されていたのだが、人間では組換えが起こっている証拠は見つかって いなかった。
しかし、英国ケンブリッジ大学のエリカ・ハーゲルバーグ等が太平洋のバヌアツ共和国の小島ングナでミトコンドリアDNAの組換えが行われた明確な証拠を発見したのだ。
博士等は、この地域で人類の移動の歴史を調べるためミトコンドリアDNAの検査を行っていた。
その結果ングナ島を含むこの周辺地域には3系統のミトコンドリアグループがある事が判明した。ところがングナ島だけで住民の3系統のグループすべてが非 常に特異なミトコンドリアDNAの突然変異を持っていることが判明したのだ。この突然変異は、今まで北欧で見つかった事があるだけで世界のどの地域からも 見つかった事が無かった。
もしミトコンドリアDNAが、母親から子供にのみしか遺伝しなければ各グループ間でDNAの組換えは無く、小さな孤島で3系統のミトコンドリアグループに、世にもまれな突然変異が偶然にも別々に発生したことになる。
しかしこの様な事は確率的に考えてありえないのでDNAに組換えが起こったと考えられるのだ。
更に英国サセックス大学の研究者グループは、「成因的相同と呼ばれる特定のミトコンドリアDNAの突然変異が異なるグループで共通して起こる現象」の研究 から、遺伝子の組換えが行われていると考えられると発表した。これまで成因的相同は、ミトコンドリアDNAの突然変異を特に起こしやすい部分が、偶然に異 なる集団で変異を起こしたため起こるとされてきた。しかし、研究の結果ミトコンドリアDNAに特定の変異を起こしやすい領域が存在する証拠は一切発見され なかったと言う。
このようにたとえまれな事でも、父親のミトコンドリアDNAの組換えが起こっているとすれば、これまでの分子時計としての前提は完全に崩れる事になる。
又、ミトコンドリアDNAの突然変異が常に一定の確率で起こっていると言う事にも疑問がある。
オゾン層の破壊で、地表に降り注ぐ紫外線が問題になっているのが何故かを考えてほしい。紫外線はDNAの突然変異を誘発する事から細胞の癌化への影響が 危惧されているからである。紫外線が直接生殖細胞内のミトコンドリアDNAに影響を与えるとは思われていない。しかし、植物の研究では紫外線の増加が世代 を超えた影響を与える事が指摘され、オゾン層の破壊が植物に与える影響が危惧されている。又、太陽からは紫外線だけでなく様々な放射線が地表に降り注いで いる。これらの放射線がミトコンドリアDNAの突然変異にまったく影響を与えていないとは言い切れない。
そして人類の長い歴史の中で太陽の活動は常に安定していたわけでは無い。良く知られている11年周期やもっと長い周期で太陽の活動は常に変化している。
つまり地表に降り注ぐ放射線の量は一定してはいないのだ。もちろん地域によっても大きく変化するだろう。
この事は、DNAの突然変異の確立は一定の割合では起こっていない可能性もあるのだ。
もっとはるかに長い単位、何百万年、何千万年で見ればこのような周期的な変化も平均化されて分子時計が成り立つかもしれない。しかし現代人の起源を考える10万年以下の単位では、変動が偏りすぎて分子時計としての精度には疑問が残る。
人類の生きた時代には、長い氷河期があった。氷河期の一因として太陽活動が低下した事も考えられる。氷河期の間、降り注ぐ放射線量が著しく低下していた と考えるとDNAの突然変異のおこる確率も著しく低下したはずだ。そうすると、現代人が分岐したのは現在言われているよりもはるかに前のことになる。
人類の共通祖先が現代人に進化する前、北京原人やジャワ原人に代表されるホモエレクトスがアフリカから世界に広がって行った事は間違いの無い事実とされる。つまり多くのDNA研究が行きつくアフリカの共通祖先とは、ホモエレクトスの事を指していたのかもしれない。
したがってDNAの研究だけで、すべての現代人が15万年前のアフリカに誕生した現代型ホモサピエンスの子孫だと言い切ることは無謀と言わざるをえないのだ。
ところがこの大前提が間違っているかも知れないのだ。ここ数年、父親のミトコンドリアDNAが、卵子の中でも数時間生き残る事から組換えが行われている 可能性が指摘されてきた。事実ラットなどの動物ではミトコンドリアDNAの組換えが確認されていたのだが、人間では組換えが起こっている証拠は見つかって いなかった。
しかし、英国ケンブリッジ大学のエリカ・ハーゲルバーグ等が太平洋のバヌアツ共和国の小島ングナでミトコンドリアDNAの組換えが行われた明確な証拠を発見したのだ。
博士等は、この地域で人類の移動の歴史を調べるためミトコンドリアDNAの検査を行っていた。
その結果ングナ島を含むこの周辺地域には3系統のミトコンドリアグループがある事が判明した。ところがングナ島だけで住民の3系統のグループすべてが非 常に特異なミトコンドリアDNAの突然変異を持っていることが判明したのだ。この突然変異は、今まで北欧で見つかった事があるだけで世界のどの地域からも 見つかった事が無かった。
もしミトコンドリアDNAが、母親から子供にのみしか遺伝しなければ各グループ間でDNAの組換えは無く、小さな孤島で3系統のミトコンドリアグループに、世にもまれな突然変異が偶然にも別々に発生したことになる。
しかしこの様な事は確率的に考えてありえないのでDNAに組換えが起こったと考えられるのだ。
更に英国サセックス大学の研究者グループは、「成因的相同と呼ばれる特定のミトコンドリアDNAの突然変異が異なるグループで共通して起こる現象」の研究 から、遺伝子の組換えが行われていると考えられると発表した。これまで成因的相同は、ミトコンドリアDNAの突然変異を特に起こしやすい部分が、偶然に異 なる集団で変異を起こしたため起こるとされてきた。しかし、研究の結果ミトコンドリアDNAに特定の変異を起こしやすい領域が存在する証拠は一切発見され なかったと言う。
このようにたとえまれな事でも、父親のミトコンドリアDNAの組換えが起こっているとすれば、これまでの分子時計としての前提は完全に崩れる事になる。
又、ミトコンドリアDNAの突然変異が常に一定の確率で起こっていると言う事にも疑問がある。
オゾン層の破壊で、地表に降り注ぐ紫外線が問題になっているのが何故かを考えてほしい。紫外線はDNAの突然変異を誘発する事から細胞の癌化への影響が 危惧されているからである。紫外線が直接生殖細胞内のミトコンドリアDNAに影響を与えるとは思われていない。しかし、植物の研究では紫外線の増加が世代 を超えた影響を与える事が指摘され、オゾン層の破壊が植物に与える影響が危惧されている。又、太陽からは紫外線だけでなく様々な放射線が地表に降り注いで いる。これらの放射線がミトコンドリアDNAの突然変異にまったく影響を与えていないとは言い切れない。
そして人類の長い歴史の中で太陽の活動は常に安定していたわけでは無い。良く知られている11年周期やもっと長い周期で太陽の活動は常に変化している。
つまり地表に降り注ぐ放射線の量は一定してはいないのだ。もちろん地域によっても大きく変化するだろう。
この事は、DNAの突然変異の確立は一定の割合では起こっていない可能性もあるのだ。
もっとはるかに長い単位、何百万年、何千万年で見ればこのような周期的な変化も平均化されて分子時計が成り立つかもしれない。しかし現代人の起源を考える10万年以下の単位では、変動が偏りすぎて分子時計としての精度には疑問が残る。
人類の生きた時代には、長い氷河期があった。氷河期の一因として太陽活動が低下した事も考えられる。氷河期の間、降り注ぐ放射線量が著しく低下していた と考えるとDNAの突然変異のおこる確率も著しく低下したはずだ。そうすると、現代人が分岐したのは現在言われているよりもはるかに前のことになる。
人類の共通祖先が現代人に進化する前、北京原人やジャワ原人に代表されるホモエレクトスがアフリカから世界に広がって行った事は間違いの無い事実とされる。つまり多くのDNA研究が行きつくアフリカの共通祖先とは、ホモエレクトスの事を指していたのかもしれない。
したがってDNAの研究だけで、すべての現代人が15万年前のアフリカに誕生した現代型ホモサピエンスの子孫だと言い切ることは無謀と言わざるをえないのだ。
第一一回 新発見
そして単一起源説を覆す有力な証拠がついにオーストラリアで発見された。
2001年1月、オーストラリア ナショナル大学(ANU)の研究者グループが、1974年にレークマンゴーで発見された約5万6千年前から6万8千年 前のものと思われる人骨からミトコンドリアDNAを抽出することに成功したのだ。現在のところネアンデルタール人を含めDNAを抽出できた最も古い人骨に なる。
ANUの人類学者アラン・ソーンによると、この人骨は完全に現代人の特徴を備えているにもかかわらず、そのDNAは他の地域で発見されたアフリカ起源の 現代人とまったく関連性は見られないという。レークマンゴー人のすべての研究結果は、彼らがアフリカからやって来たのではない事を示すという。
このことは、現代人すべてがアフリカからやってきたのではなく、少なくともレークマンゴー人はアジアで進化を遂げた現代型ホモサピエンスであるということだ。
いっぽう、ミシガン大学の人類学者ミルフォード・ウォルポフも2001年1月発行のジャーナル・サイエンスの中で、現代人と古代人の頭蓋骨の比較検討結 果から、現代人はアフリカ起源だけではなくアフリカ起源の現代人と地域ごとのホモエレクトスや古代型ホモサピエンスの間で混血を繰り返しながら進化した証 拠が得られたとしている。
ウォルポフは、従来からカウスワンプ人の頭蓋骨は明らかに東南アジアのホモエレクトス・ジャワ原人の特徴を引き継いでおり、それらの特徴は現代のアボリジニにまで連続的に引き継がれていると強く主張している。
2001年1月、オーストラリア ナショナル大学(ANU)の研究者グループが、1974年にレークマンゴーで発見された約5万6千年前から6万8千年 前のものと思われる人骨からミトコンドリアDNAを抽出することに成功したのだ。現在のところネアンデルタール人を含めDNAを抽出できた最も古い人骨に なる。
ANUの人類学者アラン・ソーンによると、この人骨は完全に現代人の特徴を備えているにもかかわらず、そのDNAは他の地域で発見されたアフリカ起源の 現代人とまったく関連性は見られないという。レークマンゴー人のすべての研究結果は、彼らがアフリカからやって来たのではない事を示すという。
このことは、現代人すべてがアフリカからやってきたのではなく、少なくともレークマンゴー人はアジアで進化を遂げた現代型ホモサピエンスであるということだ。
いっぽう、ミシガン大学の人類学者ミルフォード・ウォルポフも2001年1月発行のジャーナル・サイエンスの中で、現代人と古代人の頭蓋骨の比較検討結 果から、現代人はアフリカ起源だけではなくアフリカ起源の現代人と地域ごとのホモエレクトスや古代型ホモサピエンスの間で混血を繰り返しながら進化した証 拠が得られたとしている。
ウォルポフは、従来からカウスワンプ人の頭蓋骨は明らかに東南アジアのホモエレクトス・ジャワ原人の特徴を引き継いでおり、それらの特徴は現代のアボリジニにまで連続的に引き継がれていると強く主張している。
第一二回 アボリジニの誕生
レークマンゴーで、現代人の新たな血筋が発見された事により少なくともアボリジニに関しては、アフリカ起源の直系の子孫ではないと言えるだろう。
それでは、アボリジニは何処から来たのだろうか?
第一の可能性としては、アジアでジャワ原人や北京原人の子孫の古代型ホモサピエンスから現代型ホモサピエンスに進化した後、船でオーストラリアに移住してきた可能性である。
研究者の多くは、古代の東南アジア地域には、古モンゴロイドと呼ばれる集団が存在したとしている。古モンゴロイド集団は、アジアのホモエレクトスである ジャワ原人や北京原人から進化したと思われていて、これらの集団の一部がオーストラリアに渡ったとする説だ。ロシアの研究者の中には、古オーストラロイド 集団を想定し、北方モンゴロイドの進出とともに南北に追いやられ、現在のアボリジニと日本のアイヌ人になったとする説を唱える者もいる。
確かにアイヌ人の立体的な顔つきは、アボリジニと結びつかなくも無いが、現在のさまざまな研究ではアイヌとアボリジニの関係は薄いというのが一般的だ。
第二の可能性は、そもそもオーストラリアには、まだ発見されていないだけで、すでに何十万年も前から古代型ホモサピエンスが住んでいて、現代人への進化がオーストラリアも含めて同時多発的に世界で進行した可能性である。
世界の複数の地域、更には海によって大きく隔てられた場所で同時に進化の流れが起こるとは一見考えにくいが、シンクロニシティーとして知られるこのような同期現象は歴史上数多く見られる。身近な例では、猿の芋洗い現象が知られている。
宮崎県串間市から約2km沖合に、幸島という島があるが、1952年、京都大学霊長類研究所が、この島に住む20匹の日本猿の餌付けに成功する。翌年の 1953年に一匹の猿が芋の泥を水で洗って落とせることを発見し、この習性はまたたく間に群れ全体に広がった。同じ群れの中で新しい習性が伝播する事には 何も矛盾は無いが、後に芋を洗う猿が大分県の高尾山でも発見されたのだ。 もちろんこの2つの地域の猿の間には、いかなるコミュニケーションも存在しない のである。
その後、猿の芋洗い現象は日本中に広がり、最近では何と台湾の猿まで行っているという。この様な事がおこりえるメカニズムに関しては、ユングやシャルドレーク等が面白い仮説を立てているがここでは本題と関係ないので省略する事にする。
ここに上げた例は、生物学的な進化とは異なるが、文化的には進化である。つまり相互にまったくコミュニケーションが無い状態でもひとたび進化の流れが確定すれば、進化はほぼ同時におこりえるものなのだ。
まだ証拠が見つかって無いだけで、オーストラリアには何十万年も前から人間が暮らしていた可能性も否定しきれないのだ。証拠も無いのにちょっと想像を働か せすぎかもしれないが、そう考えるとアボリジニが、その他の人種とまったく違う特徴を備えている事の理由が明確に説明可能になる。
しかし、いずれにせよ、一番古い時代よりオーストラリアに住んでいたレークマンゴー人が、後のカウスワンプ人や現在のアボリジニと比べても最も現代的な理由は説明出来ない。
おそらく、すでに解剖学的現代人・現代型ホモサピエンスへの進化を完全に遂げていたレークマンゴー人の住むオーストラリアに、東南アジアの密林で進化の 流れから取り残された集団としてのカウスワンプ人が移住してきたのではないだろうか。カウスワンプ人の祖先は、ジャワ原人そのものだったかもしれない。事 実、オーストラリアのウィランドラレークからは、カウスワンプ人より更に古く原始的な特徴をもつと思われる人骨も発見されている。
又、先にも述べたアボリジニやカウスワンプ人の古い形質は、特にジャワ原人の持つ古い形質をそのまま踏襲していると言う。
オーストラリアにどの様な形で最初に人が住み着いたにせよ、現在も残るアボリジニの古い形質は、後から移住して来たカウスワンプ人(ジャワ原人)との混血の結果形成されたと考えられるのだ。
厚い頭蓋骨に大きな歯などカウスワンプ人のホモエレクトス的特長も、9000年前頃から明らかに少なくなっていき、約5000年前には解剖学的に現代の アボリジニと同じ人々が現れている。これは、9000年前頃からカウスワンプ人とレークマンゴー人の混血化が始まり徐々に現代のアボリジニを形成して言っ た事を示しているのではないだろうか。
古代人は想像以上に活動的であった。おそらく後にオーストラリアまで到達したアフリカ起源の人々もいたかもしれない。オーストラリアまでは到達していな いとしてもアジアにはアフリカ起源の現代型ホモサピエンスが到達した事は間違いないだろう。アジアでは、起源の異なる現代型ホモサピエンスどうしが複雑に 混血した可能性が高い。
現代型ホモサピエンスの活発な移動に伴う複雑なミックスもDNAでの祖先の同定を困難にしている一因かもしれない。
こうして海で隔てられたオーストラリアのみに、ジャワ原人からつながる古代型ホモサピエンスの特徴を残した人々が残されたのだ。
さて、オーストラリアには多くの謎がある事がわかっていただけただろうか?謎の多くは、いまだに解き明かされているとは言えず、答えの多くは推測の域を出ていない。
オーストラリア先住民であるアボリジニが歴史の表立った舞台に登場したことは無いが、どの様な少数民族にも隠された長い歴史が存在しているのだ。そして確実に言えることはオーストラリアとアボリジニこそ現代人の進化の謎を解き明かす鍵を握る存在であるということだ。
皆さんもオーストラリアに行く機会があったら、ぜひアボリジニの長い歴史、しいては現代人への進化の歴史に思いをはせてほしい。一味違った目で観光できるはずだ。
それでは、アボリジニは何処から来たのだろうか?
第一の可能性としては、アジアでジャワ原人や北京原人の子孫の古代型ホモサピエンスから現代型ホモサピエンスに進化した後、船でオーストラリアに移住してきた可能性である。
研究者の多くは、古代の東南アジア地域には、古モンゴロイドと呼ばれる集団が存在したとしている。古モンゴロイド集団は、アジアのホモエレクトスである ジャワ原人や北京原人から進化したと思われていて、これらの集団の一部がオーストラリアに渡ったとする説だ。ロシアの研究者の中には、古オーストラロイド 集団を想定し、北方モンゴロイドの進出とともに南北に追いやられ、現在のアボリジニと日本のアイヌ人になったとする説を唱える者もいる。
確かにアイヌ人の立体的な顔つきは、アボリジニと結びつかなくも無いが、現在のさまざまな研究ではアイヌとアボリジニの関係は薄いというのが一般的だ。
第二の可能性は、そもそもオーストラリアには、まだ発見されていないだけで、すでに何十万年も前から古代型ホモサピエンスが住んでいて、現代人への進化がオーストラリアも含めて同時多発的に世界で進行した可能性である。
世界の複数の地域、更には海によって大きく隔てられた場所で同時に進化の流れが起こるとは一見考えにくいが、シンクロニシティーとして知られるこのような同期現象は歴史上数多く見られる。身近な例では、猿の芋洗い現象が知られている。
宮崎県串間市から約2km沖合に、幸島という島があるが、1952年、京都大学霊長類研究所が、この島に住む20匹の日本猿の餌付けに成功する。翌年の 1953年に一匹の猿が芋の泥を水で洗って落とせることを発見し、この習性はまたたく間に群れ全体に広がった。同じ群れの中で新しい習性が伝播する事には 何も矛盾は無いが、後に芋を洗う猿が大分県の高尾山でも発見されたのだ。 もちろんこの2つの地域の猿の間には、いかなるコミュニケーションも存在しない のである。
その後、猿の芋洗い現象は日本中に広がり、最近では何と台湾の猿まで行っているという。この様な事がおこりえるメカニズムに関しては、ユングやシャルドレーク等が面白い仮説を立てているがここでは本題と関係ないので省略する事にする。
ここに上げた例は、生物学的な進化とは異なるが、文化的には進化である。つまり相互にまったくコミュニケーションが無い状態でもひとたび進化の流れが確定すれば、進化はほぼ同時におこりえるものなのだ。
まだ証拠が見つかって無いだけで、オーストラリアには何十万年も前から人間が暮らしていた可能性も否定しきれないのだ。証拠も無いのにちょっと想像を働か せすぎかもしれないが、そう考えるとアボリジニが、その他の人種とまったく違う特徴を備えている事の理由が明確に説明可能になる。
しかし、いずれにせよ、一番古い時代よりオーストラリアに住んでいたレークマンゴー人が、後のカウスワンプ人や現在のアボリジニと比べても最も現代的な理由は説明出来ない。
おそらく、すでに解剖学的現代人・現代型ホモサピエンスへの進化を完全に遂げていたレークマンゴー人の住むオーストラリアに、東南アジアの密林で進化の 流れから取り残された集団としてのカウスワンプ人が移住してきたのではないだろうか。カウスワンプ人の祖先は、ジャワ原人そのものだったかもしれない。事 実、オーストラリアのウィランドラレークからは、カウスワンプ人より更に古く原始的な特徴をもつと思われる人骨も発見されている。
又、先にも述べたアボリジニやカウスワンプ人の古い形質は、特にジャワ原人の持つ古い形質をそのまま踏襲していると言う。
オーストラリアにどの様な形で最初に人が住み着いたにせよ、現在も残るアボリジニの古い形質は、後から移住して来たカウスワンプ人(ジャワ原人)との混血の結果形成されたと考えられるのだ。
厚い頭蓋骨に大きな歯などカウスワンプ人のホモエレクトス的特長も、9000年前頃から明らかに少なくなっていき、約5000年前には解剖学的に現代の アボリジニと同じ人々が現れている。これは、9000年前頃からカウスワンプ人とレークマンゴー人の混血化が始まり徐々に現代のアボリジニを形成して言っ た事を示しているのではないだろうか。
古代人は想像以上に活動的であった。おそらく後にオーストラリアまで到達したアフリカ起源の人々もいたかもしれない。オーストラリアまでは到達していな いとしてもアジアにはアフリカ起源の現代型ホモサピエンスが到達した事は間違いないだろう。アジアでは、起源の異なる現代型ホモサピエンスどうしが複雑に 混血した可能性が高い。
現代型ホモサピエンスの活発な移動に伴う複雑なミックスもDNAでの祖先の同定を困難にしている一因かもしれない。
こうして海で隔てられたオーストラリアのみに、ジャワ原人からつながる古代型ホモサピエンスの特徴を残した人々が残されたのだ。
さて、オーストラリアには多くの謎がある事がわかっていただけただろうか?謎の多くは、いまだに解き明かされているとは言えず、答えの多くは推測の域を出ていない。
オーストラリア先住民であるアボリジニが歴史の表立った舞台に登場したことは無いが、どの様な少数民族にも隠された長い歴史が存在しているのだ。そして確実に言えることはオーストラリアとアボリジニこそ現代人の進化の謎を解き明かす鍵を握る存在であるということだ。
皆さんもオーストラリアに行く機会があったら、ぜひアボリジニの長い歴史、しいては現代人への進化の歴史に思いをはせてほしい。一味違った目で観光できるはずだ。