第二部
中世のペルシアの哲学者で詩人のサーディは言いました・・・
「知恵の法則を学んで、しかも生涯を通じてそれに従わないのは、畑を耕してタネをまかなかった人のようである」
土地をととのえたのに、タネをまかず、収穫をたのしめないのは愚かです。キリストは「もし、あなたがこれらを知り、それをなせば幸いである」と言い、聖者ポーロは「それらすべてを実行しなさい」と教えました。
私たちは二〇章を通じて、知恵の法則を学びとりました。高い観点から私たち自身を観察し、私たちは驚くベき力を持つことを知りました。いわゆる天の父の持てるものは、みな私のものである」ことを発見したのです。
大生命力が私たちのためにもっている善きもの、体験できる法則を発見しました。
この本の第二部では、学んだ原理の応用にはいりましょう。
そして心の法則を健康と幸福と繁栄と、心の平和に適用しましょう。私たちが欲し、また当然持つべきものを一つ一つ実現する仕事にかかりましょう。
21 からだを健康にする力
心の科学に関する、新知識を使うべき第一のケースは、肉体的に健康を保ち、もし病気になったら、それを克服し、健康を再建することです。精力が盛りあがるような健康は、大生命力が人間に贈ってくれた最大のギフトです。健康に生きるということは、私たちの特権で、責任でもあります。なんとでもして、あふれるばかりの肉体の健康をたのしむべきです。健康は私たちが、すでに持つものなのです。なぜならば、私たちが大生命力であり、そして大生命力は健康と活力と精力だからです。もし私たち自身である大生命力を、完全に表現すべきだとすれば、完全な健康を体験していなければならないわけです。
健康になるためには、あなたは病気を駆逐しようとはしないがいいのです。病気という考えに完全に背をむけて、熱心に完全な健康を黙想するのがいいのです。大生命力があなたですから、健康がすでにあなたの体内にあるということを知らねばなりません。健康はあなたのもので、大生命力は、あなたがそれを表現なさるのを待ちかまえ、あなたの体をとおして表現しようとつねに用意しているのだと信じると、健康を体験しはじめます。心をくばると、なにもかもが成育するからです。健康を引き出し、それに表現を与えると、ますます大きな表現をもたらします。
もし不快を感じたら、健康が悪いことに注意を向ける代わりに、直ちにあなたが持つ健康に関心を向けなさい。不快の「不」はなにかが無いか欠けていることで、「不快」は「こころよいことがない、すなわち健康が欠けている」ことがですから、健康や活力やエネルギーを思い、それを表現しはじめると、病気の体験は消えていきます。つぎのような俗謡をご存じではないですか?
病気を思えば病気は育つ
健康を思えば病気は消える
貧を思えば貧は育つ
富を思えば貧は逃げる
難儀を思えば難儀は育つ
融和を思えば難儀は去る
部屋のなかに光を持ちこむと、暗闇は自動的に退散します。
あなたは健康への権利を持っています。それは、あなたのものです。あなたの想像力のなかに完全な健康の心の絵を描きなさい。健康のその絵を、創造力を持つ潜在意識――あなたの体内の心にしっかりと印象づけなさい。心の目に明瞭に見なさい。大生命力は健康と活力です。あなたが大生命力ですから、大生命力はあなたです。健康に積極的信念を置くことにより、病気への信念は除かれてしまうのです。あなたの心の在り方が信念であることを記憶なさい。信念どおりに、あなたになされるのです。心はあなたのために働き、あなたの信念にしたがって建設し再建し、創造し再創造します。健康の欠けたことや、精力も威力もないということよりも、その逆に健康に、精力に、威力に信念を置こうではありませんか。
欲しないなにものかが、あなたにあるとは、みずからけっして言ってはいけません。それよりも「私はすでに、私がありたいと思う姿である」と言い、かつ信じなさい。大生命力そのものの偉力が、あなたの中にあるのですから、からだと心の健康もあなたのものなのです。
健康と健全な活動を熟考することは、あなたをとおして開放される無限の大生命力の偉力とエネルギーを刺激し、そのエネルギーはあなたのからだをとおして輝かしい健康として、また躍動的な威力として波のごとく打ちよせてくるでしょう。あなた自身を威力と活力のある個人として熟考し、かつ描きなさい。心にその理想の絵を明瞭につくり、それを、あなた自身のものと考えなさい。
だれか完全な健康を表現している人のことを思いなさい。あらゆる仕事をたやすく、かつ熱を入れて行なう人、食物を完全に消化し、なごやかに眠ることのできる人のことを思いなさい。それから静かに、おだやかに、あなた自身をその絵のまんなかに置きなさい。大生命力のそういう性質を表現するその人と同じ大生命力であるあなた自身を想像なさい。あなたのからだが活力で、うずうずすることを想像なさい。あなたの体内の完全な知性が、からだの各部を修理して完全なものにする方法を知っていると知りなさい。その知性は初めに完全なからだを創造する方法を知っていたのですから、いまなおその方法を知っているのです。その知性ある力は、あなたの中の神の心です。
あなた自身の新しい考え方――新しい心の絵を創造なさい! あなた自身を活力ある、健康な、生き生きした、精力あるものとして見て、つぎのように言いなさい・・・
「『これが私だ!』私が過去に体験したことは、いまは全く関係がない。健康はまさに私のものだ。一息を吸うごとにからだじゅうを健康が脈打って動いてゆくのを感じる。私のからだのあらゆる器官、あらゆる組織、あらゆる機能は、かがやく健康と活力と威力に満ちている。大生命力がいまや私のなかで創造する心を通じて働き、再建を要する組織を再建し、心や肉体のあらゆる障害を除き、完全な健康への体験へと、私を導いているのを知る。完全な健康を拒む、私のあらゆる思考は、まさにいま駆逐されつつある」
「私のなかの無限の大生命力は、私のからだのそとから食物を取りいれる方法を知っている。そして消化と同化という不思議な方法をもって、肉体という生きた組織に変えていく。無限の大生命力は、私のなかで絶えず奇跡をおこなっている。知恵ある大生命力は、食物と空気と日光と水を結合して、私のために完全なからだを建造する。私のからだのなかの、あらゆる原子や細胞内の知性と力のある至上の知恵は、肺を呼吸させ、心臓を鼓動させ、血を循環させ、消化器官を運行させ、そのいずれをも完全に調和させている。それを知り、信頼し、そこに信念を置き、それを祝福する。そんなふうに知恵をもって効率よく奉仕してくれることを感謝する」
「大生命力はいままさに私のあらゆる部分を掃除し、浄化し、活力を与えつつある。私は強く、こころよい。大生命力に不可能なことはない。私は大生命力である。大生命力にたより、かつ信頼する。大生命力の治癒する力が私のからだを、いままさに直し、強くし、完全にする。それを会得する」
「恐怖や心配のあらゆる感じを投げ捨てる。完全にくつろぎ、大生命力をして妨げなく完全に自由に私のからだじゅうで働かせる。私は完全に打ちくつろいでいる。からだのあらゆる組織を通じて、大生命力は正常に自然に循環している。あらゆる細胞は、完全な健康をもって張りきっている。私は健康に感謝する」
「完全な大生命力が私の目をとおして働いている。私はなんらの努力もなしに、いたるところに大生命力の美しさを見る、視力は完全だ。明らかに完全に見える。私の耳は善いことだけを聞く。らくに聞こえ、なんらの緊張感もなしに完全に聞く。聞く力は鋭く、また、はっきりしている」
「私のからだのあらゆる器官は完全に機能をおこなっている。私はからだを愛し、からだに信念を置いている。私はからだと、そのあらゆる部分を信頼する。私のからだについても、他の人びとについても、あらゆる事態についても、いい思考のみを思う。いいことだけを聞く。よいことだけを見、また、よいことだけをするよう努める。私は知恵と愛と理解を持って話す」
「完全に打ちくつろぎ、緊張も緊迫もなく、なんでもなす必要のあること、なすべきことを、らくに、自身を持ってする。無限の大生命力が私をとおしてつねに表現していることを自覚する。静かな自信感に満ちて落ちついている。無限の大生命力が私の思考をとおして、私のからだをとおして、その豊かなものをもって絶えず働いていることを知るので、静かにそして平和に眠る」
「私は強い。こころよい。自信があり、打ちくつろぎ、そして平和である。私は健康かつ富裕な大生命力である」
中世のペルシアの哲学者で詩人のサーディは言いました・・・
「知恵の法則を学んで、しかも生涯を通じてそれに従わないのは、畑を耕してタネをまかなかった人のようである」
土地をととのえたのに、タネをまかず、収穫をたのしめないのは愚かです。キリストは「もし、あなたがこれらを知り、それをなせば幸いである」と言い、聖者ポーロは「それらすべてを実行しなさい」と教えました。
私たちは二〇章を通じて、知恵の法則を学びとりました。高い観点から私たち自身を観察し、私たちは驚くベき力を持つことを知りました。いわゆる天の父の持てるものは、みな私のものである」ことを発見したのです。
大生命力が私たちのためにもっている善きもの、体験できる法則を発見しました。
この本の第二部では、学んだ原理の応用にはいりましょう。
そして心の法則を健康と幸福と繁栄と、心の平和に適用しましょう。私たちが欲し、また当然持つべきものを一つ一つ実現する仕事にかかりましょう。
21 からだを健康にする力
心の科学に関する、新知識を使うべき第一のケースは、肉体的に健康を保ち、もし病気になったら、それを克服し、健康を再建することです。精力が盛りあがるような健康は、大生命力が人間に贈ってくれた最大のギフトです。健康に生きるということは、私たちの特権で、責任でもあります。なんとでもして、あふれるばかりの肉体の健康をたのしむべきです。健康は私たちが、すでに持つものなのです。なぜならば、私たちが大生命力であり、そして大生命力は健康と活力と精力だからです。もし私たち自身である大生命力を、完全に表現すべきだとすれば、完全な健康を体験していなければならないわけです。
健康になるためには、あなたは病気を駆逐しようとはしないがいいのです。病気という考えに完全に背をむけて、熱心に完全な健康を黙想するのがいいのです。大生命力があなたですから、健康がすでにあなたの体内にあるということを知らねばなりません。健康はあなたのもので、大生命力は、あなたがそれを表現なさるのを待ちかまえ、あなたの体をとおして表現しようとつねに用意しているのだと信じると、健康を体験しはじめます。心をくばると、なにもかもが成育するからです。健康を引き出し、それに表現を与えると、ますます大きな表現をもたらします。
もし不快を感じたら、健康が悪いことに注意を向ける代わりに、直ちにあなたが持つ健康に関心を向けなさい。不快の「不」はなにかが無いか欠けていることで、「不快」は「こころよいことがない、すなわち健康が欠けている」ことがですから、健康や活力やエネルギーを思い、それを表現しはじめると、病気の体験は消えていきます。つぎのような俗謡をご存じではないですか?
病気を思えば病気は育つ
健康を思えば病気は消える
貧を思えば貧は育つ
富を思えば貧は逃げる
難儀を思えば難儀は育つ
融和を思えば難儀は去る
部屋のなかに光を持ちこむと、暗闇は自動的に退散します。
あなたは健康への権利を持っています。それは、あなたのものです。あなたの想像力のなかに完全な健康の心の絵を描きなさい。健康のその絵を、創造力を持つ潜在意識――あなたの体内の心にしっかりと印象づけなさい。心の目に明瞭に見なさい。大生命力は健康と活力です。あなたが大生命力ですから、大生命力はあなたです。健康に積極的信念を置くことにより、病気への信念は除かれてしまうのです。あなたの心の在り方が信念であることを記憶なさい。信念どおりに、あなたになされるのです。心はあなたのために働き、あなたの信念にしたがって建設し再建し、創造し再創造します。健康の欠けたことや、精力も威力もないということよりも、その逆に健康に、精力に、威力に信念を置こうではありませんか。
欲しないなにものかが、あなたにあるとは、みずからけっして言ってはいけません。それよりも「私はすでに、私がありたいと思う姿である」と言い、かつ信じなさい。大生命力そのものの偉力が、あなたの中にあるのですから、からだと心の健康もあなたのものなのです。
健康と健全な活動を熟考することは、あなたをとおして開放される無限の大生命力の偉力とエネルギーを刺激し、そのエネルギーはあなたのからだをとおして輝かしい健康として、また躍動的な威力として波のごとく打ちよせてくるでしょう。あなた自身を威力と活力のある個人として熟考し、かつ描きなさい。心にその理想の絵を明瞭につくり、それを、あなた自身のものと考えなさい。
だれか完全な健康を表現している人のことを思いなさい。あらゆる仕事をたやすく、かつ熱を入れて行なう人、食物を完全に消化し、なごやかに眠ることのできる人のことを思いなさい。それから静かに、おだやかに、あなた自身をその絵のまんなかに置きなさい。大生命力のそういう性質を表現するその人と同じ大生命力であるあなた自身を想像なさい。あなたのからだが活力で、うずうずすることを想像なさい。あなたの体内の完全な知性が、からだの各部を修理して完全なものにする方法を知っていると知りなさい。その知性は初めに完全なからだを創造する方法を知っていたのですから、いまなおその方法を知っているのです。その知性ある力は、あなたの中の神の心です。
あなた自身の新しい考え方――新しい心の絵を創造なさい! あなた自身を活力ある、健康な、生き生きした、精力あるものとして見て、つぎのように言いなさい・・・
「『これが私だ!』私が過去に体験したことは、いまは全く関係がない。健康はまさに私のものだ。一息を吸うごとにからだじゅうを健康が脈打って動いてゆくのを感じる。私のからだのあらゆる器官、あらゆる組織、あらゆる機能は、かがやく健康と活力と威力に満ちている。大生命力がいまや私のなかで創造する心を通じて働き、再建を要する組織を再建し、心や肉体のあらゆる障害を除き、完全な健康への体験へと、私を導いているのを知る。完全な健康を拒む、私のあらゆる思考は、まさにいま駆逐されつつある」
「私のなかの無限の大生命力は、私のからだのそとから食物を取りいれる方法を知っている。そして消化と同化という不思議な方法をもって、肉体という生きた組織に変えていく。無限の大生命力は、私のなかで絶えず奇跡をおこなっている。知恵ある大生命力は、食物と空気と日光と水を結合して、私のために完全なからだを建造する。私のからだのなかの、あらゆる原子や細胞内の知性と力のある至上の知恵は、肺を呼吸させ、心臓を鼓動させ、血を循環させ、消化器官を運行させ、そのいずれをも完全に調和させている。それを知り、信頼し、そこに信念を置き、それを祝福する。そんなふうに知恵をもって効率よく奉仕してくれることを感謝する」
「大生命力はいままさに私のあらゆる部分を掃除し、浄化し、活力を与えつつある。私は強く、こころよい。大生命力に不可能なことはない。私は大生命力である。大生命力にたより、かつ信頼する。大生命力の治癒する力が私のからだを、いままさに直し、強くし、完全にする。それを会得する」
「恐怖や心配のあらゆる感じを投げ捨てる。完全にくつろぎ、大生命力をして妨げなく完全に自由に私のからだじゅうで働かせる。私は完全に打ちくつろいでいる。からだのあらゆる組織を通じて、大生命力は正常に自然に循環している。あらゆる細胞は、完全な健康をもって張りきっている。私は健康に感謝する」
「完全な大生命力が私の目をとおして働いている。私はなんらの努力もなしに、いたるところに大生命力の美しさを見る、視力は完全だ。明らかに完全に見える。私の耳は善いことだけを聞く。らくに聞こえ、なんらの緊張感もなしに完全に聞く。聞く力は鋭く、また、はっきりしている」
「私のからだのあらゆる器官は完全に機能をおこなっている。私はからだを愛し、からだに信念を置いている。私はからだと、そのあらゆる部分を信頼する。私のからだについても、他の人びとについても、あらゆる事態についても、いい思考のみを思う。いいことだけを聞く。よいことだけを見、また、よいことだけをするよう努める。私は知恵と愛と理解を持って話す」
「完全に打ちくつろぎ、緊張も緊迫もなく、なんでもなす必要のあること、なすべきことを、らくに、自身を持ってする。無限の大生命力が私をとおしてつねに表現していることを自覚する。静かな自信感に満ちて落ちついている。無限の大生命力が私の思考をとおして、私のからだをとおして、その豊かなものをもって絶えず働いていることを知るので、静かにそして平和に眠る」
「私は強い。こころよい。自信があり、打ちくつろぎ、そして平和である。私は健康かつ富裕な大生命力である」