Shun Daichi
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第一部
1.あなたとは何か?

  ある日曜日の朝、講演を終えると一人の身なりの良い知的に見える婦人が近づいてきて、こう言いました。「私はこのあたりの者ではなく、100マイル離れた街に住んでいます。あなたがここで何を教えているのか、とても気になって会いに来ました。そのわけは私のいとこのジョン・ロバーツが、大きく変わってしまったからです。彼はあなたの教えに接してから、半年前とは別人になりました。私は彼が何を悟ったのか知りたいのです。」
  この婦人の言ったことは本当です。ジョン・ロバーツは6ヶ月前とは全く違う人間になっています。名前も、住んでいる家も、職場も前と同じですが、今では心と体が健康になりました。彼の気質は変わり、彼を取り巻く状況は確かに好転しています。銀行の預金も増えています。彼の世界が丸ごと変わりました。つまり、彼の住む世界における体験は、奇跡が起きたかのように良い方向に変化したのです。彼は6ヶ月前には知らなかった、自分自身についての何かを発見しました。そしてその新しい知識を実行に移したのでした。
 
私とは何か?
 
  「私とは何か?」と、自分に問いかけたことはありますか? そして、その質問に対して満足のいく答えを出すことができますか? もし、幸せでうまくいく人生を生きようとするなら、あなたが何であるか、何を手がけるべきなのか、素質は何か、できること・すべきことは何か、という疑問に対して、何らかの満足のいく答えを導き出さなければなりません。
  今ここで、あなた自身があなたにとって、世界で一番重要な存在だということを認めましょう。自己保存は自然界の第一法則です。もしあなたが存在しなければ、また、宇宙にあなたとして認識される点がなければ、何かを体験する「あなた」はいないのです。あなたの世界の全ての出来事は、あなたをもって始まるのです。あなたの信じること全ては、あなたの思考するまさにその場所にあるのです。あなたの行うことや経験すること、すなわち愛、家族、金、成功、旅などは全て、意識的にしろ無意識的にしろ、あなた自身の「心」の働きから生まれるのです。驚いたでしょうか? この考えを恐ろしいと思いますか? 自分自身から離れろと教えられたことがある人もいるでしょう。自分自身は重要ではない、価値がないと教えられたのです。しかしそれは全く間違った考えです。自分自身にとって良いことを望むのは、悪ではありません。悪いのは、自分一人にとって良いことを望む場合のみです。イギリスの詩人テニスンはこう言っています。「自己尊重、自己認識、自己統制、これら三つが人生に最高の力をもたらす」
 
あなた自身を健全に表現しなさい
 
  もちろん利己的なことは、大きな間違いです。それは、他人の犠牲のもとに何かを得ようとすることだからです。しかし、自己を表現することは自然なことであり、必要です。だから私が勧めているのは自己表現であって、利己的になることではありません。
  あなたが健康的にうまく生きようとするなら、自らを健全かつ創造的に、また建設的に表現しなければならないのは明らかです。自分だけではなく他の人々に、世界に、我々を取り巻く偉大な大生命力に、健全な興味を持たなければなりません。また、あなた自身とその力、愛、情熱を惜しみなく注がなければなりません。これが自己を表現するということです。しかし誰でも持っていないものを与えることはできません。ポケットにお金がなければ、必要な人にそれを与えることはできません。腕に力がなければ、倒れた人を起こすことはできないのと同じことです。
  世界で最も偉大な教師と知られるキリストは、もし善良で幸福でありたいのなら(神の国に近づきたいのなら)、あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさいと教えました。この教えは自分自身を愛するなという意味ではありません。自分自身のためを思うのと同じくらい、他人のためを思うべきだということです。人が自分自身を第一に考えてしまうことは当たり前で、正しいことでしょう。しかしだからこそ、そんな自分のように他人を愛するよう努力すべきなのです。自分自身と折り合いをつけなければ、他のあらゆる生命と折り合いをつけることはできません。自分自身を愛して初めて、他人を愛することができるのです。もしあなたが人生に真価を見出し、他人に感謝をしたいと思うならば、まず自分自身に価値を見出し、尊重しなければならないのです。自分を信じない限り、他人を信じることはできません。神をも信仰することはできないのです。
  あなたは明らかに、大切な人です! あなたは何でしょう? あなたが「私」というときに、指しているものは何ですか? 「私」という言葉であなたが述べているのは、あなたの心でしょうか、からだでしょうか?あるいは感情、日常の出来事、仕事、家族でしょうか? あるいはあなたの経験を指しているのでしょうか? あなたの心や肉体、感情、日常の出来事などは、「私」が使ったり、経験したりするものではないでしょうか? あなたは、からだだけがあなたではないことを本能的にわかっています。だから「私はからだを持っている。私はからだを使う。」などと言うのです。つまり、あなたは自分が肉体ではないことを知っているのです。
  ところが、肉体が自分自身であると間違って信じている人々もいます。そう信じて、彼らは肉体や物質の観点から全てのことを決めてしまいます。このような人々は、からだの内なるパワーを知らないのです。彼らは本当の自分に気づいていません。肉体が自分自身だと信じ、からだの要求に支配されています。肉体が食物、寝床、快感を求める声に応ずることに、大量の時間や努力を使っています。彼らがからだをコントロールしているのではありません。彼らにとってはからだが一番重要なので、からだが彼らを支配しているのです。
  確かに、肉体は私たちのごく身近にある住まいです。私たちが自分自身を表現するとき、主に使うものでもあります。からだは私たちに要求をしますが、逆に私たちもからだに要求します。信じさえすれば、私たちはからだをコントロールすることができるのです。
 
あなたは感情か?
 
  ある人々は、自分自身が感情、すなわち愛、憎しみ、恐怖、信仰心などであると信じています。彼らは自分自身の肉体が感情の支配下にあって、それに服従するのだと考えています。彼らはからだが感情に反応することを知っているので、感情そのものが自分自身であると信じ、感情をコントロールしたり司令したりする力が自分にあることに気づいていないのです。感情が自分自身であると間違って信じて、感情の観点で全てを決めてしまうのですから、彼らもまた奴隷——感情に服従する奴隷なのです。
 
あなたは知的存在か?
 
  また、自らを知的な存在だと信じる人々があちこちにいます。彼らは理性をもって感情をコントロールし、その感情をもってからだの機能に命令し統制することを知っています。その人は滑らかに動く効率のよい機械かもしれませんが、理性と便宜主義の奴隷なのです。確かに非常に効率のいい金もうけの機械ではあるでしょうし、創造的な芸術の分野でも成功するでしょう。しかし彼は、自分が他の、もっと優れた何かであることに気づいていません。つまり知的な心(=「心」)を使う大生命力の中の一点であること、それゆえにどう考え、どう「心」を使うかを選べる存在であることを知らないのです。彼は自分の理性というものがそもそも、「心」の機械的な働きにまさる、彼の中の「ある一点」に支配されているとは思っていません。この全てを統制する一点を、「魂」と呼ぶことにしましょう。
 
あなたは霊的存在か?
 
  自らを霊的な存在だと認識している人々もごくわずかですがいます。魂の定義は、「自分自身にめざめた力」です。自分自身について、より深く根本的な真理を知る人は、おのれにめざめた一つの点であって、大生命力の中の、意思選択できる一点であることを知っています。また、その人は意識的に、「心」を考えるべきことに向かわせることのできる、自らにめざめた完全体であることも知っています。その人は「心」に、解決すべき問題やなすべき仕事を与えることができるのです。
  しかし、意識的に「心」の働きをコントロールできる人はごく少数です。ということは、完全で満足のいく人生を送っている人はごく少数だということです。知力と推理に頼る「心」の働きをもコントロールするこの部類の人たちは、感情を統制し、肉体をも統制します。自分の運命を操り、自らの魂に対しても指令者です。これらを行う才能や威力に気づいた人は、権威ある地位についたのです。自分自身を支配したからです。その人はまさに自分の家の主人として王座につき、「もっとも高い秘密の場所」に住み、そこで生活します。自己の世界に君臨する支配者となるのです。
  人間は、自分自身のことを真に理解し、自由意志の完全体であると知り、自らの「心」に命じて感情を統制し、からだを使いこなせるようになるまでは、眠っているのと同じなのです。そのような人は自分の人生という船を動かす力に関心がなく、忘れてしまっているのです。結果的に、自分自身の経験をコントロールできる力に気づいていません。自分自身について真に理解して初めて、自分の経験や自分の世界の上に支配力を及ぼすことができるのです。
あなたが「私」という時に指す一点は、「意識する生命」の定義しがたい非物質的な点です。それは、あなたが選択や決定を行う中心点です。その中心である「私」が、何らかの目的に向かって「心」を使うということを意識的かつ慎重に選択するのです。そして生命の創造的働きをつかさどる「心」が、あなたの感情(原動力)とからだ(物質的道具)に指令を出し働かせるのです。
  キリストが生まれるずっと前、古代ギリシア人はデルフィに新築した寺院の銘を刻もうとして、ソクラテスの「人よ、汝みずからを知れ」という言葉以上にぴったりなものはないと考えました。確かに私たちは自分自身についてできるだけ多くを知らなければなりません。そして、自ら使う「心」という道具をできる限り理解しなければなりません。また、私たちが方向を与える感情の力についても知らなければなりません。そして、私たちが住む世界についても知り、自分自身を十分かつ健全に表現できるようにしなければなりません。
  私たち自身がものすごく重要であることは間違いありません。大生命力はその一部分を分けて私たちを創造し、自己表現のための固有な手段となるよう一人一人を独特に形作ったのです。人はそれぞれ平等に、途方もなく重要です。世界に全く同じ人間は存在しません。全く同じ考えを持つ人も、同じ動機や背景を持つ人もいません。全く同じ方法で人生を表現する人もいません。実のところ、全く同じ指紋を持つ人もいません。二つの雪の結晶が同じ形であることもないのです。
  あなたは歴史上のいかなる人物とも違うのですから、その重要性を感じ、認めるべきです。大生命力が何か一つの目的のためにあなたになったのだということ、またあなたが全世界でほかの誰も占めなかった場所を占めていることを知ると・・・大生命力の全ての力、質、機能があなたになったと知ると・・・自己感謝や自己尊重の深い感覚がきっと湧いてくるでしょう。そして生きることに意義を見出し、人生の目的を実現するようになるのです。誰しも健康で幸福に生きるためには、自分の真価を知り、自分を尊重しなければなりません。
  私たち一人一人は大生命力が人となったものです。私たちは人間の形をした大生命力です。だから誰しも、自分の中に大生命力の知恵、力、才知、表現の道具などをすべて持っています。大生命力の豊かさは、全て私たちに良いように、つまり私たちが使うために注がれているのです。私たちを取り囲むのは良いものばかりです。人はそれぞれ大生命力に働きかける方法と道具を持っていて、自分の人生に望むものをもたらすために使うことができるのです。その道具とは「心」です。あなたは考える時、「心」を使っています。「心」は大生命力の偉大で創造的な原理であり、道具であり、仲介者なのです。

あなたは自分の運命を描ける
 
  私たちはみな、何を持つか、何をするか、どうあるかなどについて、自分の運命をどこまでも描くことができます。この考えは一部の人々にとってはショックかもしれません。そういう人たちは、自分自身、つまり自分が本当は何であるかを理解せずに、落ち込んだり挫折したりしているからです。彼らはむしろ、選択や決定の責任を、両親、兄弟、夫、牧師、友人などに負わせたいと思っているのです。しかし、たとえ彼らにとっては驚きだとしても、私たち一人一人が大生命力そのものの化身であることは事実です。私たちが自分自身に、また私たちが属する大生命力に誠実であろうとするなら、自らの人生をどう生きるかについて選択する責任を拒むことはできません。
  残念なことに、多くの人はおのれを理解せず、自分自身について知りたいとすら思いません。彼らが選択を行う時に、実は選択をしているのは大生命力(無限の生命力)であることを知らないのです。彼らが使う「心」は、実のところ「大生命力の心」であることを知りません。彼が決断を下すごとに、その背景に大生命力の知恵と力が働いていることを知りません。
  経験の世界のあらゆる可能性のうちから、私たちみずからなにを経験するかを選ぶことができるのです。なにも他人に選んでもらう必要がないと知ると、わくわくしてくるはずです。私たちはみな大生命力の、自覚した選択ポイントですから、私たちは、自分自身とその力を完全に自覚しているべきです。私たちは自ら決断でき、恐れたり躊躇したりせずにそれに従って行動できるのです。この選択する力が私たちを個性とするのです。つまりみずからの神となるのです。そしてその選択が、私たちに何が起こるか、未来がどうなるかを決めます。幸福になるか不幸になるか、成功するか失敗するかを決めます。
  私は一人の女性を思い出します。彼女は今や輝かしいばかりに幸福で、やりたいことをして成功しています。この人が、初めて私のところに来た時の姿が目の前に浮かびます。彼女は致命的な問題に苦しんでいたため、勧められて来たのでした。体も心も泥まみれのようで、計り知れない精神的苦痛に苦しみながら、こう言ったのを覚えています。
「私に気力があれば自殺します。もう生きていられません。」
  正直なところ、この女性のどこから手をつけていいかわかりませんでした。なぜなら彼女には手がかりとなる気力も信念も欠けていたからです。私は一種のショック療法を用いて、死ぬのに勇気はいりません、と告げました。彼女に欠けているのは生きる勇気でした。人生がとても楽なものだったら、生きる苦労も楽しみもない、と私は言いました。楽ならば勇気も「思い切り」も必要ありません。この「思い切り」という言葉が、彼女の気を引いたようでした。彼女は自暴自棄になっており、悲劇的な状況を、神や、他人や彼女の手ではどうにもならない境遇のせいにしていました。しかししばらく話し合っているうちに、彼女のよくない態度や考え方が行動に表れて、それが挫折の原因になっているということが少しずつ彼わかり出したようでした。その最初の相談で、自分にも何か望みがありそうだ、なんとかなるかもしれないという気持ちになったようです。その後数日を経て、神が彼女を虐げているのではなく、彼女がみずからを虐げてきたのだと気づきました。彼女の問題を一つずつ取り出して、客観的に検討していくと、彼女もやっと筋の通った分析ができるようになりました。そして目標を立てられるようになり、彼女が信じる通りに目標の達成ができることを認めるようになりました。人生が意味を持ち始めたのです。
  このケースを振り返ってみると、彼女のために私ができたのは彼女自身を発見させるということだけでした。機会さえ与えられれば、大生命力が彼女を通して表れることができ、彼女はその完璧な媒体になれることに気づいたのです。その瞬間から、彼女は自分の中の大生命力に対し、熱心かつ活発な協力をするようになりました。その結果は、驚くべき価値と報酬を生みました。彼女は楽しい活動を見つけ、人生には愛がよみがえりました。彼女は今や成功し、愛される人です。周囲の人々に良い影響を与え、生き生きとして幸福で、熱意に満ちています。
  自分自身を理解することが、あなたに素晴らしい高揚感をもたらします。大生命力を使って何をするかはあなた次第だと知ると、やる気に満ちるか、あるいは恐怖を感じます。それは自分自身について何を信じるかによります。もし何かを恐れているなら、もし落ち込んで失望しているなら、それはあなたが真に何者であるか、つまり実は素晴らしく意味深い、大切な存在であるということを知らないからです。あなたが何をするか、何を持つか、何であるかということに限界はありません。
  私たちのほとんどが、親や教師から、望みを叶えるために自分自身の外に目を向けるよう教えられました。そのため私たちは、力や強さ、幸福を求めて外を見てきました。全ての生命のうちで、私たちにとってもっとも重要なものである自分自身に気づかなかったり、それを見ることを拒んだりしたのです。今日の西洋文化に誰よりも力を及ぼした偉大な教師が、「神の国は汝の中にあり」と説いたことにめざめるべき時が来ています。

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