「萬亀眼鏡の東京散歩」
トウキョウを見よう!
「萬亀眼鏡の東京散歩」ページを始めるにあたって 飯森好絵 3月10日 「東京散歩の会」を設立してからというものの、よく歩き回っている。東京生まれ・東京育ちの私が「東京」に興味を持ち始めて約2年。もともと、様々な人々が集い、文化が交わる「都市」は好きなのにもかかわらず、無計画に広がる東京には魅力を感じられなかった。学生時代、私の興味はイギリスを中心にヨーロッパへと向いていた。最初の仕事はアジアを専門にした雑誌の編集で、大使や現地の企業のトップに取材したり、アジア各国へ出張することを誇りに思っていた。しかし、海外について、知識が増えて、理解が進んでくると、東京の特異性、面白さをなんとなくではあるが、感じるようになってきたのだ。こんな面白いところに住んでいながら、それを意識しないのは、なんとももったいないと思い、「東京を見てみよう」と活動を始めたわけだ。 身近な景観に目を向けるということは世の中の流行でもある。書店に行けば、東京の町並みを紹介する雑誌やガイドブックが目立つし、都内の史跡を巡るウォーキングツアーなるものを実施するサークル、自治体も少なくない。街を見直そう、都市計画に新たな視点を、という動きもかなりあるようだ。 新宿区は、昨年の5~6月に「あなたの好きな景観・風景」として募集したもののなかから、「景観まちづくり賞」を発表した。2001年1月25日付けの区報の紹介をみていると、なかなかバラエティに富んでいることがわかる。(*) 新宿というと、新宿駅周辺の盛り場を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、新宿区はとても広く、様々な顔を持っている。もちろん、「新宿サザンテラス」や「新宿ミロードモザイク通り」といった、新宿駅を降りたことがある人なら、誰もがすぐに分かるスポットも登場している。確かに、こうしたところをフラフラ歩き、コーヒーを飲んだり、ショッピングをしたりすれば、都会の真ん中にいる気持ちがして、なんとも楽しい気持ちになる。ただ、これだけで新宿を判断するのは、早計というものだ。 例えば、「刑部邸」や「石橋邸」を例に出すまでもなく、下落合から中井にかけては、高級住宅街としての顔を持つ。今回は、市谷加賀町界わいが挙げられているが、小ぢんまりとした商店やかつての町並みが残っている牛込地区においては、箪笥町や二十騎町など、昔ながらの地名が残っている。東京は関東大震災、第二次世界大戦、で完全に破壊され、バブル時代における使い捨て感覚の建設ラッシュなどで変容しているように思えるが、ふと気づくとかつての東京も垣間見ることもできる。 歩くことで、都市をよりよく理解し、コンテンポラリーで国際的なトウキョウとともに、伝統的な日本を体感できるのだ。都内を移動するのに、電車、地下鉄を利用することが多いだろう。そうすると、点でしか、都市を感じることができない。用事を済ますためだけに、そこを通り過ぎているだけなので、得るものはないと言えるだろう。歩く速度で目に入ってくるもの、匂い、音などを感じると、今まで見えてこなかったものが得られることもあるのだ。 このページでは、東京を歩いて発見したもの・ことを書き、散歩の楽しさを共有できたら、と思っている。 坂と川を巡る梅見の散歩 3月19日 本日のコース: 江戸川公園→椿山荘→東京カテドラル聖マリア教会→新江戸川公園 散歩をした日:2001年2月4日 地下鉄有楽町線江戸川橋駅そばの高速道路出口の脇の橋で神田川を渡り,江戸川公園へ入る。かつて、小石川関口台辺りから、飯田橋までの神田上水は江戸川と呼ばれていた。この辺り、神田川の水を利用しての紙漉きや染色が盛んだったとか。明治時代より、神田川沿いは桜並木が有名で,現在でも花の時期には,川にへばりつくようにしてある細長いこの公園は宴を楽しむ人でいっぱいになる。いつもは静かなこの小道のような公園が,宴会場と化し、ただ歩くだけでも楽しくなるのだ。しかし,梅が咲いても,現代の日本では,誰も「花見をしよう」とは言わない。私は桜より梅の方が好きだ。なぜなら、静かに香りを楽しむことができるからだ。そして今日も、公園には小さい子どもとお父さんがいるっきり。八分咲きで香りのよい梅の木の下を子供は三輪車で遊んでいた。 神田川沿いの歩道を通り,椿山荘の裏門を横目に,胸突坂を曲がる。元禄10年(1697)に開かれた坂だという。この辺りが山の手であることを認識する急な坂だ。この坂には小さいお社の水神社がある。小さすぎて、私なぞついつい目もくれずに通り過ぎてしまうくらいだ。 目白通りを右折し,椿山荘の正面に出る。フォーシーズンズなど新しい建物のため,「かつてより狭くなった」と言うお年寄りは多い。結婚式を椿山荘で挙げたというご婦人が目黒雅叙園で披露宴をしたというご婦人に,「昔の方が,断然,お庭がきれいだったのよ」と言うのをつい2、3ヶ月前に山手線のなかでも聞いた。 ここのロビーでお茶を飲みながら,お庭を眺めるのもよいし、実際に土地の高低を生かしたお庭を実際に歩くのも楽しいだろう。ここには,三重の塔や涌き水をたたえる井戸などがある。お正月には「七福神スタンプラリー」という催しをするようだが、庭の中には七福神の石像もある。 日曜の午後,客層は披露宴の出席者が大半を占めるように見えた。白いウエディングドレス姿の花嫁さんを目撃。お庭のチャペルで式を挙げたのだろう。和やかな雰囲気で,ロビー全体が,まるでピンクのもやがかかっているようだ。そんな華やかな雰囲気のロビーを通りぬけ,洗練されたお庭へ出る。ここでも梅が咲き始めている。本数は多くないものの、三重の塔を目の隅に置きながら,池に面して枝を張り出す梅を見るのも悪くない。 本日一番のなごみスポットは東京カテドラル聖マリア大聖堂だ。言わずと知れた丹下健三の大作品。聖堂内にいた人の内訳は,結婚式の打ち合わせに来たらしいカップルと建築学部の学生とおぼしき青年3人組。皆が出ていった後に,一人で静かな時間が流れるままに座って,大きなクロスを眺める。 建築は散歩のよいタネだ。海外へ観光旅行に出るとき,橋や城などの構造物を眺めることも多いと思うが,東京を歩くときも,同じ視点で見つめると,今までとは違う姿が浮かんでくることもある。昔のままの建物がピカピカビルに挟まれているのを発見したり,ちょっとしゃれたデコレーションを施した小さな住宅を見つけたりできるのだ。私は建築に対して知識がまるでないので,「好き,嫌い」でそれらを見て,気に入れば,また通うだけのことだ。 目白通り沿いの小さなビルの2階にちょっとしゃれた器のお店を発見。作家モノの花瓶や食器が白い壁に映えるように陳列されている。馴染み客らしい老人が、「自分の葬式のために香典返しのための器を注文しておきたい」と店の人と話していた。同じタイミングで店を出て、目が合ったのでにこっと笑うと、「よくこの店に来るんだよ」と教えてくれた。品物を買いに来たというよりも、孫ほどの若い店員と話に来るのを楽しんでいるように思えた。 目白通りから、幽霊坂を下る。両サイドを塀にふさがれていて,昼間でも薄暗い。ここから最後の目的地、新江戸側公園へ入る。 元々は細川越中守の下屋敷だったところで、池を中心に地形の高低を活かした回遊式泉水庭園。奥まったところは小道が分かれ、木もうっそうとしているので、迷路にいるような気分になり、どっちに行こうかと迷う楽しみがある。現在は公園事務所として使われている松声閣をバックに、紅梅がそろそろ咲き始めていた。初老の夫婦が梅を見ていて、奥さんに「逆光だな」と言いつつ、だんなさんは、梅の写真をぱしゃぱしゃと取っていた。公園の中にはポツリポツリと老人がいるばかり。もうすこし暖かくなったら、ここで読書をするのも良い、と思わせるほどの静けさだ。 都電荒川線早稲田駅へ向かうため,目白台から高田へ抜ける。目白台と高田は地図で見ると隣だが,歩いてみると町の雰囲気がまるで違う。目白台の方には大きな敷地を持つお宅が多いが,高田は庶民的。商店街も個性的だ。高田についてはまた別の機会にレポートしよう。●永青文庫、芭蕉庵、講談社野間記念館など魅力的なスポットが道中存在する。時間と興味とに応じて覗いてみてはいかがですか。 関西再び…憂鬱になるほど疲れているときの散歩はやめなきゃ 3月26日 東京散歩と名打っているのに、またも大阪である。ここのところ、仕事で大阪出張が続いていたため、都内を散歩していないのだ。しかし、しばらくは大阪に行くこともないだろうから、「まぁ、よいか」と思っていた。そこで、私の頭に上ったのが、阪急梅田駅。駅内部の装飾を伊東忠太が委託されたという。その週末、我が「東京散歩の会」で、「伊東忠太を巡るツアー」を予定していたので、忠太のデザインした通路を見るのは時機に適っていると思った。 大阪での仕事は金曜日。土曜日に梅田で忠太デザインを見て、日曜日に都内の忠太モニュメントを巡る…完璧な計画だった。 荷物を新大阪のロッカーに入れ、大阪駅へ向かう。そこから、梅田駅まで歩こうという算段だ。駅名は違っても、同じ駅という認識だ。大阪駅を出て、地下通路を行く。わくわくして、仕事の疲れも忘れ、歩くスピードも自然と速くなる。阪急梅田駅という看板をみつけ、もうすぐそこだ!と興奮し、頭の中に、本で見たイメージが膨らむ。 そして、駅につく。どれだ、どれだ!? ガイドブックなどを持たず、適当にふらつく散歩人はここで不安になる。高い天井はあれど、本で見たモザイクが見当たらないではないか! もしかして撤収されてしまったのか? ぐるぐると歩き回る。地下も地上も。本を持ってくればよかったとも思うが、後悔も先に立たず。結局、歩くのもおっくうなほどの疲れをだましての探検だったので、すぐにいやになり、あっという間にあきらめてしまった。自宅で改めて調べてみると百貨店の方へ向かえばよかったらしい。ビザンチン様式ばりのモザイクで地に金を使った壁画があり、壁画の図柄は獅子、鳳凰、龍、馬だという。次回は場所も頭の中に入ったので、ちゃんとたどり着けるだろう。 そう、行き当たりばったりの散歩人にはこういうこともある。綿密に計画をたてているわけではないから、しかたがない。普通の状態なら、きっと見つけられただろうけど、タイミングが悪かったのだ。 こんな頭と体では観光をする気もしないけど、このまま東京に帰るのはしゃくだなぁ…と思いつつ、地上に出た。電話をくださいという留守番電話のメッセージを聞き、友人に電話をする。 「まぁ、このまま神戸に出て、異人館にでも行こうかと思っているんです」と相手に伝えると、「北野のほうにおいしいお菓子屋さんがあるから、行ってみて…」。これで決定。ケーキを食べに行こう! 毎週、土曜日にお気に入りの喫茶店でお茶を飲むのが習慣になっている私にとって、神戸で土曜日のお茶をすることは、日々の儀式をこなすことと同じことなので、負担にならない、と判断したのだ。冷静に考えると、まったく馬鹿げている。でも、今週は散歩なし、というのは正解。 大阪で、忠太には出会えなかったけれど、神戸ではおいしいお菓子にありつけた。これで関西に来た甲斐があった、と満足し、おしゃれな神戸の女の子たちを眺めつつ、久しぶりに買い物なんぞをして、帰京したのだった。 横浜は税金でデートスポットを作っている!? 4月2日 横浜市役所の小田嶋鉄朗氏は3年前から、横浜における洋館保存やライトアップされた建物に焦点を当てたスタディーツアーを開催している。参加者の中心は大学で造園を専攻している学生だ。ランドスケープとライトをかけて「ライトスケープ・横浜」と名づけられたウォーキング・ツアーの企画を知ったのが昨年の春。その場で,参加させてくれるようにお願いをした。 現実に進んでいる都市計画のプロジェクトをたどるツアーなので、学生にとっては、とても良い勉強の機会になっている。街を意識的に歩いていなければ、こうした例を研究することはできないが、なかなかこうした現場に足を運ぼうと常にアンテナを伸ばしている学生が多くはないそうだ。 年1度とはいえ、徒歩圏内に様々な事例の詰まっている横浜をレクチャー付きで見ることはとても有意義なことだと思う。「先輩として、見るべきポイントを示すだけ。後は、学生一人一人がものを見て,後の研究や仕事のヒントにするような回路にしたい」と小田嶋氏は語る。知識の押し付けでなく、あくまでも学生が何かに「気づく」手助けをするだけというのがこの企画のすばらしいところだ。 ランドスケープの門外漢である私が、なぜ、この企画に興味を持ったかというと、1つは単純に、巡る地域が、横浜のよい散歩コースに仕上がっていること。もう1つは、よその世界を覗いてみたいといういつもの好奇心がふくらんだからだ。 まちづくりにおいては、根本的に民間でできることはタカが知れている。行政と民間が四つに組んで初めて具現化するものばかりであろうと素人は推測している。雑誌やテレビで登場する「カップルにオススメの」横浜のライトアップなどの事業はどのような仕組みになっているのだろうと興味を持ったのだ。実際のプロジェクトに携わっているかどうかは別にして、仕事の裏側の話が聞けるはず…という野次馬根性を抱えながらツアー当日を迎えた。 今年の実施は2月24日(土)。例年、空気がきれいな冬に開催するという。今年はあいにくの霧雨でのスタートとなった。ただ、空気に含まれる水分に光が反射して、いつもとはまた違う雰囲気のライトアップが楽しめたようだ。 土曜日の夕暮れ、イタリア山庭園から始まり、5キロほどを歩く。山下公園では、カップルがたたずみ、夜景をバックにロマンチックな雰囲気に酔っている。それを横目に見ながら、小声で、「横浜市では少子化対策のために、ライトアップ事業をやっているのです」などという冗談が飛ぶ。「なるほど! それは、よい対策ですね」とこちらもからかい半分で応える。 古い洋館や倉庫、船、港、橋などの基礎となる財産がある横浜なら、新たに若者を呼び込むための施設はもはや必要なく、街自体を魅力的にするための方策を練ることで十分なのかもしれない。そのアイデアの1つがライトアップなのだろう。 公園づくりにしても、いかに、カップルが気持ちよく座れるかなどと考えられていることに気づく。横浜では、公共施設がすでにデート仕様にデザインされているのではと思わざるを得ない。なんとなくデザイン至上が感じられるところである。そのためだろうか、雰囲気を大切にするために、見た目を重視し、破壊されやすく、すぐに撤去しなければならない構造物があったり、故障してもすぐに取り替えられないデザインにしてしまったり,という例も見せてもらった。逆に、治安を気にして、辺りを明るくしすぎて、細かい細工の光の演出が目立たない、という惜しい例もある。 すべての施策が成功するとは思わないが、まちに対して思い入れの多い「横浜人」の情熱が伝わる事業が多いことを感じた。それを感じただけでも、このツアーに参加した甲斐があるというものだ。 この日の詳しい行程は英文の方へどうぞ。 さくら散歩 東京ぐるっと一回り 四月一日 4月9日 この時期を逃しては1年後になってしまう。そう、桜だ。日本に生まれた幸せを最も強く感じる季節である。萬亀散歩人もフラフラと出かけることにしよう! なのに、珍しく春の風邪を引き、何年かぶりに、38度を越す熱を出した。同じふらふらでも、こっちは脳みそがまわっている感覚で、宙に浮いている気分だ。そんな強烈な風邪を引きずっていては、花冷えのなか、夜桜見物は無理だ、としょぼくれた1週間を送っていた。 そして、迎えた週末。どこを歩こう…と思案するも、つかのま。窓を開けると、みぞれ混じりの雨で、一気に真冬に戻ってしまったではないか。桜に雪は25年ぶりのことという。いつもなら、珍しいこともあるものだと喜び勇んで、でかけるのだが、風邪引き亀は、家にとじこもり。恨めしそうに、空を見上げる。暖かな日差しの元、青い空を見上げながらの桜がよいのに、どんより曇って、花びらを打つ雨は冷たい。 次の日は晴れ。これが、待ち望んだ「春」の日曜日だ。気もそぞろに、出発。午前中は井之頭公園を歩くことにする。小学校の頃から花見といえば、ここだった。近くには、有名な焼き鳥屋の伊勢屋があり、もうもうとトリを焼く煙をはいていて、花見客でごったがえしている。いつもの見慣れた風景だ。井の頭通りに程近い芙蓉亭の脇の浅い階段をトントンと走って下り、公園に入る。 うわっと視界に入ってきたものは、人人人…。盛り場に行く楽しみは、人ごみにまぎれること。花見も同じような楽しみがある。花見に来る人たちは、ハッピーピープル。幸せのエネルギーを出している人たちだから、その中にまぎれていても、全然、苦にはならない。 肝心の桜は、想像を裏切らず、たわわに白い枝を広げている。どっしりとした深い色の木の皮によく映える、白に近いピンク色の花。池の周りを巡らすように植えられているので、大ぶりの枝が、水に覆い被さるように張っている。ボートに乗り、木の下にもぐると、花の天井を眺めることができる。しかし、その脇には、お弁当などをつついている人もいるので、なかなか落ち着かないだろうと思う。 この枝ぶりを考えると、毛虫の時期が終わったみどりの時期のほうが、ロマンチックだろう。人も少なくなり、木陰の下、葉を通してひらひらと透ける太陽の光を感じることができるだ。しかし、ご注意を。ここは弁財天が祀ってあるので、ボートに乗る恋人たちを弁天様が嫉妬して別れさせてしまう、という有名な話があるのだ。 この公園でのベストスポットは、なんといっても、池のほぼ真ん中にかかる橋の上だ。ここに立つと、水を囲む桜のベールが楽しむことができる。三脚つきの本格的なカメラセットをかついでやってくる人も多く、橋の上はちょっとしたラッシュになる。ゆっくり花を楽しむには少々、気が急く場所かもしれない。 加えて、午後から夕方にかけて、さらに人が増える。例年の経験からすると公園が酒くさくなって、ちょっと居心地が悪くなっていくのだ。なので、人ごみを逆行し、公園を抜けでた。最近、吉祥寺にはオープンカフェが増え、丸井脇の通称エスニック通りにもいくtつもカフェがあるのだが、花見に飽きた人々が、コーヒーなどすすっていた。 用事で、原宿、表参道、渋谷と歩く。けれど、桜を見た! という感動には程遠い。そこで、夜桜を見に、外堀に出た。 飯田橋駅前、牛込橋のたもとから市ヶ谷方面へ歩く。昼間だったら、外堀の水面に反射する木々の姿が楽しめただろう、と水上カフェであるキャナルカフェの光を見ながら思う。私にとって、桜と水辺の縁は切れないものだ。例えば、梅の時期に歩いた江戸川公園は桜の名所のひとつで、神田川に向かって花びらを広げている。毎年、少々、どぶ川の匂いがしようとも、何本もの橋を渡り、枝振りを愛でるのが習慣になっている。そして、午後の渋谷界わいの桜に魅力を感じなかったのは、水がなかったからではないかと気づいた。 外堀に視点を戻そう。ここのまだつぼみが固いようで、来週もまだまだ散らずに残りそうだ。大通りに面していることもあり、宴会がそれほど多くなく、気持ちよく歩くことができる。遊歩道にはシートをひいている人たちもいるのだが、静かに鍋などをつついているので、井の頭公園の夜と違って、安心して見ていられるのだ。途中の橋で、飯田橋の方を望む。下にはJRの線路が走る。すると、枝がふるふると震えるように見える。けれど、まだ花びらはちらない。ざざーっと白い花弁を散らすようになったら、例年のごとく、ちょっとさびしい気持ちになるのだろう。あともう少し、咲いていて欲しい、と思うところで散るから美しいのだ。散り際をまた見に来ようっと。 第6回東京散歩の会例会 「忠太で廻る、モニュメントと デコレーションの東京」 4月23日 本日のコース:靖国神社・遊就館→ホテル・オークラ・大倉集古館→築地本願寺→震災記念堂(東京都慰霊堂)・東京都復興記念館 開催日:2001年3月18日 *伊東忠太についての簡単な紹介については、英語版をご覧ください。英語版が比較的"正統"な「東京散歩の会」報告書になっています。 春の「東京散歩の会」のテーマは1人の建築家が建てた建物を中心に東京を巡るというものだったが、想像より、ずっとディープなものになった。伊東忠太の建築を見てまわる、というのだから、かわいい動物・怪物にたくさん出会える、と期待していたのだが、振り返ってみると、朝から晩まで、戦争の匂いがするところばかりを訪れたという思いの方が強い。このようなプランがなければ、今回、訪れたところにも行かなかっただろうし、1日のうちにこんなに「戦争」に出会わなかっただろう。 自分の知らない世界に入るためには、人に会うことが一番。散歩の会を始めたことで、人が人を呼び、会うことのなかった種類の人々と出会うようになった。今回の会の企画を立ててくださった倉方俊輔さんと知り合ったのも、偶然の賜物。(この話はまた面白いので、別の機会に書くことにしよう。)しかし、この偶然が人生を楽しくするのだ。 倉方俊輔さんは日本近代建築史が専門の研究者で、今回のテーマである「伊東忠太」は研究対象の1つであるそうだ。なんといっても、専門家が作成したプランだから、面白くないはずがないし、途中で挟まれるレクチャーも生半可なものではない。参加者の好奇心をフルに満たすぜいたくなものになったといっても言い過ぎではない。 午前9時45分、九段下駅で待ち合わせ。魅力的な計画のおかげで25人も集まり、ちょっとした集団をなしていた。武道館ではどこかの大学の卒業式があるらしく、晴れ着姿の集団がわさわさと歩いている。こちらは、いかにもカジュアル散歩姿で、靖国神社へてくてくと出発だ。 好奇心旺盛な人々の集まりである。ここの目的は遊就館なのだが、すぐにはそこにはたどりつけない。見るものすべてに、何かしらの感想などを語り、誰かが面白い史実などを話し出す。ちょっと目を引くものがあれば、立ち止まり、人を呼ぶ。複数で歩く良いところのひとつは、自分ひとりでは気づかないもを他の人から教えてもらえるところだろう。いろいろな目玉で見たほうが、たくさんのものが見られるケースの方が多い。 遊就館の前にやっとつき、ごろりと転がっている人間魚雷や、いわゆる「日本の」母の像を眺める。ツアーを始めたばかりなのに、重い気分になってくる。中に入れば、さらにずっしりとのしかかってくる戦争の歴史。国家のために必要な「戦争」というイメージをちゃんと売っている。そればかりではなく、美しい武具なども展示していて、見るものをワクワクさせる。戦いは嫌だ、と普段は言っていても、美しい武器・武具をみるとなんとなく惹かれてしまう一面も人間にはある。でも、突き上げた握りこぶしがついている兜をみて、かっこいいと思わないような感受性を持ちたくはない、とも思う。 実は、散歩の会として団体料金で施設に入館したのも今回が初めて。この遊就館で、初めての領収書を切ってもらい、なんとなく感慨深く、ファイルにきっちり綴じこんだ。 次は大倉集古館。大倉喜八郎のコレクションが収められている、日本国内では最初の私立の美術館だ。外観は中国風。六角窓がなかなかステキ。こういうところにくると、本当の金持ちはすごい、と思う。少ない中でも、お金をうまく使いたいものだとわが財布の中身の行方を反省してしまう。最近の判断の基準は「欲しい」「欲しくない」なのだが、なかなか、「欲しい」ものがたくさんあるところだ。 久しぶりに訪れて、眺めてみると、ホテル・オオクラのロビーは非常にうつくしいことに改めて気づく。晴れた午後、窓から入る斜めの光のなか、ロビーのいすに深く腰をかけ、誰かを待つ、というストーリーが一気に頭を駆け巡る。久しぶりに都会を歩いたわたくしは、非常に良い気分になった。東京に住んでいる利点のひとつは、都会の洗練された人工物の中にどっぶり浸かれるところだ。 ここで、ひとつだけハプニング。オオクラから、築地に向かう段で、わたくしだけがはぐれてしまったのだ。世話役が迷子になってどうする? と思いながら、庭園の階段を走る。ここで、25人は多いよなぁ、と自分がはぐれたのを人数のせいにして、追いかける。モバイル世代でよかった、よかった。 さすが、気配りの倉方夫妻。築地のすし屋を予約しておいてくれた。わたくしなぞ、25人がいっぺんに入れる店などハナから期待しておらず、適当に食べてもらって、築地本願寺の前で再度、集合すればよいと思っていたのだが、きめこまやかなプランには敬服だ。 さて、伊東忠太の代表作である築地本願寺。インド風の伽藍で、ウィングの両端には、ストゥーパを模した塔を持つ。道路をはさみ、正面から全体像の写真を撮ろうとすると、横断歩道の真ん中に立たなければいけないので、気をつけて。建物の入り口で待ち構える獅子は羽を生やし、後ろを見るとその毛はカールしている。中に入れば、ゾウ、馬、牛、あちらこちらにの親柱に丸っこい体つきの動物が置かれている。階段の柱の陰にはサルがこちらをいぶかしげに覗いている。女性陣はこのころころした体つきの動物にイチコロ。おもむろにカメラを取り出し、撮影会となる。 建物の面白さとは別に、ちょっと興味深いのが、ここのトイレである。場所を取らないためなのか、円形にスライドする扉を採用している。本当にちゃんと閉まるの?と思いきや、それほど力を必要とせず、自然に動かせる。外にいる人を気にすることなく、扉を開け閉めできるのが良い点だろう。 最後の訪問地は両国。目的は横網町公園内にある震災記念堂。1951年、東京都慰霊堂と改称されている。鳩が入らないようにしているのか、入り口には簾のようなものがかけられている。それをくぐり、脇に座っている品の良いおばあさんに会釈し、中に入る。キリスト教会風だという感想と、禅宗寺院風だという感想が聞こえる。どっちなのだろう? 後ろを振り返ると、光の珠を抱えている妙な動物が目に入る。ブラケットの飾りなのだが、ウサギのように長い耳を持ち、豚のような大きい鼻をしている。ここに来た人は必ず、「かわいい」というはずの代物だ。外に出ても、スズメやらの動物がちりばめられていて、見る人の目を楽しませる。 同じ公園内にある復興記念館も見学する。この建物も伊東忠太のデザインだという。確かに、正面の柱の上部に怪物がついている。顔の部分が崩れてしまっているので、不気味感を増しているように見える。わたくし達が入っていくと、管理人のおじいさんたちが次々とでてきて、口々に「展示はこちらからですよ」と親切に声をかけてくれた。わたくし達のほかに、若いカップルと初老の夫婦がいたっきり。静かな記念館だ。展示内容は、関東大震災や東京大空襲の惨状を伝えるものばかり。展示内容は重く、暗いのだが、レトロなチャートや模型の造形的なかわいらしさに目を奪われる。なかなか不思議な空間なので、今度はここだけを目的にしてじっくり訪れたいと思う。 これで今日の行程はおしまい。いろいろなものを見て、脳みそがフル回転したようだ。こんな日のクールダウンは、ビールにかぎる! これも散歩の楽しみのひとつだと、みなさん認めてくれますよね? ※夏の「散歩の会」は東京を飛び出し、香川へ旅する予定。お楽しみに! ゆっくり春を迎える秩父 4月30日 歩いた日:2001年3月24日・25日 秩父に住む友人からよく招待を受ける。1年に2、3回はお宅に伺い、自然を満喫するのだ。都会の真ん中から秩父に来ると、空気の匂いが違うことに気付くし、井戸水のおいしさを感じる。東京ネイティブのわたくしにとって、のんびり自然に浸ることができるこの招待は非常にうれしいものだ。 テレビでは秩父や長瀞を案内する番組をよくやっているし、駅には秩父行きを促す広告が目に付く。旅行会社のパンフレットでは日帰りオススメツアーに秩父が組み込まれているものも少なくない。東京からは交通の便もよく、ハイキングに手ごろな山、温泉、札所、アーティストコミュニティなどいろいろな興味・関心に応える環境がそろっているので、これからの季節、ますます多くの人が訪れることだろう。 3月最後の土曜日、駅を降りると、とても暖かい。綿入りのジャケットを着ていったのだが、まったく無用だった。コットンシャツ一枚になって、ソフトクリームをなめつつ、お花畑駅脇の踏切を渡り、慈眼寺へと向かう。この寺は、秩父札所の13番で、秩父札所連合会事務所もある。お寺をのぞいてみると、彫り物がなかなか立派で、目を引く。その本堂の前で、女性グループが寺の由来などを熱心に聞いていた。ここで、地図などを買って、歩き始めるのもよいだろう。34ヶ所の霊場を訪れるには、山あり谷ありの自然の中、約100キロメートルほど巡ることになる。 ここで4時に友人と落ち合うの予定だったので、西武秩父駅周辺のお寺をいくつかまわってみようと思っていたのだが、私が乗る電車を見越して、2時過ぎに迎えに来てくださり、すぐにお宅に向かうことにした。 このあたり、大量の杉が植わっていて、この時期、花粉がひどいらしく、花粉症でないわたくしでさえ、のどがえらえらするのを感じたほどだ。友人はひどい花粉症なのだが、この風の気持ちよさを捨てられず、窓を全開にして暖かい風を感じつつ、ドライブ。途中、秩父ミューズパークの梅園では、様々な種類の梅が満開だった。 車で約40分。谷間の小さい村に到着。梅の花ですらこれから咲くようで、今年2度目の春を迎える気持ちになった。だいぶ日がのびて5時過ぎまで日が差し込んでいて暖かだったのが、日が沈むと一気に冷えたのは、やはり山の気候だといえるだろう。 次の日の朝、村の周りを散策する。コテージの脇には新しい道路があり、よい散歩コースになっていて、友人は家族とともによく歩くそうだ。とはいえ、この道は、かれこれ5年くらいずっと工事中で、他には誰も利用する人はいない。わたくしがここに来るたびに、道は奥の方へのびているのだが、いつもがけ崩れが起こったり、切り崩した山の圧力(?)のせいで、舗装がゆがんでしまったりと不具合が目に付く。これを直すだけでも時間がかかるし、すべてが凍ってしまう冬には工事を止めてしまうので、遅々として工事が進まないのだ。2~3日の休日を過ごすだけで地元の事情を知らないよそ者のわたくしの単なる感想なのだが、正直言って、この計画は失敗、税金の無駄遣いではないかと思う。地元に仕事をもたらしたかもしれないが、その仕事は自らの住む地域の環境を壊すことになってしまっているというのは言いすぎだろうか? こんな小さな村が新しい道を必要としているのかはなはだ疑問だし、切った山を支えるワイヤーやコンクリートの塊は、まったくもって醜いのだ。 誰も歩かないこの道を手作りの杖をぽくぽくとつきながら登る。いまにも落ちてきそうな岩、すぐにもはがれそうな急ごしらえの芝生など、雨が降ったらすぐに土砂崩れしてしまいそうだ。それでも、去年よりもだいぶ上のほうまで道は開かれていて、シャベルカーが放置されている行き止まりまで約30分歩く。聞こえるのは枝のゆれる音と鳥の鳴き声だけ。東京人にとっては、これだけでも自然のなかにいる感覚に陥るのだが、長年ここに住んでいる友人は、環境破壊はなはだしいと感じている。まず、動物をまったく見かけなくなったという。確かに、大型の機械を持ち込んで、道を切り開いていたら、用心深い動物たちはどこかへ去ってしまうだろう。 機械をくぐり、もと来た道を下り、村の旧メインストリートに出る。村の人はみんな顔見知りで、2人で歩いていると、すぐに挨拶の声がかかる。それほど幅はないので、車は通りづらいが、自然の起伏に逆らうことなく作られた人のための道なので、歩くのに苦はない。その道から車の通る道に出て歩くこと10分、節分草の自生地につく。節分草の自生地はめずらしいそうで、観光客が車でひっきりなしにやってくる。我々は中に入らず、階段で甘酒を飲みながら、休憩を取り、外から白く小さな花を眺める。3月に節分の花を見る不思議な感覚に陥りつつ、かわいらしいその花をじっと見つめてしまった。 節分草を見ながら、「そろそろお腹もすいてきたから、コテッジに戻ろうか」と話をしていたのにもかかわらず、歩くのが大好きな2人組みは、そこからしばらく行った先の急な斜面を滑り降り、川に下りて、川辺を歩き続けた。途中で岸がなくなり、何度も川を渡った。川の水は冷たく、高さはちょうどひざくらいだ。ゴムの長靴を履いて、滑らないようにのっしのっしと足を動かした。たいした冒険をした気分になった。バランス感覚に欠けるわたくしは、こけないように歩くことに注意を向ける。全神経を腰と膝のあたりに集め、足を撮られないようにする。 東京の真ん中に住んでいると、こんな経験はなかなかできない。東京にも川はたくさんあれど、臭う川を渡ろうなんて誰がそんな気まぐれを起こすだろうか。ただ、こんなに自然賛美をできるのは、自然の少ない東京に住んでいるから、かもしれない。けれど、日本の自然を美しいと思い、守っていきたいと思う気持ちは、どこに住んでいようとも持っていたい感情なのである。 |
(*)新宿区景観まちづくり賞:まちなみ部門受賞1 西落合コミュニティ・ゾーン
2 区立下落合野鳥の森公園 3 石橋邸 4 四の坂 5 妙正寺川景観道路のサクラ 6 区立大東橋公園 7 新宿三井ビル前広場・55ひろば 8 新宿サザンテラス 9 新宿ミロードモザイク通り 10 策(むち)の池(津の守弁財天) 11 市谷加賀町界わいとその通り 12 区立矢来公園 13 区立早稲田小学校 「東京散歩の会」:1999年9月設立。現在、3~4ヶ月に1回のペースでテーマを設定した散歩をする。町並み、建築、美術、歴史、演劇…様々な興味を持つ人々を中心とした可塑的な、なんでもありの会。春には「伊東忠太ツアー」を開催の予定。参加者、企画者大歓迎! |
「行きはヨイヨイ、帰りは怖い」
5月7日 何を隠そう、石段が大好きだ。旅先で神社やお寺を訪れ、本堂に向かう石段を下から見上げて非常に長いことを確認すると、キャーと叫びたくなり、脳を刺激する何かによって、足取りが軽くなる。たいてい、連れは嫌そうな顔をするのだが、そんなことはお構いなし。ずんずんと上ってしまう。神聖なものは人間の頭の上にあるものだ。それを目指していく喜びが興奮の元だと勝手に解釈している。 ただし、お寺や神社の前の石段だけでなく、町の中にある階段も大好き。山の手に住んでいると、階段によく出会う。バリアフリーの逆を行く街だということは承知で、この階段を残して欲しいと思う。この場合は、坂に隠された歴史などに思いを寄せつつ歩くことが喜びの源だ。坂や階段にはそれぞれ歴史があることが多く、それを追うだけでも面白いものなのだ。 わたくしの石段好きを正確に定義すると、「外気の当たるところにある階段状のものを見ると上らずに入られない」である。毎日の生活で、地下鉄の階段は概してエスカレーターを目で追い、会社ではエレベーターを利用しているのだから、真正の階段好きではないのかもしれない。外にある階段を上るのと、どう違うかと問われれば、外の段々には、上った後の素晴らしい見晴らしが予想される、というご褒美があることと、足跡を残せそうな気になることがすぐに挙げられよう。石段が何百年も前に作られたものだと、多くの人が歩いて中央がすりへっているのに気付く。何千・何万人の人の足によって擦られた段の上をさらに私の足がほんの薄くであろうが、削り取る。これを想像すると、人間の歴史に関与している気持ちになるのである。 さて、今回の旅の目的地は仙台である。この旅の主目的は、もちろん、石段ではなく、メディアテークという建物とそこで行われた友人のライブを見に行くことだったのだが、それは、次回、書くことにして、今回は、わたくしが駆け上った仙台の石段を紹介しようと思う。 まず訪れたところは、瑞鳳殿。経ヶ峰という丘の上にたつ伊達正宗の廟、平たく言うとお墓がある。この建物がキンキラでテカテカ。昭和54年に再建されたもので、古建築が好きな人は退いてしまうかもしれないが、なかなかかわいい色使いなので、動物もちょっとB級に見え、わたくしは嫌いではない。 そこにたどり着くまでの石段は蹴り上げが深く、歩きやすく、ずんずんと足が進む。つっかかるところがないので、階段を上っている感覚がなかったほどだ。 次の石段は東照宮前。国の重要文化財である随身門に向けて階段がある。この階段の上で、親子がお弁当を食べていた。上から下を眺めても、住宅地で、それほどよい眺めではないのに、なぜそこで3時過ぎにお弁当を広げていたのだろうか…? 観光客はほとんどおらず、近所の子供がボール遊びをし、ご老人が散歩する、のんびりしたところだった。 次の日は仙山線に乗り、山寺まで出る。ここにあるのが、立石寺。芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という有名な歌を詠んだところだそうだ。 ここには千余段の階段があり、それをてくてくと上ると奥の院までたどり着く、というわたくしにとっての理想郷があった。拝観料を納めるところには、この石段を一段一段上ると煩悩がなくなることを謳う注意書きがあった。煩悩がなくなったら困るな、と思いながら木漏れ日のもとよく整備された道を行く。脇の岩には穴が穿たれ、修行の場であったことを感じる。上からの眺めは最高。上ってきた甲斐があると感じる典型的な寺である。上にはさらに、現在も修行者しか入れない一帯があり、憧れの目線を向けてしまった。 こんな私にも石段に対して弱点があるのだ。下りが不得意。バランス感覚が狂い、膝が笑い出す。整備されていないところだったら、恐怖すら感じる。ずっと上りだったらよいのに…、と猪突猛進の性格がよく表れている。人生といっしょ。谷あり山ありだから楽しいのだということを決して考えない。石段を上れば、煩悩がなくなる、というのは私には当てはまらないだろう。石段のステップは苦行でもなんでもなく、楽しみでしかないのだから。もしかしたら、ぐらつかずに下れるようになったら、煩悩がなくなるのかしら? |
「うに・いくら丼は開拓団の赤い星」
6月4日 近頃、きちんとした休みをとっていない。今、一番必要なものは睡眠! と断言できるほどなのに、やめられないものは街歩きである。とはいっても、仕事ばかりしていると、なかなか「夜の散歩」とすら気取ることもできない。「東京について書く」と宣言したものの、なかなか身の回りの幸せを書き上げることができない苦しい言い訳だ。そして、今回もトピックスは北海道、というわけで、地方巡業日記である。 仕事の都合上、週末に地方出張が多い。仕事を終えると、たこの糸が切れたように飛び出し、その街をうろうろとするのが楽しみだ。地方都市は小さい東京みたい、と言う人もいるが、その土地ごとに何かしら面白いものがあるのだ。そして、先週末、急遽、札幌に行くことになり、初の北海道上陸を果たした。この一番美しい時期に! 例のごとく、「何でも見たい、経験したい」病が発病し、散歩への情熱が、仕事に対する愛に、すんでのところで勝ってしまうほどであった。 赤い星。開拓団のマークである。朝一番、仕事前に訪れた時計台の赤い星。白い雪の中、あの星は目立つことだろう。平原の中、時計台がすくっと立ち、札幌中に鐘の音を響かせていた様子を思い浮かべる。今ではビルに囲まれ、小さくみえる時計台だが、当時は、町中に音をとどろかせていたという話を聞くと、ここまでの繁栄を築いた人々の苦労がしのばれる。 時計台を眺められる席に陣取り、朝食を取る。三大がっかり観光スポットと揶揄される時計台だが、私は一目見て、かわいらしいなぁと気に入ってしまった。数年前に修復され、当初のものに近づけるため、薄いうぐいす色に塗りなおしたという。こぢんまりとして、いかにも土地の人に愛される建物だ。札幌市民憲章に「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です」とあるように、市民の誇りなのだろう。いくら、ぼろぼろだったとしても、そういう気持ちがこもった建物に「がっかり」など私はできない。美術と建築を見に行くだけのために地球を飛び回っている私は、もっとがっかりするような造りのものをいっぱい見ているので、むしろ、この手の建物としては、それほどレベルが低くないと感じたのが第一印象だ。 第2の星はサッポロビール。仕事を終え、ライラックまつりで賑わう大通り公園を抜けて、サッポロファクトリーへ向かう。明治9年に「開拓使麦酒醸造所」として出発したサッポロビールの発祥の地である。現在では複合ショッピングセンターになっていて、美術館なども入っている。当時のビール工場の赤レンガ倉庫が残されている広場に、往時の面影を残す。「開拓使」という言葉が示すように、倉庫の壁にやはり大きな赤い星が見える。ふっと上を見上げると、煙突には「東京 株式会社石川島建船所製作 大正四年六月」というレーベルが打ち付けられている。まだまだ自由を謳歌できた大正時代にタイムトリップ。嗜好品であるビールの消費もそれなりに増えていっていた時期だろう。あのまま戦争がなかったら、日本はどうなっていただろうか? 現在を「まるで『戦前』だ」という人もいるが、ビールを楽しめるこの国をこのまま残さなければいけない、と広場で感慨にふけってしまった。 2001年4月1日に運行を開始した、札幌の主な観光名所を巡り、中心部を循環するバス路線(ファクトリー線)に乗ると、便利である。時間のないときの観光にこのバスに乗るのもオススメだ。 次の日は日曜日。仕事も入っていない。となれば、もちろんすぐには帰らない。小樽・積丹半島と盛りだくさんの休日だ。小樽は港として栄え、近代建築の宝庫。書きたいことがたくさんあるので、次の機会に譲り、積丹半島へ急ごう。 小樽で友人と待ち合わせをし、念願の北海道ドライブ。涼しく乾燥した空気の中、まるで高原にいるような気候の中、まっすぐ伸びる道は「北海道に来た!」を実感させられる。小樽から約3時間で、島武意海岸に到着だ。海岸線から見える海は太陽を反射してきらきら光り、風雪で削られた岩はまるで何かのモニュメントのように目を引く。幸い、晴れていたので、鮮やかに空の色を反射し、海の色はまさにコバルトブルーだ。見晴台の手すりにもたれ、吸い込まれそうな青色をじっと凝視する。180°より広い視界。地球は円盤で、地の果てで海が終わり、滝のように水が流れ落ちている、という中世の考えが身をもって理解できる。小さい漁船が一隻浮いていて、周りをかもめが舞っていた。何がつれるのだろうか。もしかして答えはこれ? このほっけを買って帰った友人によれば、三ッ星級のうまさだったそうだ。もちろん、うにやいくらがとろけるほどにおいしかったことは言うまでもない。 |
「大学に行こう!」
6月11日 大学は最高の娯楽の場である。これを活用しない手はない。 18歳人口が減っている現在、学生を集めることに大学は必死だ。生き残りをかけて、それぞれに特色ある学風を作ろうとしたり、収入の間口を広げようと、社会人相手の大学院やオープンカレッジなどが花盛りである。ただ、散歩のススメを主目的とするこのコラムで、勉学のススメをするつもりはない。もちろん、こうした講座に参加して知的好奇心を満たすことは楽しいし、勉強をしたいと思ったときが一番の勉強のしどきであると信じているので、このトレンドを否定はしないが、大学には授業料を払わなくても楽しめるものが結構あるのだ。 まず、情緒ある空間がある。大学構内を歩くと、タイムスリップした気持ちになったり、異国にいるような感覚に陥ったことはないだろうか? 歴史ある大学では、たいてい建物のデザインはゴシックが基本だ。ヨーロッパにすべての範を求めた時期に大学という形態の教育機関が作られ、最高学府にふさわしいデザインとして力強いゴシックが選ばれたそうだ。よく見ると、フォークで線をつけたようなレンガでデコレーションされているのに気づくことはないだろうか。これも当時、学校建築に流行ったもので、スクラッチタイルという。キリスト系の大学ではチャペルもあり、ステンドグラス越しに注ぐ光にうっとりしてしまうこともある。また、最近の建物でも有名な建築家が設計を担当したものを挙げればきりがない。 それに、憩いの場が用意されている。ベンチもあちこちに置かれ、木々も丁寧に扱われ、下手な公園以上に美しく整備されている。休み時間ともなれば学生がわさわさと集う場となる。土地の潤沢な郊外の大学へ行けば、大学の中に森や山さえあり、毎日ピクニックができるのだ。もちろん、憩いの場所として、外せないのが学食である。安くてボリュームがあるのが自慢、という昔ながらの食堂もあれば、女子学生を増やそうと、カフェテリア形式でおしゃれさを前面に出したところもある。高校生向けの雑誌で大学ランキングなどを特集するときに、学食ははずせないポイントとなっているところをみても、大学を選ぶ基準のひとつになっているといっても過言ではないだろう。 もし、大学をもっと詳しく知りたいと思ったら、カレッジツアーなどに参加するのもよいだろう。オープンキャンパスなど、限られた時期だけ実施する大学もあれば、通年、学生のボランティアによって学内を案内してくれることもある。大学の歴史、銅像のいわれなど、ちょっとした豆知識を得られ、次回、友達に自慢ができる。また、無料の講演会などもあるので、散歩のついでに、教室に入り込み、高名な先生の話を聞くチャンスにもめぐり合えることがある。 研究や教育のために収集した物品を展示する美術館を設置していることも多い。料金は規模によって様々だが、無料のところも少なくない。週末や祝日は閉館しているケースもあるが、最近では一般の人が見やすいようにと、土曜日の開館時間を延ばしたり、日曜日に開館することもあるので、問い合わせてみよう。大学のe環境が整い、ホームページなども充実してきて、かなり豊富な情報が手に入るようになったので重宝する。 先日、早稲田大学の演劇博物館に行ってきた。建物自体、シェイクスピア劇の翻訳を手がけた坪内逍遥博士の発案によって16世紀のイギリスの劇場であるフォーチュン座を模して作ったもので、それだけみても十分、美しい。なかには、日本の演劇や民俗芸能、シェイクスピアに関する資料など展示されていて、企画展なども行われる。実際に能面を身につける一角や学生の演劇フェスティバルの宣伝があり、「楽しい見学」にも心配りされている。 最後に、おみやげを買おうと思ったら、大学グッズがオススメだ。文房具やカレッジ・アクセサリーだけでなく、校章が透かし彫りされたグラス、饅頭やクッキーなどもある。こうした品が大学生協で扱われている。現在愛用のノートは立教大学のマークが入ったもので、学習院の桜のマークの入った小物をかっこいいと思い、早稲田大学の大隈講堂のスケッチの描かれたショッピングバックを持っている人に、どこで手に入れたのか尋ねるほどに、大学グッズに興味がある。コレクターズアイテムのように感じられるのが大学グッズの魅力である。 まず、手始めに「最初の1校」として、母校を訪ね、母校の変貌ぶり、不変ぶりを確認してはいかがだろうか。 |
「東京の廃墟(東京大学生産技術研究所)」
6月18日 日本建築学会が主催した「東京ウォッチング:六本木に『昭和』をみる」に参加した。六本木界わいの見学だったが、まもなく取り壊される「東京大学生産技術研究所」を訪れるのが一番の楽しみだった。こういった取り壊される予定にあり、しかも、しっかりと管理されている建物を個人で見るのは難しいだろう、と応募したのだが、運良く当選し、専門家の話を聞きつつ都市を歩く土曜日の午後を過ごした。 この「東京ウォッチング」は、例年、参加希望が多く、人気の高い企画だそうだ。学生ボランティアが一年がかりで計画し、当日も、出欠を確認したり、資料を配ったり、大勢の人を誘導したり…と、てきぱきと働いていた。建築を専攻する学生にとって、コースを説明するために勉強することは、自身のためになるし、組織を運営するという経験ができるよい機会になっていると思う。また、建築文化を世に知らしめるという本来の目的も果たされ、参加者も楽しく、建築を、そして街を見ることができる。 最近でこそ、建築を語ることが「おしゃれ」になっているが、一般に、建築は鑑賞の対象ではないと思われている。しかし、街に文化が育つというならば、人々が住まい、働く空間を構成する建築にもっと興味がもたれてしかるべきだろう。だから、「よき鑑賞者」を増やすこういう企画は大切だ。本当の愛好者が育てば、表現者である建築家も仕事がしやすくなったり、理想的な都市計画が実行されたりして、住みやすい街を作ることができるというサイクルに入るのではないだろうか。 東京大学生産技術研究所の建物は、1928年に、第一師団歩兵第三連隊兵舎として陸軍が初めて鉄筋コンクリートで作ったものだ。地下1階、地上3階建てで、内装は変えられているものの、往時のままつい最近まで使われていた。この場所は2・26事件における青年将校たちの集結地として有名だが、六本木で遊ぶ若い人の中でどれだけ、そのことを知っている人がいるだろうか?(ちなみに、ここから高橋是清記念公園まで歩き、さらに、反乱した将校たちに原隊へ戻るように呼びかけた「兵に告ぐ」という当時のラジオ放送を愛宕山にあるNHK放送博物館で聞くと、歴史をビビッドに学ぶことができると思う。) 敗戦直後、GHQに接収され、返還されるまで、「ハーディバラックス」として使用された。返還後、1962年に同研究所が移転してきた。そして、取り壊し決定後、同研究所は駒場に移り、今後は、この敷地内にナショナルギャラリーを作る計画がある。老朽化が進み、耐震性の問題から建て直すことに決めたそうだが、素人目には普通に十分使用可能に見えたし、ウォッチングの講師も「構造だけ補強し、そのまま使えばよいのに…」と嘆いていた。このように、政治史的にも建築史的にも意義のあるこの建物の保存を求める声はもちろん強く、建物の一部を保存する話も出ている。 中を歩いてみると、すっかり什器がとりはずされ、何となく廃墟の呈を示している。理系の研究所らしく、実験に使用していただろうガスパイプなどが剥き出しになっていたり、床がはがされ、太い柱だけが存在をアピールしている。天井が高く、窓を開けると、風が吹き通る。未開の地と違い、人がいたことを示すものがあるだけ、打ち捨てられた建物ほど物悲しいものはない。かつて集会室として利用されていた部屋の片隅に放置されたピアノがやけに目立っていた。 階段室はプランを見ると13ヶ所。多くの階段室は吹き抜けで、天窓から降り注ぐ日の光がやわらかく壁に反射する。木レンガが使われている階段もあり、こうしたところにノスタルジーを感じる人もいるだろう。ここから屋上に上がると、丸みを帯びた出入り口が目に付く。こうした細部のデザインに昭和初期のモダンな遊び心が感じられる。 中庭を有した変形八角形の建物の内部を一周すると、方向感覚が狂う。何のために使われたのかよくわからない三角形の部屋があったり、まるでラビリンスである。なんといっても、面取りされた部分がいけない。まっすぐ見通しの良い廊下から先が見えないカーブに入ることで、不安感を持つのだ。陸軍の建物という性格上、資料があまり残っていないそうで、なぜこのような作りにしたか不明の点も多いそうだが、要塞化していることだけは確かだという。 かつて兵士たちがグラウンド代わりに使用した屋上のコンクリートに反射する6月の太陽はまぶしい。背中に初夏の太陽と風を感じつつ手すりにもたれ、中庭を覗き込み、太く立派に育った木々を見つめながら、建物が見てきた数々の出来事を思う。歴史の染み込んだこの建物をこんな風に歩く機会はもうないだろう。建物の最期である取り壊し前に、その探検ができて、本当に、よかった。 「キット・リスト」 6月25日 旅に何を持っていきますか? このコラムを書き始めてからカメラを持ち歩くようになった。かつては、荷物をいかに小さくするかに注力していたから、カメラは最後まで持っていくかどうか迷うものだった。しかし、持ち歩くようになると、持っていかないと、損をしたような気持ちになるからおかしなものだ。とはいえ、カメラにこだわりはない。小さいもので、画像が取れればそれでよい。 地図も忘れてはいけない。ガイドブックはなくても地図だけはほしい。自分がどこにいるのか客観視できないとなんとなく不安になるものだ。目的の場所が列挙されているガイドブックでは自分の位置がわからない。だから、地図帳がよいのだ。そのうち磁石を持ち歩くのだろうか。 リングノートと鉛筆。毎日、何かしら書きたくなるし、パンフレットや切符など集めたがるので、いろいろとはさみこんでいき、「この1冊で旅の全容がわかる」というノートを作る。この旅行ノートを見ると、小学校の夏休みの自由研究を思い出す。つまり、小学校の頃から同じようなことをいつもして、よくも飽きないものだ、と我ながら進歩のなさにがっかりするのだ。 何もしない、ということが苦痛な典型的なモーレツ日本人ぶりを発揮するのが、飛行機の中だ。もちろん、長時間のフライトを快適に過ごすためには、暇つぶしが必要だ。そこで、いつも本を何冊か持っていく。ジャンルは常に偏っている。そのときに「はまっている」分野のものを読む。本に飽きれば、地図帳を広げ、地図上の町の様子を想像する。それをノートに書いてみる。ビールをもらう。また本に目を落とす。これでだいぶ気がまぎれる。 旅の途中で、誰かを訪ねていくことが多いから、ちょっとしたお土産をバッグにしのばせていく。実は、このお土産選びが楽しいのだ。あの友人には何が良いだろうか…と百貨店や専門店を覗いているうちからもう旅は始まっているのだと思う。 約10日間、わたくしは休暇に入る。カメラ、地図帳、ノートに鉛筆、飛行機の中で読む本、そして友人へのお土産は用意した。他には何が必要かしら? さて、準備に取り掛かろう。 |
「カナダの自然の中で考えた」
7月9日 カナダに行った。ほんの3日間だけ。あんな大きな国にそれだけの滞在と知ったカナダの人々から、驚きの目で見られた。「3日でどうするっていうの?」 いろいろと体験したいもの、見たいものがいっぱいあるけど、友人に会うのが最大の目的、と割り切って3日の予定を組んでいた。でも、会う人ごとにそんなことを言われ、「日本人の観光客はバスでやってきて、5分間で写真を取って、またどっかへ行ってしまう。忙しいね」と付け加えられると、少し複雑な気持ちになる。 ナイアガラ・フォールからナイアガラ・オン・ザ・レイクに往復6時間かけてサイクリングをしたときのこと。行きがけに見かけた家族を帰りにも、同じ場所でのんびり座っているのを見つけた。こういう休みの過ごし方をする人々から見たら、団体客の旅の仕方は理解しがたいものがあるんだろう、と想像できる。「たくさんの人が旅行にきているところをみると、休みは取れるのね?」 「夏に1週間、年末に1週間、あとは、ちょっとずつばらまいて休みを取って、年間で3週間くらいの休みがあると思います」 「夏に3週間、休めないの?」 「3週間も休んだら、仕事がなくなります」 「日本は今、不況だって言うしね…」 不況でなくても、旅行のために、連続3週間のお休みを取れる会社が日本にいくつあるだろうか? タイからカナダに留学している友人が言っていたせりふが忘れられない。 「タイから日本に来て、タイ人は働かないから豊かになれないのだと思っていたけど、カナダに来て、それはどうも違うと思うようになった。カナダ人は朝から晩までそんなに働いているわけでもないのに、とってもゆったりと豊かに暮らしているよ」 もしかして、日本は豊かなふりをしている貧しい国なのか? と、ここで、日本は文化的に貧困な国だ、という論調に持っていくのは簡単である。それを示すような例もかなりの数を出すことができる。けれど、そういう結論を下すのは嫌なのだ。人間は「本当にしたいこと」を無意識のうちに選んで生きていると信じている。ということは、この環境を変えない人々は、現状の居心地が良いのではないか、と思うのだ。もしかしたら、忙しいことに価値を見出している人だって多いのかもしれない。同僚と話をしていると、「仕事がひまになると、自分が回りから必要とされていないような気がしていやだ」、「息つく間もなく働いていると充実感を感じる」と言う人が多いのに驚くことがある。それを悪いとは言えないのと同様に、日本のあり方を「貧困」と否定することはできないのだ。ただ、見落としてはならないことは、毎日追われるような生き方をして、幸せでないと感じる人が少なからずいる、ということと、文化的に貧困だと思う層も薄くはないということだ。 広大なカナダと小さい日本を一概に比べてどちらが良いとは言えない。(彼らの生活ぶりも価値観も知識は3日分しかないのだから、比較のしようもないのだが)しかし、日本人でもない、カナダ人でもない友人の一言にはいろいろと考えさせられた。 今回の旅行で、普通の人なら1週間かけてすることを3日でこなし、日本人は頑丈にできている、と友人をして言わしめた。「朝から晩までフル活動」が一番楽しく、最も幸せ、と感じるのだから、しかたがないことだと思う。ただ、そこで、日本人は理解ができないと思わせないように、誤解を生じないようなコミュニケーションをして自分の持つ価値観などを異なる価値観を持つ人に説明する必要があるということを思っている。 次回以降、カナダでの驚き、そしてもう1つの目的地、シカゴでの発見を書こうと思う。 |
どれくらいここにいましたか?
|
「時間の感覚…トロント」
7月16日 2008年のオリンピックは北京に決まった。トロントもオリンピックに立候補していたのだが、高速道路などで、時々のぼりを見たくらいで、オリンピックを誘致しよう、という盛り上がりをあまり感じなかった。オリンピック誘致・開催は税金の無駄遣いだという声もあったそうだ。 トロントの売りの1つは、オンタリオ湖。この周辺に競技施設や選手村など集中して作る予定だったらしい。湖畔にはショッピングセンターあり、街を見下ろすCNタワーあり、建築関係者が絶賛するブルージェイズの球場あり、と街歩きも楽しめる。この球場は最新技術により、屋根が短時間で開閉することで有名だと、とある建築関係者が教えてくれた。 日曜日ということもあり、野外フリーコンサートが催されて人が集まり、オープンエアーのレストランは家族連れやカップルで賑わい、湖畔はかなりの人出だった。何をするわけでもなく散歩をしている人も多い。そういう人は、30度を越える暑さの為か、ペットボトルを手にしている。何を飲んでいるのだろうと覗いてみると、コーラや炭酸系の飲み物が多く、次いで水が人気だった。どちらかというと女性は水、男性はソフトドリンクのような気がした。コンビニのような店の冷蔵庫にペットボトル入りの中国茶を発見し、手にとってみたところ、砂糖が入っているという表示を見て、飲む気がしなくなり、棚に戻した。お茶に砂糖を入れるのは、紅茶に砂糖を入れるのと同じ感覚なのだろう。それとも、ある種のお茶は中国でも砂糖を入れて飲むのだろうか? 港から船に乗り、トロント島へ渡る。チャイニーズ・ボート・レースが行われていて、それを観にきたと思われるアジア系の人々が目立つ。また、観光客も多いとみえて、英語以外の言葉が方々で聞こえた。かくいう私もタイの友人と日本語で話していたのだから、人のことはあまり言えまい。芝生に陣取って、寝転がっていると、真っ赤に日焼けして、パドルを手に、首にはメダルをぶらさげた参加者が脇を通る。私たちは夕涼みに来たので、レースは見られなかったのだが、楽しい雰囲気だけは残っていた。ホットドッグや飲茶を食べさせる出店も出ていて、春巻きなんぞをつまみつつ、湖を眺めていると、根っこが生えてくる。こうやってカナダ人は1日を過ごすのかしら…。ほんの少しだけ、のんびりを体験する。夜9時すぎまで明るいのだ。短い夏の季節、太陽が出ている間は、時間を気にせずいられるわけだ。 バスの時間さえなければ、日が沈むまで座っていたかもしれない。ナイアガラへ向かうバスの時間は9時30分。バスにはいつでも乗れる、という感覚を持っていたため、おなかの欲求に応じて、島を出て、ぎりぎりまでチャイナタウンで野菜炒めや肉入り汁麺、甘く味付けされた平麺などのんびり食べていた。出発10分前にバスターミナルに到着し、ここで長蛇の列を見て、唖然とし、認識の甘さを悔いた。このバスはニューヨーク行き。日曜日の夜、家へ帰る人が多いのだろうか、大きな荷物を抱えた人の列が壁沿いにできあがってをいた。私たちはバスに乗れるのか? と顔を見合わせる。このバスを逃すと、次は11時30分。めいいっぱい遊んで疲れたため、2時間も待つのはうんざりだった。 日本でいう大型観光バスの大きさで、ここに並んでいる人数がすべて乗るのは、どう考えても無理そうだ。列の頭からゆっくりゆっくり乗っていく。そして、私たちの前、20人弱のところで、満員になってしまった。私たちの後ろにもあと10人ほどいて、その人たちもそわそわと周りを見回している。ナイアガラのバスターミナルでなくて、10分後に出る、滝の方へ行くバスにチケットを変更してもらおうか…と考えていたところ、バスの運転手が列の後ろの方へ走ってきて、大声を上げる。 「ナイアガラへ行く人は?」「ニューヨークに行く人は?」そして、人数を数え始めた。これは望みありだ。きっともう1台、車を手配してくれる! そして30分ほどで、我々のバスがやってきた。カナダだからありえたことで、どこでも通用しないことはいうまでもないが、バスはいつでも乗れる、という感覚がさらに補強されてしまった。いやはや、安全で親切な国でよかった。 次の日のナイアガラ・フォールでは、興奮状態。ずぶぬれになりながら、滝に吸い込まれるような気持ちを味わった。こんな気持ちは生まれて初めてだといっても過言ではない。多分、訪れる人みんなが思うのであろう。後は、写真をどうぞ。私の下手な言葉は要りません! |
水しぶきが!
|