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 15 自己分析と再教育
 
 この章では、あなたの自己分析のお手伝いをしましょう。あなたについて、また、あなたの難問や苦難について話し、応用心理の見地から、それらの治療処置を語りましょう。ここにこの章を置いたのは、あなた自身を能率の高い、価値ある重要な人物として、完全に明瞭に見るためです。
 あなたにあらゆる方向から、できるだけ多くの光を当てて、あなた自身を理解し、難問が生じる理由を見て、この本の第二部へ入れるよう準備したいのです。第二部では難問を除去するため、また、あなたの欲求達成のために、知的な心という偉大な道具をどう使うかの方法を示します。
 
 否定的な心は多くの病気の原因
 
 精神分析の創始者であるフロイド博士は、人間の体内にある大生命力のダイナモのように動的な力を抑圧すると、身体の病気になるか、あるいは人格上の故障が来ることを発見しました。そういう動的な力を意識的に正しい方向に向けないと、しばしば悪い通路に流れこんで、心や身体の病気をひき起こします。心の否定的な在り方、潜在意識内にひそむコンプレックスが、悪い方向へ導きます。
 さて、いかに心の中に妙な状態ができるのか、そしてそれが潜在意識内に入り込むままに放っておくと、なにが起こるかを考えてみましょう。
 たとえば、あなたが田舎の古い井戸だとします。水は上のほうまでいっぱいになっています。あなた自身が、その井戸であると想像してください。さて、その井戸の底が、無限の生命力の大海に通じているとします。大生命力の大海からの水が、その井戸を通って昇ってきて、その水面へ出て人間の体験となるのです。あなたが水を見る唯一の場所は、井戸の水面です。いいですか?
 あなたは井戸で、水面はあなたの顕在意識です。そこは、あなたが体験を意識し感知しているところです。それは意識する心とも呼ばれます。その意識する水面、あるいは心の表面のすぐ下には、潜在意識の領域があります。心のこの潜在する部分に、あなたは毎日使われる心的イメージの全部をしまって暮らしているのです。掛け算の九々の表、あなたの名、友人の名まえ、住所、電話番号など、あなたがさしあたり顕在意識で使わなくてもいいものは、そこにしまってあるのです。しかし必要なときは、それらを意識の表面へ持ち出せます。
 これら顕在意識および潜在意識の下には、偉大な水の円柱が井戸の底まで、いっぱいに広がっていて、それがあなたの無意識的な部分で、それが大生命力の大海とつながっているのです。
 
 コンプレックスは、どうしてできるか
 
 あなたは意識の表面あるいは顕在意識で、知覚をともなう体験を持ちます。たとえば、あなたが深い損傷の体験を持ったとします。家族のなかで頼りにする人を失ったとか、財産とか大切な親友をなくしたとか、あるいは身体に負傷を受けて直らないというようなことがあったとします。その記憶をあなたは潜在意識あるいは無意識の部分へ落とし入れます。その後また別の損傷を受けると、その記憶もあなたの内心へ落ちていって、さきの損傷に付着します。その後も損傷が続くと、すべての被害の不快な記憶は一団となって、自分は捨てられたと思うコンプレックス(劣等感)になります。大生命力は自分に不親切だ、そして「なにもかも、だれもかもが自分に刃向かってくる」と思うようになります。
 あなたが過失を犯したとします。それを忘れてしまおうと望み、「すんだことだ。どうにも取返しがつかない。きれいに忘れてしまって、思い出さないことにしよう」と、自分自身に言いきかせます。でも実は、それはあなたの潜在意識または無意識の部分へ落とし入れただけなのです。後になって、また別の過失をして、それを内心の奥深く落としこむと、前の過失と手を握ります。ほかの過失も、あとからあとからと続いて、すべては一団となって有罪コンプレックスができあがります。あなたは罪人だと信じます。潜在意識内に抑圧されたこういう記憶は、忘れられてしまったのではなくて、みな隠れているのです。
 あなたは自信を持って大生命力と直面できなくなり、自分は弱者だと結論し、不成功に終わったことや失業の記憶を潜在意識に送りこむと、あなたは劣等感というコンプレックスを持つようになります。
 解決されずに置かれたこういうコンプレックスは、大生命力による成功や幸福、あなた自身に信念を置くことの妨げとなります。
 最初の傷は、感情によって「荷電」されています。同じような体験が、最初の傷と同じところへ送りこまれ、潜在意識のなかに否定的な心の状態をつくります。コンプレックスの誕生です。
 コンプレックスは潜在意識のなかの深く根をおろした感情です。不愉快な、あるいは曲解された体験が、潜在意識内に落とされ、そこに埋められたものです。私たちは「あの体験を、もうとっくに忘れてしまった。もはやなんのかかわりもない」などと言いますが、感情は繰り返し顕在意識の水面へ送り上げられてきます。その感情の原因となった初めの体験をきれいに忘れてしまった後になっても、ひょっこり水面へ浮き上がってきます。
 田舎の古い井戸の話にもどると、井戸の底から水面(すなわち意識する心)へあがってくる清い水は、劣等感や恐怖や心配や罪障感などの否定的なコンプレックスのために、妙な色に着色されています。この色のついた水が示しているのは、病気、不幸、挫折、苦難などの体験です。私たちは、こういう体験を好まないので、取り除かなければいけません。否定が優勢になっている思考の在り方を、なんとかして信念、愛、善意、幸福などの肯定が優勢な状態に置きかえなければなりません。それによって大生命力の澄んだ流れが井戸にの底からのぼって水面に出てくるときは、透明で純粋であるようにしなければいけません。大生命力が上方に流れ出るまで、澄んだ純粋な潜在意識の状態ならば、健康で美しい流れとなるのです。
 心の潜在的な部分から傷や損失や恐怖や怒りなどのコンプレックスを掃除して浄化するには、いろいろな方法がありますが、どの方法を使うにしても、許すことが必要になります。
 潜在意識に横たわる否定的なコンプレックスは、人生の表面に浮き、汚れをつくって、客観的な体験を濁してしまうのです。私たちが平和で健康で幸福に生きたいならば、この汚れを除かなければなりません。どうすればそれができるのでしょう? それは心の在り方を意識的に変えることによってできます。しかし善い力が絶えず私たちをとおして表現されることに信念を持つまでは、私たちのからだや身のまわりのことに不愉快な体験は続きます。潜在性の深い水準のところから、恐怖や劣等感や憂うつや挫折や失敗などのコンプレックスをすべて処置し、理解し、許さなければならないのです。
 私たちは他の多くの井戸(人びと)に取り囲まれていて、中には否定的なコンプレックスを持つ井戸もあります。どうかすると、そういう井戸の水は、ひどく汚染されて、こちらへにじみ出てきて、私たちの井戸の壁を補強して防がなければならないこともあります。言葉をかえて言えば、私たちは注意ぶかく自分たちを他から絶縁しないかぎり、他の人びとの信仰などを容易に受けいれるかもしれません。みずからの意識(われわれ自身の個性)を侵されないものとしておく必要もあるわけです。
 
いかにして否定的コンプレックスを取り除くか
 
 有害なコンプレックスを、心の表面へ引き出すことができます。上から手を下して病根をつかみ、陽光のなかへ持ってきて、それを理解するのです。理解とともに、情緒的な内容のものは消散してしまうのです。これはいい処置法です。
 別のやり方は、愛や善意や信念や幸福などを、井戸の頂上から絶えず注ぎ入れることです。この方法でも有害なコンプレックスを完全に除去できます。
 たとえば、あなたが泥水のビンを持っているとします。その泥水を澄んだ清水と入れかえるには二つの方法があります。泥水をぶちあけてしまって、新たに澄んだ水を注ぎ込むことが一つ。もう一つは上の方から澄んだ水を絶えず注ぎこみ、全部の水が完全に澄むようにすることです。
 
 恐怖や憎しみを除く二つの方法
 
 愛と信念と善意とを、あなたとすべての人のために注ぎこみなさい。すべての体験を善くしなさい。恐怖や憎しみの原因を理解しなさい。
 あなた自身に怒りを持つときも、だれかが、あなたを害したときも、空想中かまたは睡眠中に、被害の記憶が出てくるでしょう。静かに座り、心をくつろげるとき、あなたを害した人のことを思いはじめるでしょう。それは自然界が、その不要で不健全な記憶を除いてしまえ、と、あなたに告げる一つの方法なのです。
 コンプレックスは、よく夢を通じてあらわれます。心の表面で起こるものはなんでも、下のほうと関係があるということを、熟練な精神分析家は知っています。表面に現れるものは、下のほうにあるものに色づけられ、影響されています。精神分析家に夢や心に思うものを告げると、連想の法則を利用して、あなたの潜在意識から否定的なコンプレックスを見つけだすでしょう。
 
 正常な本能は健全に表現されるべきだ
 
 大生命力の表現意欲は、人生の根本をなしています。種族を永続させたい欲求である、セックスの欲求、自己保存の欲求、目標達成の欲求は正常です。健康のために、本能には健全な表現を許さねばなりません。
 正常な本能は、なにも悪くありません。私たちが悪と考えるものは、善いものを誤用または逆用したから生まれます。悪徳の裏返しは善徳です。正しく理解され、方向を与えられれば、セックスの欲求は美しい家庭生活を導きます。方向を誤るか、または方向もなしに表現されれば、めんどうを引き起こします。
 正常な本能を抑圧すると健康や福祉を害します。もし健康で幸福でありたければ、すべての心からの衝動は、できるかぎり最高の水準のところで表現されるべきだということを、明瞭に知っていなければなりません。
 私たちの衝動は、もし潜在意識が罪悪感や恐怖によって支配されていたら、健康で健全な方向を与えられません。
 
 大生命力が表現する四つの面
 
 大生命力は、あなたを通して四つの方法でみずからを表現したいと望んでいます。その一つは創造であり、仕事によります。第二はリクリエイションで娯楽です。第三は、あなたを通しての愛の表現です。そして最後に大生命力はスピリチャルに、また知的に成長することを望んでいます。
 四つの枝が等しい長さをもつギリシャの十字架を思うとよいでしょう。この十字架に、あなたの人格を代表させましょう。第一枝の先端に仕事と書いた紙片を貼りつけなさい。第二枝は遊び、第三枝は愛、第四枝は崇敬です。均勢のとれた人格は、仕事でも、遊びでも、愛でも、直感でも、おのおの等しく、かつ完全に表現します。あなたが、よく均勢のとれた健全な人格を望まれるならば、これら四つの面において、健全に表現しなければならないのです。一つの枝は、他の一つと同様に大切です。
 仕事は創造的な活動です。あなたは創造しないかぎり、満足できません。一日の終り、一週間の終り、一年の終りに「私はなにかを創造した。私はなにかの役に立つ。値うちあることをした」と言うことができるのでないかぎり、満足はありません。あなたは満足な仕事、職業あるいは創造的活動を持たねばならないのです。
 遊ぶことも大切です。遊びは生命の自由な流れです。遊びは生きることの簡素な喜び(大生命力の開放)の表現です。遊びは太陽光のダンス、流れる水のさざ波、木の葉のささやき、鳥の歌、子どもの笑いです。それは表現の純真な喜びです。大生命力の歓喜(生きる喜び)以外になんの目的もありません。
 
 崇敬によって再充電する
 
 もし善くあろうとするならば、なにか理想を持つべきです。真の崇敬は、あなたの魂を充電します。それは、あなたの深い本質を表現することです。大生命力への崇敬です。大生命力に対する敬意です。あなたの魂と、あたりを囲む偉大な生命力(エマソンの言う大霊)との親しい交わりです。大生命力と一体になることです。知性や推理が成長することは、あなたの心の進展です。みずからを魂ある存在として認めるようになり、さらに大きな大生命力との合一に到達します。崇敬は、あなた自身のいっそう深いレベルの発見です。これは非常に重要なことで、なにかの方法で、なんとかして崇敬をとおして表現しないと、あなたの真の本質が抑圧されることになります。
 自分がどうかなのか想像もつかないと、いぶかる人も多いです。たくさんの金を持ち、なに不自由ないのですが、それでもどこか、しっくりこないものがあるのです。「私はみずからに満足できません。人生に満足していません」と彼が言うのを、あなたは聞かれるでしょう。それは人生の四つの面に、均勢のとれないところがあるからです。
 これはもっとも重要です! あなたは常に働いています。しかし、あなたの知るかぎり、できるかぎり最高の水準においてその活動を表現しなければなりません。最高の満足をもたらすような方法で、あなたの仕事に表現を与えなければなりません。そうでないと、あなたの内部に良心の闘争が起こるでしょう。あなた自分を尊重しなくなります。自分を好まなければ、ほとんど確実に病気になります。たとえば、もしあなたが創造的活動に興味がなければ、バクチを始められるかもしれません。それは仕事としては邪道です。いかなるバクチ打ちも、けっして幸福ではありません。バクチを業とする人が幸福でないのは、自分が反社会的であることを心の奥底で感じ、よく心得ているからです。
 同じことが遊びにおいても言えます。私たちは健全に遊ばなければなりません。不健全な遊びのあることはだれでも知っています。
 あなたがなにかを愛することも自然です。あなたの中の大生命力は何かまたは誰かにそれを結びつけます。あるいは自己愛になってすらも、なにかを愛さずにはいられないのです。あなたはまちがった人または物を愛して、苦難を体験することもできます。それは愛の邪道であっても、なおかつ、あなたは愛するわけです。
愛に健全な表現を与えることができれば、幸福です。
 崇敬にも多くの邪道または迷信が存在します。それらは恐怖、失敗、弱化、病気を招きます。
 仕事と遊びと愛と崇敬を、誤った方法で表現するままに放置することもできます。しかし、四つの面すべてに大生命力が表現されていれば、あなたは幸福で、信頼感と意義を感じます。
 
 あなた自身の図式を作れ
 
 ギリシア十字架の四つの頂点は重要です。あなた自身を分析して、どの枝が短かすぎ、どれが長すぎるかを発見してください。あなたが仕事をしすぎるか、遊びすぎるか、愛しすぎるか、崇敬しすぎるか、あるいはその表現が足りないかを見つけてください。大生命力の表現において、どこに不均衡があるかを発見するのです。
 この図式を完成し、自分に対して批評眼をむけてのち、あなたの理想的な肖像を描き、あなたがそれであるとして容認なさい。あなたがいかに生き、いかに自分を表現すべきなのか、思う絵を作りなさい。
 この理想の絵をならべて、あなたを分析し、あなたの人格に均整を持たせるには、どこを強化すればよいかを知りなさい。私の知人の医者は、患者の病状をみるよりも、患者を完全に均整のとれた人格にするには何が必要かをみて診断することを知ったと言います。これが近代的なよい診断法です。
 あなたが自分を完全な人格にしようと計画したら、何を変える必要があるかを決定しなさい。もしさきの理想を、あなただとして認めれば、自動的にそのほうへ歩んでゆく自分を発見されるでしょう。ご自分のために新しいプランを受諾されたら、あなたは大生命の偉力に新しい方向を与えているのです。
 
 自我イメージ
 
 私たちは誰でも、自分のイメージを持っています。それは私たちがいかに大生命力の中に入って行くか、後退するか、どのような見方をし、いかに行動しているかについての心の絵です。この絵は自我イメージと呼ばれます。不幸や失敗あるいは成功、病気や健康などの体験が、そういう絵の原因だと考えてきましたが今は、それは馬の前に車をつけるような考え方で、まさに逆であることを知っています。その絵は、大生命力にパターンを提供するので、大生命力は必ずそのパターンに即して動きはじめます。心に絵を持てば、それが私たちの体験を作ります。その逆ではないのです。
 あなたの心の絵は結果ではなく、原因なのです。
 
 自我理想
 
 あなたの自我理想が作られたと仮定しましょう。あなたは意欲ある、採択のできる、知的な存在です。あなたが何をしたいか、どう在りたいか、についての理想を選んだとします。その理想の絵を、あなたの新しい自我イメージとしたと仮定しましょう。心の中で、こう在りたいと思う姿、こう在るべきだと思うパターンのなかへ、あなた自身を投げこみなさい。理想を投影するあなたの部分は超自我または上位自我と呼ばれ、理想のプランや絵を創造します。これはあなたを監視する無意識的な良心でもあります。この超自我は理想の視野にそれを投影します。この新しい絵、あなたのこの新しい肖像を、理想の自己の基礎に置きなさい。そして、あなたの古い自我イメージを、この新しい自我理想で置きかえなさい。これが人格改造の新時代の技巧です。これまで持っていた自我イメージを自我理想で置きかえなさい。あなたがこれまで、これが自分だと考えていたイメージではなく、理想からあなた自身を考えなさい。あなたがその理想そのものであると信じなさい。健康で幸福であると信じなさい。仕事に、遊びに、愛の生活に、崇敬に、知的および霊的に成長してゆく生涯において、みずからを健全に表現しつつあると信じなさい。いまや、あなたは想像力を建設的に使っています。いまや、行なうべきことの思考が、自動的にあなたのところへ来るでしょう。そこで行動しなさい! もしも根気つよく、熱を入れて働きかければ、これで望みの成果が手に入るでしょう。
 小さい手帳を取りなさい。実現したいと思うあらゆるものを、仕事、遊び、愛、崇敬などという項目のもとに表にしなさい。その表を細心に調べて、その表のものが実在するかどうか、あなたにとり実在するかどうか、それらを持ちうるかどうか、また、それを持つ資格があるかどうかを確かめなさい。表を日に三回か四回読み直しなさい。そうするうちに、表にあげたものを持ち得、またあなたがそれで在りうることを信じられるでしょう。あなた自身の新しい絵を受けいれなさい。それについて黙想しなさい。あなたは無意識的にその方向へ動くことになります。あなたは理想プランを創造したのです。
 そうあると思われるイメージを背にして、こうあるべきだと思うものに向かいなさい・・・すなわち自我イメージから自我理想へ。もし、これをしたくないと思う自己を発見するならば、疑いもなく、潜在意識内に横たわる不健全なコンプレックスのいくつかを大切に温存しているのです。無意識内に、あなたの恐怖を大切に守ろうとしているのかもしれません。あなたの劣等感か、または罪障感を守りたいと思っているのかもしれません。みずからを罪人と考えることを望んでいるのでしょう。こんなことに、あなたが怪しげで無気味な満足感を得ているのかもしれません。いま、どうすればいいかを知っても、なお自我理想を沈思黙考しないのならば、医者から薬をもらっても飲もうとしない人のようです。あるいは心理治療家のところへ行って「これは彼のあやまちです。私の問題ではありません」という人のようなものです。力を見いだして、それを使う代わりに、あなたの弱さを大切にしているのです。
 聖者ポールは、老いたる人を脱ぎ捨てて、新しき人を身につけねばならぬと言いました。否定的な心の在り方に執着する慰みを、あなた自身から拒否しなさい。したいと思い、あるいは、すべきだと知ることを、なぜできないかを見きわめなさい。「仕事や遊びや崇敬や、または成長において、私がすべき方法を表現できないと信じるのは、なぜだろうか? 私ができないことに、なんらかの理由があるだろうか?」と、自分に問うてごらんなさい。あなたは常に多くの言いわけを発見できるでしょう。しかし正当の理由は一つもないのです。できないことに対し、どんな理由を与えるとしても、それはみなウソです! そのとおりではないのです! あなたは居留守を使い、へ理屈を言い、自分の弱さを守り、あなたの神経症を大切にしているのです。
 
 あなたの理想に向かって動きなさい
 
 進化の過程において人間は、おのれを自覚するようになりました。みずからを認識することで、おのれが実在を知り、おのれの欲求を認めたのです。人間は欲求の充足を得る方法について、自ら決定できることを発見したのです。
 苦痛からのがれ、楽しみに到達しようという欲求は、進化と成長を促す手段として、われわれの本性のなかに織り込まれています。苦痛から逃げ、そして最大量の楽しみを得ようという欲求は、万人の基本的な強い衝動です。私たちは最大の善さと最大の楽しさを希望し選択することが可能なことを見いだしたのです。最大の善いことを選ぶと、大生命力のもっともきらびやかな体験へと、導かれます。
 自己を自覚することは、当然、自覚して選ぶ才能をともないます。私たちは感情にまさる理性を発達させたがゆえに、いっそう大きい善を選ぶことができます。感情の方向を採択できるので、明日になったら残念に思うようなことを、今日しないようにすることができます。感情の力を最良に向ける(最大量の善さと楽しみに向ける)ことができるように理性を発達させました。
 私たちは、自分や他人のために最大の善を選ぶことを学びました。力をあわせて行なう事業において、だれもが結びつけられていることを知るがゆえです。
 
 愛は答である
 
 理想は、最大の善をもってきてくれます。なぜ自分自身を愛すると同様に隣人を愛さなければならないかの理由は、すぐわかります。それは、私たちと隣人とは、おなじ仕事仲間だからです。協力によって、苦痛を少なくし、楽しさを多くできるからです。私たちは神、すなわち大生命力を愛します。なぜなら神を愛すると、何もかもを愛するようになるからです。私たちは何ものをも憎まず、反抗もしなくなります。
 あなたの最大の善に寄与するものは、道徳です。健全な表現の法則以外に道徳の法則はありません。しかし、あなたの最大の善は、あなたの隣人の最大の善と分離することはできません。あなたが最大の善だと信じる生き方ができなければ、あなたを不幸にさせる心の内部過程があるからです。内部のこの本能的過程は良心と呼ばれます。あなたの良心が、あなたを害するのです。
 大生命力は知的です。もし苦痛を去り、最大の楽しさに到達したいと思えば、あなたは理想に向かって動かねばなりません。本能にのみ導かれる動物のごとくであれば、あなたの邪魔になる誰かを殺すになんの躊躇もないでしょう。あなたには理想がないのだから、良心もないわけです。
 そういう単純な自己意識から成長して「私は、なおも彼を殺したいとは思うが、もしも殺せば、彼の友人たちが私を殺すだろう、と推理が告げる」と、あなたは言うまでになるでしょう。あなたは、殺すことで最大の楽しさには到達できぬことを認めるのです。成長をしたので、自らに苦痛を与えるようなことをしないのです。しかし、心の中でいけないと知りつつ、その欲求の存続を許すならば、後になって彼を殺すでしょう。あなたが二つのイメージを持つかぎり(なしたいと思うものと、なすべきだと思うもの)、あなたの体内に闘争があるわけです。いちばん賢明なことは、常になすべきことを思うことです。感情を理性と良識に照らして制御することを学びなさい。成長のつぎの段階へくると、あなたは殺すことを欲しもしません。その人間を愛することにより、彼と協力することにより、また、彼や彼の友人たちの協力を得ることにより、いっそう大きな善が出てくることを認めるでしょう。しかし、そういう段階は、意識的に感情(体内の本能的衝動)を意のままに摑んで、理想へ再指向するようになるまでは、来ないでしょう。
 「汝の自己に真なれ、そうすれば夜が日に続くごとくに、汝はいかなる人にも、いつわりではないことが続くであろう」の言葉のとおりです。
 あなた自身のなかに、有罪感、恐怖、憎しみ、怒りなどのコンプレックスを持つかぎり、あなた自身にも隣人にも神にも誠実ではないでしょう。心のなかに、そうしたものが優勢な状態にあるときは、身にも隣人にも神にも誠実ではないでしょう。心の中に、そうしたものが優勢な状態にあるときは、してはいけないことをすることになります。こういう否定的な心の在り方を一掃しないかぎり、心の中での闘争が絶えず、病気、不幸、混乱および失敗などとなって表現されます。
 もし本能的衝動が私たちを苦難におとしいれ、なにやかにやと不愉快な事態をひき起こすようなら、その衝動を再教育しなければなりません。感情と理性のあいだに争闘があるときは、感情が結局は勝ちます。感情(本能)は推理力よりも古くからあって根底的のものですから、それを再教育しなければなりません。近代の文明社会にあって、良良心の闘争なしに生きるには、本能的な感情を再指向しなければなりません。
 恐怖と怒りは、大生命力を完全・健全に表現するには、じゃまになります。それらを信念と愛に置きかえなければなりません。もし生きる情熱を持って前進したいと望むならば、内心のコンプレックスや闘争や、劣等感、充足感の欠如、恐怖、抵抗などのすべてを除き去ることが大事です。
 私たちについての大きな真理を知り、みずからを自覚して統御しなければなりません。私たちがあるべき所へ到達しなければなりません。私たちの仕事や遊びや愛や崇敬の生活において成長しなければなりません。これらのことを健全に行なう道に横たわる邪魔者を、除いてしまわなければなりません。そうでないと、私たちは居留守を使い、へ理屈を言い、言いわけをすることになります。それは傷のうえに気休めのこう薬を塗るのみで、けっして治癒はしません。
 一人の男が対人関係で苦悩を持っているとします。だれもが彼に反抗するようです。そこで彼は友人、仕事の仲間、妻を法廷に訴えます。離婚を許されるでしょう。あるいは共同出資関係を解除されるでしょう。けれども彼はなお面倒をひき起こしつづけます。どこでも彼の行くところへは、彼自身をたずさえていくからです。彼の難題の内部の原因を見つけて除かねばならないのです。これがなされるまでは、この男は言いわけとして「これは相手の落ち度だ、私のではない」と言うでしょう。彼は弁解して、自分の顔をつぶすまいとするでしょう。こういう言いわけをするでしょう・・・「神が私をこんなふうに造ったのだ。面倒を起こすよう生まれついているのだ。このままで生きてゆくより、どうしようもないさ」。彼は自己を憐れむことによって良心に油薬を塗りますが、もちろん、そんなことは治療になりません。
 
 表面の症状
 
 焦燥、喧嘩、勘違い、不幸、環境や他人とのいざこざ、飲酒癖、気のくじけなどはみな表面の症状です。すべての体験は、はるか下のほうに存在する間違ったものを映し出しているのです。傲慢、神経質、利己心、拒否感、自己あわれみ、引っ込み思案などは、まさに潜在意識に横たわるものの結果です。これらの症候を治療しても、たいして効果はありません。下にかくれている原因を見つけて、除去しなければならないのです。心および肉体の病気は、人生の表面に現れたものです。それらは内部の悪調整の結果です。不幸な体験を認め、かつ許さなければなりません。それらを解放して出してしまわなければなりません。
 前の数章で話したように、許し、理解すれば治療されるのです。過去から解放されると、目標点が見え、それをめがけて進めます。
 人はなぜ、おのれについて誤った観点から考えるのでしょう? たとえば害を受け、過ちを犯して、劣等感を持つようになったとします。大生命力からみて劣等だと結論したとします。自分は劣等だと、あなたは言います。だがすでに知ったように、あなたは劣等ではありません。世にある限りのすべての強さを持っています。大生命力の無限の知恵を持っています。あなたは賢いのですが、みずから劣ると信じているのです。実際は善い人です。あなたは大生命力の一部で、大生命力は善だからです。でも、あなたは、ご自身についての真理を知らず、みずからを罪ある人で、悪いと、決めているのでしょう。見捨てられたように感じ、それを信じているのです。劣等だと信じ、あるいは罪人だと信じれば、あなたがするなにもかもが、みずから信じるものによって色づけされるでしょう。そして、あなたは、そのように行動するでしょう。あなた自身について信じるところにしたがって行動せざるをえないのです。なぜならば、「あなたの信念は実現される」からです。
 真理を語ると、あなたは大生命力の一部で、大生命力は善です。これが、あなたについての真理です。だから、この観点から、みずからを見るべきです。劣等だと信じるときは、誤った観点から見ているのです。あなたは真理から、あなたを分裂させているのです。その結果は、分裂した人格です。
 
 人格の分裂
 
 すべての神経病者は人格分裂症です。彼ら自身について真でないことを信じて行動をするからです。その分裂で、故障は発展し、成長するのです。それは明らかではないですか? その方が信じていることを分析して真理を見せなければならないのです。真でないものを捨て、真理を受けいれるようにしなければならないのです。キリストは「真理を知れ、真理はあなたを自由にするだろう」と言いました。あなたが自分についての真理を知り、あなた自身を真の観点から見るようになれば、正しい行動をするようになるのです。
 自分自身も、誰も彼も、何もかも、すべてを許すに従って、あなたが一部をなす完全な大生命力の中心思想のまわりにあなたを再結集することができます。そうすると、あなたの存在の全エネルギーは開放されて、正しい方向に動き出すでしょう。恐怖のかわりに推理力と知性に統制されて、自由にまっすぐ前方へいけるようになるでしょう。
 恐怖を目前にして前進し、かつ健康であるというわけにはいきません。あなたは恐怖のために、行くべきとは反対の方向に追われるでしょう。自分自身を二つに引き裂いているのです。判断力は達成したい方へ動き、恐怖心は本能的に反対方向へ動かすのです。
 キリストは言いました。もしあなたが兄弟に反抗するものを心に持つなら、その兄弟と和解しなさい、と。祈りを始める前に、誰も彼も、何もかも許しなさい。そうでないと、欲しないものを求めて祈る結果になるでしょう。憎しみと恐怖の祈りをすることになるでしょう。怒りを捨ててしまいなさい。もし、誰か、または何かに対して恐れや怒りを持つならば、まず、心や感情を綺麗にするために祈りなさい。
 あなた自身のなかの力の核心を見つけなさい。それを認め、それを活性化しなさい。そうすると、精神的、感情的、肉体的な力は、みな同一の方向へ動くでしょう。目標や理想を定めなさい。そうすれば、それに向かってあなたは動くでしょう。あなたの心のなかに、欲求があるのですから、欲するものは、なんでも持てるでしょう。もし回答が存在していないとしたら、あなたはそれを欲求するはずがないのです。あなたの欲求は、大生命力が、あなたに与える、あるいは、あなたが何になれるかの絵なのです。もし、あなたが弱い感じ、劣等感、怒り、憎しみ、恐怖などのコンプレックスをかかえていれば、理想の方向に動けません。混乱は、あなたの祈りをふさいでしまいます。
 心の平和は、あらゆる闘争をあなた自身から除いてしまったとき、すなわち信念、愛、許しなどを確立したときに来ます。心の平和は、大生命力の本質である無限の神性や不死の本質と、あなたの個性が同一化したときに来ます。あなたが否定的な考え方や態度のすべてを解放して、肯定的で善いものすべてをあとに残したときに心の平和を持てます。
 
 夜のうちに許しなさい
 
 夜眠りに入るまえ、一日を思いかえして、すべてを綺麗にしなさい。自らを許しなさい。あなたを害した何もかもを許しなさい。そうすると、くつろげるでしょう。一つ一つの傷が心の底へ沈んでいって、潜在意識の一部となるようなことのないように、そうなる前に許してしまいなさい。傷がなお客観的な形をして、心にあざやかに残っているうちに手当をしなさい。そうしておかないと、あなたに結びついてしまい、腫れものとなるでしょう。いまのところは腫れものにはなっていません。それが何であるかを見定めたうえで、手当にかかりなさい。
 心のなかで、早朝からのあなたの全一日のことを思いかえします。それで一日をすっかりきれいにします。それらの傷が夜どおし潜在意識のなかに残り、不眠にしたり、神経を緊張させて夜中に目をさまさせたりはしなくなります。不眠などがあれば、その大部分は今日の傷あとと、明日の心配を持ったままでベッドへ行くからです。
 その日を許したあと「私の今日は終わった。さて明日の用意だ」と心から言いなさい。翌朝、愉快に、健康で、さわやかに、その日のために熱心さをたたえて起き上がるあなたを心の目に見なさい。あなたの想像のなかで、行なおうと思う理想を作りなさい。一日中なにもかも、なすべきことを、楽に自信を持って、立派に行っている自分自身を心に見なさい。それから、こういう考え方を用いなさい。「私は今日を終わった。明日の計画も立てた。さあ眠ろう。平和に休んで、喜びのうちに目覚めよう。私はいつも豊かに、健康と自由と共に生きている」

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