23 修養のためになる心
英語で書いた文書のうち、もっともよく知られ、深く尊敬されているのは、旧約聖書の詩篇第二十三で、神があたかも羊飼いが羊を導き、かつ守るように世話してくださったと、ダビデが言う箇所です。体の内部にある指導する源が、平和な、幸福な、そして利益を生むところに彼を導いた、と言っているわけです。たいへんな試練にあうときにも、その指導は彼を離れなかったのです。つまり彼は大生命力を信じ、大生命力は、信じる彼の信念に応答したのでした。
ダビデの言った神とはなんですか? それはあなたの中にある神性の知恵の偉大な力です。あなたの中にあって、あなたをささえる賢明で目的に富み、また創造する源です。神性の知恵は、あなたの大生命力です。それは結局あなた自身の本質です。
神のような内部の指導する本質に頼るということは、われわれ自身に、また、みずからの知性と知恵を信頼することです。それは自信を持つことで、恐怖や、憶病や、落胆、劣等感などの反対です。「人よ、汝自身を知れ」の汝自身です。
あなたはなんですか? あなたは大生命力です。大生命力は疑いもなくその表現のために、あなたに化身したのですから、あなたは大生命力にとって重要な人です。あなたがその重要性を意義あらしめるにつれて、大生命力はあなたに関心をよせ、あなたを支えるのです。それは熟考に値するすばらしい考えではありませんか? 大生命力はその表現の手段として、あなたになったのですから、あなたには大生命力のためになすべき特別の仕事があるわけで、あなたは特別の人です。というのは全世界において他のどの人とも異なっているからです。
あなたは違って見える。考えも違っている。あなたには違った天性があり、他に類のない才能があるのです。特殊な方法で大生命力を表現できるのです。全世界の他のだれもができない方法でなにかをすることができるのです。ひとと違い、特別に身につけたものがあるので、できること、なすべきことをすれば、あなたの運命、または存在の理由を、満足させることになります。それを果たしなさい。そうすれば疑いもなく幸福です。それを拒めば、その範囲内だけ、大生命力は表現されずに終わるわけです。
あなたは重要です。その重要性を認めるとき・・・大生命力がくれた宿題を遂行するとき・・・大生命力へのあなたの分担を果たすとき・・・全力をつくして大生命力の生活を生きるとき・・・あなたの適所を満たすとき・・・ご自分の重要さを感じなさるのです。そのときは必ず内部指導と高い自己尊重とを感じなさるのです。
万物の宇宙構成の仕組みのなかで、あなたは重要でなければなりません。もしそうでなければ、第一に大生命力があなたを創造するはずはなかったのです。しかも大生命力みずからの素質や才能や信念、想像力、推理力、採択と行動の力などを付与することはなかったはずです。大生命力のもつ活力、エネルギー、平和、愛、落ち着き、幸福などを、もしあなたが大生命力にとって重要でなかったら、化身として注ぎこむことはしなかったでしょう。
大生命力は、あなたの前に宿題を置いたのです。好機を置いたのです。また、あなたがその宿題を遂行するに必要なあらゆる道具もくれています。大生命力は、あなたを通じて特殊の方法で、自分自身をきらびやかに表現しながら生きたいと望んでいるのです。そうでなければ、あなたを造り出したはずがありません。 あなた一流の方法で大生命力を十分に表現するとき、大生命力は、いっそう完全に表現されるのですから、あなたは幸福になり成功もできるのです。大生命力みずからも、いっそう幸福で、いっそう成功できるからです。その結果、あなたには裕福感があります。これがなすべきことをしたことへの報酬です。
動機が正しいとき、正しい方法で正しいことのみを欲求するとき、欲求が正しい行動にあるときに、内部の指導は来ます。「正しき人は見捨てられない」と言います。正しきを求めるときは、豊かさや、自己尊敬や自己尊重の感じがあります。もしも動機が他人に印象を与えたいだけだとか、あなたの自我を高揚するためだけだとか、あるいはお金のためだけ、またはなにかほかの物質的報酬のためなどのときは、そういう感じはきませんし、また来ようとしません。最良をつくしたとき(正しいことへの奉仕に最善をつくしたとき)には、物質的利得よりもはるかに以上の報償を得ます。当然、あなたは物質的な報酬も期待なさるでしょう。それに値するのですから、それを得ます。しかも死ぬことのない、深い内部の満足も得ることになります。
たしかに過誤をおかされたこともあるでしょう。あなたの判断において、誤りにおちいったことがあったろうと思います。しかし過失をしなかった人が、どこにいるでしょうか? 動機が正しいときには、過誤は成功への踏み石にかえることができます。簡単に過去を許しなさい。自信を持って、恐れることなく前進しなさい。あなたの前方に横たわっているものごとを行ない、あなたの知るかぎりの最善をつくすとき、救いあげられ、案内され、指図され、支持され、保護されることを感じるでしょう。力を感じるでしょう。結果への恐怖も消えるでしょう。正しいことを正しい方法で行なうとき、あなたとともに、また、あなたのために働く大生命の全ての力を持てます。手がきれいで、主張が正しく、最善をつくしたことを心に知っていれば、勇気という名の高い丘にのぼれます。
つねに知るかぎり最良の方法で、なすべきことをなさい。あらゆる手段をつくしておのれに感謝し、おのれを、よくやっているとほめなさい。もちろんだれしも、自分の知る最善より以上のことはできません。しかし、もし今日できる限りの最善をつくせば、毎日、さらにそれ以上多くを知るでしょう。理解は日々に増大するのですから。
恐れるとき、なにが起こるかを心配するとき、仕事の成果よりも、あなた自身に全注意を向けるときは、混乱し、心くじけ、不安定になり、自分自身を高く評価できず、勇気はそがれるでしょう。大生命力があなたにさせるために、あなたを創造したその仕事をするとき、おのれに真実であるとき、なにが起こるかについて恐怖はないでしょう。なぜなら生きる目的を果たしていると知り、大生命力の知恵ある全能の偉大な力によって守られ、支えられていることを知っているためです。
私の知っているある男の方は、努力と企画と過労をもって事業を大発展させましたが、心臓障害で倒れ、事業は深刻な打撃を受けました。巨額の借財がかさみ、完全な失敗に直面したかに見えました。
しかし、彼の事業は世の人びとに奉仕する好機だと知ったとき(大生命力が彼に事業を与えたのは、表現の一つの手段であって、それによって大生命力が従業員や世間の人々への奉仕をおこなおうとしているのだ、と悟ったとき)緊迫感は消えて、彼の健康はもとに復しました。大生命力の善のために、彼はその事業を運営する支配人だとして自分を眺めるようになったのです。そうすると自信はもどり、事業は、いまは成功して利益をあげています。すべては人間の心の在り方にあるのです。
あなたのなかには、すぐれた権威のポイント、あなたが「私」と言う、知覚の一ポイントがあります。知覚のそのポイントは、いかなる外界の騒ぎや混乱にも支配されることはありません。それは失敗を知りません。そのポイントで採択し、決定するのです。なにを思うか、どう感情を指向するか、いかに肉体を行動させるか、そして、あなたがなにをするか、などを選ぶのです。あなたの中の偉大な力と知恵の、その驚くべき極秘の場所、外界のどんな体験も触れることのないその場所を黙考して、その中心から外界にむかって生きなさい。
外界から内に向かって生きようとはけっして試みてはいけません。その知覚の中心ポイントは、あなた自身の個性の中心であり、無限の大生命力そのものが個人化して、あなたとなっているのです。あなたのなかの至上の知恵と偉大な力の内心のポイントを黙考なさい。
そうすると、身辺の諸事や活動のうえに、完全な支配力を持つことがわかるでしょう。外界のなにものも、あなたを支配できず、また支配しないことがわかるでしょう。いまから始めて、目前によこたわるなにごとも、自分が承認できる方法で行なう決意をしなさい。自分を満足させるような方法で、すべてを行ないなさい。
毎晩すわって、静かにくつろぎなさい。あなたの得た成果に満足感と喜悦感を持って、一日をふりかえりなさい。これを毎日の習慣にすると、まもなく平和と躍動的な内心の偉大な力を感じつつ毎日を過ごすようになるでしょう。感謝がわき起こり、完全な自信が持てるでしょう。みずからが運命の主人公であることを知るでしょう。なぜならば、あの内部の、無限の知恵の極秘の場所から、あなたは決定をするからです。
積極的な確信を持って、あなた自身に言いなさい・・・
「私は平静で清浄さと自信がある。来るがまま、おだやかな静かな確かさで、各事態に対処できる。私の内の大生命力の無限の知恵は、あらゆる問題を解決できる。大生命力を信じて頼る。私の内の神の・・・無限の大生命力の知恵は、必要なときに意識の表面に出てくる。それは、どんな問題でも私自身の外側に置くことをして、それを私個人にかかわりなく平静に観察できる。私はそこで、私の取り扱えるものがなんであるかを、明らかに見ることができる。そして、たやすく完全に処理できる」
「難題を分析するとき、それについての真相を知る。上から、周囲から、またそれを貫いて見る。そうすると、もはや難題などではなく、それは挑戦であり、好機であることを知る。そして私の機知にたよって処理する。それは私の部分ではないことを見る。たかが一時的な体験であり、私を支配もできず、解決は簡単かつ容易である」
「私の目前のあらゆる問題を平静に、自信を持って、きれいに、十分な確かさをもって扱う。つねに私の心の中にあるなにをなすべきか、どうすべきかを知る知恵と偉大な力にめざめている」
「私自身に信念を置いているから、なんでもなしとげたいと思うことをなしとげる私の才能に信じている。自分を信じる。自然界の大生命力(神の大生命力)は、私の生命力だと知っているので、私自身を高く評価する。毎日を、平静に確かさをもって送る。私の決定に信念を置く。なぜなら無限の知恵とめざめの、あの高い神の水準のものだと知っているからだ。私の才能をいつも完全に支配している」
「大生命力に対する私の信念は、勇気をもたらし、自信と、機知と、強さをもたらす。私の言うこと、することは、常に完全な自信と確かさをもって言われ、行われる。足はバネ仕掛けのように軽やかである。目の観察は鋭い。頭を高く保つ。声は強く、完全に意にしたがう。外見は人の尊敬を呼ぶ。思考はもの静かで確かである。人と話すときは、その人の目にまともに見る。たやすく流暢に話し、伝えようと望む思想は、ことばによる明瞭な絵でつねに与えることができる」
「私はよい聞き手だ。友人や仲間の人たちは私に協力する。彼らの福祉向上に活発な興味を持つからだ。親愛を示すから、たくさんの友人がいる。人びとは私を尊敬する。私が彼らを尊敬し、また私自身を尊敬するからだ。自分の判断に自信を持っている、正直で頼りになる人間だからだ。私は腕力と力と勇気を持っていると感じている。自信があって平静である。おのれに信念を置き、みずからを尊敬する。自分を高く買っている。一つの成就からつぎの成就へと前進できる。それが私についての真実だ」
英語で書いた文書のうち、もっともよく知られ、深く尊敬されているのは、旧約聖書の詩篇第二十三で、神があたかも羊飼いが羊を導き、かつ守るように世話してくださったと、ダビデが言う箇所です。体の内部にある指導する源が、平和な、幸福な、そして利益を生むところに彼を導いた、と言っているわけです。たいへんな試練にあうときにも、その指導は彼を離れなかったのです。つまり彼は大生命力を信じ、大生命力は、信じる彼の信念に応答したのでした。
ダビデの言った神とはなんですか? それはあなたの中にある神性の知恵の偉大な力です。あなたの中にあって、あなたをささえる賢明で目的に富み、また創造する源です。神性の知恵は、あなたの大生命力です。それは結局あなた自身の本質です。
神のような内部の指導する本質に頼るということは、われわれ自身に、また、みずからの知性と知恵を信頼することです。それは自信を持つことで、恐怖や、憶病や、落胆、劣等感などの反対です。「人よ、汝自身を知れ」の汝自身です。
あなたはなんですか? あなたは大生命力です。大生命力は疑いもなくその表現のために、あなたに化身したのですから、あなたは大生命力にとって重要な人です。あなたがその重要性を意義あらしめるにつれて、大生命力はあなたに関心をよせ、あなたを支えるのです。それは熟考に値するすばらしい考えではありませんか? 大生命力はその表現の手段として、あなたになったのですから、あなたには大生命力のためになすべき特別の仕事があるわけで、あなたは特別の人です。というのは全世界において他のどの人とも異なっているからです。
あなたは違って見える。考えも違っている。あなたには違った天性があり、他に類のない才能があるのです。特殊な方法で大生命力を表現できるのです。全世界の他のだれもができない方法でなにかをすることができるのです。ひとと違い、特別に身につけたものがあるので、できること、なすべきことをすれば、あなたの運命、または存在の理由を、満足させることになります。それを果たしなさい。そうすれば疑いもなく幸福です。それを拒めば、その範囲内だけ、大生命力は表現されずに終わるわけです。
あなたは重要です。その重要性を認めるとき・・・大生命力がくれた宿題を遂行するとき・・・大生命力へのあなたの分担を果たすとき・・・全力をつくして大生命力の生活を生きるとき・・・あなたの適所を満たすとき・・・ご自分の重要さを感じなさるのです。そのときは必ず内部指導と高い自己尊重とを感じなさるのです。
万物の宇宙構成の仕組みのなかで、あなたは重要でなければなりません。もしそうでなければ、第一に大生命力があなたを創造するはずはなかったのです。しかも大生命力みずからの素質や才能や信念、想像力、推理力、採択と行動の力などを付与することはなかったはずです。大生命力のもつ活力、エネルギー、平和、愛、落ち着き、幸福などを、もしあなたが大生命力にとって重要でなかったら、化身として注ぎこむことはしなかったでしょう。
大生命力は、あなたの前に宿題を置いたのです。好機を置いたのです。また、あなたがその宿題を遂行するに必要なあらゆる道具もくれています。大生命力は、あなたを通じて特殊の方法で、自分自身をきらびやかに表現しながら生きたいと望んでいるのです。そうでなければ、あなたを造り出したはずがありません。 あなた一流の方法で大生命力を十分に表現するとき、大生命力は、いっそう完全に表現されるのですから、あなたは幸福になり成功もできるのです。大生命力みずからも、いっそう幸福で、いっそう成功できるからです。その結果、あなたには裕福感があります。これがなすべきことをしたことへの報酬です。
動機が正しいとき、正しい方法で正しいことのみを欲求するとき、欲求が正しい行動にあるときに、内部の指導は来ます。「正しき人は見捨てられない」と言います。正しきを求めるときは、豊かさや、自己尊敬や自己尊重の感じがあります。もしも動機が他人に印象を与えたいだけだとか、あなたの自我を高揚するためだけだとか、あるいはお金のためだけ、またはなにかほかの物質的報酬のためなどのときは、そういう感じはきませんし、また来ようとしません。最良をつくしたとき(正しいことへの奉仕に最善をつくしたとき)には、物質的利得よりもはるかに以上の報償を得ます。当然、あなたは物質的な報酬も期待なさるでしょう。それに値するのですから、それを得ます。しかも死ぬことのない、深い内部の満足も得ることになります。
たしかに過誤をおかされたこともあるでしょう。あなたの判断において、誤りにおちいったことがあったろうと思います。しかし過失をしなかった人が、どこにいるでしょうか? 動機が正しいときには、過誤は成功への踏み石にかえることができます。簡単に過去を許しなさい。自信を持って、恐れることなく前進しなさい。あなたの前方に横たわっているものごとを行ない、あなたの知るかぎりの最善をつくすとき、救いあげられ、案内され、指図され、支持され、保護されることを感じるでしょう。力を感じるでしょう。結果への恐怖も消えるでしょう。正しいことを正しい方法で行なうとき、あなたとともに、また、あなたのために働く大生命の全ての力を持てます。手がきれいで、主張が正しく、最善をつくしたことを心に知っていれば、勇気という名の高い丘にのぼれます。
つねに知るかぎり最良の方法で、なすべきことをなさい。あらゆる手段をつくしておのれに感謝し、おのれを、よくやっているとほめなさい。もちろんだれしも、自分の知る最善より以上のことはできません。しかし、もし今日できる限りの最善をつくせば、毎日、さらにそれ以上多くを知るでしょう。理解は日々に増大するのですから。
恐れるとき、なにが起こるかを心配するとき、仕事の成果よりも、あなた自身に全注意を向けるときは、混乱し、心くじけ、不安定になり、自分自身を高く評価できず、勇気はそがれるでしょう。大生命力があなたにさせるために、あなたを創造したその仕事をするとき、おのれに真実であるとき、なにが起こるかについて恐怖はないでしょう。なぜなら生きる目的を果たしていると知り、大生命力の知恵ある全能の偉大な力によって守られ、支えられていることを知っているためです。
私の知っているある男の方は、努力と企画と過労をもって事業を大発展させましたが、心臓障害で倒れ、事業は深刻な打撃を受けました。巨額の借財がかさみ、完全な失敗に直面したかに見えました。
しかし、彼の事業は世の人びとに奉仕する好機だと知ったとき(大生命力が彼に事業を与えたのは、表現の一つの手段であって、それによって大生命力が従業員や世間の人々への奉仕をおこなおうとしているのだ、と悟ったとき)緊迫感は消えて、彼の健康はもとに復しました。大生命力の善のために、彼はその事業を運営する支配人だとして自分を眺めるようになったのです。そうすると自信はもどり、事業は、いまは成功して利益をあげています。すべては人間の心の在り方にあるのです。
あなたのなかには、すぐれた権威のポイント、あなたが「私」と言う、知覚の一ポイントがあります。知覚のそのポイントは、いかなる外界の騒ぎや混乱にも支配されることはありません。それは失敗を知りません。そのポイントで採択し、決定するのです。なにを思うか、どう感情を指向するか、いかに肉体を行動させるか、そして、あなたがなにをするか、などを選ぶのです。あなたの中の偉大な力と知恵の、その驚くべき極秘の場所、外界のどんな体験も触れることのないその場所を黙考して、その中心から外界にむかって生きなさい。
外界から内に向かって生きようとはけっして試みてはいけません。その知覚の中心ポイントは、あなた自身の個性の中心であり、無限の大生命力そのものが個人化して、あなたとなっているのです。あなたのなかの至上の知恵と偉大な力の内心のポイントを黙考なさい。
そうすると、身辺の諸事や活動のうえに、完全な支配力を持つことがわかるでしょう。外界のなにものも、あなたを支配できず、また支配しないことがわかるでしょう。いまから始めて、目前によこたわるなにごとも、自分が承認できる方法で行なう決意をしなさい。自分を満足させるような方法で、すべてを行ないなさい。
毎晩すわって、静かにくつろぎなさい。あなたの得た成果に満足感と喜悦感を持って、一日をふりかえりなさい。これを毎日の習慣にすると、まもなく平和と躍動的な内心の偉大な力を感じつつ毎日を過ごすようになるでしょう。感謝がわき起こり、完全な自信が持てるでしょう。みずからが運命の主人公であることを知るでしょう。なぜならば、あの内部の、無限の知恵の極秘の場所から、あなたは決定をするからです。
積極的な確信を持って、あなた自身に言いなさい・・・
「私は平静で清浄さと自信がある。来るがまま、おだやかな静かな確かさで、各事態に対処できる。私の内の大生命力の無限の知恵は、あらゆる問題を解決できる。大生命力を信じて頼る。私の内の神の・・・無限の大生命力の知恵は、必要なときに意識の表面に出てくる。それは、どんな問題でも私自身の外側に置くことをして、それを私個人にかかわりなく平静に観察できる。私はそこで、私の取り扱えるものがなんであるかを、明らかに見ることができる。そして、たやすく完全に処理できる」
「難題を分析するとき、それについての真相を知る。上から、周囲から、またそれを貫いて見る。そうすると、もはや難題などではなく、それは挑戦であり、好機であることを知る。そして私の機知にたよって処理する。それは私の部分ではないことを見る。たかが一時的な体験であり、私を支配もできず、解決は簡単かつ容易である」
「私の目前のあらゆる問題を平静に、自信を持って、きれいに、十分な確かさをもって扱う。つねに私の心の中にあるなにをなすべきか、どうすべきかを知る知恵と偉大な力にめざめている」
「私自身に信念を置いているから、なんでもなしとげたいと思うことをなしとげる私の才能に信じている。自分を信じる。自然界の大生命力(神の大生命力)は、私の生命力だと知っているので、私自身を高く評価する。毎日を、平静に確かさをもって送る。私の決定に信念を置く。なぜなら無限の知恵とめざめの、あの高い神の水準のものだと知っているからだ。私の才能をいつも完全に支配している」
「大生命力に対する私の信念は、勇気をもたらし、自信と、機知と、強さをもたらす。私の言うこと、することは、常に完全な自信と確かさをもって言われ、行われる。足はバネ仕掛けのように軽やかである。目の観察は鋭い。頭を高く保つ。声は強く、完全に意にしたがう。外見は人の尊敬を呼ぶ。思考はもの静かで確かである。人と話すときは、その人の目にまともに見る。たやすく流暢に話し、伝えようと望む思想は、ことばによる明瞭な絵でつねに与えることができる」
「私はよい聞き手だ。友人や仲間の人たちは私に協力する。彼らの福祉向上に活発な興味を持つからだ。親愛を示すから、たくさんの友人がいる。人びとは私を尊敬する。私が彼らを尊敬し、また私自身を尊敬するからだ。自分の判断に自信を持っている、正直で頼りになる人間だからだ。私は腕力と力と勇気を持っていると感じている。自信があって平静である。おのれに信念を置き、みずからを尊敬する。自分を高く買っている。一つの成就からつぎの成就へと前進できる。それが私についての真実だ」