マルタ諸島の巨人神殿を作った謎の先行文明
ハジャー・イム神殿
まずはハジャー・イム神殿の写真を見て欲しい。巨大な石灰岩を切り出して作られたこの巨石建造物は、世界最古の巨石神殿の一つだ。学者たちの見解ではマル タ島の巨石神殿群は紀元前3600年から前2500年の間に作られている。エジプト文明が始まったのは紀元前3000年。世界最古の文明といわれるシュ メールも紀元前3300年頃に突然ウルク期文化が現れて、壮大なレンガ作りの神殿が建てられるようになった。つまりマルタ諸島の巨石神殿群の一部が紀元前 3600年には建造されていたとすると、古代エジプト文明や古代シュメール文明よりも前の、先行文明が建造したことになる。だが、その先行文明がどんなも のであったかは不明であり、あまりにも謎が多く、何も解明されていない。そこで歴史の闇に放置されているのが現状だ。
平面図も見て欲しい。これもハジャー・イム神殿だが、楕円形の部屋がいくつもクローバの葉のように配置されている。このスタイルは他の神殿もほぼ同じ。 読者の方は、どこか他で、このような作りの神殿を見たことがあるだろうか? ないはずだ。マルタ諸島以外には見られない建造様式なのだ。
マルタ島を訪問することにしたのは、グラハム・ハンコックの新作『アンダーワールド・氷河時代の水没した王国』の翻訳をしていて、マルタ島が5章も出てき たためだ。訳していて、どうにも資料が集まらない。マルタ共和国は独立国で、イタリアにもギリシャにも属していない。したがってイタリアの観光ガイドブッ クを読んでもマルタのことは出てこない。といって、マルタ島だけの観光ガイドブックも見つからない。最新情報が得られたのはインターネットの中央地中海通 信だけだった。古代の遺跡となると、もっと情報が乏しい。
そこで真冬にノールウエイのオスロを訪問し、コンチキ博物館を訪問した後、マルタ島に向かった。雪景色のオスロから、アルプス山脈を越え、青い海と白い壁の光るマルタ島に到着したのは、1月中旬の真昼。
ホテルに着くと、アントン・ミフスッド博士から連絡があった。「奥さんも一緒か?」
「いや一人です」
電話の先で、ミフスッド博士の声がする。「オイ、一緒に行くか? 奥さんはいないらしいぞ」「エー、行くわ」と若々しい女性の声が聞こえた。
おやまあ、夫婦で来てくれるなんて、さすが地中海気質、と思った。ミスフッド博士はマルタ先史学会の会長。作家グラハム・ハンコックの紹介だ。
「シュン、マルタでは何を見たいんだ?」
「なるべくたくさんの巨石神殿と、地下神殿ハイポジウム」
「地下神殿は2週間前に予約しないと、難しいかもな。まあ、管理者と親しいから特別手配をお願いしてみるよ。今から急いで神殿めぐりをするか」
奥様と二人で連れていってくれたのは、まず、ハジャー・イム神殿とイムナイドラ神殿だった。
ハジャー・イム神殿は、マルタを代表する巨石神殿だ。丘の上に立つ神殿は白く輝く。写真の背の高い岩は高さが7メートルで重さが20トン。クローバの葉 のような内室は馬蹄形、あるいは半円形だ。壁の柔らかな曲線には目を見張った。このような巨石による曲線の壁を見るのは始めてといってよい。ペルーの空中 都市マチュピチュにも曲線の壁はあったが、小さな石で作られていた。巨石で作られたカーブする壁はエジプトでも見なかった。
丘を下っていくとイムナイドラ神殿がある。神殿の先の海上にはフィルフィラ島が浮かんでいる。このイムナイドラ神殿は太陽の運行に合わせて作られてい る。夏至と冬至の夜明けには、光のショーが見物できるのだ。それも演出されたショーで、ひらめく旗のイメージが、神殿内室の巨石の壁に浮かぶという。
建造した人たちが、天文学の知識をいっぱい持っていたのは明らかだ。イムナイドラ神殿は、金網の外からしか見ることができなかった。アントン・ミスフッ ド博士が守衛に頼んでみたが、許可は下りなかった。ミスフッド博士は小児科の有名な医者でもあり、マルタ島の有名人で、非常に尊敬されている人なのだ が・・・。
「さあ、日が暮れる前にあと2~3見ておこう」とミフスッド博士。
次に連れていってくれたのは、タルシーン神殿。この神殿が建造されたのは紀元前3100年頃だと見られている。つまりエジプトの大ピラミッド群よりも古い。
この神殿からは、写真のような太い足と大きなお尻を持つ地母神が発掘されているが、なにやら日本の縄文のヴィーナスを想わせる。このような太った女性 は、旧石器時代のヨーロッパによく見られるそうだ。旧石器時代というと今から1万年前だから、建造されたと思われている紀元前3100年頃とは時代が合わ ないことになる。それから、さらにホテルの中に組み込まれた神殿やら、金網に囲まれた神殿跡などを見学した。
「マルタにはこのような神殿がいくつぐらいあるのですか?」と、聞いてみた。
「発掘されたのが24カ所。それ以外にも崩壊した神殿跡を数えると40カ所ぐらいはあるでしょう」
「え! この島に?」
マルタ島の大きさは334平方キロで日本の淡路島の半分の大きさしかない。マルタの人々は、どこに行くのも15分も車を運転すればいけるという。さらに現在の人口は37万人。こんな小さな島になぜ、30とか40もの神殿があるのだろう?
「そうなんですよ。これもマルタの謎の一つですね。私は、もっと大きな文化圏があったに違いないと思っています。こんな小さな島だけだったら、40も神殿はいらないでしょう」(続く)
平面図も見て欲しい。これもハジャー・イム神殿だが、楕円形の部屋がいくつもクローバの葉のように配置されている。このスタイルは他の神殿もほぼ同じ。 読者の方は、どこか他で、このような作りの神殿を見たことがあるだろうか? ないはずだ。マルタ諸島以外には見られない建造様式なのだ。
マルタ島を訪問することにしたのは、グラハム・ハンコックの新作『アンダーワールド・氷河時代の水没した王国』の翻訳をしていて、マルタ島が5章も出てき たためだ。訳していて、どうにも資料が集まらない。マルタ共和国は独立国で、イタリアにもギリシャにも属していない。したがってイタリアの観光ガイドブッ クを読んでもマルタのことは出てこない。といって、マルタ島だけの観光ガイドブックも見つからない。最新情報が得られたのはインターネットの中央地中海通 信だけだった。古代の遺跡となると、もっと情報が乏しい。
そこで真冬にノールウエイのオスロを訪問し、コンチキ博物館を訪問した後、マルタ島に向かった。雪景色のオスロから、アルプス山脈を越え、青い海と白い壁の光るマルタ島に到着したのは、1月中旬の真昼。
ホテルに着くと、アントン・ミフスッド博士から連絡があった。「奥さんも一緒か?」
「いや一人です」
電話の先で、ミフスッド博士の声がする。「オイ、一緒に行くか? 奥さんはいないらしいぞ」「エー、行くわ」と若々しい女性の声が聞こえた。
おやまあ、夫婦で来てくれるなんて、さすが地中海気質、と思った。ミスフッド博士はマルタ先史学会の会長。作家グラハム・ハンコックの紹介だ。
「シュン、マルタでは何を見たいんだ?」
「なるべくたくさんの巨石神殿と、地下神殿ハイポジウム」
「地下神殿は2週間前に予約しないと、難しいかもな。まあ、管理者と親しいから特別手配をお願いしてみるよ。今から急いで神殿めぐりをするか」
奥様と二人で連れていってくれたのは、まず、ハジャー・イム神殿とイムナイドラ神殿だった。
ハジャー・イム神殿は、マルタを代表する巨石神殿だ。丘の上に立つ神殿は白く輝く。写真の背の高い岩は高さが7メートルで重さが20トン。クローバの葉 のような内室は馬蹄形、あるいは半円形だ。壁の柔らかな曲線には目を見張った。このような巨石による曲線の壁を見るのは始めてといってよい。ペルーの空中 都市マチュピチュにも曲線の壁はあったが、小さな石で作られていた。巨石で作られたカーブする壁はエジプトでも見なかった。
丘を下っていくとイムナイドラ神殿がある。神殿の先の海上にはフィルフィラ島が浮かんでいる。このイムナイドラ神殿は太陽の運行に合わせて作られてい る。夏至と冬至の夜明けには、光のショーが見物できるのだ。それも演出されたショーで、ひらめく旗のイメージが、神殿内室の巨石の壁に浮かぶという。
建造した人たちが、天文学の知識をいっぱい持っていたのは明らかだ。イムナイドラ神殿は、金網の外からしか見ることができなかった。アントン・ミスフッ ド博士が守衛に頼んでみたが、許可は下りなかった。ミスフッド博士は小児科の有名な医者でもあり、マルタ島の有名人で、非常に尊敬されている人なのだ が・・・。
「さあ、日が暮れる前にあと2~3見ておこう」とミフスッド博士。
次に連れていってくれたのは、タルシーン神殿。この神殿が建造されたのは紀元前3100年頃だと見られている。つまりエジプトの大ピラミッド群よりも古い。
この神殿からは、写真のような太い足と大きなお尻を持つ地母神が発掘されているが、なにやら日本の縄文のヴィーナスを想わせる。このような太った女性 は、旧石器時代のヨーロッパによく見られるそうだ。旧石器時代というと今から1万年前だから、建造されたと思われている紀元前3100年頃とは時代が合わ ないことになる。それから、さらにホテルの中に組み込まれた神殿やら、金網に囲まれた神殿跡などを見学した。
「マルタにはこのような神殿がいくつぐらいあるのですか?」と、聞いてみた。
「発掘されたのが24カ所。それ以外にも崩壊した神殿跡を数えると40カ所ぐらいはあるでしょう」
「え! この島に?」
マルタ島の大きさは334平方キロで日本の淡路島の半分の大きさしかない。マルタの人々は、どこに行くのも15分も車を運転すればいけるという。さらに現在の人口は37万人。こんな小さな島になぜ、30とか40もの神殿があるのだろう?
「そうなんですよ。これもマルタの謎の一つですね。私は、もっと大きな文化圏があったに違いないと思っています。こんな小さな島だけだったら、40も神殿はいらないでしょう」(続く)
地 下宮殿ハイポジウム
翌朝、朝の9時にミフスッド夫妻、それにイギリス人のジャネット夫人がホテルまで迎えに来てくれた。闇の地下宮殿ハイポジウムの見学許可がおりたのだ。地 下宮殿ハイポジウムは、マルタの繁華街ヴァレッタからそれほど離れていないハルサフリエニという街にあるが、なんと紀元前3600年頃の建造物だという。 中に入ると、内部の美しさ、構造の複雑さに目を見張る。地下宮殿は三階建てで、部屋の曲線や、入り口の姿など、地上の神殿に良く似ている。
現在は照明されているが、古代ではどのように照明していたのだろう。何か礼拝みたいなことが行われたのだろうが、使用目的は不明だ。
地下宮殿には旧石器時代を想わせる野牛の絵が描かれていたというが、今は見えなくなっている。ここからは眠れる婦人像と呼ばれる像が発掘されているが、これまた縄文のヴィーナスが横たわったような姿だ。
地下宮殿はここだけではなく、他にも存在することが知られている。だが、マルタ政府が、調査に興味を持っていないという。マルタ島はローマ法王の支配下 に有り、住民の95%がローマンカソリック。ローマ法王庁は、先史時代の考古学的解明には興味がなく、むしろ抑圧する傾向があるらしい。
さて、こんな見事な地下宮殿を5600年前に建造した、謎の先行文明は、どんな文明だったのか?
その謎を探るには、アーダラムという洞窟を見てみるべきだと、アントン・ミフスッド博士。
アーダラム洞窟には旧石器時代よりも前からの地層が堆積されている。マルタに大洪水が何度も押し寄せ、その度ごとにこの洞窟に土砂や動物や植物が流れ込 み堆積されたのだという。旧石器時代の層からは、鹿の骨、馬の骨などヨーロッパの動物層と同じ種類が見つかるという。なぜなら当時、マルタ島は隣の大きな 島シチリアと陸続きであったからだ。マルタが島となったのは今から1万5000年ほど前のことだと考えられている。それまではヨーロッパ大陸の一部で、人 や動物にとっては寒い北国から逃げてくる避寒地だったそうだ。今でもマルタ諸島は、英国や北欧の人々の避寒地だから、その点は、何も変わっていないわけ だ。
氷河時代の海面の高さは今よりも一二〇メートルから一四〇メートルは低かったわけだから、当時のマルタ島は今よりも大分、大きかったはずだ。ということ は、先行文明が栄えたのは、氷河期最盛期だったのだろうか? 当時ならミフスッド博士が言う、広域の文化圏だって形成できたわけだ。
翌日は、一人でタクシーを雇い、隣の島ゴゾにでかけた。ここにマルタで一番古いといわれるジュガンティヤ神殿がある。巨人が作った神殿という意味だ。冬場であり観光客が居らず、一人でこの遺跡を独占できた。
崩壊が激しいが、どう見ても異様な神殿だ。カーブする壁をもつ部屋がいくつもある。これに屋根があったらどんな感じだろう? と、想像してみたが、ピンと 来ない。マルタの巨石神殿群のように洗練された建造物が5600年前に建てられていたということは、高度な建造技術・天文知識をもつ文明がさらに古くから 存在していたことを意味する。そうなると、古代シュメールや古代エジプトが最古の文明だとしている、現代の歴史観は間違っていることが明らかだ。
マルタ島最後の夜は、ミスフッド夫妻の自宅パーティーに招待された。そこには、マルタ島が哲学者プラトンの言う、アトランティス島の残骸だと主張するクリス・アギウスも来ていた。
スクーバダイバーのクリス・アギウスはマルタ島近海で、多くの海底遺跡を見ている。特に圧巻なのは、巨大な水路が海底にあることだという。それも1つや2つではない、たくさんあるという。
実は陸上にも「カート・ラット」(荷車の轍(ルビ:わだち))とよばれる写真のような溝が、マルタ島の至る所に見られる。岩盤を直接削ったこの溝が何なの かは、全く不明だ。それが海の底にも続いているわけだが、海底の「カート・ラット」は規模が大きく運河の様になっているそうだ。
「水深は一八メートルぐらいかな。運河の幅は深さが二メートル。幅も二メートルぐらいだが、それが数百メートル続いている。岩盤を削って作った運河だ。途中には橋も架かっている」とクリス・アギウス。
それ以外にも、マルタの中心街スリマの沖合2キロの海底に神殿跡が残っていることも、ダイバーたちは知っているという。故シクルーナ中佐という英国海軍の水中考古学者が、見つけているのだ。
ミフスッド博士に聞いてみた。「クリス・アギウスはマルタ島がアトランティスの残骸だと言いますけど、どう思われます? そうなると、マルタ島の多くが1万2000年前に水没したことになりますが」
「根拠はあるでしょう。マルタがプラトンの言うアトランティスの残骸なら巨石神殿や地下宮殿の存在も納得できます。でも、私は、地質学的証拠から見て、マ ルタの南側に大きな陸地があったと考えています。そこが、紀元前2200年頃に地殻変動で水没しています。その地殻変動の記憶が、アトランティス物語とし て伝わった可能性があると思っています。マルタがアトランティスと関係があることは間違いないでしょう」
権威あるミスフッド博士のお墨付きを貰った「マルタ島・アトランティス説」は、いまや、マルタ政府の後押しまで受けているとのこと。読者もマルタ島にアトランティスの遺跡を見に行かれたらどうだろう?
現在は照明されているが、古代ではどのように照明していたのだろう。何か礼拝みたいなことが行われたのだろうが、使用目的は不明だ。
地下宮殿には旧石器時代を想わせる野牛の絵が描かれていたというが、今は見えなくなっている。ここからは眠れる婦人像と呼ばれる像が発掘されているが、これまた縄文のヴィーナスが横たわったような姿だ。
地下宮殿はここだけではなく、他にも存在することが知られている。だが、マルタ政府が、調査に興味を持っていないという。マルタ島はローマ法王の支配下 に有り、住民の95%がローマンカソリック。ローマ法王庁は、先史時代の考古学的解明には興味がなく、むしろ抑圧する傾向があるらしい。
さて、こんな見事な地下宮殿を5600年前に建造した、謎の先行文明は、どんな文明だったのか?
その謎を探るには、アーダラムという洞窟を見てみるべきだと、アントン・ミフスッド博士。
アーダラム洞窟には旧石器時代よりも前からの地層が堆積されている。マルタに大洪水が何度も押し寄せ、その度ごとにこの洞窟に土砂や動物や植物が流れ込 み堆積されたのだという。旧石器時代の層からは、鹿の骨、馬の骨などヨーロッパの動物層と同じ種類が見つかるという。なぜなら当時、マルタ島は隣の大きな 島シチリアと陸続きであったからだ。マルタが島となったのは今から1万5000年ほど前のことだと考えられている。それまではヨーロッパ大陸の一部で、人 や動物にとっては寒い北国から逃げてくる避寒地だったそうだ。今でもマルタ諸島は、英国や北欧の人々の避寒地だから、その点は、何も変わっていないわけ だ。
氷河時代の海面の高さは今よりも一二〇メートルから一四〇メートルは低かったわけだから、当時のマルタ島は今よりも大分、大きかったはずだ。ということ は、先行文明が栄えたのは、氷河期最盛期だったのだろうか? 当時ならミフスッド博士が言う、広域の文化圏だって形成できたわけだ。
翌日は、一人でタクシーを雇い、隣の島ゴゾにでかけた。ここにマルタで一番古いといわれるジュガンティヤ神殿がある。巨人が作った神殿という意味だ。冬場であり観光客が居らず、一人でこの遺跡を独占できた。
崩壊が激しいが、どう見ても異様な神殿だ。カーブする壁をもつ部屋がいくつもある。これに屋根があったらどんな感じだろう? と、想像してみたが、ピンと 来ない。マルタの巨石神殿群のように洗練された建造物が5600年前に建てられていたということは、高度な建造技術・天文知識をもつ文明がさらに古くから 存在していたことを意味する。そうなると、古代シュメールや古代エジプトが最古の文明だとしている、現代の歴史観は間違っていることが明らかだ。
マルタ島最後の夜は、ミスフッド夫妻の自宅パーティーに招待された。そこには、マルタ島が哲学者プラトンの言う、アトランティス島の残骸だと主張するクリス・アギウスも来ていた。
スクーバダイバーのクリス・アギウスはマルタ島近海で、多くの海底遺跡を見ている。特に圧巻なのは、巨大な水路が海底にあることだという。それも1つや2つではない、たくさんあるという。
実は陸上にも「カート・ラット」(荷車の轍(ルビ:わだち))とよばれる写真のような溝が、マルタ島の至る所に見られる。岩盤を直接削ったこの溝が何なの かは、全く不明だ。それが海の底にも続いているわけだが、海底の「カート・ラット」は規模が大きく運河の様になっているそうだ。
「水深は一八メートルぐらいかな。運河の幅は深さが二メートル。幅も二メートルぐらいだが、それが数百メートル続いている。岩盤を削って作った運河だ。途中には橋も架かっている」とクリス・アギウス。
それ以外にも、マルタの中心街スリマの沖合2キロの海底に神殿跡が残っていることも、ダイバーたちは知っているという。故シクルーナ中佐という英国海軍の水中考古学者が、見つけているのだ。
ミフスッド博士に聞いてみた。「クリス・アギウスはマルタ島がアトランティスの残骸だと言いますけど、どう思われます? そうなると、マルタ島の多くが1万2000年前に水没したことになりますが」
「根拠はあるでしょう。マルタがプラトンの言うアトランティスの残骸なら巨石神殿や地下宮殿の存在も納得できます。でも、私は、地質学的証拠から見て、マ ルタの南側に大きな陸地があったと考えています。そこが、紀元前2200年頃に地殻変動で水没しています。その地殻変動の記憶が、アトランティス物語とし て伝わった可能性があると思っています。マルタがアトランティスと関係があることは間違いないでしょう」
権威あるミスフッド博士のお墨付きを貰った「マルタ島・アトランティス説」は、いまや、マルタ政府の後押しまで受けているとのこと。読者もマルタ島にアトランティスの遺跡を見に行かれたらどうだろう?