Shun Daichi
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第一部

4. 信じることの魔術
 
人が、職を見つけることができないと信じたとします。その信じたことが当たっているか否かは別として、そう信じたことだけでも、すでに職を見つけるのを妨げる強い力となっていることは疑えません。この人は職がなければ家族を養うお金がないのを承知しながら、しかも職を得る希望を持つことを恐れていることになります。すなわち職がないと信じているのです。彼が求め、またどうしても手に入れなければならないものを得られないと信じているのです。否定的なことに深い信念を置き、自分の力のなさ、不完全さに信念を入れているのです。職にありつけないことを、また大生命力に向き合うことができないということを信じているのです。
 
肯定的な信念・否定的な信念
 
この人が、自分は必ずしも敗北者ではないとわかってきたとします。彼がおのれを信じるのに応じて、大生命力は反応するものだとわかったとします。彼には真の能力や他に比類のない才能があるのだから、実業界のどこかできっと彼を要求していると思ったとします。また大生命力に対する彼の恐れや、彼自身についての信じ方のみが、前途を邪魔しているのだと知ったとします。もし彼が自分自身についてのこの真理を知り、それに従って行動すれば、大生命力の威力はもはや彼の要求に逆らっては働きません。彼が自らについての真理をますます深く知ってくると、彼の信念は否定的から肯定的に変わります。彼自らへの信念、また彼の力量への信念が変わるに従って、体験の世界も確実に変わります。こういう方は、今まで以上に信念を持つ必要はありません。彼がすでに持つ信念の方向を転換すればいいだけです。消極的な信念が善いことを彼から押しのけていたのですが、積極的な信念が善いことをもたらし、善いことの方向へ彼を近づけるのです。
 
ある日一人の男が机をへだてて私と向かいあい、仕事が見つからないと訴えました。彼は何ヶ月も無職で、妻との間には3人の子供がいました。彼は落胆しきっていました。私は励まして、生きている以上彼のための場所はある、大生命力の中には望ましくない、または必要でないものは何一つないということを認めさせました。彼をたよる家族がいるのだから、その人たちの必要からも彼の苦難にはきっと解決があるということを、わかりやすく述べました。彼が職を求めるのと同じように、彼を求める雇い主はきっといる。その上もし彼が大生命力の理知の力に導かれると信じるならば・・・もし彼が疑うことなく内心の導きに従うならば・・・もし彼が喜んで大生命力の目的に沿うような態度に出るならば・・・大生命力は彼を導き、また励ますだろうと教えました。その一回の面談で、彼はそのことを確信しました。そして私の研究所を出ると2時間も経たないうちに、りっぱな仕事を見つけました。内心の理知が彼を正しい場所へ導いたのでした。そして、そこへ行ったとき正しいことばを語り、よい印象を与えたのでした。彼が私のところを出た時に、入ったとき以上の信念を持ったわけではなく、その信念は違った種類のものとなっていたわけです。難題は解決されないだろうという確信から、それは解決でき、またされるという確信へ信念の転換が行われたのでした。
 
信念は、私たち各自の人生の中に実在するものです。信念は、実は「心」の在り方です。宗教をすすめる人がよく信念を持てといいます。そのような命令までするのですが、その人も気づいていないのが、私たちがとっくに信念を持っていることです。信念がなければ人間ではないはずです。信念を働かせずには1時間も生きながらえていなかったでしょう。私たちの持つあらゆる体験は、善いものも悪いものも、信念を持つ能力のゆえに私たちのもとへ現れてくるのです。信念を用いることによって、私たちはみずからの天国や地獄を築きあげているのです。
 
誰しも何かを愛することと同じように、何かの信念を持っているのです。だから、誰も信念を持つように言われる必要はないのです。ただ、それをどう方向づけ、どう使うかを学ばなければならないだけのことです。おそらく私たちの持つ、もっとも大切な資産は信じる力でしょう。私たちは本能的に信じます。今すべきことは信念を否定的から肯定的へ、望まないものへの信念から、望むものへの信念へと置き換えることです。これを達成した時、「奥の聖所」の鍵を開けたのです。
 
テキサス州の一婦人から、電話をもらいました。その人の娘がサンノゼ市の病院にいるのです。医者たちは、その娘に脳出血(まひ性疾患)があるのみでなく、心臓発作も起していると診断しました。そのジェーンという娘は、ほとんど絶望状態だと告げられたのです。この娘のために私たちは遠隔の精神治療を頼まれました。この治療の仕事または科学的祈りのおかげで、私たちは母親とともに、次のように断言でき、また確信するようになりました。娘の体内の大生命力という自然の威力は、脳の組織を治す方法を知っている。また知性ある大生命力は、はじめに彼女の心臓を作ったのだから、いまでもそれを修復する方法を知っている。私たちは大生命力の理知的威力が、今や娘の全快のために働いているということを確信するようになりました。私たちの想像力の中で、今や治療が進行中であることを目に見ました。すると想像力と信念を通して、大生命力の威力は完全な修復へ向けられました。2日か3日のうちに娘は回復し、仕事に戻ることができる状態になりました。彼女本人の信念が変化したために、また肯定的なふん囲気の信念に囲まれたために、また私たちが家族と協力して、信念のふん囲気に包まれるように念じて、大生命力の法則と、この娘の魂が不滅であることを信じたために、また自然界と積極的に調和し協力したために、また否定的な心の状態を肯定的に置き換えたために、大生命力の治癒力が彼女を通じて働くのを信頼したために、また大生命力の威力を精神的な力である信念と想像力を通じて刺激したために、この娘の病気は治ったのでした。いまでは彼女はいたって健康です。自然界がどのように動いてこんな結果をもたらすのか、詳しいことは誰も知りません。しかし、大根の種からどうして大根ができるのか、私はもちろんのこと、誰も知らないのです。
 
私たちは自然界と協力して「心」を使うことをいまここで学んでいます。大生命力の中の私たちが持ちうるより善いものを、さらに多く持つ体験するためです。大生命力にはどうすれば種から野菜ができるのかを知る知恵があります。あなたのからだをどうすれば直したり、修復したりできるかをこころえる知性の力があります。自然界は農夫の信じることに沿って収穫をもたらします。もしも農夫が収穫に信念を持たなければ、彼はそもそも種を蒔かなかったでしょう。そして彼は雑草を収穫し続けただけでしょう。農夫は結果に信念をおいて、農作物を育てるのです。ジェインという娘が全快するということには、あらゆる外観がそむいていたことは指摘されるべきです。もし彼女や彼女を囲む家族の人々がものごとの外観に支配されていたならば、彼女の全快に信念が持てなかったでしょう。もし彼女や家族の信念の方向が直されなかったとしたら・・・もし誰かがどこかで、人々一般の信じ方や体験を飛び超えるようなことをしなかったならば・・・もし私たちが外観を超えてかなたを見なかったとしたならば・・・彼女は今日まで生きて健康ではいられなかったでしょう。私たちは偉大な教師であるキリストや仏陀、その他の哲人に、物事の外観にとらわれるな、と戒められています。 
 
信念とは何か?
 
信念は確信であって、知的な一つの認識です。信念は、五感が私たちに告げるものよりも高いところに昇らなければ得られません。なぜならば、五感が伝えるものは物質界の外観だけだからです。信念は、確かに否定的でも肯定的でもありえます。しかし病気を治したり、キリストの言った「山をも動かす」ような信念は見ることもできず、今日では証明もできない何ものかについての確実性です。エマソンは、彼が見、また体験したすべては、彼に見えないものへの信念を持たしめたと言いました。誰でも肉体の五感が示すものだけに頼って推理する人・・・あるいは知ることの唯一の方法は、見て、聞き、味わい、嗅ぎ、触れることであると信じる人・・・は、外観にこだわった人です。
 
人間そのものの本質も、見えない何かです。生命も見えません。人間の生命は物質ではありません。大生命力の行ないが終ったことならば、私たちの目に見えます。人それぞれは真の霊的な自己をふりかえり、自分自身を発見し、その実体を知らなければならないのです。その人は自分自身と知り合わなければならないのです。大生命力の自覚ある一点としての人間には、いかなる事態にあっても何をなすべきかを選ぶ力があります。そのゆえに五感を通して感じるような、外界の何ものかの征服下や支配下にはいないのです。
 
私たち自身が、この見えない本質のものだ、ということを疑う人もいます。彼らは、見、聞き、触れ、味わうか、嗅げるものでない限り、なにものをも信じないと言います。しかし、愛は誰も触れることはできなくても実在することを私たちは知っています。誰しも見たことはなくても、「心」が実在することも知っています。また、至るとことに満ちあふれ、いたるところで燃え上がろうとしている大生命力を試験管に入れたり、ものさしで測ったりはしないけれど、大生命力が実在することを知っています。それらは見えないとしても、皆実体しています。私たち各自はからだを介して行動する見えない実体です。あなたは声帯を使って私に話しますが、あなたのからだや行動は、あなた自身を表現する手段または道具にすぎないので、実はあなたの魂が私の魂に話しかけているのです。
 
見えない本質を自覚せずに生活する人は、五感が告げるものをもって全てを計量し、物質的なものにのみ関心を持ちます。そういう人は事物の外観の影響のもと、また支配のもとにあることをみずから感じています。
 
あなたや私が病気や貧乏などの外観のものから逃れることができるのは、生きた信念によってのみです。病気や貧乏などは体験には違いないですが、実在ではないのです。私たちは周囲のいたるところに否定的な恐ろしい力を見ます。生きるということの仕事に成功し、平和であるためには、今まで私たちが有限だと考えていた自分の力よりも、いっそう大きな力や知性の中に、どっしりと腰をおろしている自分を知らねばなりません。
 
私たち個人の一生のなかで、物質的なものは何もかも失敗で、物的性質のものは何一つ私たちの苦難を解決してくれないように見える時代がいつか来ます。苦難に対処して生き残るためには、私たちは何か実のある永久的なもの、何か私たちに永劫の感じを与えてくれるものの中に、どっかと腰を据えた感じが必要なのです。私たちは実は非物質的で、計量などはできないけども、しかし実在であることを知らなければなりません。大生命力が存在するのだから、私たちは実在する。大生命力が不滅だから、私たちも不滅である。私たちの本質は神性で、限界なく、不滅であると知らなければなりません。私たち自身について、この根本の基礎的な真理を知れば知るほど、私たちの考え方はいっそう自由かつ限界なきものとなります。
 
エマソンは、「個人に価値を与えるのは、普遍的なものである」と言いました。いたるところに満ちあふれる普遍の大生命力がみずから個性化して、私たち個人となったのだから、私たち個人は、個人の形をした普遍の大生命力だ、と彼は説いたわけです。私たちはこの普遍の力を自由に使えるのです。だから私たちに個人として価値と恒久性を与えるのは普遍的なものなのです。もし私たちが一つの大生命力(一つの力や知性)であって、限界なきものと同じなら、私たちが健康と成功と繁栄を体験する可能性も無限だということを信じなければならなくなります。
 
現代の偉大な心理学者の一人であるユング博士は、30年間の経験において、信念に立ち返ることなしに神経症が治療されたというためしを知らないと言いました。心配や否定的信念が神経症の根底なのですから、これは容易にわかることです。もとより、このすぐれた医者は、私たちにある具形の姿ある神を信じるような特殊な信仰にかえれと言ったのではありません。彼の患者は、全世界のあらゆる宗教グループから集まってきたわけで、全てを代表していたからです。私たちが完全に信頼をおけるなにか根拠の確かなものを見つけなければならないというのが彼の真意です。私たちは大生命力の誠実さと完全無欠さや、自然界の法則などに信念を置かなければなりません。そして健康で幸福に成功するための才能も能力も、体内にあることをしらなければなりません。
 
これは私たち各自にとって、何か親しみがあり、非常に近接的で、何かに挑むような刺激を持つことかもしれません。あなたは何か異常に悪い体験や災害、損失などに苦しんで、何もかもが暗黒になったようなことがあるでしょうか? 世界がひどく悪く見え、否定的になったでしょう。なんとか我慢して、できるだけ元気に暮らしていこうと決心したことがあるかもしれません。おそらく世界は悪魔が作ったのだろうと、あなたには思えたかもしれません。そうだとすれば、もちろんこの新しい思想、考え方、信念の新しい在り方だけが、あなたを救えるのです。何か新しいものが心に入ってこなければなりません。何か、今までの体験を超越するものがなければならないのです。もっと積極的な考え方をし、より大きな、より鮮明な思いを抱かなければならないのです。不幸な体験よりも、あなたをずっと上方に持ち上げるような何かが、体内にあることを信じなければならないのです。
 
見えるもの、触れられるもの、味わえるもの、聞こえるもの、嗅げるも以上のものが、私たちや大生命力のなかに存在するということを、信じる必要があるのです。私たちは自分のからだ以上のものであると知らなければなりません。私たちは、ものの内部にある原因の世界や、思考と理想と動機の世界に目をつけることを忘れがちです。そして、からだのことにのみに専念し、まじかの環境や事態の外観に没頭して、目に見えない精神や魂の価値を過小評価するのです。
 
同じ家族の二人の人が、一人は病気でもう一人は健康、一人は成功してもう一人は失敗というようなケースをご存知でしょう。彼らの肉体は同じような食物を食べているのに、一人は健康、もう一人は病気なのです。一人は損失の体験を持って敗北者となり、失敗の状態を続ける。みずからを出来損ないだと思って、失敗の一生を送る。もう一人は同じ体験をしても、それを持って激励の種とし、新しい思索の高さへ自分を引き上げ、それに続く成功へ火を燃やしていく。普通の人の体験の世界以上のところへみずからを持ち上げた人は、自分自身について何か見えないものを信じた人で、それが失敗の体験よりも上のところへその人を引き上げてゆくのです。これら二人の体験の相違は、彼ら各自の信念の在り方に基づくのです。
 
大生命力や「心」や魂の目に見えない威力について、あなたは早く自分なりの結論や信念に到達するべきです。見えないものは、見えるものと同じく現実です。あなたの信念は、あなたの手や足と同じく現実です。あなたの愛は、あなたの心臓と同じく現実です。あなたの幸福は、あなたの消化器官と同じく現実です。
 
完全に生物学的水準のもとに生きて、見えるものだけを信じるならば、あなたは単に人類のうちの一人にすぎません。それは普通人の水準をもって生きることで、ある時は病気、ある時は健康です。またある時は貧困、ある時は経済的に裕福です。人間としてありふれた体験が、あなたの体験の世界です。
 
からだの水準によってのみ生きる人、あるいは感情の水準によってのみ生きる人も、体内に人間的体験の外に持ち上げるような威力があることを知りません。五感が送りこむ知らせを超えるような、いっそう高い水準を知ってのみ、体内の威力がわかるのです。
 
外観のみに生きるときは、あなたの身のまわりの物事を力を用いて押しまわす必要があります。物事はとても大きく見え、それと比べるとあなたはとても小さくて、自然に心がくじけて挫折感におそわれます。この挫折感を克服するには、あなた自身についての別の考え方を身につけなければならないのです。
 
あなたは信念を変えられる
 
私はアパート家屋の所有者のことを思い出します。彼女の持つアパートの二つが、一ヶ月以上も空き家であるために、この家屋が人手に渡ってしまうだろうと彼女は心配しました。広告も出しました。アパートを探す人が見には来ましたが、何かの理由で借りてはくれないのです。この苦境を彼女は私にこう語りました。
「サンフランシスコには、たくさんの空いたアパートがあります。私のアパートよりもずっといい、立派なものが多いのです。実際のところ、私が提供するのを誰かが借りなければならないという理由は、実はないわけでしょう」
そこで私は彼女に聞きました。
「その家は、あなたの所有ではないのですか?」
彼女は「私のです」と答えました。
「もちろん私の所有ですが、抵当に入っていて、毎月の支払いの他に私の生活費を出すのには、アパートが満室でなければだめなのです。私はそれに頼っているわけです」
「何人の借り手が欲しいのですか、グリーンさん?」と私。
「二人です」と彼女。
「では」と私の意見を述べました。「ここサンフランシスコはかなり大きな都会です。二人の借り手といえば、そんなにたいした数ではありません。あなたはここの立地とか、アパート家屋の大きさとか、建築の様子なんかが気に入って、それを買われたのでしょう? 買った時、それがあなたによいと思い、そのアパートのよさに十分の信念を置いていられたのではないのですか? それをいっぱいにするだけの借り主がつくためには、こんな家がよいと思って買われたのではないですか?」
彼女は、しばらく考えてから言いました。「ええ、そうです。買った時は信念を持っていました。でも、今はその信念がぐらついたようです。」
家の状態は昔と変わっていないのだし、彼女の求める借り手はわずか二人であることを指摘して私は言いました。「この大都会のことですから、この場所とか、あなたが貸そうというアパートの型を好むような人がきっと二人ぐらいはいるでしょう。ここに、一緒に座りましょう。そして、ニコニコ顔の借り主が引っ越してきて、新しい住居に満足し、家賃も手頃で、まさしく彼らが求めたアパートだと喜ぶ姿を、今ここで心に描いてみましょう」
彼女はそれを心に描いて、そして信念を変えました。事実、彼女はとても熱心になり、その新しい借り主を迎えるために飛んで帰りたいというほどでした。別れるとき私は注意しました。
「無理をして急いではいけません。あなたは、いつも正しいところにいるのです。内心の知恵に導かれていることを忘れないでください。もし誰かがあなたの留守に訪ねて来たとすれば、その人は再びやってくるでしょうから」
彼女は落ち着きましたが、無駄な時間を過ごすことなく家に帰りました。家について一時間とたたぬ間に誰かが訪ねて来て、二階のアパートをみて大喜びだったそうです。ちょうどその人の希望にぴったりで、その場で話を決め、家賃を払っていきました。その後の三日間に三人もの借り手が最上階のアパートを見に来て、彼女がそれを貸してしまった後もまた別の人が来て彼女のいう家賃よりも25ドル余分に払うからぜひ貸してくれと一目見ただけで言ったそうです。彼はちょうど彼女が所有するアパートのような、家庭的な雰囲気の静かな場所で湾を眺められる家をこの地域じゅう探し歩いたが、このアパートを見つけるまではどこにもそんな家はなかったと語ったそうです。だが彼女はすでに約束をしてしまったあとなので、残念だがお貸しできないと断ったそうです。
 
これは奇跡の物語ではありません。これについて超自然的なことは一つもありません。この婦人は、その心を変えた・・・彼女の信念の在り方を変えただけです。アパートを借りるように世間の人々に強いる必要はないと悟ったのです。それには力はいらない、心配しても役に立たない、たんに信念を変えることだけが必要だったのです。彼女が持つアパートは、サンフランシスコ市のどのアパートよりも、ある人にとってはよりいっそう魅力的だということを、理解さえすればよかったのです。そうすると、いつも必ず即応してくれる大生命力は、その信念に応えてくれたわけです。あたかも彼女が前に、彼女のアパートが良くない、他のアパートの方がもっと魅力的だと信じていたことに反応したのと同じだったわけです。
 
信念を変えると、体験が変わる
 
あなたの信念のとおりに、あなたに、なされます。あなたの信じるものを変えれば、あなたの体験の世界が変わります。大生命力は実在します! しかしあなたはそれを見ることはできません。大生命力はあなたに見えないし、信念も見えません。しかし、大生命力が信念を通じて行うことは、あなたに見えます。確証を見ることができるのです。信念はあなたの「心」よりも真実性が少ないとはいえません。信念は「心」の一つの在り方だからです。あなたの動機も目に見えず、非物質的なものです。人間の真の本質も見えないものです。あなた自身について、そのことが真実だと心に留めると、あなたは本当に破壊できない不滅のものだと悟るでしょう。あなたはもはやからだや環境、あるいは身辺の出来事の奴隷ではありません。あなたはもはや外界からの競争の支配下にはない。あなたの強みや力の全ては、見えないものへのあなたの信念からくるのです。強いと信じなさい。そうすれば、あなたは強いのです! 疑うならばあなたは弱いのです!
 
私たちが実体の物質的水準よりも上にあるものや遠くにあるものに頼り、かつそれに信念を置くのでない限り、私たちの頼りになるものはほとんどないでしょう。私たちの大多数はあきらかに考えることにブレーキをかけ、想像力の前途に石ころを置いています。私たちの思考からブレーキをはずし、想像力から障害を取り去れば、私たちは自由です。
 
信念の新しい状態は、意志の力を使ったり、拳を握りしめたり、額にしわを寄せたりしてできるものではありません。信じるようにみずからを強いてできるものでもありません。自動車のタイヤのようには信念はふくらみません。合理的かつ論理的な基礎を信念の下に置いて、それからそれを真実として行動するのです。たびたび人々が私にこう言いました。「このことは、知識としてはわかります。私の理性はそれが真実だと告げています。しかしそれを感じ、かつ行うとなると難しいのです」
 
非常に聡明な人が、かつて言いました。「働きを伴わない信念は死物である」と。その言葉の完全な解釈は、あなたの信念は、それに働きかけないと死んでしまうということでしょう。信念は働かすことによって活発になります。「私が在るがごとくに行動せよ。そうすれば私は在るだろう」です。大生命力が満ち溢れ、いたるところで燃え上がろうとしているこの周囲の世界は、愛と即応の世界であり、大生命力はあなたを助け、あなたに関心を寄せていると信じるならば、そのときは、そのように行動しなさい。そうすればあなたは平和の中にあるでしょう。
 
大生命力が滅ぼされることはないと、理性があなたに告げるならば、そして大生命力の化身であるあなたが無に帰することはない・・・すなわちあなたは破滅させられないと理性が告げるならば・・・そのときは信念の下の基礎として不死ということをおきなさい。そのうえで、あらゆる手段をもって、あなたが不滅の人であるように行動しなさい。確かに、あなたはいつかまた一つ別の体験の世界に入って行くでしょう。しかし、あなたはなおも存在します。もしあなたが不死ならば、ほんとうに死ぬことはないのです。だからあなたは今ここで、問題に向き合うほうが良いのです。それを将来のいつかに引き伸ばすよりも、いま解決する方がはるかに良いからです。あなたがもし真にあなた自身の不滅を信じるなら、あなたは死ぬ用意などしないでしょう。生きる用意をするでしょう。あなたの一つ一つの行動や、一つ一つの思考は、あなたを少しずつ変えていく、と分かるでしょう。だから、あなたの不死の未来を考えて、あらゆる思考や行動を注意深く選ぶでしょう。
 
恐れや否定的な信念は、あなたの「心」の一つの在り方です。信念は理解や理性を通じて変化させたり、方向を変えたりでき、そしてその信念を行動によって保つことができるものです。大生命力は、あなたの希望にではなく、あなたの信念に反応します。あなたの信念が、あなたを作ります。それは、なんかがあなた自身と同一であることを認めたものです。だから、あなたの信じることは真であるとして行動しなさい。それが真であるとして行動すると、あなたの体験の中でそれは実際の事実となります。偉大な教師キリストは、「なんでもあなたの欲するものは、祈るときに、それをすでに受け取ったものとして信じなさい。そうすれば、それをもらえるのだ」と言いました。彼は法則を述べたのです。大生命力は信念に・・・あなたが想像力の中に描く絵に反応することを説いたのです。それは、あなたの確信・・・あなたが本当に信じることに従って、あなたになされるのです。あなたが信じる限り、あなたの人生において、それは生命の宿るものとなるのです。
 
聖書の中のヨブという人物は、多くの損失、傷害、憂慮、挫折ののち、「私が大いに恐れたことが、私にふりかかってきた」ことを発見しました。彼が信念の中に持っていたそれらの厄事、彼が確信していた事態ないしは状況が彼にふりかかって、実際に彼の体験となったのでした。
 
人生の四つの基本
 
あなたが肯定的な信念を築きあげる基礎となる、四つの基本的なものがあります。第一は大生命力・・・すなわち神の優しさ、完全さ、誠実さ、信頼性、即応性など・・・に肯定的な信念を置くことです。知的で善良な愛ある大生命力が、あなたをこの世に送ったのです。あなたをここに連れてきたからには、一つの目的があるわけです。目的をもって連れてきたからには、大生命力はあなたにも関心を持っています。そしてあなたに必要なあらゆるものをもってあなたを包んでいるということが、その関心の深さを示しています。このことを深く思考し黙想すれば、疑いなくそれを信じるようになるでしょう。大生命力は悪いのではなくて、本当に善いということをあなたは信じるでしょう。今まであなたが悪いと思っていたことはあなたが間違った選択をしたからで、善いことを間違ってそう考えたからだと気づくでしょう。大生命力は、あなたに敵対するものではなく、あなたの味方なのです。大生命力の法則やその行うことに調和するのは、あなた次第です。現代のカウンセラーたちは、あなたがどういった神を信じるかに大変興味を持つでしょう。なぜならば、あなたが大生命力を恐れるか、あるいはそれに肯定的な信念を持つかを知りたいからです。大生命力に信念を持つならば、あなたの苦悩は解決できるからです。
 
第二に、あなたは偉大な人間だということに信念を置くべきです。そして、神性を持つ大生命力が人間として個性化し、また人格化したのだから、人間という偉大なものができたのだと認めなければならないのです。もしも大生命力の化身であると知れば、そして体内に大生命力のあらゆる能力が備わっていて、あなたの自由になるのであり、それらの能力をいかに選び、それらの特性をどう采配するかについて力を持つと知れば、あなた自身に信念がおけるはずです。この信念をみずから持てば、他の人々も根底においては善であるということがわかるでしょう。みずからに信念を持てば、他の人々に対しても信念がおけるでしょう。あなたは、力の及ばない体外からの何かの力で操作される機械ではない、ということがわかるでしょう。あなたは選ぶ力を持つ自由な存在で、どこへ行くか、何をするかを選べるとわかるでしょう。もし、自分を単なる機械だと信じるならば、あなた自身をも他人をも、高く評価はできないでしょう。あなたは単なる肉塊ではありません。不滅の魂です。となれば、あなた自身をいかに信じるかによって行動するでしょう。他人とも、その信念に従って応対するでしょう。当然これは、自身について信じるように他人からも待遇されることを意味します。もしも自分を価値なきものと見るならば、他人も同じくあなたをそういうふうに取り扱うでしょう。もしも自分を下等なものだと思えば、下等に行動し、他人もまたあなたを下等な人と考えるでしょう。もしも自分は立派な人であって、大生命力が自分によかれと働き、自分は重要なのだと考えるのならば、自動的にそのように行動し、あなたが占めているその場所も大切なものとなるでしょう。
 
第三に、あなたは大生命力の法則について、肯定的な信念に到達しなければなりません。言葉を変えれば、運不運へのあらゆる信仰を捨てなければなりません。近代の科学者が私たちに示すのは、この宇宙には法則の行われないところは一つもないということです。運不運を信じる人は、不幸の風が吹くがままに任せる人です。大生命力の法則は彼に役立ち、そして彼がそれを使えると知る人は、直ちに彼の運命を方向づけ、また統制できると知ります。何もかも来るがままに受け取るべきで、あなたはなんらそれに手を下せないと信じるのですか? それとも大生命力の流れの中へ、みずから新たな原因を注入でき、おのれのために新しい思想を受け入れ、そして新しい体験を持つことができると信じますか? 
 
それから第四に、あなたは人格の不死を信じなければなりません。他界しても、あなたは生き続けると信じなさい。これは実用的です。なぜならばもしあなたがつねに生きるのだ、死は終わりではないと信じるならば、あなたが抱える難題に、いつかは対処しなければならないのであり、将来いつかよりも、今すぐ対処するがいい、早ければ早いほどいい、と常識が告げるからです。
 
いまより以上の信念を手に入れる必要などありません。いま持つ信念の方向を変えさえすればいいのです。先の四つの基本のこと・・・神・人・法則・不死・・・に肯定的な信念を置けば、あなたは何に対しても否定的な信念を持つようなことはありません。なぜならば生涯におけるあらゆるものや、あらゆる事態は、なんらかの方法でこの四つの基本事項にあらわれているのですから。
 
数年前のこと、私は成人男性のクラスに生きるための科学を教えていました。現役の実業家やビジネスマンのクラスでした。私たちの質疑応答は、よく信念をめぐっての問題になりました。ある夜、請負業のビジネスマンが、クラスの中に立ってこう言いました。「私は今まで一生を通じて、私に信念がないからダメなのだと思って過ごしました。私は努力しました。苦しみました。そして信念を求めて祈りました。いま、やっとわかってきました。私が今まで持っていた以上の信念を求める必要はないのですね。私に必要なのは、いま持つ信念の方向を変えることだとわかりました」
 
根本を言えば、あなたに必要なのは大生命力そのものに肯定的な信念を置くことです。あなたは大生命力なのですから、他の人々もあなたと同じく大生命力で、全ての人は同じ大生命力によって支えられていると常識的にわかるでしょう。あなたは、その大生命力が善か悪か、友か敵かを決定するべきです。あなたはそれを見るがごとくに体験するのです。
 
あなたは大生命力で、いわゆる神なるものは大生命力ですから、あなたは神性ある大生命力です。もしもその大生命力に、その正直さに、その信頼性に信念を置けなければ、あらゆる人の中であなたはもっとも不幸な人です。ですが、大生命力は信頼でき、あなたに応答してくれます。頼りさえすれば良いのです。毎時・毎分それに頼っていいのです。
 
大生命力は宇宙の万物になります。私たちには選択する力があるのですから、また「心」や大生命力の法則を使うのですから、大生命力が成りうるものの何もかもを、私たちの体験の中に持って来るよう採択できるわけです。人はだれでも無限の大生命力に信念をつなぎとめることができます。その体内には神の国があるからです。私たちは無限の実在の中に腰を据えていることを知ることができます。そしてその事実が真であると知るとき、あらゆる限界から解放されます。
 
あなたが大切な人であることを知ると、また目的を持つと知ると、目先が真っ暗だというあの不幸な病気が退散します。生活がばらばらに崩壊しているうちは、あなたは無目的です。あなたは一つのまとまった塊となり、一つの方向に歩かなければならないのです。うしろを見ながら前へ進むことはできません。同時に複数の方向へ飛び去ることはできません。たとえできたとしてもなんの意味もありません。
 
大生命力に肯定的な信念を置くと、力弱くかつ満ち足りないという感じが癒されます。無限の大生命力や無限の威力とあなたが同じものだと知って、どうして弱さを感じることができましょうか? なにから何にいたるまで無限に応答し、要求を満たしてくれる大生命力が、あなたをここへ連れてきて、また力づけてくれていると知ると、人類最大の呪いである恐怖感や否定的な信念から癒されるでしょう。幸せな暮らしのためには、信念の方向を変えることがとても大切です。
 
あなたは毎日、毎分、信念によって生きているのです。満ち足りた肯定的信念を持ちなさい。そして深く信じるままに行動しなさい。もしもダイナミックな信念を持ちたければ、行動が必要ですから。