2016年7月号「ムー」総力特集
優れた先行文明は
彗星激突で滅んだ!
大地舜
プロローグ 『神々の指紋』(大地舜訳)が世界的大ベストセラーになってから20年たつが、グラハム・ハンコックは新たな発見を続けており、ついに「優れた先行文明」滅亡の原因まで探りあてた。 これまでは、主流派の学者たちによって、「優れた先行文明」などは存在しないとされてきた。だが、いまではその存在を否定できなくなっている。とくに衝撃的なのはトルコ南東部で発掘が進む、ギョベックリ・テペ遺跡の存在だ。 この遺跡は古代の神殿だと見られているが、ドイツ考古学研究所は過去10年間、精力的に発掘している。この神殿の建造が始まったのは1万1600年前で終ったのは1万2000年前だ。地下探査の結果、全体では20基以上の巨石神殿が存在することが分かった。ギョベックリ・テペ遺跡は建造されて、数十年ごとに意識的に埋められている。そして隣に新たな神殿が建てられている。意識的に埋められた理由は謎だが、これにより炭素年代測定法による時代が正確に得られたのだ。 1万2000年前というと、現代の高校や大学の歴史教科書に従えば「狩猟採集民の時代で、彼らは最大150人規模の集団で移動していた」ことになっている。これは正しいのか? ギョベックリ・テペ遺跡には重さ5トン、高さ5・5メートルの巨石が大量に使われている。最大の石の重さは16トンもある。この当時は家畜もいなければ車輪もなかったはずだが、巨石を数百メートル離れた石切り場から運んでいる。どのように運んだのだろうか? かなりの人口を持つ社会があったのではないか。 さらに問題を大きくするのはこれらの巨石にみごとな彫刻がほどこされていることだ。つまり優れた石工だけでなく、熟練され腕を持つ彫刻家もいたのだ。 これらを計画的に進めるには指揮をとる人々もいたはずだ。それは神官階級かもしれない。そうなると職人や神官を養える大規模な社会があったことになる。私たちの常識では、「狩猟採集民は、食料を探しにあちらこちらと移動していた。だから職人や神官などという特殊階級を養うことができなかった」ということになっているが、どうやらこれも間違っていたようだ。 常識破りは他にもある。ギョベックリ・テペ遺跡の場合、最古の神殿が最も大きく、美的にも最も洗練されている。つまり、石工の腕も彫刻家の腕も、時代の経過と共に衰えている。 このような考古学的事実は、天変地異で滅んだ優れた先行文明の存在を強く訴える。つまり天変地異で滅んだ優れた先行文明の生き残った人々が、ギョベックリ・テペ遺跡の神殿作りを始めたが、途中で頓挫した可能性だ。 ハンコックが大事だと考えるもう一つの遺跡が、インドネシアのジャワ島南西部に見つかったグヌンパダン巨石遺構だ。この遺構はジャワ島の古くからの聖地だが、玄武岩の自然構造物だと考えられていた。ところが地球物理学者のダニー・ナタウイデジャ博士がオールコアボーリング調査(地面に筒を刺して地層サンプルを取る)を行ったところ、玄武岩が水平に積まれており、人工建造物であることが判明した。さらに自然には存在しない古代セメントによって玄武岩が接着されていた。 地層の深さ15メートルで採集した古代セメントを米国マイアミの権威ある調査機関BEALABに送付して炭素年代を調べたところ、2万3000年前のものという数字が出た。つまりグヌンパダン巨石遺構は最終氷期の最中に建造されているのだ。ということは.当時、古代セメントを使う工法が確立されていた事になる。さらに高さ95メートルのピラミッド型の巨石遺構を造るには、相当な人数と優れた技術を必要としたことだろう。 ギョベックリ・テペ遺跡によって、私たちの文明の前に、忘れられている文明が存在していたことが明らかになった。そしてグヌンパダン巨石遺構は氷河期の真っ最中に古代セメントを駆使する文明が存在していたことを示した。 現生人類は地球上に20万年も住んでいる。そして5万年前からは洞窟壁画や首飾りなどの装飾品も残している。いわゆる「新人類」と呼ばれる私たちの仲間だ。彼らが現代の東京の繁華街を歩いていても、私たちは何の違和感も感じないらしい。ちょっと体格がいいな、と思う程度だと、学者たちはいう。彼らは現代人と同じ頭脳を持ち、同じように宇宙について考察し、生活にも工夫を凝らしていた。 一方、現代文明の発祥は6000年前のメソポタミアの古代シュメールだと私たちは信じている。その後、現代人は月に到達し、銀河系についても知識が豊富になった。コンピュータの開発も目覚ましく、今では人類の知能を追い越しそうだ。 私たちは6000年間でこれだけの進歩をもたらした。だが「新人類」は5万年前から存在している。私たちの祖先は、この5万年間に高度な知識を持つこともなく、優れた文明も発達させなかったのだろうか? それとも優れた先行文明を創っていたが、天変地異で、滅亡したのか? 滅亡しているのだ。 ハンコックは優れた先行文明が消滅した原因を突き止めている。ヤンガードリアス彗星の地球衝突だ。今から1万2800年前に巨大彗星が地球に激突している。その証拠を多くの主流派天文学者たちが提示している。 優れた先行文明は間違いなく存在していた。先行文明の人々を神々と呼ぶならば、神々の指紋は世界中に残されている。その、揺るぎない証拠を第1章で見ていく。 *** 1:『神々の魔術』の発売を記念して、ハンコックの労作『神々の指紋』が6月20日からデジタル版でKADOKAWAから無料配布される。Kindle版もあり、フェースブックの『神々の魔術』ファンページからも入手できる。6ヶ月間限定の無料配布だ。まだ読まれていない方は、ぜひこの機会を利用して欲しい。 2:グラハム・ハンコックが今年10月に来日して、22日と23日に東京と軽井沢で講演を行う。企画をしているのはカクイチ研究所だ。 *** 第1章 神々の指紋 フリーの経済ジャーナリストだった筆者が『神々の指紋』を翻訳するきっかけとなったのは、NHKで放映されたテレビ・スペシャル『大スフィンクスの謎』を見たためだ。1994年に、再放送を含めて2回見ている。このドキュメンタリーには衝撃を受けた。地質学的証拠から見て、大スフィンクスが建造されたのは今から1万年以上前だというのだ。 常識からはかけ離れているが、内容には説得力があった。そこでもっと詳しく知りたいし、本が出ないかな、と待っていたら、英国でFingerprints of the Godsが発売された。米国のジャーナリストからこの本の情報を聞いた筆者は、すぐに原書を取り寄せた。 内容は世界の遺跡を調査したもので、私の専門外だ。だが、著者のグラハム・ハンコックもジャーナリストで専門家ではない。わたしも同じジャーナリストだから、翻訳する資格があるはずだとかってに決めて、出版先を探して歩いた。 当時、講談社は毎年ミリオンセラーの翻訳書を出していた。「フォレストガンプ」「EQ」「ワイルドスワン」などだ。その編集担当者に会ったら「興味があるので、ちょっと待って欲しい」という。待っている間に翔泳社のN出版部長と会う機会があった。N出版部長も興味を持って、本を貸してくれという。 数日後にN出版部長から連絡があり、「ぜひ翻訳出版したい」という。そこで講談社の編集者に了解を得て、翔泳社に刊行をお願いすることにした。N出版部長は「なるべく早く出版したい。翻訳にはどのくらいかかりますか?」と聞く。「どんな本でも3ヶ月あれば翻訳できます」と筆者は答えた。 約束通り3ヶ月で翻訳を終えて、N出版部長に手渡したが、翻訳作業は体力勝負だった。翻訳の内容がマヤ、インカ、エジプトと変わるたびに図書館から30冊ぐらいの専門書を借りて、それを読みながらの翻訳となる。最後の1ヶ月は12時間労働で、ときには1日に原書のページ数で30から40ページも訳した。「同時通訳」ではなく「同時翻訳」だ。当時はインターネットも発達しておらず、辞書もぶ厚い本をぺらぺらめくっての作業だった。 さて話しを「大スフィンクスの謎」に戻そう。 エジプトの大スフィンクスの胴体と、本体を囲む壁には、雨水による浸食の跡が残っている。それもかなり深い傷で、1メートルぐらいの深さに浸食されている場所もある。ボストン大学で地質学を教えるロバート・ショック教授の調査によると、このような浸食の跡が出来るためには、数千年の豪雨が必要だという。 ショック教授には米国でインタビューしたことがあるが、根っからの学者でそれも正統派だ。科学的調査と論理的思考しか信じていないタイプの学者だ。ショック教授によると、エジプトに雨が降ったのは1万年以上前でそれ以降は砂漠だという。したがってスフィンクスが造られたのは、少なくとも1万数千年前だという。 これは発表された当時でも、現在でも大きな問題をはらむ。なぜなら、その頃にこのような建造物を造れる文明が見つかっていないからだ。エジプト学者のジョン・アンソニー・ウエストは、1万年前ではなく、2〜3万年前だろうという。つまり先行文明の作品だというのだ。 トルコのギョベックリ・テペ遺跡の発掘は、この問題に一石を投じている。年表を見て頂けると分かりやすいが、ギョベックリ・テペ遺跡をみれば、当時、少なくとも巨石を加工する技術があった事は明白だ。そこで1万年よりも前に大スフィンクスが建造されたという説に信憑性が付加される。 また、大スフィンクの周りにあるスフィンクス神殿や河岸神殿は、大スフィンクスを建造したときに切り出された石灰岩で造られている。そうなると100トン〜200トンの巨石による構造物であるスフィンクス神殿や河岸神殿もまた、1万年以上前に造られた事になる。 ショック教授によると大スフィンクスが2万年前に建造されたとしても科学的には、否定する理由はないという。そうならば、大スフィンクスや河岸神殿は先行文明の遺産である可能性がある。 神々の指紋で2番目に興味深いのは天界と古代巨石建造物との関係だ。筆者は『神々の指紋』を再検証するため、中南米、アジア、エジプトなどの古代遺跡を訪問したが、古代遺跡の多くは天界と地上の関係を示していた。つまり「新人類」は現代人を含め、天界を眺めて観測し、「人間とは何か、どこから来て、どこに行くのだろう」と哲学する人々だったのだ。 ギザの3大ピラミッドはナイル川を天の川と見立てると、南の空のオリオン座のベルトの星をみごとに地上に反映しているという。これはベルギーの建設技師ロバート・ボヴァールが発見した。 ボヴァールとハンコックによると、真南の空でオリオン座ベルトの三つ星と、ギザの3大ピラミッドが、相似形となるのは1万2500年前の夜明けだという。 さらに、真東を向くライオン姿の大スフィンクスは、1万2500年の春分の日の夜明けには、真東からライオンを示す星座が昇ってくるのを見つめているという。 そこでボヴァールとハンコックは、1万2500年前こそ、古代エジプトの「最初の時」ではないかと主張する。つまり古代エジプト文明の夜明けを示すために、これらの建造物が造られているというのだ。そうなると、トルコのギョベックリ・テペ遺跡よりも前に古代エジプト文明は始まっていることになる。 1万2500年前というとヤンガードリアス寒冷期のど真ん中だ。ヤンガードリアス期については説明が必要だろう。 当時の地球は最終氷期極相期のもっとも寒い時期を脱して、温暖化に向かっていた。そして1万3000年前の地球は現在よりも暖かくなっていた。氷河も溶けはじめ海面もゆっくりと上昇を始めていた。そんな時代に突然、寒冷化が始まった。しかも一気に2万1000年前のもっとも寒かった氷河期極相期に戻ったのだ。この現象は謎とされている。この寒冷期は1400年ほど続き、また突然温暖化に舞い戻った。その時に海面が120メートルも急上昇した。 この寒冷期の最中に古代エジプト文明が始まったとハンコックは見なしているわけだ。それが正しければ、優れた先行文明の人々が寒さ、あるいは滅亡を逃れて比較的温暖だったエジプトにきたことが考えられる。この時期は、プラトンの述べるアトランティス大陸が沈没した時でもある。一方、ギョベックリ・テペ遺跡の建設が始まったのは、ヤンガードリアス寒冷期が終った直後だ。そうなると滅亡した先行文明の生き残りの人々が、トルコに避難してきてギョベックリ・テペの建造に関与した可能性もある。 第3番目の「神々の指紋」にふさわしいのはギザの大ピラミッドそのものだ。300万個の石灰岩と花崗岩の巨石を使ったこの建造物は、重さが6000万トンもある。4辺の方位が驚くほど正確なのはよく知られているが、それだけではない。4辺の長さはそれぞれ230メートルほどだが、誤差は最大で20センチしかない。 さらに大ピラミッドは地球の北半球の模型になっている可能性が高い。底辺の4辺の長さの合計は921・45メートル、高さは146.73メートルだが、これを4万3200倍すると、地球の赤道周囲の長さ、赤道から北極の長さの近似値が得られる。 ギザを訪ねて、大ピラミッドを目の前に見ると、途方もない規模の建造物であることが分かる。大ピラミッドが20年で建造されたというのが今でも定説になっているが、まったくありえない話しだろう。現代の技術でもこの精度を維持して建造するには数百年はかかるに違いない。大ピラミッドは世界の7不思議の一つであり、いまだに建造方法も、何のために造られたのかも不明なのだ。 大ピラミッドが地球の北半球の模型ならば、建造設計者たちは地球が丸いことを知っていたはずだ。さらに北半球の4万3200分の1の縮図になっているならば、建造者たちは地球の歳差運動についても知っていたことになる。 歳差運動というのは地球の自転軸が円を描いて振れることから起こる。このため天にある星が動いて移動するように見える。とくに春分の日に真東にのぼる星座を見ていると円周360度の1度分移動するのにほぼ72年かかることが分かる。大ピラミッドに使われている4万3200という数字は72年の60倍だ。つまり2つの黄道十二星座が春分点を通過するのにかかる年数だ。 現代の常識では、春分点における星座の移動を最初に発見したのは、紀元前150年頃のギリシャの天文学者ヒッパルコスであることになっている。だが、春分点を通過する黄道十二星座については、遅くとも古代シュメール時代から理解されていた。そうならば人類はもっと前から、歳差運動に気づいていたはずだ。黄道十二星座が一周するには2万5800年かかる。そこで、数万年前から「新人類」は、この現象について研究していたと考えるのが妥当だろう。 現在、世界最古の巨石遺跡と認められるギョベックリ・テペ遺跡はまだ5%としか発掘されておらず謎が多い。その謎の一つは、遺跡が次々に造られては埋められていることだ。埋められていたので考古学的には年代特定がしやすく結構なことだ。だが、なぜ埋められたのか? 天文学者の研究では、遺跡の方向がシリウス星に合わされており、シリウスが地平線から昇る位置が変わると、遺跡を新たに造っていたのではないかという。 発掘者の故クラウス・シュミット教授によると、ギョベックリ・テペ遺跡は古くに造られたものほど、遺跡が大型で、装飾の技術も優れているという。つまり巨石建造物の建造技術・美術などが完成形で現れ、その後、衰退しているという。この現象は先行文明があった事を匂わせる。だが優れた先行文明はどこへ行ってしまったのか? まだ発見されてはいない。ヤンガードリアス寒冷期の終わりに起こった天変地異で、跡形もなく消えたのか? あるいは海底に眠っているのだろうか? 第2章 海底遺跡 『神々の指紋』が爆発的に売れた翌年(1997年)に、著者グラハ厶・ハンコックからメールが来た。「急いでスキューバ・ダイビングの資格を取ってくれ。バディになって欲しいんだ」という。地上の古代遺跡を精緻に調査したグラハム・ハンコクは、次に海底を調査したいという。 急いでダイビングの資格を取得した筆者が、最初に出かけたのは日本の与那国島だった。当時は与那国島に海底遺跡があることは、ほとんど誰も知らなかった。 「遺跡ポイント」は地図を見て頂ければ分かるように与那国島の南側にある。ここにはドリフトダイブという方法で潜水する。船からロールバックで海中に落ち、そのまま潮に流されながら、目的地を目ざして潜航していく。 だれでも始めて与那国の海底遺跡を見れば、「これは人工物だ」と確信するだろう。どうみても人間の手がかかっているように見える。だが、学問的にはまだ何も証明されていない。 グラハム・ハンコックは古代の神殿跡だという。インドの地質学者は古代の船着き場ではないかという。この場所の発見者である荒嵩喜八郎は「石切り場」ではないかという。ボストン大学のショック教授は「自然物だろう」という。琉球大学の木村正昭名誉教授が、遺跡ポイントを詳細に調べたが、結論は出ていない。一時期は1万年前の遺跡だと主張していたが、今は2〜3000年前の構造物だとしている。 筆者はやはり人の手が入っていると思う。理由の一つは海底遺跡とよばれる岩山の3分の2が人工的に見えて残りが自然のままだからだ。同じ性質の岩山なら、同じように浸食されるのではないだろうか。 筆者はグラハム・ハンコックや奥様のサンサ・ファイーアと共に、沖繩で100回ほどスキューバ・ダイビング海底調査を行なっている。与那国島を中心に、沖縄本島の北谷海岸、慶良間諸島の沖合や粟国島などを調査したのだが、1万年前の遺跡が存在しているという決定的証拠は何も持っていない。 だが、不思議な構造物はたくさん見た。与那国島のもっとも東にある東崎の海岸の海底には、遺跡ポイントとよく似た構造物があるが、かなり古く見える。慶良間諸島の阿嘉島の沖合には、階段状の構造物があったが、1万年前の山城の残骸だといわれても納得できるものだ。この近くには慶良間トムモーヤ礁があるが、海底30メートルにある巨石構造物も得体のしれないものだった。真ん中に巨石があり、その周りを5つほどの巨石が取り囲んでいる。 粟国島で見たのは大きな井戸だったが、これは間違いなく人工物だが、古さが不明だ。北谷海岸沖合の壁のような構造物は、人工的だが、戦後、米軍がこのあたりで工事をしていたのを見たという地元の漁師がいた。 南太平洋ミクロネシアのポンペイ島(ポナペ島)の調査にもハンコック夫妻に同行した。ここには有名なナン・マドール遺跡がある。ナン・マドール遺跡は柱状玄武岩で造られた92の人工島で構成されている。ミクロネシア連邦政府観光局によると、「建造されたのはサウテロウル王朝時代(西暦500年頃)で、王家の墓や住居、召使いや守備隊や聖職者の住居、ゲストハウス、葬儀の島、貯蔵の島など目的の違う人工島と建造物が1000年にも及ぶ建設作業によって造られた」とする。「現在も全容は解明されておらず、これだけの玄武岩の巨石をどうやって運びどのようにして積み上げたのかなど多くの謎が残っている」そうだ。 ハンコックがここのダイビング調査する気になったのは、ナン・マドール遺跡の外海に海底都市があるという伝承が存在するからだ。わたしたちは人工島の外側の海でダイビングをした。海底には巨石の柱が林立していたが、海水が乳状で視界がきかず、残骸があることだけしか分からなかった。一番驚いたのは、大きな灰色のサメと遭遇したことだ。幸いにも人食い鮫ではなかったが・・・。 その後、ナン・マドール遺跡の調査が進展しているのかどうかは知らないが、インドネシアのジャワ島でグヌンパダン巨石遺構の調査が進んだことで、再考するべきことが出て来た。 グヌンパダン遺構もナン・マドール遺跡も柱状玄武岩で造られている。グヌンパダン遺構の地球物理学的調査で、このピラミッド型の遺構が2万年前から存在していたことが分かった。ということは、ナン・マドール遺跡の外海に2万年前の柱状玄武岩による建造物があっても、不思議ではないことになる。柱状玄武岩を使った建造物を造る伝統は、2万年前の氷河期からあったことが分かっているからだ。 地中海のマルタ島の周辺の海底にも人工的構造物が存在する。 マルタ島には23の巨石神殿遺跡が発見されているが、これらはギャベックリ・テペ遺跡が発掘されるまでは、世界最古の巨石神殿だった。マルタ島は小さな島であり、人口も少ないのになぜ23もの神殿跡が存在するかは謎だ。この神殿群が2万年前の氷河期に造られたものならば、「なるほど」といえる。当時のマルタ島はシチリア島経由でイタリア半島とつながっていた。つまり、ヨーロッパの人々もこの神殿を利用していたことが考えられる。 マルタ島の神殿群は定説では6000年前に建造されたことになっている。つまりシュメールで都市文明が始まったころだ。だが、もっと古いという状況証拠はいろいろとある。 まず地上の神殿跡だけでなく地下にある神殿ハイポジウムからも典型的な旧石器時代の女神像がいくつも見つかっている。また、地下神殿ハイポジウムの壁には、3万年前の洞窟壁画と思わせるものが、太古の塗料である赤色と黄色の黄土や炭で描かれていたが、現在は、ほぼ見えなくなっている。 マルタ島には「カートラット(荷車のわだち)」がある。これは謎のわだちで、どのように造られたのかが不明だが、海に潜ると「カートラット」が海底までつづいている。マルタ沖合の海底には立派な運河もあり、それらは海面が上昇した1万1500年前にはすでに存在していたことになる。 カンベイ湾で1万年前の海底都市発見 海底に文明の遺跡があるはずだというハンコックの考えの正しさが証明されたのは2002年のことだ。インド西部のグラジャート州スラト沖で9500年前のものと見られる古代都市の遺跡が見つかり、インド政府のジョン科学技術相は2002年1月16日に「ハラッパ遺跡と似ている。世界最古の都市の可能性が高い」と公式発表をしている。 筆者は2002年7月に海底都市を発見したインド国立海洋研究所(NIOT)を訪問した。この大発見を額面通り受け取ってよいのかどうかを確認したかったのだ。結論からいうと、信憑性は極めて高いと思う。 NIOTで話しを聞いたのは地質学コンサルタントのS・バドリナラヤン氏とNIOTに参加したばかりの考古学者シャセカラン氏だった。 S・バドリナラヤンによると、NIOTがカンベイ湾に海底都市を発見したと発表したのは2000年5月だったという。ところが世界中の考古学者から一笑にふされたという。「そんな深い場所に大都市遺跡があるわけない」「スキャナー装置が幻影を映し出したのだろう」「NIOTには考古学者がいないから、何かを見間違えたのだろう」というのだ。 この反応に驚いたNIOTの地質学者や生物学者は「それでは確かな証拠をお見せしましょう」といってカンベイ湾の現場に戻り、海底の発掘をした。とはいっても地上の考古学的発掘とは様子がだいぶ違う。海底に「グラッブ」という大きなシャベルを落として、1メートルの深さまで海底の地層をすくい上げた。また、「ドラッグ」という装置を、海底下40センチまで打ち込み、そのまま100メートルも海底を引きずり、海底下の地層に存在する遺物を引き上げた。 その結果、1日に2000個の遺物が発見された。それらは宝石などの装身具、貝、小さな像、象牙、人間の骨や歯、木片、壺のかけら、珊瑚だった。そのなかの木片を炭素年代測定したところ95000年前のものだったという。 S・バドリナラヤンは「遺物が採集できたのは都市遺跡のあるところだけです。そこから15メートル離れたら、遺物が一つもみつかりません」という。 海底都市遺跡は古代の川の両岸にあり、長さは9キロ、幅は2キロで、住居跡、大浴場、下水道、街路もあるという。町の最西端の高台には大きな構造物があり、神殿ではないかと考えられている。 この海底都市は海底下40メートルにあるのだから、ヤンガードリアス期終わりの海面上昇で海底下に沈んだ可能性が高い。この辺りは地震も多発するところだが、スキャナーに映る都市跡には地震の影響は見られないという。したがって土地が陥没したわけではない。 さて2002年からすでに14年が経っている。この海底都市遺跡の現状はどうなっているのだろう? インド政府は2003年から2004年にかけて国家総動員で、海底遺跡調査を始めた。海軍の特殊ダイバー、潜水艇、様々な分野の国立研究所、ハーバード大学の南アジア考古学で名高いリチャード・M・メドウ教授も協力することになった。 ところが2003年にNIOTの船がカンベイ湾の現場に行って見ると、海底都市遺跡は5メートルの厚さの砂の下に隠れてしまっていた。S・バドリナラヤンによると、「カンベイ湾は世界で2番目に潮の変化の激しいところです。海面の高さは1日の間に11メートルも変化しますし、満ち潮と引き潮の差が激しく、時速12から13キロの海流がいつも流れています。海の底の砂丘も常に移動しています」とのことだ。 砂丘が海底都市遺跡の上に留まっているため、調査は中止されたが、そのまま現在まで再開されていないようだ。筆者とS・バドリナラヤン氏との音信も2004年以来、絶えている。このことから分かるのは、海底には間違いなく文明の遺跡があるが、現状では調査がほぼ不可能なことだ。 先行文明は一昼夜のうちに破壊され水没したとプラトンはいう。時期は1万1600年前だから、ヤンガードリアス寒冷期の終る時期と一致している。この時に何が起こったのか? 近代科学は新たな発見を続けている。 第3章 こうして先行文明は滅んだ 2016年の1月12日にNASAが小惑星衝突から地球を守る新組織を発足させたことはご存知の方もいると思う。名前は惑星防衛調整局(PDCO=Planetary Defense Coordination Office)だ。地球近傍(ルビ:きんぼう)天体(NEO)の発見と防御方法の研究のために、2016年に米連邦政府から受け取る資金は5000万ドル(60億円)。2010年には5億円だったから大幅な増加だ。 それにはもちろん理由がある。小惑星や彗星の地球衝突が現実味を帯びてきているのだ。 NASAの資料を見て欲しいが、1994年から2013年の20年間に、推定556回のBOLIDE(爆発流星=小天体との衝突により明るく光る爆発現象)が起きている。一方、発見されている地球近傍天体は1万個を超えるが、まだ未発見の小惑星も多い。 2013年2月15日にはロシアのチャリビンスクに隕石が落ちて空中爆発を起こした(NASAの地図ではロシアの大きな黄色い点で表示されている)。直径が17〜19メートルという小型だったが、大火球は太陽よりも明るくなったという。この隕石の地球接近について、私たち人類はなにも気がついていなかった。 その翌日にも気象衛星や通信衛星よりも地上に近いところを、小惑星2012DA14が通り過ぎた。これはニアミスだったが、直径が45メートル、重さ13トンだったと考えられている。 約100年前の1908年6月30日にシベリアのツングースカに落ちた彗星は直径が60〜100メートルだった。この彗星は空中で爆発してクレーターは残さなかった。このときは、ヨーロッパ全域で空が異常に明るくなり、6月30日と7月1日の二日間、夜にクリケットができて、新聞も読めたという。この彗星が都会の上空で爆発したら500万人が死ぬと計算されている。また学者によって計算がことなるが、この規模の天体衝突は50年から500年に一回は起こるという。日本の場合、この規模の彗星が原子力発電所の上で爆発したらどうなるかは、考えたくもない。 未来の話になるが直径24キロもあるスイフト・タトル彗星は2126年に地球に大接近する。14日の差で地球を外れると考えられているが、確かではない。なぜならジェット噴射をする彗星の軌道は不安定だからだ。 最近は、科学者の中でも惑星学者や天文学者の間で、天体衝突と文明の関係についての考え方が大きく変わってきている。これまで基本的に科学者たちは「斉一説」の立場をとり、地球は安全な場所で宇宙からの人類文明に対する脅威はないと見てきた。「斉一説」では「現在は過去をとく鍵」であり「現在観察できる変化の速度は、過去に起こった変化の速度の正確な指標だ」と考える。したがって「グランドキャニオンのような素晴らしい地形も、何百年もかけた川の流れの浸食によるものだ」という解説となる。 たしかに過去1万年間、人類は絶滅することもなく生き延びてきている。恐竜を絶滅させたような天体衝突は起こっていない。6500万年前の天体衝突で恐竜が滅びたことは、30年間の論争の末、2010年にようやく決着がついている。だが科学者の多くは、今でも、天体衝突と現生人類の歴史とは関係がないと考えている。 天体衝突と現生人類は本当に関係がないのだろうか? 地球という惑星は本当に安全な場所なのだろうか? 世界中に大洪水を経験した伝承が残っているが、大洪水は天体衝突の影響ではないのか? これはただの小さな局地的な洪水だったのか? それともノアの方舟の話や、インド、メソポタミア、北米の大洪水神話には、何らかの真実が含まれているのか? ノアの大洪水があったとしても。それは「神」の力ではなく、彗星が地球に落ちたためではないのか? つまり「神」ではなく「宇宙」の力で、人類が破滅の危機にさらされたのではないか? 昨年『神々の魔術』を翻訳していた際に、多くの文献に目を通したが、地質学者は今でも「斉一説」を信奉している。だが、惑星学者や天文学者には「激変説」に組みする人が多い。つまり彼らは、地球は必ずしも安全な場所ではなく、人類の歴史が天変地異に大きく影響されていると考えているようだ。つまりこの1万年間、人類はラッキーに過ぎなかったということだ。 恐竜が絶滅したのは6500万年前だが、1万2000年前にも北米・南米でマンモス、マストドンなどの多くの大型動物が絶滅している。また当時、北米に住んでいた原住民のクローヴィス文化も消滅している。これはまさに「激変」であり、斉一説では説明できない。 この大型動物とクローヴィス文化の消滅は、長らく「謎」とされてきたが、2007年になってから、新たな科学的発見で真相の究明が進んでいる。1万2800年前にヤンガードリアス彗星(クローヴィス彗星)が地球に衝突した証拠が続々と集積されてきているのだ。 ヤンガードリアス彗星衝突仮説は、彗星が地球に衝突したためにヤンガードリアス寒冷期が始まったと主張する。1万2800年前というと、地球は7万年に始まったとされる最終氷期が温暖化に向かっており、今の地球よりも暖かかった。それが突然、2万1000年前の最終氷期最盛期の寒さに戻ったのだ。 その原因としては、地球温暖化で北半球の氷床が溶け、淡水が北極海に流れ込み、海洋・気候のシステムに大きな影響を与えたという説が有力だ。淡水は海水よりも比重が軽く、冷たい淡水が海面に蓋をしたという。それにより北大西洋に流れ込むメキシコ暖流が海面にでることができず、北米・ヨーロッパが寒冷化したといわれている。 だが、2007年以降は、彗星か小惑星が北米やヨーロッパの氷床に激突したことで、この現象がさらに推進したと考えられるようになってきている。 現在の仮説では大きな彗星が空中爆発して、ばらばらになり、4〜7つに別れて北米のコルディーレラ氷床とローレンタイド氷床に激突したという。これらの氷床の厚さは当時、3000メートル以上もあった。したがって、天体衝突があってもクレーター跡は残らない。だが、猛烈な勢いで溶けた氷床は、一方で北極海に流れ込み海流システムに異常を起し、反対側では北米大陸に流れ込み、大洪水の原因となっただろう。北米の原住民の伝承によると、洪水で「高さ300メートルの緑の壁が押し寄せた」という。 北米大陸における大洪水の証拠はいたるところに今も歴然と残っている。たとえばワシントン州東部にはスキャブランドがある。ここは岩盤が深くえぐられて溝となっている。溝といっても、深さ数百メートル、長さ96キロにもなる大渓谷だ。これが大洪水で掘られている。さらにドライフォールズがある。このときの大洪水によって出来た瀑布(大きな滝)なのだがいまは涸れている。ドライフォールズの規模はナイアガラ瀑布よりも高さが3倍で、幅は6倍以上だ。 この大洪水は岩盤をえぐり、立ちふさがるすべての山や森林を押し流した。氷床から生まれた氷山は岩盤の岩を内部にとり込んで、北米のいたるところに迷子石を運搬している。ニューヨークのセントラルパークにみられる黒い巨石も、この時の大洪水によって運ばれている。ニューヨーク州北西部にあるフィンガーレイク湖群も、このときの大洪水の爪痕だと考えられている。 そうなると、今も世界中に残る大洪水伝説は、1万2800年前の彗星か小惑星の天体衝突によって引き起こされた大洪水の記憶である可能性が高くなる。 天体衝突によって引き起こされたのは、海流システム異変と大洪水だけではない。加熱された岩盤が空に舞い上がり、地上に降り注ぎ大火災も起こったようだ。これらもまた地球寒冷化の原因の一部となり、大型動物やクローヴィスの人々の破滅の原因となった可能性が高い。 大きなクレーターは見つからないわけだが、天体衝突の証拠はあるのだろうか? 実はたくさんある。ブラック・マットとよばれる黒い1万2800年前頃の地層が北米大陸のいたるところに存在するのだ。ブラック・マットは北米だけでなくヨーロッパにも存在して、広大な地域を覆っている(5000万平方キロ)。 このブラック・マットはイリジウムを含んだ磁性粒子、磁性を持った球状粒子、木炭、すす、極微小サイズのダイヤモンド(ナノダイヤモンド)、地球外のヘリウム組成を持つフラーレン(クラスタ状物質)などで構成されている。つまりこれらは地球外天体がこの時期に地球に衝突した証拠なのだ。 グラハム・ハンコックからヤンガードリアス彗星について聞いたのは、2007年だった。その頃、インターネットで調べたら、この仮説はかなりの批判にさらされていた。だが2015年に調べたときは、有力な仮説として支持が広がっていることに驚いた。 さて、ヤンガードリアス寒冷期は1400年続き、また突然、地球は暖かくなった。このときに海面が120メートルほど上昇したと考えられている。地球が急に再び温暖化を迎えた原因は今でも不明だ。だが、面白い仮説がある。ヤンガードリアス彗星群が再び地球を襲い、彗星が海面に衝突したとする考えだ。隕石や岩石が海面に衝突すると、海水が蒸気となって空中高く舞い上がる。これが温室効果を生み、地球が急激に温暖化するというわけだ。 ちなみにコンピュータ・シミュレーションによると、大きさ200メートルの隕石が大西洋に落下すると、大西洋をとりまく海岸は、高さ200メートルの津波に襲われるという。 エジプトのサイス神殿の神官によると、先行文明であったアトランティスは1万1600年前に水没している。これはヤンガードリアス寒冷期の終わりと見事に一致している。この時期に彗星が海に落ちていたら、アトランティスは津波に呑み込まれていたことだろう。アトランティスは津波によって壊滅して、その後の温暖化による海面上昇で水没したのだろうか? このような見事な時期の一致を見ると、サイス神殿の老神官の言葉をもう一度、吟味する必要があるだろう。彼のいった事はすべて事実に基づいている可能性が高いのだ。老神官はまず天変地異について述べたと『ティマイオス』でプラトンはいう。 人類を滅ぼす多くの様々な惨事は、これまでもあったしこれからもある。その中でも最大の惨事は火と水によって起こる・・・天界の物体の進路は長い周期で変化する。その結果、火による破壊が地上で広範に起こる。 これは天体衝突と、大洪水のことを示唆しているのではないだろうか? さらにサイスの老神官はいう。 おお、ソロン、ソロンよ、あなた方ギリシャ人はみんな子どもだ・・・古い伝統に根ざした信条も、歳を経た由緒ある知識も持ち合わせていない。その理由はこうだ・・・あなたたちにとって文明に必要な文字や他のものは発達したばかりだ。そういうときに、大洪水という天罰が定期的に下されて、字も読めず、教養のない者だけが生き残る・・・そこであなた方は子どものように、前の時代に起こったことをまったく知らない状態からやり直すことを余儀なくされる・・・あなた方は一度の洪水しか記憶していないが、何度もあったのだ・・・ ここで「歳を経た知識」といっているのは8000年前から存在していたというサイス神殿に保管されていた古文書のことだろう。つまり今から1万年前の古文書だ。この古文書は先行文明についても触れていたことだろう。さらには先行文明の知識も伝えられていたかもしれない。つまり大ピラミッドに秘められている地球の知識や歳差運動や優れた技術の知識、農業や天文学、つまり古代エジプト文明の基礎となった知識だ。古代エジプト文明はエジプト学者ジョン・アンソニー・ウエストがいうように、突然、完成されたかたちで出現している。ウエストはいう・・・ 複雑な文明がいきなり成熟した姿で出現したのはなぜか・・・エジプトでは・・・最初からすべてができ上がっていたのだ・・・エジプトの文明は「発展」したのではない。遺産を受け継いだのだ。 ウエストの発言はサイス神殿に先行文明の知識が伝えられていたことを示唆する。 老神官は「大洪水も数回あった」というが現代の科学では、ヤンガードリアス寒冷期の始めと終わりを含め3回は起こった事が知られている。 「あなたたちにとって文明に必要な文字や他のものは発達したばかりだ」というのは、「子どものように、前の時代に起こったことをまったく知らない状態からやり直している」ということだ。 ノルウェーの人類学者で探検家の故トール・ヘイエルダールも、先行文明はあったに違いなという。ヘイエルダールはコンティキ号という名の筏(いかだ)で太平洋を横断している。筆者は首都オスロにあるコンティキ号博物館を訪問したが、「こんな筏で太平洋横断するとは、凄い冒険家だ」と尊敬の念を深くした。 シュメールの第一王朝の墓は金銀、プラチナ、宝石でできた装飾品や宝物でいっぱいだが、こうした原料はメソポタミアでは見つからない。メソポタミアにあるのは、泥と水だけだ・・・彼らはどうやって突然、どこに行けば金やその他が見つかると知ったんだ・・・1世代かそこらの間に・・・彼らは広範囲の地理を知っていたに違いないが、それには時間がかかる。だから、それよりも前に何かあったはずだ。 シュメールの神話によると、大洪水の前に、すでに都市が5つ存在したという。シュメール第一王朝の大王たちは、これらの都市が存在していたのは悠久の太古だと考えていた。メソポタミアの大王たちは、洪水前の先行文明の知識を学んでいると述べていたが、このことに関しては『神々の魔術』を読んで欲しい。 さて筆者は『神々の指紋』を翻訳してから、『指紋』の再検証するためエジプト、アジア、中南米の古代遺跡を訪ねた。その結論を『沈黙の神殿』という本に書いたが、優れた先行文明が存在していた可能性は非常に高いと思う。 サイス神殿の老神官がいうように、人類は大洪水で数回ほど破滅しており、そこから出直しをしているようだ。そうなると、人類史をどのように捉え直したらよいのだろう。 まず、世界中に存在する謎の巨石建造物は先行文明の遺産である可能性を否定できないだろう。つまりマルタの神殿も、レバノンのバールベック巨石壁も、インカの石壁も、大スフィンクスも、ヤンガードリアス期寒冷期の大洪水による破壊を免れた建造物かもしれない。 トルコのギョベックリ・テペ遺跡は、ヤンガードリアス寒冷期が終ってすぐに建造されているので、先行文明の技術が使われていることだろう。故クラウス・シュミット教授は、ギョベックリ・テペ遺跡を建設した人々が「農業を発明した」という。ということはメソポタミアの農業も先行文明の遺産かもしれない。 そして大洪水を生き延びた先行文明の人々は、新たな文明を再スタートすることに成功したのだ。それが今から6000年前であり、古代シュメール、古代エジプトなどの文明のようだ。 では、謎の先行文明はどのような技術や知識を持ち、どのような思想を持っていたのか。サイス神殿の老神官がいうように人類文明は、再び大洪水に襲われるのだろうか? 私たちの文明も「子どものように、前の時代に起こったことをまったく知らない状態からやり直すことを余儀なくされる」のだろうか? エピローグ 先行文明の実像 サイス神殿の老神官が指摘するように、いくつかの先行文明が何度か滅んでいるとすると、その残骸のほとんどは海底にあるだろう。7万年前に始まった最終氷期に人間が文明を発展させるとしたら、低地の大河の流域で、気候も温暖なところだろう。そういう場所は現在では海面下120メートルに存在する。したがってその実体を、考古学的に知ることはほぼ不可能だ。 そうなると最終氷期に山岳地帯だった場所に残る遺跡や、先行文明の生き残りたちが残した遺産を引き継いでいると思われる古代文明を見ていくしかない。 確実なのは、先行文明が巨石をみごとに加工する技術を持っていたことだ。インカの石壁や、バールバックの巨石壁、アモイ像の土台に見られるみごとな石の加工技術は、先行文明の遺産だろう。 インカの石壁の現物を見ると、現代文明では不可能な仕事をしていると誰でも思う。クスコにある太陽宮殿の神殿の石壁は、まるで鋼鉄製のようにみえる。内部がみごとに加工されて組み合わされているのだ。サクサイワマンの巨石要塞の精緻な作りも人知を超えている。オリアイタンボの巨石で作られた6枚の屏風板も同じだ。これらを500年から800年前のインカ帝国の人々が造ったという証拠はない。一方、先行文明の遺産だという証拠はたくさんあるが、詳しくは『神々の魔術』を読んで欲しい。 古代エジプト文明の精神性や知識などは、先行文明の遺産を受け継いでいると思われる。エジプト訪問をしたときには、古代エジプトの建造物の規模の大きさに驚いたが、石造りの容器にも驚かされた。 鉄よりも硬い閃緑岩や玄武岩や水晶をくりぬいて造られた花瓶などが、たくさん存在するのだ。これらは6000年前の先王朝時代から存在するが、サッカラの第3王朝の階段ピラミッドの下部の部屋からは3万個も一度に見つかっている。 どんな道具を使ったのだろう? 古代オリエント博物館の学芸員に尋ねたことがあるが、彼女はなんの不思議も感じないという。「古代の人々は根気がよかったのです。時間をかけて削ったのでしょう」。これには開いた口がふさがらなかった。19世紀の偉大な考古学者フリンダーズ・ペトリは「なにか道具があったに違いない」というが、何も発見されていない。これらは先行文明からの遺産で、道具などは海底の底に埋もれているのだろうか? 大ピラミッドの王の間にある石棺がどのように造られたのかも謎だ。石棺の内側の寸法と、外側の寸法を計測して、容積を比べると、みごとに2倍となる。ペトリは刃に宝石がついた円筒ドリルを使っただろうというが、なにも見つかっていない。 筆者は王の間の石棺の中で真っ暗闇の中、一時間ほど横たわっていたことがある。突然からだが浮かび宇宙に放り出されたような気がして、慌てて石棺の壁を触り、居場所を確認したが、不思議な感覚を得た。大ピラミッドの謎の多くはまだまったく答えが見つかっていない。やはり先行文明の知恵で建造されていると思う。 世界各地の大洪水伝説が語るのは、「なぜ大洪水が起こるか」の理由だ。それは、ほとんどの場合、人類が堕落して神々に嫌われたからだという。人類の堕落といえば21世紀こそ、その極致にも思える。いろいろな宗教の原理主義者たちが争い、「物欲がすべて」の世の中になり、格差が広がり人々の気持ちも荒んできている。こういうときに大洪水が発生すると、古代の神話は伝えている。 私たちの文明も先行文明のように滅ぶのだろうか? それはいつなのか? 天文学者たちによると太陽系は、現在、銀河宇宙の一番密度の高いところを通過中だという(天の川の中心)。この時期には太陽系に彗星などが大量に入り込んでくるそうだ。ここを通過するのに80年ほどかかるが、マヤの天文学の終末日である2012年12月21日は通過のちょうど中間点だという。 この時期に太陽系に入ってくる彗星は増えるが、現在の地球にとってもっとも危険なのはおうし座流星群だという。この流星群の流れの中に地球は年2回ほど突入している。6月と11月だ。この流星群の中には直径が1キロ以上の小惑星が200は存在する。また中心部には直径30キロの天体が存在すると考えられているが、まだ発見されていない。 ヤンガードリアス彗星衝突は、この流星群の一部だったとみられている。さらにこれはまだ仮説だが、ヤンガードリアス期寒冷期を終らせた海に落ちた彗星も、この流星群の可能性が高い。さらに100年前に落ちたツングースカの彗星も、この流星群の一部だった。NASAが警戒を強めているのは、おうし座流星群の存在だ。ベルモガ大学のスペディーカート教授は、この流星群の中心部と地球が遭遇するのは2030年頃だと見ている。 グラハム・ハンコックが『神々の魔術』で述べているように「私たちは鏡に映る自分の姿を見るのをやめ、宇宙を見上げることを学ばなくてはならない」「神や国家の名の下で、殺し合っているときではない」のだ。□ |
上の写真は「神々の魔術」より転載
上の図は「神々の魔術」より転載
ボヴァールとハンコックによると、真南の空でオリオン座ベルトの三つ星と、ギザの3大ピラミッドが、相似形となるのは1万2500年前の夜明けだという。 さらに、真東を向くライオン姿の大スフィンクスは、1万2500年の春分の日の夜明けには、真東からライオンを示す星座が昇ってくるのを見つめているという。 上の図は「神々の魔術」より転載
大ピラミッドは地球の北半球の模型になっている可能性が高い。 上の図は「神々の指紋」より転載
上の図は「神々の指紋」より転載
粟国島
以下は地中海のマルタ島
地質学コンサルタントのS・バドリナラヤン氏
上の図版はNPSより転載
上・北米スキャブランド
上・北米ドライフォールズ
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